C従って北部九州へとやって来た渡来人は少数だったし、子孫も少なかったと断ぜざるを得ない」

そのA・・・縄文人と弥生人の骨格の比較から「弥生人=渡来人」とする嘘。

骨格や歯型の比較から、「弥生人=渡来人」とする説には、重大なデータの欠落がある。
それは、「縄文時代の終わりから弥生時代の開始時期にかけての、最も肝要な移行期の人骨がほとんど発掘されておらず、欠落していることである」

これを分かり安く例えれば・・・江戸時代から現在の日本人へと続く、「移行期の人骨データ」が欠落しているにもかかわらず、
単に江戸時代の人骨と現代の日本人の骨格を比較して、アゴや頭骨・歯型・身長がまったく違うから、
現代と江戸時代では人種が違っていると言っているに等しいぐらい馬鹿げた検証と説である。

そのB・・・考古学遺蹟から見る「弥生人=渡来人」説の嘘

日本最古の水田跡がある佐賀県の「菜畑遺蹟は渡来人が最初に入植したムラではありえない。
何しろ、縄文人の人たちのムラである証拠は山ほどあるが、シナ大陸から渡来人がやって来たという証拠は皆無なのだ。
証拠に基づいて語れば話は逆で、縄文時代から九州の人たちは朝鮮半島南部に進出し、日本との間を行き来していた」

「北九州に成立した水田稲作文化は急激に東へ波及し(中略)。その波及には、多くの大陸伝来の要素が欠落しており、
まさに縄文文化の中に稲作だけが持ち込まれた状態を示している。また、この地域では土偶・石棒のような縄文文化独特の精神的道具を保持しているのである。
従って、この稲作の波及には渡来人の関与はなかったと考えるのが妥当であろう」

「北部九州から漢代の大陸系集落や土器・生活用具が出土したと言う話など聞いたことがない。つまり、
大陸から渡来人がやって来たと言うのは単なる推測であり、物的証拠は相変わらずゼロである」