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邪馬台国畿内説を論理的に潰すスレ [無断転載禁止]©2ch.net
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0001倭国大乱垢版2016/06/01(水) 20:55:14.95
憎き畿内説を潰すための有意義な情報を交換しましょう
0002日本@名無史さん垢版2016/06/01(水) 21:33:27.99
>>1
0003日本@名無史さん垢版2016/06/01(水) 22:27:20.00
もう考古学者や歴史学者も表立って
畿内説を主張することはなくなったからな。

あとは、取り残された、過去が忘れられない連中ばかりだが、
それをつついて遊んでるんで、無理に潰さなくても良い。
0005日本@名無史さん垢版2016/06/01(水) 22:31:48.38
自分は九州説だが、
本業でやってるわけでもないんで、
気が向いたら時々調査するくらい。

畿内説は気がついた時につっこみを入れてるだけなので、
無理に潰さなくても良い。
0008日本@名無史さん垢版2016/06/02(木) 04:36:19.79
邪馬台国=大倭=大和

古事記における本州の名前:大倭豊秋津島
「大和」以前のヤマトの表記:大倭(やまと、おほやまと)、日本(やまと)

『三国志魏書』倭人伝:
有邸閣國、國有市、交易有無、使大倭監之。
(閣(立派な高楼)の国があり、国には市があり、双方の有無とする物を交易し、大倭にこれを監督させている。)

『後漢書』倭人伝:
其大倭王居邪馬臺國。
(そこの大倭王は邪馬臺国に居する。)

『隋書』倭国伝:
其國境東西五月行、南北三月行、各至於海。其地勢東高西下。都於邪靡堆、則魏志所謂邪馬臺者也。
(その国の境は東西に五カ月、南北に三カ月の行程で、各々が海に至る。その地形は東高西低。都は邪靡堆、魏志の説に則れば、邪馬臺というなり。)
明年、上遣文林郎裴清使於倭國。度百濟、行至竹島、南望耼羅國、經都斯麻國、迥在大海中。
又東至一支國、又至竹斯國、又東至秦王國。[...]又經十餘國、達於海岸。
自竹斯國以東、皆附庸於倭。[...]既至彼都、其王與清相見、大ス
(翌年、上(天子)は文林郎の裴世清を使者として倭国に派遣した。百済を渡り、竹島に行き着き、南に耼羅国を望み、都斯麻国を経て、遙か大海中に在り。
また東に一支国に至り、また竹斯国に至り、また東に秦王国に至る。[...]また十余国を経て、海岸に達した。
竹斯国より以東は、いずれも倭に附庸している。[...]既に彼の都に至り、その王、裴世清と相見え、大いに悦び)

『新唐書』日本伝:
其王姓阿毎氏、自言初主號天御中主、至彦瀲、凡三十二世、皆以「尊」為號、居筑紫城。
彦瀲子神武立、更以「天皇」為號、徙治大和州。
(王姓は阿毎氏、自ら言うには、初めの主は天御中主と号し、彦瀲に至り、およそ三十二世、皆が「尊」を号として、筑紫城に居住する。
彦瀲の子の神武が立ち、改めて「天皇」を号とし、大和州に移って統治する。)
0010日本@名無史さん垢版2016/06/15(水) 11:44:24.46
仮定が多すぎるので、潰すことは無理だろうな。
決定的な事実が出土しない限り。

ただ、傍証としての小さな事実を積み重ねることは可能だろう。
0011日本@名無史さん垢版2016/06/16(木) 13:58:01.40
(自分たちの説に)仮定が多すぎるので、潰すことは(永久に)無理だろうな。
(自説に都合の悪い)決定的な事実が出土しない(ことを祈る)。

ただ、妄想としての小さな(歪曲された)嘘を積み重ねることは可能だろう。
0012日本@名無史さん垢版2016/06/16(木) 14:05:43.70
妄想の追加がすごいな。
0014日本@名無史さん垢版2016/06/16(木) 20:37:28.65
近畿説のつらいところは、中国の文献に頼れないところ。
全否定までではないにしても、古くは方角に始まり、
九州北部から畿内までの途中描写のないコトへの解釈など
色々と注釈を付け加えないと成立出来ない。
0016日本@名無史さん垢版2017/01/18(水) 04:27:12.32
最近の三角縁神獣鏡研究が明らかにした新事実
平成27年(2015)11月1日
http://www.bell.jp/pancho/k_diary-16/2015_11_03.htm
三次元計測を応用した最近の三角縁神獣鏡研究
奈良県立橿原考古学研究所(以下、橿考研)の公開講演会
「三角縁神獣鏡研究の最前線」と題する講演会で、「精密計測から浮かび上がる制作地」のサブタイトル

■ そこで、研究者の便をはかるために、橿考研は、平成9年(1997)から翌年にかけて黒塚古墳から三角縁神獣鏡33面と画文帯神獣鏡1面を発掘したのを契機に、レーザー走査式三次元計測による銅鏡の精密な計測システムを導入した。

■ これらの計測機によって、測定対象に触れることなくその表面寸法を測定し、400万点前後の点群を取得でき、対象物の形状の三次元データの作成が可能になった。

三次元計測を応用した最近の三角縁神獣鏡研究

■ 同一文様の鏡を量産する方法としては、「同笵技法」と「同型技法」がある。
同笵技法とは、一つの鋳型(笵)で鋳造を複数回行い、同一の鋳物を製作する技法をいう。
一つの鋳型から複数面鋳造する場合、鋳造ごとに鋳型に傷が増えて行く傾向にある(下図参照)。

■ 一方、同型技法では、青銅鏡で初めに制作した一面を原鏡とし、これを真土(まつち)とよぶ粘土で文様を写し取り鋳型を複数作り、この2次鋳型から同一文様の子鏡を制作する方法である。

■ 永野敏典研究員は、---.鏡に残る鋳型の傷などを分析された。

永野氏は、銅鏡に残された鋳型の傷から舶載鏡一面と彷製鏡3面が同じ鋳型で作られていることを突き止められた。類例は他にもあるという。

■ 永野氏の研究成果が意味するところは大きい。
従来は文様の出来・不出来で「舶載鏡」と「彷製鏡」を分類してきたが、そうした分類はもはや意味をなさないことになる。
そのため、制作地は「すべてが中国製か日本製となる可能性がある」ことを指摘された。

■ 清水康二・主任研究員も、---.同じ鋳型を再利用したと考えられる例があることを指摘された。
--.
「舶載鏡から彷製鏡まで同じような工人が作っていた可能性が高い」とされた。
最後に講演された菅谷文則所長も、中国では出土しておらず、日本で約560面見つかっている以上、三角縁神獣鏡は国産とみる考えを披露された。
0017日本@名無史さん垢版2017/01/20(金) 22:50:28.44
九州王朝と言っても邪馬台国と深く関係する勢力だけでも、
邪馬台国の勢力、倭国大乱で邪馬台国と戦った勢力、狗奴国の勢力があった。
倭国大乱で邪馬台国と戦った勢力とは、糸島〜博多湾岸〜宗像を中心に活動していた筑紫(●チクシ)の勢力だ。
大和朝廷の前身であり吉田氏始めほぼすべての学者はこの勢力を邪馬台国だと考えている。
邪馬台国の勢力とは有明海沿岸の肥国の勢力だ。
邪馬台国の田油津姫が濡れ衣を着せられて神功皇后に攻め殺されてからは主導権を失った゜
4-5世紀を境に筑紫(●チクシ)の勢力は活動拠点を肥国へ移し、良山、大善寺で倭の五王等が活躍した。
筑紫(●チクシ)にちなんで肥国の中心である福岡県の地域を筑紫(◆ツクシ)と呼ぶようになったから
肥国は肥前(佐賀)と肥後(熊本)に分断されてしまった。
狗奴国の勢力は菊池などを拠点としており、仲が悪くなる以前は邪馬台国と同じ勢力である。
近代以降は熊本の勢力だけを熊襲と呼んでいるが、元々は肥国の勢力が熊襲を自称していたのである。
0018日本@名無史さん垢版2017/03/30(木) 19:51:43.96
「小学生より学力が足りないで賞」受賞

「テンプレの誤字も直した方が良いで賞」受賞
↓              
「まだわからないで賞」受賞

俺は悔しくて泣いた。

だが、ボキャ貧キウスの知らない単語な線もある。

「無教養露見で賞」受賞

❓❓❓
.      /テンプレ\ 誤字ったってキウスやサイキバみたいは
     /        \   単なるタッチミスもある
.   /      (゚) (゚)  \   ❓❓❓
   |        )●(    | キウスが笑い者なだけ❓
.   \       廿   / 誤字って何❓
.   ノ            \    ❓❓❓
👆「自分で発見しないと笑いもので賞」
0019日本@名無史さん(pc?)垢版2017/04/14(金) 13:15:24.54
邪馬台国への道のりは方角と距離とで示される。
畿内へは方角が違う距離が違う。
全くお話になりません。

三国志という高名で重要な歴史書に載っている邪馬台国は
大和朝廷や記紀に載っている日本史と関係してるに決まってるという
権威主義的思い込みによって畿内説が唱えられている。
0020日本@名無史さん垢版2017/04/14(金) 20:51:45.29
畿内説で確定してるから。
馬鹿が論理を語るとトンデモになるだけだぞw
0021日本@名無史さん垢版2017/04/14(金) 22:06:38.38
>>20
脳腫瘍治せよ
ここは論理スレで、キチガイの
一言レスはゴミ

って言うか、畿内説がそういう
池沼ばっかだからこんなスレが
できるんだよ

お前反省しろ馬鹿
0022日本@名無史さん垢版2017/04/15(土) 08:59:34.30
邪馬台国の不都合な真実(微修正版)
・日本神話と倭人伝は相いれないという頑固な建前論では未来永劫解けません。
・天照大御神の高天原と、女王卑弥呼の所都は、じつは歴史の表裏一体だったのです!!

先代岩戸隠れ天照大御神(大日孁尊)、(*魏志曰卑弥呼) 阿蘇・高千穂神社本殿裏手の「冢」に葬るも、後に隠蔽さる

↓→ 其弟、月読命 (*魏志曰男弟)

↓←← 思金神 (*魏志曰張政) ← 高御産巣日神 (*魏誌曰帯方太守)

↓→ 天児屋根命 (*魏誌曰難升米、*神功紀曰難斗米、ナートミイ) →中臣の祖 →藤原氏 →現代まで続く

後代岩戸開け天照皇大神、(*魏誌曰宗女台与) 阿蘇・天岩戸神社東本宮の山稜に葬る
(注;卑弥呼は大御神、台与は皇大神)
(別名1) 萬幡豊秋津師比売、天萬栲幡千幡比売命←高木神=高御産巣日神の娘 (*魏誌曰帯方太守)
其の夫は、先代岩戸隠れ天照大神の養子の天之忍穂耳命、(*魏誌曰日向投馬国の官彌彌)
(別名2) 萬幡豊秋津姫命(高御産巣日神の娘、又は孫)、
其の母離役の天手力男命と共に、伊勢神宮内宮相殿に祀る 

(其子一男) 天火明命(別名饒速日尊)、天孫邇邇芸命に先立って降る →物部らの祖
(其子二男) 天孫邇邇芸命(日向・西都原に祀る)
0023日本@名無史さん垢版2017/04/15(土) 20:31:58.55
❓❓❓畿内厨
.      /テンプレ\ 誤字ったってキウスやサイキバみたいなあれは
     /        \   単なるタッチミスもある
.   /      (゚) (゚)  \   ❓❓❓
   |        )●(    | キウス笑い者❓
.   \       廿   / 誤字って何語❓
.   ノ            \    ❓❓❓
「自分で発見してこそ大賞で賞」
0024日本@名無史さん垢版2017/04/15(土) 23:05:15.32
崇神が4世紀初頭の可能性が高い。ならばそれ以前の3世紀は魏志によれば女王国の時代だ。
それに符合するかのように妃のいない天皇たちがいる。神武から6代孝安までだ。
もちろん彼らには正后(奥さん)はいる。
しかし彼らが大王ならその血を残すために複数の妃がいて当たり前。ところがいない。

つまり彼らは大王ではなかったのだ。
やはりこの時代は女王国であった。
では話は簡単。彼らの正后をみればいいのだ。その中にヒミコとトヨ(またはイヨ)がいればいい。
もしいれば邪馬台国論争は簡単に終焉する。

それがいるのだ。

@神武→ヒメタタライスズヒメ
A綏靖 →イスズヨリヒメノミコト  生きてた「ヒメ」タタラが女王
B安寧→ヌナソコナカツヒメノミコト   生きてた「ヒメ」タタラが女王
C懿徳→アマトヨツヒメノミコト
D孝昭→ヨソタラシヒメノミコト    生きてたアマ「トヨ」ツが女王
E孝安→オシヒメ        生きてたアマ「トヨ」ツが女王

見事にヒメとトヨの時代。

そして7代孝霊には複数の妃。 実質の男王は孝霊の時代から。
それは箸墓古墳の時代だ。
邪馬台国の都とは「ヒメ」タタラが住まわれた葛城、奈良県御所市。
纏向に卑弥呼はいない。
九州は論外。

これが私=天才のHPだ。
https://o-yan216.wixsite.com/mysite/home
0025日本@名無史さん垢版2017/04/16(日) 09:19:24.62
「無教養露見で賞」受賞

❓❓❓
.      /テンプレ\ 誤字ったってキウスやサイキバみたいは
     /        \   単なるタッチミスもある
.   /      (゚) (゚)  \   ❓❓❓
   |        )●(    | キウスが笑い者なだけ❓
.   \       廿   / 誤字って何❓
.   ノ            \    ❓❓❓
「トドのつまりは、万事キウスで賞」
0026日本@名無史さん垢版2017/04/16(日) 16:21:49.21
畿内説を論理的に潰すっつってもなあ
もう、ぺしゃんこだし。
0027日本@名無史さん垢版2017/04/24(月) 12:52:53.30
乱立晒しあげ
0028日本@名無史さん垢版2017/04/25(火) 12:00:33.23
無駄スレ
0029日本@名無史さん垢版2017/04/25(火) 20:23:49.51
90 : 日本@名無史さん2017/03/12(日)
>>88
狗邪韓國は何人の領土?

95 : 1 ◆q8leUXpsw. 2017/03/12(日)
>>90
領土といいう観念に語弊があるかとは思いますが韓人の国でしょう
金官国の全身とするのが通説です



この衝撃的な失言を落とすために
スレ乱立して板操作しておりますですよ
0030日本@名無史さん垢版2017/04/25(火) 23:03:05.73
(1)福岡から広島まで200キロ、広島から大阪まで300キロです。
(2)福岡から大阪まで500キロです。
(3)東に向かって新幹線で3時間です。
(4)福岡から島根まで北東に4時間です。

つまりはこういうことですよね。
(2)+(3)+(4)を全部足すなんて馬鹿かと思いますが、
畿内説は要はこういうことです。
魏志倭人伝をそのまま読み解くと邪馬台国の場所は奄美大島付近になる。
だから魏志倭人伝は不正確だ、だから考古学で判断するんだ、
魏志倭人伝は不正確だけど、「邪馬台国」や「卑弥呼」はいただきます。

馬鹿馬鹿しいというか、なんというか。
0031日本@名無史さん垢版2017/04/25(火) 23:54:05.85
新幹線
@東京駅〜名古屋駅は340km、名古屋駅〜新大阪駅は170km、新大阪駅〜博多駅は550km、です。
A愛知県までは1時間40分で、さらにそこから福岡県までは3時間20分です。
B東京駅から博多駅までの総距離は1060kmですよ。

@とAを足す基地外が騒いでいます。
「名古屋は名古屋、愛知は愛知だろ!」「博多は博多、福岡は福岡だ!」

@とBを並べて説明しても理解してくれません。
どうしたらいいでしょうか?
0032日本@名無史さん垢版2017/04/27(木) 10:11:30.82
1 ◆q8leUXpsw. こいつが邪馬台国スレを乱立させているのか?
日本史板になんの恨みが???
日本の歴史が嫌い??
0033日本@名無史さん垢版2017/05/22(月) 19:21:39.02
畿内スレ232で畿内説と徳島説が一度に論破されました
0034日本@名無史さん垢版2017/05/26(金) 09:24:14.79
ほれ
0036日本@名無史さん垢版2017/05/26(金) 15:41:27.41
そりゃそうだ
仮に達成するとしたら発掘によってだろうからな
0037日本@名無史さん垢版2017/05/26(金) 18:09:40.81
平原遺跡という、卑弥呼の墓の候補として最強の遺跡が発掘されても、まだ畿内説は認めてないからな。
墓碑でもでないと認めないだろうな。
墓碑が出ても認めないだろうな。
畿内説はバカだな。
0039日本@名無史さん垢版2017/05/26(金) 18:28:35.73
はあ?
大部分の国民は九州説を支持しているんですけど。
畿内説がカルトみたいな活動をしているんですけど。
0041日本@名無史さん垢版2017/05/26(金) 22:56:30.72
確かにね。畿内説も九州説も両方可能性がある、と言えないのなら
カルトだね
0042日本@名無史さん垢版2017/05/26(金) 23:00:26.79
>>41
畿内説はただの思いつきみたいなものだからな。
根拠もなく、可能性は低い。
0043日本@名無史さん垢版2017/05/26(金) 23:34:38.03
「理論的に」とかいいながら罵倒しかしてないじゃんよこのスレ
0044日本@名無史さん垢版2017/05/27(土) 00:16:23.70
まあね
0045日本@名無史さん垢版2017/05/27(土) 08:30:13.51
畿内説そのものに論じるほどの中身がそもそもないんだもの。
呆れたよ。
0047日本@名無史さん垢版2017/05/27(土) 10:12:42.28
ブーメラン
0048日本@名無史さん垢版2017/05/27(土) 13:16:37.32
畿内説のスレでまともに畿内説を説明しているのを見たことがない。
0049日本@名無史さん垢版2017/08/04(金) 23:37:07.65
畿内説スレが立たないな。
いよいよ完全勝利か。
0050日本@名無史さん垢版2017/08/05(土) 01:27:31.64
鉄器もない
青銅器もない
木器だけある

銅鐸片はある
「筑紫式」ふいご1個が転がっているのを、鉄精製遺構と拡大解釈
大型建物は万行遺跡のが大きいし、鉄工房付きの稲部遺跡のがまだ邪馬台国ぽい

住居跡もない
周囲は銅鐸環濠集落で取り囲まれている

そこに突然銅鏡祭祀の古墳が出現して鉄器がなだれ込んでくる

内内尽くしでもはやどこをどうやったら3世紀の都になるのか
ゴッドハンドレベル
0051日本@名無史さん垢版2017/08/15(火) 21:58:58.01
箸墓古墳は前方後円墳なのに卑弥呼の陵扱いは些か無理があるんでないの!?

後、随分前に何人かの中国人の学者たちが邪馬台国の位置を推定したけど、
どれも九州の地域を出なかったようだったよ。
0053日本@名無史さん垢版2017/08/25(金) 20:02:12.17
畿内説のスレで畿内説の問題点を指摘したらレッドカードなんだとさ。
畿内説は批判に耐えうる説ではないということだ。
0054日本@名無史さん垢版2017/08/25(金) 21:49:57.46
スレタイがよくありません

もう、畿内説は潰れていますから、潰す必要はありません
畿内説相手に楽しく書き込めるスレタイが良いと思います
0055日本@名無史さん垢版2017/08/25(金) 21:55:47.80
また、
>>1は畿内説バレバレです。
0056日本@名無史さん垢版2017/08/25(金) 21:58:31.01
>>55
どこでわかった?
0057日本@名無史さん垢版2017/08/25(金) 22:04:15.06
>>56さん 

>>1の「憎き畿内説」
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「憎い」と「称賛」は表裏一体です
                では失礼します
0058日本@名無史さん垢版2017/08/25(金) 22:16:14.53
>>57

あんた何者?
0059日本@名無史さん垢版2017/08/26(土) 07:29:01.89
論理的にはもう潰れているわけであり
残っているは邪馬台国が飯の種の奴らと
皇国史観のアホウヨだよ
0060日本@名無史さん垢版2017/08/26(土) 09:54:55.08
>>57
このスレ、畿内説のヤラセで立てたスレだな


>>59が言うように畿内説は飯の種なんだんあ
0062日本@名無史さん垢版2017/09/06(水) 11:01:18.16
沖縄では九州人のことも「ヤマトンチュ=大和人」って言うからな

大和って言葉の意味、定義、成り立ちから見直したほうがいい

ヤマトってのは山のふもとという意味だろう

それは海の近く(博多湾など)に住む海洋民族に対して、山の近くに住む農耕民族の国という意味だよ

それ以上でもそれ以下でもない

だから九州にもヤマト、四国にもヤマト、奈良にもヤマトという地名がある

後の大和王権が奈良に都を置いたせいでヤマト=奈良みたいになってるけどそれは違う

単に山のふもとという意味


そして大和王権とは「農耕民族王権」のこと

3世紀まで海洋民族が覇権を握ってたのが、勢力が逆転して農耕民族による覇権に移行したのが3世紀末の奈良

これが大和王権の原型で、九州の海洋民族政権の残党の奈良への服属の完了は6世紀までかかる
0063日本@名無史さん垢版2017/09/06(水) 11:13:16.74
湾岸国vs内陸国っていう主導権争いがあって
結局は内陸勢力が勝つっていうのが弥生時代〜古墳・飛鳥時代の流れでしょ

ただし湾岸国もただ黙って負けたわけじゃなくて

海洋技術がないと大陸で先進の農業技術や金属農具の原料が手に入らないから

それを餌に内陸国に移住(=天孫降臨)して
内陸国の政府中枢に食い込みながら海洋政権を延命したと

それが弥生時代後期であり初期大和王権でしょうな
0064日本@名無史さん垢版2017/09/06(水) 11:43:33.32
【倭国】

紀元前に博多湾沿岸に倭国が成立して漢と国交を持ち、後漢の頃には漢委奴国王印により倭国王に冊封された。後漢書では、倭国は朝鮮半島南岸から九州北岸までの、対馬海峡の海洋国家として書かれている。
対馬海峡における貿易の権益が、天津神すなわち海の神を中心とした倭国の形成の原動力であったと考えることができる。

記紀の国生みは博多湾から始まる。伊奘諾が最初に手に入れた領土である淤能碁呂島は博多湾の小島である能古島のことである。
それに続きイザナギとイザナミの生んだ国(領土)のうち、天の冠詞がつく島である隠伎之三子島(天之忍許呂別)、伊伎島(天比登都柱)、津島(天之狭手依比売)、
女島(天一根、姫島)、知訶島(天之忍男、五島列島)、両児島(天両屋、男女群島)が天つ国の本来の領域である。
国産みにおける島々は九州北部沿岸の島を意味していたが、後に西日本全体の地名に拡大され再配置される。

博多湾岸を起点として対馬海峡から朝鮮半島南岸へ、日本海から山陰や北陸に広がる国が古代の倭国の姿である。
連合国家である倭国の盟主は筑紫であり、他に九州北部の倭国連合を構成する豊国、肥国がある。倭地とされた本州には出雲、越などがあった。
また、中国との交易は一貫して筑紫が独占していた。
筑紫の特に玄界灘周辺の勢力は、対馬海峡の権益を独占して力をつけ、海人の国、天津国と呼ばれ、その王族は天津神として九州や本州の王族である国津神と区別された。

九州で出土した副葬品の分布地図
http://www.netpia.jp/history/map-fukusohin237.gif
狗奴国(熊本)も元は卑弥呼と近い立場の同じ文化圏であり、卑弥呼共立をめぐって反対していただけである。
上記の地図は邪馬台国と狗奴国(熊本)を合わせた九州北部の国、倭国の中枢を示している。
実際にはこれに属州としての日本海沿岸、瀬戸内海沿岸の地域が付随する。
卑弥呼の時代の畿内は、奈良も京都も大阪もまだ沼地であり、特に奈良は主要交易路からはずれた名もなき辺境の沼地であった。
0065日本@名無史さん垢版2017/09/06(水) 11:44:07.21
そしてさらに海洋民族(天津神)さえも筑紫日向から追い出される倭国大乱があり、卑弥呼が火の国から共立されたと。
0066日本@名無史さん垢版2017/09/06(水) 11:44:55.29
【肥国】

倭国は筑紫を中心に、肥国、豊国、海を渡り出雲、越などから構成される連合国家である。
古くは出雲がその盟主であったが、国譲り以降は博多湾玄界灘勢力である天津神が支配する筑紫(天津国) が盟主となり、対馬海峡の交易と中国との外交は一貫して筑紫(天津国)が独占していた。
筑紫の王族は天津神として九州や本州の王族である国津神と区別された。
国津神には豊国王家、肥国王家、出雲王家などが想定される。
免田式土器に代表される阿蘇の東西にまたがる倭人の勢力が、狗奴国や熊襲、肥国であり、年代や立場により呼称が変化する。

筑紫が博多湾沿岸国家なら、肥国は有明海沿岸国家である。
もともとは有明海沿岸はすべて肥国だったが、筑紫が筑後川流域を吸収して有明海に進出すると、肥国は肥前(佐賀県)と肥後(熊本県)に分割される。
おそらくその過程には、本来は肥国の中心の一つであったであろう筑後山門の出身の卑弥呼が筑紫も含めた倭国女王になったことが関係しているだろう。

卑弥呼は肥国の山門の出身で、後に山門は有明海に向かって拡大する筑紫に飲み込まれて筑後となる。
これにより肥国は肥前と肥後に分裂する。
卑弥呼はそれまでの伊都国王統を継承するために都である伊都に行き、倭国全体を統治した。
特に敵対的だった伊都より北の天津国は一大卒を任命して監視した。
卑弥呼は死後に倭国の都である伊都の平原遺跡に葬られた。
0067日本@名無史さん垢版2017/09/09(土) 00:35:14.76
邪馬台国への方位、南は東の誤りとか。
季節によるもの?もし、南が東の誤りなら、
ほぼ同時期の対馬への南も東にしないといけない。

プザンから東、対馬。さらに東、壱岐。
さらに東、唐津。中略、東、邪馬台国(近畿)。

対馬や九州が朝鮮半島の東でいいのですか?
ここが南なら邪馬台国も南で間違いない。
0069日本@名無史さん垢版2017/09/09(土) 08:27:45.79
>>68
スレタイを見直せ。
どこを本と呼ぶつもりだ。
0072日本@名無史さん垢版2017/09/10(日) 00:47:37.55
初心者にとっては当然の疑問かもしれんが
少なくとも中級以上にとっては疑問でもなんでもない
0073日本@名無史さん垢版2017/09/10(日) 09:20:08.55
そこが説明できなければダメなんだよ。
0074日本@名無史さん垢版2017/09/10(日) 13:30:23.19
>>67
まず前提として、倭人伝の記述通りでたどり着く場所はない

何説を取ろうが矛盾は出てくるんだよ

だから「より矛盾が少ない場所」を探すのが正しい態度

完全に当てはまる場所はない前提で、じゃあどこが比較的矛盾が少ないか、という
0075日本@名無史さん垢版2017/09/10(日) 15:54:37.44
>まず前提として、倭人伝の記述通りでたどり着く場所はない
邪馬台国は存在したという前提でないといけない。
記述が間違ってるのではなく解釈を間違えてる。
陸行1月の距離は本当にあなたの考えで正しいか?
隋書には倭は東西5月行、南北3月行とある。近畿から西が
統一されてるとすると、九州の南北は約300km。福岡から奈良へは
直線で約500km。すると1月行は約100km。これが陸行1月と
同じかは不明ではあるが。
魏志の陸行1月をあるいは式で解釈すると、水行なら10日、陸行なら1月。
方位は南。南に水行も陸行もできるのは海岸が南北になってる。
九州の東海岸で探すと、延岡市から宮崎の日南海岸がある。
この距離を測ると75km。水行10日は陸行1月で75kmとわかる。
1月行は100km。陸行1月は75km。道がよくなったとすれば同じ
ような値。
不彌国から南に水行30日は、225km。九州内におさまる。
0076日本@名無史さん垢版2017/09/10(日) 16:31:25.19
>>75
隋書の東西五月行がなんで福岡から奈良までなんだ?
日本史の基礎知識が不足している
高校の教科書読み直して来い
0077日本@名無史さん垢版2017/09/10(日) 20:11:05.53
>>75
「あるいは式で読む」というイレギュラーな仮定が必要ということだろそれは

それは「東と南を間違えている」というイレギュラーな仮定が必要な畿内説と

『イレギュラーな仮定が必要』という意味では同じことじゃん
0078日本@名無史さん垢版2017/09/10(日) 20:14:10.41
だからどの説を取っても『イレギュラーな仮定が必要』ということには変わりはないんだから

それを前提として

「じゃあどこがより『イレギュラーな仮定』の数が少ないか」「比較的どこが『イレギュラーな仮定』の程度が小さいか」

を考えなきゃいけないわけじゃん
0079日本@名無史さん垢版2017/09/10(日) 20:18:01.55
だから○○説を論理的に潰すのは簡単なんだよ

だって完全に当てはまる場所があったら論争になんかならないじゃん

どの説をとっても矛盾が生じるから、場所が確定できずに論争になるわけだろ?

だから「矛盾のない場所はない」「どの説にも矛盾がある」ってのがそもそもの前提だよ

矛盾を突くのは簡単なんだよ
0080日本@名無史さん垢版2017/09/10(日) 20:40:16.39
長くなるので細かい説明省いたが、あるいは式を採用した理由はある。
陸行には起点国名がない。方位がない。
何故、ないか、同じとこから同じ方位を行くから。
他は起点国名、方位がある。ここはあるいは式に読まないと
いけない。自説にいいかではない。
これ以上前線拡げると時間ないのでひろげたくないけど。日本書紀による
歴史では近畿でいいと思うが日本書紀そんなに信用していいの?
学校で教える歴史は日本書紀ですが、それは真実ではないですよ。
隋書は600年ごろの推古天皇のころですが、隋書には「王の妻」と
ある。推古女帝の時代。モモセ姫もホトに箸がささって亡くなった。
魏志には「手食」とある。箸はまだない。明らかに作り話。
それを元にでは邪馬台国はみつからないのでは。
0082日本@名無史さん垢版2017/09/10(日) 21:24:00.30
アンド式に読むのも仮定ですね。

東でもどこでもいいけど、自説で読んでみたら。陸行始める場所や陸行の
方位ないとどうなるか。
投馬国から東に水行10日。そして陸行1月でマキムクにつく。
これではマキムクがどこにあるかわからない。
0083日本@名無史さん垢版2017/09/10(日) 21:38:54.52
いや「仮定」だってことがわかればいいよ

何説だろうが仮定の積み重ねの産物に過ぎないのが邪馬台国論争なんだよ

それが前提だってわかってる?って言ってるだけ
0084日本@名無史さん垢版2017/09/10(日) 21:42:18.34
ただ仮定の中でも「もっともな仮定」と「むちゃな仮定」ってのがあるだろ?

だから各説に使われてる仮定がどの程度最もらしいかを計測、比較、検討するってのが邪馬台国論争のあるべき態度だろ?って言ってんだよ

「○○説は○○の部分が矛盾してるから間違い!」とか言い出したらどの説も間違いということになる

矛盾を仮定で埋めてるのはどの説も同じ
0085日本@名無史さん垢版2017/09/10(日) 22:49:04.30
>>82
それが漢文の普通の読み方
普通の読み方を否定して自分の我流を正当化するために詭弁を言ってるだけ
わけのわからん読み方が正しいと言い張りたいなら三国志の中からその事例を見つけてくればいい
0086日本@名無史さん垢版2017/09/11(月) 06:06:01.31
>>80
ぼくが作った畿内説は間違っている、と言いたいのか
当たり前だ
おまえが作ったのはデタラメ畿内説だから間違っているのは当然
0087日本@名無史さん垢版2017/09/12(火) 00:10:39.18
69さん71さん73さん
ありがとうございます。

ここまでくれば私は必要ないでしょう。
1さんもやっていけると思います。

67より
0090日本@名無史さん垢版2017/09/12(火) 21:01:24.25
>>18 はいはいw おまえがキウスにボコボコにされて悔しくて悔しくて毎日夜も寝むれず泣いている事だけはよくわかったよwww み
>>18 はいはいw おまえがキウスにボコボコにされて悔しくて悔しくて毎日夜も寝むれず泣いている事だけはよくわかったよwww じ
>>18 はいはいw おまえがキウスにボコボコにされて悔しくて悔しくて毎日夜も寝むれず泣いている事だけはよくわかったよwww め
0091日本@名無史さん垢版2017/09/12(火) 21:29:33.80
半年前のレス煽るとかすげーな
いったいなにが悔しかったのか、解せない・・・
0092日本@名無史さん垢版2017/09/12(火) 21:39:39.34
>>84
文献での考証は出尽くした感があるな。
後はその時点その時点の考古学の成果を再度再度組み立てていくしかないな。
0093日本@名無史さん垢版2017/09/13(水) 08:12:33.75
>>84
最も矛盾が少ない説が最も真実に近い説だと考えるべきだろうな
>>85
用例を基に通説の訳が間違ってないか検証は必要だな

総合すると伊都国が卑弥呼の都説が最も真実に近い説だと考えられるな。
0094日本@名無史さん垢版2017/09/13(水) 09:30:04.77
吉武高木遺跡 (弥生中期-前 BC100〜0)
   ヤマト王権の三種の神器の原型発見

上記遺跡と対照的な距離を持って2つの遺跡
   須玖岡本遺跡 (弥生中期-後 BC 0〜100)
      王墓の形成 三種の神器が量として発見 金製品も
   三雲・井原遺跡 (弥生中期-後 BC 0〜100)
      同上
   (注:AC57 漢倭奴国の金印)

筑紫は過酷な王権の健全な発展が見られる w
さて、この筑紫と大和王権の点と線を推理するわけですが、おそらく犯人というか着想の元は病持ちの女性です。我々は時刻表を片手にプラットホームでの出来事を暴かなくてはいけません w
0096日本@名無史さん垢版2017/09/18(月) 00:07:24.42
ADだろう。
0097日本@名無史さん垢版2017/09/21(木) 16:27:18.54
ACって公共広告機構だろw
0098日本@名無史さん垢版2017/09/21(木) 17:55:45.77
記紀には邪馬台国も卑弥呼も出てこない。

記紀の箸墓伝承には箸が出てくるので、手掴み食事の倭人伝倭国とは別時代。
モモソ姫は女王ではない。
記紀作者の概念として、前方後円墳の大きさが大王の条件では無かった。

邪馬台国→ヤマト政権については、否定的な材料が多いのに、
なんで前方後円墳の箸墓古墳が卑弥呼の墓になるの?

逆に卑弥呼の墓としては、否定的でしょ。
0099日本@名無史さん垢版2017/09/21(木) 19:54:28.22
だから証拠を見せてよ。

現時点では
九州>紀元前からずっと絹製品が出土

畿内>絹ほんのわずか+4世紀ベニバナ花粉だけ


これじゃあ畿内説を応援したくても
3世紀邪馬台国は九州だよね。
0100日本@名無史さん垢版2017/09/21(木) 20:29:42.87
畿内説の証拠や根拠は本スレ行けば十分すぎるほど書かれている
そもそもこのスレはアンチが文句つけるためのスレなんだから
否定したければ否定材料を自分で示せっつうの
0102日本@名無史さん垢版2017/09/21(木) 22:27:52.26
>>100
全然書かれていない
0106日本@名無史さん垢版2017/09/22(金) 11:12:51.66
日本語をよく知らない某男のボキャブラリーでは
矛盾とは「俺の意見と合わない」という意味
0108日本@名無史さん垢版2017/09/22(金) 11:17:08.93
世有

@ 三国志魏書后妃傳第五
>自夫人以下、世有搗ケ。
夫人以下の妃の扱いについては、「それぞれの帝によって」増減があった。(以下、各帝ごとの変化について記載)

A 三国志魏書任蘇杜鄭倉傳第十六
>語曰「世有亂人而無亂法」
「世の中に、世を乱す人はいても、世を乱す法律はない」と言います。

B 三国志魏書徐胡二王傳第二十七
>今汝先人、世有冠冕、
貴方たちの先祖は、「代々」冠をつける役職についていて、

C 三国志魏書烏丸鮮卑東夷傳第三十
>而公孫淵、仍父祖三世有遼東。
父祖三代に渡って遼東を領有した。(189〜238)

D 三国志蜀書黃李呂馬王張傳第十三
>當世有聲名
当時は名声が高かった。

C は三世、Dは当世で、純粋な世有ではない。
@ は代々の意だが、魏代ではある。Bは代々の意、Aは今の世の中の意。

以上からは、世有王は、代々の王が、と訳すのが適当。

>世有王 皆統屬女王國
倭国王は代々伊都にいる。
倭国の皆は、現在の王である女王の統べる邪馬台国に統属している。

で、伊都が卑弥呼首都で同じく意味が通る。
0111日本@名無史さん垢版2017/09/22(金) 13:10:06.64
861日本@名無史さん2017/09/22(金) 12:58:55.53
九州説はもともと「邪馬台国が九州にあるとはこれっぽっちも思ってない」新井白石や本居宣長が唱えた虚構である。

もはや「説」ですらない。

新井や本居は古代天皇の朝貢という重い課題に直面、
それをごまかすために九州説なる虚構を創った。

論争してくれてるうちは古代天皇の朝貢という重い課題を決着させなくて済む。

すっかりだまされてた馬鹿(九州説)の皆さん、今までご苦労様。
0113日本@名無史さん垢版2017/09/22(金) 13:19:02.54
>>108

世有王は、代々の王が、と訳すのが適当。

世有王 皆統屬女王國
(倭国王では)代々の王みな女王国の部下であった
0114日本@名無史さん垢版2017/09/22(金) 16:59:01.52
世有は「その時いた」だろ

皆は「倭国の皆」

伊都国にも王はいたが、倭国の皆は邪馬台国の女王に従った



これが正解
0115日本@名無史さん垢版2017/09/22(金) 20:15:18.94
>>114
でしょうね
その時、その世に、「世」についての説明がなければ、その当時でいいでしょう

その当時、伊都国には王がいた
皆は女王国に統属していた

書いてある事実はこれだけなんだよなぁ
個人的には「皆」は各国と思うが

女王国がどこかは保留
「女王国」の解釈が難しいね
0116日本@名無史さん垢版2017/09/22(金) 21:51:22.68
邪馬台国と狗奴国も九州で勢力争いしてた

こんだけじゃないの?
0117日本@名無史さん垢版2017/09/23(土) 07:55:08.20
>世有王、皆統属女王国。郡使往来常所駐。

魏の時代には伊都国に(女)王がいて、周りの国は皆が女王国(伊都国)に従っていた。
伊都国は郡使が往き来して常にとどまるところでもある。

漢委奴国王印は倭奴国に下賜されたが、考古学的には伊都国の歴代王墓の時代なので、伊都国と倭奴国は同じ国であり、表記が違うだけである。
伊都国が、王権の所在地であり、外交の舞台でもあった倭国の都である。
倭国女王である卑弥呼は、伊都国にいたと書いてあることになる。
0118日本@名無史さん垢版2017/09/23(土) 07:55:27.74
後漢書

倭在韓東南大海中依山㠀為居凡百餘國 自武帝滅朝鮮使驛通於漢者三十許國 國皆稱王丗丗傳統其大倭王居邪馬臺國(案今名邪摩惟音之訛也) 楽浪郡徼去其國萬二千里其西北界狗邪韓國七千餘里 其地大較在會稽東冶之東與朱崖儋耳相近故其法俗多同

「倭は韓の東南、大海の中にある。山島に居住して、すべてで百余国。武帝が(衛氏)朝鮮を滅ぼして以来、漢と交流のあったのは三十国ほどである。国はみな王を称し、代々受け継いでいる。その大倭王は邪馬台国に居る(今の名を案ずると、ヤマユイ音のなまりである)。
楽浪郡の境界は其の国を去ること万二千里。その西北界の狗邪韓国を去ること七千余里。その地は会稽、東冶の東にあり、朱崖、儋耳に近く、法や習俗に同じものが多い。」

建武中元二年,倭奴國奉貢朝賀,使人自稱大夫,倭國之極南界也。光武賜以印綬

大倭王は邪馬台国にいる。
楽浪郡の国境は、その国(邪馬台国)から一万二千里である。
倭国の西北界である狗邪韓國からは七千里である。
倭奴国は倭国の極南界である。

つまり、倭国とは狗邪韓國から倭奴国まで。
畿内は倭国の中に含まれず、まして倭国女王卑弥呼がいたはずもない。
畿内にいたのは、墓が大きいだけの地方豪族だけである。
0119九州王垢版2017/09/23(土) 08:18:04.91
>>115
女王国とは女王卑弥呼が治める国のことである
王が一つの王国に何人も居るはずがないので伊都国の王が女王卑弥呼である
伊都国が女王国の都で女王国に統属されている倭の国々を含めて女王国と呼んでいる。
0121日本@名無史さん垢版2017/09/23(土) 08:35:36.20
>>120
狗邪韓國から伊都国まで。
0122九州王垢版2017/09/23(土) 08:54:53.49
>>109
何処が?
0123日本@名無史さん垢版2017/09/23(土) 09:38:09.16
>>119
王は何人もいたんだよ

小国のトップが皆「俺は王だ」と言ったので王という言葉が安くなってしまった

だから「大王」って言葉が必要になったんだよ
0124日本@名無史さん垢版2017/09/23(土) 09:58:57.08
いや中国では「王」への呼称が「大王」なんだよ
漫画キングダムでも描かれている

王の王が覇王であり天子であり皇帝だ
0125日本@名無史さん垢版2017/09/23(土) 10:01:01.70
>>123
それは後漢まで。
魏になると、倭国の王は卑弥呼が冊封される。
自称王は狗奴国だけになる。
0126九州王垢版2017/09/23(土) 10:04:21.47
>>123
魏志倭人伝の立場では倭の正式な王は倭王の卑彌呼一人
それと敵対して王を自称する狗奴國の男王の卑彌弓呼
他に王はいないし、大王なんていない。
0128日本@名無史さん垢版2017/09/23(土) 11:53:08.17
倭国の次の女王として卑弥呼の係累である壹與が即位しているので、狗奴国が勝ったということはない。
再統合されたと見るべき。
0130日本@名無史さん垢版2017/09/23(土) 16:52:39.55
箸墓は4世紀末〜5世紀の墓
弥生時代の庄内式土器と古式新羅伽耶陶質土器が一緒にでているから
新羅や伽耶が建国された4世紀中頃はまだ日本は弥生時代だった。
九州説の学者は元々纏向遺跡は4世紀半ばの物としていたが、畿内説の学者は、箸墓を卑弥呼の墓にすべく年代を捏造し続けてきた
しかし、箸墓周濠出土の鐙は5世紀のものであるから、これでも箸墓を卑弥呼の墓にする基地は不可能である
0131日本@名無史さん垢版2017/09/23(土) 16:54:30.67
畿内説は文科省推薦
畿内説にばかり予算を回すから、補助金ほしさに多くの学者が畿内説を取っている。
0134日本@名無史さん垢版2017/12/02(土) 00:58:03.97
九州説は相当追いつめられているようだね。
0135日本@名無史さん垢版2017/12/02(土) 01:00:15.56
九州説伊都説で確定

久留米説や宮崎説は相当追いつめられているようだね
0136日本@名無史さん垢版2017/12/02(土) 01:00:50.48
大物主の倉庫がどうかした?
0138日本@名無史さん垢版2017/12/02(土) 08:31:55.03
晒し上げ
0139日本@名無史さん垢版2017/12/02(土) 14:11:21.31
距離や時間の間違いや誇張はまあありうるが
さすがに方角の間違いはありえんよ
仮に奈良に邪馬台国があったなら狗奴国は海の中だよ
狗奴国人は半魚人か何かだったのかね?
0140日本@名無史さん垢版2017/12/02(土) 14:51:35.92
距離だって、誇張というよりは単位が違うだけ。
0141日本@名無史さん垢版2018/01/30(火) 15:11:13.72
日本史より謎な金儲けできる方法とか
グーグルで検索⇒『羽山のサユレイザ』

6ZR2X
0142日本@名無史さん垢版2018/01/30(火) 22:58:13.12
邪馬台国
0143日本@名無史さん垢版2018/03/07(水) 07:56:35.30
>>99
九州説のいう「鉄」も「絹」も「漢鏡」も、出るのは
紀元前から1,2世紀までで、「弥生時代ずっと」ではない

基本的に甕棺墓からしか出ていないし、甕棺墓の時代が終わると、
ほぼまったく出なくなる

卑弥呼の時代の3世紀にはもう本当に少なくて、他の地域より少ないくらいしか出ない

これじゃあいくら九州説が主張しても
3世紀邪馬台国が九州の可能性はないね
0144日本@名無史さん垢版2018/03/07(水) 08:12:13.72
平原遺跡は無視ですか。
0145日本@名無史さん垢版2018/03/08(木) 20:59:44.49
キナイコシも、本当は畿内説が破綻してしまったことは、わかっているのではないかな。。。
0146日本@名無史さん垢版2018/03/08(木) 21:10:57.43
>>143
鉄と絹は21世紀までずっと出てる
驚くなよ?
各家庭にあるんじゃないかな?

漢鏡はせいぜい3、4世紀くらいまで?
そりゃそうだ
漢が2世紀に滅亡したんだからw




で、畿内に鉄や絹が普及するのは4世紀かな?
漢鏡は無し?
0147日本@名無史さん垢版2018/03/10(土) 22:26:58.21
>>144
>平原遺跡は無視ですか。

平原2号墓って知ってる?
平原1号墓とほぼ同じ大きさの方形周溝墓なんだけど
平原5号墓は知ってる?

平原1号墓と言わずに、平原遺跡と言うくらいだから、遺蹟全体の評価について語ってくれるんだよね

楽しみにしてるから、早く語ってくださいな!

早く!
0148日本@名無史さん垢版2018/03/12(月) 00:51:14.15
九州説の人が「論理的に」とか言ったら笑われますよ?
0149日本@名無史さん垢版2018/03/12(月) 00:51:59.78
「論理的に」考えたら、九州説は破綻するんですから
0150日本@名無史さん垢版2018/03/12(月) 01:18:42.38
悪いひとたちがやって来て
みんなを殺した

理由なんて簡単さ
そこに弱いひとたちがいたから

女達は犯され
老人と子供は燃やされた

悪いひとたちはその土地に
家を建てて子供を生んだ

そして街ができ
悪いひとたちの子孫は増え続けた


朝鮮進駐軍 関東大震災 日本人10万人大虐殺

https://youtu.be/iBIA45CrE30
https://youtu.be/D0vgxFC04JQ
https://www.youtube.com/watch?v=sYsrzIjKJBc
https://www.youtube.com/watch?v=SiHp41uWo1I
https://www.youtube.com/watch?v=zYBCTRryFP8
0152日本@名無史さん垢版2018/03/12(月) 19:36:46.42
邪馬台国畿内説が、粉々に、木っ端みじんに論破され、見る影もなく叩き潰されてしまった、今、キナイコシはどうやって生きて行けばよいのだろうか。。。
0153日本@名無史さん垢版2018/03/12(月) 23:20:23.55
そしてポエミ−な負け惜しみを書くのみだよな
0154日本@名無史さん垢版2018/03/13(火) 18:35:57.78
論理的に考える。

1世紀、倭の奴国の時代、日本は、分かれて百余国からなっていた
3世紀、邪馬台国の時代、日本全体が何カ国からなっているかは明示されないものの、邪馬台国は30カ国からなっていた
(邪馬台国に属さない日本の国も、狗奴国や東の海の向こうの国、黒歯国、裸国など、たくさんあった)
5世紀、倭王武の上奏文によると、日本は東国55カ国+西国66カ国の計121カ国からなっていた

1世紀と5世紀とで日本全体の国数に大差ない以上、3世紀の日本全体の国数も大差なかったと考えるのが論理的
とすると、全体で120カ国程度の日本のうち、その4分の1しか支配してなかった邪馬台国は、日本全体からみれば地方政権にすぎない
よって、日本の中枢である畿内に邪馬台国があったはずがない
0155日本@名無史さん垢版2018/03/13(火) 18:40:50.52
邪馬台国=30
狗奴国=31
邪馬台国に従属する日本海沿岸倭種=30
その他瀬戸内畿内など=30
0156日本@名無史さん垢版2018/03/14(水) 16:50:50.63
>>154
>論理的に考える。

論理が破綻してるよ
>5世紀、倭王武の上奏文によると、日本は東国55カ国+西国66カ国の計121カ国

これは、上表文を盛るために、古い国数で書いただけだだよ
まあ、吉数に合わせてるっぽいところもあるけれど、「分かれて百余国」に
合わせてるんだろう

これは大体、郡くらいの大きさ

そして、使譯所通三十國は、旧国名くらいの大きさ
というか、国造レベルの大きさだ

大国主は、出雲風土記などで、「所造天下大神」と呼ばれるが、
これと同じように、それぞれの国を造ったものが、それぞれの豪族の奉蔡神であり
その家系の長が、国造と呼ばれたのだろう
0157日本@名無史さん垢版2018/03/14(水) 16:56:18.57
>>1
>憎き畿内説を潰す

この時点で負けてるやんww
畿内説は、九州説を憎いなんて思ってないよ 
そもそも相手にならないし、潰そうなんて考えたこともないわ

事実上、九州説にはもうプロの研究者は一人もいないし、
潰す、潰さないの前に既に九州説は学説として「存在しない」

あとはネット上の、頭おかしい数人が、時とともに消えれば
それでおしまいだろう

ネットを見てる人でも、こんなニセスレ乱立する九州説の
狂いっぷりを見て、新たに九州説を信じるようになる人もいないし
0158日本@名無史さん垢版2018/03/14(水) 17:25:41.38
>これは、上表文を盛るために、古い国数で書いただけだだよ
それはありえないな
「分かれて百余国」に合わせるのなら、そもそも東国と西国に分けて数えるという発想は出てこない
東国と西国は、それぞれ毛人の国と夷人の国という、別人種の国という発想で分けたもので、両者をまとめて「倭」と呼ぶ発想とは根本的に違う
だから、この国数は、中国側の記述に合わせたのではなく、日本側のソースによるものだ
とすると、当時は文字がなかったんだから、倭王武が実際に征伐した体験で国の数を数えるしかない
先祖のぶんを合算したとしても、せいぜい親子孫3代が限度だろう
0159日本@名無史さん垢版2018/03/14(水) 20:45:38.35
いや、上表文を書く段階で、中華思想を学んでるから、東夷西戎北狄南蛮を意識して
割り振ってるんだと思うよ
0160日本@名無史さん垢版2018/03/15(木) 14:47:43.72
つーか、その後の奈良時代になっても、日本の国の数って、変わってないんじゃね?
>>156のいう「国造」って、「くにのみやつこ」だぞ
ウィキペディアに、9世紀の段階での国造を列挙してるけど、そこから東北、新潟の、蝦夷支配地域を除くとちょど120ぐらいだぞ
3世紀にだけ急減する理由がない
0161日本@名無史さん垢版2018/03/15(木) 15:18:00.98
国造の前の西日本の県主から異人を除いて
万戸の国の県主をある程度まとめたのが30国だろう
0162日本@名無史さん垢版2018/03/15(木) 16:22:18.84
対馬、壱岐から考えて、島は一国と考えてよさそう
佐渡とか、隠岐の島とか

末慮国、伊都国、奴国から考えて、水系単位といういか、平野一つで
一つの国、くらいでよさそう

奴国は筑紫国造、末慮国は末羅国造なので、国造が国の単位と見てよさそう
その点伊都国が伊都県主なのは、千余戸と小さいからというのは、まあ正しいと
判断していいんじゃないか
0163日本@名無史さん垢版2018/03/16(金) 11:54:47.77
後漢書東夷伝にも出て来る、倭の面土国王・帥升というのは、後世の筑志米多国造のことだと言われてる
だとすると、「面土」=「米多」ならば、「倭」=「筑志」=「筑紫」のことだと考えるのが理にかなってる
0165日本@名無史さん垢版2018/03/16(金) 12:08:14.90
三段論法だろw
0167日本@名無史さん垢版2018/03/16(金) 12:22:21.51
大前提:「倭の面土国王」=「筑志米多国造」
小前提:「面土」=「米多」
結論:「倭」=「筑志」=「筑紫」

まあ、すべての三段論法に言えることだが、大前提が誤りならば結論も誤りとなる
0169日本@名無史さん垢版2018/03/16(金) 12:27:39.19
>>168
だとしても論理的であることには違いあるまい
いちおうググれば出て来る程度のソースはあるが、そこは、論理的であるかどうかとは関係ない話だ
0170日本@名無史さん垢版2018/03/16(金) 12:30:48.91
事実→論理→で構成するのが、論理
仮定から出発したら、結論も仮定
0171日本@名無史さん垢版2018/03/16(金) 12:31:55.72
>>169
九州説の論理についての認識がその程度で笑えた
0172日本@名無史さん垢版2018/03/16(金) 12:32:07.05
>>170
いや、どっちも論理だ
たとえば神学なんてのは「神は存在する」という妄想を大前提に、そこから論理を積み重ねて構成した学問だ
前提が妄想な学問は世の中いくらでも存在する
0174日本@名無史さん垢版2018/03/16(金) 12:36:10.02
むしろ、「事実」だと確定的に言えるものなんて、世の中、そうそう存在しない
デカルトはそれで悩み抜いた上で、「そうやって悩む自分自身は確実に存在する」ということを発見して「我思う故に我あり」と言っている
「事実」なんてものを持ち出した時点で、それは妄想だよ
0175日本@名無史さん垢版2018/03/16(金) 12:37:11.66
>>167
「面土」が正しいのか??って問題も入ってるよ
そのぶん論理的に弱くなってくわけ
0176日本@名無史さん垢版2018/03/16(金) 12:38:29.09
>>175
いや、「論理的」ってのは強いとか弱いとかいう話じゃないから
「論理」にすることによって、そうやって反論の対象が明確になるんだよ
0177日本@名無史さん垢版2018/03/16(金) 12:39:29.27
むしろ、怪しげな根拠からあたかも理に叶った結論が出るように論じた行為そのものが
「論理的じゃない」んじゃないの?
0178日本@名無史さん垢版2018/03/16(金) 12:41:13.97
>>177
「論理的じゃない」というのと「結論が正しい・まちがってる」の問題を混同してる
0179日本@名無史さん垢版2018/03/16(金) 12:42:36.15
>>176
論理的になってないのが問題なんだよ
「倭国王」でも「回土国王」でもなくて「面土国王」だって選択がインプリシットに入り込んでるでしょ?
つまり、論理的に欠陥がある
0180日本@名無史さん垢版2018/03/16(金) 12:43:01.47
>>174
それは悪しき相対化だな
0181日本@名無史さん垢版2018/03/16(金) 12:44:04.09
>>178
あんた、論理がわかってないね
0182日本@名無史さん垢版2018/03/16(金) 12:44:08.06
>>179
三段論法の典型例である「人間は死ぬ」「ソクラテスは人間だ」「ソクラテスは死ぬ」にも同じことが言えるじゃん
最初の「人間は死ぬ」に、人間であるソクラテスが死ぬことがインプリシットに入り込んでる
論理というのはそういうものであって、それが、論理的ではないという理由にはならない
0183日本@名無史さん垢版2018/03/16(金) 12:45:04.42
>>174
事実から目を背ける九州説が
論理的に潰れてるってことで
FA?
0184日本@名無史さん垢版2018/03/16(金) 12:46:07.53
>>183
論理的に、の一言を除けば完全同意なんだが、そこがまさに、このスレの本筋なんだけどな
0185日本@名無史さん垢版2018/03/16(金) 12:46:24.54
>>182
あんた、マジで論理がわかってないだろ
0186日本@名無史さん垢版2018/03/16(金) 12:48:00.14
>>182
”最初の「人間は死ぬ」に、人間であるソクラテスが死ぬことがインプリシットに入り込んでる”
を、論理的に立証してくれるかな?
0187日本@名無史さん垢版2018/03/16(金) 12:48:00.52
>>185
このスレは、宗教がかった、信じるものは救われる的な九州説を叩くために、論理的に説明させるスレだろ?
相手が論理的でないのなら、叩けないじゃん
0188日本@名無史さん垢版2018/03/16(金) 12:48:56.55
>>186
それを立証することでなにを叩くつもりなんだ?
無意味だろ
0189日本@名無史さん垢版2018/03/16(金) 12:49:06.35
>>187
「論理的でないぞ」と叩けるな
0190日本@名無史さん垢版2018/03/16(金) 12:49:53.12
>>189
それは九州説の大前提だろ
それじゃ宗教合戦になるから、論理的に説明させたうえで叩くんだろ
0191日本@名無史さん垢版2018/03/16(金) 12:51:03.56
>>188
それを立証できないことで>>182の間違いが立証される

これ、意味がない?
ならば>>182の発言に意味がない
0192日本@名無史さん垢版2018/03/16(金) 12:52:12.54
もういいよ。九州説のやつらは本当に頑固なんだな
好きなだけ宗教戦争やってろ
0193日本@名無史さん垢版2018/03/16(金) 12:52:56.42
>>190
いや、論理的に説明する意思がない、と言う姿勢自体を叩けるよ

宗教合戦にはならない
0194日本@名無史さん垢版2018/03/16(金) 12:54:40.06
九州説側が、根拠を提示する意思がない、ということも
彼らが論理的でないことの照明にならんかい?
0195日本@名無史さん垢版2018/03/16(金) 13:01:19.34
あー、自滅したのかw

>>163を最初に見たときは、畿内説のやつ、うまいトラップを思いついたなと思ったんだが
まさか、畿内説の内紛になるとはな
0198日本@名無史さん垢版2018/03/16(金) 13:12:36.69
議論ができるってのは良いことだよ
九州説は会話ができないから
0199日本@名無史さん垢版2018/03/16(金) 13:26:26.19
しかし残念だったな。
>>163を仕掛けたやつは、九州説のやつらがホルホルして同意レスを書き連ねたあとで、
「ばーか、倭面土はヤマトって読むんだよ」
ってやるつもりだったんだろうな。
それ見たかったなあ…
0201日本@名無史さん垢版2018/03/16(金) 14:55:06.56
つまり邪馬台国は熊本城が建てられた所にあったわけですね。
0203日本@名無史さん垢版2018/03/16(金) 19:06:12.76
さいきんキナイコシが本格的におかしい
0204日本@名無史さん垢版2018/03/16(金) 19:07:32.89
>>163
>「面土」=「米多」

これは、音が通じるから理解できるけれど

>「倭」=「筑志」=「筑紫」

「筑志」=「筑紫」は単に表記法の違いだけれど
「倭」は、筑紫とは読めないだろう
「倭」はもっと広い概念だよ
0205日本@名無史さん垢版2018/03/16(金) 19:25:39.86
>>199
でも、帥升は倭面土國王で、筑志米多国造の祖でいいと思うよ

米多郷は、吉野ヶ里の近くの地名で、そこに国造クラスの勢力が弥生時代から
いたと認めていいと思う

そして、そこに国があれば、魏志倭人伝の末慮国からの「東南陸行五百里」に合う

後漢代の、「末慮国に上陸してから目指す国への旅程」が、
魏代には使われなくなっていて、「伊都国への旅程」と間違われたのだと思う
0206日本@名無史さん垢版2018/03/16(金) 19:34:50.54
>>205
吉野ヶ里はどうすんの?
0207日本@名無史さん垢版2018/03/16(金) 20:45:35.91
>>206
>吉野ヶ里はどうすんの?

どうすんの?とは?

ただ普通に、米多国造の祖の集落ってことでいいんじゃないの?
0209日本@名無史さん垢版2018/03/17(土) 18:21:50.27
まあ、九州説がメタメタなのはそのとおりとして、
吉野ヶ里あたりの地域集団が、ひと頃は「米多國」と呼ばれたことは認めていいし、
それが大陸の人に音訳されれば「面土」と書かれる蓋然性はそれなりに高いと思う

何より、末慮国に上陸する「理由」が、松浦川沿いに佐賀へ抜けるルートを
取るため以外には見出しがたい

末慮国から伊都国へ陸行するには海岸沿いを行くしかないが、
それなら陸行せずに、そのまま船で行った方がよい、というより
末慮国に寄らずにそのまま伊都国に船を着ける方が合理的だ
0210日本@名無史さん垢版2018/03/18(日) 09:14:10.89
わざわざ上陸してそんなに内陸まで入るのなら、伊都が女王の都なんだよな?
0211日本@名無史さん垢版2018/03/18(日) 09:26:21.06
>>209
今の伊都国の比定地は考古学的事実による
所が多いから

文献と地図だけで考えても答は出らんよ
0212日本@名無史さん垢版2018/03/18(日) 10:43:57.29
>>209
>吉野ヶ里あたりの地域集団が、ひと頃は「米多國」と呼ばれたことは認めていいし、

なんで?
0213日本@名無史さん垢版2018/03/18(日) 18:01:38.06
>>212
>なんで?

筑紫米多國造が、先代旧事本紀の國造本紀に載っている
國造を名乗る程度の豪族がいたのは認めていいし、その位置が
吉野ヶ里のすぐそばだから、米多國造一族の、一時期の中心集落が
吉野ヶ里遺跡だったことは十分な蓋然性がある

ただ、それと、倭国王帥升が、倭面土国王とした場合に
面土=米多としてよいかどうかは別問題
0214日本@名無史さん垢版2018/03/18(日) 18:16:47.98
>>213
吉野ヶ里は、全国でも珍しいくらい防衛に頑張ってる環濠集落で、墓域まで環濠内に作るくらいでしょ?
つまり周りは敵ばかりだったんじゃないの?
となりの郡が同じ国かどうか、ちゃんと分析が要るんじゃないの?
0215日本@名無史さん垢版2018/03/18(日) 19:35:38.94
>>214
>つまり周りは敵ばかりだったんじゃないの?

「周り」をどれくらいの距離と見るか、だよね
逆茂木つき環濠による防御の相手は、福岡平野の奴国とかだとおもう

環濠集落は、あくまで居住地であって、田畑はその外側に広がっている
諸富津という地名が、吉野ヶ里の港だと想定されているくらいだから、
米多郷は吉野ヶ里の勢力範囲の地名で問題ないと思う
0216日本@名無史さん垢版2018/03/19(月) 00:01:55.16
>>214
>墓域まで環濠内に作るくらいでしょ?

墓域を環濠内に作ったというより、墓域までを囲む環濠を作ったっていう方が正しい
環濠内に計画的に墓域を配置したのではなく、先に墓域があってその外側まで環濠を伸ばしている
0217日本@名無史さん垢版2018/03/19(月) 08:52:14.66
2013年のあの日以来、小汚く年老いた奈良の自称考古学者が、優秀な若い古代研究家たちに、無茶な自説をゴリ押すための工作やパワーハラスメントを仕掛けることが多くなってきたが、良識ある若者たちは結束して、真実を次世代に伝えようとしている。。。
すなわち、巻向は邪馬台国とは無関係であると、、、
0218日本@名無史さん垢版2018/03/20(火) 16:19:21.71
赤村の全長450メートル?は騒がないの?
0219日本@名無史さん垢版2018/03/20(火) 16:21:13.94
にわかに信じがたい。
0220日本@名無史さん垢版2018/03/20(火) 16:31:40.66
ぜひ九州説の人の見解が聞きたい
0221日本@名無史さん垢版2018/03/20(火) 16:48:32.86
あの大きさだと4世紀以降だろう。
卑弥呼とは関係ない。
0222日本@名無史さん垢版2018/03/20(火) 17:12:23.94
いや、後円部のサイズが径百歩に近いし、これまでさんざん
九州には王墓にふさわしいサイズの墳墓がないって言われてきたんだから
逆転ホームラン級だろ?

編年もまだ何も情報はないんだから、今のうちに3世紀でおかしくないって
論陣を張っておきなよ
0223日本@名無史さん垢版2018/03/20(火) 17:52:08.40
やっぱり大きな墓が欲しかったんだなw
0224日本@名無史さん垢版2018/03/20(火) 18:15:47.30
西日本新聞さんは欲しかったみたいだねw
0225日本@名無史さん垢版2018/03/20(火) 19:03:44.07
>>220
卑弥呼ではない。
もし前方後円墳だとしたら、奴国だけでなく、
大分から田川など経由で筑後にもこれほど大量の生〇が運び込まれていたのかと
驚く。
0226日本@名無史さん垢版2018/03/20(火) 21:31:47.46
>>225
>生〇

生肉?

まあ、いまさらないと思っていたものがあったって言われても
意見は変えられないよなw
0227日本@名無史さん垢版2018/03/20(火) 21:38:21.94
畿内説を追い詰め過ぎたのかな。。。
犯罪者キナイコシの、スレッドを荒らすやり方が、ますます悪質になってきているよ、、、
0229日本@名無史さん垢版2018/03/21(水) 09:57:42.80
荒らすなアホ
0230日本@名無史さん垢版2018/03/25(日) 14:37:57.48
天皇家直近の国家機関を巻き込んだ、あの延べ何百時間にも及ぶ大規模調査が実施された2013年以来、箸墓古墳を卑弥呼の墓とは、誰も言い張らなくなってきたね。。。
0231日本@名無史さん垢版2018/03/25(日) 17:08:33.47
また、いらんスレ立ててるやつがいるな

本当に、動機からしておかしい
0232日本@名無史さん垢版2018/03/25(日) 22:19:44.00
畿内説を論破されてしまった既知害キナイコシが、必死に荒らしているね。。。
0234日本@名無史さん垢版2018/03/26(月) 10:35:24.12
日本国籍を持たない「市民」の方たちが、半島に近いところに
日本の起源を持ってきて、儒教道徳的に起源に影響を与えた半島えらいって言いたいから

らしいよ
0235日本@名無史さん垢版2018/03/26(月) 10:36:11.47
日本国籍を持たない「市民」の方たちが、半島に近いところに
日本の起源を持ってきて、儒教道徳的に起源に影響を与えた半島えらいって言いたいから

らしいよ
0236日本@名無史さん垢版2018/03/26(月) 13:41:29.67
日本国籍を持たない「市民」の方たちが、半島に近いところに
日本の起源を持ってきて、儒教道徳的に起源に影響を与えた半島えらいって言いたいから

らしいよ
0237日本@名無史さん垢版2018/03/26(月) 14:17:30.39
日本国籍を持たない「市民」の方たちが、半島に近いところに日本の起源を持ってきて、
儒教道徳的に起源に影響を与えた半島えらいって言いたいから

らしいよ
0239日本@名無史さん垢版2018/03/26(月) 15:27:03.57
日本国籍を持たない「市民」の方たちが、半島に近いところに日本の起源を持ってきて、
儒教道徳的に起源に影響を与えた半島えらいって言いたいから

らしいよ
0240日本@名無史さん垢版2018/03/26(月) 16:47:09.16
>>238
論理を無視して、論破されたうそを平気で繰り返し書くからなぁ
いまだにがんばっている九州説の頭おかしい連中は

まあ、論理が通用しない相手だわ
0241日本@名無史さん垢版2018/03/26(月) 23:17:54.54
>>99
>紀元前からずっと

これが嘘なんだよなぁ
ずっとじゃなくて、邪馬台国の時代に届く100年以上前に途絶えているんだ
甕棺墓が廃れた時期以降はろくに出なくなるし、出るものもどんどん質が悪くなる
倭王の所在地としてはあり得ない趨勢がはっきり確認できる
0242日本@名無史さん垢版2018/03/27(火) 07:35:56.16
>>241
平原遺跡を無視した議論は不毛だよ。
0245日本@名無史さん垢版2018/03/27(火) 11:43:52.33
>>242
>平原遺跡を

平原1号墓と書かずに、平原遺跡と書く以上は2号墓から6号墓までを総合した、
平原遺跡全体の解釈を述べてくれればいいよ

1号墓とほぼ同時に築成でほぼ同じ大きさで、副葬品が全然ないそこらの墓としか
いえない2号墓とか

これを、卑弥呼の男弟の墓だとか言ってるやつがいたけど242はどう思うんだい?

それから、一番古いと考えられているけれど10メートルもない小さな6号墓は
どう考える?

平原遺跡は、家族の墓域と考えられるけれど、王家の一族とはとても思えないぞ?

たぶん、242より俺の方が平原遺跡には詳しいぞww
その上で卑弥呼の墓どころではないと判断している

そもそも伊都国の領域だし「大作冢徑百餘歩」にはどうやってもならないし
0246日本@名無史さん垢版2018/03/27(火) 11:46:02.09
>>244
>空想と論理を勘違いしてる畿内説らしい認識やな

空想ならまだましだってくらい、嘘ごまかし捏造でたらめを繰り返し書くのが
九州説にはいるからなぁ
っていうか、そういうのしか今どき九州説には残っていない
0247日本@名無史さん垢版2018/03/27(火) 15:29:32.71
>>245
卑弥呼はたまたま白羽の矢が立って共立されたから、その家族が権力を持っていたわけではないだろう。
何か問題あるの?
0248日本@名無史さん垢版2018/03/27(火) 15:49:25.27
>>247
>卑弥呼はたまたま白羽の矢が立って共立されたから、

そこらの農民に、白羽の矢が立つ訳がないだろ?
最低限もともと地域首長の王族でなければ、他国が共立で乗ったりしない
平原遺跡の状況は、6号墓とかどうみても王族と見るには無理がある

これに対する見解はないのかい?
「そもそも伊都国の領域だし「大作冢徑百餘歩」にはどうやってもならないし」
0249日本@名無史さん垢版2018/03/27(火) 20:32:29.29
>>248
>最低限もともと地域首長の王族でなければ、他国が共立で乗ったりしない

首長クラスではあったろう。
それは王族とは別の話。
0250日本@名無史さん垢版2018/03/27(火) 20:33:10.58
「自女王國以北 特置一大率 檢察諸國 諸國畏憚之 常治伊都國 於國中有如刺史」

この文章の前後の文章は全て女王国か女王卑弥呼に付いての説明文であり、主語が書かれていなくとも主語は女王国か女王卑弥呼だと読み手には分かるようになっている。
それ以外の主語の場合は「諸國畏憚之」のように主語が明記されている。
「一大率常治伊都國」と主語が明記されていないので「常治伊都國」の主語も女王卑弥呼である。
なので「女王卑弥呼が伊都国で常に治めている」との意味になる。
では何を治めているのか?
女王卑弥呼が治めているのは自女王國以北の諸国である。
「常治伊都國」は「(女王卑弥呼が)伊都国で(一大率を使い自女王國以北の諸国を)常に治めていた」の意味であり 主語の女王卑弥呼と()内が省略されている。

治の類似の用法は漢書西域伝に見られる。
「大宛国 王治貴山城 去長安 万二千五百五十里…」
大宛国について、王は貴山城に治す、と王の所在を明らかにしている。

では「自女王國以北」とはどこか。
以北はその出発地を含む。出発地は「自女王國」とある。
つまり、女王国とその北にある国々を、そこに置いた一大率で支配したのである。
要するに女王国と伊都国は念を押して言い換えただけであり、一大率は伊都国にあり、伊都国が女王国、女王の都するところ、邪馬台国であるということである。

「於國中有如刺史」・・・刺史は各地の行政機関内に常駐している監察官

「女王国(を含めたそこ)から北の諸国には、(女王卑弥呼が)特別に一大率を配置して検察させており、諸国は(一大率を)畏れ憚っている。
(女王卑弥呼が)伊都国で(一大率を使い女王国から北の諸国を)常に治めていた。
これは魏で皇帝が刺史を州に派遣し検察させて洛陽で治めているのと同じようだ」の意味となる。

女王国が伊都より東にあったら、文章の意味が通らない。
畿内説では、一大率が支配していたのは奈良(女王国)およびその北である京都や丹波になってしまう。
女王国以北はおよそ里程や概要を記すことができるとされているが、里程が記載されているのは対馬海峡と福岡県内の国だけだからである。
すなわち女王国以北(女王国を含む)は伊都から北であり、女王国(邪馬台国)が伊都国であることを示している。
0252日本@名無史さん垢版2018/03/27(火) 21:03:35.30
>>249
>首長クラスではあったろう。
>それは王族とは別の話。

では言い直そう
平原遺跡の状況は、6号墓とかどうみても首長クラスと見るには無理がある
そんな家系から倭王は出ないよ
0253日本@名無史さん垢版2018/03/27(火) 22:13:59.50
>>252
親戚の末端なぞ知るかよ。
一号墓から目を背けるなよ。
0254日本@名無史さん垢版2018/03/27(火) 23:55:30.36
>>252

1号墓と2号墓はほぼ同時に作られてるから、2号墓は1号墓の主に近い存在の墓でしょう。

6号墓?
親戚じゃね?
それが何か意味があるのかい?

弥生終末期、1号墓の他の墓の追従を赦さない程の副葬品や、鳥居や大柱の存在を無視しちゃいけないなぁ。

最近は三雲でも古墳前期の大型建物が発見されたり、潤地頭給遺跡の玉造工房も弥生終末〜古墳前期までの遺跡だし、古墳前期の古墳も糸島は多いんだよね。
古墳前期までは栄えていた地域だね。
0255日本@名無史さん垢版2018/03/28(水) 00:01:25.83
>>253
>親戚の末端なぞ知るかよ。

6号墓から順に累代的に造墓していったと考えられるから、6号墓も親戚の末端ではなく、
その時代の当主=首長だよ、その家系の
一族の家族墓地に累代的に造墓しているからには、伊都国の中では特定有力家系では
あるのだろうけど、「余裕がなくて」「口の悪い」九州説の253に「末端扱い」される程度

そこに倭王墓があると考える方がどうかしている
1号墓と2号墓は、同時築造でほぼ同大
2号墓が王墓ではないなら1号墓も王墓でないのはある意味当然
0256日本@名無史さん垢版2018/03/28(水) 00:07:03.83
>>254
>鳥居や大柱の存在

その大柱列から棟持ち柱のある喪屋が想定されているんだが、
その柱穴が長方形から歪んだ平行四辺形になっているのは把握しているかい?

倭王の葬送儀礼で歪んだ喪屋を建てると思うかい?

それに254もこれには答えないね
「そもそも伊都国の領域だし「大作冢徑百餘歩」にはどうやってもならないし」
0257日本@名無史さん垢版2018/03/28(水) 00:15:30.34
>>256
で、お前さんのパスポートはどこの国?

即答できるよなあ?
0258日本@名無史さん垢版2018/03/28(水) 00:31:57.72
「うるせえ!俺は日本人だぜ!

日本史板にいるんだから当たり前じゃん!」

と、言えばいいだけのことなのだが。。。

うんたらかんたら言って、

日本人ですよ宣言すら誤魔化して逃げようとする気持ち悪い奴が

必死に日本史に介入する姿
0259日本@名無史さん垢版2018/03/28(水) 00:39:08.61
なんで外国人様が
卑弥呼様の墓=平原1号

卑弥呼様の墓域=平原1号+2号その他の周濠で囲まれた墓域=径百余歩
に文句つけてるの?

博多に弥生最強国家が存在したら不都合?
0260日本@名無史さん垢版2018/03/28(水) 00:40:41.27
俺は日本人だけど
東夷伝里で統一されていると思うんだ
>三国志東夷伝

で、俺は日本人と宣言してから発現することができないらしい
ハニカミ屋さんは
どう思うんだ?
0261日本@名無史さん垢版2018/03/28(水) 01:09:35.18
>>260
>俺は日本人だけど

惜しい!
そこは「俺は生粋の日本人だけど」って言わないと、バレちゃうよ!
0262日本@名無史さん垢版2018/03/28(水) 01:10:37.96
>>259
>平原1号+2号その他の周濠で囲まれた墓域

お前、平原遺跡の配置図見たことないだろ?ww
0263日本@名無史さん垢版2018/03/28(水) 01:15:26.74
>>257
>で、お前さんのパスポートはどこの国?
>即答できるよなあ?

本当に笑わせてくれるよな
普通の日本人は、「パスポートは」じゃなくて「○○は」どこ?って訊くんだよww

これ、本当なんだな
日本国籍を持たない「市民」の方たちが、半島に近いところに
日本の起源を持ってきて、儒教道徳的に起源に影響を与えた半島えらいって言いたいから
0264日本@名無史さん垢版2018/03/28(水) 01:48:04.82
金関先生の発見した国宝・中平銘鉄刀(東大寺山古墳出土)。
その鉄刀の主、和邇氏とヒミコは繋がるか。

繋がります。
和邇氏はトヨから始まります。

    事代主
     ┣━━━━━━━┓
   天日方奇日方(鴨王) ヒメ踏鞴━━神武
     ┣━━━━━━┓
     建飯勝    渟名底仲媛━━ 安寧
     ┃            ┃
    建甕尻          息石耳    ※ヒメ踏鞴(248年没)
     ┃            ┃
    豊御気主         トヨ津
     ┃            ┃
   大御気主          孝昭
     ┃            ┃
    阿田賀田須      天足彦国押人命
                  ┃
                和邇日子押人命
                 ┣━━━━━━━┓
               彦国姥津命    姥津媛(開化天皇妃)
   ┏━━━━━━━━━━━━━╋━━━━━┳━━━━━━┓
 伊富都久命          彦国葺命   小篠命    乙国葺命
  ┏━━━━━━┳━━━━━━━┫   【丈部氏祖】 【吉田氏祖】
 彦忍人命   建耶須禰命    大口納命        【飯高氏祖】
(武社国造)    ┃       ┣━━━━━━━┳━━━━━━━┓
       八千宿禰命  難波根子武振熊命   彦汝命     真侶古命
      (吉備穴国造)  【和邇氏祖】  【葦占氏祖】  (額田国造)
0265日本@名無史さん垢版2018/03/28(水) 06:13:55.75
>>254
>弥生終末期、1号墓の他の墓の追従を赦さない程の副葬品や、鳥居や大柱の存在を無視しちゃいけないなぁ。

一部ですが、参考にどうぞ。  @阿波
http://ktmrj15.webcrow.jp/p36ts/tpx14042619maibun.htm
0267日本@名無史さん垢版2018/03/28(水) 06:26:29.15
鉄器ゼロで決着ついてるけどまだやってたの?
0268日本@名無史さん垢版2018/03/28(水) 06:57:51.80
よく考えたら、奈良が他の地方に対して
優位な痕跡って、何もなさそうだな。

遺跡なし、鉄器なし、銅器なし、
前方後円墳でさえ、千葉や福岡どころか
京都や大阪にも負けてる。

平城京のときに30万人ほどに膨れ上がったが
都が移ると15万人ほどに減少。
もともとの食料生産力はその程度。
0269日本@名無史さん垢版2018/03/28(水) 07:22:08.16
>>255
>1号墓と2号墓は、同時築造でほぼ同大
>2号墓が王墓ではないなら1号墓も王墓でないのはある意味当然

王は一人だろ?
非論理的だな。
0270日本@名無史さん垢版2018/03/28(水) 07:23:48.95
>>259
>博多に弥生最強国家が存在したら不都合?

考古学的には玄界灘沿岸、特に博多湾沿岸が弥生国家の成立の地なので、正しいと思うよ。
0271日本@名無史さん垢版2018/03/28(水) 07:25:25.81
>>268

その通り。
畿内説は、卑弥呼より500年も後の平城京の繁栄を過去に投影して夢を見ているだけ。
0272日本@名無史さん垢版2018/03/28(水) 07:36:27.69
>>270
筑紫は筑紫忌部のお陰。  @阿波
0274日本@名無史さん垢版2018/03/28(水) 08:17:15.61
畿内説が考古学的証拠を無視しているだけ。
0276日本@名無史さん垢版2018/03/28(水) 08:51:52.47
>>269
>王は一人だろ?
>非論理的だな。

日本語が読み取れないんだな
2号墓はどう見ても王墓にふさわしくないスペック
1号墓も同じスペックしかない

2号墓が王墓ではないことを認めておきながら
1号墓を王墓と言い張るのはただのダブスタ
0277日本@名無史さん垢版2018/03/28(水) 09:01:10.03
議論どころか他人と会話もできない九州説

論理的に・・・なんて、夢のまた夢だな


 
0278日本@名無史さん垢版2018/03/28(水) 10:46:22.07
>>270
>考古学的には玄界灘沿岸、特に博多湾沿岸が弥生国家の成立の地なので、正しいと思うよ。

私も正しいと思うよ
ただ、卑弥呼の頃には相対的な地位低下が著しく、王がいるような土地ではなくなっている
繁栄の時期が100年単位で古い
北部九州に人がいなくなるわけではないけれど、出雲や吉備、丹波、畿内第V様式の国が、
以前よりも広域の王権を発達させていく時期に出遅れてしまっている
0280日本@名無史さん垢版2018/03/28(水) 11:31:50.96
別につぶそうとも思ってないけれど、プロの研究者が文献史学の人も考古学者も
一顧だにしなくなってるからなぁ 九州説は
0282日本@名無史さん垢版2018/03/28(水) 12:57:00.04
>>276
>2号墓はどう見ても王墓にふさわしくないスペック
>1号墓も同じスペックしかない

スペック?
弥生時代になかった言葉で誤魔化すなよ。
スペックには副葬品は含まないのかよ。
0284日本@名無史さん垢版2018/03/28(水) 13:33:45.97
>>282
現代という時間の中で議論してるんだから、現代に使う用語は普通に使うだろ?

それに282もこれには答えないね
「そもそも伊都国の領域だし「大作冢徑百餘歩」にはどうやってもならないし」
0285日本@名無史さん垢版2018/03/28(水) 15:53:52.24
伊都国が倭国の都ということだ。
0286日本@名無史さん垢版2018/03/28(水) 17:46:23.22
>>285
>伊都国が倭国の都ということだ。

言ってて恥ずかしくならない?
「根拠」もなしに何を言ってるんだかw
じゃあさ、邪馬台国の「国」って何を意味しているの?

倭国の都なら、倭都じゃないの?
0287日本@名無史さん垢版2018/03/28(水) 17:54:36.46
雅な字を当てたんだよ。
0288日本@名無史さん垢版2018/03/28(水) 18:33:51.64
>>287
>雅な字を当てたんだよ。

いや、邪馬台国の「国」の字はどこから出てくるんだってのに、
まったく答えられてないじゃないか

伊都国の「伊」の字を言いたいんだろうけれど、特に雅な字じゃないし
まずは訊かれたことに答えようか?
0289日本@名無史さん垢版2018/03/28(水) 19:35:36.88
邪馬台と書いてヤマトと読む。
倭と書いてヤマトと読む。
つまり邪馬台国とは倭国と同義で、訓読みにさらに漢字を当てただけ。
魏志にある女王国もまた同義である。
卑弥呼の称号は邪馬台国の女王ではなく、倭国女王(親魏倭王)である。
0290日本@名無史さん垢版2018/04/06(金) 21:29:16.65
ずいぶん待ったけれど、これには答えられないってことでいいな?
「そもそも伊都国の領域だし「大作冢徑百餘歩」にはどうやってもならないし」

つまり、平原1号墓を卑弥呼の墓とみなすのは、根拠なしのトンデモに過ぎないってことだ
0291日本@名無史さん垢版2018/04/07(土) 07:46:21.36
伊都国が女王国なら問題ない。
0293日本@名無史さん垢版2018/04/07(土) 11:44:05.76
>>291
>伊都国が女王国なら問題ない。

これがそもそも成りたたないって話だろうが

女王国=倭国なら、伊都国は女王国の一部ではあっても、伊都国=女王国にはならない
女王国=邪馬台国で、伊都国=邪馬台国を主張するなら、邪馬台「国」が「国」と
記されていることが説明できない

平原1号墓が「大作冢徑百餘歩」にはどうやってもならない点も、
伊都国説がトンデモ説にしかならないことをはっきりと示している
0294日本@名無史さん垢版2018/04/07(土) 12:22:03.26
>>293
>女王国=邪馬台国で、伊都国=邪馬台国を主張するなら、邪馬台「国」が「国」と
>記されていることが説明できない

明らかに魏志倭人伝では国を様々な意味で使っているんだってば。
陳寿自身もやや混乱気味なのだろう。
0295日本@名無史さん垢版2018/04/07(土) 13:18:41.65
>>294
でも明らかに、伊都国と邪馬台国は同等の並列関係の「国」として書かれているよな?

だから何度も訊いているんだが?

伊都国=邪馬台国を主張するなら、邪馬台「国」が「国」と記されている理由は何なのか?と
「根拠」を付けて論証してくれ

できるものならな
まあ、がんばれ
0296日本@名無史さん垢版2018/04/07(土) 13:20:05.65
並列には思えないな。
伊都は前後の他の国邑との位置関係が明記された狭い地域だが、邪馬台国はそうではない。
0297日本@名無史さん垢版2018/04/07(土) 13:58:40.83
>>296
>並列には思えないな。

それは296の「個人の感想」だな

旅程記事部分は「方角・移動方法」「距離」「到着地」の3つの情報が揃って書き込まれている
始度一海  千里     至對海國
又南渡一海 千里名曰瀚海 至一大國 
又渡一海  千里     至末廬國 
東南陸行  五百里    到伊都國
東南    至奴國    百里 
東行    至不彌國   百里 
南     至投馬國   水行二十日 
南     至邪馬壹國  水行十日陸行一月

きっちり並列だろ?

>伊都は前後の他の国邑との位置関係が明記された狭い地域だが、邪馬台国はそうではない。

単に終着点てだけだろ?
見方によっては、投馬国と斯馬國の間の国って明記されている訳だし

奴国  二万戸
投馬国 五万戸
邪馬台国七万戸はそんなにせまい地域ではないだろうが、
これらと伊都国がかななる理由はないだろ?

重ねたが最後、戸数表期がどうしようもなく矛盾するし
伊都国説はトンデモにしかならないよ
0299日本@名無史さん垢版2018/04/07(土) 17:30:57.07
>>297
>南     至投馬國   水行二十日 
>南     至邪馬壹國  水行十日陸行一月

明らかに違う記事が紛れ込んでいるだろ。
他の史書で帯方楽浪から一万二千里と明記してあるわけだし。
0300日本@名無史さん垢版2018/04/07(土) 17:31:52.38
魏志倭人伝の邪馬台国までの里程
帯方郡(朝鮮北部)から狗邪韓国まで七千里、女王国まで一万二千里。
対馬海峡が三千里であり、帯方郡から九州上陸までで一万里となるので、邪馬台国の位置は九州北部になる。

魏志倭人伝の邪馬台国までの日程
帯方郡から邪馬台国まで水行10日、陸行1月(1日の誤りか)
ちなみに帯方郡から投馬国(宮崎都万)まで水行20日

後漢書における里程
大倭王は邪馬台国にいる。
楽浪郡の国境は、その国(邪馬台国)から一万二千里である。
倭国の西北界である狗邪韓國からは七千里である。
倭奴国は倭国の極南界である。

魏略逸文における里程
帯方(郡)より女(王)国に至る万二千余里。
0302日本@名無史さん垢版2018/04/07(土) 19:32:02.47
>>299
>他の史書で帯方楽浪から一万二千里と明記してあるわけだし

これ、他の史書では魏志倭人伝の引き写しだから、魏志倭人伝以上の情報にはならないぞ

魏志倭人伝の情報を更新するのは、隋書になってやっとだ
隋書では、遣隋使が来て裴世清が答礼使で倭国を訪問して、その記録で更新できた訳だ
その隋書では「古云」去樂浪郡境及帯方郡並一萬二千里という書き方をしている
これは、「現在では違うと分かっているけれど、以前(古)はこう云っていた」という書き方

そして、魏志倭人伝では萬二千里は「邪馬台国まで」の距離ではなく
「女王国まで」の距離として書かれている
卑弥呼は、邪馬台国王ではなく、親魏倭王なのだから、この女王国は倭国と意味する

倭国のあるところまでが、萬二千里もある遠地だという表現
そして、この萬二千里は実測地ではなく淮南子に見られる東の世界の果てまでの
観念的な距離

司馬懿が公孫氏を滅ぼしたから、東の果ての倭国が朝貢に来たという、
司馬懿の功績を顕彰するための文飾だよ

これを、倭国内の移動距離と絡めて考えるのは無意味
0303日本@名無史さん垢版2018/04/07(土) 20:06:04.74
>>302
>これ、他の史書では魏志倭人伝の引き写しだから、魏志倭人伝以上の情報にはならないぞ

つまり、当時の中国人たちは、里程と日程は分けて読むものだと理解していたことになる。
続けて読むのは誤読なんだよ。

>卑弥呼は、邪馬台国王ではなく、親魏倭王なのだから、この女王国は倭国と意味する

倭国の都まで一万二千里、倭国の国境までは七千里だよね。
0304日本@名無史さん垢版2018/04/07(土) 22:18:44.59
>>303
>つまり、当時の中国人たちは、里程と日程は分けて読むものだと理解していたことになる。
>続けて読むのは誤読なんだよ。

魏志倭人伝より古い漢書で、日数と里数表記が一緒に書かれているぞ

漢書/列傳 凡七十卷/卷九十六上 西域傳第六十六上/大月氏國
大月氏國,治監氏城,去長安萬一千六百里。不屬都護。戶十萬,口四十萬,勝兵十萬人。
東至都護治所四千七百四十里,西至安息四十九日行,南與罽賓接。

大月氏国、監氏城に治す。長安を去ること萬一千六百里。都護に属さず。
戶数は十萬,人口四十萬人,勝兵は十萬人。
東の都護の治するところに至るに四千七百四十里、西に安息国に至るに四十九日行、
南は罽賓に接す。

安息国への情報としては、
西域都護まで里数
大月氏国まで里数
安息国まで日数 となっている訳だ

問題ないだろ?

逆に、連続して書かれている旅程の途中で、起点からの総日程が書かれている所なんてないだろう?

水行10日陸行1月が、起点の帯方郡からだと主張するなら
大陸史書の地理旅程記事で「途中から起点表記になる例」を出してくれ
本来的には、それが標準と見てよいほど多数例を示す必要があるけれど、とりあえず1例でいいよ

さあ、がんばれ!
0305日本@名無史さん垢版2018/04/07(土) 22:24:38.56
>>303
>倭国の都まで一万二千里、倭国の国境までは七千里だよね。

そういう見方をするのであれば、
倭国の国境まで七千里
そこから倭国の全長が、周旋五千里

この合計が萬二千里になるっていう数合わせになっているんだろう

倭国の都までが萬二千里などとは、どこにも書いてないぞ

あると主張するならその原文を示してくれ
繰り返すが、魏志倭人伝では自郡至「女王國」萬二千餘里であって、
邪馬台国でも女王の都でもないからな
0306日本@名無史さん垢版2018/04/07(土) 23:09:46.60
>>305
都である倭奴国が倭の最南端と書いてあるから、それでもいいかもね。
0307日本@名無史さん垢版2018/04/07(土) 23:10:45.13
帯方郡から福岡まで一万二千里!
0308日本@名無史さん垢版2018/04/08(日) 00:26:01.66
>>306
>都である倭奴国が倭の最南端と書いてあるから、それでもいいかもね。

投馬国の立場は?
戸数も計算が合わないし、それめちゃくちゃ矛盾だらけだよ

後漢書の
倭奴國奉貢朝賀 使人自稱大夫 倭國之極南界也
これのことを言ってるんだと思うけれど、これはおそらく魏志倭人伝の倭国の国が
北から南に順に書かれていて、余傍国の最後に書いてある奴国を倭奴国と思った読み違いだろう

其餘旁國遠絶、不可得詳。次有斯馬國、次有已百支國、次有伊邪國、次有都支國、
次有彌奴國、次有好古都國、次有不呼國、次有姐奴國、次有對蘇國、次有蘇奴國、
次有呼邑國、次有華奴蘇奴國、次有鬼國、次有爲吾國、次有鬼奴國、次有邪馬國、
次有躬臣國、次有巴利國、次有支惟國、次有烏奴國、次有「奴國」、此女王境界所盡
0309日本@名無史さん垢版2018/04/08(日) 00:27:57.71
>>307
>帯方郡から福岡まで一万二千里!

福岡までだと萬六百里だよ
計算は正しくやろうな
0310日本@名無史さん垢版2018/04/08(日) 08:46:34.52
帯方郡
韓四千里
四方可四
千方可千
里四千里
三千里狗邪韓 ※7000(水行20日)

 (渡海千里) ※8000

   対馬
   馬(方可四百余里) ※8800余

  (渡海千里) ※9800余

    壱岐
    岐(方可三百里)  ※10400余

   (渡海千里) ※11400余

  末盧(五百)伊都(百)博多駅前陥没地点 ※12000余(水行30日陸行1日)
0311日本@名無史さん垢版2018/04/08(日) 08:59:23.57
>>304
並列記述の用例にしかならん。
日程記述に変わるという事は、つまり放射説の方が妥当なんだよね。

では、その起点は?
それは郡から?伊都国から?不弥国から?
と様々な説があったりする。

後、不弥国の「行」の字で行程終了を示す、という説もあり、そうなると投馬国〜からは別の意味を示す可能性も出てくる。
0312日本@名無史さん垢版2018/04/08(日) 10:18:55.79
>>311
>並列記述の用例にしかならん。

そうだよ?
始度一海  千里     至對海國
又南渡一海 千里名曰瀚海 至一大國 
又渡一海  千里     至末廬國 
東南陸行  五百里    到伊都國
東南    至奴國    百里 
東行    至不彌國   百里 
南     至投馬國   水行二十日 
南     至邪馬壹國  水行十日陸行一月

これ全部、並列で対等な記述なんだよ?
なのにどうして、投馬国と邪馬台国行きだけ特別扱いするんだ?

そして邪馬台国を北部九州に重ねるトンデモ説では、どうやっても戸数記述が矛盾するだろ?

水行は帯方郡が起点とか、伊都国から放射読みとか、既に否定されてるのに
何のためにがんばってるの?
0313日本@名無史さん垢版2018/04/08(日) 11:31:12.72
>>312
並列記述だから、放射説が妥当なんでしょ?
じゃ、日程記述の投馬国と邪馬台国はどこが起点なの?

郡や伊都の起点を否定するのは何故?

水行で否定って聞いたことないけど?

里数から日程に変更記述例が並列的に記述されるものなら、どの説も可能性が出てくるよ。

逆に直線的に読む事は"例"がなければ否定されるがね。
0314日本@名無史さん垢版2018/04/08(日) 12:25:06.92
帯方郡
韓四千里
四方可四
千方可千
里四千里
三千里狗邪韓 ※7000(水行20日)

 (渡海千里) ※8000

   対馬
   馬(方可四百余里) ※8800余

  (渡海千里) ※9800余

    壱岐
    岐(方可三百里)  ※10400余

   (渡海千里) ※11400余

  末盧(五百)伊都(百)博多駅前陥没地点 ※12000余(水行30日陸行1日)
0315日本@名無史さん垢版2018/04/08(日) 14:37:43.55
再掲

水行10日陸行1月が、起点の帯方郡からだと主張するなら
大陸史書の地理旅程記事で「途中から起点表記になる例」を出してくれ
本来的には、それが標準と見てよいほど多数例を示す必要があるけれど、とりあえず1例でいいよ

さあ、がんばれ!
0316日本@名無史さん垢版2018/04/08(日) 14:46:37.33
>>313
>並列記述だから、放射説が妥当なんでしょ?

地理記事と旅程記事を混同しているだろう
地理記事(大月氏国)は、既知の地点との位置関係を示すことで、
主題の地点の位置を示すから、放射読みになる

それに対して、旅程記事は
起点(今いるところ)
方角・距離(+移動方法)
到着地(至○○)
の3つの情報を記載することで、順次示していくことになる

>じゃ、日程記述の投馬国と邪馬台国はどこが起点なの?

だから当然、投馬国行きの起点はその直前の不彌國だし
邪馬台国行きの起点はその直前の投馬国になる

帯方郡から不彌國まで、それで問題なく読めるし、
並列対等に書いてある、
南至投馬國水行二十日 
南至邪馬壹國水行十日陸行一月
だけ起点を巻き戻す理由がない
0317日本@名無史さん垢版2018/04/12(木) 22:46:19.40
帯方郡
韓四千里
四方可四
千方可千
里四千里
三千里狗邪韓 ※7000(水行20日)

 (渡海千里) ※8000

   対馬
   馬(方可四百余里) ※8800余

  (渡海千里) ※9800余

    壱岐
    岐(方可三百里)  ※10400余

   (渡海千里) ※11400余

  末盧(五百)伊都(百)博多駅前陥没地点 ※12000余(水行30日陸行1日)
0318日本@名無史さん垢版2018/04/13(金) 01:45:10.85
>>316
問題なく読めるのは、他説を否定する理由にはならんよ。
君の読み方は否定しないが、ならば邪馬台国はどこなんだい?
君の読み方が正しいと論ずるなら、勿論比定地があるのでしょう?

事実関係であり得ない場合、記述が間違ってるか、解釈が間違ってるか、なんだよね。
だから、邪馬台国論争に発展してるわけ。

つまり、他説の読み方も十分に可能性があるということ。
0319日本@名無史さん垢版2018/04/13(金) 14:22:56.81
>>318
>つまり、他説の読み方も十分に可能性があるということ。

「可能性が0とまでは言えない」と、「十分に可能性がある」は
同じじゃないんだよ

よそで見かけた説明

9回2アウトランナーなし10点リードされてる状況で

「まだ勝負は決まってない」←まあね笑
「つまり同点だ」←は?

「今のはボールだろ!」←わかる
「つ誤審だからオレの勝ちだ」←は?

九州説はこんなのばっか

これが、世間の見方だよ

>君の読み方は否定しないが、ならば邪馬台国はどこなんだい?

末慮国〜奴国までの北部九州の記述は、後漢代の朝貢の記録によるもの
末慮国からの東南陸行五百里は、伊都国へ向かう経路ではない

魏使は博多湾から、関門海峡は通過せず、日本海側を水行し
投馬国(出雲)を経由して、丹波付近から陸行して邪馬台国(ヤマト国)に至る

これが一番、整合性が高いと思う

投馬国の上古音がdug-magで「ヅマ国」と読めるので、
イズモの最初のイが弱声化すれば、ほぼそのままだ
0320日本@名無史さん垢版2018/04/13(金) 14:24:07.62
福岡付近から、出雲まで水行20日
ただし出雲の場所が決めがたく、
出雲大社や西谷墳墓群がある出雲平野か、
熊野大社や出雲国府が置かれた松江平野か、
あるいは妻木晩田遺跡のある大山付近か、いずれかが候補

そこから丹波へ行くまでが水行10日
丹波の上陸地点は、網野銚子山古墳のある網野町か、神明山古墳のある丹後町竹野の竹野川河口付近
地名からすると記紀に丹波竹野媛(開化天皇妃)があることから竹野が有力、地形的には離湖という潟湖がある網野かな、とも思う

どちらに上陸したとしてもそこから陸行で京丹後市役所のある峰山付近を通って丹後半島を横断
横断したところが籠神社のある与謝野町、そこから野田川沿いに遡っていくと蛭子山古墳がある
福知山付近を通って、山陰本線に近いルートで亀岡まで来ると、丹波国一ノ宮の出雲大神宮がある
亀岡から桂川沿いに京都盆地に入り、巨椋池を経て木津川を遡り平城山を越えて奈良盆地に入って纏向ってルートでいいだろう
0321日本@名無史さん垢版2018/04/13(金) 14:24:45.00
水行20日 福岡から出雲平野までが約300キロ 妻木晩田遺跡辺りまでだと370キロ
水行10日 妻木晩田遺跡から竹野までが約150キロ
陸行1月 竹野から纏向までが170キロくらい

水行中の日数は、夜に浜辺で休んだ日数や潮待ち、天気待ちも含むと思う
投馬国滞在日数は含まないんじゃないかな これはあくまで「かな」程度
陸行部分は、途中の集落の滞在日数も含むと思うが、そんなに大きな町も途中にはなさそう
あっても、丹波国の竹野付近と与謝野町くらいかな

遺跡の分布や神社の名前からして、出雲と大和の往来はこのルートでいいんじゃないかと思っている
ただ、丹後半島を縦断するより、回りこんで若狭湾に入った方が楽かもしれないとも思う
0323日本@名無史さん垢版2018/04/13(金) 16:22:47.96
>>322
どこがだよ?
岡上がこんな主張してるの見たこと一度もないぞ

こんなところまで「背乗り」かい?
荒らし目的の「畿内説を騙る背乗りスレ」立てに飽き足らず?
0325日本@名無史さん垢版2018/04/13(金) 17:11:06.95
>>319-321は、私のコメだから、>>322の自演はない
岡上はバカだと思ってるよ
0326日本@名無史さん垢版2018/04/13(金) 17:27:37.86
伊都の鏡が伊勢に落ち着くまで
岡上氏の見立てた経路だよ。
観点が違うから途中遺跡の焦点が違うけどね。

奈良盆地への主要街道はまずは日本海からのこのルートだったという話。
0327日本@名無史さん垢版2018/04/13(金) 17:42:20.93
>>326
>奈良盆地への主要街道

というか、出雲と大和の間の交通路だろ?
大国主が奥さんが怖くて大和に逃げようとした時の経路だ

魏志倭人伝の経路は、これに乗ったんだろう
0329日本@名無史さん垢版2018/04/13(金) 18:36:55.44
時代がデタラメなんだから、あり得ない。
0331日本@名無史さん垢版2018/04/13(金) 22:26:16.99
>>322
福岡→出雲平野

すでに南じゃない
文献の勝手な読みかえが入る事となる。

比定地の根拠が皆無状態だな。
0333日本@名無史さん垢版2018/04/13(金) 22:51:26.85
なんとなくだがね、
現代の方角とずれた方角を東と見なしていたのではないかと。

銅鐸を方位測量器具として使うと
日本列島を時計回りに回転させた地図になるらしい。つまり現代の東の方角が南東から東南東になる。

倭人が東といった時は北東から東北東の方位を指していた可能性、と言うわけ。

それでも出雲が南になることはないけどね。
0334日本@名無史さん垢版2018/04/14(土) 00:51:31.75
陳寿が、いろんな文献の倭、倭人をごっちゃにして、
倭国を南国だと思っちゃったのが発端だよ

東へ行くはずがないと考えて、南にしたんだよ
0335日本@名無史さん垢版2018/04/14(土) 08:45:52.76
もう方角とか倭人伝の文献解釈は卒業しようよ

畿内説学者は自分たちは矛盾しかないくせにけちつけるのはお得意だからさ

それより地政学、国際政治学、物証、生産理論、神話や文献、地名、その他
あらゆる面で九州の優位だって事を前面に出せば良いよ

例えば相当権威と言われる学者でも九州は衰退していったとか言ってるけど
さ、じゃあ何で岩井の乱で九州独立が5世紀に起こったのかすら説明できてない
軍事力で畿内を平定した継体にしてようやく長門までと筑紫の屯倉たったひとつ
取っただけなのかとかさ
倭の五王が何故記紀に出現のかとか、ちょっと触っただけでもいくらでも不審
な点はある
九州勢力の畿内への移動すら認めないキチガイは、例えばニギハヤヒの天孫降臨
はどうすんのかとかさ
0336日本@名無史さん垢版2018/04/14(土) 09:36:55.30
>>335
200回近く発掘した結果、
鉄器ゼロ住居ゼロのただの倉庫だったことがハッキリしたので、
方角とか倭人伝の解釈に逃げて誤魔化しているだけですよね。

ホケノの年代根拠すら曖昧。
0337日本@名無史さん垢版2018/04/14(土) 11:37:42.51
>>335
>それより地政学、国際政治学、物証、生産理論、神話や文献、地名、その他
>あらゆる面で九州の優位だって事を前面に出せば良いよ

すごく期待してる!
がんばれ!

それができる九州説を見たことがないんだ
そういう実質的な議論を始めると、出だしでいきなり九州の貧相さが明らかになって、
すぐに荒らしに逃げるが繰り返されてるからね

で、何から始める?
地政学でも何でもいいよ?
何でもいいから、3世紀の九州の優位性を語って!
奴国と伊都国以外で栄えているところはどこ?
0338日本@名無史さん垢版2018/04/14(土) 11:42:45.99
>>335
>岩井の乱で九州独立が5世紀に起こったのかすら説明できてない

磐井の乱のことだよね?
これ、別に九州独立を目指したものでも何でもなくて、半島の新羅と百済の
どちらを重視するかという点で、中央政府と争って自分の利権を守ろうとして
戦争まで起こしたけれど息子にすら裏切られて鎮圧されただけのものだぞ

倭の五王の遣使を、筑紫君が送ったとか言わないよな?
0339日本@名無史さん垢版2018/04/14(土) 12:07:52.00
>>337
奴国と伊都国が女王国説で、北部九州自体が邪馬台国説ならなんも問題ないな
自分はこっち押しだし

文献的にはあらゆる可能性が含まれているのでね
文献で決着は着けようがない
今は楽浪土器一つでもここが中心だからなぁ
0340日本@名無史さん垢版2018/04/14(土) 12:11:42.79
つまり
邪馬台国畿内説を論理的に潰すという
希望は捨てたんだね
0341日本@名無史さん垢版2018/04/14(土) 12:45:47.87
>>340
文献的には無理じゃない?
南が東の間違いの可能性もあると思うし。

畿内説論破は鉄が3世紀前半皆無、だけでいいでしょ。
0343日本@名無史さん垢版2018/04/14(土) 13:28:21.36
>>337
お前じゃない。馬鹿は失せろ。

>>338
あーそれもお前の「解釈」な。筑紫の君岩井は別に独立を目指したとか言ってないし。
それだけ強勢な理由と、畿内制覇するほどの優秀な軍事力を持ってしても岩井が捕縛
されたのか死んだのかも不明、ふつーに後継者までいるのはどう説明するのか。何で
同時代規模第三位の巨大な墓出来ちゃってるの?しかもおまいら畿内説の大好きな
ヤマト王権のシンボル前方後円墳www 何ですかこれはwwwww

元々の領土なら何故回復できず長門までと筑紫の屯倉一つなのか説明してくれ。
倭の五王が堂々都督に任命されているのに権威主義丸出しの記紀に何でないんだ。
それも説明しろ。
半島利権?ようやくでっち上げ系譜で手を挙げてくれたど田舎の男大迹君を呼んで
くるほど弱っていた畿内に半島への遠征どころか利権確保も無理だろう。
何も言ってないのはお前の方だ。アホ。

説明のすり替えしか出来ない馬鹿の畿内説が来るところじゃないんだよここは。
0345日本@名無史さん垢版2018/04/14(土) 13:36:01.03
>>343
>筑紫の君岩井は別に独立を目指したとか言ってないし。
>>335
>じゃあ何で岩井の乱で九州独立が5世紀に起こったのかすら

目指したとは言ってないけど、岩井(磐井だけどな)の乱で九州独立が起こったんだろ?
それまでは独立してなかったんだね
そしてすぐに鎮圧される、と

で、磐井は何を目指してたの?
教えておくれ
0346日本@名無史さん垢版2018/04/14(土) 13:55:19.40
>>343
>岩井が捕縛されたのか死んだのかも不明、

未開の地、九州で山に逃げ込まれたら、そりゃあ死体も見つからないだろ
現代でも野生のツキノワグマがいるのかいないのか確認できないんだから

>ふつーに後継者までいるのはどう説明するのか。

親の磐井が血迷っただけで、筑紫国・一族として争うつもりはございませんって、
息子が命乞いしたからだって、記紀にも書いてあるよ
ちゃんと説明されてるじゃないか

>何で同時代規模第三位の巨大な墓出来ちゃってるの?

でも同時代で3位なんだろ?
1位と2位は畿内にあるな
そして、歴代だと岩戸山古墳は81位がやっと
何を誇らしげにしているのか、理解に苦しむな
一地方豪族がその最盛期にがんばってみたけど、潰され立ってだけの逸話だろ?
息子にまで見放されて?

>しかもおまいら畿内説の大好きな
>ヤマト王権のシンボル前方後円墳www 

つまり、筑紫君の一族も、大和朝廷の秩序に参加していたっていう証明じゃないか
九州王朝などないことを、これほどはっきり示す遺跡もないと思うが?

>何ですかこれはwwwww

見たままだろ?
筑紫君は大和朝廷の傘下の存在であることを端的に示しているだけだ
0347日本@名無史さん垢版2018/04/14(土) 14:08:40.12
>>343
>元々の領土なら何故回復できず長門までと筑紫の屯倉一つなのか説明してくれ。

もともと地方行政は、大和朝廷の名の下に地方豪族がやるものだから、
磐井の息子が帰順した時点で回復されてるよ

さらにペナルティで筑紫の屯倉を差し出して許されてる

>倭の五王が堂々都督に任命されているのに権威主義丸出しの記紀に何でないんだ。

倭王は大陸から見た秩序であって、天皇の正統性は天孫降臨の時の
天照大神の天壌無窮の神勅で保証されてるから、書く必要がないんだよ

ある意味、雄略天皇が即位する頃までは、大陸王朝のお墨付きにも倭国内での意味があった
それが、在位期間23年の間に葛城氏を圧滅するなど国内的には絶対権力を確立できたため、
それ以降は朝貢はしていない訳だ

記紀では雄略天皇が使いを送った呉は、鵞鳥とかを献上してくれる国として描かれている
雄略天皇の大王権威の確立は、国内でも後世まで画期として意識されていたようで、
万葉集の第一巻第一首に、雄略天皇の御製の歌が置かれている

>それも説明しろ。

きっちり説明できるんだよ
九州説とは違ってね
0348日本@名無史さん垢版2018/04/14(土) 14:16:37.19
>>343
>岩井が捕縛されたのか死んだのかも不明、

磐井を斬ったってハッキリ書いてあるぞ
0349日本@名無史さん垢版2018/04/14(土) 14:25:33.14
>>331
>比定地の根拠が皆無状態だな。

比定地の根拠は、
考古学的に確認できる大規模集落のある地域であることと、
魏志倭人伝に示された国名と日本の地名との音韻上の一致だよ

魏志倭人伝の旅程では、末慮国までしか行き着けない
対馬⇒壱岐ですら、南ではなく東方向にずれてるからね

魏志倭人伝の表記   遺跡            地名
末慮国        宇木汲田遺跡・千々賀遺跡  松浦
伊都国        三雲遺跡群         怡土 糸島
奴国         須玖岡本遺跡・比恵那珂遺跡 儺県 那の津 那珂
投馬国        西谷墳墓群他        出雲
邪馬台国       纒向遺跡他         大和

投馬国の上古音はdug-mag、カタカナ表記をすれば「ヅマ」
イズモの最初の母音が弱声化すれば「ズモ」であり、投馬国「ヅマ国」とかなり近い
五万戸の大国に当てられるのは出雲くらいしかないこともあり、この比定で
問題ないだろう
0350日本@名無史さん垢版2018/04/14(土) 14:36:01.60
>>339
>奴国と伊都国が女王国説で、北部九州自体が邪馬台国説ならなんも問題ないな

この説は、人口・戸数で詰んでるよ
邪馬台国七万戸がどこにも入らない

奴国二万戸と明記されているのが致命的
投馬国との位置関係も破綻しているし、まともな説にはなっていないよ

そもそもが平原1号墓の土坑墓を殉葬墓だと勘違いしたのと
周尺也を「周を計る尺度なり」と誤読したのがきっかけ

勘違いと誤読がもとだから最初から無理な説なんだよ
伊都国と邪馬台国が別の国として書いてあるのを無視してるんだから、どうしようもない
0351日本@名無史さん垢版2018/04/14(土) 15:35:35.21
>>350
じゃあ倭国はどこ行ったん?
0352日本@名無史さん垢版2018/04/14(土) 16:10:54.10
>>349
そうじゃなくてさ、君の読み方が正しいというなら、南を東に置き換えた場所では何の意味もないのだよ。

解釈の問題を論じていて、その核となる比定地が投馬国の出雲では何の理由にもなりえない。

実は私も投馬国の出雲と考えているのだが、直線的に読んで南を東として読むより、どちらかと言えば放射的に帯方郡から南に20日水行の方が出雲の場所として妥当と思うがね。
そして、帯方郡から水行10日陸行1月の所が邪馬台国。
0353日本@名無史さん垢版2018/04/14(土) 16:20:28.63
>>326
ヤマトの四官の読みは新鮮だったね
0354日本@名無史さん垢版2018/04/14(土) 17:24:34.29
>>351
>じゃあ倭国はどこ行ったん?

倭国は、倭人の国、くらいの意味なんだから、九州に限定する方がおかしいんだよ
まあ、卑弥呼が倭王になった時点で、卑弥呼に従う(共立に参加した)範囲に限定
されるんだろうけれど、それでも九州に限定する理由はない

関門海峡600メートルで、倭人の領域が終わると考える方がおかしい
0355日本@名無史さん垢版2018/04/14(土) 17:28:36.98
>>352
>そうじゃなくてさ、君の読み方が正しいというなら、南を東に置き換えた場所では何の意味もないのだよ。

「南を東に置き換えた場所」
そんなことはしていないんだよ

国の並びと、大遺跡のある場所、国名の一致で、比定地を決めていくことになる
その結果、実際には東「だった」ということだよ

そもそも、末慮国ー伊都国間は東南ではなく北東だし、
伊都国ー奴国間も実際にはせいぜい東(よりも北より)だが、東南と書かれているし、
魏志倭人伝の記述に合わないから間違いというなら、伊都国、奴国も
比定地はないことになる
0356日本@名無史さん垢版2018/04/14(土) 17:29:58.82
>>352
>どちらかと言えば放射的に帯方郡から南に20日水行の方が出雲の場所として妥当と思うがね。

帯方郡から出雲なら、南ではなく「東南」だろ?
ダブスタ乙です
0357日本@名無史さん垢版2018/04/14(土) 18:16:06.73
>>354
>伊都国と邪馬台国が別の国として書いてあるのを無視してるんだから、どうしようもない

>倭国は、倭人の国、くらいの意味なんだから、九州に限定する方がおかしいんだよ

じゃあ、倭国はどこいったん?w
0358日本@名無史さん垢版2018/04/14(土) 18:23:21.65
>>357
>じゃあ、倭国はどこいったん?w

倭国は、倭人の国、くらいの意味なんだから、九州に限定する方がおかしいんだよ
まあ、卑弥呼が倭王になった時点で、卑弥呼に従う(共立に参加した)範囲に限定
されるんだろうけれど、それでも九州に限定する理由はない

関門海峡600メートルで、倭人の領域が終わると考える方がおかしい

具体的には、狗邪韓國から、対馬国、壱岐国を経て、日本列島の東国を除く部分と
列島周りの島(隠岐とか佐渡とか)全部だよ
0359日本@名無史さん垢版2018/04/14(土) 18:28:50.87
関門海峡から先は倭種の国でしょ。
0361日本@名無史さん垢版2018/04/14(土) 19:22:43.72
>>359
それでみんな納得してるんだけど、
それだと困るキナイコシが全力でゴネまくり中w
0362日本@名無史さん垢版2018/04/14(土) 22:08:56.06
>>359
>関門海峡から先は倭種の国でしょ。

縄文の昔から、沿岸航路で遠距離交流してたのに、
関門海峡ごときが人の交流の妨げになる訳ないだろう

こういう基本的なことを無視するから九州説はトンデモにしかならないんだよな
0363日本@名無史さん垢版2018/04/14(土) 22:12:20.99
交流や交易をしてても国境ってのはあるだろ。
関門海峡なんて良い国境じゃないか
な。
0364日本@名無史さん垢版2018/04/14(土) 22:16:19.87
>>362
交流の妨げってなに?w

単に
北部九州の
豊国を除いた筑前のみが大量鉄器の先進地域

その周辺の豊国や肥国が鉄器それなりの準先進地域

関門海峡を越えた日本海沿岸も、それなりの準先進地域

それ以外は、
鉄器が無くてムダ毛ぼうぼうの毛人地域
0365日本@名無史さん垢版2018/04/14(土) 22:17:24.38
最初の王都として福岡平野に吉武高木遺跡(紀元前2世紀)、奴国と考えられている須玖岡本遺跡(紀元前2〜1世紀)があり、
後に高祖山をはさんだ西側の糸島平野に移動して伊都国とされる三雲南小路遺跡(紀元前1世紀の王・王妃墓)、井原鑓溝遺跡(紀元1〜2世紀の王墓)、平原遺跡(紀元2〜3世紀の女王墓)がある。
三雲南小路遺跡の甕棺墓から発見された内行花文鏡には「見日之光天下大明」という銘文があり、太陽光を象った鏡であることがわかる。内行花文鏡は中国で王侯に下賜されていた形式であり、倭国が漢王朝の冊封の元での祭政一致王権をとっていたことがわかる。
昭和40年(1965年)に平原遺跡から出土した最大の内行花文鏡は国産と考えられている。その円周が漢代の8咫(直径1尺の円の円周が4咫)に相当することから、記紀などにおいてアマテラスがニニギに与えたとされる八咫の鏡であると考えられている。
かつては八咫は単に大きいことを意味するだけだという説もあったが、この鏡の出土により実際に円周がちょうど八咫である鏡が実在したことが確認された。
これらの王朝は高祖山の東側の福岡平野の奴国に成立し、後に西側の糸島平野の伊都国に移動しているが、出土品や墓制が同じであることから基本的には一連の王権であると考えられる。
三種の神器は現在の天皇家においても象徴とされており、倭国王権の起源は稲作伝来の地でもあるこれら博多湾・玄界灘周辺にあったことになる。
これが卑弥呼が女王となった倭国の姿である。
0366日本@名無史さん垢版2018/04/14(土) 22:20:27.98
>>345
>で、磐井は何を目指してたの?
>教えておくれ

そもそも戦いを始めたのは、大和に入れずうろうろしていた継体天皇だろ。
戦いをすると地盤を固めることができるからな。
先代の天皇と10親等も違うと苦労したんだろうな。
それで筑紫倭国相手に戦いを挑んだわけだ。
0367日本@名無史さん垢版2018/04/14(土) 22:22:29.03
>>347
>倭王は大陸から見た秩序であって、天皇の正統性は天孫降臨の時の
>天照大神の天壌無窮の神勅で保証されてるから、書く必要がないんだよ

天孫が降臨した倭国の都は筑紫
そのシンボルは伊都にあった八咫の鏡
0368日本@名無史さん垢版2018/04/14(土) 22:25:01.61
>>367
こんなわかりやすい説明をしてくれてるんだから

キナイコシは
天孫降臨した倭国の都
そのシンボルの八咫の鏡

そして
最低限の礼儀である、卑弥呼の墓


ハッキリと明示しなくっちゃ!!
0369日本@名無史さん垢版2018/04/14(土) 22:28:07.89
許してくだせえ

唐古鍵の大物主様に言われて
大物主様の妹のご主人である饒速日様から渡された
筑紫式送風管で

人気のない奈良湖のほとりで
ふうふう窯を吹いて、渡された鉄器を加工しただ。

オラがやったのはそれだけだ。
0370日本@名無史さん垢版2018/04/14(土) 22:30:54.33
あとは大物主様の墓を作ることに全力を尽くしただ。

唐古鍵と奈良湖の間のなーんも無い土地に
雨の日も風の日も
一生けん命に、土を運んで
よくわからない墓を一生懸命作っただ。

あとのことはよく知らないだ。

鉄器?

なんだそりゃ

知らないだ。

オラ知らないだ

許してけろ。
0371日本@名無史さん垢版2018/04/14(土) 22:31:00.82
逆流してフイゴが燃えなかったか?
0372日本@名無史さん垢版2018/04/14(土) 22:35:21.73
>>371
なんで知ってるズラ?

隣り村の若え者がフウフウ吹いてたら
なぜか火を吹いてぶっ倒れただ

怖えズラ

倭国は怖えズラ

けど逆らえないズラ

オラは家族のために

奈良湖のほとりで

渡された筑紫式送風管を

フウフウ

フウフウ

吹いただけズラ

ほれ、この通り!

土下座するから許してくだせえ!
0373日本@名無史さん垢版2018/04/15(日) 08:05:45.81
>>363
>交流や交易をしてても国境ってのはあるだろ。
>関門海峡なんて良い国境じゃないか

伊都国と奴国の間レベルの「国」境にはなるだろうが、
その上位概念の倭国とその他の間にはならないよ

伊都国と奴国は高祖山が国境だけれど、両方とも倭国内だろ?
それと一緒
0374日本@名無史さん垢版2018/04/15(日) 08:14:36.19
>>366
>それで筑紫倭国相手に戦いを挑んだわけだ。

畿内から派遣された近江毛野臣に向かって、磐井が「今爲使者、昔爲吾伴、摩肩觸肘、共器同食。
安得率爾爲使、俾余自伏儞前。」と言ったことから分かるように、磐井は元から大和朝廷の
一員だよ

そして、近江毛野「臣」姓よりも、筑紫「君」姓をもらっていることから、むしろ大王家に
近い家系とされていたことが分かる

あくまで、筑紫君という豪族は、大和朝廷の傘下だよ

九州王朝なんてない
0375日本@名無史さん垢版2018/04/15(日) 08:37:12.66
関門海峡は歴史的には両岸が一体となって発展してきたね。
0376日本@名無史さん垢版2018/04/15(日) 08:38:56.63
九州説では関門海峡以前に豊国も邪馬台国に含めませんよ。
0377日本@名無史さん垢版2018/04/15(日) 08:46:00.47
>>374
>そして、近江毛野「臣」姓よりも、筑紫「君」姓をもらっていることから、むしろ大王家に
>近い家系とされていたことが分かる
>あくまで、筑紫君という豪族は、大和朝廷の傘下だよ

ここ、自分で書いていておかしいと思わない?
君なのに大和朝廷の傘下?
筑紫王朝の大君を、あたかも大和朝廷があったったように記紀の記事を歪曲したんじゃない?
畿内での政治基盤が非常に弱かった継体が、締め付けのためにわざと戦乱を起こして利用したとも考えられるよね。
0378日本@名無史さん垢版2018/04/15(日) 09:01:19.56
関門海峡の東にはイツツヒコ大王の新羅系王国があったんだよ

九州や畿内とはバチバチだった
0379日本@名無史さん垢版2018/04/15(日) 09:04:36.34
イツツヒコ王国は任那と同盟して出雲王国を攻撃した

イツノオハバリの息子がタケミカヅチだからね

イツノオハバリの末裔がイツツヒコ

出雲は敗北し、九州を任那系勢力に明け渡した
0380日本@名無史さん垢版2018/04/15(日) 09:57:27.63
君は在地自生の豪族。大和朝廷とか存在せんけど。
朝政に参加くらいは合ったろうね。
0381日本@名無史さん垢版2018/04/15(日) 10:17:58.67
臣姓の中で、朝政に関わる最高位が「大臣」
連姓の中で、朝政に関わる最高位が「大連」
君姓の中で、朝政を執る最高位が「大君」なんだよ

もともとはね

ただ、臣姓、連姓、君姓、と言っても、基本的には概念的なもので
天武持統朝で、八色の姓を整備するまではかなりいい加減

記紀に記されている臣姓や連姓、君姓は、その整理後に後付けで遡って
使われているのも事実

初代から神武「天皇」と書かれているのと、ある意味同じ
0382日本@名無史さん垢版2018/04/15(日) 13:05:44.76
>>377
>ここ、自分で書いていておかしいと思わない?
>君なのに大和朝廷の傘下?

君姓はいわゆる皇別氏族に与えられるもので、日本書紀では磐井の筑紫国造家は
孝元天皇の子、四道将軍のオオビコの後裔氏族としているよ

まあ、後付けだけどね
0383日本@名無史さん垢版2018/04/19(木) 19:00:21.13
鉄器ゼロで銅鏡も無いから
自らの姿を見ることすらできずに
状況なんて理解できないんじゃないの?

毛人=ムダ毛処理ができずに毛がぼうぼうの野蛮人
0384日本@名無史さん垢版2018/04/19(木) 19:00:41.81
毛人=蝦夷=えみし

日本書紀の神武東征における歌に、
『えみしを ひたりももなひと ひとはいへども たむかひもせず』
毛人は、一人で百人力の強兵と、人は言うけど、戦いもせず降伏した。
とある。

つまり鉄器国家北部九州から東征した神武に、
鉄器を持たない毛人は簡単に敗北した、というとても分かりやすい記録だ。


その後の478年に、宋書の倭国伝に倭王武の上表文として、
『東征毛人五十五國』

鉄器を持たないムダ毛ぼうぼうの毛人は、
鉄器国家北部九州からみて東方に55集落あったのが、
全部5世紀以前に征服されたということだな。
0386日本@名無史さん垢版2018/04/21(土) 08:56:33.92
臣姓は、大王の同盟者で皇妃を出したりする
連姓は、大王の古来の随伴者という位置づけで皇妃は出さない
君姓は、大王の分家で欠史八代とか景行の息子からということになっているものが多い
0387日本@名無史さん垢版2018/04/21(土) 15:09:37.22
オレも邪馬台国畿内説はおかしいと考えて居るが一応歯止めして置くと邪馬台国が畿内で無くてもヤマトが邪馬台国と同系の南方系稲作倭人邦だった事は確か
0390日本@名無史さん垢版2018/04/21(土) 18:22:15.10
鉄器ゼロで銅鏡も無いから
髭や髪を剃ることができないし
自らの姿を見ることすらできないし

毛人=ムダ毛処理ができずに毛がぼうぼうの野蛮人
0391日本@名無史さん垢版2018/04/21(土) 18:22:25.78
毛人=蝦夷=えみし

日本書紀の神武東征における歌に、
『えみしを ひたりももなひと ひとはいへども たむかひもせず』
毛人は、一人で百人力の強兵と、人は言うけど、戦いもせず降伏した。
とある。

つまり鉄器国家北部九州から東征した神武に、
鉄器を持たない毛人は簡単に敗北した、というとても分かりやすい記録だ。


その後の478年に、宋書の倭国伝に倭王武の上表文として、
『東征毛人五十五國』

鉄器を持たないムダ毛ぼうぼうの毛人は、
鉄器国家北部九州からみて東方に55集落あったのが、
全部5世紀以前に征服されたということだな。
0394日本@名無史さん垢版2018/04/22(日) 13:15:58.31
>>390
>鉄器ゼロで銅鏡も無いから

銅鏡については

つ 桜井茶臼山古墳
桜井茶臼山古墳から出た鏡は、判定できたものだけで81面
その内訳は
三角縁神獣鏡       26面
内行花文鏡(国産)    10面
内行花文鏡(舶載)     9面
画文帯・斜縁・四乳神獣鏡 16面
半肉彫神獣鏡        5面
環状乳神獣鏡        4面
だ龍鏡           4面
細線獣帯鏡         3面
方格規矩鏡         2面
単き鏡           1面
盤龍鏡           1面

単一の墳墓からの出土としては、鏡種、枚数ともに倭国最多
完全に、九州説虎の子の平原1号墓の「上位互換」w
0395日本@名無史さん垢版2018/04/22(日) 13:18:30.39
>>390
>鉄器ゼロで銅鏡も無いから

鉄器については

◆FAQ 15
Q:鉄器の乏しい畿内の政権が覇権を握るのは無理だ!

A:倭人伝の描かれた卑弥呼の政権は覇権的でない。
 宗教的権威者を核に、各地の首長が自主的姿勢で政治力を求心的に集約(共立)したものであり、考古学が解明した3世紀の状況とよく整合する。

 一方、伐採用石斧の減少状況から鉄器の普及状態を推測すると、九州と畿内でも極端な格差が無い。準構造船(久宝寺南:庄内新)をはじめとする木製品の加工痕からみても、一定量の鉄器が普及していたと思われる。
 遺存例には大竹西遺跡の鉄剣(弥生後期初頭)や唐古鍵40次調査の板状鉄斧、痕跡では加美遺跡Y1号周溝墓の鉄斧による伐採痕や唐古鍵SD-C107鉄斧柄、纒向遺跡メクリ地区の大型鉄器を研磨したと推定されている大量の砥石(3世紀前半〜中頃)など。
 鍛冶を伴う遺構は纒向石塚の北東200m近辺出土の鞴羽口や鉄滓等(3世紀後半)、淀川・桂川圏で中臣遺跡(京都山科,弥生後〜古墳初)、西京極遺跡(京都市内,弥生後前)、和泉式部町遺跡(右京区,弥生後〜古墳初)、
南条遺跡(向日市,弥生後前)、小曽部芝谷遺跡(高槻,弥生後)、美濃山廃寺下層遺跡(八幡,弥生後後)、星ヶ丘遺跡(枚方,弥生後後)、鷹塚山遺跡(枚方,弥生後後)、木津川圏で田辺天神山遺跡(京田辺,弥生後〜古墳初)など。

 纒向での鉄利用状況については、大型建物D隣の大型祭祀土壙SK-3001より出土したヒノキ材(庄内3)の分析で、その加工痕及び周辺で植生上少ないヒノキの多用という状況から
「集落を包括した工人専業集団の発達がなされ、鉄器が一般使用または使用できる集落」(金原 2011)
 と結論されている。

 弥生終末期(庄内新相)の畿内中枢に於て遺物が直接土壌と接触しにくい墓制が普及し始めると同時に俄かに豊富な鉄器が登場するという状況を鑑みると、畿内の土壌の特性が鉄器の遺存状態に大きく影響していたことには疑問の余地が無い。
0396日本@名無史さん垢版2018/04/22(日) 14:53:34.69
>>394
>完全に、九州説虎の子の平原1号墓の「上位互換」w

肝心の内行花文鏡がやや小さく、上位互換ではないよ。
八咫の鏡ではないからね。
0399日本@名無史さん垢版2018/04/22(日) 17:00:19.71
茶臼山の被葬者が大王ではない可能性があるというだけ。
0401日本@名無史さん垢版2018/04/22(日) 17:08:59.55
4世紀の北部九州系支配者の墓だろ
0402日本@名無史さん垢版2018/04/22(日) 17:12:05.80
なんかもうキナイコシは憐れだな
0404日本@名無史さん垢版2018/04/22(日) 17:18:08.22
キナイコシは論理的に潰れているからなあ
0405日本@名無史さん垢版2018/04/22(日) 17:18:40.47
鉄器ゼロで銅鏡も無いから
髭や髪を剃ることができないし
自らの姿を見ることすらできないし

毛人=ムダ毛処理ができずに毛がぼうぼうの野蛮人
0407日本@名無史さん垢版2018/04/22(日) 17:19:28.82
毛人=蝦夷=えみし

日本書紀の神武東征における歌に、
『えみしを ひたりももなひと ひとはいへども たむかひもせず』
毛人は、一人で百人力の強兵と、人は言うけど、戦いもせず降伏した。
とある。

つまり鉄器国家北部九州から東征した神武に、
鉄器を持たない毛人は簡単に敗北した、というとても分かりやすい記録だ。


その後の478年に、宋書の倭国伝に倭王武の上表文として、
『東征毛人五十五國』

鉄器を持たないムダ毛ぼうぼうの毛人は、
鉄器国家北部九州からみて東方に55集落あったのが、
全部5世紀以前に征服されたということだな。
0408日本@名無史さん垢版2018/04/22(日) 17:19:49.79
683日本@名無史さん2018/04/15(日) 08:07:34.78
>>682
あのー
それだからダメだって言ってるんだが。

纒向の話をしているのに、
京都大阪までかき集めてどうすんの?

しかも京都大阪までかき集めてたったのそれだけ?
邪馬台国じゃないなあ、と思わないの?
北部九州の人がわずかに持ち込んだ鉄器を大事に大事に使ってたんだなあ、と思わないの?

【鉄器】
唐古鍵 板状鉄斧
大竹西遺跡 鉄剣(大阪府八尾市)
 <こ れ だ け>

【痕跡】
唐古鍵 鉄斧「柄」
加美遺跡Y1号周溝墓 「伐採痕」(大阪市)
久宝寺南遺跡 準構造船の加工痕(大阪府八尾市)

纒向遺跡 大量の砥石 大型鉄器を研磨したと「推定」


明らかじゃん。

ごくごくわずかな鉄器とその痕跡のうち、
3点が大阪で、八尾市に準構造船を伴っている。

北部九州倭人が鉄器を持って準構造船でやってきたわけだ。
0409日本@名無史さん垢版2018/04/22(日) 17:34:03.81
>>683
>【鉄器】
>唐古鍵 板状鉄斧
>大竹西遺跡 鉄剣(大阪府八尾市)
> <こ れ だ け>

どうしてこれを引用からはずすかねぇ?
「鍛冶を伴う遺構は纒向石塚の北東200m近辺出土の鞴羽口や鉄滓等(3世紀後半)」

これだけで、纏向遺跡に十分に鉄器があったことが分かるだろ?

鉄器ゼロっていうのは「大嘘」

しかも嘘に嘘を重ねている状態

九州説は、本当にまともな議論ができない人しかいない
まあ、まともに議論できる人は最初から九州説なんてお笑いネタは信じないから
当然なんだけどね
0411日本@名無史さん垢版2018/04/22(日) 17:38:50.30
>>409
で、纏向遺跡から出土した鉄器はどれ?

>鉄器ゼロっていうのは「大嘘」
0413日本@名無史さん垢版2018/04/22(日) 17:45:22.73
鉄器が無いのも問題だが、鉄鏃が無いのが決定的<倭人伝
0414日本@名無史さん垢版2018/04/22(日) 17:56:56.17
卑弥呼の纒向宮は鍛冶場の隣w

ありえないよw
0415日本@名無史さん垢版2018/04/22(日) 18:01:54.11
畿内説は、記紀との整合性も、魏志倭人伝との整合性も失い、卑弥呼がいた邪馬台国がどのような国であったかを示すことができなかった。
伊都国説なら、筑紫の日向で八咫の鏡を持つ倭国女王としての卑弥呼とその王墓、原始神道とや天皇家の祭祀との関わりまで説明できる。
0416日本@名無史さん垢版2018/04/22(日) 18:05:53.42
>>415
その平原遺跡より宗像方面の遺跡が歴史的価値が高い。  @阿波
0417日本@名無史さん垢版2018/04/22(日) 18:11:14.89
高級住宅地が製鉄所の隣りにあるのかw
0419日本@名無史さん垢版2018/04/22(日) 18:15:50.61
>>416
優劣つけがたし
0420日本@名無史さん垢版2018/04/22(日) 18:18:20.25
考古学から普通に考えると、
北部九州では小集落などからも鉄鏃が出土することから、
日常生活において狩りや練習に常用していたわけだ。

それが3世紀畿内では出ない。
代わりに石鏃や銅鏃が出る。

ホケノ山には鉄鏃があるのだから、
ホケノ山は周囲の領地に鉄鏃が出土する時代の古墳であるわけだな。

ということは、年代として、
大型建物群や唐古鍵など3世紀周囲集落と、
ホケノ山>箸墓は別時代、ということになる。

ホケノ山に三角縁神獣鏡が無いのだから、
大型建物群や唐古鍵など3世紀周囲集落と、
三角縁神獣鏡も無関係ということになる。
0421日本@名無史さん垢版2018/04/22(日) 18:25:37.46
>>420
>ホケノ山は周囲の領地に鉄鏃が出土する時代の古墳であるわけだな。

ホケノ山は倭国(阿波)の有力豪族のお墓だから。 そんなに小難しく考える必要はない。  @阿波
0422日本@名無史さん垢版2018/04/22(日) 18:33:29.96
「考古学から普通に考えると」と言って
考古学者が誰も言ってない結論を出すってことは

脳が普通でない
0423日本@名無史さん垢版2018/04/22(日) 18:44:26.42
キナイコシが思考停止しました
0424日本@名無史さん垢版2018/04/22(日) 19:07:36.30
>>414
>卑弥呼の纒向宮は鍛冶場の隣w

纏向遺跡の平面図をか確認してからいいなよ

「鍛冶を伴う遺構は纒向石塚の北東200m近辺出土」

「南北に建物の軸線を合わせた、柵で囲まれた3棟の建物」
がどれくらい離れているか、確認してみ?
0425日本@名無史さん垢版2018/04/22(日) 19:10:10.34
比定地の根拠は、
考古学的に確認できる大規模集落のある地域であることと、
魏志倭人伝に示された国名と日本の地名との音韻上の一致だよ

魏志倭人伝の旅程では、末慮国までしか行き着けない
対馬⇒壱岐ですら、南ではなく東方向にずれてるからね

魏志倭人伝の表記   遺跡            地名
末慮国        宇木汲田遺跡・千々賀遺跡  松浦
伊都国        三雲遺跡群         怡土 糸島
奴国         須玖岡本遺跡・比恵那珂遺跡 儺県 那の津 那珂
投馬国        西谷墳墓群他        出雲
邪馬台国       纒向遺跡他         大和

投馬国の上古音はdug-mag、カタカナ表記をすれば「ヅマ」
イズモの最初の母音が弱声化すれば「ズモ」であり、投馬国「ヅマ国」とかなり近い
五万戸の大国に当てられるのは出雲くらいしかないこともあり、この比定で
問題ないだろう
0426日本@名無史さん垢版2018/04/22(日) 19:14:21.56
あと
次有 斯馬國  (伊勢)志摩
次有 已百支國  伊吹
次有 伊邪國   これが分からない
次有 都支國   土岐
次有 彌奴國   美濃

くらいまでの、行けるんじゃないかなと思う 
0427日本@名無史さん垢版2018/04/23(月) 15:09:54.90
驚いたな。。。
古事記に神功皇后という天皇の妻が、大活躍することが書かれているよ。。。
何者だろうか。。。
0428日本@名無史さん垢版2018/04/23(月) 23:54:11.46
次有 斯馬國  志摩  三重県
次有 已百支國 伊吹  岐阜県
次有 伊邪國  揖斐? 岐阜県
次有 都支國  土岐  岐阜県
次有 彌奴國  美濃  岐阜県
次有 好古都國 博多?
次有 不呼國  
次有 姐奴國  科野? 長野県
次有 對蘇國  土佐? 高知県
次有 蘇奴國  佐野? 栃木県
次有 呼邑國  児湯? 宮崎県
次有 華奴蘇奴國←華奴國?
次有 鬼國   紀国  和歌山県
次有 爲吾國  伊賀  三重県
次有 鬼奴國  
次有 邪馬國
次有 躬臣國
次有 巴利國  
次有 支惟國  紀伊? 和歌山県
次有 烏奴國  ?
次  有奴國  宇野? 岡山県

もうちょっと考えんとあかんな
0429日本@名無史さん垢版2018/04/24(火) 08:13:38.87
【邪馬台国の周辺の国】
1番 斯馬国は志摩(嶋)郡(福岡県糸島市)
2番 己百支国は伊万里(佐賀県)
3番 伊邪国は平戸島(長崎県平戸市)または伊那国(長崎県諫早市)
4番 都支国は早岐(長崎県佐世保市早岐)
5番 彌奴国は嶺(佐賀県みやき町三根)
6番 好古都国は?
7番 不呼国は?
8番 姐奴國は曽根(佐賀県神埼市神埼町本堀曽根ヶ里)
9番 對蘇国は鳥栖(佐賀県鳥栖市柚比町)の安永田遺跡
10番 蘇奴国は?
11番 呼邑国は佐賀県小城市
12番 華奴蘇奴国は佐賀県神埼市の吉野ケ里遺跡
13番 鬼国は?
14番 爲吾国は伊古(長崎県雲仙市瑞穂町伊古遺跡)
15番 鬼奴国は小郡(福岡県小郡市)
16番 邪馬国は八女(福岡県八女市)の室岡・亀ノ甲遺跡
17番 躬臣国は玖珠(大分県玖珠郡玖珠町)
18番 巴利国は杷木(福岡県朝倉市)または針磨(福岡県筑紫野市針摺)
19番 支惟国は基肄城趾(佐賀県三養基郡基山町)
20番 烏奴国は大野城趾(福岡県大野城市)
21番 奴国は那の縣(福岡県福岡市)の再掲

邪馬台国(倭国)の範囲はおおむね筑紫と肥国から肥後狗奴国を除いた範囲であり、半時計回りに周旋5000里である(対馬海峡が3000里)。
魏志倭人伝には、東に海をわたったところにも倭人がいると記載され、本州と四国のことと考えられる。
狗邪韓国 朝鮮半島南岸
対海国 長崎県対馬市、一大国 長崎県壱岐市
末廬国(諸説あり)
伊都国 糸島市前原(旧怡土郡)、奴国 福岡市博多(那の津)→邪馬台国(女王の都)
不彌国 福岡市東区(香椎宮)
投馬国 宮崎県西都原市(都万神社)
https://i.imgur.com/pJ1R6Kh.jpg
0430日本@名無史さん垢版2018/04/24(火) 08:31:53.87
>>429
>不彌国 福岡市東区(香椎宮)
>投馬国 宮崎県西都原市(都万神社)

倭人伝の記述からして不彌国は春日とかもっと内陸じゃないかな
投馬国は九州内じゃなくて朝鮮半島南岸の地域だよ
傍国の位置は北部九州内だけど何とも言えんな。
0431日本@名無史さん垢版2018/04/24(火) 08:33:51.65
>>424
鉄器が出ないのに鍛冶場だけあったのw
0432日本@名無史さん垢版2018/04/24(火) 09:11:08.67
>>431
つまり鉄器が出るか、出ないかには
あまり意味がない

これ、結論
0434日本@名無史さん垢版2018/04/24(火) 09:21:00.34
>>433
というトンデモ説が論理的に潰れているな


w
0435日本@名無史さん垢版2018/04/24(火) 09:33:01.57
鉄器がないのに鍛冶場なんてあるはずがないな
鍛冶場ってのは願望で実際には別の施設なんだ。
0436日本@名無史さん垢版2018/04/24(火) 09:33:24.89
不彌国は福間
0437日本@名無史さん垢版2018/04/24(火) 09:40:30.30
>>436
呼子から糸島までが500里
糸島から200里で福間までは行けないな。
0438日本@名無史さん垢版2018/04/24(火) 10:58:56.74
>>437
奴国が抜けてるぞ。

末盧国→伊都国→奴国→不彌国
0439日本@名無史さん垢版2018/04/24(火) 11:05:14.10
>>438
抜けてないですよ
伊都国→奴国100里
奴国→不彌国100里
∴伊都国→不彌国200里
0440日本@名無史さん垢版2018/04/24(火) 11:48:37.36
>>435
>鉄器がないのに鍛冶場なんてあるはずがないな

この「はずがない」ってところが願望なんだよ

鉄器ゼロって書けなくなって残念だね
鉄滓が出ていて、鞴羽口も確認されている鍛冶場が、纏向遺跡の内側で見つかっているんだから

砥石は大量に出ているし、石庖丁が消えるのもむしろ早い

鉄がなかったと想定するのがもともと無理だったんだよ
0441日本@名無史さん垢版2018/04/24(火) 11:51:34.52
>>436,−>>439
というか、末慮国からの、東南陸行五百里で伊都国には到達しないことを
まず認めた方がいいと思う

これは、佐賀方面に抜ける、古い時代の別の旅程の混入だろう

魏志倭人伝は、いろんな時代の記録をまとめて撰述してあるんだけれど、
そのときにごっちゃになっている部分が多い、という認識で読むべきだと思う
0442日本@名無史さん垢版2018/04/24(火) 12:07:10.42
>>441
「東南陸行五百里 到伊都國」ですから末廬国から伊都国までが東南方向に向かって500里である
呼子付近から南へ進み唐津市付近で東へと方向を変え進んだんだよ
福岡市付近が奴国でありく早良区の南を横切って那珂川町や春日市、大野城市付近が不彌国である。
0443日本@名無史さん垢版2018/04/24(火) 12:57:53.70
>>442
おいおい
勝手に方角変えちゃダメだろ
倭人伝にそんなこと書いてないのに
史料歪曲はイカン
0444日本@名無史さん垢版2018/04/24(火) 14:57:30.31
>>439
鋭い。

いやあ、久々に一本取られたわw

音の響き重視で里数まで考えていなかった。

その通りだろう。

不彌国は福岡市東区の香椎あたりにあったちっぽけな国で、とっくの昔にその地名は
消滅してしまったのだろう。
0445日本@名無史さん垢版2018/04/24(火) 15:09:10.34
>>444
方角からして香椎じゃなくてもっと内陸だよ
糸島市から県道56号線を進んで珂川町、春日市、大野城市付近だろうな。
0446日本@名無史さん垢版2018/04/24(火) 16:50:21.16
香椎宮なら、集落の大きさがどうというよりも非常に重要な場所ということになる。
0447日本@名無史さん垢版2018/04/24(火) 17:14:16.95
>>442
>呼子付近から南へ進み唐津市付近で東へと方向を変え進んだんだよ

ザラコクもそうだけど、九州説の人間は、すぐに勝手に書いてもいない方向転換をするよなw

それに、それからさらに北上しないと伊都国には着かないよ?
唐津から東に行っても、雷山の南の山の中に迷い込むだけ

せめて地図を見てから書き込んだ方がいいよ?
0448日本@名無史さん垢版2018/04/24(火) 17:55:25.66
>>447
現地の感覚だと
呼子付近から唐津へは南下、唐津から糸島へは東だよ
地図を見てるだけでは分からいかも知れないが。
0449日本@名無史さん垢版2018/04/24(火) 18:01:41.83
>>448
本当に現地へ行った?
具体的には、どういうコース?

???
0450日本@名無史さん垢版2018/04/24(火) 18:03:56.07
つべこべ言わずに現地に行ってこい。
0451日本@名無史さん垢版2018/04/24(火) 19:13:18.62
オフコース
0452日本@名無史さん垢版2018/04/24(火) 19:18:39.52
九州説の人は現地をぜんぜん知らない
ということで、FA?
0453日本@名無史さん垢版2018/04/24(火) 19:23:38.54
キナイコシ日課のシャドーボクシングでFA
0454日本@名無史さん垢版2018/04/24(火) 19:29:55.14
>>453
九州説は、また降参ですか?
0455日本@名無史さん垢版2018/04/24(火) 19:45:57.83
倭人 北部九州の紀元前から鉄器を持つ、見た目の爽やかな文明人
倭種 北部九州倭国から東に渡海千里、日本海沿岸の(同上

毛人=鉄器ゼロでムダ毛処理のできない、ムダ毛ぼうぼうの野蛮人
0457日本@名無史さん垢版2018/04/24(火) 20:11:26.81
今日も九州説が論理的に潰れたか
0458日本@名無史さん垢版2018/04/24(火) 20:29:02.81
毛人だからって怒らなくてもいいのに。

同じ親兄弟でも、
北部九州倭国に住んでいれば、
鉄製刀子でムダ毛処理して、3世紀東夷世界標準の文明人。
鉄器があるなんて当たり前だから、陳寿もわざわざ書いたりしない。

同じ親兄弟でも、
鉄器ゼロ地域に環濠集落つくって入植しちゃったりしたら、
ムダ毛処理できなくなって、
髭ぼうぼうムダ毛ぼうぼうの毛人。

3世紀もなって鉄器ゼロなんて驚異の未開集落発見だから、
陳寿だったら絶対に書く!
0471日本@名無史さん垢版2018/04/24(火) 21:52:43.80
キナイコシが流しているということは
正しいことw
0484日本@名無史さん垢版2018/04/24(火) 23:11:38.78
>>471
どんどん
0489日本@名無史さん垢版2018/04/24(火) 23:48:27.01
なるほど。

sage連打だけでなく、
一言レスで流すのも、

キナイコシだったわけだな。
0490日本@名無史さん垢版2018/04/24(火) 23:58:22.49
>>448
現地ではそんな感じだよね
0492日本@名無史さん垢版2018/04/25(水) 10:20:18.72
根拠なく、嘘でも何でもとにかく言えばいいっていう態度だから、九州説はバカだって言われるんだよ
0495日本@名無史さん垢版2018/04/25(水) 16:47:12.28
>>491
余裕で間違えると思うよ〜
後の時代でも北部九州の海岸線は間違ってる地図が多いし
0496日本@名無史さん垢版2018/04/25(水) 16:49:12.78
キナイコシが追い詰められて荒らしているスレはここですか?
0500日本@名無史さん垢版2018/04/25(水) 19:35:45.46
倭人 北部九州の紀元前から鉄器を持つ、見た目の爽やかな文明人
倭種 北部九州倭国から東に渡海千里、日本海沿岸の(同上

毛人=鉄器ゼロでムダ毛処理のできない、ムダ毛ぼうぼうの野蛮人
0501日本@名無史さん垢版2018/04/25(水) 19:37:31.40
毛人=蝦夷=えみし

日本書紀の神武東征における歌に、
『えみしを ひたりももなひと ひとはいへども たむかひもせず』
毛人は、一人で百人力の強兵と、人は言うけど、戦いもせず降伏した。
とある。

つまり鉄器国家北部九州から東征した神武に、
鉄器を持たない毛人は簡単に敗北した、というとても分かりやすい記録だ。


その後の478年に、宋書の倭国伝に倭王武の上表文として、
『東征毛人五十五國』

鉄器を持たないムダ毛ぼうぼうの毛人は、
鉄器国家北部九州からみて東方に55集落あったのが、
全部5世紀以前に征服されたということだな。
0503日本@名無史さん垢版2018/04/26(木) 06:39:56.90
鉄器ゼロの倉庫群は事実だな。
祭祀場だから鉄器ゼロと苦しい言い訳しても
周囲集落にも鉄器ほぼゼロ。
0504日本@名無史さん垢版2018/04/26(木) 10:48:35.23
纏向遺跡内に鉄鍛冶場があるんだがな
鉄器ゼロ、または、よそから移入した少量の鉄器しかないなら
鉄鍛冶は必要ないだろ?

大量の砥石も出てるし、十分量の鉄器を使っていたのは確実
出ない理由を考える方が、古代史を考える上で有意義

唐古鍵40次調査の板状鉄斧、唐古鍵SD-C107鉄斧柄
纒向遺跡メクリ地区の大型鉄器を研磨したと推定されている大量の砥石(3世紀前半〜中頃)
纒向石塚の北東200m近辺出土の鞴羽口や鉄滓等(3世紀後半)
0505日本@名無史さん垢版2018/04/28(土) 16:50:41.82
おーい、毛なしさん!

このスレ、放置してないで、どんどん書き込みしてよ!
0507日本@名無史さん垢版2018/04/28(土) 19:26:56.72
>>504
>九州説がひたすら恥を晒すスレはここですか?

このスレに限らないけどねww
0508日本@名無史さん垢版2018/04/28(土) 23:07:19.52
毛なしさ〜ん!
サボってないで、書き込みに来てよ〜
0509他スレをあらすな垢版2018/04/29(日) 15:31:03.32
さらしあげ
0510日本@名無史さん垢版2018/04/30(月) 00:25:38.29
毛なしさ〜ん!
サボってないで、書き込みに来てよ〜
まだ〜?
0511日本@名無史さん垢版2018/04/30(月) 07:48:25.22
九州説は嘘ばかりつくよな

九州北部に住んでたら北が海まではいいけど、それでどうして東西の軸線が曲がるんだよ
0513日本@名無史さん垢版2018/04/30(月) 19:13:29.73
そっか太陽信仰だから夏至の日が始まりなんだな
0514日本@名無史さん垢版2018/04/30(月) 20:52:42.67
夏至が基準と言ったところで、末慮国ー伊都国間は南東にはならないんだけど?
0515日本@名無史さん垢版2018/04/30(月) 22:41:33.60
>>512
>古代の方向感覚は夏至が基準だからねしょうがないね。

大陸ではそんなことなく北は北なんだが?
0517日本@名無史さん垢版2018/05/01(火) 07:26:58.24
なるよ、の3文字で現実の地勢が動いてらびっくりだわ
驚天動地ってヤツやね

末慮国の比定地は名護屋浦湾にはならんよ
そして名護屋浦湾にしたところで、夏至の日の出基準にしてなお、南東にはならない

無理押ししてもこれは無駄
0518日本@名無史さん垢版2018/05/01(火) 08:27:33.71
伊都国の位置から上陸地点である末盧国を推定する方が簡単じゃないか?
0519日本@名無史さん垢版2018/05/01(火) 08:57:26.89
地図ではなく
地理認識方角認識なんだから
歴史は人間が記述してるんだぞ。

登山したことある?
書を捨てて外に出てたまには太陽見た方がいいぞ。どっちが東ってどうやって人類が方向を認識して来たと思ってるのか?

神にでもなったつもりか?(
0521日本@名無史さん垢版2018/05/01(火) 10:55:28.58
>>518
>伊都国の位置から上陸地点である末盧国を推定する方が簡単じゃないか?

きわめて論理的だね
賛同する

そして、伊都国の位置が糸島平野の三雲遺跡群の辺りとすると、
末慮国は海の上になる

つまり、魏志倭人伝の方角・里程は「あてにならない」ことがはっきりする訳だ

個人的には、末慮国からの東南陸行五百里は、伊都国ではない別の国、例えば
佐賀や筑紫平野の吉野ヶ里近辺に行く旅程が、伊都国への旅程のところに紛れ込んだのだと
考えているよ
0522日本@名無史さん垢版2018/05/01(火) 10:58:08.42
>>519
>登山したことある?

登りやすい国内の3000メートル級の山、4つくらい登ったかな
富士山も登ったよ

で、登山に行って地図を見るときに、方角を間違えたら遭難するよ
今は夏至に近いからといって、方角を30度まわしていたら、道なき道を
とらなければならなくなる

根拠になってないし、たとえ話としても稚拙
0523日本@名無史さん垢版2018/05/01(火) 11:01:13.44
>>519
>地図ではなく
>地理認識方角認識なんだから
>歴史は人間が記述してるんだぞ。

つまり、魏志倭人伝に書いてある地理・方角は、現実の地図とは関わりなく
陳寿の認識に従って書かれているという主張だね?

まさに、畿内説の主張と同じじゃないか

陳寿が、倭国を南北に長く連なる列島だと認識していたから、南と書いたというのが
畿内説の主張なんだから
0526日本@名無史さん垢版2018/05/01(火) 11:30:07.99
>>525
>陳寿の認識というと嘘になる。正確ではない。

まあ、陳寿の、というよりも、大陸史家の常識としての倭地の認識だわな
0527日本@名無史さん垢版2018/05/01(火) 14:22:33.19
>>521
名護屋浦に上陸したとすれば500里(40q)南に進んで東に進めば糸島市につきますね。
0528日本@名無史さん垢版2018/05/01(火) 14:36:41.70
福岡の筑紫が最初なら、卑弥呼も邪馬台国も
福岡でいいんでない?何を皆悩んでるの?
0530日本@名無史さん垢版2018/05/01(火) 14:50:00.44
>>528
>福岡の筑紫が最初なら、卑弥呼も邪馬台国も
>福岡でいいんでない?何を皆悩んでるの?

大和朝廷は、最初は奈良にあったけれど、天皇の御所は長らく京都にあったし、
奈良の大和が最初だからといって、桓武天皇も後桜町天皇も奈良でいいってことにはならないだろ?

そのときそのときの、天皇の御所がどこかを検討しなければならない

3世紀の中頃に、魏に使いを送った女王の3世紀半ばの居所を探ろうってことなんだから
0531日本@名無史さん垢版2018/05/01(火) 15:00:32.68
>>527
>名護屋浦に上陸したとすれば500里(40q)南に進んで東に進めば糸島市につきますね。

ものすごく適当なことを書いているよな
その500里のうち、どれだけ南に進んで、どれだけ東に進むんだ?

糸島市ってごまかしているけれど、伊都国比定地は、三雲遺跡群のあたりだから
糸島市の南限に着いてもしょうがないぞ
それに、糸島市の市境の南限でも、唐津湾の南限より北だから、北上しなければならないし

三雲遺跡群のあたりは、名護屋浦よりもむしろ北
唐津湾を回り込んだら、相当北上しないといけないし
そんな行程は、東南陸行五百里とは書かれないだろう

書けばいいってもんじゃないよ
0533日本@名無史さん垢版2018/05/01(火) 15:53:08.80
>>523
伊都国までの道のりの違いは
それこそ、出発方向だとか、現地人の感覚では南東だとか、夏至のための誤差だとか、まだ考えられる理由だけど、畿内説の南→東はさすがになぁ…

日本海側は大陸との行き来が卑弥呼以前に既にあった訳だし、日本列島が南に延びてるという間違いを気づかなかったとは考えられない
海の航行でそうそう何百年も90度も間違った方向感覚のままというのはありえないと思う
0534日本@名無史さん垢版2018/05/01(火) 16:05:30.38
>>531
名護屋浦に上陸しだいたい南の方角に進めば唐津付近に着く
そこからだいたい東に進めば糸島
上陸した名護屋浦から500里進んだ所までが末慮国で
500里先が伊都国
500里の場合は末慮国と伊都国の国境だから三雲遺跡群よりずっと手前の場所。
0535日本@名無史さん垢版2018/05/01(火) 16:17:07.45
>>534
だから、「名護屋浦に上陸」なんてトンデモを考えるから、こんがらがるんだよ。  @阿波
0536日本@名無史さん垢版2018/05/01(火) 17:38:06.43
>>534
>名護屋浦に上陸しだいたい南の方角に進めば唐津付近に着く

大体南の方角に進む道がない

>そこからだいたい東に進めば糸島

東に進んでも、佐賀県と福島県の県境の山並み、雷山とかのの南側にしか行けないよ
この山越えはかなりきついから、通常は唐津湾に沿って海岸沿いを行くしかないとされている
大体東なんてのは、いい加減の極み

>上陸した名護屋浦から500里進んだ所までが末慮国で
>500里先が伊都国
>500里の場合は末慮国と伊都国の国境だから三雲遺跡群よりずっと手前の場所。

これ、書いてておかしいと思わなかった?
これだと500里が、「末慮国ー伊都国間の距離」ではなく、「末慮国の通過にかかる距離」になってるぞ?

そして、これで伊都国に到りました
そこから百里で奴国となっているけれど
>>534の読み方だと、伊都国に到ったところまでで500里だから、まだ伊都国の境界にしか着いてない
そこから三雲遺跡群・伊都国の中枢まででも、短里とやらだと100里以上になるぞ
奴国は伊都国の国内で、三雲遺跡群より末慮寄りの地点ってことになる

矛盾だらけだろ

末慮国を名護屋浦湾にすれば、伊都国が南東と言えば言えるというだけの理由で無理をしても整合的な解釈にはならないんだよ
論理的に潰れちゃってるだろ?

結局、魏志倭人伝の方角・里程は、正しくない、あてにならない、という事にしかならないんだよ
0537日本@名無史さん垢版2018/05/01(火) 17:41:15.74
>>533
>日本列島が南に延びてるという間違いを気づかなかったとは考えられない

歴史書を書く人たちは、現地を見ている訳ではないからね
そして、山海経や淮南子、論衡等の古書の世界観のイメージも刷り込まれている

そういう世界観から見ると、倭国は南北に長く伸びていないと「おかしい」ことに
なるんだよ
0538日本@名無史さん垢版2018/05/01(火) 17:56:24.34
つまり、中国人から見た倭国とは、過大評価された九州。
0539日本@名無史さん垢版2018/05/01(火) 18:07:11.77
>>536
だから、「名護屋浦に上陸」なんてトンデモを考えるから、こんがらがるんだよ。  @阿波
0540日本@名無史さん垢版2018/05/01(火) 18:09:33.91
>>538
>つまり、中国人から見た倭国とは、過大評価された九州。

いんや、向きの変わった日本列島だろ
周旋五千余里って書いてあるじゃない
0541日本@名無史さん垢版2018/05/01(火) 18:15:58.83
>>536
>大体南の方角に進む道がない

東松浦半島は高い山も無いし、今でもいい道じゃありませんが東松浦半島内には道が縦横に走ってますよ
集落も田畑も在りますし古代に進む道がないなんてとは有り得ないです。

>通常は唐津湾に沿って海岸沿いを行くしかないとされている

唐津から海岸沿いに糸島まで行ったんですよ
山越えとかは大変ですけど、海岸沿いなら歩き易いですから。

>これだと500里が、「末慮国ー伊都国間の距離」ではなく、「末慮国の通過にかかる距離」になってるぞ?

末慮国の通過にかかる距離が「東南陸行五百里 到伊都國」なんですよ
伊都国の端に着いたら「到伊都國」
その前の「又渡一海千餘里 至末廬國」も末廬国の北の端に着くまでが1000里
その前の「又南渡一海千餘里 名曰瀚海 至一大國」も「始度一海千餘里 至對馬國」も同じなんですね。

>そこから三雲遺跡群・伊都国の中枢まででも、短里とやらだと100里以上になるぞ

名護屋浦の奥に着けば三雲遺跡群・伊都国の中枢の5qくらい手前が国境でしょう
そこから4qくらい先が奴国との国境
1里80mとして100里は8km
五百里や百里と切りよく書かれてますが
だいたいの距離でしょうから500里なら1割誤差で36q〜45q
100里なら7q〜9q
矛盾無く計算上は合いますね。
0542日本@名無史さん垢版2018/05/01(火) 18:30:22.24
>>541
>山越えとかは大変ですけど、海岸沿いなら歩き易いですから。

はい、>>534で「そこからだいたい東に進めば糸島」ってのと合わない事を言い出したね
海岸沿いなら、ほぼ北向きになるよ

名護屋浦に上陸して、東南陸行で伊都国は、現実の地理を無視した牽強付会
もう、相手してもしょうがなさそうだな

「道があるはず」というのと、「魏使を歩かせる道」では、大きな開きが
あるのに気づいてね

地図にはまともに載ってすらいないけれど、南向きの道もあるはずだから、
大国からの使者であってもつべこべ言わずに歩けってのは暴論
0543日本@名無史さん垢版2018/05/01(火) 18:52:54.42
>>542
松浦から海岸沿いに糸島に歩いたら僅かに北ですけどほぼ東ですよ
正確に南、東じゃなくてだいたいですよ。
東松浦内に道がないとか現地に行ったことがない人の言い分ですね。
魏使は正確な地図を持って旅したんじゃなくて自分進んだ方向や距離を記録したんですから、だいたいの距離や方向ですよ。
0544日本@名無史さん垢版2018/05/01(火) 18:53:57.27
>>542
地図に道は載ってますよ?
地図も見てないの???
0545日本@名無史さん垢版2018/05/01(火) 19:02:50.89
>>542
だから、「名護屋浦に上陸」なんてトンデモを考えるから、こんがらがるんだよ。  @阿波
0546日本@名無史さん垢版2018/05/01(火) 19:39:05.00
唐津や名護屋浦が在るのは東松浦半島で名前からして末慮国の東の端っこ
末慮国の中心地は伊万里付近であろう。
0547日本@名無史さん垢版2018/05/01(火) 19:55:07.61
>>545
名護屋浦に上陸だと魏志倭人伝の記述通りですよ
倭人伝を信じるなら名護屋浦に上陸ですよ。
0548日本@名無史さん垢版2018/05/01(火) 19:58:32.76
>>547
>名護屋浦に上陸だと魏志倭人伝の記述通りですよ

で、名護屋浦が大陸からの玄関口だと? 玄関口だった痕跡はなに?  @阿波
0549日本@名無史さん垢版2018/05/01(火) 20:53:02.97
>>543
>松浦から海岸沿いに糸島に歩いたら僅かに北ですけどほぼ東ですよ

名護屋浦に上陸して、南下して、東行して、北上して、スタート位置から
わずかに北の地点へ行くのを、「東南陸行」五百里とは書かないでしょ?

不正確な記述だってこと
それを正しいと言い張るために、名護屋浦湾とか持ち出したところで、
結局「東南」にはなっていない

素直に、松浦の地名のある唐津湾奥に上陸で、千々賀遺跡などがある辺りが
末慮国の中心と認めた方が、自然だし分かりやすいでしょ?

旅程記事と読んでいる部分も、大陸で史書を読む人にとっては、倭国の
地理の紹介記事に他ならないんだから、それぞれの国の中心位置を
示す書き方でないと読む人にとっては訳が分からない

名護屋浦湾に上陸して五百里歩く間が末慮国、という読み方を提案しているけれど、
それでは、末慮国はどこなのってのが分からないでしょ

五百里行ったところが、伊都国の端っこの入り口、という主張だけれど、
当時は国境線なんてないんだから、入り口っていってもどこを指すの?って
ことにしかならないよ
0550日本@名無史さん垢版2018/05/01(火) 21:17:16.39
>>549
>素直に、松浦の地名のある唐津湾奥に上陸で、千々賀遺跡などがある辺りが
末慮国の中心と認めた方が、自然だし分かりやすいでしょ?

だけど
「甕棺と銅鉾、銅戈などが出土した千々賀庚申遺跡、銅の腕輪が出土した千々賀宇ノ木遺跡」
では、大陸・半島の匂いが皆無ですね。 とても玄関口には感じられない。  @阿波 
0551日本@名無史さん垢版2018/05/01(火) 21:18:41.93
なんで末盧の話してんの? 畿内か九州かと関係なくね?
0552日本@名無史さん垢版2018/05/01(火) 21:21:37.75
>>551
末盧國如何で九州説の存亡に懸かるからね。  @阿波
0553日本@名無史さん垢版2018/05/01(火) 21:27:27.05
>>552
尤も、「其山有丹」で邪馬台国論争資格はないんだが。  @阿波
0555日本@名無史さん垢版2018/05/01(火) 21:36:36.40
>>549
人間の感覚では自分は東西南北のどちらに進んでるくらいの感覚はありますけど
東北東とか南南東とかまではなかなか分かりませんし
わずかに北の地点に着いたとか地図を見ないと分かりませんよ
要は倭人伝は実体験に基づいて書かれてるってことで
出鱈目や嘘は書いてないってことですよ。
0556日本@名無史さん垢版2018/05/01(火) 21:39:29.13
松浦に上陸するわけないだろ。あそこは船出する場所。
0557日本@名無史さん垢版2018/05/01(火) 23:01:12.75
>>555
>東北東とか南南東とかまではなかなか分かりませんし

ぐたぐたごねてきて、結局「魏志倭人伝の記述は正確ではない」ってことにしかならないだろ
末慮国から伊都国の方角は、どうごねても南東にはならないんだよ

だったら無理に名護屋浦湾とか持ち出して、東南五百里はすべて末慮国内の移動とか
馬鹿らしいと思わないかい?

ものすごく不自然な読み方だろ?
0558日本@名無史さん垢版2018/05/03(木) 14:25:48.22
また論理的につぶれちゃったね、九州説が

九州説に論説はみんな、不自然だけど解釈次第ではあり得なくはないだろって言うのを
多数積み上げることでしか成り立たない

その一つ一つはあり得なくはなくとも、相互に繋ぐと結局は矛盾する

結局はそんなのばっかり
0560日本@名無史さん垢版2018/05/03(木) 15:22:52.65
短里
水行の起点は帯方郡
島巡り仮説

この辺が九州説の無理読みだね

あと、一大率は首都にいる、なんてのもあるね
0561日本@名無史さん垢版2018/05/03(木) 22:07:37.84
九州説は、魏志倭人伝の文面しか頼るものがないから、魏志倭人伝の文言は
絶対に正しいという「魏志倭人伝原理主義」を唱えがち

その一方で、定義すらない「短里」で読めば正確に読めるなどと夢見がちなことを言う

でも>>557までの議論でも分かるように、末慮国ー伊都国間の東南陸行五百里は、
どうやっても正しい旅程にはならない

魏志倭人伝は「参照」しながら、考古学的な成果に依拠しながら3世紀当時の状況を
考えていくという読み方以上はできないと考えた方が建設的
0562日本@名無史さん垢版2018/05/04(金) 03:36:31.34
あげ
0563日本@名無史さん垢版2018/05/04(金) 08:38:31.25
上げるより、意味のある書き込みをしてよ

ああ、能力的に無理なのか
荒らし行為しかしてないものな
0564日本@名無史さん垢版2018/05/04(金) 09:41:26.26
例えば>>559みたいな九州説への批判を、何の根拠も示さずに
ただ一行書きで畿内説側にオウム返しするだけって言うのも九州説によく見る書き込みだよね

こういう詐欺師の詐話法をどこで学ぶんだろうね、九州説は
0565日本@名無史さん垢版2018/05/04(金) 16:39:23.55
九州説の言うことって、たった一例しかないのをいいことに、適当なことを
言い出して、ここに実在することが証拠、としか言わないんだよな

島巡り仮説なんてのが、その最たるもの
0566日本@名無史さん垢版2018/05/04(金) 16:41:09.07
検証不能なものはそもそも学説にはならないってのが分かっていない
0567日本@名無史さん垢版2018/05/04(金) 16:41:21.98
そして、検証不能なのを楯にとって、否定はできないだろう式の
「悪魔の証明」論法に持ち込む
0568日本@名無史さん垢版2018/05/04(金) 16:42:06.79
その前に、肯定すべき根拠をあげて論証する挙証責任が、
その仮説を提出した側にあることを、全無視する
0569日本@名無史さん垢版2018/05/04(金) 16:43:06.09
まあ、今どきの九州説なんて、迷惑目的の確信犯しかいないから
そんな論法が平気で使えるんだろうけど
0570日本@名無史さん垢版2018/05/04(金) 16:44:42.49
平原1号墓出土鏡が、八咫の鏡だと言えなくなったら
事実上、「伊都国が都」説は無意味になるから、うるさいのが一つ減る
0571日本@名無史さん垢版2018/05/04(金) 21:29:05.14
結局「伊都国が都」説は、平原1号墓が卑弥呼の墓だからっていうのが前提だからな
そして、卑弥呼の墓だという主張は「八咫の鏡」があるからってのが根拠だから
それが否定されたらどうしようもないわな
0572日本@名無史さん垢版2018/05/05(土) 07:07:36.38
魏志倭人伝で、外交官が駐留して、内政官が治めていている。
考古学的には代々の王墓や宗廟がある。
伊都が倭の王都であることは明白であり、八咫の鏡はそれをさらに補強するだけのこと。
0573日本@名無史さん垢版2018/05/05(土) 07:21:49.10
>>572
代々の王墓や宗廟があるって証拠は?
0574日本@名無史さん垢版2018/05/05(土) 07:47:59.49
>>571
>結局「伊都国が都」説は、平原1号墓が卑弥呼の墓だからっていうのが前提だからな

前提じゃなくて「伊都国が都」とすると平原1号墓が卑弥呼の墓である可能性が高いですよ
倭人伝を熟読すると「伊都国が都」であるとの結論が得られる
100%と平原1号墓が卑弥呼の墓だと主張しているのではない。
0575日本@名無史さん垢版2018/05/05(土) 07:50:27.96
>>574
>倭人伝を熟読すると「伊都国が都」であるとの結論が得られる

「其山有丹」で即アウト!  @阿波
0577日本@名無史さん垢版2018/05/05(土) 08:29:30.19
阿波には卑弥呼の墓があるの?
0578日本@名無史さん垢版2018/05/05(土) 08:49:24.83
>>577
>阿波には卑弥呼の墓があるの?


卑弥呼は天照大神=大宜都比売=御食津神=豊受大神で表しているのでしょう。

お墓は「天石門別八倉比賣神社」裏手に在る円墳です。
天照大神伝説の地は徳島市国府町「天石門別八倉比賣神社(あまのいわとわけやくらひめじんじゃ)」です。
御祭神は大日孁女命(おおひるめむちのみこと)こと天照大神です。
また、大宜都比売命(おおげつひめのみこと)が祀られているのが徳島の神山町にある上一宮大粟神社(かみいちのみやおおあわじんじゃ)です。
大宜都比売命の別名を天石門別八倉比売命(あまのいわとわけやくらひめのみこと)と言われています。
※「大宜都比売命」=「天石門別八倉比売命」=「大日孁女命」=「天照大神」   @阿波

「八倉比賣神社」
http://kamnavi.jp/en/awa/yakura.htm

「矢野神山 天石門別八倉比賣神社記 寫」
http://awa-otoko.hatenablog.com/entry/2016/09/27/213429
0579日本@名無史さん垢版2018/05/05(土) 08:50:52.34
>>578
根拠は?
0580日本@名無史さん垢版2018/05/05(土) 08:53:24.37
>>574
「伊都国が都」とすると平原1号墓を卑弥呼の墓とせざるを得ない
  ↓
 即死
0581日本@名無史さん垢版2018/05/05(土) 09:16:33.76
>>580
九州内の少し離れた所に墓を建てた可能性もある。

魏志倭人伝を読むと「伊都国が都」との結論になる
畿内説は魏志倭人伝は出鱈目って前提ですから違う結論になる。
0582日本@名無史さん垢版2018/05/05(土) 10:23:01.22
>>579
阿波さん返事は?
0583日本@名無史さん垢版2018/05/05(土) 10:32:00.34
>>581
魏志倭人伝を出鱈目に読むと「伊都国が都」との結論になる
0584日本@名無史さん垢版2018/05/05(土) 10:55:47.68
>>583
畿内説は先に畿内に邪馬台国が在ったと決めつけて倭人伝を読んでるから理論は出鱈目
魏志倭人伝通りに読むと「伊都国が都」との結論になるよ。
0585日本@名無史さん垢版2018/05/05(土) 11:31:23.02
>>574
>前提じゃなくて「伊都国が都」とすると平原1号墓が卑弥呼の

じゃあその前提が間違っているから無意味だね

女王之所都は邪馬台国だよ
伊都国じゃない

末慮国からの旅程で
東南陸行五百里、到伊都國、女王之所都。って書かれてないからな

無理なこじつけだよ、伊都国が都、なんていうのはな
0586日本@名無史さん垢版2018/05/05(土) 11:36:08.42
>>572
>魏志倭人伝で、外交官が駐留して、内政官が治めていている。

官と副は、対馬にも壱岐にもいる
内政官てこれのことだろ?
でも邪馬台国=女王の都には4人いるのと比べて手薄
都ってことにはならない

外交官っていうのは、一大率のことを言いたいんだろうが、
都から離れたところに置かれる地方官だぞ
有如「刺史」ってのが地方官だからね
つまりむしろ、都ではないという記述

伊都国が都っていうのは無理こじつけ読み
0587日本@名無史さん垢版2018/05/05(土) 11:39:32.49
>>585
「東南陸行五百里 到伊都國 官曰爾支 副曰泄謨觚 柄渠觚 有千餘戸 世有王 皆統屬女王國 郡使往來常所駐」
この文章では「世有王」と(伊都国に)魏の世に(倭王卑弥呼)王が居たとちゃんと書かれているし「皆統屬女王國」とその伊都国にすべての倭の国々が統属したいたともある。
伊都国が倭の都だから「郡使往來常所駐」するんだよ。

卑弥呼の倭国は朝鮮半島南岸の投馬国と北部九州の邪馬壹国の二つの地域からなっており
「女王之所都」ってえのは投馬国に対して邪馬壹国側に女王の都が在ったって意味で
邪馬壹国=女王の都じゃないの。
0588日本@名無史さん垢版2018/05/05(土) 11:41:25.37
>>581
>魏志倭人伝を読むと「伊都国が都」との結論になる

「結論」っていってる時点でおかしい

魏志倭人伝には
南至邪馬壹國、女王之所都と明記されている
東南陸行五百里、到伊都國、女王之所都とは書かれていない

伊都国と邪馬台国は別の国として書かれている

無理読みした挙げ句の「結論」といっている時点で、
まともな説ではないと言っているようなもの
0589日本@名無史さん垢版2018/05/05(土) 11:44:43.33
>>587
>卑弥呼の倭国は朝鮮半島南岸の投馬国

その意見の人たちは水行の起点は帯方郡だというが
帯方郡から北部九州まで水行10日で来るんだろ?
なら朝鮮半島南岸までは10日掛からないのに、
投馬国までは水行20日と書かれている

その比定地も旅程の読み方も矛盾だらけで意味がない
0590日本@名無史さん垢版2018/05/05(土) 12:33:37.26
>>586
>内政官てこれのことだろ?

一大率

>外交官っていうのは、一大率のことを言いたいんだろうが、

魏からの外交官
0591日本@名無史さん垢版2018/05/05(土) 12:37:02.70
論より証拠と言ってな
畿内説を潰したいなら邪馬台国が九州である証拠を持ってこなきゃ
0592日本@名無史さん垢版2018/05/05(土) 13:28:56.29
結局、九州説の根拠って、魏志倭人伝の無理読みだけ、なんだよな
0593日本@名無史さん垢版2018/05/05(土) 13:53:02.64
畿内説は考古学的証拠がたくさん
三角縁神獣鏡 前方後円墳 古地名が大和
0594日本@名無史さん垢版2018/05/05(土) 13:57:15.83
>>590
>>内政官てこれのことだろ?
>一大率

そう思ったところで、女王の都するところの邪馬台国には
官有伊支馬、次曰彌馬升、次曰彌馬獲支、次曰奴佳鞮 と4人の官がいるのに
伊都国には官曰爾支、副曰泄謨觚、柄渠觚で、官一人で副二人

明確に格差があるよな?
これで、伊都国が都だと言えるのが正直に言って不思議だ
0595日本@名無史さん垢版2018/05/05(土) 16:38:55.00
通説の読み方がかなりクレージーだと思えるんだが
誰の訳なんだろう?
その狂った読みに依存してるのが畿内説なんだ。
0596日本@名無史さん垢版2018/05/05(土) 16:53:29.33
>>595
>通説の読み方がかなりクレージーだと思えるんだが

通説というのは、多くの人の努力の積み重ねでできているんだよ
まあ、中には惰性で引き継がれている部分もあるから、
批判すら許されないとかいうものではないけれど、
異を唱えるなら、多くの人の努力の積み重ねに負けないくらいの
きちんとした論証をしてもらわないと

根拠も理由も示さずにただ『クレージー』と言葉だけで批判するのが
九州説側ではよく見られる、ありていに言えば「ずるくて卑怯」なやり方

畿内説側からの反論は、>>589でも>>594でもいちいち理由が書いてあるだろ?

九州説側も、言いたいことがあれば、根拠をつけて、論証してくれ
0597日本@名無史さん垢版2018/05/05(土) 19:08:42.77
>>596
何回も説明してるんですけど。
0598日本@名無史さん垢版2018/05/05(土) 19:57:17.69
どこで?

ちなみに「俺はとにかくそう思う」ってのは説明じゃないからな
0599日本@名無史さん垢版2018/05/05(土) 20:21:42.14
>>597
>何回も説明してるんですけど

そうやって逃げずにw
>>589の内容も>>594の内容も、何回書いたか分からないけどまた書いてるよ。
0600日本@名無史さん垢版2018/05/06(日) 13:10:48.64
>>598
批判には聞く耳持ちませんってか?
0602日本@名無史さん垢版2018/05/06(日) 19:06:12.57
>>600
負け惜しみの遠吠えしてないで、「批判」を書いてよ
そうしたら、議論になるからさ

書いた端から論破されるんで、根拠も理由も書かずに雰囲気だけ批判して、
精神勝利法に逃げるっていう生き方もあるけどね
0603日本@名無史さん垢版2018/05/07(月) 07:26:26.19
負け犬の遠吠えをしているのは畿内説
0605日本@名無史さん垢版2018/05/07(月) 09:24:42.97
>>603
オウム返しは無能の所業

畿内説スレのザラコクを見れば分かるだろ?
同じレベル扱いでいいのかい?w
0606日本@名無史さん垢版2018/05/07(月) 09:36:11.35
それ、畿内説のことだろw
0608日本@名無史さん垢版2018/05/07(月) 09:51:47.35
畿内説を論理的に潰す
なんて夢のまた夢だと
思い知らされるためのスレ
0609日本@名無史さん垢版2018/05/07(月) 10:51:54.87
畿内説に論理なんて通用しません
畿内説は信じることが全てです。
0614日本@名無史さん垢版2018/05/09(水) 19:23:34.36
平原の大型内行花文鏡が伊勢神宮の八咫鏡と同形のものだとしたら、真品のレプリカを九州豪族の一人に下賜したもの、という事になるね。
真の神器であれば副葬品として事実上の「廃棄」とせず、後代に受け継がれるものだからね。
実際、神器八咫鏡はそのような扱い。
ま、平原花文鏡=八咫鏡説は原田大六が願望・妄想を開陳しただけで、根拠のあるものではないけど。
0615日本@名無史さん垢版2018/05/09(水) 20:23:35.29
王権の象徴のレプリカを作ったら混乱するだろう。
だからそんなことはあり得ない。

一部を残して偉大な女王に捧げたんだよ。
残された鏡が伝世したと考えるのが妥当。
0616日本@名無史さん垢版2018/05/09(水) 20:25:37.90
>>614
>平原の大型内行花文鏡が伊勢神宮の八咫鏡と同形のものだとしたら

この時点で既に間違い

伊勢の御神鏡は、口径9寸の黄金鑵に入れられているという実見記録がある
0617日本@名無史さん垢版2018/05/09(水) 20:26:06.69
大きい鏡という意味の普通名詞ではない、と考える限り
八咫鏡の「本物」は誰が何と言おうと、伊勢の神宮の御神体の鏡だ

そして、その八咫鏡は見てはいけない鏡なので、実見記録はないがその入れ物については実見記録がある

八咫鏡は遷宮の際に、御桶代に入れた上で御船代に載せて、移動するが
「そのオケの大きさが平原の鏡と一致する」と主張する伊都国説の人がいる

しかし、神宮遷宮記文永三年御遷宮沙汰文には、その桶の中に 「黄金の樋代」があり、その大きさは高一尺七寸八分、口径一尺、 蓋口径九寸であると記録されているそうだ

また、明治期の国学者で「日本書紀通釈」を書いた飯田武郷氏も、明治四年の遷宮行事のとき、神体の容器を見た実見記録を残しており、
神鏡は舟形の「御舟代(みふねしろ)」の中に「御桶代(みおけしろ)」があって、 その中の「黄金鑵」のなかに納入されており、黄金鑵の高さは一尺三寸、円の直径は九寸としている。

この黄金鑵が、文永三年御遷宮沙汰文の「黄金の樋代」と同じものだろう

どちらも、口径9寸とあるから、平原1号墓の内向花文鏡は入らないな
八咫鏡は大鏡ではあるだろうが、直径2尺はない

八咫厨のいう「オケ」は、「黄金鑵」の外側の御桶代のことだろう
まあ、聞きかじりだと、いい加減なことを考えるってことだな

本物の伊勢の八咫鏡と、平原1号墓出土鏡は大きさが異なることが明らかであり、
その意味で平原遺跡出土の大型内行花文鏡は記紀において八咫鏡と呼ばれる鏡ではない
0618日本@名無史さん垢版2018/05/09(水) 20:38:03.68
>王権の象徴のレプリカを作ったら混乱するだろう。

平原から出土した大型内行花文鏡は4枚or5枚。
確かに、「王権の象徴」のまったく同形のレプリカがこんなにあったらおかしいわな。
つまり、平原のは王権の象徴ではないということ。

平原のがレプリカだとしても、本物とはガンダムとガルダンぐらいの違いはあるだろうね。

神器八咫鏡はもともとデカかったのを色々あって鋳直したんや!って話もあるが、真実だとすると逆に言うとそこまでして「唯一無二のもの」でなければならない品ということ。
証左。

紛い物の大鏡とは、扱いが違う。
0619日本@名無史さん垢版2018/05/09(水) 21:29:47.79
順序が違う。
卑弥呼に全部副葬したから、残りの鏡は唯一無二になったんだろう。
0620日本@名無史さん垢版2018/05/09(水) 21:35:39.31
その順序の記録はどの史書にあるの?w
0621日本@名無史さん垢版2018/05/09(水) 21:57:51.03
>>618
>確かに、「王権の象徴」のまったく同形のレプリカがこんなにあったらおかしいわな。

つまり、レプリカであるという仮定が誤りなんだよ。
もともと八咫の鏡が複数あり、その大半を平原で副葬して残りを神鏡としたと考えれば矛盾しない。
0622日本@名無史さん垢版2018/05/09(水) 22:12:58.27
倭人伝でも伊都国は女王国の単なる「出張所」としての記述しかないし。
邪馬台国7万戸に対して1000戸余りの少国邑でしかないし。
墳墓のチンケさからすると大作冢徑百餘歩どころか「王」にはとても及ばず、せいぜい豪族レベルの墓だし。

そもそも平原の鏡は王権の象徴ではない、と考えるのが一番矛盾が無い。
0624日本@名無史さん垢版2018/05/09(水) 22:23:04.42
三点セットはそこらの豪族でもみんな奉ってたのは考古学的にも明らかだし
記紀でもそこらの豪族が三点セットを奉って景行天皇を迎えたりしてんだから
それらがいちいち皇位のレガリアのわけないだろw
0625日本@名無史さん垢版2018/05/09(水) 22:45:04.66
平原の八咫の鏡は
伊勢より大きいということか。
0626日本@名無史さん垢版2018/05/10(木) 04:30:43.89
天皇ですらおいそれと見れない神器と比較しても、確認しようが無い。
検証不可能な仮定が『新説』『真説』に化けるのもトンデモの特徴。
0628日本@名無史さん垢版2018/05/10(木) 07:00:18.14
>>622
邪馬壹国は総数7万戸の北部九州に在った国邑の連合体であり卑弥呼は1000戸の伊都国に居たんだよ。
0629日本@名無史さん垢版2018/05/10(木) 07:28:29.64
>>628
>邪馬壹国は総数7万戸の北部九州に在った国邑の連合体

邪馬台国を国邑の連合体と読むべき理由が「邪馬台国を北部九州に持って来たい」
という「願望」以外にない

北部九州に、連合体を仮定しても、七万戸にはならず、計算が合わない
七万戸が入る余地がない

古代国家で、国王の居処=都は、人が集まる中心地となるのが当然
隣に二万戸の大国、奴国があって、そのすぐそばの小国に都を置く理由がない

逆に長く伊都国が倭王の都であったなら、奴国を超える大国になっているのが
当然で、そうなっていないなら王都は想定できない
0630日本@名無史さん垢版2018/05/10(木) 07:43:12.35
629
韓の馬韓が10万戸ですから北部九州に七万戸は妥当ですよ。

>北部九州に、連合体を仮定しても、七万戸にはならず、計算が合わない

如何なる計算をしたんですか?

>古代国家で、国王の居処=都は、人が集まる中心地となるのが当然
>隣に二万戸の大国、奴国があって、そのすぐそばの小国に都を置く理由がない

卑弥呼は神聖な存在ですから庶民が暮らす奴国とは距離を置いていたんですよ
伊都国には卑弥呼に使える人しか住んでなかったんでしょうね。
0631日本@名無史さん垢版2018/05/10(木) 07:55:16.37
>>630
そもそも、北部九州は「其山有丹」に該当しない。 よって、邪馬台国論争に加わる資格なし。  @阿波
0633日本@名無史さん垢版2018/05/10(木) 08:04:00.30
奴国と伊都国の関係はニューヨークとワシントン、パリとベルサイユみたいなもんですね。
0634日本@名無史さん垢版2018/05/10(木) 08:06:20.56
>>633
単なる倭国(阿波)への中継通過国ですよ。  @阿波
0635日本@名無史さん垢版2018/05/10(木) 08:06:43.11
魏人伝の記述を読む限りは、女王を「共立」したということなんだから諸国連合でいいんじゃない。

ただ、当然それだと九州内で収まらない。
出雲・吉備・畿内に既に大集落が存在したことを考えると自ずと答えは出るが。
畿内(ひょっとしたら東海中部)から九州北部までを含む諸国連合があって、陳寿はそれを「女王国」と呼んだ。
邪馬台国はその中の女王所在地、つまり首都。


伊都・奴・不弥・投馬は女王統治下の諸国連合内国邑。
対馬・壱岐などは「女王国以北」の一大率が置かれた属国・同盟国。
伊都は1000戸の小国邑に過ぎないが、国境の邑として魏人の駐屯所・一大率の統括官庁が置かれた。

狗奴国は九州中部以南の非・女王国勢力。
九州は女王を共立した後でもバチバチやってる最前線だがら、武具の出土が抜きんでて多い。
0636日本@名無史さん垢版2018/05/10(木) 08:15:17.85
>>635
>魏人伝の記述を読む限りは、女王を「共立」したということなんだから諸国連合でいいんじゃない。

そうでしょ。

>ただ、当然それだと九州内で収まらない。
>出雲・吉備・畿内に既に大集落が存在したことを考えると自ずと答えは出るが。

何故九州内に収まらないんですか?
出雲・吉備・畿内は倭人伝の記述からすると倭種の国ですよ。
0637日本@名無史さん垢版2018/05/10(木) 08:16:55.42
>>635
>魏人伝の記述を読む限りは、女王を「共立」したということなんだから諸国連合でいいんじゃない。

女王の「共立」は邪馬台国国内での話。  @阿波

※北の邪馬台国(卑弥呼側勢力)台国(卑弥呼側勢力)
【旧吉野川流域北岸勢力 弥生時代集落】
東州津遺跡・大柿遺跡・土取遺跡・昼間遺跡(正力地区)・昼間遺跡(天神前地区)・昼間遺跡(西貝川地区)・足代東原遺跡・薬師遺跡・吉水遺跡・田上I遺跡・拝原東遺跡・椎ヶ丸〜芝生遺跡
・西長峰遺跡・北原〜大法寺遺跡・天神山遺跡・金泉寺遺跡・黒谷川宮ノ前遺跡・黒谷川郡頭遺跡・桧はちまき山遺跡・光勝院寺内遺跡・カネガ谷遺跡・桧銅鐸出土地

【旧吉野川流域南岸勢力 弥生時代集落】
ウエノ遺跡・マチ遺跡・須賀遺跡・相知遺跡・井出上遺跡・稲持遺跡・貞光前田遺跡・石井遺跡

【鮎喰川下流域勢力 弥生時代集落】
樋口遺跡・延命遺跡・矢野遺跡・名東遺跡・鮎喰遺跡・庄遺跡・庄蔵本遺跡
0638日本@名無史さん垢版2018/05/10(木) 08:17:52.96
>>635
>ただ、当然それだと九州内で収まらない。
>伊都・奴・不弥・投馬は女王統治下の諸国連合内国邑。
>対馬・壱岐などは「女王国以北」の一大率が置かれた属国・同盟国。

この辺りから妄想としか言いようがない。
0639日本@名無史さん垢版2018/05/10(木) 08:37:56.89
>>636
>出雲・吉備・畿内に既に大集落が存在したことを考えると自ずと答えは出るが。

出雲・吉備・畿内に既に大集落が存在したことを示す弥生時代大集落遺跡とはなに?  @阿波
0640日本@名無史さん垢版2018/05/10(木) 08:47:16.38
伊都国不弥国を九州北部のどこかに比定すると、奴国2万の3倍以上の7万戸を擁する邪馬台国の割り込むスペースが無い。
中南部には狗奴国が居座ってるし。
倭人伝の記述からすると、投馬国以降は「水行」だからね。


>出雲・吉備・畿内は倭人伝の記述からすると倭種の国ですよ。
それはお前の妄想。
0641日本@名無史さん垢版2018/05/10(木) 10:45:09.71
邪馬台国7万戸は奴国2万戸を含むんだろう。
0642日本@名無史さん垢版2018/05/10(木) 11:54:19.50
>>633
>奴国と伊都国の関係はニューヨークとワシントン、パリとベルサイユみたいなもんですね。

近代国家と、古代国家を比べてどうするw
>>629に「『古代国家』で、国王の居処=都は、人が集まる中心地となるのが当然」と
書いてあるのは読めるよな?
0643日本@名無史さん垢版2018/05/10(木) 11:58:04.27
投馬国は帯方郡からの「水行」だからね。
0644日本@名無史さん垢版2018/05/10(木) 11:59:58.18
>>642
>「『古代国家』で、国王の居処=都は、人が集まる中心地となるのが当然」と
>書いてあるのは読めるよな?

これ何か根拠あるの?君の個人的な願望でしょ。
0645日本@名無史さん垢版2018/05/10(木) 12:01:56.81
人類普遍の原理によって分かれてるんだから
古代も近代も関係なし。

人類学の中での社会構造論とか読んだことないの?
0646日本@名無史さん垢版2018/05/10(木) 12:06:16.63
>>630
>韓の馬韓が10万戸ですから北部九州に七万戸は妥当ですよ。

魏志東夷伝韓には「凡五十餘國。大國萬餘家、小國數千家、總十餘萬戶」と
書いてあるな
大国で萬餘家、小国で數千家、というのは、倭人伝にも適用可能だろう
そして、五十餘國で總十餘萬戶だ

倭人伝で、大国にあたる萬餘戸以上なのは、
奴国二萬餘戸、投馬国五萬餘戸、邪馬台国七萬餘戸の三国のみ

これで、投馬国の五萬餘戸は入れずに、奴国と邪馬台国を重ねてしまったら
七万ー二万の五万戸くらいを小国でまかなわなければならない

しかし、末慮国、伊都国の比定地から考えて、一つの平野で一つの国程度の
広がりで奴国以外は数千戸、となると、北部九州に五万戸を容れるだけの
平野部は数えられないんだよ

大国三国は、北部九州、中国地方、畿内のそれぞれの中心的な国と
考えれば、普通に理解できる

伊都国と邪馬台国が別の国であり、二ヶ月かけて移動する遠地と
書かれているのを、無理に重ねて読もう、というのはやはり無理が出る
0647日本@名無史さん垢版2018/05/10(木) 12:06:55.89
>>645
そんな人類普遍の原理なんて知らないよ?
出典は何ですか???
0648日本@名無史さん垢版2018/05/10(木) 12:08:27.31
>>645
>人類学の中での社会構造論

人類学の中での社会構造論で、古代国家の王都と近代国家の行政首都を
「同一視」して「人類普遍の原理」で説明しているものがあったら、ぜひ教えてくれw
0649日本@名無史さん垢版2018/05/10(木) 12:19:17.10
いや
限定しなくていいよ、一つでいいよ
社会構造に関するなにかの文章を読んだことあるの?
0650日本@名無史さん垢版2018/05/10(木) 12:34:55.12
>>646
>しかし、末慮国、伊都国の比定地から考えて、一つの平野で一つの国程度の
>広がりで奴国以外は数千戸、となると、北部九州に五万戸を容れるだけの
>平野部は数えられないんだよ

北部九州には多くの平野や盆地がありますよ?
直方平野、筑紫平野、京都平野、諫早平野、
菊池平野、熊本平野、八代平野、中津平野、宇佐平野、大分平野、臼杵平野、佐伯平野、
飯塚盆地、田川盆地、若宮盆地、黒木盆地、多久盆地、武雄盆地、嬉野盆地、山内盆地
由布院盆地、日田盆地、安心院盆地、田染盆地、竹田盆地、三重盆地、緒方盆地、玖珠盆地、
阿蘇盆地(阿蘇谷、南郷谷)、人吉盆地
特に筑紫平野は広大で国邑が多数在ったでしょうね
地理に疎すぎですよ。

>伊都国と邪馬台国が別の国であり、二ヶ月かけて移動する遠地と

帯方郡からの水行なんですよ。
0651日本@名無史さん垢版2018/05/10(木) 12:37:15.56
>>649
そんな原理誰も知らないよ
内容を説明してよ。
0653日本@名無史さん垢版2018/05/10(木) 12:52:08.84
>>645
ザラコクみたいなことを言っているが、ニューヨークとワシントンD.C.の例を見ても、首都のあり方はそう簡単ではない。
0654日本@名無史さん垢版2018/05/10(木) 12:53:09.73
>>646
>大国三国は、北部九州、中国地方、畿内のそれぞれの中心的な国と
>考えれば、普通に理解できる

根拠は?
0655日本@名無史さん垢版2018/05/10(木) 12:53:36.51
>>650
>北部九州には多くの平野や盆地がありますよ?
直方平野、筑紫平野、京都平野、諫早平野、
菊池平野、熊本平野、八代平野、中津平野、宇佐平野、大分平野、臼杵平野、佐伯平野、
飯塚盆地、田川盆地、若宮盆地、黒木盆地、多久盆地、武雄盆地、嬉野盆地、山内盆地
由布院盆地、日田盆地、安心院盆地、田染盆地、竹田盆地、三重盆地、緒方盆地、玖珠盆地、
阿蘇盆地(阿蘇谷、南郷谷)、人吉盆地
特に筑紫平野は広大で国邑が多数在ったでしょうね
地理に疎すぎですよ。


これが、弥生時代後期の集落遺跡名だったらよかったのに。
なんでそれ、しないの?  @阿波 
0656日本@名無史さん垢版2018/05/10(木) 13:01:30.77
九州説の弱点はは、倭人伝の行程記載をそのまま読むと矛盾まみれになるところ。
畿内その他説は、倭人伝の行程記載はそもそもあまりアテにならないというスタンスだから重視されていないが。

>投馬国は帯方郡からの「水行」だからね。
>帯方郡からの水行なんですよ。

「倭人在帶方東南大海之中」と、倭は帯方郡の「東南」にあると明記されている。

「南至投馬國 水行二十日」
「南至邪馬壹國 女王之所都 水行十日陸行一月」
が帯方郡起点だとすると矛盾する。邪馬台国が倭の国ではない、とすれば成立しなくもないが、卑弥呼が「親魏倭王」の称号を与えられている以上、それはあり得ない。
また、帯方郡からそのまま南下すると、ただの海。
0657日本@名無史さん垢版2018/05/10(木) 13:04:45.73
九州は朝鮮半島の概ね南だから構わんだろ。
畿内は無理だけどなw
0658日本@名無史さん垢版2018/05/10(木) 13:41:48.75
>>649>>652
逆質問に逃げるのも、詐欺話法の定法だよな

>>645
「人類普遍の原理によって分かれてるんだから
 古代も近代も関係なし」
と書いているんだから、その「人類普遍の原理」をどこかで
>>645は学んだんだよな?

情報を共有しないと、議論ができないし進まないから、
教えてくれと言っているんだが?

「人類普遍の原理」というくらいだから、人類学の中での
社会構造論の領域ではさぞかし多くの言及があるのだろうけれど、
とりあえず、一つでよいので文献を紹介してくれ
0659日本@名無史さん垢版2018/05/10(木) 13:49:36.83
>>650
>特に筑紫平野は広大で国邑が多数在ったでしょうね

早良平野まで、奴国の領域に取り込まれているんだが?
伊都国から奴国への移動の間に、早良国はないだろ?
福岡平野で奴国1国で二萬余戸

筑紫平野は、海岸線がかなり今よりも内陸にあり、弥生末期には
いうほど広くないし、弥生時代の土木力では筑後川下流域は
川が大きすぎて灌漑には利用できない
「北部九州における縄文海進以降の海岸線と地盤変動傾向」
下山 正一 第四紀研究 / 33 巻 (1994) 5 号 /
https://www.jstage.jst.go.jp/article/jaqua1957/33/5/33_5_351/_article/-char/ja

奴国レベルが二つ半、入る状況ではない
0660日本@名無史さん垢版2018/05/10(木) 14:02:57.18
>>657
>九州は朝鮮半島の概ね南だから構わんだろ。
>畿内は無理だけどなw

多分「朝鮮半島の概ね南」というのは、朝鮮半島の南端付近を起点に考えてるだろ?
でも、九州説の主張する「水行の起点」は「帯方郡」だ

帯方郡の比定地を、帯方郡治が鳳山郡智塔里土城、郡の外港と考えられる列口県城が
殷栗郡雲城里土城(南浦の対岸付近)とすれば、現代の地図でも
「畿内がちょうど南東」になるぞ!

Yahoo!MapでもGoogleMapでも、自分で調べてごらん
0661日本@名無史さん垢版2018/05/10(木) 14:28:34.43
>>658
自己紹介しなくていいよ

で、読んだことあるの?
逆質問とかしてないよ、最初からこちらが質問してるんだから、逆質問してるのは>>658
0662日本@名無史さん垢版2018/05/10(木) 15:36:57.90
海岸に沿って何千里も南下するから、概ね南と理解していただろうね。
0664日本@名無史さん垢版2018/05/10(木) 16:31:46.46
帯方郡治を黄海道鳳山にもってく説は80年代に一時有力だっただけで
今は昔ながらのソウル説に戻ってんじゃないかね
0666日本@名無史さん垢版2018/05/10(木) 17:36:30.78
>>662
>海岸に沿って何千里も南下するから、概ね南と理解していただろうね。

循海岸水行は、「乍南乍東」だぞ
東向き成分もたっぷり入ってるよ

まあ韓を方可四千里と書いているから、多分
南へ四千里、東へ三千里で七千里、海峡を渡るのが渡海三回千里ずつで
合わせて一万里っていう数合せをしてるんだと思うけどね
0667日本@名無史さん垢版2018/05/10(木) 17:46:41.15
>>661
>自己紹介しなくていいよ

>で、読んだことあるの?
>逆質問とかしてないよ、最初からこちらが質問してるんだから、逆質問してるのは>>658

適当なことをでっち上げて、それを元に質問すればいいのか?

まず最初の主張である「人類普遍の原理」が正しいかどうか、検証させろっていうのは
二行目の、読んだことがあるのかにたどり着く前の疑問だぞ?
0668日本@名無史さん垢版2018/05/10(木) 17:49:45.63
>九州は朝鮮半島の概ね南だから構わんだろ。
>畿内は無理だけどなw

>海岸に沿って何千里も南下するから、概ね南と理解していただろうね。

「從郡至倭 循海岸水行 歴韓国 乍南乍東 到其北岸狗邪韓國」と、狗邪韓國に至る段階で既に南へ、東へ、と正しく「東南」と理解できている。
末廬〜不弥国は東南、東南、東と進んでおり(むしろトータルでは東ベクトルの方が多い)、これで「帯方郡から概ね南」と理解するようだと、さすがに方向音痴過ぎだろ。
陳寿も魏史も、>>657>>662ほどの阿呆ではあるまい。

そもそも、
「倭人在帶方東南大海之中」
「從郡至倭 循海岸水行」
「自郡至女王國 萬二千餘里」
と、郡からの位置関係を示す場合はその旨明示してあるのだから、水行部分のみでそれを省略していると考えるのは不合理すぎるな。
0669日本@名無史さん垢版2018/05/10(木) 18:20:20.11
>>666
つまり、出発してからずっと南下するんだよ。
0670日本@名無史さん垢版2018/05/10(木) 18:27:51.32
>>669
>つまり、出発してからずっと南下するんだよ。

出発してから「しばらくの間」はな

その後は、「三千里もずっと東に行く」んだから、それを
「南」水行十日とは書かないだろ

明確に矛盾するだろ?
つまり、「水行の起点を帯方郡に求める」のは無理読みだってことだ

つまり、水行の起点は北部九州沿岸
つまり、北部九州から水行陸行合わせて二ヶ月の遠地に邪馬台国はあるってことだ
つまり、北部九州は無理
0671日本@名無史さん垢版2018/05/10(木) 18:29:34.40
>>670
>つまり、水行の起点は北部九州沿岸

論理が飛躍している。
まったく論理的根拠がない。
0672日本@名無史さん垢版2018/05/10(木) 18:34:28.10
水行の出発点は不弥国なんだから、不弥国を北九州内のどこかに比定する以上は必然的にそうなるな。
0673日本@名無史さん垢版2018/05/10(木) 18:36:02.74
北部九州沿岸からは九州があるから南に水行は不可能。
0674日本@名無史さん垢版2018/05/10(木) 18:40:29.83
不弥国は海に面しているのか?
していたという根拠は?
0675日本@名無史さん垢版2018/05/10(木) 18:42:07.55
南至投馬國 水行二十日、南至邪馬壹國 女王之所都 水行十日陸行一月は
「倭人からの伝聞」であって、魏史の実踏記録とは考えられないからね。
方位も距離も、さらに信憑性低い。
0676日本@名無史さん垢版2018/05/10(木) 18:47:36.21
>>675
魏使は伊都国に滞在してたんだから不弥国までは行ってるだろから
仮に「倭人からの伝聞」であっても信憑性が低いなんてことはないな。
0677日本@名無史さん垢版2018/05/10(木) 18:54:51.66
そこから先は行っていないというところが肝心なんだよ。
つまり、魏の使いは伊都〜不弥国のどこかで卑弥呼と会っている。
0678日本@名無史さん垢版2018/05/10(木) 18:56:00.18
〇倭人が方位を勘違いしていた可能性
〇倭人-魏人間の誤訳・齟齬の可能性
〇国防上の理由で倭人が正しい位置を語らなかった可能性

色々あるからね。実際、南に20日、10日水行して数万戸の大集落がある土地は無いし。
0679日本@名無史さん垢版2018/05/10(木) 18:58:13.94
>>678
>色々あるからね。実際、南に20日、10日水行して数万戸の大集落がある土地は無いし。

つまり、伊都国や不弥国から数えるという読み方に問題があるんだよ。
0680日本@名無史さん垢版2018/05/10(木) 19:03:38.10
>>677
卑弥呼は宮殿から出ないんだから
伊都国から不弥国までに居たんですね。
0681日本@名無史さん垢版2018/05/10(木) 19:04:36.33
「自女王國以北 特置一大率檢察 諸國畏憚之 常治伊都國 於國中有如刺史
王遣使詣京都帶方郡諸韓國及郡使倭國 皆臨津捜露 
傳送文書賜遺之物詣女王 不得差錯」

●傳送文書賜遺之物詣女王
つまり「文書や賜りものは女王に『伝送』します」とある。使者が直接会うわけではない。

個人的には梯儁クラスの特使は女王に直接謁見できたのではないかと思うが、それが明瞭な記述はないのでなんとも言えんね。

ましてや
>伊都〜不弥国のどこかで卑弥呼と会っている。
などと言うのは何の根拠もない妄想に過ぎない。
0682日本@名無史さん垢版2018/05/10(木) 19:08:20.08
女王国の範囲が広大で、魏史駐在所のある伊都国の遥か彼方まで伸びてることは倭人伝に書かれてるわけだから。
卑弥呼の所在を九州内に求めるのは無理がありすぎるね。
0684日本@名無史さん垢版2018/05/10(木) 19:14:17.17
>>682
そんなこと書かれてないよ。
妄想?
0685日本@名無史さん垢版2018/05/10(木) 19:15:55.74
>>681
魏の皇帝の使いと倭王とどちらが上だと思っているんだよ。
会わなかったら金印なんか貰えないよ。
0686日本@名無史さん垢版2018/05/10(木) 19:25:37.13
「自女王國以北 其戸數道里可得略載 『其餘旁國遠絶』 不可得詳」
と、ちゃんと書いてあるがな。このあと、斯馬国その他20国ほどの列挙が続き、「此女王境界所盡」(ここが女王の境界)となる。

女王の境界に位置する「傍らの国々」が「遠くて詳細も得られない」のだから、女王の境界もそれだけ遠いということだよ。

女王の勢力圏が九州北部で収まるようなちっぽけなもんだったら、「傍ら」の斯馬国以下20以上の国は九州のどこにあるん?
九州内にあるんだったら『其餘旁國遠絶』ということにはならないだろ。
九州本島一周しても、帯方郡-狗邪韓国程度の距離だぞ。
0687日本@名無史さん垢版2018/05/10(木) 19:34:37.19
>>685
うん、だから個人的には梯儁は会ったと思ってる。しかし、その証拠もない。
倭人伝は梯儁の書ではなく、陳寿の書だし、会ってたところで「水行10日」が倭人の伝聞情報なのには変わりないし。
0688日本@名無史さん垢版2018/05/10(木) 20:04:04.03
>>686
>女王の勢力圏が九州北部で収まるようなちっぽけなもんだったら、「傍ら」の斯馬国以下20以上の国は九州のどこにあるん?

北部九州(福岡県、佐賀県、長崎県、熊本県、大分県)

>九州内にあるんだったら『其餘旁國遠絶』ということにはならないだろ。

伊都国までしか来てないんだから北部九州内でも十分に『其餘旁國遠絶』だよ。

>九州本島一周しても、帯方郡-狗邪韓国程度の距離だぞ。

十分に『其餘旁國遠絶』ですね。
0689日本@名無史さん垢版2018/05/10(木) 21:23:11.86
二点
まず第一、周旋は一周しない
いろいろなところに寄りながら進む、くらいの意味

次に第二、遠絶は倭国内の距離ではなく、「大陸王朝から」見て遠絶
萬二千里というのはそういう意味の距離
0690日本@名無史さん垢版2018/05/10(木) 21:29:26.71
>>687
>会ってたところで「水行10日」が倭人の伝聞情報なのには変わりないし。

これをきちんと論証した九州説を見たことがないんだが?

会ってたことを認めるのなら、卑弥呼の居処=卑弥呼之所都、邪馬台国まで行ってるんだから、
自分の実体験として距離感はつかめるだろう?

水行部分は絶対値としての距離は実測不能だから里数ならともかく、日数は
だいたい分かるだろう
0691日本@名無史さん垢版2018/05/10(木) 21:34:53.68
>>676
>魏使は伊都国に滞在してたんだから不弥国までは行ってるだろから
>仮に「倭人からの伝聞」であっても信憑性が低いなんてことはないな。

その伊都国へ行く旅程の「東南陸行五百里」からして、方角も距離も信頼ならんのだが
0692日本@名無史さん垢版2018/05/10(木) 21:47:50.98
>>686
>女王の勢力圏が九州北部で収まるようなちっぽけなもんだったら、「傍ら」の斯馬国以下20以上の国は九州のどこにあるん?
>九州内にあるんだったら『其餘旁國遠絶』ということにはならないだろ。

魏の使いが行かなかったところは遠絶だよ。
福岡県北部でウロウロしていた程度なんだから、隣の県なんて遠くて遠くて。
0693日本@名無史さん垢版2018/05/10(木) 21:49:08.76
>>687
>うん、だから個人的には梯儁は会ったと思ってる。しかし、その証拠もない。

卑弥呼の人となりが書いてあり、出向いて金印を授けているのだから、会っていないわけはない。
会ったという証拠がないというのは詭弁だ。
0694日本@名無史さん垢版2018/05/10(木) 21:50:18.72
官邸で会ったのに記録がないとか記憶がないとか、去年のことさえ分からなくなる国だから。
0695日本@名無史さん垢版2018/05/10(木) 21:54:30.49
>>690
>会ってたことを認めるのなら、卑弥呼の居処=卑弥呼之所都、邪馬台国まで行ってるんだから、
>自分の実体験として距離感はつかめるだろう?

だから、通過したところはおおよその里数が報告されたんだよ。
誤差はかなりあるとしてもね。
測量しながら移動したわけではないから、倍程度の誤差はあるかもしれないが、それをもつて信用できないというのは揚げ足取りに過ぎない。
そして、九州から先の里程が書いてないのは、九州から出ていないからだ。
0696日本@名無史さん垢版2018/05/10(木) 22:06:27.87
>>692
隣の県程度に近かったら、自分は行かなくても誰か人を遣れば調べが付くんだよ
それがおいそれとできないから「遠絶」と書かれているんだよ

遠絶の絶は、絶海の孤島とかに使う「絶」
0698日本@名無史さん垢版2018/05/10(木) 22:10:01.36
>>695
>倍程度の誤差はあるかもしれないが、

末慮国−伊都国間と、伊都国−奴国間で、一里の長さが3〜4倍違うんだよ
そして末慮国から伊都国の方向は北東
どうやっても南東にはならない

距離も方角もあてにならないとしか言えない
0699日本@名無史さん垢版2018/05/10(木) 22:22:06.91
>>697
個人の感想です。
0700日本@名無史さん垢版2018/05/10(木) 22:22:31.48
>>698
個人の感想です。
0701日本@名無史さん垢版2018/05/10(木) 23:11:09.25
>>700
精一杯の虚勢のオウム返しだけど、事実には勝てないよ

末慮国−伊都国間が、末慮国の代表的な遺跡・千々賀遺跡から伊都国の中心・三雲遺跡群まで約30キロ
これが五百里だから、一里が60メートルくらい
伊都国−奴国間が、三雲遺跡群から比恵那珂遺跡群まで18キロくらいで百里だから、一里が180メートルくらい

まあ、国の中心の取り方次第で多少前後するが、3倍くらいは軽く差が出る

末慮国から伊都国の方角は、伊都国の方が末慮国よりも確実に北なんだから、どうやっても
東南(南東)にはならない

一言オウム返しをしてないで、自分でも計って確認してごらん
0703日本@名無史さん垢版2018/05/10(木) 23:24:55.27
>>670の補足
南水行と、倭人在帶方東南大海之中が矛盾する以上、水行の起点は帯方郡ではない

であるなら、そこで起点を巻き戻すという九州説に首長が間違いとなり、通常の
逐次式の読み方、現在地が次の旅程の起点という普通の読み方が正しいことになる

つまり、不彌國からとなるが、奴国から百里ではどうがんばっても玄界灘、響灘沿岸から
ということになる

>>671
きちんと論理だけで繋がっているよ
どこにも飛躍なんてない
0704日本@名無史さん垢版2018/05/10(木) 23:27:39.49
>>702
>全部何から何までおかしい

だったら一つくらい具体的におかしいところを指摘したらどうだい?
全部おかしいなら、簡単なことだろ?

九州説は文句は付けるが、根拠も理由も書けないんだよな
それで九州「説」でございと言われてもww
0705日本@名無史さん垢版2018/05/11(金) 07:29:51.47
九州説の凄いところは、都合が悪くなると後出しで前提条件を変えてくるところ。
半島人の性癖丸出しだなw

●水行20日、10日すると九州から出ちゃうよ?
→起点は帯方郡からだ!(他記載と矛盾)
●魏当時の里程だと実距離に合わないよ?
→短里だ!(創作・倭人伝内ですら辻褄合わず)
●普通に里程を読むと、不弥国の段階で九州東岸になっちゃいますけど?
→伊都国からの放射読みだ!(創作・根拠なし)
●九州説だと、女王国の『其餘旁國遠絶』が説明つかないんですけど?
→『遠絶』は「大陸王朝」が起点だ!(どこにも書いてない)



せめてさぁ、地理説明の起点が大陸王朝なのか帯方郡なのか伊都国なのか、それだけでもハッキリさせてくんねぇかなw
0706日本@名無史さん垢版2018/05/11(金) 07:39:15.81
>会ってたことを認めるのなら、卑弥呼の居処=卑弥呼之所都、邪馬台国まで行ってるんだから、
自分の実体験として距離感はつかめるだろう?

根本的に勘違いしてる。
魏人に卑弥呼直接謁見者が居たとしても、陳寿が参照したのがその者の里程記録だと考えるのは不合理なわけで。

倭人からの伝聞情報だと考えるのが最も合理的なので、それを採らざるを得ないということ。
0707日本@名無史さん垢版2018/05/11(金) 08:03:27.46
>>701
根拠もなく自分で勝手に起点を決めて距離が合わないとか頭おかしいよw
倭人伝の記述からすると国邑の端に着いたら至(到)
そかこら次へだよ、中心から中心じゃないよ。


>>705
>●水行20日、10日すると九州から出ちゃうよ?
→起点は帯方郡からだ!(他記載と矛盾)

他記載と矛盾とは何のことでしょうか?

>●魏当時の里程だと実距離に合わないよ?
>→短里だ!(創作・倭人伝内ですら辻褄合わず)

辻褄合わず・・・合ってますけど?どこが合わないと???

>●普通に里程を読むと、不弥国の段階で九州東岸になっちゃいますけど?
>→伊都国からの放射読みだ!(創作・根拠なし)

伊都国からの放射読みは過去のものです、まだ放射読みしてる人もいるようですが基本的に必要ありませんね。

●九州説だと、女王国の『其餘旁國遠絶』が説明つかないんですけど?
→『遠絶』は「大陸王朝」が起点だ!(どこにも書いてない)

実際に訪れてない場所で詳細が分からないから『其餘旁國遠絶』なだけで、「大陸王朝」が起点だなんて誰が主張したんですか?

>せめてさぁ、地理説明の起点が大陸王朝なのか帯方郡なのか伊都国なのか、それだけでもハッキリさせてくんねぇかな

里程も日程も帯方郡が起点となっての連続よみです。
極めて単純な書き方をしてますね。
0708日本@名無史さん垢版2018/05/11(金) 08:28:59.07
>>704
>だったら一つくらい具体的におかしいところを指摘したらどうだい?
>全部おかしいなら、簡単なことだろ?

全部おかしいから、気が遠くなるようなはなしで、ザラコク氏のように頑張っている人もいるが、自分ではやる気ないな。
一つ二つは指摘しても、キナイコシはのらりくらりと言い逃ればかり。
0709日本@名無史さん垢版2018/05/11(金) 08:29:51.49
>>703
>つまり、不彌國からとなるが、奴国から百里ではどうがんばっても玄界灘、響灘沿岸から
>ということになる

そこから南へ水行できないから、その読み方は間違っているということだよ。
0710日本@名無史さん垢版2018/05/11(金) 08:30:47.64
>>701
>まあ、国の中心の取り方次第で多少前後するが、3倍くらいは軽く差が出る

体感的な大まかな距離だろ。
弥生時代なんだから測量技術もないし、その程度の誤差は見込めるよ。
0711日本@名無史さん垢版2018/05/11(金) 08:37:15.07
まずもって
先入観による思い込み
仮想九州説に突っ込んでるだけだから
本人の認知がおかしいこれが一番優先順位が高い
論以前で論外。

まずは普通の認知能力を身につけてからだな
0712日本@名無史さん垢版2018/05/11(金) 09:03:06.49
>>696
>隣の県程度に近かったら、自分は行かなくても誰か人を遣れば調べが付くんだよ

自分が見たものを中心に報告しているんだろ。
だから卑弥呼にも福岡であっているはず。
0714日本@名無史さん垢版2018/05/11(金) 10:15:37.38
卑弥呼に合わなかったという方が詭弁だよ。
0715日本@名無史さん垢版2018/05/11(金) 10:30:02.41
会ったと決めつけるのも会わなかったと決めつけるのも
どちらも思い込み
0716日本@名無史さん垢版2018/05/11(金) 10:40:24.51
魏志倭人伝を読んで卑弥呼が張政等の魏使に会わなかったと考える人はいないな
卑弥呼に合わなかったなんて言う人は読んでない。
0718日本@名無史さん垢版2018/05/11(金) 10:46:54.90
会わなかったわけがないだろ。
国会答弁のような嘘をつくな。
0719日本@名無史さん垢版2018/05/11(金) 11:00:12.25
魏使が倭に来た目的が魏の皇帝の代理で倭王の卑弥呼に会うことだからな
会ってもない者を倭王には任命出来ないよな。
0720日本@名無史さん垢版2018/05/11(金) 11:10:54.78
その通り。
お互いに国内が混乱した時代があったため、政情確認とか、地理の確認とか、いろいろ役割があったろう。
だから卑弥呼の人となりを含めて詳細に報告している。
その使いは九州までしか来ていないのに、卑弥呼に会っている。
つまり?
0721日本@名無史さん垢版2018/05/11(金) 11:44:49.41
魏使が伊都までしか来ていないのに卑弥呼に会っている。
それだけで邪馬台国論争は疑問の余地がない。
帯方郡から一万二千里の筑紫が倭の都、邪馬台国。
決定的なのは平原遺跡という、まさに卑弥呼の年代の女王墓が出たこと。
0723日本@名無史さん垢版2018/05/11(金) 13:07:38.99
>>705
>→『遠絶』は「大陸王朝」が起点だ!(どこにも書いてない)

ごめん、これは畿内説の私の書き込み
『其餘旁國遠絶』じゃなくて、其餘旁國『遠絶、不可得詳』
「詳らかに得べからず」の理由が遠絶なんだよ
地理について遠絶と言っている訳ではなくて、陳寿(またはその引用した書の撰者)が
撰述する上での資料収集の困難さを説明する語句と見た方が、きちんとした理解ができる

邪馬台国から其餘旁國が遠絶な訳じゃない
最初の斯馬國は、邪馬台国の隣(次)だ

要するに、遠絶ってのは=萬二千里の彼方だから、くらいの意味だよ
0724日本@名無史さん垢版2018/05/11(金) 13:08:36.40
>>708
>一つ二つは指摘しても、キナイコシはのらりくらりと言い逃ればかり。

そういうのは、実際に一つでも二つでも指摘してから言え!
この無能が!
0725日本@名無史さん垢版2018/05/11(金) 13:38:45.67
>>707
>根拠もなく自分で勝手に起点を決めて距離が合わないとか頭おかしいよw
>倭人伝の記述からすると国邑の端に着いたら至(到)
>そかこら次へだよ、中心から中心じゃないよ。

つまり>>707はこう主張する訳だな
       国境         国境
┣━━A国━━╋━━━━B国━━━━╋━━C国━━┫
       ここ         ここ
       でB国に至る     でC国に至る
        そこから

ということは、たとえば末慮国から伊都国への東南陸行五百里ってのは、末慮国の国内移動距離だね!
でもって、伊都国から奴国への東南至奴國百里は、伊都国を横断する距離な訳だ

国の間の距離、位置関係を示しているんじゃないんだね!
そういう読み方している人、これまでにいるのかな? 新説じゃね?

さて、それでは、これに従って里を推定してみると
末慮国に到着は、松浦川河口付近 弥生時代にはこの辺りに潟湖があって港として利用されていた
伊都国に到着は、糸島平野に入る辺り、筑前深江くらい
奴国に到着は、日向峠を越えて早良平野に下りたところでいいな
そうすると
末慮国ー伊都国間 15キロ 五百里  1里=30メートル
伊都国ー奴国間  16キロ  百里  1里=160メートル
私が起点を勝手に決めると計算が合わないというから、>>707の言うとおりにして起点を定めて計算してみたら、距離の差が5倍になりましたとさ
私の計算だと、3倍の差だったんだけどねえ

短里なんてないだろ?

だいたい、国と国との間の距離が、その前の国の国内移動距離っていうのが、既に頭おかしい
きちんと内容吟味して書いてないだろ?w
0726日本@名無史さん垢版2018/05/11(金) 17:24:40.00
>>707
>他記載と矛盾とは何のことでしょうか?

冒頭で、倭人在帶方「東南」大海之中と書いてある
帯方郡起点で、
「南」至投馬國水行二十日。
「南」至邪馬壹國、女王之所都、水行十日、陸行一月
と移動しても「東南」にはならない

また、里程と日程が同じ経路という主張に沿っても
循海岸水行、歴韓國、乍南「乍東」
と齟齬が出る

帯方郡を起点に取ると、方角の点で、明らかに矛盾する
0728日本@名無史さん垢版2018/05/11(金) 17:26:36.33
>>707
>伊都国からの放射読みは過去のものです、まだ放射読みしてる人もいるようですが基本的に必要ありませんね。

投馬国と邪馬台国に関して、帯方郡起点の放射読みをしてるじゃないか
何を言ってるんだか
0729日本@名無史さん垢版2018/05/11(金) 17:27:34.85
>>707
>実際に訪れてない場所で詳細が分からないから『其餘旁國遠絶』なだけで、「大陸王朝」が起点だなんて誰が主張したんですか?

実際に訪れていなかどうかは関係ない
近ければ調べは付く
>>723を参照
0730日本@名無史さん垢版2018/05/11(金) 17:30:16.66
>>707
>里程も日程も帯方郡が起点となっての連続よみです。
>極めて単純な書き方をしてますね。

この考え方で、半島南部に投馬国を想定するのが、極限まで頭が悪い
半島南部に戸数5万戸の大国が存在することを示す考古学的事物は一切ない

つまり、この読み方は矛盾だらけで破綻している
日程部分の旅程が帯方郡からとする理由は、邪馬台国を九州北部に「したいから」
以外には一切ない
0731日本@名無史さん垢版2018/05/11(金) 18:02:51.77
>>729
>実際に訪れていなかどうかは関係ない

そう思う根拠は?
0732日本@名無史さん垢版2018/05/11(金) 18:04:05.00
>>730
>この考え方で、半島南部に投馬国を想定するのが、極限まで頭が悪い

投馬国の方が海行が長いので、投馬国は宮崎県都万ですよ。
0733日本@名無史さん垢版2018/05/11(金) 18:41:15.72
卑弥呼と魏史が会ってるとか会ってないとかそこに突っかかる馬鹿が居るけどw
記録を見る限り魏史は複数回訪れ、漢時代からの倭-半島経由大陸の交流を考えると、結構な数の渡来人が居るわけで。
そりゃ、中には直接謁見した奴が居てもおかしくはないよ。

ただ、陳寿は謁見者の報告資料を読んで倭人伝を書いたのではない、ということ。

隋書に「夷人不知里数 但計以日」(倭人は『里』を知らないので、日数を以て計る)
とあることから明確なように、水行●●日などは「倭人の距離」


陳寿は邪馬台国実踏者の記録に当れなかったので、倭人からの伝聞情報を記載したと考えるのが最も合理的。
0734日本@名無史さん垢版2018/05/11(金) 18:57:59.41
>投馬国の方が海行が長いので、投馬国は宮崎県都万ですよ。
その主張だと、今度は女王国を北九州には比定できなくなるね。

「其餘旁國遠絶不可得詳」と女王国の旁(となり、そば)のクニですら遠絶で詳細わからねぇ!と投げ出してるのに、北九州よりさらに遠い投馬国は詳述されてるというヘンテコリンな事になる。
つまり、あり得ない。
0735日本@名無史さん垢版2018/05/11(金) 19:37:41.75
>>725
>末慮国に到着は、松浦川河口付近 弥生時代にはこの辺りに潟湖があって港として利用されていた

末慮国に到着は末慮国の北の端に着くから名護屋浦に入港して上陸
そこから南に向かい唐津付近で東に転じて伊都国向かう
1里約80mとして500里(約40q)地点が伊都国との国境(筑前深江)
そこから飯場峠へ100里(約8q)で奴国
そこからセブンミリオンカントリークラブの先100里(約8q)で不弥国
計算通りだよ。
0736日本@名無史さん垢版2018/05/11(金) 19:39:25.34
>>730
何を根拠に半島南部に戸数5万戸の大国が存在することを示す考古学的事物は一切ないとか断言出来るんですか?
0737日本@名無史さん垢版2018/05/11(金) 19:40:12.09
>>727
合わないように起点を決めるからですよw
0738日本@名無史さん垢版2018/05/11(金) 20:17:20.00
倭人伝に「帯方郡から」水行なんて記述はこれっぽっちも無いのに、それを前提にゴチャゴチャ言っても無意味。
帯方郡から「南」には東シナ海が広がるだけで数万戸単位の人口を賄える陸地はありそうにない。

「朝鮮半島から見たら」?
同じだよw
狗邪韓国あたりまで起点をズラしても、「南」には九州の西端がかかるかかからないか、ぐらい。

帯方郡起点で邪馬台国への水行を記述するなら「東南」でなければならない。
実際、倭人在帶方東南大海之中ときっちり示されてるんだからね。
0740日本@名無史さん垢版2018/05/11(金) 21:39:03.30
>>735
>末慮国に到着は末慮国の北の端に着くから名護屋浦に入港して上陸

これがもう恣意的で笑っちゃう
その辺には十分な平地もないし、国と見られるような遺跡もないだろう

末慮国は唐津平野と見るのが妥当
松浦川が流れている平野だ

昔の国は領域国家じゃないんだから、国と国が接しているという状況はまずない
山地などの自然境界が国を隔てているが、峠が国境ではなく、山を下りた平地が国の入り口だ
峠のてっぺんで国境というのも頭悪いぞ
0741日本@名無史さん垢版2018/05/11(金) 21:44:41.95
>>732
>投馬国の方が海行が長いので、投馬国は宮崎県都万ですよ。

それだと、投馬国が女王国以北にならないから矛盾するね!
0743日本@名無史さん垢版2018/05/11(金) 22:23:43.28
>>735
>伊都国との国境(筑前深江)

ここの想定は>>725と同じだな
それなら、伊都国の中心地(三雲遺跡群)までで10キロ超えるぞ?

>そこから飯場峠へ100里(約8?)で奴国

峠のてっぺんで奴国に着いたとは言えないが、直線距離で測っても飯場峠まで13キロある
一里が130メートルだぞ?

>そこからセブンミリオンカントリークラブの先100里(約8?)で不弥国

そこ、室見川流域と那珂川流域の境界なんですが?
そこを越えて行ったところが「奴国の中心領域」

まだ奴国のど真ん中に差しかかるところで、不彌国に着いたとはとても言えないところ

>計算通りだよ。

短里を守るためだけに、机上の計算だけで数字合わせしても意味ないって
奴国の領域をどう考えてるんだ?

そして、それでも計算合ってないし
0744日本@名無史さん垢版2018/05/12(土) 08:23:48.07
>>734
>「其餘旁國遠絶不可得詳」と女王国の旁(となり、そば)のクニですら遠絶で詳細わからねぇ!と投げ出してるのに、北九州よりさらに遠い投馬国は詳述されてるというヘンテコリンな事になる。
>つまり、あり得ない。

それは違う。
傍国は小さくて情報も少ないが、投馬国は大きいため大まかな情報はあったのだろう。
投馬国は邪馬台国連合に匹敵する広域の名称だろう。
0745日本@名無史さん垢版2018/05/12(土) 08:25:29.72
>>741
意味がわからない。
何が矛盾するの?
0746日本@名無史さん垢版2018/05/12(土) 09:00:37.86
畿内説はもはや邪馬台国連合という言葉に突っこむこともできなくなったようだな。
自分が初めて提唱した時には全力で叩いてきたものだが。
0748日本@名無史さん垢版2018/05/12(土) 09:51:35.24
>投馬国は邪馬台国連合に匹敵する広域の名称だろう。

はい不正解。

投馬国には伊都国以降の他国と同じく「官」「副官」が置かれているので女王国統治下ということだね。
対馬国には「大官」(壱岐も同じ)と書き分けられているところを見ると、直接統治下ではなく同盟国・あるいは自治区のようなものである可能性はある。

狗奴国のように女王国に属さない国には「王」が居る旨明記されている。
0749日本@名無史さん垢版2018/05/12(土) 10:04:22.46
なるほど(>直接統治下ではなく同盟国・あるいは自治区のようなものである可能性はある)。
とりあえず、邪馬台国と投馬国が並列に書かれていることは了解できるね。
0750日本@名無史さん垢版2018/05/12(土) 10:15:58.76
現在の韓国の西半分にあたる馬韓が十余万戸。

北部九州には王墓があって、各地の土器が流入。
=北部九州に王がいて、各地の年貢が流入。
=現地の収穫量以上の人口を養うことができた。
0752日本@名無史さん垢版2018/05/12(土) 10:34:39.38
根拠なく言い張ってもダメ
0753日本@名無史さん垢版2018/05/12(土) 10:37:27.04
>750
九州説の立場としても、それはない。
朝鮮半島南岸は狗邪韓国。
海を越えて年貢を移動するとしたら、都である筑紫に運ぶ場合だけ。
0754日本@名無史さん垢版2018/05/12(土) 12:58:20.23
>>744
>それは違う。
>傍国は小さくて情報も少ないが、投馬国は大きいため大まかな情報はあったのだろう。
>投馬国は邪馬台国連合に匹敵する広域の名称だろう。

魏志倭人伝の旅程(国の配置)記事は、帯方郡から順に南へ向かう配列で書かれている
そして投馬国には、南至投馬國『水行二十日』(中略)可『五萬餘戸』
邪馬台国には、南至邪馬壹國女王之所都『水行十日陸行一月』(中略)可『七萬餘戸』
と、戸数と道里が略載されている

そしてその直後に、自女王國以北、其『戸數道里』可得略載と書いてあるんだから、
投馬国が女王国より以北に位置するのが分かる

>>744が書いていることの方が、読み間違いというか、ご都合主義の無理読み
0755日本@名無史さん垢版2018/05/12(土) 13:51:48.79
投馬国の紹介はうっかりとしたところに挿入されただけ。
陳寿はもったいつけた論調が好きなんだよ。
0756日本@名無史さん垢版2018/05/12(土) 14:14:18.59
あげ
0757日本@名無史さん垢版2018/05/12(土) 14:21:55.19
>>748
国の役人がいて、県の役人がいる様なものだろうな
倭で王がいるのは倭女王卑弥呼と狗奴国の男王卑弥弓呼の二人だけだな。
0758日本@名無史さん垢版2018/05/12(土) 14:43:17.70
>>755
>投馬国の紹介はうっかりとしたところに挿入されただけ。

うっかりじゃないよ
ちゃんと「戸数道里」が略載されてるだろ
記述通りだし、陳寿は女王国以北だと認識している

>陳寿はもったいつけた論調が好きなんだよ。

根拠なしだな
陳寿は他書の記述をできるだけ尊重する撰述態度で知られているんだが?
0759日本@名無史さん垢版2018/05/12(土) 14:46:11.20
帯方郡から水行二カ月なんだから、邪馬台国より南に決まっている。
0760日本@名無史さん垢版2018/05/12(土) 14:48:58.85
>>709
>>つまり、不彌國からとなるが、奴国から百里ではどうがんばっても玄界灘、響灘沿岸から
>>ということになる

>そこから南へ水行できないから、その読み方は間違っているということだよ。

いや、「南」へ水行という陳寿の認識が間違っていたんだよ

奴国が「那」珂遺跡群周辺というのは動かない
そこから百里行っても、玄界灘、響灘沿岸

そこから南へ水行できないのなら、南じゃない方向に水行したんだよ
0761日本@名無史さん垢版2018/05/12(土) 15:08:26.14
>>759
>帯方郡から水行二カ月なんだから、邪馬台国より南に決まっている。

水行二十日な! 投馬国行きは

それはさておき、どうして放射読みをするんだ?

放射読みは漢文の読み方としておかしいってのはすでに広く認められてて、
放射説はすでに捨てられた説になってる

投馬国まで水行二十日で行って、その後さらに水行十日陸行一月して邪馬台国に着くんだ
それが陳寿の認識では南だから、投馬国は邪馬台国より北になる

この南が間違っていないというのが九州説の主張なんだから、
投馬国が邪馬台国の南にあったらその時点で魏志倭人伝の記述に矛盾する

この矛盾を避けるために、水行の起点は帯方郡で投馬国を半島南岸だと言い張る人も
いる(多分一人だけ)が、これはこれで半島南岸に五万国の大国は見いだせないから
やはり無理になる
0762日本@名無史さん垢版2018/05/12(土) 16:31:46.31
>半島南岸に五万国の大国は見いだせない

え?
現代韓国の西半分の馬韓が十余万戸
現代韓国の東半分の弁辰韓が四、五万戸
しかも弁辰韓に倭人が鉄を採掘しに来ている。

東半分を南北に分けてみれば、
東南1/4が弁辰韓 四、五万戸
西南1/4が投馬国 五万戸
ということで、別に無理は無い。
0763日本@名無史さん垢版2018/05/12(土) 16:39:34.75
九州説にもいろいろある。
帯方郡を起点に読むというのが九州説の基本。
日程もそう。
筑紫で上陸せずに水行20日で都万。
ベストな読み方だよ。
0764日本@名無史さん垢版2018/05/12(土) 16:58:39.35
悪いひとたちがやって来て
みんなを殺した

理由なんて簡単さ
そこに弱いひとたちがいたから

女達は犯され
老人と子供は燃やされた

悪いひとたちはその土地に
家を建てて子供を生んだ

そして街ができ
悪いひとたちの子孫は増え続けた


朝鮮進駐軍 関東大震災 日本人10万人大虐殺

https://youtu.be/iBIA45CrE30
https://youtu.be/D0vgxFC04JQ
https://www.youtube.com/watch?v=sYsrzIjKJBc
https://www.youtube.com/watch?v=SiHp41uWo1I
https://www.youtube.com/watch?v=zYBCTRryFP8
https://youtu.be/-wF31xbwqPM
0765日本@名無史さん垢版2018/05/12(土) 17:06:02.11
>>763
そんな読み方が、どうして基本的なの?
0766日本@名無史さん垢版2018/05/12(土) 17:08:34.23
里程は途中経過を細かく記しているが、日程は総日数を簡単に述べたもの。
細切れの数字をつなげて読むための情報ではない。
0767日本@名無史さん垢版2018/05/12(土) 17:09:41.03
領土問題に配慮して里程は連続、日程は放射なんてするから突っ込まれるのだ。
0769日本@名無史さん垢版2018/05/12(土) 18:22:43.26
>>767
配慮なんてしてないですよ。
九州説は朝鮮半島南岸の狗邪韓国から南が倭国だと明言しています。
畿内説は、帯方郡から一万二千里の筑紫が女王国の境界と言い張ったために、帯方郡から七千里の狗邪韓国が倭ではなくなってしまったようですけど。
0770日本@名無史さん垢版2018/05/12(土) 18:24:55.34
そもそも倭国は、朝鮮半島南岸の狗邪韓国が北限、九州北部の倭奴国が南限なんです。
畿内なんて、倭国の主流については蚊帳の外です。
0773日本@名無史さん垢版2018/05/12(土) 18:34:14.48
後漢書

大倭王は邪馬台国にいる。
楽浪郡の国境は、その国(邪馬台国)から一万二千里である。
倭国の西北界である狗邪韓國からは七千里である。
倭奴国は倭国の極南界である。
0774日本@名無史さん垢版2018/05/12(土) 18:34:32.37
>>772
宮崎県都万
0775日本@名無史さん垢版2018/05/12(土) 19:03:36.92
>>774
一つは、考古学的に、3世紀宮崎県に5万戸はない。
巨大古墳が作られるのは4世紀以降。

もう一つは、
韓国領域に、十余万戸+四、五万戸=十五万戸だとして、
九州内に、
邪馬台国七万戸+投馬国五万戸+狗奴国おそらく五万戸前後は
さすがに入りきらない。
0776日本@名無史さん垢版2018/05/12(土) 19:12:11.02
>そもそも倭国は、朝鮮半島南岸の狗邪韓国が北限

はい不正解。
「倭人在帶方東南大海之中」
狗邪韓国が倭国に含まれるのなら、「東南大海之中」が成立しない。
少なくとも、陳寿の認識ではそうなる。
0777日本@名無史さん垢版2018/05/12(土) 19:16:00.23
朝鮮半島は「東南大海之中」ではないのか?
0778日本@名無史さん垢版2018/05/12(土) 19:30:22.54
帯方郡自体が朝鮮半島にあるのだから、その解釈は無理読みだね。「大海『之中』」明記されてるのだし。
朝鮮半島と倭の交通が漢時代から在ったことは事実だから、半島南部に倭人居住区があった可能性は否定できない。
しかし、陳寿の認識では倭は「海を隔てたところ」だったということ。

後漢書を引き合いに出す奴も居るが、扱う時代は魏より前の後漢であっても編纂ははるか後代の宋代
しかも、後漢書の倭の件は魏志のコピペで范曄が新たに取材したわけでない。

好太王碑文でも明らかなようにその頃には既に倭は朝鮮半島に大きな影響力を持っていたから、范曄は魏志を誤読したんだろうね。
0779日本@名無史さん垢版2018/05/12(土) 19:33:06.50
たしかにそうだね

だが、倭人の王や倭人の主な居住区域は「海を隔てたところ」だったとして、
倭人の勢力範囲自体は「海を隔てたところ」に完全に限定されるわけではない
0780日本@名無史さん垢版2018/05/12(土) 20:31:00.31
5世紀の任那が3世紀の投馬国だな。
0781日本@名無史さん垢版2018/05/12(土) 20:35:00.15
>>780
そう考えるのが普通ですな。
伊都には考古学的王墓があって、倭人伝でも王がいる。
あちらには王墓もないし、東夷伝でも王がいない。
0782日本@名無史さん垢版2018/05/12(土) 22:23:03.52
5世紀に突如朝鮮半島に倭地が出現するのは変ですから3世紀にはその前身が在ったんでしょうね。
0783日本@名無史さん垢版2018/05/12(土) 22:40:42.05
つ 狗邪韓国
0784日本@名無史さん垢版2018/05/12(土) 23:01:48.90
倭国の国は対馬国から邪馬台国までみんな戸数が書かれている

しかし、狗邪韓国の戸数は書いていない

半島側は>>776の言うとおり、倭国には入れられていない

魏書東夷伝では、韓は
韓、在帶方之南。東西以海爲限、南與倭接。方可四千里。有三種、一曰馬韓、二曰辰韓、三曰弁韓。
と書かれている
戸数は馬韓が總十餘萬戶、弁、辰韓が合わせて總四五萬戶

三韓合わせて、十四、五万なのに、その三分の一が投馬国っていうのは無理読みだろう
0785日本@名無史さん垢版2018/05/12(土) 23:48:06.61
なんで無理読みなのか結論ありきで意味不明

>三韓合わせて、十四、五万なのに、
>さらに投馬国五万を韓国に入れるっていうのは無理読みだろう

これならまだ意味が分かるが、

>三韓合わせて、十四、五万なのに、
>その三分の一が投馬国っていうのは無理読みだろう

これだと、
三韓合わせて、十四、五万の中に投馬国が無理矢理入ることになって、
戸数的にはすっぽり収まる。

もう正常な判断力が欠如しているね。トホホ。
0786日本@名無史さん垢版2018/05/13(日) 06:15:38.85
投馬国を朝鮮半島に比定するなら、倭人伝の文脈的には対馬国以前に記述してないと成り立たないわな。
5万戸の大国を、「すっかり忘れてたけど邪馬台国のついでに載せとくねテヘペロ!」というわけはあるまい。

つまり、朝鮮半島ではありえない。

まー、帯方郡からの読みが破綻してるのは、「帯方郡から」の但書きもなく、また「南へ水行」の時点で明らかなわけで。
ここがクリアされないと、どこに比定しようと無理読み。
0787日本@名無史さん垢版2018/05/13(日) 09:51:06.10
>>785
>三韓合わせて、十四、五万の中に投馬国が無理矢理入ることになって、
>戸数的にはすっぽり収まる。

おいおい、投馬国は倭人の国だぞ!
勝手に「三韓の中」に入れるなよ!

倭国の範囲という根底から矛盾してるじゃないか!

誰得?の日韓同祖論でも展開する気か?
0788日本@名無史さん垢版2018/05/13(日) 13:01:12.63
投馬国は宮崎県都万
0789日本@名無史さん垢版2018/05/13(日) 13:45:09.34
>>788
同じことを繰り返すなよ

魏志倭人伝の旅程(国の配置)記事は、帯方郡から順に南へ向かう配列で書かれている
そして投馬国には、南至投馬國『水行二十日』(中略)可『五萬餘戸』
邪馬台国には、南至邪馬壹國女王之所都『水行十日陸行一月』(中略)可『七萬餘戸』
と、戸数と道里が略載されている

そしてその直後に、自女王國以北、其『戸數道里』可得略載と書いてあるんだから、
投馬国が女王国より以北に位置するのが分かる

で、邪馬台国が北部九州で、投馬国が宮崎の妻では、邪馬台国以北にならないから、
魏志倭人伝の記述に矛盾するだろ

それにどうして、水行部分を帯方郡起点の放射読みをするんだ?

放射読みは漢文の読み方としておかしいってのはすでに広く認められてて、
放射説はすでに捨てられた説になってる
0790日本@名無史さん垢版2018/05/13(日) 14:30:51.76
都万は帯方郡の「東南」であって、「南」ではない。

東南→南の方角の読み替えがオッケーという立場なら、中部日本以南はすべて「帯方郡の南」と言える。

対馬海流に乗って中国地方日本海側のどこかに投馬国を比定、近畿日本海側から陸行1月で畿内とか。
関門海峡越えで中国地方瀬戸内海側のどこかに投馬国を比定、そのまま水行10日(又は陸行1月)で畿内とか。

畿内説で水行を帯方郡起点とする論者は多くはないけどね。
0791日本@名無史さん垢版2018/05/13(日) 14:35:43.62
つまりそんなことを主張している人はいない。
なんの根拠にもならないということ。
都万説に対する論理的反論はない。
0792日本@名無史さん垢版2018/05/13(日) 14:41:37.55
>>788
これは有り得るけど
馬韓(10万戸)+辰韓・弁韓(5万戸)+投馬国(5万戸)=20万戸・・・韓国
邪馬壹国(7万戸)+狗奴国(5万戸?)=12万戸・・・九州

これは有り得ないから
馬韓(10万戸)+辰韓・弁韓(5万戸)=15万戸・・・韓国
邪馬壹国(7万戸)+狗奴国(5万戸?)+投馬国(5万戸)=17万戸・・・九州

投馬国は宮崎じゃないな。
0793日本@名無史さん垢版2018/05/13(日) 14:58:36.52
以北と、戸数比較、2点納得しました。
0795日本@名無史さん垢版2018/05/13(日) 15:34:36.81
狗奴国の人口なんて書いてなかったよね?
0796日本@名無史さん垢版2018/05/13(日) 15:55:54.49
江戸時代の旅人は東海道53次(約500km)を2週間程度で歩いたという。

弥生時代、街道整備のなされていない路程でああることを考慮して、この半分の速度だったとしても「陸行1月」で400〜600km程度は歩けたという事になる。

「水行10日陸行1月」が水行10日又は陸行1月なのか、水行10日のち陸行1月なのかの議論はあるが、半島から九州の海路を10日、九州上陸後徒歩1月とすると、陸行部分だけで北九州を軽く通りぬけてしまうので邪馬台国北九州説はあり得ない。
水行又は陸行だとすると、帯方郡から陸路のみでは倭にたどり着けないので、「又は」という解釈、これもありえない。

陸行1月を「帯方郡から狗邪韓国を『陸路で行った場合』1月+北九州への渡海10日」だとするトンデモさんも居るが、この場合は「陸行1月水行10日」表記でなければおかしい。
帯方郡-狗邪韓国にはきちんと海路を行く旨記述されているのだから、陸路を想定すること自体に無理がある。

投馬国がどこであろうと、そもそも「帯方郡から水行」を採用すると邪馬台国を北九州には比定できない。
0798日本@名無史さん垢版2018/05/13(日) 16:04:04.15
>>795
そうね、だいたいねw
0799日本@名無史さん垢版2018/05/13(日) 16:13:36.00
水行20日で帯方郡から朝鮮西海岸を南下して狗邪韓国に着く
狗邪韓国から水行10日で朝鮮海峡を渡り末廬国へ
末廬国から陸行1日で伊都国、奴国へ
張政等の報告だろうな。
0801日本@名無史さん垢版2018/05/13(日) 17:01:46.25
>>799
>狗邪韓国から水行10日で朝鮮海峡を渡り末廬国へ

渡海千里というのは、一日で漕ぎ渡れる距離を一律で千里としている、というのは
結構多くの人が認めていることだと思うんだがな

で、「対馬海峡」(not朝鮮海峡)を渡るのに、10日もかかるとしたら、
船上での夜明かしが何度もあることになるが、対馬海流の流れる対馬海峡で
夜明かししたら、流されて遭難するよ?

その辺はどう考えてるの?
0802日本@名無史さん垢版2018/05/13(日) 17:04:43.69
それと、渡海と水行の区別はしなくていいのかい?

普通、寄る陸地のない航海が「渡海」で、これは何か合ったら死ぬしかないから、
持衰頼みまでする

それに対して、島伝いまたは沿岸航路で、何かあったら岸=陸地に逃げられる比較的
安全な航海が「水行」ってことになってるんだが

水行で、対馬海峡(not朝鮮海峡)を渡っちゃあ、文脈がおかしくなるだろ?
0803日本@名無史さん垢版2018/05/14(月) 07:33:55.79
>末廬国から陸行1日で伊都国、奴国へ

出たw九州説お得意の後出し前提変更w
まぁ、「一月」→「一日」誤記説は大昔からある見方だからそれは許容するとして。

末廬国・伊都国・奴国をどこに比定するにせよ、明記されている帯方郡-女王国「萬二千餘里」から末廬国上陸までに記載されている海路を差っ引くと、残2000里。
架空の単位「短里」を採用するとしても、kmにして120km〜200km(短里60〜100m計算)。

1日で踏破できるわけがなかろうw
末廬国までの「餘里」分を見積もって、残1000里だとしても最低60km。

異国で土地勘も無く、荷物抱えて「草木茂盛、行不見前人」な場所を含んだ行程としては徒歩1日では無理がありすぎる距離だな。
0804日本@名無史さん垢版2018/05/14(月) 07:54:53.35
>>801
狗邪韓國の南岸〜對馬國の北岸、1昼夜で渡海(2日)
對馬國の北岸〜對馬國の南岸、1日休み、1日で北岸から南岸へ(2日)
對馬國の南岸〜一大國の北岸、1昼夜で渡海(2日)
一大國の北岸〜一大國の南岸、1日休み、1日で北岸から南岸へ(2日)
一大國の南岸〜末廬國の北岸、1昼夜で渡海(2日)

合計10日
0805日本@名無史さん垢版2018/05/14(月) 08:06:36.00
>>803
末廬国〜伊都国は500里
宿泊所は伊都国だから伊都国まで行けば泊まれる
1里80mとして500里だと40qくらい
伊都国に着いても宿泊所まで50里あったとして44q
誤差があったとしても最大60qくらいだろ
戦前の旧陸軍の完全装備の歩兵の行軍速度の強行軍が十時間の行軍で40kmの距離を進む
荷物を倭人に運ばせ、手ぶらで歩けば問題ない距離。
0806日本@名無史さん垢版2018/05/14(月) 08:40:45.29
野生号の記録では平均速度で1.7ノット(3km/h強)出たという。魏船の復元ではなく、倭船イメージの手漕ぎ船(弥生期の倭船資料が無いので『復元』は不可能)であることや、あちこちグダグダで実証性には疑問があるが。
元水産庁漁船研究室主任研究官・石井謙治によるとちゃんと作れば3ノット(6km/h弱)は出るだろうと言う。

魏船の資料が無いが、野生号より劣る航行能力とは思い難い。
釜山から対馬北岸まで約50km。平均で2ノットover出せれば半日で着く。

>狗邪韓國の南岸〜對馬國の北岸、1昼夜で渡海(2日)
>對馬國の南岸〜一大國の北岸、1昼夜で渡海(2日)
>一大國の南岸〜末廬國の北岸、1昼夜で渡海(2日)

これらすべて「夜」は不要。日の出に出航で日没前に到着できるのだから。
常識的に考えて海流もあり、天候急変などのリスクを考えると、海峡間で夜を明かすような愚はできるだけ避けるだろう。

ちなみに、ガレー船では人力で平均3〜3.5ノット(5.5km/h〜6.5km/h)、最高だと10km/h以上出たようだ。
設計が違うであろう魏船と単純比較はできないが、手漕ぎ船の航行速度として参考にされたい。

帆を備えていたらさらに速度は上がっただろう。
レッドクリフなど赤壁の描写を見ると「帆船」を使用しているが、魏晋期の船の帆走能力は不明。

以上から、>>804が「完全オフ日」を入れて帳尻合わせをするなど、無理やり「10日」に合わせたいがためのこじつけに過ぎない事が理解できよう。
0807日本@名無史さん垢版2018/05/14(月) 09:31:21.83
>>805
近代軍隊の強行軍速度と古代人の使節史を比べるって、すごい発想だなw
比べるなら、まだ朝鮮通信使の方がマシだろうよ。

時期によるが、1719年朝鮮使では大阪まで海路、大阪〜江戸間を18日ということだから、やはり1日あたり30〜35km/hというところだな。
使節に強行軍の進度を出す必要はないしね。

つか、陸行一月or一日は至「邪馬台国」な。伊都国で一泊できるとか関係ないし。
0808日本@名無史さん垢版2018/05/14(月) 09:32:54.70
失礼。
>やはり1日あたり30〜35km/h =×

1日あたり30〜35km =○
0809日本@名無史さん垢版2018/05/14(月) 11:44:32.48
対馬の郷崎から朝鮮へは70q以上はあるよ
対馬海流も流れてるんだから実際に漕ぐ距離はもっと長くなる
実際に掛かった日数だよ。

18日も移動する場合と1日しか移動しない場合では1日に移動できる距離も違ってくる
伊都国が目的地なんだからな。
0811日本@名無史さん垢版2018/05/14(月) 14:31:16.76
>>810
結論ありきで読んでませんよ
魏志倭人伝に書いてある順番に従って読んだらそうなっただけ。
0812日本@名無史さん垢版2018/05/14(月) 15:08:48.77
>>811
どう読んだら、そうなったの?
0813日本@名無史さん垢版2018/05/14(月) 18:40:52.19
>伊都国が目的地なんだからな。

意味不明。陸行一月だろうと一日の誤記だろうと、至るのは「邪馬台国」であってこの文脈に伊都国は無関係。
0814日本@名無史さん垢版2018/05/14(月) 19:23:05.64
伊都国が卑弥呼の都なんだよ。
0815日本@名無史さん垢版2018/05/14(月) 19:27:24.08
なるほど。
で、それは倭人伝のどこに書いてるの。
0816日本@名無史さん垢版2018/05/14(月) 19:30:40.91
九州説が末期症状だ
0817日本@名無史さん垢版2018/05/14(月) 19:31:54.26
伊都国に有世王
卑弥呼女王の共立された国はもともと男王が七八十年
だったら邪馬台国=伊都国か、邪馬台国の都が伊都国か、
あるいは卑弥呼が女王になって伊都国の名称を邪馬台国に変えたのか。
どちらにせよ卑弥呼がいたのは伊都国しかない。
0818日本@名無史さん垢版2018/05/14(月) 19:33:52.21
伊都国が都で倭人伝は完璧に説明がつくのだが、
それだとオラが説が退場確定だからごねてるだけ。
0819日本@名無史さん垢版2018/05/14(月) 19:38:12.91
世に王が有ったら邪馬台国なんだwすごいねw
そりゃ、日本中オラが邪馬台国で溢れかえるわけだよ。

で、伊都国が邪馬台国だとすると、「其餘旁國遠絶 不可得詳」の二十数か国はどこにあるの。
0820日本@名無史さん垢版2018/05/14(月) 19:44:38.73
邪馬台国の首都が伊都国で魏使が駐した。ついでに漢使も<楽浪土器。

漢使も魏使もほぼ伊都国までしか来ていないのだから、
<楽浪土器はほぼ伊都まで
<倭人伝の見聞録に奴国弥生銀座が出てこない

「其餘旁國遠絶 不可得詳」の二十数か国は、
現代で言えば、唐津〜糸島〜福岡市を除いた、北部九州一帯の国々だろ。
0822日本@名無史さん垢版2018/05/14(月) 19:46:28.94
>>819
邪馬台国は北部九州に在り、投馬国が朝鮮半島南岸に在った
投馬国に対して邪馬台国側に都が在ったと書かれてるだけで
邪馬台国が卑弥呼の都ではない。
「其餘旁國遠絶 不可得詳」の二十数か国は邪馬台国内の国邑で伊都国や奴国、不弥国の先。
0823日本@名無史さん垢版2018/05/14(月) 19:50:21.02
>現代で言えば、唐津〜糸島〜福岡市を除いた、北部九州一帯の国々だろ。

勝手に除いたらあかんよw
ちゃんと旁(となり、かたわら、そば)の國って書いてるんだから。伊都国が糸島にあるとしたら、唐津や福岡市は立派に旁國になるんじゃね。
0824日本@名無史さん垢版2018/05/14(月) 19:52:00.05
>投馬国が朝鮮半島南岸に在った

だからそれだと投馬国は対馬以前に記述されていないとおかしいだろ。

いや、おかしいのはお前の頭だが。
0825本田垢版2018/05/14(月) 20:03:38.67
日魏志倭人伝における倭の地理的定位
*野上 道男
h ttps://www.jstage.jst.go.jp/article/ajg/2015s/0/2015s_100012/_article/-char/ja/
対馬海峡の流速は0.5m/sec程度であり(九州大応用力学研WEB公開データ)、
速さがその4倍以下の人力船は大きく流される.
海図も羅針盤もなく航路距離は測定不可能な値である.
そこで倭人伝に記述されている里数は測量による直線距離であると判断される.
つまり天文測量である1寸千里法(周髀算経)で得られた短里による数値である.

帯方郡(沙里院)から狗邪韓国(巨済島)まで七千余里、
女王国(邪馬台国)まで万二千余里、
倭地(狗邪韓国と邪馬台国の間)は(周旋)五千里と記述されている.
これらの3点はほぼN143E線上にある.
この方位線は子午線と、辺長比3:4:5のピタゴラス三角形を作る(周髀算経と九章算術で頻繁に使われている) .
帯方郡での内角は36.78度であり(N143.22E)、東南(N135E)
あるいは夏至の日出方向を東とする方位系での南(N150E)の近似である可能性が高い.

1.2万里は斜め距離であり、南北成分距離は、1.2万里x4/5=9600里である.
1寸千里によると日影長の差は9.6寸となる.帯方郡は中国の行政内であるので、
日影長による定位が行われていたはずである.
現在の知識では郡(沙里院)の緯度は38.5Nであり、日影長は21.53寸と計算できる.
それより9.6寸短い11.93寸という値が得られる緯度は31.92Nである.
方位N143E線と合わせると郡から1.2万里の点は宮崎平野南部となる.

測定誤差に配慮すれば、倭人伝では邪馬台国は九州南部にあったと認識されていたといえる.
それより詳しい比定は考古学の問題である.
漢文法に時制はなく、「邪馬台国女王之所都」は文意を補って、
邪馬台国はかって(倭)女王(卑弥呼)が都して(治めて)いたところである、
と読むべきであろう.
邪馬台国が倭国の首都であるとするのは明らかに誤読である.
0826日本@名無史さん垢版2018/05/14(月) 20:08:10.52
里程は漢使(<楽浪土器)による長年の実測だから、
里程における国名は漢代のものだろ。

日程は魏使の見聞録だから、
日程における国名は魏代のもの。


漢代の地名もある程度は残っていただろうけど、
交通の発達や
倭国王権の拡大、豪族の自治権縮小によって、
行政区画が大きくなったんだろ。

考古学的にも、
支配構造の変化<甕棺墓の衰退
伊都国王への権限集中<壱岐や唐津などの王墓消失
<平原遺跡へと権力集中している。
0827日本@名無史さん垢版2018/05/14(月) 20:20:07.27
>>826
あなた、考古学とか何も知らないで
妄想書いてるでしよ?
0828日本@名無史さん垢版2018/05/14(月) 20:23:40.23
伊都クズの言う「考古学的に」は考古学者の見解とはまるで異なる
本質的に自分に都合が良ければウソをつきまくるので信じてはいけない
0829日本@名無史さん垢版2018/05/14(月) 20:43:41.34
>>823
「其餘旁國」って読めないの?
0830日本@名無史さん垢版2018/05/14(月) 20:44:07.48
鉄器ゼロ
中国学術出土ゼロ
0831日本@名無史さん垢版2018/05/14(月) 20:48:15.08
>>824
投馬国と邪馬台国の記事は行程文の途中に挿入された注書きみたいなものだよ
里数で説明した行程を日数で再度説明し直したもの
里程は漢代の記録で魏略も参考にしている
日数は張政等が新たに報告した内容。
0832日本@名無史さん垢版2018/05/14(月) 21:36:51.73
>>831
そんなことあるわけないだろ

もともと里数で書かれていたものを
ある理由でわざわざ日数に換算したんだよ
0833日本@名無史さん垢版2018/05/14(月) 21:46:02.05
ある理由とは?
0834日本@名無史さん垢版2018/05/14(月) 21:50:02.48
邪馬台国は妄想になるからいい加減不毛なことに気づけや
0835本田垢版2018/05/14(月) 21:50:54.61
「三国志」魏志の韓の条に

「建安中(196〜219)公孫康は屯有県(楽浪郡中央部)以南の荒地を分ちて帯方郡となし、
公孫堪、張 敝らを遣わし、遣民を収集し、兵を興して韓・を伐ち、旧民稍出す。
この後、倭・韓ついに帯方に属す」

と書いてあります。

これを帯方郡を中心とした郡国制の成立と仮定すると、
近畿より九州のほうが帯方郡に近いので。
九州説のほうが有力です。
0836日本@名無史さん垢版2018/05/14(月) 21:58:25.94
妄想でいいなら北九州と大和に2つ邪馬台国があったと仮定すれば倭人伝との矛盾点の説明がつくだろ。
という具合にもうめちゃくちゃな妄想になるから邪馬台国は素人が触れるべきではない。
0837日本@名無史さん垢版2018/05/14(月) 22:07:56.59
妄想を排除すると伊都国に卑弥呼が居たことが確定する。
0838日本@名無史さん垢版2018/05/14(月) 22:12:10.99
>>832
「魏使が投馬国と邪馬台国に行ってない」、別の言い方すると「九州から出ていない」
ってことを言外にあらわすため
0839日本@名無史さん垢版2018/05/14(月) 22:13:58.62
>>838
何が言いたいのかよく分かりません?もう少し詳しく。
0840日本@名無史さん垢版2018/05/14(月) 22:14:18.00
>>837
それこそ素人ヲタの妄想の極地だw
0841日本@名無史さん垢版2018/05/14(月) 22:29:51.35
畿内説とか妄想をまき散らしてる自称学者も多いですからねw
0842日本@名無史さん垢版2018/05/14(月) 22:36:26.38
畿内説の専門家の自称学者とか素人以下だよなw
0843日本@名無史さん垢版2018/05/14(月) 22:40:52.37
伊都説なんてちょっと勉強した素人に否定されるレベルの妄想だし
0844日本@名無史さん垢版2018/05/14(月) 22:47:01.91
どこだろうが証拠もなく証明できないものをあれこれ考えても不毛なだけだ。
ヲタ臭いわ。
0845日本@名無史さん垢版2018/05/14(月) 22:54:07.91
魏志倭人伝に書かれてる邪馬台国を議論するのに畿内説は魏志倭人伝を否定するとこから始まってるから話にならないよ。
0847本田垢版2018/05/14(月) 22:59:32.89
2014年4月から2015年3月にかけて、
伊都国歴史博物館で「三国志」魏志 烏丸鮮卑東夷伝
の講義が12回開催されました。

講師は西谷正先生でした。

講義の中で先生は
「発掘調査の結果、邪馬台国は伊都付近には無い。」
とおっしゃってました。

詳しい説明はありませんでした。

先生は今、「海の道むなかた館」館長なので、
お近くに御住まいのかたは先生に質問できるかもしれません。

西谷正 - Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A5%BF%E8%B0%B7%E6%AD%A3
0849日本@名無史さん垢版2018/05/14(月) 23:01:57.46
>>847
こんな偽学者は日本の癌ですね。
0850日本@名無史さん垢版2018/05/14(月) 23:02:55.34
>>848
史料批判じゃなくて資料改竄ですね。
0852日本@名無史さん垢版2018/05/14(月) 23:05:10.44
倭人伝を信じないと!といいながら都合のいいところだけチェリーピックするのが九州説のデフォ
0853日本@名無史さん垢版2018/05/14(月) 23:11:20.43
九州説だと倭人伝の内容は全て正しいとの立場ですよ
畿内説の様に南と東を間違えたとか里数と日数の行程を続いて読んで目的地が何処だか分からないとかありませんからw
0854日本@名無史さん垢版2018/05/14(月) 23:15:50.28
で明記もされていない距離の単位をでっち上げたり
歴史学考古学的成果を無視してあらぬ方向に進むのなw
0857日本@名無史さん垢版2018/05/14(月) 23:29:45.47
>>855
どうしたら全て矛盾無く説明出来るかを考えるのが学問です
書いた人は矛盾なく書いたつもりなんですから
正しくないなんて考えてしまって自分の好きな様に理解したら妄想です。
0858日本@名無史さん垢版2018/05/14(月) 23:30:44.97
>>856
その為にも記述が正しい事を前提にすべきです。
0860日本@名無史さん垢版2018/05/14(月) 23:37:16.71
サッカーの試合をみて
「なぜ球を持って走らない!」
と騒いでるバカと一緒だなw
0861日本@名無史さん垢版2018/05/14(月) 23:39:32.99
伊都クズの主張が歴史学的に受け入れられることはあり得ないことが確定
0862日本@名無史さん垢版2018/05/14(月) 23:42:35.64
>>857 >>858
あんたの考え方は日本史の考え方とは全くの別物なんで
この板から出ていくことを強くお薦めしておくよ
0863日本@名無史さん垢版2018/05/15(火) 00:05:16.31
>>857
>書いた人は矛盾なく書いたつもりなんですから

そこんところは同意するよ
矛盾なく書いた「つもり」
でも、現実に地理とは合ってなかった

不十分な報告と、中華世界の世界観に照らして
「矛盾なく」書いた「つもり」ってだけだからね
0864日本@名無史さん垢版2018/05/15(火) 00:31:09.38
>九州説だと倭人伝の内容は全て正しいとの立場ですよ

全て正しいと仮定すると、帯方郡-不弥国逐次読み合算でも10700里しかなく、「自郡至女王國 萬二千餘里」には足らない。
陳寿の認識では、伊都国はもちろん不弥国までは未だ「女王国の範囲外」ということだな。
一大率が置かれている事から考えると女王国外の属国的ポジションであろう。
0865日本@名無史さん垢版2018/05/15(火) 08:48:20.22
>>864
女王の範囲は帯方郡から七千里の狗邪韓国からですよ。
0866日本@名無史さん垢版2018/05/15(火) 08:48:40.65
魏志倭人伝の邪馬台国までの里程
帯方郡(朝鮮北部)から狗邪韓国まで七千里、女王国まで一万二千里。
対馬海峡が三千里であり、帯方郡から九州上陸までで一万里となるので、邪馬台国の位置は九州北部になる。

魏志倭人伝の邪馬台国までの日程
帯方郡から邪馬台国まで水行10日、陸行1月(1日の誤りか)
ちなみに帯方郡から投馬国(宮崎都万)まで水行20日

後漢書における里程
大倭王は邪馬台国にいる。
楽浪郡の国境は、その国(邪馬台国)から一万二千里である。
倭国の西北界である狗邪韓國からは七千里である。
倭奴国は倭国の極南界である。

魏略逸文における里程
帯方(郡)より女(王)国に至る万二千余里。

邪馬台国時代の遺物の出土状況
http://yamatai.cside.com/tousennsetu/image/zu11.gif
0867日本@名無史さん垢版2018/05/15(火) 08:55:10.34
狗邪韓国は「大海之中」には無いので女王国はおろか、倭地ですらないよ。
倭人伝の内容が全て正しいとするならね。
0868日本@名無史さん垢版2018/05/15(火) 09:56:28.71
畿内という事は決定している。九州の高千穂、高天原は経由地。
0869日本@名無史さん垢版2018/05/15(火) 11:05:31.38
とこからの経由地で、それぞれ何年いた?
0870日本@名無史さん垢版2018/05/15(火) 11:07:38.30
>>868
畿内という事は決定している。
九州の高千穂、高天原は神話での話、経由もしてないし歴史と無関係。
0871日本@名無史さん垢版2018/05/15(火) 11:59:34.29
畿内の自然発生説?
ナンセンスだよ。
0873日本@名無史さん垢版2018/05/15(火) 15:20:16.95
天動説と自然発生説は、悪の二大学説だな。
0875日本@名無史さん垢版2018/05/15(火) 17:34:42.46
倭人伝の内容は全て正しいとの立場だと、陸行一月は文字通り「一月」であって、「一日」への勝手な読み替えは許されない。
そんな都合のいい改竄が許されるのなら、「萬二千餘里」は「二萬千餘里」の誤記だ!いや、「二千萬餘里」だ!なんて主張も否定できなくなる。
0876日本@名無史さん垢版2018/05/15(火) 17:39:24.25
どんな史料にも、史料の限界はあるんだから、「内容は全て正しい」なんて
いう原理主義に陥ったら何も分からないのと同じなんだけどね

女王國まで萬二千余里が「陳寿にとって正しい」というのと、
現実の地理に合致するかどうか、は別問題
0877日本@名無史さん垢版2018/05/15(火) 18:12:22.50
ここまで妄想が激しいと気味が悪い。
こういうやつらが新潟の事件みたいのやらかすんだろうな
0880日本@名無史さん垢版2018/05/16(水) 07:58:04.03
文学作品じゃないんだから、淡々と普通に読めばいいんだがね。あくまで歴史地理記録なんだから。
放射読みとか変則的な解釈も必要なければ、文中で断りなく起点を戻す珍行も考慮する必要もない。
現に、帯方郡からの行程を示す場合は「帶方東南大海之中」「從郡至倭」「自郡至女王國」とちゃんとわかりやすく書いてくれてる。
「伊都国から」の記述が必要な場合はその旨注釈を入れるだろう。

記録者の誤認識や誤記はあるか?
それはあるだろうよ。そもそも、距離や方位をどうやって知り得たか?すら定かでない。
現存する写本は編纂時から800年以上前の宋本が最古。人力で転記を繰り返してりゃ、誤記も起こるわ。


「誤り」があることを頭に入れつつ、注釈のある部分以外は順次読み。ただこれだけ。
0881日本@名無史さん垢版2018/05/16(水) 08:07:44.29
魏の使いが伊都までしか来ていないのに卑弥呼にあっているのだから、結論は出ていると思うけどね。
0882日本@名無史さん垢版2018/05/16(水) 08:24:29.67
魏の使いが伊都までしか来ていないのに卑弥呼にあっているって誰が決めた

w
0883日本@名無史さん垢版2018/05/16(水) 08:25:39.67
会っているとはどこにも書いてないがね?
0884日本@名無史さん垢版2018/05/16(水) 08:26:22.67
会ってないなら何しに来たんだよw
0885日本@名無史さん垢版2018/05/16(水) 08:32:33.35
「傳送文書賜遺之物詣女王」
国書と下賜物を伊都国から女王に「傳送(伝送)」させる為だね。
不弥国から水行20日+10日・陸行1月の「女王之所都」にね。

文書賜遺之物は伝送するシステムだと書いてるんだからしょうがないだろ。
謁見したとはどこにも書いてないがね。
0886日本@名無史さん垢版2018/05/16(水) 08:36:41.75
港から荷揚げするときに確認して、きちんと王宮まで届けているということだよ。
九州で荷揚げしたのだから、本州になんて運ばない。
0887日本@名無史さん垢版2018/05/16(水) 08:37:43.67
>九州で荷揚げしたのだから、本州になんて運ばない。
倭人伝のどこにそんな記述あるの?
0888日本@名無史さん垢版2018/05/16(水) 10:14:48.72
決して出ることはないだろうけれど、出土したら一発で邪馬台国論争が終わるもの

魏皇帝の詔勅を開封した時の封泥

これは、倭王の手元でなければ開封されてはいけないものだからね
で、これを魏使が手元から離して倭人に委ねたら、途中で開けられてしまうかも
しれないし、皇帝の使者としては失格

魏使が邪馬台国まで行っていない、というのは考えなくてよい
0889日本@名無史さん垢版2018/05/16(水) 10:31:49.66
>>888
伊都国で受け取る倭人がどのくらいの高官なのかによるね。

代理受領が中華でいうところの丞相や、天皇制での摂政レベルであれば何の問題もない。
倭人伝でいうところの「男弟」とかね。

卑弥呼は宗教的祭祀として「自為王以来少有見者」ではあるが、男弟は政務外交実務者だったかもね。


いずれにせよ卑弥呼に直接謁見した記録は「無い」。

謁見した「はず」は単なる希望的観測。
0890日本@名無史さん垢版2018/05/16(水) 11:47:49.63
>>889
>卑弥呼は宗教的祭祀として「自為王以来少有見者」

延喜式内明神大社
 ・天石門別八倉比売神社(社名自体が荘厳だね)
 ・一宮神社
 ・上一宮大粟神社

卑弥呼が「自為王以来少有見者」だったのは、↑の神山奥の院「上一宮大粟神社」建立地に引き籠っていたから。
葬られたのは、民が大勢暮らした弥生末期集落遺跡群の聖山「杉尾山」。  @阿波
0891日本@名無史さん垢版2018/05/16(水) 12:15:54.43
>>889
>卑弥呼は宗教的祭祀として「自為王以来少有見者」

延喜式内明神大社
 ・天石門別八倉比売神社(社名自体が荘厳だね)
 ・一宮神社
 ・上一宮大粟神社

卑弥呼が「自為王以来少有見者」だったのは、↑の神山奥の院「上一宮大粟神社」建立地に引き籠っていたから。
葬られたのは、民が大勢暮らした弥生末期集落遺跡群の聖山「杉尾山」「天石門別八倉比売神社」裏手の円墳。  @阿波
0892日本@名無史さん垢版2018/05/16(水) 12:52:46.88
いわゆるオラが邪馬台国の一つだな。
考古資料が貧弱すぎて地元の「自称」研究家以外に相手にされることは無いが、主張するのは自由なんじゃない。
0893日本@名無史さん垢版2018/05/16(水) 14:29:30.21
>>889
>代理受領が中華でいうところの丞相や、天皇制での摂政レベルであれば何の問題もない。
>倭人伝でいうところの「男弟」とかね。

その男弟はどこにいるのかね?
一大率の居るところには居ないだろ?

>>888での「魏使が邪馬台国まで行っていない、というのは考えなくてよい」が
>>889では「謁見した「はず」は単なる希望的観測。」に化ける不思議

「魏志が九州島から出ていない」というのは「九州説の命綱」であるけれど
立証困難、というより「水行20日+10日、陸行1月」を素直に読めば、
その時点で破綻している
0894日本@名無史さん垢版2018/05/16(水) 15:24:30.08
>>893
水行部分は「南」「東」の間違いだろう、というのが一般的だな。
これなら破綻しない。

九州説論者でも松浦・唐津=末盧国→糸島=伊都國 と比定する者が多いが、これも「東南陸行 五百里 到伊都國」とは合わんので90度読み替えてるわけ。

だが、誤認識・誤記の可能性を認めるということと「書いてない事実があったと決めつける」のとはまったく違うぞ。


魏使は卑弥呼と会ったかも知れないし、会わなかったかも知れない。
確実なのは「直接会ったという記録は無い」ということと、
「直接会わなくても特に問題はない」という事実だけだよ。



>その男弟はどこにいるのかね?
>一大率の居るところには居ないだろ?

なんでそう思うの?
「特置一大率檢察 諸國畏憚之 常治伊都國」と書いてあるね?
男弟が伊都国に派遣されて、九州方面総合統括官を務めてたりしたら具合悪いの?
女王之所都は邪馬台国と明記されている以上、伊都国は首都ではあり得ないが、外交・軍事のホットゾーンではあるだろうしね。

伊都国に常駐するのは男弟以外の高官で、国賓来訪時のみ邪馬台国から男弟が出張ってくる、って可能性もあるね?

卑弥呼の
「自為王以来少有見者 以婢千人自侍 唯有男子一人 給飲食傳辭出入居處」
という描写を見ると、政治的統治者としての実務…例えば「常治伊都國」は難しいように思えるがね。
0895日本@名無史さん垢版2018/05/16(水) 17:21:23.48
>>894
男弟とは「月読尊」
卑弥弓呼とは「素戔嗚尊」
卑弥呼とは「天照大御神=大宜都比売」だよ。  @阿波
0896日本@名無史さん垢版2018/05/16(水) 17:26:24.54
>>894
「天照大御神=大宜都比売」と「月読尊」は粟国側

「素戔嗚尊」は長国側   @阿波
0898日本@名無史さん垢版2018/05/16(水) 18:44:34.69
>>894
>なんでそう思うの?
>「特置一大率檢察 諸國畏憚之 常治伊都國」と書いてあるね?
>男弟が伊都国に派遣されて、九州方面総合統括官を務めてたりしたら具合悪いの?

男弟のことを議論しているときに、ここを引用しなくてどうする?
「有男弟佐治國。自爲王以來、少有見者。」
男弟は「佐治國」 国を治めるを佐(たす)く だよ

国を治めるを佐く=実務担当者であれば、
遠地に出向いているというのは考えなくていいだろう
一大率と男弟の職務は重ならないし、伊都国に出向いたと考える必要もないだろ
0899日本@名無史さん垢版2018/05/16(水) 18:49:25.67
>>898
だから、
男弟とは「月読尊」
卑弥弓呼とは「素戔嗚尊」
卑弥呼とは「天照大御神=大宜都比売」だよ。  @阿波 

「天照大御神=大宜都比売」と「月読尊」は粟国側
「素戔嗚尊」は長国側   
0900日本@名無史さん垢版2018/05/16(水) 18:53:24.30
>>894
>魏使は卑弥呼と会ったかも知れないし、会わなかったかも知れない。

年増だったと書いてあるのだから、会ったんだよ。

>「直接会わなくても特に問題はない」という事実だけだよ。

皇帝の代理で来ているのに、合わなかったら大問題だよ。
アホだろ。
0901日本@名無史さん垢版2018/05/16(水) 18:55:02.08
>>898
>国を治めるを佐く=実務担当者であれば、
>遠地に出向いているというのは考えなくていいだろう

男弟は常に卑弥呼のそばにいたのだろう。
伊都にいた使いが卑弥呼もしくは男弟に会うためには、彼らが伊都の近く、つまり九州にいなくてはいけない。
0902日本@名無史さん垢版2018/05/16(水) 18:56:51.31
>>91
だから、
男弟とは「月読尊」
卑弥弓呼とは「素戔嗚尊」
卑弥呼とは「天照大御神=大宜都比売」だよ。  @阿波 

「天照大御神=大宜都比売」と「月読尊」は粟国側
「素戔嗚尊」は長国側   
0903日本@名無史さん垢版2018/05/16(水) 18:59:05.04
>「魏志が九州島から出ていない」というのは「九州説の命綱」
なのは九州説だけの事情で、魏使が邪馬台国に到達していようがいまいが、卑弥呼に謁見してようがしてまいが、畿内への比定に影響はないんだがな。

日数表記が「倭人の距離」なのは明らかで、里数記載の行程記述に突然割り込んで来るのは「倭人からの伝聞」と考えるのが一番合理的なだけで。

伝聞情報しか得られなかったのは、魏使が記録できなかった=魏使は邪馬台国には行ってないかも?と考えるのは自然ということ。

邪馬台国に到達していたところで不弥国からの水行記載が消えるわけではないのだから、畿内にとって不利な事は何もない。
0904日本@名無史さん垢版2018/05/16(水) 19:12:44.01
>皇帝の代理で来ているのに、合わなかったら大問題だよ


どこにもそんな根拠はない。おまえ、アホだろ。


梯儁訪問時の下賜物の返礼は
「倭王因使上表 答謝詔恩」
と、卑弥呼は使いの者に因って謝辞を上表で済ませている。謁見の描写はない。

狗奴国抗争についての卑弥呼の訴えには
「遣塞曹掾史張政等 因齎詔書黄幢  拝假難升米 為檄告喩之」
と、檄文を難升米に預けて処理してる。謁見の描写はない。

卑弥呼死去後の乱に際しても
「復立卑弥呼宗女壹與年十三為王 國中遂定 政等以檄告喩壹與」
と、壹與にも檄文で処理してる。謁見の描写はない。

いずれも、魏使が直接謁見してもおかしくないケースだが、そのような記述は見られない。
0905日本@名無史さん垢版2018/05/16(水) 19:25:04.64
>国を治めるを佐く=実務担当者であれば、
>遠地に出向いているというのは考えなくていいだろう
>一大率と男弟の職務は重ならないし、伊都国に出向いたと考える必要もないだろ

いや、すいません、意味わかりませんわ。
洋の東西を問わず、帝や高位政務官が遠地に出向くことは普通に行われてますんで。
0906日本@名無史さん垢版2018/05/16(水) 19:34:12.91
>>905
>洋の東西を問わず、帝や高位政務官が遠地に出向くことは普通に行われてますんで。

遠方(直方)の一大率は筑紫忌部が務めるので、男弟の「月読尊」は卑弥呼の補佐に専念しているよ。  @阿波
0907日本@名無史さん垢版2018/05/16(水) 20:20:48.10
下賜物でもありえないが、
畿内にいる卑弥呼への金印を九州で渡すとかw

そんな考えだから成り立つ説ってこったw
0908日本@名無史さん垢版2018/05/16(水) 20:23:25.90
なぜあり得ないか、論理的に否定してごらん?
思う思うじゃなくて。
0909日本@名無史さん垢版2018/05/16(水) 20:24:56.58
鉄器ゼロの毛人の地に3世紀倭女王卑弥呼様がいるはずも無いから
0910日本@名無史さん垢版2018/05/16(水) 20:37:45.28
五斗長垣内遺跡を見てもわかるように、近畿地方はむしろ鉄器の先進地。

当時の九州は紛争地だから、兵器の出土が多い。

沖縄には日本最大の軍事基地がある!だから沖縄が日本の首都だ!とはならんだろ。

むしろ、国境線や紛争地からは離れた平穏な地に首都は置かれる。
0911日本@名無史さん垢版2018/05/16(水) 20:42:19.72
五斗長垣内遺跡の目の前の大阪湾沿岸にすら鉄器はほとんど出ない。

鉄原料は朝鮮半島から北部九州経由。
鉄製品も北部九州。
0912日本@名無史さん垢版2018/05/16(水) 20:46:18.23
アホやな。鉄器は摩耗しても炉にかけてリサイクルするんや。当時の鉄はまだ貴重品やからな。廃棄されるわけないから、出土しないのはあたりまえ。
武人の象徴として副葬されたら、墳墓がタイムカプセルになるけどな。
0913日本@名無史さん垢版2018/05/16(水) 20:50:07.46
鉄鏃を全管理して
最後の一本が見つかるまで全軍で這いつくばって探し続けるのが大変だから
木鏃や石鏃を使ったわけだな。
0914日本@名無史さん垢版2018/05/16(水) 20:52:17.49
ちなみに、鉄は磨いてもキレイにはならんからな。実用品としての強度は劣っても、祭祀器や宝物としては青銅の方が珍重されたんや。
青銅言うても、青くはないからな。磨けば結構なキンピカなるしな。銅鏡が長く「宝物」としての意味を持ったのはこのためや。
鉄鏡とか、無いやろ。
0915日本@名無史さん垢版2018/05/16(水) 21:04:25.26
卑弥呼がシャーマンなら、邪馬台国は宗教都市やからな。軍備は最低限で良かったんや。
国境でもなければ紛争地でもないからな。

九州は南に狗奴国を抱え、北の朝鮮半島も不穏。女王国としてもじゃかすか軍備を増強せざるを得んかったんやな。
本土防衛の防波堤やからな。

戦略シミュレーションやったことあるやろ。
遠隔地攻撃兵器のないシナリオやったら、国境線に主力軍投入して、内地は内乱を防げる程度にしとくやろ。
限られたリソースでは、当たり前の戦略や。

九州の兵器出土の群を抜いた多さが、「首都を置ける地ではない」という事を証明しとるんやな。
0916日本@名無史さん垢版2018/05/16(水) 21:28:52.94
地域全体に鉄器が乏しいのだが。
0917日本@名無史さん垢版2018/05/16(水) 21:31:25.17
そら、戦地に資材投入したら、本土は薄くなるやろ。
0918日本@名無史さん垢版2018/05/16(水) 22:00:44.72
>>908
>なぜあり得ないか、論理的に否定してごらん?

金印もそうだけれど、梯儁は詔勅を運んでいる
>>888でも書いたように
「魏皇帝の詔勅を開封した時の封泥 」が出れば邪馬台国の位置は確定
これは、魏使の梯儁も開封してはいけないんだよ

それを倭人に託すなんてのは、ない
梯儁は邪馬台国まで行かないといけない
0919日本@名無史さん垢版2018/05/16(水) 22:02:01.98
>>917
だよね。狗奴国についちゃったわけだね。
0920日本@名無史さん垢版2018/05/16(水) 22:09:31.51
>>905
>洋の東西を問わず、帝や高位政務官が遠地に出向くことは普通に行われてますんで。

それ、いつの時代だ?

まず第一、そのために一大率を置いている
一大率が倭国の高位政務官だよ

そして、現代の常識だと盲点だが、畿内と九州との間の連絡手段がない
知らせが来てからで迎えに行っても片道二ヶ月、往復4カ月かかる

さもなければ来る前から待つしかないが、いつ来るか分からない魏使を、
本国で女王の国政をたすける立場の男弟が、九州でぼーっと待って
いる訳にはいかないだろ?

男弟が遠地まで出迎えに行くのは無理だよ
0921日本@名無史さん垢版2018/05/16(水) 22:12:38.67
>「魏皇帝の詔勅を開封した時の封泥 」が出れば邪馬台国の位置は確定

そんなもん出てないですけどw

>それを倭人に託すなんてのは、ない
>梯儁は邪馬台国まで行かないといけない

だから、お前の願望語ってどうすんの?
倭人伝に、梯儁が邪馬台国に行った記述も直接謁見した記述も無いんだから。

ちなみに、現行憲法でも摂政は「国事行為に関する権限は天皇と全く同等」な。
厩戸皇子以降、女性天皇を理由に摂政を置いた事は何度もあるし、邪馬台国にそれに類する非常任職があっても不思議ではあるまい。
0922日本@名無史さん垢版2018/05/16(水) 22:13:59.21
>一大率が倭国の高位政務官だよ

それ、どこの史料にあるの?初耳だわw
0923日本@名無史さん垢版2018/05/16(水) 22:14:40.09
だから、お前の願望語ってどうすんの?

>邪馬台国にそれに類する非常任職があっても不思議ではあるまい。
0924日本@名無史さん垢版2018/05/16(水) 22:21:34.89
>>923
男弟に関しては「佐治國」とあるんだから、明確に国政代行者だね。「女王」であるが故の非常職か、卑弥呼が宗教祭祀専業であるが故の非常職なのかは不明だが。
0925日本@名無史さん垢版2018/05/16(水) 22:41:22.69
>一大率が倭国の高位政務官だよ

倭人伝では於國中有如刺史と、「刺史のようなもの」と記している。刺史は州長官クラス。将軍級待遇もあったが、高位官かと言われると???
丞相、右大臣、左大臣の類と比べると遥かに下。

まぁ、地方都市でしかない伊都國には州長官クラスで十分だったのかも知れないけど。
0926日本@名無史さん垢版2018/05/16(水) 22:59:34.21
>さもなければ来る前から待つしかないが、いつ来るか分からない魏使を、
>本国で女王の国政をたすける立場の男弟が、九州でぼーっと待って
>いる訳にはいかないだろ?

魏帝は卑弥呼の朝貢(238年)に対して、難升米・牛利を先行して帰国させてる。銅鏡100枚はこの時な。
この時に、金印授受の旨は予告してある。

梯儁派遣はその後(240年)。印綬の類はこの時。


梯儁派遣予定は難升米が知ってるんだから、合わせて待つことはできる。
当時のことだから、数カ月の待機期間はあったろうが「いつ来るかわからない」なんてことはない。
0927日本@名無史さん垢版2018/05/16(水) 22:59:37.27
まるで一大率が伊都の支配者のような妄想カキコ。
0928日本@名無史さん垢版2018/05/16(水) 23:17:16.69
>>926
つまり、
銅鏡100枚は魏に既にあった銅鏡をかき集めて渡したわけだ。

金印は、特注で「親魏倭王」を刻まなければならないから、240年。

銅鏡100枚と
たった1個の小さな金印
どちらの方が製作に時間がかかるかは、わかるよな?
0929日本@名無史さん垢版2018/05/16(水) 23:23:28.74
キナイコシ

シャドーボクシングしていたら鳥居に引っかかって

一人でノックダウン 乙www
0931日本@名無史さん垢版2018/05/17(木) 06:25:49.02
>>910
>五斗長垣内遺跡を見てもわかるように、近畿地方はむしろ鉄器の先進地。

淡路島は倭国(阿波)の領分。 近畿に取り込んじゃ遺憾だろ。  @阿波
0932日本@名無史さん垢版2018/05/17(木) 06:28:14.40
>>911
>鉄原料は朝鮮半島から北部九州経由。

鉄原料は朝鮮半島から北部九州経由して、倭国(阿波)へ。
鉄製品も倭国(阿波)。  @阿波
0933日本@名無史さん垢版2018/05/17(木) 06:32:42.05
>>99
紀元前からずっと絹製品が出土
って証拠は?
0934日本@名無史さん垢版2018/05/17(木) 06:48:55.50
>>928
>銅鏡100枚と
>たった1個の小さな金印
>どちらの方が製作に時間がかかるかは、わかるよな?

ごめん、わからん。なんで製作時間が関係あるの?

238年の魏帝制詔の段階で既に「今以汝為親魏倭王 假金印紫綬 装封付帶方太守假綬」
と、金印紫綬は帯方郡預かりになってる。

政治にはいろいろと段取りが必要なもんだから、正式授受が240年になっただけだろ。

アポ無し直撃とか、倭も困るしな。国賓出迎え準備とかもあるんだから。
0935日本@名無史さん垢版2018/05/17(木) 06:53:45.21
>>925
>まぁ、地方都市でしかない伊都國には州長官クラスで十分だったのかも知れないけど。

一大率は筑紫忌部(州長官クラス?)  @阿波
0936日本@名無史さん垢版2018/05/17(木) 06:54:33.13
>>922>>925
一大率はのちの太宰府長官くらいだと思えばいいんじゃないの
遠地で本国政府を代表するんだから、十分高位だろ

現代でも大使級外交官の敬称は閣下だよ
0937日本@名無史さん垢版2018/05/17(木) 06:58:44.55
>>926
>梯儁派遣予定は難升米が知ってるんだから、合わせて待つことはできる。
>当時のことだから、数カ月の待機期間はあったろうが「いつ来るかわからない」なんてことはない。

片道2ヶ月、往復4カ月かかるんだよ
そこに数ヶ月も待機期間があったら、半年以上本国を留守にすることになる

佐治国は、国事の代行や摂政ではなく、彦姫制のヒコ王なのだと思う
つまり、政務に関しては「王そのもの」
それがおいそれと、九州くんだりまでは行ってられないよ
0938日本@名無史さん垢版2018/05/17(木) 07:05:47.43
>>903
>日数表記が「倭人の距離」なのは明らかで、里数記載の行程記述に突然割り込んで来るのは「倭人からの伝聞」と考えるのが一番合理的なだけで。

つまり里程は九州北部までで終わり、邪馬台国は九州北部
0939日本@名無史さん垢版2018/05/17(木) 07:06:40.80
>936
いや、倭人伝には「刺史のようだ」ってちゃんと書いてあるから。
魏使の認識では州長官・監督官級と捉えたということ。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%88%BA%E5%8F%B2

ただ、中華とはは比較にならないくらい規模が小さいから、位階的なものより「監察官」としての職能をイメージして例えたのかも知れない。
「特置一大率檢察 諸國畏憚之」とあるしな。

倭人伝の記述からは政府を代表するとか、大使館的な意味に捉えるのは難しい。
0940日本@名無史さん垢版2018/05/17(木) 07:07:35.84
>>908
>なぜあり得ないか、論理的に否定してごらん?
>思う思うじゃなくて。

九州で渡して畿内に届けさせて終わるなどということがどうしてあり得るのか、説明してよ。
0941日本@名無史さん垢版2018/05/17(木) 07:08:36.94
>>914
>鉄鏡とか、無いやろ。

無知なキナイコシ
0942日本@名無史さん垢版2018/05/17(木) 07:17:21.93
>>99
まず、自分で言ってることの証拠をだすといい

でないと、畿内説を論理的に潰すことなど不可能だ
0943日本@名無史さん垢版2018/05/17(木) 07:23:28.46
>>940

邪馬壹國 女王之所都は
「南至投馬國 水行二十日
南至邪馬壹國 女王之所都 水行十日陸行一月」

と、不弥国から最低1カ月以上の遠方にあり、

伊都国は
「郡使往來常所駐」
と、郡使が常に駐するところとあり、
「傳送文書賜遺之物詣女王 不得差錯」
と、文書賜物はチェックのち女王に「伝送」する

と、明記されており、なおかつ卑弥呼直接謁見の記述がまったくないことから。


「女王の都はめっちゃ遠いよ!郡使は伊都国で駐在するよ!文書や賜物は伊都国から女王宛に送られるよ!」

って明確に書いてある。

使者が女王に謁見して手渡しするなどどこにも書いてないんだから、それを前提とするのは空論に過ぎない。
0944日本@名無史さん垢版2018/05/17(木) 07:24:34.23
>>943
>使者が女王に謁見して手渡しするなどどこにも書いてないんだから、それを前提とするのは空論に過ぎない。

直接謁見するのが外交上の常識。
0945日本@名無史さん垢版2018/05/17(木) 07:30:09.04
>直接謁見するのが外交上の常識。

あほか。古代倭人の常識を現代の常識に当てはめてどうすんだ。

現代の常識では、受け入れ相手国の諸事情を最大限に尊重するのが常識。
尊重しないのは宣戦布告に近い挑発行為。

倭側のシステムが謁見不可になってるんなら、魏もそれを尊重するだろ。
0946日本@名無史さん垢版2018/05/17(木) 07:49:49.33
>>945
>尊重しないのは宣戦布告に近い挑発行為。

中華帝国は、地上において唯一の文明なんだから、他国の諸事情なんて気にしないよ
それが中華思想の本質

そして、宣戦布告と受け取られても構わない、まったく意に介さない、
のが大陸王朝皇帝のあり方
0947日本@名無史さん垢版2018/05/17(木) 07:52:10.07
>>945
>倭側のシステムが謁見不可になってるんなら、魏もそれを尊重するだろ。

中華皇帝を相手に通用するわけない。
0948日本@名無史さん垢版2018/05/17(木) 07:55:08.51
>>943
>「郡使往來常所駐」
>と、郡使が常に駐するところとあり、

多分ここに誤解があるんだと思う
郡使が常に「駐する」ところ、というのは、そこにとどまって
その先に進まないってことじゃないよ

スキップせずに、必ず寄ることを義務づけられている、というくらいの意味
0949日本@名無史さん垢版2018/05/17(木) 08:20:44.76
>>948
>スキップせずに、必ず寄ることを義務づけられている、というくらいの意味

伊都国は一大率(筑紫忌部)が大陸出入りを監視するための言わば、出入国管理局だからね。  @阿波
0950日本@名無史さん垢版2018/05/17(木) 08:22:08.62
>中華皇帝を相手に通用するわけない。

ばかなの?断言するなら根拠を示したら?

>スキップせずに、必ず寄ることを義務づけられている、というくらいの意味

そうだね。だから、その先の奴国、不弥国には(正しいかどうか別として)里程も記載してるでしょう。
駐在して、自由に動ける範囲が不弥国までだった、ということ。



繰り返すけどな、女王謁見があったか無かったかは邪馬台国比定地の障害にはならんのよ。
畿内説にとっては「謁見してなくても問題ない」ってだけの話。


「邪馬台国は不弥国から水行が必要で、かつかなりの遠方にある」という事実は消えないわけで。
逆にこの時点で北九州の各既述国は全て候補から消える。

邪馬台国に到達し卑弥呼に会ってたところで
「不弥国〜邪馬台国は倭船に乗って、倭國お任せコースだったから自由に寄港地も選べず、行程詳細も記述できなかったんだろうなぁ」
ぐらいに思うだけで。
0951日本@名無史さん垢版2018/05/17(木) 08:24:25.37
>>948
そこから先に進んだという記事がない。
日程は明らかに別情報。
同じ元資料を用いたと思われる後漢書では帯方郡から一万二千里で邪馬台国と明記しているし。
郡使は伊都までしか来ていない。
0952日本@名無史さん垢版2018/05/17(木) 08:28:21.02
>>950
>>中華皇帝を相手に通用するわけない。

>ばかなの?断言するなら根拠を示したら?

バカなの?
中国の冊封体制に組み込まれるということは、中国の儀礼を受け容れるということでもあり、それにより文明国としての扱いを受けることができたんだよ。
魏志倭人伝は、倭がそれにふさわしい文明国であることを具体的に報告しているんだよ。
ところが畿内の考古学的状況は、そういう文明国の姿から程遠いから、畿内説は魏志倭人伝は信用ならんと言いはらなくてはいけないわけだ。
0953日本@名無史さん垢版2018/05/17(木) 08:35:27.62
>>951
>そこから先に進んだという記事がない。

「今倭水人好沈没捕魚蛤」
「倭地温暖」
「以朱丹塗其身體如中國用粉也」

間違いなく、倭国(阿波)に来ているよ。  @阿波
0954日本@名無史さん垢版2018/05/17(木) 09:18:23.63
全部妄想だ。証拠出して物言えよ。
鏡の分布や炭素年代測定などから
畿内優勢は間違いない。
九州だと言い張るなら証拠出せ。
0955日本@名無史さん垢版2018/05/17(木) 09:25:41.04
魏志倭人伝他、海外の記録にも記紀にも完全に合致するのは阿波の他にない
0956日本@名無史さん垢版2018/05/17(木) 09:35:35.06
>>954
全部、邪馬台国と関係ないじゃん。
邪馬台国と同時代の遺跡など、全国どこでも予算をつぎ込めば見つかるはず。
日本列島には弥生時代にはくまなく人が住んでいたわけだからね。
0958日本@名無史さん垢版2018/05/17(木) 10:42:53.38
>>951
>そこから先に進んだという記事がない。

???
東南至奴國百里
東行至不彌國百里
南至投馬國水行二十日
南至邪馬壹國、女王之所都、水行十日、陸行一月

これ全部、伊都国内のことなの?
伊都国って、めちゃくちゃ広いね!!
でも、戸数は有千餘戸ww
0959日本@名無史さん垢版2018/05/17(木) 10:49:58.35
>>951
>同じ元資料を用いたと思われる後漢書では帯方郡から一万二千里で邪馬台国と明記しているし。

「同じ元資料を用いたと思われる後漢書」じゃなくて、
「魏志倭人伝を元資料として用いた後漢書」だよ
魏志倭人伝「だけ」でもないだろうが、大略は魏志倭人伝に準拠している

「帯方郡から一万二千里で邪馬台国と明記」
そんなことは明記してないよ? 記憶違いかな?
後漢書の原文は「樂浪郡徼 去「其國」萬二千里」で、
「その国」までの距離
直前に「其大倭王居邪馬臺國」とあるから、「邪馬台国と明記」って筆が滑ったのかな?
魏志倭人伝が下敷きなんだから、「その国」は倭国であり女王国だよ
0960日本@名無史さん垢版2018/05/17(木) 11:55:51.87
魏志倭人伝の邪馬台国までの里程
帯方郡(朝鮮北部)から狗邪韓国まで七千里、女王国まで一万二千里。
対馬海峡が三千里であり、帯方郡から九州上陸までで一万里となるので、邪馬台国の位置は九州北部になる。

魏志倭人伝の邪馬台国までの日程
帯方郡から邪馬台国まで水行10日、陸行1月(1日の誤りか)
ちなみに帯方郡から投馬国(宮崎都万)まで水行20日

後漢書における里程
大倭王は邪馬台国にいる。
楽浪郡の国境は、その国(邪馬台国)から一万二千里である。
倭国の西北界である狗邪韓國からは七千里である。
倭奴国は倭国の極南界である。

魏略逸文における里程
帯方(郡)より女(王)国に至る万二千余里。

邪馬台国時代の遺物の出土状況
http://yamatai.cside.com/tousennsetu/image/zu11.gif
0961日本@名無史さん垢版2018/05/17(木) 17:31:04.18
>>955
>魏志倭人伝他、海外の記録にも記紀にも完全に合致するのは阿波の他にない

賛同ありがとう。 あなたは以前は何説だったの?  @阿波
0962日本@名無史さん垢版2018/05/17(木) 17:58:24.61
>>958
>でも、戸数は有千餘戸ww

政治外交祭祀(すべて「まつりごと」)に特化した王都だったんだね。
0963日本@名無史さん垢版2018/05/17(木) 17:59:23.81
後漢書

倭在韓東南大海中依山㠀為居凡百餘國 自武帝滅朝鮮使驛通於漢者三十許國 國皆稱王丗丗傳統其大倭王居邪馬臺國(案今名邪摩惟音之訛也) 楽浪郡徼去其國萬二千里其西北界狗邪韓國七千餘里 其地大較在會稽東冶之東與朱崖儋耳相近故其法俗多同

「倭は韓の東南、大海の中にある。山島に居住して、すべてで百余国。武帝が(衛氏)朝鮮を滅ぼして以来、漢と交流のあったのは三十国ほどである。国はみな王を称し、代々受け継いでいる。その大倭王は邪馬台国に居る(今の名を案ずると、ヤマユイ音のなまりである)。
楽浪郡の境界は其の国を去ること万二千里。その西北界の狗邪韓国を去ること七千余里。その地は会稽、東冶の東にあり、朱崖、儋耳に近く、法や習俗に同じものが多い。」

建武中元二年,倭奴國奉貢朝賀,使人自稱大夫,倭國之極南界也。光武賜以印綬

大倭王は邪馬台国にいる。
楽浪郡の国境は、その国(邪馬台国)から一万二千里である。
倭国の西北界である狗邪韓國からは七千里である。
倭奴国は倭国の極南界である。

つまり、倭国とは狗邪韓國から倭奴国まで。
畿内は倭国の中に含まれず、まして倭国女王卑弥呼がいたはずもない。
畿内にいたのは、墓が大きいだけの地方豪族だけである。
0964日本@名無史さん垢版2018/05/17(木) 18:01:47.98
>>963
倭国から一万二千里ではないね。
倭国の端は狗邪韓国で、そこからは七千里。
つまり、一万二千里は女王国または邪馬台国からの距離だ。
0965日本@名無史さん垢版2018/05/18(金) 08:23:45.06
あほか。
後漢書倭伝は「倭について」記された節だよ。

「楽浪郡徼去其國萬二千里」
「其國」は邪馬台国ではなく倭国のこと。
倭の端っこから楽浪郡までの意。

倭国が広範にわたる國邑連合体であり、邪馬台国は女王の居るところ、平たく言うと皇居。
卑弥呼は「邪馬台国王」ではなく「大倭王」であることからも明らか。

「日本は朝鮮半島の南東の海にあります。皇居は東京にあります。北朝鮮は、日本本土を離れて12000里ほどのところにあります」

同じ文中の「其西北界狗邪韓國七千餘里」は、「倭国西北の国境線」は狗邪韓國から七千餘里という意味。

倭国国境線が狗邪韓國以北にあったら、「倭在韓東南『大海中』」と矛盾するだろうが。


知っての通り、後漢書は倭人伝の引き写し再解釈で、新しい情報は何もない。
0966日本@名無史さん垢版2018/05/18(金) 08:44:08.14
>>965
>倭の端っこから楽浪郡までの意。

倭の端からは楽浪郡まで七千里だよ。
もう一度よく読めよ。
0967日本@名無史さん垢版2018/05/18(金) 09:08:09.97
どんだけ頭悪いの?
「楽浪郡徼去『其(A)』國萬二千里『其(B)』西北界狗邪韓國七千餘里」って書いてあるだろが。

一連の流れの中で『其』があるわけで、文章構造として『其』は同じものを指してないとおかしいだろうが。

『其(A)』=『邪馬台国』だとすると、『其(B)』=『邪馬台国』となる。

と、「其西北界狗邪韓國」は「邪馬台国の西北界は狗邪韓國」になり、これが成立しないのはわかるよな?

邪馬台国は倭国中の一都市でしかなく、イコール倭を表す語ではない。
倭人伝でも明らかにそのように扱われているし、「邪馬台国=倭」・「狗邪韓國は邪馬台国に含まれる」として、狗邪韓國〜投馬国までの戸数を積算して邪馬台国の戸数をオーバーしてしまうことからも、これはありえない。

『其(A)』『其(B)』=倭 であって、邪馬台国を指す語ではない。
0968日本@名無史さん垢版2018/05/18(金) 13:06:21.32
何が言いたいんだ?
0969日本@名無史さん垢版2018/05/18(金) 13:41:59.50
邪馬台国が楽浪郡から12000里で、楽浪郡〜狗邪韓国が7000里だとすると、狗邪韓国から邪馬台国は5000里。

架空の単位『短里』(70〜90m)を採用しても、350〜450km。
朝鮮半島南岸の狗邪韓国から400km±50kmも離れたら、北九州を軽く飛び越えてしまうわな。

後漢書の記載を信じるとしても>>963のように解釈したら、邪馬台国は北九州にはあり得ないねぇ。
0970日本@名無史さん垢版2018/05/18(金) 14:13:00.05
じゃあ邪馬台国九州中説を唱えてくれ。
熊本説や宮崎説もいることはいる。
0971日本@名無史さん垢版2018/05/18(金) 14:57:08.53
史書そのまんま読みなら、北九州よりは九州中南部の方が整合性あるな。
0972日本@名無史さん垢版2018/05/18(金) 15:06:05.74
ザラコク氏の筑後説の方が、伊都国説より可能性が高いとお考えですか?
0973日本@名無史さん垢版2018/05/18(金) 17:18:35.47
隋書倭国伝(唐代)

其國境東西五月行南北三月行各至於海
地勢東高西下
都於邪靡堆 則魏志所謂邪馬臺者也


「(倭国の)都は邪靡堆(ヤビタィ)、魏志で言うところのいわゆる邪馬臺だヨ!」
って書いてある。

編纂時で言うと飛鳥時代だから邪靡堆はヤマトの音訳として合致する。

遣隋使、遣唐使を経て倭人留学生なども居り、正しい情報が得られたわけだね。
0974日本@名無史さん垢版2018/05/18(金) 17:21:35.02
旧唐書

倭国はいにしえの倭奴国のことである。
四方の小島五十余国は皆、倭国に属していた。倭国の王の姓は阿毎(あま・あめ)氏で、一大率を諸国において検察させている。小島の諸国はこれを畏怖している。

日本国は倭国の別種である。
その国は日の昇る方にあるので、「日本」という名前をつけている。
あるいは「倭国がみずからその名前が優雅でないのを嫌がって、改めて日本とつけた」ともいう。
またあるいは「日本は古くは小国だったが、倭国の地を併合した」とも。

新唐書

王姓は阿毎氏、自ら言うには、初めの主は天御中主と号し、彦瀲に至り、およそ三十二世、皆が「尊」を号として、筑紫城に居住する。
彦瀲の子の神武が立ち、あらためて「天皇」と呼ぶようになり、都を大和州に遷した。
0975日本@名無史さん垢版2018/05/18(金) 17:29:02.72
>>974
>王姓は阿毎氏、自ら言うには、初めの主は天御中主と号し、彦瀲に至り、およそ三十二世、皆が「尊」を号として、筑紫城に居住する。
>彦瀲の子の神武が立ち、あらためて「天皇」と呼ぶようになり、都を大和州に遷した。

これって、大陸史書による倭国の情報「じゃなくて」、大陸王朝がどれくらい日本から情報を入れていたのかっていう情報だよね
日本書紀の記述は、新唐書編纂時には利用できたという情報
0976日本@名無史さん垢版2018/05/18(金) 18:21:40.14
>>974
記紀の引用だね。神武東征の件は、大和→西征の正当化のために創作されたというのが定説。
「元々我々は九州に居たのだからその地を取り戻すことは正当である」というロジックな。

現実にそのロジックでイスラエルは建国されてる。
0977日本@名無史さん垢版2018/05/18(金) 19:47:37.92
白村江で倭国が滅んで畿内の日本国が政権を取ってからは、頻繁に遣唐使を派遣する親唐政権となり、唐も日本書紀の言い分を聞き入れたのだね。
0978日本@名無史さん垢版2018/05/18(金) 19:49:42.05
>>976
>記紀の引用だね。神武東征の件は、大和→西征の正当化のために創作されたというのが定説。

そんな定説は聞いたことがないんだが?
いつ頃に、誰が唱えたもの?
0979日本@名無史さん垢版2018/05/18(金) 19:51:28.29
>>977
>白村江で倭国が滅んで

そんな話はない
白村江まで存続すると主張する古田史学系九州王朝説は、
トンデモ度が高い
0980日本@名無史さん垢版2018/05/18(金) 20:17:26.60
>>977
>白村江で倭国が滅んで

別に倭国は滅んではいないよ。

>畿内の日本国が政権を取ってからは、

畿内に日本国など存在していない。
倭国(阿波)から遷都して、日本と称しただけ。  @阿波
0981日本@名無史さん垢版2018/05/19(土) 03:26:42.06
里程記載を信じる
→12000里から狗邪韓国までの7000里を引くと残5000里となり、短里を用いても北九州の比定候補地を飛び越えてしまうのでこの時点で北九州全滅。

里程記載を信じない
→計測方法不明のため里程の信憑性が低いとしても、日数を間違うとは考え難い。
水行20日・水行10日陸行1月の時点で九州島ほぼ全域アウト。

方位に関しては、末廬国・伊都国・奴国を一般的な比定地(唐津・糸島・博多〜春日)に当てはめるとその時点で破綻する。
九州説・近畿説・その他説問わず記載通りには解釈しづらい。
0982日本@名無史さん垢版2018/05/19(土) 07:30:07.54
帯方郡
韓四千里
四方可四
千方可千
里四千里
三千里狗邪韓 ※7000(水行20日)

 (渡海千里) ※8000

   対馬
   馬(方可四百余里) ※8800余

  (渡海千里) ※9800余

    壱岐
    岐(方可三百里)  ※10400余

   (渡海千里) ※11400余

  末盧(五百)伊都(百)博多駅前陥没地点 ※12000余(水行30日陸行1日)
0983日本@名無史さん垢版2018/05/19(土) 07:54:15.20
>>981
>方位に関しては、末廬国・伊都国・奴国を一般的な比定地(唐津・糸島・博多〜春日)に当てはめるとその時点で破綻する。


だから、

末盧国(四千戸)(福津市辺り万津浦)

↓【東南】陸行500里  福津市→八木山峠越え(草木茂盛行不見前人)

伊都国(千戸)※大率が置かれる (直方辺り)

↓【東南】100里

奴国(二万戸)(田川辺り)

↓【東】100里

不弥国(千戸)(築上町辺り)

↓【南】 豊後水道 水行20日

投馬国(五万戸)(宿毛辺り)

↓【南】水行10日(太平洋ルート)又は陸行1月(旧土佐街道) 途中、阿南の若杉山辰砂採掘現場視察

女王・卑弥呼のおわす《邪馬台国 阿波》到着(七万戸)

↓【東】海渡1000里 (阿波から東へ1000里渡海)

女王国(阿波)の東、海(紀伊水道)を渡る千余里、復(ま)た国(畿内)有り、皆倭種なり。  @阿波
0984日本@名無史さん垢版2018/05/19(土) 08:12:26.56
旧唐書

倭国はいにしえの倭奴国のことである。
四方の小島五十余国は皆、倭国に属していた。倭国の王の姓は阿毎(あま・あめ)氏で、一大率を諸国において検察させている。小島の諸国はこれを畏怖している。

日本国は倭国の別種である。
その国は日の昇る方にあるので、「日本」という名前をつけている。
あるいは「倭国がみずからその名前が優雅でないのを嫌がって、改めて日本とつけた」ともいう。
またあるいは「日本は古くは小国だったが、倭国の地を併合した」とも。

新唐書

王姓は阿毎氏、自ら言うには、初めの主は天御中主と号し、彦瀲に至り、およそ三十二世、皆が「尊」を号として、筑紫城に居住する。
彦瀲の子の神武が立ち、あらためて「天皇」と呼ぶようになり、都を大和州に遷した。
0985日本@名無史さん垢版2018/05/19(土) 08:12:52.77
【白村江の戦いと倭国滅亡】

663年に白村江において行われた倭・百済と唐・新羅の決戦で倭国軍は大敗した。
自ら前線に赴いていた筑紫君薩夜麻が捕虜となり8年にわたり唐に抑留された。
筑紫には唐から郭務悰ら2000人の使節団が駐留したが、畿内大和ではなく筑紫を占領したのは、そこが倭国の首都だったからである。

668年、筑紫の使節団は帰国し、中大兄皇子は天智天皇として即位したが、その翌年には筑紫都督府が置かれ、同じ敗戦国の百済に置かれた熊津都督府と同様に唐の統治制度として機能し、倭国は独立国としての権限を喪失した。
旧唐書には倭国と日本国が分けて記載され、「日本は旧小国、倭国の地を併せたり」とある。
三国史記の新羅本紀には「670年、倭国が国号を日本と改めた」、新唐書にも670年に「日本と號す」とあるが、国内にはその記録がない。

671年に天智天皇が死亡、翌年にはその王子である大友皇子を殺した大海人皇子(天武天皇)が実権を握った(壬申の乱)。
天武天皇は対外的な国史としての日本書紀(漢文)を編纂させ、歴史上の天皇への漢風諡号の制定などを行った。
日本書紀の最大のトリックは、神武東征より後の筑紫倭国の歴史を抹消することであった。
日本書紀の編纂と並行して禁書令が出され、8世紀初頭に記紀以外の多くの古代の記録が失われた。
倭国の政治および文化を継承するために、筑紫から多くの文物、人物、建物、地名が平城京に移動された。

筑紫が679年に水縄断層系によるM7.1の筑紫大地震、畿内が684年に南海トラフ地震と推定されているM8.4の白鳳大地震により被災している。
筑紫は震災からの復興もままならなず没落したと考えられる。

701年の大宝律令で行政単位が評から国・郡に改称され、九州から関東までの中央集権国家としての畿内政権が誕生する。
この大倭の表記が大和とあらためられ、以前から筑紫倭国に対して近畿を示すために用いていた日本国が列島全体の統一王朝の国号となり、ヤマトは畿内の地名に変化した。
こうして筑紫倭国は滅亡し、その権益は唐に朝貢(遣唐使)を再開する畿内大和政権が継承した。
0986日本@名無史さん垢版2018/05/19(土) 08:59:23.30
そんな妄想を書き連ねて
どうして畿内説を潰せると
空想できるんだ?
0987日本@名無史さん垢版2018/05/19(土) 09:43:34.62
>>986
>どうして畿内説を潰せると
>空想できるんだ?

論理的思考ができないからだと思うなw
0988日本@名無史さん垢版2018/05/19(土) 10:32:26.96
北九州説を採ると、水行以降の記述をどうやっても合理的に説明できない。

帯方郡からの日数だ!と無理読みしたところで、他の記述「帶方東南大海之中」「從郡至倭」「自郡至女王國」に見られるような「帯方郡から」との但書きが無い理由が説明できない。
そもそも倭は帯方郡の東南にありと明記されており、水行部分で「南」と別方位記載となる理由が説明できない。
帯方郡からの連続読だとすると投馬国記述が九州上陸以前に記述されない理由が説明できず。
放射読とすると「官」が置かれ女王国統治下である事が明白な投馬国が邪馬台国より遠方となる理由も説明できず。

九州上陸後「陸行1月」してしまうとこれまた北九州には収まらないので「1日」の誤記との読み替えも必要。
0989日本@名無史さん垢版2018/05/19(土) 10:55:28.72
畿内説以外では

邪馬台国の位置を具体的に比定した、邪馬台国当時に最も近い文献である
隋書
「都於邪靡堆 則魏志所謂邪馬臺者也」
の記述を説明できない。
「誤りである」とする合理的な説明は存在しない。

旧唐書は魏志の誤読である。
魏志では「女王国」と「倭」は区別されている。一大率を置いた主体は女王国であり、倭ではない。
新唐書は記紀の引用である。
神武は後の創作であり、存在しないとの見解が定説。

何れにせよ魏志より600年前後も時代が離れ、隋書からも300年後の書であり、信頼性は薄い。
隋書の方が邪馬台国時代に近く、二唐書を隋書より信憑性が高い情報とする合理的説明はない。
0990日本@名無史さん垢版2018/05/19(土) 11:04:21.40
二唐書を盲信するのもバカだと思うが
切り捨てるのも同じくらいバカだぞ
0991日本@名無史さん垢版2018/05/19(土) 11:39:08.13
二唐書の記述でも魏志の水行記述を説明できず、切り捨てることになる。
こちらの方がよほど馬鹿…というか、二唐書は「邪馬台国」について言及された文書ではない。

邪馬台国比定に持ち出すこと自体が馬鹿。


魏志、隋書、二唐書すべてに整合性を持たせて説明すると、以下のようになる。

●大和=邪靡堆=則魏志所謂邪馬臺であり、女王国の首都「邪馬台国」は畿内にあった。
●倭奴=伊都=は女王国統治下、九州方面監督国であり、九州方面では優越的地位にあった(『丗有王』官も居たが王も居た、もしくは伊都国王が女王国の官に任命された)
●一大率は女王国の統治下、伊都国が主体として設置した(警察庁-各都道府県警の関係に類似)
●九州勢力指導層は、女王国崩壊後〜古墳時代初期に大和に移動し、地位を得た

「九州王朝」「九州勢力の武力侵攻による大和東遷」は考古的資料からは蓋然性が認められないが、穏健的移動、ヤマト王権中枢での地位獲得ならばあり得るか?
0992日本@名無史さん垢版2018/05/19(土) 11:56:35.97
>>991
>●・・・・・・・・・・・・・・・・・・・、女王国の首都「邪馬台国」は畿内にあった。

いきなりの飛躍。 根拠なし

>●九州勢力指導層は、女王国崩壊後〜古墳時代初期に大和に移動し、地位を得た

その九州勢力指導層が女王国崩壊後〜古墳時代初期に大和に移動した痕跡が見当たらない。  @阿波
0993日本@名無史さん垢版2018/05/19(土) 11:59:14.80
>>991
>いきなりの飛躍。 根拠なし

隋書
「都於邪靡堆 則魏志所謂邪馬臺者也」

隋書編纂時の都は大和であることは明確。
今のところこの記述を否定する史料は提出されていない。
0994日本@名無史さん垢版2018/05/19(土) 12:03:48.59
>その九州勢力指導層が女王国崩壊後〜古墳時代初期に大和に移動した痕跡が見当たらない。
ごく一部の指導者が移動したところで、物理的痕跡など残らない。
「記紀の神武東征を、完全フィクションではなく何らかの事実を基にしていたならば」の仮定的推察。

九州勢力→大和への移動は、畿内説的にはあっても無くても構わんよw

二唐書も比定検討史料として加えるならば…の話。加えなくても、これもOK。
0995日本@名無史さん垢版2018/05/19(土) 12:09:02.62
>>993
>隋書
「都於邪靡堆 則魏志所謂邪馬臺者也」

隋書編纂時の都は大和であるが、
隋書が記しているのは、魏志倭人伝(晋代)での「魏代の都」のこと。 勘違いしてはいけない。  @阿波
0996日本@名無史さん垢版2018/05/19(土) 12:09:05.49
>>991
>こちらの方がよほど馬鹿…というか、二唐書は「邪馬台国」について言及された文書ではない。

魏志倭人伝だって、邪馬台国について記した書ではない。
倭について記したものだ。
その倭の東に別の日本国があったという記録の存在は無視するべきではない。
後漢書は明確に倭を朝鮮半島南岸の狗邪韓国から九州北岸の倭奴国までとしている。
卑弥呼が即位するのは後漢滅亡の頃になるが、倭が大きく移動した記事はその時代にはない。
0997日本@名無史さん垢版2018/05/19(土) 12:10:23.15
【筑紫を中心とする倭国の交易路】
もともと日本海ルートが倭国の交易の主力だった。4世紀の仲哀天皇のときに関門海峡が開削され、5世紀の雄略天皇のときに風待ち港と澪標が整備され、瀬戸内ルートが整備された。なお、太平洋ルートは事実上存在しなかった模様。纒向は日本海ルートの末梢の辺境。

筑紫博多→出雲→丹後・若狭→能登・越→諏訪→甲斐・秩父
↓         ↓
↓     近江三上祝→東濃→纏向

宇佐→瀬戸内海→阿波・吉備→淡路島→摂津住吉


【九州北部勢力による倭国の拡大】
紀元前に、越のヒスイ勾玉を含む三種の神器が出現
→日本海沿岸の土器が博多湾へ流入

1世紀に銅矛などが拡散
2世紀に高地性集落が瀬戸内海を東征
→瀬戸内四国の土器が博多湾へ流入

2世紀末に銅戈が大阪湾上陸
→畿内から庄内式土器が博多湾へ流入

3世紀に大型内行花文鏡が畿内へ侵入
→畿内から布留式土器が博多湾へ流入
0998日本@名無史さん垢版2018/05/19(土) 12:10:57.15
【葛城鴨王家の系譜】
大和国葛城にいた古代氏族の系譜。

その祖は博多の王である大山祇の子であり、摂津に鎮座する三島溝杙耳(陶津耳)である。
その息子は登美に移住して神武と戦った長髄彦であり、娘は活玉依姫である。
出雲の国譲りの後に大和に移住していた事代主は三輪山の神となっていたが、活玉依姫に娘と息子を生ませる。
娘は後に神武の妃となるイスケヨリ姫(五十鈴姫)であり、息子は天日方奇日方(櫛御方)である。天日方奇日方はまたの名を鴨主という。
天日方奇日方の曾孫が太田多根子となる。

この家系には別の伝承がある。
飛鳥大神の娘である登美夜姫が、高天原からやってきた天照の孫であるニギハヤヒとの間に生んだ子が、物部氏の祖であるウマシマジである。
登美の長髄彦は、神武との戦いの中で「自分は天神の子であるニギハヤヒに仕えて妹をニギハヤヒに娶らせたが、どうしてまた天神の子と称するものが来て土地を取ろうとするのか」と言っている。
とすると、登美夜姫と活玉依姫はともに長髄彦の妹ということになる。

いずれにしても、大和国の主だった勢力はいずれも筑紫か出雲、高天原にその起源があることになる。
0999日本@名無史さん垢版2018/05/19(土) 12:13:49.27
魏志倭人伝の邪馬台国までの里程
帯方郡(朝鮮北部)から狗邪韓国まで七千里、女王国まで一万二千里。
対馬海峡が三千里であり、帯方郡から九州上陸までで一万里となるので、邪馬台国の位置は九州北部になる。

魏志倭人伝の邪馬台国までの日程
帯方郡から邪馬台国まで水行10日、陸行1月(1日の誤りか)
ちなみに帯方郡から投馬国(宮崎都万)まで水行20日

後漢書における里程
大倭王は邪馬台国にいる。
楽浪郡の国境は、その国(邪馬台国)から一万二千里である。
倭国の西北界である狗邪韓國からは七千里である。
倭奴国は倭国の極南界である。

魏略逸文における里程
帯方(郡)より女(王)国に至る万二千余里。

邪馬台国時代の遺物の出土状況
http://yamatai.cside.com/tousennsetu/image/zu11.gif
1000日本@名無史さん垢版2018/05/19(土) 12:14:22.68
最初の王都として福岡平野に吉武高木遺跡(紀元前2世紀)、奴国と考えられている須玖岡本遺跡(紀元前2〜1世紀)があり、
後に高祖山をはさんだ西側の糸島平野に移動して伊都国とされる三雲南小路遺跡(紀元前1世紀の王・王妃墓)、井原鑓溝遺跡(紀元1〜2世紀の王墓)、平原遺跡(紀元2〜3世紀の女王墓)がある。
三雲南小路遺跡の甕棺墓から発見された内行花文鏡には「見日之光天下大明」という銘文があり、太陽光を象った鏡であることがわかる。内行花文鏡は中国で王侯に下賜されていた形式であり、倭国が漢王朝の冊封の元での祭政一致王権をとっていたことがわかる。
昭和40年(1965年)に平原遺跡から出土した最大の内行花文鏡は国産と考えられている。その円周が漢代の8咫(直径1尺の円の円周が4咫)に相当することから、記紀などにおいてアマテラスがニニギに与えたとされる八咫の鏡であると考えられている。
かつては八咫は単に大きいことを意味するだけだという説もあったが、この鏡の出土により実際に円周がちょうど八咫である鏡が実在したことが確認された。
これらの王朝は高祖山の東側の福岡平野の奴国に成立し、後に西側の糸島平野の伊都国に移動しているが、出土品や墓制が同じであることから基本的には一連の王権であると考えられる。
三種の神器は現在の天皇家においても象徴とされており、倭国王権の起源は稲作伝来の地でもあるこれら博多湾・玄界灘周辺にあったことになる。
これが卑弥呼が女王となった倭国の姿である。
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