>>82
>辰韓(秦人)の民の頭は扁平で短く刺青があり男女は倭人に似ている。

興味深い記述だねぇ
短頭で顔が縦に短いと理解すれば、これすなわち九州南部以南〜沖縄の特徴とすこぶる一致する
朝鮮南部は属国というよりも、この手の人種が元々たくさん住んでいるところだったのだろう
朝鮮南部人は今でも丸っこい顔が多いゆえ、日本人以上にこの手の人種の影響が強い地域なのかもしれない
その緩さも、中国人の影響、モンゴル人の影響、その顔に影響を偲ばせるシベリア先住民の影響ももちろんあるだろうが、
沖縄や九州人にも通底する古モンゴロイド先住民の影響も濃厚にあるのではないか
沖縄なんかは欲望が爆発する自己抑制の利かないところゆえに、欲望肯定の中国人の影響があるにしても、
大いに参考になろう
不思議なのは、この入れ墨や海を跨いで活動する倭人がうようよいる漁撈性に富んだ辰韓から出現した新羅が
「私たちは海戦に慣れていません」と海を苦手としている点で、
彼らの古墳から出土する遺物にも海に関連するものはあまり見つからない
それどころか、新羅の王族の古墳から見つかるものは馬の趣向を凝らした装飾品や陶器、
緻密な細工をほどこしたイヤリング、ネックレス、とんぼ玉、ブレスレット、指輪、王冠、胸当て、帯飾り、烏帽子のような帽子、
それから何に使うのかよくわらない極めて西方的で非東アジア的な装飾品、ローマングラス、
そして仏教美術品といった大陸北方〜西方の影響を伺わせるものばかりで、チベット人のカム人風の
じゃらじゃらした首飾り、ネックレスも大量に出土することから、そのじゃらじゃら色々装飾したい志向といい、
大陸騎馬民族の影響を偲ばせる
一方で、新羅は後の遣唐使、大陸派遣団、留学生らが新羅の船を利用して中国に渡ったように、
海洋性に富んだ一面も見せる
おそらく新羅や他の朝鮮南部の国々は、この漁労民と大陸騎馬民族の二重構造になっているのではないか
この両者はある時には協力し、またある時には敵対し、またある時には支配と被支配の関係に置き換わる
そんな大陸性と海洋性を行ったり来たりするのが朝鮮という国ではないかと思う
まぁ、これがモンゴル人の襲来によって、かなり大陸のほうに引っ張られるわけだけど、
ツングースの可能性が高い李自成はまた海洋性に富んでいた