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戊辰戦争とは何なのか? [無断転載禁止]©2ch.net
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0001日本@名無史さん
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2016/07/23(土) 02:08:00.17
東北諸藩が朝敵の汚名を着てまで旧幕府勢力や会津藩に味方する義理なんてあったのか?
ここがいまいちわからない
0038日本@名無史さん
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2016/08/26(金) 22:03:24.92
>>36
イミフ
明治維新の本質の話してるのに、なんで戊辰戦争の段階での再交付論とか言い出すわけ?
話題にしてないことを出してきて何が言いたいの?
0039日本@名無史さん
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2016/08/26(金) 23:49:25.83
明治何年を基準に本質とか言っているんだ?
ふわっとしたイメージか?
維新後も士族が政権を握っているだろう。
0040日本@名無史さん
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2016/08/27(土) 00:23:32.62
そりゃ体制が落ち着くまでで憲法発布してだろ
維新後に士族が政権を握ったから何?
何もしてない公家に渡せと? それともそこらの農民に政権任せろっていうの?
0041日本@名無史さん
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2016/08/27(土) 15:08:20.94
>>12
まあ、半島近親の血は免れないんだろうなあ
0042日本@名無史さん
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2016/08/28(日) 22:00:49.74
>>38
これだけ言われて分からないお前のほうがイミフだよ
お前版籍奉還をめぐる議論とか全然知らないだろ

再交付論を否定してない版籍奉還って、
要するに朝廷が新領主になって改めて所領を安堵するってことだから
封建制度の残存と同じ意味だよ
つまり明治2年段階になっても士族階級否定どころか
封建制の行方すら不透明だったことになる
0043日本@名無史さん
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2016/08/28(日) 22:05:15.83
>>40
>そりゃ体制が落ち着くまでで憲法発布してだろ

帝国憲法発布は明治23年だし誰が起草するのかも明治20年頃まで決まってない
国法制定は明治3〜4年頃から制度取調が始まってるから二転三転してる

>何もしてない公家に渡せと? それともそこらの農民に政権任せろっていうの?

公家は普通に太政官の要職占めてるけど?
明治10年代までは、むしろ公家出身者を遠ざけて士族出身者に純化する時代なんだが
0044日本@名無史さん
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2016/08/28(日) 22:45:07.30
>>25
>明治維新の本質は武士階級のぶっ壊し

要するにここが根拠のない思い込みなだけだろ。
幕末から明治維新にかけてのどの時期をとっても士族が政権の中心だもんな。

落ちぶれた生活をしていた士族は負けた幕府側とか、明治政府内で競争に負けた者たち。
0045日本@名無史さん
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2016/08/28(日) 23:45:45.96
>>41
そういう半島から差別されて逃げてきて長州に住み着いた連中がやっぱり長州で差別されてて、日本の内戦煽って政権倒して支配差別階級に成り上がったんだよなぁ
だから成り上がった後には半島侵略に執着した、半島の支配差別階級になって復讐したかったんだろよ
0046日本@名無史さん
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2016/08/29(月) 02:42:27.24
200万人の士族が別に一つにまとまってたわけじゃないし、意味不明な議論だよな。
政権の中心に居た士族が、秩禄処分を実施して、士族を無収入の無職にしたわけだし
その報復で貧乏士族に暗殺されたりと、士族同士で足の引っ張りあいやってたでしょ
0047日本@名無史さん
垢版 |
2016/08/29(月) 08:20:43.50
貧しくて差別されてた階級が革命起こしたわかりやすい市民革命じゃないし(庶民は鉄砲玉に利用されたか蚊帳の外か戦の被害者)
同じ支配階級の若者による無鉄砲クーデターというだけでもない
カルトテロ教団と下心ある外国による政権簒奪要素もあるから成功したオウムとも言える
キナ臭いので明治維新は単純明解な戦国より人気が無い
0048日本@名無史さん
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2016/08/29(月) 09:25:21.88
>>47
>庶民は鉄砲玉に利用されたか蚊帳の外か戦の被害者


会津か…
0049日本@名無史さん
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2016/08/29(月) 10:22:25.80
>庶民は鉄砲玉に利用されたか蚊帳の外か戦の被害者


長州奇兵隊か…
0050日本@名無史さん
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2016/08/29(月) 11:57:37.65
>>47
いやいやいやいや、足軽は立派に差別されてただろ

現代では武士に分類される大名から足軽中間までおなじ支配階層だとかんがえてんの?
農民でも大庄屋から小作まで現代ではひとくくりだが、
農民だから大庄屋は生かさず殺さずの扱いだったか?
0051日本@名無史さん
垢版 |
2016/08/29(月) 11:58:16.79
>>49
奇兵隊にまともな士分なんか 上以外いないやろ


戊辰戦争時に会津がしたみたいな庶民に畳を持たせたり、容保派を見捨てて逃げたってあるんか?
0052日本@名無史さん
垢版 |
2016/08/29(月) 12:09:47.03
つうか馬鹿がいんな。

維新では実質卒レベルが指導者になるものがおおいなか、
戊辰後においても旧封建の士族間でのヒエラルキーが反映が維持されるのを恐れて段階的に士族を崩壊するのが目的なのは間違いない。

そそもそも卒みたいな他の庄屋や御用商人より差別階層たる卒が怒濤を組んで政治に口を出せるようになってる時点でもう崩壊してる。

さらには維新後も日本国として全体主義を確立していくためには、コジキ紛いだった卒でも社会的立場が上位なら服従させることを前提に体制を築かなければならないため、士族という旧来の士族間での序列が邪魔になるのは必定なわけ。

馬鹿は戊辰時は否定してないとか、そそもそも卒が指導者に成り上がってる時点で否定もなにも崩壊してんだよもう。
0053日本@名無史さん
垢版 |
2016/08/29(月) 12:22:57.95
>>42
あのな、犯跡奉還も段階的処置であって、そんなもん直ぐに廃藩置県がなされるんだから、
その後の県令は長州の卒レベルが大量になってる。

過渡期の戊辰戦争後の一時的収拾のためのもの。
士族制度を否定しないでどうやって足軽が総理や県令になれんだ馬鹿
0054日本@名無史さん
垢版 |
2016/08/29(月) 12:23:40.99
>>51
奇兵隊の半分は士分半分は農民庶民
最前線で戦わせた農民庶民隊士をリストラ
抗議したら斬首
それすら知らないアンチ容保の長州ヲタは話にならない
0055日本@名無史さん
垢版 |
2016/08/29(月) 16:50:04.00
>>54
斬首の資料は?
0056日本@名無史さん
垢版 |
2016/08/29(月) 16:56:21.21
>>54
>>庶民は鉄砲玉に利用されたか蚊帳の外か戦の被害者
↑と維新後のリストラを同一視してるな
0057日本@名無史さん
垢版 |
2016/08/29(月) 16:59:13.66
長州の汚点は歴史的事実でも絶対認めない長州キチは相手にするだけムダ
0058日本@名無史さん
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2016/08/29(月) 17:00:25.04
>>57
会津厨は戦とリストラの違いもわからないしな
0059日本@名無史さん
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2016/08/29(月) 17:24:34.16
庶民を戦に利用し要らなくなれば身分差別で首切り
歯向かえばガチ首斬り
それが長州
0060日本@名無史さん
垢版 |
2016/08/29(月) 19:13:07.17
◆ペテン師・佐藤洋一郎がなぜダメなのか


経年変化や環境変化で短期間のうちに著しく頻度を変えてしまう遺伝子調査において、
佐藤洋一郎が調査に使ったイネの調査サンプルは、

日本のイネの調査サンプルが稲作が伝わってから800年以上も経ってしまった鍵・唐古遺跡の炭化米、
朝鮮半島のイネの調査サンプルにおいてはいつの時代のイネを使ったのかさえ全く公表していない。

このように調査サンプルから疑わしい、欠陥ありありの、お遊び程度でやったペテン調査での捏造である。

この場合、BC10Cの稲作開始時の最古水田である菜畑遺跡の炭化米とそれ以前の朝鮮の炭化米で
比較調査しない限り、まともな調査結果など得られるはずがない。

ちなみに佐藤洋一郎はこの件で京大考古学陣に全面否定されている。
日本稲作が長江・江南から伝わったなんて言ってる頭のおかしな考古学者など一人もおりません。
0061日本@名無史さん
垢版 |
2016/08/30(火) 03:27:28.01
>>52-53
バカなのはお前のほうだよ。
「長州では卒レベルが指導者」って伊藤博文や山県有朋のことでも考えてるの?
彼らは足軽中間「出身」ではあっても足軽身分のまま藩政や国政に参加したわけではない

江戸時代は百姓町人身分であっても身分上昇の機会が与えられてるけど
別にそれは武士階級の否定にならないでしょ。

>あのな、犯跡奉還も段階的処置であって、そんなもん直ぐに廃藩置県がなされるんだから

おまえ…無知もいい加減にしろよ。
明治政府は府藩県三治制による統治を目指してるし、
廃藩置県は改革グループが提議してたけど、当初は明治政府は決して前向きじゃなかった
新政府の改革が行き詰まる中でクーデタ的に断行はされたけど、
計画的に実施されたわけじゃないのは廃藩置県が提議された経緯から明らかだろ。
0062日本@名無史さん
垢版 |
2016/08/30(火) 03:30:08.63
版籍奉還をめぐる議論や廃藩置県に至る政治状況を理解してなくて、
前者が「過渡的」とか言ってるヴァカが何で日本史板に存在してるのか。

明治政府が明治2年から目指してた統治形態は明らかに府藩県三治制。
勉強してないのもはなはだしい。
専門書一冊も読んでないのは確実。
0063日本@名無史さん
垢版 |
2016/08/30(火) 03:47:18.59
>>52
あと明治6年政変で西郷板垣らの参議が下野したあと、
明治6年11月に再開された家禄問題に関する議論でも
木戸孝允は家禄税に反対の立場を取り意見書を差し出して家禄への配慮を求めてるし、
伊藤博文もこれに賛成してる
この段階でも賛否が拮抗しながら家禄奉還とセットになってやっと家禄税が通った程度で、
士族の特権を一挙に剥奪するなんてところまでとうてい行ってない。
0064日本@名無史さん
垢版 |
2016/08/30(火) 04:05:25.62
>>58
戦いなら良くてリストラがだめという理屈がよく分からないが、
脱隊騒動はれっきとした「戦い」だぞ。鎮台まで出動準備していた明治初期の代表的反乱。
しかも脱隊騒動は天保以来の大きな百姓一揆も誘発した。
0065日本@名無史さん
垢版 |
2016/08/30(火) 04:14:55.54
>>50
どうも言ってる意味がさっぱり分からないんだが
足軽が差別されてたのは武士身分のヒエラルキーの中の話であって
たとえば長州藩毛利家では「足軽」は卒族として武士身分にカウントされるが、
陪臣は卒族にすら含まれないから足軽の下は普通にいたんだよ。
士族卒族に匹敵する数の陪臣層がいて、彼らは諸隊反乱でも反乱軍に多く参加してる。

だいたい武士身分の中でヒエラルキーがあった という事実が、
なんで「戊辰戦争当時から武士身分消滅が企図されていた」という話になっていくのか。
全く理解いたしかねる。
0066日本@名無史さん
垢版 |
2016/08/30(火) 05:14:10.60
版籍奉還から廃藩置県に至る過程で、
むしろ華族、士族の家禄の政府依存度は高まったし
禄券法の採用も高知、彦根、米沢など一部の先進改革藩にとどまっている。
家禄削減はあっても廃止に踏み切れてはいないし、
武士の名誉や身分的自律に伴う職業選択の自由の制限もかけられている。

しかも秩禄処分は廃藩置県の当時に強気だった岩倉具視や木戸孝允も急激に慎重になり、
欧州視察中は士族保護を要求して留守政府と見解を異にするまでに至っている。

日本の場合もともと武士身分は独自の所領を持つのでなく幕府や藩など奉公の対象を通じて特権や給付を保証されてるから、
廃藩置県と同時に経済的給付を停止することも可能だったわけだが、
そこまで踏み切れてる人間は誰もいない。封建制の改廃は逆に禄の政府依存度を高めている。
0067日本@名無史さん
垢版 |
2016/08/30(火) 06:32:25.22
明治政府は国民統合や財政の負担となる武士の特権は剥奪したけれども、
教範としての士族じたいを否定しようとはしていない
手本になってる欧州諸国はみんな貴族制度があるしよく言及もされている
0068日本@名無史さん
垢版 |
2016/08/30(火) 06:59:03.09
秩禄処分をやったのは薩摩藩の下級藩士の息子である大久保利通
怒り狂った加賀藩の足軽に襲われて殺されたな
0069日本@名無史さん
垢版 |
2016/08/30(火) 19:16:39.65
>66
お前みたいな低脳は呆れるよ。

1、その後の大半の士族見ればわかんだろ。政府依存度が高くなるほどあぶれて、ナマポレベルの職なし役目なしが多くなっていく全段階。
膣六処分された下級武士なんぞ最低賃金すら満たないはしたがねに、古事記のように依存し
挙げ句は開拓民にされた膣六処分がなんだって?
2、
0070日本@名無史さん
垢版 |
2016/08/30(火) 19:21:41.76
2、身分的自立の制限

当初政府は各地の氾濫を恐れ、下級武士のような末端の鎮圧肉壁を臨時に備え必要とし、
制限かけなければならないほどモラルも生活水準も低い集団だったから。

その後自立すらできず、国の生かさず殺さずの最前線として開拓民にさせられる始末だがな。
0071日本@名無史さん
垢版 |
2016/08/30(火) 19:30:30.06
◆ペテン師・佐藤洋一郎がなぜダメなのか


経年変化や環境変化で短期間のうちに著しく頻度を変えてしまう遺伝子調査において、
佐藤洋一郎が調査に使ったイネの調査サンプルは、

日本のイネの調査サンプルが稲作が伝わってから800年以上も経ってしまった鍵・唐古遺跡の炭化米、
朝鮮半島のイネの調査サンプルにおいてはいつの時代のイネを使ったのかさえ全く公表していない。

このように調査サンプルから疑わしい、欠陥ありありの、お遊び程度でやったペテン調査での捏造である。

この場合、BC10Cの稲作開始時の最古水田である菜畑遺跡の炭化米とそれ以前の朝鮮の炭化米で
比較調査しない限り、まともな調査結果など得られるはずがない。

ちなみに佐藤洋一郎はこの件で京大考古学陣に全面否定されている。
日本稲作が長江・江南から伝わったなんて言ってる頭のおかしな考古学者など一人もおりません。
0072日本@名無史さん
垢版 |
2016/08/30(火) 19:36:42.98
>>67
極僅かしかその教範とされる仕事にもつけてないが?
大半が車夫や職人、開拓民だが?

あのな、大政官布告大綱では、
地域の行政は、
中央政府→明治の功労者
国会→大名家、公家等、一部功労者あり。
県令→藩執政、薩長閥
町村長→庄屋

わかるか?
維新後も家単位の有力者に地位や行政職を請け負わせてる。

たかが一介の藩士程度の大名の金魚の糞程度の存在は、教範という一個人としての扱いにすぎねーわけ。
事実上家単位で独立していなかった雑魚は個人としての扱い

庄屋や大名家は家単位としての行政職の委譲

わかるか低脳?
0073日本@名無史さん
垢版 |
2016/08/30(火) 19:46:17.57
大名や庄屋は家としての独立主体

藩士程度は個人としての庇護被体
0074日本@名無史さん
垢版 |
2016/08/30(火) 20:20:33.45
逆に西洋の身分社会に当てはめれば、
藩士は西洋では奴隷の傭兵。

庄屋は騎士階層の領主だがな。

西洋に当てはめれば一番ボロが出んのが藩士
0075日本@名無史さん
垢版 |
2016/08/30(火) 20:43:41.95
家としての独立主体でもない、

土地もない、屋敷もない、金もない、
こんなレベル。

だから、次男明治政府は藩執政や大名家や庄屋のように、行政機関自体を委譲される、用意していた階層と違い、

個人単位の存在でしかなく、教範レベルの個人単位の就職すらないが、それすらも政府は用意してない、価値もないレベルは一気に膣六処分したらリアルナマポになるからな。

それまでにお国は屯田兵と、職人しかない再就職の手助けとして、最低賃金にも遥かに満たない手当て金用意してくれたな笑

これがしがみついてた士族の特権てか?笑

そらたいしたもんだわおぶけさま笑
0077日本@名無史さん
垢版 |
2016/08/30(火) 23:30:04.75
バラバラだから整理してレスしておく
>>69
【その後の士族が没落した件】
落合弘樹が例に挙げてる京都府士族の生活状況の調査でいうと、
福知山士族410戸のうち生活状況が「上」2割、「中」6割、「下」2割で、
京都府士族全体で見ても半数以上は中等以上の生活。
元々士族は微禄で生活水準の低いものが圧倒的に多いから、
統計にあらわれた結果だけ見たら貧窮化は他の階級とそれほど違って現れてない。

理由は簡単で、高禄士族は教育水準も高い(漢学など官吏に必要な基礎教養を身に着けている)から、
教師、警察官、役人と言った官吏登用の機会を有利に生かすことができた。
明治政府は「官吏」登用機会まで奪ったわけではないからな。

もちろん微禄の者は大きな被害を受けた。
彼らはもともと貧窮していたし、藩の役職も下っ端で教育水準も高度なものではない。
要するに、中から上のやつは教育に投資してるから職にもありつける確率が高く、
今度は天皇の官吏様にジョブチェンジできた、いつの世も上のやつが強いと言うわけだな。
0078日本@名無史さん
垢版 |
2016/08/30(火) 23:36:27.24
>>70
これは…漢字の間違いがひどくて意味がつかめないが、
漢字を間違えまくってるこのような>>70士族は帰農、帰商するのもやむなしだろう

それでも政府は士族授産事業を進めてるし(失敗したが)
木戸孝允や岩倉具視らは華族士族の保護にずいぶん熱心だったから士族は他の階級に比べたら恵まれてる部類だろうな
大名貸をしてた商人など負債を明治政府が引き継いだ際にかなり踏み倒されてしまったから、
維新前の大阪の豪商34家のうち23家が破産・絶家となり、
「以前の勢力を維持できたのは住友、鴻池、加島屋など9家にすぎなかった」とされる。

何だかんだ言って武器を持って抵抗する可能性のある、そして明治政府の構成員と同質性を持ってる華族、士族は
その後の生活の心配をされてるだけ優遇されてると言えるな。
0079日本@名無史さん
垢版 |
2016/08/31(水) 00:00:21.14
>>72
【大半が車夫や職人、開拓民だと言う主張について 】

園田英弘らの研究によれば
明治14年(1881年)段階の中央や地方官における士族の官職保有率の割合を見ると、
官員総数が約7万8000人のうち、士族の任官者は約5万2千人、地方郡町村吏においても約9万2千人のうち士族の割合は1万5千人と、
比較的高い割合を占めていたとされる。士族総戸数は42万戸だから全員が官吏の職にありつけたわけではないが、
選抜制に置き換わる前の時期においては中上層士族は転職に成功していたものが多くいると見られる。

また官吏登用制度が整備される頃になると、今度は高等教育の機会を享受する者が多くなる。
旧制高等中学校の学生に占める割合は、明治前期にあたる明治19年(1886年)から25年(1892年)までの統計で
おおむね半数近く、低い年度でも3割強を占めており、士族が難関中学・高校へ進学していることが確認される。
全人口の5%に過ぎない士族の子弟が1000人〜数千人のエリートのうち半分を少なくとも明治20年代半ばまで占めてたわけだ。

また地方吏員や教員も士族占有率が高い職業。
明治中頃の郡区長クラスでは士族は平民の3倍程度、書記クラスでも上回っており、区長レベルになってようやく平民が上回る。
教職員はもっと露骨に士族優位が現れている。
地方税支弁の学校では校長、教員などは士族が8割近くを占有し、
小学校でも校長では士族が6割を占める。
逆に小使・給仕クラスになると平民出が8割を占める。

なお「教範」というのはべつに官吏登用機会のようなものを指す意味で使ってるのではなく、
社会的名誉を担い、四民に範を垂れるべき属性として扱われたとかそのような意味ね。
士族という属性の記載は大正にはいるまで戸籍に記載されたし、履歴書などにも記載がなされるなど、
各地域においてはそれなりの尊崇を受けた模様。
0080日本@名無史さん
垢版 |
2016/08/31(水) 00:07:35.38
士族って明治時代に入って突然没落したわけではないんだよ。
元々江戸期に蔵米知行が一般的になると、武士は給料取りに類似した性格になる。
しかもその知行も借上げなどで削られ、高禄者以外は役に付かないと生活できなくなり、
もっと禄が低い者は帰農が推奨され、内職を収入源にする者も増える。

そこに持ってきて戊辰戦争などの出費で各藩財政は破たん状態になる。
士族の経済的給付が財政的にいつまでも維持できない、破綻確実な状況なのは
幕末に入る前から当の士族が最もよく知る所となってるのさ。

幕臣などは経済的に見ればあまり豊かでない給料取りに過ぎないから、
知行を持ってるような高禄の者以外は生活のために引き続いて役職に就かざるを得ない。
これが明治政府の行政組織運営の円滑な移行を助けている。
0081日本@名無史さん
垢版 |
2016/08/31(水) 00:28:03.90
>>79←こういうばかが現実を歪めてるんだよな。
武士が人工の5パーくらいだとしても、
その他の支配階層の庄屋や御用商人は人工の1パ〜にも満たないレベルにすぎねんだけどな。

しかも群区長クラスは藩執政レベルでその直近下位の区長戸長は庄屋がほぼ。
中下士程度はほぼいない。

区長戸長は行政機関自体を委譲されており、庄屋屋敷が町村役場とされ、江戸時代からの権利をそのまま私有化レベルに委譲されてる。

人工の1パーもいない庄屋は、明治以降もほぼ行政機関を布襲するに至るレベル。
しかも夏目漱石や樋口など明治初期の超絶エリーとも庄屋の出。
中下士に有名人などたいしていない。

人工の五パーもいて明治初期にそんレベル程度しか職にありつけないとか、
どんだけリストラだよ
0082日本@名無史さん
垢版 |
2016/08/31(水) 00:39:27.76
士族は一部以外、土地も屋敷も財力もない貧困層が大半なため、
警察などの不浄現業くらいしかできず、
一部上位は教職員になれた。

しかし大半の中下士はそれらにすらありつけず、
職人、車夫、開拓民になるものが大半。
それらの下士足軽占有率が物語っている。

因みに庄屋は家単位に行政機関が与えられてるのにたいし、

職員職の士族は上士の家系が一戸につき何人も職員になっている形なため、
戸数に直せば全く違うで〜た。
中下士の貧困率の戸数率は半端ない。
0083日本@名無史さん
垢版 |
2016/08/31(水) 01:31:57.24
農場領主が多かった欧州やロシアでも貴族の生活はそんなに楽ではない
官吏になった人間の俸給は大体不足気味
農場経営が上手くいかず結局都会に出るケースも多い
0084日本@名無史さん
垢版 |
2016/08/31(水) 01:34:08.19
>>79
ゆがめてるも何も、園田の研究はもう30年前のものでかなり有名
教科書論争の時にも持ち出されたから一般人でも知ってる人もいるだろう
士族が職業選択において有利な立場にすらあったことを実証したものだよ
お前が文句を言うのは勝手だが、データはデータだからね
0085日本@名無史さん
垢版 |
2016/08/31(水) 03:07:49.85
>>81
バカはお前だよ…。
庄屋(肝煎)は年貢の貢納代行など行政末端を担う層で、
豪農・富農のような経済的階層を意味しない
(庄屋が富農とは限らないが、富農層は庄屋に限定されない)
高度な読書階級・知識層という意味なら奉公人も含めた武家人口の3倍
おおよそ全人口の1割はいると見ていい

しかも武家及び奉公人の多くは微禄で帰農帰商が勧奨されていたような層なのだから、
士族が有利な立場にあったことは間違いないよ。

あと>>81が述べてるのは「下士」の境遇なのだが、
彼らは高度な教養を持たず微禄だったから、もともと武士階級の中では貧窮に陥っていた層だったと言っていい
明治政府の施策さえなければ安全に食えてた層ではない。

>しかも群区長クラスは藩執政レベルでその直近下位の区長戸長は庄屋がほぼ。

戸長は明治15年ごろは4万人ほどおり、士族が2割で平民が8割を占めていたが、
明治21年には平民出の戸長が3万人から1万人を切るまで減少したのに対して士族出の戸長の数はさほど変わらないから、
「庄屋がほぼ」などという状況にはなってないよ。
言っておくが「庄屋」だって士族と同様の経済的変動にさらされ、没落した者が多い。
たとえば士族は帰農して失敗しても藩に復籍を願い出ると微禄で再採用される例が結構見られるが、
庄屋にはそんな特権は当然ながらない。
0086日本@名無史さん
垢版 |
2016/08/31(水) 03:16:20.18
>>81-82の反論が論外なのは、
園田や落合が紹介した例が実際に統計や調査に依拠してるのに対して、
数字も出せない「車夫の足軽占有率」などというものを持ち出してること。

それと武士身分の中でも、もともと貧窮に陥っていた微禄者や卒族の貧窮を取り上げて
「士族に厳しい」証左として扱っていること。
元々貧乏で身分が低く、数は多いが旧藩時代から困窮に陥っていた彼らが明治以降の統計で
「下層」に分類されるのは当たり前。
これは統計を見る際に注意を促される点。
0087日本@名無史さん
垢版 |
2016/08/31(水) 03:32:11.98
欧州などを見ても貴族階級=特権的に豊かというのは大きな誤解で、
何不自由なく暮らしているような何代も続く世襲貴族は一握り。
多くの貴族は勤務して報酬を貰わないとやっていけない。

しかしそれは貴族が「貧しい」ことを意味しない。
家産(あるいは家禄)を多少なりとも保証され、
官吏登用に近い所にいると言う点では全階層の中で恵まれてる部類。
0088日本@名無史さん
垢版 |
2016/08/31(水) 12:42:55.86
>>85
草生やしてすまないが、
平民と士族と区別されているが、
喜連川家より足利将軍家直系の平島公方家は、
明治政府から平民にさせられており、
その基準で全体を比較することは難しいよね。
だって全国の大名家より遥かに名門の血筋でも、
意図的に不遇な処遇を下されてるのをみれば、
士族が優遇されて当たり前な状況なわけで、
その状況下での割合を比較していかないと、
数値だけでの判断では状況下での条件が加味されていないと意味がないよ。
0089日本@名無史さん
垢版 |
2016/08/31(水) 18:40:18.29
>>85
庄屋身分を与えられてる層をいってんのに、
なんで高度な知識層農家にまで に変換さしてんのこの馬鹿?
庄屋の実数は江戸の武士数より遥かに少なく、
さらに戸数で言えば全体のイチパ〜未満レベルだといってんだよ。

知識層農家なら下士程度より遥かに教養高い
豪農層はわんさかいるから三倍どころかそれ以上だろうな。

帰農帰商うながされてたから優遇だ?
舐めてんの?
戊辰後静岡に移封後帰農ゆるされた旗本は上位の大草家らのおよそ1500石以上のみで、
大半が許されてない。
で、あぶれたリストラ策としての帰農でドンくらいの土地で帰農してんだよ?
帰農してりゃ優遇だ?笑
雑多出自が大半の江戸武士の分際が笑

そういや、江戸中期に伊賀の幕府御家人の本家や親族が伊賀で貧農だらけで、
食えないから自分等も武士にしてくれと大量に願い出た事件あったな笑

それから下士が武士層の何割だかしってんのか?
全国の戸長に士族が二割いた資料だせや?
平民とほざかず庄屋等といえや
0090日本@名無史さん
垢版 |
2016/08/31(水) 18:46:45.27
>>85
たしかにあんたがいう通り、こういう庄屋は没落していくケースはたたあったよ

( 江戸初期の岡藩  )
http://www.e-obs.com/heo/heodata/n332.htm
           ↓

〈旧在地領主層を庄屋に任命〉
 >>大分県下における近世大名は、すべて他国から入部してきた大名である。この大名が領主として領民を支配し、

>>年貢などを納入させることは、当初かなりの困難が伴った。

>>例えば、 中川氏 は文禄3年(1594)に 岡藩主 として入部したが、

>>入部の行列が 大友氏 の浪人の集団に襲われたり(赤岩合戦)、領内の村々に古年貢帳の差し出しを命じた際も、

>>磔(はりつけ)木を持参するという強行手段を構じなければ提出させられなかったりしたのである。

>>このような困難な状況を打開するために近世大名がとった方法は、旧在地領主層を庄屋に登用し、特権を与えるという懐柔策であった。

>>岡藩 の場合、各村に庄屋を任命し、それを統轄し 郡奉行 と庄屋とのパイプ役として千石庄屋を任命している。

>> 千石庄屋 の名称は、1,000〜1,500石を統轄範囲単位として1人ずつ任命されていることによる。そして、これらの庄屋層には在地領主時代からの特権の一部を認めていたのである。

>>また、 杵築藩 では各 手永(てなが) ごとに 大庄屋 を配置していたが、この大庄屋は士分に準ずる取り扱いをうけていた。


>>>>>>>>>このように諸藩では、旧在地領主層との妥協の上に藩政をスタ−トさせたのである。
0091日本@名無史さん
垢版 |
2016/08/31(水) 18:52:45.80
庄屋サマは、戦国以前からの在地の有力者がなってるから、
家単位で独立していた家は、大名家、旗本以外では唯一無二の領主層の財力と権利と権威をもってたのが庄屋様だからな。

貧困層のなんの権利も権威もない、
帰農や古事記まがいの微録奴隷奉公が優遇と感じる武士様とはちょいと、戦国以前からの出自が違うもんで、よーわからんわそん価値観笑
0092日本@名無史さん
垢版 |
2016/08/31(水) 18:56:16.12
>>87
あのな、欧州では在地に固有の土地やその民を直接管理下に置いてるものを領主

江戸武士のような存在は他国から連れてきた奴隷傭兵というんだよ低脳
0093日本@名無史さん
垢版 |
2016/08/31(水) 19:02:37.09
付け加えれば欧州貴族は裕福が条件とか財力云々何て言ってないのに、
江戸武士の貧困と勝手に結びつけてるお粗末さ。
フランスでは商人貴族が半数以上ですげー裕福だけどな。

しかし、欧州貴族で土地なし、屋敷なし、なんていないし、何代にもわたる永遠の奴隷奉公なんてあり得ないし、

幕末に来た列強が 長屋にぶちこまれていた武士をみて奴隷と勘違いしたっての有名なはなしだがな。
0094日本@名無史さん
垢版 |
2016/08/31(水) 19:25:12.76
◆ペテン師・佐藤洋一郎がなぜダメなのか


経年変化や環境変化で短期間のうちに著しく頻度を変えてしまう遺伝子調査において、
佐藤洋一郎が調査に使ったイネの調査サンプルは、

日本のイネの調査サンプルが稲作が伝わってから800年以上も経ってしまった鍵・唐古遺跡の炭化米、
朝鮮半島のイネの調査サンプルにおいてはいつの時代のイネを使ったのかさえ全く公表していない。

このように調査サンプルから疑わしい、欠陥ありありの、お遊び程度でやったペテン調査での捏造である。

この場合、BC10Cの稲作開始時の最古水田である菜畑遺跡の炭化米とそれ以前の朝鮮の炭化米で
比較調査しない限り、まともな調査結果など得られるはずがない。

ちなみに佐藤洋一郎はこの件で京大考古学陣に全面否定されている。
日本稲作が長江・江南から伝わったなんて言ってる頭のおかしな考古学者など一人もおりません。
0095日本@名無史さん
垢版 |
2016/08/31(水) 19:46:27.30
>>88
足利直系公家を平民に落としたところが、南朝マンセー明治政府らしいよ
0096日本@名無史さん
垢版 |
2016/09/01(木) 01:06:03.29
足利直系でも京都で浪人してたほど落ちぶれてた事が審査にひっかかった
0097日本@名無史さん
垢版 |
2016/09/01(木) 01:23:07.46
平民にさせられたとか、明治政府が平民に落としたとかじゃなくて自分から落ちただけだろう。
阿波藩から離脱してたんだから士族になれなかったのは当然だし、
その上、母方の京の家で無職暮らししてたんだからな。
0098日本@名無史さん
垢版 |
2016/09/01(木) 04:02:08.48
>>88
反論の意図が不明なんだが。
足利将軍家直系の平島公方家なんて特殊な事例を持ち出して統計に文句つけるって意味ないでしょ。
統計はそういう個別事例まで包含した数字なんだから。
お前が言ってるのは「データはそうだろう、だが俺の知ってる例はそうじゃない」というのに過ぎず、
ただの駄々に過ぎないじゃん…
0099日本@名無史さん
垢版 |
2016/09/01(木) 04:10:48.64
>>89
反論するなら1つのレスにまとめて、なるべくきちんとした文章を書こうね。
思い付きで次々に書きなぐってたら読んでるほうが頭痛くなるからね。

お前の反論も同じだよ。
なんで統計にあらわれた「平民」を「庄屋」と同視するの?まずそこからダメね。
次に郡区長と書記を除いた「戸長」の占有率だけ抜き出して問題にしてるけど、
郡区長や書記は士族占有率が圧倒的に高いうえに、村落の支配は江戸時代も肝煎などが年貢を代行してるから、
士族の着任者が少ないのは当たり前なのだよ。それに時代を追うと戸長の総数の減少で
士族の比率が高まる傾向にすらあったのは園田らの研究が指摘する所。

なお、園田ら「士族の歴史社会学的研究」のこの統計についての説明を見ても、
お前のように「士族が締め出された」なんて解釈は全くとられていない。
研究者に相手にされない独自見解ということでよろしいかと思う。
0100日本@名無史さん
垢版 |
2016/09/01(木) 04:12:50.59
>>90-91
それは明治における豪農層の没落についての統計に基づく反論じゃないじゃん。
全く意味がない。却下。
0101日本@名無史さん
垢版 |
2016/09/01(木) 04:23:13.03
>>91-92
>あのな、欧州では在地に固有の土地やその民を直接管理下に置いてるものを領主

誰が「領主」の定義について論じろと言ったの?
そんなこと言ったら日本の武士は領主ですらないじゃん。
それが明治初年における武士の家禄をどう把握するかの議論にも影響してくるけどね。
一言で言えば家禄は所有権を意味しないと言う所論のほうが勝利した。
「貴族」の実態について欧州でも勤務によらざれば生活が厳しい貴族が大勢いたと言う文脈で論じたんでしょ?
実際に明治維新と同時期の欧州社会では土地貴族の零落事例がたくさんあるし、
勤務をしても都市生活では充分な所得が得られる者は少なかったことが分かる。

>>88-93には統計的な反論が一切含まれておらず、個別事例や抽象論による反論だから却下だよ。
唯一含まれている(と本人は思ってる)庄屋と戸長の事例についても、
戸長が村落の名望家から選出されていたこと、さらにその戸長の総数が減少しているのに士族出身戸長は数が減っておらず、
占有率が高まっていることから、何ら反論になっていない。

まず士族の経済的階層の動向などについての研究読んだら?
自分はいちおう園田らの研究をもとにして数字出してるし、
統計については本文中の注釈なども参考にしてるから、独自見解ではなく研究者の調査結果をもとにしてる。

つまりこれに不満があるってことは、自分に喚き散らして済む問題ではなく
@お前が独自の読み方を披露して彼らに反論するか、
A自分で彼らに匹敵するデータ集めて読みこなすか

どっちかしかないのね。
今の状態、はっきり言って俺はこう思うってわめいてるだけだから、こちらも赤ん坊をあやしてるようで張り合いがない。
0102日本@名無史さん
垢版 |
2016/09/01(木) 04:31:10.56
落合さんも注記してるけど、
「士族が零落した」という事例をいくら集めても、興味本位の報道も珍しくなく、
実態を反映してるかどうかは不明だから調査して統計的に見るわけ。
で、統計的に見るとまた違ってるんだよ。

簡単に言えば、もともとの家禄の高はその後の社会進出にかなり影響する
(金が続かなければ教育投資もできない)
しかし、士族は基礎教養や職能的に官吏、工場、商家のスタッフなどにかなり有利だったことも確かで、
経済的零落は単純労働に移行する割合が高く、家禄も高くない卒族に現れてくる。

そして移行後の生活水準と家禄を比較してみると、職種によって差があり、
就いた職種の差で家禄の差をカバーできはするものの、やはり家禄を持ってた人間は総体的に有利ではある。
それは財産的な問題だけでなく、おそらく高禄者の教養が低禄者より高度なもので、
各職種の主任や、官吏教師警察官など公務員待遇の職にふさわしいものだったことから来る。
0103日本@名無史さん
垢版 |
2016/09/01(木) 05:14:26.30
あと>>89が大きな誤解もしくは悪意ある引っ張り込みをやってるから注意しておくと、
園田らの調査にある「平民」は当然ながら庄屋を意味しない。
士族、平民の別は職種に関係なく使われてる。

>>89は地方官吏の内訳・推移に使われてる「平民」は庄屋のことだと決めつけるが、
その決めつけは区長に関しては一部該当するが、それも>>99の通り反論が容易であるうえ、
高等教育獲得機会や他の職種の占有率などには ま っ た く 当てはまらない
完全な曲解。

自分が「庄屋」を恣意的に母数に設定するバカに対して、
「読書階級」をとりあえずの基準として用いたのはこのような職種においてはそれが必須条件であるため
母数がそれより小さくなることはあるが大きくなることはないと言える。
0104日本@名無史さん
垢版 |
2016/09/01(木) 05:25:16.63
×その決めつけは区長に関しては → ○戸長に関しては

なお戸長のうち士族出身者の数が減ってないのに平民出身者の数が激減してるのは、
明治17年の戸長制度改革(任命制の採用、規模の拡大)が行われたからで、
士族出身戸長は待遇の改善と合わせてかなり有利になってるな。
0105日本@名無史さん
垢版 |
2016/09/01(木) 06:17:02.71
除族と言う刑罰があるんだから
士族否定する気なんてないよ
0106日本@名無史さん
垢版 |
2016/09/01(木) 06:31:34.08
武士は失業者でも有産者が多いから
不動産株券公債持ちの上士中士は裕福者が多い
就業状況だけ見てると分からない。

士族の9割は下士・卒で、元々困窮してる。
しかし卒の就業率は高い。理由はもともと内職してたから
だが就業率が高いからって生活水準が高いわけではない

明治は士族が没落した時代ではなく
「士族の階層移動と二極分化が促進された時代」
0107日本@名無史さん
垢版 |
2016/09/01(木) 07:31:34.15
まず大前提に没落なんていってない。
そもそもの武士の9割である下士が江戸時代から二極化してんだから、
明治もそのままという意味伝わってないのかなこのおじさん、、
0108日本@名無史さん
垢版 |
2016/09/01(木) 08:00:39.06
大体没落するほど財力も権威も役もなにもないだろ下士程度は
0109日本@名無史さん
垢版 |
2016/09/01(木) 14:48:54.27
>>107
なんで「下士の二極化」なんて突然持ち出してくるのか知らないけど、
統計を見る限り下士に限らず士族階級全体で二極化傾向が生じてるけど。

ただし、生活水準を見る限り1割程度の上士・中士が相対的に優位なのは歴然としている。
要するに9割と占める下士・卒は旧禄時代から貧困に陥っており、
明治期の生活水準調査で貧困と出てもそれは旧藩時代の生活水準と「変わらない」。

統計読む際に注意されるでしょ。
生活水準が中位以下が多くても相対評価ではないし、旧藩時代の禄高の分布と比較しろと。

上士や中士の資産内訳まで判明してるものもあるが、不動産、株式、公債などの保有高が高く、
資産性収入の占める割合が相当に高い。
0110日本@名無史さん
垢版 |
2016/09/01(木) 15:05:00.67
また、自分もうっかり士族の経済的状況に偏った議論をしていたが、
そもそも論として前掲園田の第2章「武士から士族へ」で
「これらの特権剥奪は身分制の解体、あるいは定められたばかりの士族という族称でカテゴライズされた社会層を解体する狙いがあった、
と考えるには疑問が残る」として、以下のような検討を行っている。

・平民という呼称が太政官布告に出現するのは明治3年9月の布告からで、
華士族の族籍ができた明治2年より時期が遅れること。
・明治4年5月の布告および明治5年11月の布告により、
士族に除族閨刑という「刑罰」が課され、平民籍編入というペナルティが定められていること。
また官職にあるものは士族の待遇を受けるとされ社会的栄誉を与えられていること。
・木戸孝允や岩倉具視らが士族と農商をおのずから異なり、社会の教範としての存在を期待し、
その保護を強調していることに見られる政府内の特別視的風潮。

他にも先行研究で明治初期の士族改革については
・財政的負担を伴う給付、身分特権は否定
・士族の意義については強調、ゆえに職業選択など完全な自由につき制限が課される
と言った矛盾した対策が取られていることに注意を促すものが結構あるよ。読んだ限り。
0111日本@名無史さん
垢版 |
2016/09/01(木) 15:17:10.57
あと士族の「零落」がよく問題にされるが、「階層上昇」も士族各層で見られる。
9割の下士・卒の約2割弱は最上層に移行してるね。
0112日本@名無史さん
垢版 |
2016/09/01(木) 18:23:07.54
まるで官僚になって整然としてる勝ち組士族と、
怒りで我を忘れた貧乏士族の議論のようだなw
0113日本@名無史さん
垢版 |
2016/09/01(木) 18:38:28.05
勝ち組士族のつもりの長州人

138 名前: 河津落とし(山陽地方)@無断転載は禁止 :2016/03/21(月) 16:07:11.94 ID:h5WBFzF6O
うちは先祖代々福島人(会津人)とは付き合うなと言われてる

それぐらい会津と長州の関係は根深い
0114日本@名無史さん
垢版 |
2016/09/01(木) 18:49:30.84
>>109
下士の二極化だなんていってないが?
だから江戸の武士層は二極化してるんですよ。
しかし、おたくは明治に二極化か促進されたと書いている。

そして、卒は就職率が高いというなんの根拠やパーセンテージでいってるのか高いというその根拠。まあ、最末端の現業だから職人ならいくらでもなれるがな。

また、内職営んでいたからという理由とすれば職を斡旋し、公務という形で用意されたのは どれくらいなのか。

単純にお前は士族というカテゴリーが優遇に直面できる条件というニアンスでの論点なわけで、
ならおよそ9割の下士は藩の録すなわち藩から食い扶持給料を貰えることが庄屋の用に支配村から税率まで裁量権もつ直接課税徴税権より特権というなら、
明治以降、その支配階層の9割は公務での仕事に斡旋された割合はどれだけだ?

庄屋の明治への戸長区長以降率、また郵便局委譲など行政機関のそのまま委譲率とくらべ、さぞかし士族は優遇とわかるほど、庄屋より圧倒的なんだろうから、示してくれ。
0115日本@名無史さん
垢版 |
2016/09/01(木) 19:00:50.08
>>104
庄屋の戸長が減らされた理由はなぜですか?笑

士族が優遇されたからとでもおもってんのこの馬鹿笑

以前書いた江戸初期は士分格でありながら千石の支配地もつ旗本寄合レベルの庄屋が全国にゴロゴロいたが、その母数は江戸中期に急激に減らされた理由と全く同じ。
0116日本@名無史さん
垢版 |
2016/09/01(木) 19:06:36.94
>>戸長は公選によって選ばれていたが、旧来の名主・庄屋など町村の指導的で行政の役割を担っていた豪農が選ばれる傾向が強かった。
>>それにより戸長の私宅の一部を戸長役場に充てる場合も多かった。

>>ところが、旧来の名主・庄屋の系統を引く公選戸長は明治政府の組織の末端にありながら住民の代表として

>>>>>政府の政策に対峙する姿勢を見せ、自由民権運動に走るものもいた。

このため、政府は1884年(明治17年)に制度の改革を行った。

>>戸長は政府の地方官(旧来の代官)としての側面と旧来の村役人としての性格を並存させており、その矛盾は戸長が自由民権運動の指導者となる形で現れることになった。

>>>>>>>>1884年(明治17年)5月7日、政府は戸長制度の改革を行い、 これによって政府の国策に忠実な行政官を戸長に任命することが目的に

0117日本@名無史さん
垢版 |
2016/09/01(木) 19:16:36.06
庄屋は末端ではあるが領主層なため、
また地域を私有化していた財力や影響力、権威が存在しており、
独立した個としての認識が強かったため、

江戸初期は藩や幕府、明治はさっちょう政府に従属せず対峙するほどの地域の影響があったため、幕府や政府はそれを怖れて犬みたい飼い慣らされたのに執行させるのが得策と考えだしたわけ。

因みに江戸初期、天草の乱の首謀者は旧材地支配階層の庄屋15家。

たった庄屋15家が地域を巻き込んで反乱おこしてただけで、日本市場最大級の軍勢で幕府が攻め混むことになる天草の乱が起きてるよな。

因みに幕府の総大将は討ち死にしてるが。

庄屋って、まじちっちゃい領主層だから、簡単には中央になびかねえどころか、
対峙までしちゃえる 力 が在地には存在すんのよ

わかる?
0118日本@名無史さん
垢版 |
2016/09/01(木) 19:23:30.09
だから、
政府が怖れて優遇したという表現は庄屋な。

【江戸時代初期】

>>このような困難な状況を打開するために近世大名がとった方法は、旧在地領主層を庄屋に登用し、特権を与えるという懐柔策であった。

>>して、これらの庄屋層には在地領主時代からの特権の一部を認めていたのである。

>>>>>>>>>このように諸藩では、旧在地領主層との妥協の上に藩政をスタ−トさせたのである。

【明治時代初期】

>>ところが、旧来の名主・庄屋の系統を引く公選戸長は明治政府の組織の末端にありながら住民の代表として

>>>>>政府の政策に対峙する姿勢を見せ、自由民権運動に走るものもいた。
0119日本@名無史さん
垢版 |
2016/09/01(木) 19:41:57.48
◆ペテン師・佐藤洋一郎がなぜダメなのか


経年変化や環境変化で短期間のうちに著しく頻度を変えてしまう遺伝子調査において、
佐藤洋一郎が調査に使ったイネの調査サンプルは、

日本のイネの調査サンプルが稲作が伝わってから800年以上も経ってしまった鍵・唐古遺跡の炭化米、
朝鮮半島のイネの調査サンプルにおいてはいつの時代のイネを使ったのかさえ全く公表していない。

このように調査サンプルから疑わしい、欠陥ありありの、お遊び程度でやったペテン調査での捏造である。

この場合、BC10Cの稲作開始時の最古水田である菜畑遺跡の炭化米とそれ以前の朝鮮の炭化米で
比較調査しない限り、まともな調査結果など得られるはずがない。

ちなみに佐藤洋一郎はこの件で京大考古学陣に全面否定されている。
日本稲作が長江・江南から伝わったなんて言ってる頭のおかしな考古学者など一人もおりません。
0121日本@名無史さん
垢版 |
2016/09/01(木) 20:02:41.22
読みづらい。それと、既に答えてる所を読んでない。

>>114
>下士の二極化だなんていってないが?

>>107でもろに言ってる。自分のレスなんだからそのくらい把握しろ。

>>115-116
>庄屋の戸長が減らされた理由はなぜですか?笑
>>104でもう説明してある。読め。
戸長制度改革では任命制となった戸長の待遇改善もなされてるから、
残ってる士族出身者は準官吏的処遇になり有利。それも上で指摘した。

>>117
島原の乱の解説されても余事記載。いまスレでやってるのは明治初期の士族改革。

>>118
数字が出てこない無意味な一般論。これも却下。


お前さあ、真面目に議論する気がないならこれで打ち切るぞ。
せめて統計の読み方について自分なりの反論でも見つけて来い 馬 鹿。
0122日本@名無史さん
垢版 |
2016/09/01(木) 20:07:51.95
>>112
自分はそんなつもりはないよ。

ただ園田=濱名=廣田の著名な研究をベースに、
このわからずやな人に解説してるだけ。

今のところ、この人からは自分が提示した統計と、
その解釈(前述の研究による)に対する反論がない。
いつ統計に関して反論してくるかと思ったんだが自信がないんだろうね。
研究者に逆らう勇気はないと言うことだろう。

彼はデータや具体的な指摘に対して、一般論と思いこみをグダグダ述べてるだけ。
0123日本@名無史さん
垢版 |
2016/09/01(木) 21:00:30.97
ムダ

アンチ会津だろどうせ
0124日本@名無史さん
垢版 |
2016/09/01(木) 23:09:01.39
121
お前って俺がいってる意味わからないの?
士族が優遇されたわけじゃなく、
庄屋が既得権益失うことで初めて有利な形となってんだが?

武士は一部しか優遇された歴史が江戸時代に存在しないということになるんだよ。

なぜなら庄屋より実数で優遇された既得権益が存在していたわけじゃないから。

お前がいってんのは一部士族の優位性をひたすら解いてるだけ。

優位ではなく有利というなら、
戸長制度でも優位な庄屋の立場を危うく感じた政府により、
その後一部士族が有利に後がまを公認されたまで。

それからちょっと君に訪ねたいことあるが、
ちょっと今仕事の連絡きたから、
ちょっと失敬する
0125日本@名無史さん
垢版 |
2016/09/02(金) 22:06:08.48
>>124
>お前がいってんのは一部士族の優位性をひたすら解いてるだけ。

全然違うけど。
士族社会で起きたことは「没落」というより「階層の変動」であり、
上から下への変動があったと同時に下から上への変動も生じていたことを統計から指摘しただけ。
その指摘も自分が考えたんじゃなくて、園田前掲書で共同研究者が指摘している。

さらに経済面を抜いても>>110のように、
>前掲園田の第2章「武士から士族へ」で
>「これらの特権剥奪は身分制の解体、あるいは定められたばかりの士族という族称でカテゴライズされた社会層を解体する狙いがあった、
>と考えるには疑問が残る」

として士族階級の特権視が制度的に残存していたことを前掲書では述べているわけだが。
どう見ても士族層じたいの解体が戊辰戦争時の目標だったとは言い難い。
0126日本@名無史さん
垢版 |
2016/09/02(金) 22:23:00.29
何で士族改革の代表的研究も知らないような極端な無知なのに、喧嘩売ってきた時に異様に高飛車だったんだろう
0127日本@名無史さん
垢版 |
2016/09/18(日) 14:28:11.59
会津プロイセン(ドイツ)との
提携を模索していたことが東京大史料編纂所の
箱石大准教授らの研究で明らかになった。
ドイツの文書館で確認した資料は
会津が北海道などの領地の譲渡を提案したが
宰相ビスマルクは戦争への中立
などを理由に断ったことを伝えていた。

ドイツの国立軍事文書館の資料で
10年ほど前にドイツ側の研究者が
存在を紹介したが詳細が不明だった。
箱石さんらの調査で確認されたのは
1868年の文書3点。いずれも、ボン大の
ペーター・パンツァー名誉教授に依頼し解読
日本語に翻訳した。

北海道などの領地を譲渡
北海道などの領地を譲渡
北海道などの領地を譲渡
北海道などの領地を譲渡

完全に売国行為ですね。これで天皇や幕府の飼い犬面してんだから
実にプロパガンダだよwwwwwww
0128日本@名無史さん
垢版 |
2016/09/18(日) 14:55:04.06
>>136
>箱石さんらの調査で確認されたのは、1868年の文書3点。いずれも、ボン大のペーター・パンツァー名誉教授に依頼し解読、日本語に翻訳した。

 (1)7月31日付で駐日代理公使のフォン・ブラントがビスマルクへあてたもの。「会津・庄内の大名から北海道、または日本海側の領地を売却したいと内々の相談を受けた。
ミカドの政府も財政が苦しく南の諸島を売却せざるをえない模様」として判断を仰いでいる。←チェック!!
(2)10月8日付で宰相からフォン・ローン海相あて。「他国の不信、ねたみをかうことになる」と却下の考えを示し、海相の意向を尋ねている。
(3)10月18日付で、海相から宰相への返事。

 この年は5月に江戸城が明け渡され、7月初めに上野で新政府軍と彰義隊との戦いが決着。戦争の舞台が東北へ移る緊迫した時期の交渉。
両藩は武器入手のルートや資金の確保を目指したとみられるが、ブラントは「北日本が有利になれば、この申し出は大変重要な意味を帯びる」とも記しており、政治的な狙いも込められていたようだ。

 会津は京都を舞台に長州と激しく対立、庄内藩は江戸警備を担当して薩摩藩邸を襲撃したことがあり、両藩は同盟関係にあった。
北海道の領地は北方警備強化のために1859年に幕府が東北の有力6藩に与えた。会津藩は根室や紋別を、庄内藩は留萌や天塩を領有していた。

 箱石さんは「敗者の歴史は忘れ去られ、この交渉も日本にはまったく記録がない。会津と庄内は土地を提供することでプロイセンを味方につけようとしたのだろう。
戦争が長引けば明治維新に違う展開があったかもしれない」。

 明治維新を研究する東京大の保谷徹教授は「会津・庄内両藩がよくぞここまで国際活動を展開させたなと驚いた。歴史にはまだまだ知らないことがたくさんあり、その答えが海外に眠っていることを示しているのだろう」と話している。
0129日本@名無史さん
垢版 |
2016/12/17(土) 10:57:50.72
うちのお隣の地区が城下町で、戌辰戦争では会津に加担したようなのだが、はっきり言って治安悪いわ。
ヤンキー7割、精神病んでる系・発達障害っぽい系ひきこもり2割、よそ者1割って感じ。
どちらもヤンキーが多く、上下関係が厳しい、躾と称して虐待じみた暴力が正当化されている。
だから、普通に育った家の子は、妬まれてイジメの対象にされ、精神病んでひきこもるというケースも多いです。
バラバラ死体が発見されるとか、殺人事件はよくあります。
町の支配者は暴走族・暴力団出身者、偉そうにしてるのは暴力団の娘、息子。
よく、会津含め、北朝は礼儀正しいって言われてたけど、なんで過剰なほどに礼儀正しさを強調してるのか、わかったんだ。
残虐的な遺伝子で人を思いやる心を元々持っていないサイコパスだから、その遺伝子を抑える為に生まれたのが、礼儀作法だったんだわ。
だから、躾する時も、躾と称して暴力で抑えようとするのよ。
陰湿でずる賢いのが多いし、結果がどうであれ頑張ってる人が良いとする風潮があるから、メリットがある人の前では頑張ってるフリして、いないところではサボるみたいな
要領いい人が多い。
ミスを他人になすりつけるのも得意。
南京大虐殺も、会津の六十五連隊が関わってるって説が有力で、新明治政府は被害を被った側なんだよ。
罪をなすりつけられたわけ。
北朝は確かに礼儀正しい人が多いが、その分、陰湿で腹黒いのも多いと思う。
南朝が正統なのに、ことごとく邪魔をしてきた上に権力も握ったのだから、相当だよね。

会津藩も、逃亡中の郡山で盗みやら放火やら色々やらかしたって話あるし、その郡山は東北の中でも治安が悪いって言われてるよね。
東北の中でも、ヤンキーがもっとも多い街なんだとか。
0130日本@名無史さん
垢版 |
2016/12/17(土) 11:02:28.45
こんな研究結果もあるようだ。

「【服従実験】「礼儀正しい人」ほど、実は暴力的であることが判明!」
ttp://travelantenna.hatenablog.com/entry/2014/11/12/082339
0131日本@名無史さん
垢版 |
2016/12/17(土) 11:35:26.75
あまりの弱さに『遊猟』と揶揄された弱小彦根藩
0132日本@名無史さん
垢版 |
2016/12/18(日) 09:25:18.51
>>129
現代の治安と戊辰は関係ないように思うよ
ちゃんと教育を受けたまともな人は東京などの都会に出て行くっしょ
地元に残るのは、基本、地元から脱出できなかった人達だ
会津に限らず、ほとんどの地方がそう
特に福島なんか原発が爆発しても出て行かなかった人らだよな
0133日本@名無史さん
垢版 |
2017/01/17(火) 20:39:17.72
殺し合い。
0135日本@名無史さん
垢版 |
2017/01/25(水) 17:48:43.60
容保はとりあえず手代木を首にしろ

逆に首にされたろうが…‥
0136日本@名無史さん
垢版 |
2017/01/27(金) 07:05:54.84
玉虫もなんであんな輩にしたがったんだか
0137日本@名無史さん
垢版 |
2017/01/28(土) 12:37:50.46
没落士族が反政府勢力になって
最初は政府は鎮圧一辺倒だったが
民権運動と結びついて豪農農民と連携してきたから
政府が士族授産政策を行い始めたんだよ
0138出る杭は打たれるのに、失敗者が「やれ!!」と
垢版 |
2017/02/03(金) 08:32:17.56
アテルイや多賀城のときなんかは、よくやってくれた
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