豊臣秀吉ってなんで途中で頭おかしくなったの? [無断転載禁止]©2ch.net
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
>>36
史料に頼っていては、真の歴史は見えて来ない
推察するのだ もともといいやつじゃなかったんだよね。
行動がゴマすり一途。
強い人間に媚びて媚びての反省だった。
本当に上司のことを尊敬なんてまるでしていない口八丁の人間。
なので自分が偉くなると遠慮する必要がなくなるので
素の本性がでてきただけにすぎない。
世間ではボケたっていうがそれだけじゃないと思うよ。 >>37
じゃあ家康の存在をどうやって証明するんだよ
史料に頼らないなら何を根拠にするんだ? >>40
いや、多くの将を配下に取り込み、また子飼いも育てた
個人の才覚だけでは天下はとれないので
上だけでなく下も見ていたのは間違いないよ
ただ天下をとると、今度は軍人が邪魔になるのよね
走狗を煮るのは、仕方ない行動なんだよ
優秀な部下をいかに潰すかが最後の大仕事だ 明を興した朱元璋とその奥さん・・・・の日本版なんだとw おかしく成った事実が存在して無いよねっていう
存命なら半島の南部1/3が手に入った訳だし 敵の軍隊を倒して主要都市を制圧したら維持できるというゲーム脳らしい考え方だな。
チョンの民衆どもが素直に従うと思ってんのか。 今で言うアルツハイマーだろうな
激昴しやすくなり、最後は鬱状態 真田丸の秀次は最近の説を反映したシナリオだったな
あれだと仏門云々が助かる道とは思えん 出家したんだけど許してもらえなかったんだわね。
もし秀次が健在だったら、秀頼の天下が危ないとマジに考えられたんだな。
閨閥多くしすぎだったね。
秀吉亡き後、秀次にはたくさんの子女とそれに連なる親戚諸大名があるから、
いずれ秀次の子が関白職を継ぐ可能性は低くない。 >>51
その割には、池田輝政、及び尾張池田氏を根絶やしにしなかったなどという
チョンボをやったけどね。脇が甘すぎ。
池田を生き残らせたら、秀次の仇討ちを輝政が目論むか、そうでなくとも
輝政が秀次残党に擁立されるか、いずれかのリスクが極めて高かった。
更に史実を言うと、池田輝政は死ぬまで秀頼を憎み、激しく敵対している。 (参考:池田輝政=秀次の正室の兄で、秀次のナンバーツー。
さらに、池田家は父の代からの秀次の家臣で、父や兄は秀次を逃すために
玉砕した、秀次の忠臣中の忠臣。) >>54
督姫を返せば家康は黙るはず。
それ以前に、秀頼生誕後の督姫と池田輝政の縁組自体不自然極まりないもので、
秀次のナンバーツーの池田輝政に家康のような後ろ盾は思いっきり邪魔なはずで、
普通ならこんな出鱈目な縁談は思いつきもしない。
石田三成が家康を秀次、池田輝政に連座させ陥れるために仕組んだ罠ともされている。
秀次とともに池田輝政を督姫ごと葬り、岳父の家康も連座させようとするものである。
逆に、それ以外に池田輝政と徳川家康を結びつける動機は皆目存在しない。 なってない
秀吉発狂説は後世徳川幕府が庶民や外様大名に対して政治や外交に興味を持たせない様に流布した偽説 秀吉から秀次宛書状
側室どんどん入れて子供もいっぱい作れ!→(秀頼誕生後)そんなに家族を作ってなんか企んどるのか? >>52
いい加減輝政が秀頼を憎んでいたというソース出しなよ
ここは日本史板だぞ
輝政と督姫の婚姻についても家康側から話があったのは
伊木の記録などでも確認できることで秀吉はあくまで仲介にすぎす
秀吉主導での縁組ではない
そして輝政と家康を結び付ける動機がそれ以外みつからないのは
単にあなたが勉強不足で自論しか見ていないからだよ 真田丸見る限りは秀次の被害妄想ってやつだな
プレッシャーって怖い >>65 まあ、秀長が家康ほど長命なら日本の歴史もかなり変わってくるだろうな。 なんだろ
秀吉のような云わば「ぽっと出」なキャラに「更に」弟も優秀とは
たまたまなのか歴史の必然だったのか?と >>67
優秀な兄の血を半分引いている。
優秀な兄を見て育った。
優秀な兄の家臣として指導され、経験を積んだ。周りの家臣も優秀で勉強になった。
別に不思議ではないだろう。 小一郎殿存命なら秀次事件は起こらなかった
秀次事件がなければ豊臣が関白職を失う事はなかった
豊臣が関白職を失わなければ徳川家征夷大将軍補任などなかった
小一郎殿の死は惜しんでもなお惜しあまる 逆に、何ではっきりと切腹させたんだろうな。
秀次だけ邪魔なら毒を盛って、病死と発表してもいいだろうに。
秀次の子たちも、小早川秀秋のように、有力家臣の養子に出しまくる手もあったように思うんだけどな。
秀忠の養子に入れれば、徳川家の中にも豊臣家の家臣を送り込んでスパイ出来ただろうし。 野心満々の家康に250万石もくれてやる時点で、どうかしてる >>71
これは豊臣政権の基本政策ととらえた方が理に適っている。
徳川・蒲生・上杉・伊達・前田(北陸豪雪そのまま)ら外様同輩大大名は、
軒並み加増とはいえ東へ東へと追いやられている。
実際、1590年時点で家康が天下へ・・・などとは万に一つも考えられない。
数字上250万石とはいっても、はっきり言って畿内西国東海地方と比較したら、
超未開地で、東北に至ってはさらにさらにさらにですよ・・・
蒲生は近江の先進地帯→山だらけ海なし会津
上杉は飛び地だらけの120万石で蒲生の尻拭い、越後の港湾利権全没収、佐渡支配有りでも鉱山支配は豊臣
伊達は更に北へ追われて、豊臣改修の岩出山入城
前田も豪雪地帯封じ込め
徳川は敵地あてがい、さらに東関東は難治であり、とりあえず本多と榊原を置いてしのいだ。
当初徳川の意にとりあえず従順なのは西関東(西上野・相模・伊豆・西武蔵)だけだったと思われ到底250万石云々などおぼつかなかっただろう。
徳川は超大規模領国インフラ整備を敢行して民心をとらえ、安定支配に成功した。
逆に、もし関東領内に一揆でもおきれば、確実に減封させられただろう。
国替え直後の徳川に豊臣家に逆らえるような力など全く無いからね。 250万石とはいえ当時の関東なんて僻地も僻地だものね。 でもこんだけまとめて、東に追いやったらいずれは反豊臣でまとまるんじゃね??あたりは頭に無かったのかな
家康が頼朝みたいになる、という 頼朝以来、関東を制した武家が天下を制する
農民上がりの関白には関東の重要性が分かっていなかった >>75
江戸が僻地
小田原とか鎌倉は栄えてたよ
家康は小田原を拠点にしようと考えてたけど、
秀吉が「江戸」と指定したのでそうなった 結果、利根川東遷は大変だったが良かったよな
石高も飛躍的に伸びたし まあ、江戸が開発できたのは天下普請で
大名にやらせたからで、徳川独力では無理だっただろう >>78
最近の研究ではこの「江戸寒村説」は見直しの必要があると考えられています。
✕江戸城の玄関は、舟板3・4枚を並べただけのみすぼらしい城
✕城下町も大手門の外側にかやぶきの家が100軒ある程度
〇小田原合戦の時には、城代だった遠山氏が1000騎で守りを固めていました。(兵士5千名程度)
〇江戸が16世紀にすでに武蔵東半の一大拠点
〇後北条氏の武蔵野国の支城網の拠点の1つ。(北に川越、岩付。西に滝山、八王子。南に小机。)
〇鎌倉街道中道(なかつみち)支線(江戸(浅草)→岩槻→関宿→小山)のルートの基点
〇海路の拠点(江戸湊、品川湊) 後北条氏を滅ぼしたのが間違い
小田原征伐後、減封ぐらいの処置にしておけば東からの対徳川牽制に利用出来た
上杉も越後に留め置けば北からの徳川牽制に使えた
結局、秀吉の大名移封は関東で敵無しとなった徳川を利しただけ 家康なんかインネン付けてさっさと潰しときゃ良かったんだよ
前田毛利上杉宇喜多に比べ、どう考えても徳川がガンだろ
秀吉は甘い 秀吉は家康の関東転封をめくり、徳川家臣団の知行割についても相当干渉している。 家康17,000 vs 秀吉100,000
家康は秀吉軍を『上方の弱い軍勢』であると見下していた。
(「NHK英雄たちの選択/小牧長久手の戦い」磯田道史・岡山県出身の歴史学者)
番組前半と後半で2回言ってたね…磯田先生… >>82
まあ、そうだな。
ただ北条は徳川と割と近い関係にあるので、
徳川と隣接する地域に置くと同じ結果になるだろう。 >>83
関東で失敗すると見てたのだろう。
北条残党の内乱が起きて秀吉傘下のだれかが掃討に出陣すれば
終わった暁にはそのまま徳川を潰せる。 でも秀吉は朝鮮で勝つことを想定してるからな。
徳川は免除というよりか、これ以上功をたてて
領地増やさせないようにするためかと。 >>87
小田原攻めの後、前田利家は自分が降した氏政の弟・氏邦の助命を秀吉に嘆願し、許された。
氏邦が金沢で死去すると、その末っ子が大徳寺の僧となっていたのを呼び出し、
北条庄三郎と名乗らせ、知行1000石と甥・利益(前田慶次郎)の娘まで与えてやった。
それを聞いた徳川家康が、利家の長男・利長に意見した。
「北条家はすでに殿下(秀吉)が成敗された家であり、北条が絶えるならそれが自然であり、
末子は出家のまま差し置くのが筋ではないのか。」
利長はその通りに父に伝えた。 聞いた利家も返答する。
「いや、氏邦に関しては殿下が許して拙者に預けたものであり、その限りではない。
であるのに死後に跡目もないのは哀れゆえ、縁者を探したまでのことです。」
その後、家康に父の返答を伝えて、帰った利長を利家は呼びつけた。
「さても、うぬは智謀なき者よ。家康がああ申してきたら、いちいちわしに聞かず、
先ほどの返答ぐらいはその場で返せねばならぬ。
よく考えてみよ、普通に行けば我らと徳川はゆくゆく敵となる。その時のことよ、
関東は昔から恩を忘れぬ義理堅い土地じゃ。
我らが北条を押し立てて旗を揚げさせれば、関八州の大半は味方にできるわ。
好ク謀ル者ハ未ダ兆シナキウチニ慮ル、という言葉もある。
大志を抱く者は必ず心得ねばならぬ言葉ぞ。」
晩年の利家の深慮遠謀が感じられる。
茶坊主斬った時とはまるで違う。 「北条の子孫を集めておけ」
関東の者は義理堅い、と利家は言う。
小田原北条氏にゆかりの者を見つけだし予め召し抱えておき
家康と事を構える事になれば北条の子孫を表に立てて家康の領地で旗を挙げさせる。
「さすればたちまち関八州は味方になろう」
利家はそんな事まで計画していた。
こんな不気味な事をされてはたまらない。家康は心中深く利家を恨んだ。
(『殿様の通信簿』磯田道史) 頼朝、足利と関東から将軍輩出してるし
関東は新田の出身地だし、家康は内心ラッキーだと思ったかも 権力あるしぃ〜金持ってるしぃ〜オンナ一杯抱けるしぃ〜♪
ガキなんぞ「後から」付いてくるだろう・・・・
・・・あれ?そろそろヤバくないかい?自分www状態
江戸期、伊勢長島の増山の殿様もそんな感じだったかと >>93
利家の対応より家康がそこまで目を光らせている所が抜け目無いというか凄いと思った >>95
なんでそこでそんなマイナーな大名がでてくるの? >>96
というか、他国を侵略するとき地侍をてなづけておくのは
将棋やる人が櫓だの美濃囲いやるのと同じで、
戦国人にとって定石なのだろう。 マイナーってか「蛍」大名ねw 家綱母親の弟
若い内に出来た跡取りを名門那須家に養子に出したはいいが
「まさか」その後跡取りが全く生まれなかったが故に後で一騒動起きてしまったという話 >>98
信長はちょっと違う気がする
結局信長では天下統一なんか無理だったろうな >>101
信長こそ調略の名人じゃないか。
美濃の地侍で江戸時代まで家名残したのは
大体、信長系に引き抜かれた先祖がいる。 >>81
塩見鮮一郎の著書にも書いてた。江戸は栄えてたと。
勿論、京・大坂ほどではないにしろ、港湾都市として十分機能し、活気があった。 んじゃそこを拠点にしろっつった秀吉はアホじゃん
狭隘な鎌倉あたり指定しといたほうが良かったんじゃないの
それとも秀吉が江戸にしろっつったのは創作? 日本を富ませるには最良の場所だったから一概にアホとも言えん
今の東京があるのは秀吉のおかげってわけや >>105
84にも書いてあるけど、秀吉は徳川家臣の配置にも相当口出ししている。
家康に対して拠点の城はご自由にというのはあり得ない。
ちなみに小田原城に配置させたのは大久保忠世。
北条氏の時代だったら、上杉氏、古河公方、小弓公方、里見氏に対し
江戸は前線に近いから無理かもしれないけど、ほぼ天下統一しているから
関東で警戒すべきなのは佐竹氏くらい。 >>102
家康だって源頼朝の真似をしただけだろう
偽家系図まで朝廷に差し出して源氏だと言い張ったし お礼がてら京都の阿弥陀ヶ峰へ秀吉公の墓参りに行ってきたんだが
墓所の麓一帯が女子大女子高女子中になってるのが面白いな
これがむさ苦しい男子校だったら祟りを起こしてたかもしれない 太閤殿下は300年もの間漬け物にされたまま放置されてたとは知らなんだ。 え?ずっと塩漬けだったん?
埋葬の時もそのままだったんだ…。 安土桃山時代のミイラの入った壺が明治時代に見つかってる 秀吉は唐入り(朝鮮征伐・明征伐)で、大陸に広大な領地を入手する予定
だったから、家康の250万石の領地は、相対的に小さくなると考えて
いたに違いない。
家康の立場からすると、交通の要衝である東海地方の旧領を奪われたのは、
大打撃だっただろう。たとえ石高は増えても、旧領を奪われて関東へ
追いやられれば、もう抵抗はできない。
唐入りが未達成に終わり、関東の経営に成功した家康が台頭してきた
その後の歴史は、誰にとっても予想外だったと考えられる。 >>116
秀次事件も重要。どう転んでも秀頼と敵対してくれる、池田輝政、
浅野幸長、最上義光などは、家康にとって物凄い心強かったはず。
これは秀吉の失点なしではあり得なかったからな。 秀吉の立場からすれば、秀次事件で粛清するなら、池田輝政、浅野幸長は
どう考えても始末すべきだっただろう。石田三成、増田長盛とも、両名を
処刑すべきと強く主張している。 >>1
もともと頭の良い男ではなかった。
文盲の低学歴の上に、女とやり過ぎて子だねがたえた男。
若いときは竹中や黒田などの軍師の言うことを素直に聞いていただけ。 男色を嗜まんかったけぇ、そのツケが回ってきたんじゃろうのう。 実質型神経梅毒では、進行性麻痺や脊髄癆が重要です。進行性麻痺は、脳実質に炎症が及んだ状態で、認知症、記憶障害をはじめとした様々な精神症状が現れます。
脊髄癆では、歩行障害、電撃痛、排尿障害、感覚障害などの症状が現れます
当てはまるね >>120
さすがに中傷が酷過ぎだろうw
秀吉は直筆の手紙が残っているし若い頃は妻はねね一人だけだろう
側室ごろごろ抱えだしたのは天下が近くなってからだし 糞ジャップ共は全員津波に飲み込まれて死ね!!!!!!!!!!!!!!
ジャアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアップwwwwwwwwwwwwwwwwww
劣等人種ジャップについて語りたい場合は
↓
http://hanabi.2ch.net/ogame/ 秀吉は200人も妾が居たのにねねから都合良く嫡子が生まれるはずが無い 確かに不自然だな。側室というかお手つきの女は大勢いただろうに淀君にだけ二人もできてるってのはおかしいわ。 大坂城に放火した徳川の内通者の厨房の爺の娘は太閤にレイプされたってマジ? >>126
秀吉が側室を持ったのは早くても城持ち大名なった40近くになってからだろ
秀吉なんてほぼ庶民上がりなのだから若い頃は側室など持てないから
女を大勢飼えるのはせめて城持ち大名から >>126
まさか200人を公平にローテーションで回してると思ってるの?
妾が何人いようと好みの女に集中するだろ >>131
家斉でさえ取っ替えひっかえじゃなくて、
一人の女に何回か産ませてるからな。
治世が長かったからとんでもない数になったけどw
てか、生理周期とか考えたら一人の女とやり続けた方が
妊娠しやすいと思う 側室と言っても人質代わりも多かっただろうからな
良く知らんが 家康の暗殺&影武者説はよく聞くけど、秀吉影武者説はフィクションの世界でもあまり耳にしないね
晩年は別人のようになったので、お話は創れると思うけど 逆に秀吉は取っ替えひっかえやってたから
茶々以外妊娠させられなかったんじゃないか? 医学的には正しい
連日やり続ければいつかは排卵期にぶつかるが、
一発ずつだと確率がさがる ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています