足利将軍家でも、嫡子の弟など将軍になれなかった人は出家して門跡などの
高僧になる人は多かったので、後継者から外れた人が出家するというのは
この時代の慣習だったのだろう。

だが、足利義教・足利義政・足利義視のように、出家したけど還俗して
将軍・将軍候補に返り咲いた例もある。だから、南朝皇胤の場合でも
いったんは出家したけど還俗して皇位をねらうケースがあっても
おかしくはない。