府中に住んでいる人は、新田義貞公の銅像を目にするし、神戸に住んでいる人は
大楠公に銅像を見て育つ。湊川神社の前を通るときは、大楠公にお辞儀をして
から通るのが神戸市民だ。そんな中で、現代の我々は知らず知らず南朝尊崇の
心を身に着けているんだよな。その見方がどうしても歴史を見るときに反映して
しまう。