0084日本@名無史さん
2017/02/16(木) 16:08:01.30違うな。
・崇神以前の天皇家は天皇(大王)ではなかった。
・神武〜開化まではヤマト南部の豪族程度。
・纏向の箸墓以前の墓には葬られていないがその程度。
盆地南部の豪族に婿入して、ささやかな領地を持っているだけ。
卑弥呼共立の後、おそらくは母方の血筋の良さでのしあがって来た。
母方とは、火明命系であり、卑弥呼もその一族だったと思われる。
ホアカリ系の直系当主が早死するか何かで、争いが起こり、傍系のものが
王位を争い、崇神が勝った。
妻はほぼホアカリ系から取っている。
ヤマト古墳群に入っているのは、ホアカリ一族。