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豊臣が滅んだのって… [無断転載禁止]©2ch.net
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0001日本@名無史さん垢版2016/10/23(日) 13:52:02.64
結局誰が一番の戦犯なん?
直接滅ぼした家康?
最後まで出陣しなかった秀頼?
止められなかった淀君?大野治長?
主戦派の浪人たち?
0057日本@名無史さん垢版2019/07/14(日) 13:15:41.45
秀吉のやってきたあれこれを考えるなら息子に報いが来たという印象
0058日本@名無史さん垢版2019/07/14(日) 20:23:47.80
代々続く名家でもない一代成り上がりの豊臣に、
代々政権伝える芸当はムリだったんだろうな
0059日本@名無史さん垢版2019/07/14(日) 22:45:54.80
秀次って母方の甥で父方の一族じゃなかったんだな
普通に木下家の一族だとばかり思ってた
0060日本@名無史さん垢版2019/07/14(日) 22:50:15.64
羽柴氏の親戚関係はヨーロッパ王室並みに複雑
0061日本@名無史さん垢版2019/07/16(火) 02:51:24.50
秀吉的には、毛利は、大老輝元の跡を、秀長の娘の大善院(毛利秀元室)夫妻に、
大老小早川隆景の跡を小早川秀秋が継ぐことで豊臣化するはずだったんだろう。

徳川も、大老家康は妹婿で、秀忠は秀頼の叔母で秀勝の後家の江と婚姻。
秀頼と千姫が婚約。養子だった秀康もいる。ということで、豊臣化がある程度出来たと思っていたはず。

前田も、利家とは摩阿姫を側室としていて舅婿のような関係で、豪姫も養女。
嫡男利長室の永姫は、信長の娘なので、三の丸殿の姉妹。

宇喜多は、秀家も正室豪姫も秀吉の養子。秀家母の円融院も秀吉の側室的な良好な関係。

上杉だけが豊臣家とのめぼしい閨閥が無かった。
0062学術垢版2019/07/16(火) 11:50:41.98
逆賊は手打ちにしろ。
0063日本@名無史さん垢版2019/07/16(火) 12:23:20.37
>>54
秀頼生まれた時点でどのみち崩壊だよ
秀吉が死んだら天下取りたい家康が秀頼に孫娘の千姫を嫁がせて
こっちが嫡流だと言って擁立し秀次を殺す
都合のいいところで秀頼放り出すか処刑して徳川の天下
0064日本@名無史さん垢版2019/07/16(火) 12:59:42.22
秀次自害とか豊臣家の弱体化だろう
3代で終わった源氏も内紛だし
あと淀殿と秀頼が家康の口車にのって
寺社を再建しまくって秀吉の遺産の大半を使っちゃった
そのせいか近畿では豊臣家人気あるけどな
0065日本@名無史さん垢版2019/07/18(木) 01:03:31.79
豊臣家が滅亡に至った諸悪の根源は
やっぱり秀吉じゃね?

大和大納言家と秀次をこの世から消し去っただけでなく、
豊臣の天下を強固なものにする制度を秀頼に残せなかったのが致命的。
これじゃ誰かに天下を奪ってくださいと言っているようなもんだわ。
0066日本@名無史さん垢版2019/07/22(月) 18:27:57.07
結局頼りになる一門・譜代衆のいない家はもたない
それらが居たのに粛清して滅んだ源氏鎌倉将軍家と
草創期に南北朝動乱と観応の擾乱で揺れ続けたが
結局250年続いた足利将軍家との違いが証明している
0067日本@名無史さん垢版2019/11/10(日) 14:17:27.12
小田原とか九戸とか和睦の約束を破って滅ぼしている以上は大坂の陣での徳川を非難する資格は無い
0068日本@名無史さん垢版2019/11/10(日) 17:05:48.70
茶々が滅亡した浅井家出身で家臣縁戚がいなかったのも大きいと
黒田氏なんかは言ってるよね。
結果、片桐且元頼みになり豊臣家中から不満が噴出してああなったと。
0069日本@名無史さん垢版2019/11/11(月) 22:40:21.06
豊臣秀長
前田利家
蒲生氏郷
小早川隆景
みんないなくなったら、そら動きやすいわな
0070日本@名無史さん垢版2019/11/12(火) 19:21:17.18
>>68
それはあまり関係ないんじゃない
よく言われてるけど浅井の血は茶々が産んだ豊臣秀頼にだけ流れているわけではなくて
江が産んだ徳川家光にも流れてるわけでどちらが勝っても浅井の女系は天下人になる
同じ両親を持つ浅井家の姉妹が豊臣と徳川に分かれているのだから
浅井家なら皆茶々に付いて忠義を尽くすというわけでもないと思う

茶々は最後まで叔父の織田有楽斎やら従兄の織田信雄を頼りに思う気持ちがあったけど
結局彼らは家康に翻弄されて大坂夏の陣の前に豊臣を出てしまったし
0071日本@名無史さん垢版2019/11/13(水) 11:45:42.42
血縁というより、浅井家が秀吉政権下に大名として存続してたら多少違ってた可能性があるかも
って事じゃない?
0072日本@名無史さん垢版2019/11/13(水) 13:01:39.54
>>71
浅井家が残ってたとしても豊臣に付いたか徳川に付いたかは微妙でしょ
豊臣秀吉の母方親族で秀吉に幼い頃から可愛がられて重用された
福島正則や加藤清正すら関ケ原では家康に付いちゃうくらいだし

もともと側室になるのは実家が没落した名家の姫か譜代家臣の娘が多いので
浅井家が大名として存続なら譜代家臣を持たない秀吉の側室に茶々がなってた可能性は低いかな
それこそ妹の初のように近江の姻戚のところへ正室として嫁いでたんじゃないの
0073日本@名無史さん垢版2019/11/15(金) 09:33:18.71
豊臣家が凋落した原因は色々あったと思うけれど、滅亡したのは大坂城を明け渡さなかったからだな。
大坂城に拠っている限り、天下は一つにならない。逆に出て行っていれば豊臣家という家は残った。
安土城は燃えてしまったけれどそういうのが残らなかったのは織田という「家」には幸いだったかも知れないね。

徳川家は、江戸城を明け渡したから、家は存続できた。
0074日本@名無史さん垢版2019/11/15(金) 10:51:35.88
>>73
大坂城が陥落して徳川の手に落ちた後も
家康は秀頼の遺児を探し出して8歳の男児・国松を六条河原で処刑し
6歳の女児を出家させて根絶やしにした

豊臣も家は残っているでしょう
北政所の兄の家系が本姓豊臣、苗字木下で江戸時代も残っていた
秀吉の血は引いてないけど
0075日本@名無史さん垢版2019/11/15(金) 12:01:12.96
>>74
そんな屁理屈が出て来るとは思いませんでしたw

木下ならもう豊臣は残っていない。
根絶やしにしたのは大坂城に最後まで籠っていたから。
要は天下を窺う家としての「再興」を目論む考え方を豊臣関係者は根絶やし以外に止められないからで豊臣家の意志というだけではなかった。
逆に言えば、そこまで「根絶やし」のみに拘ったのなら、何故木下を根絶やしにしないのかという話になる。豊臣はもう残っていないという認識だからに他ならない。
0076日本@名無史さん垢版2019/11/15(金) 12:05:28.06
要は「意思」と「行動」が大切。城から出て降るというのも「意思表明」、
豊臣を名乗らないというのも同じく意思表明です。もう担げない。
一旦意思表明したのに、後でそれに反して再興を目論むというのは武家社会では通用しないので。
本人であれ、周囲であれです。
0077日本@名無史さん垢版2019/11/15(金) 14:45:25.50
>>4
信長家康みたいな子たくさんなら豊臣は続いた
0078日本@名無史さん垢版2019/11/15(金) 14:50:46.23
>>65
秀吉がたくさん子供作ってれば豊臣が勝ってた
側室たくさん居たのになぁ
0079日本@名無史さん垢版2019/11/15(金) 15:51:12.82
>>75
屁理屈じゃないだろ
大坂城を出たら家名だけ残ってどっかの旗本として残ってても意味がないのでは

徳川慶喜は江戸城を出たけど本人は財産没収、徳川家家督放棄で
慶喜の子孫ではないどっか遠い親戚が新たな徳川宗家になったよね
0080日本@名無史さん垢版2019/11/15(金) 22:31:17.65
木下豊臣がダメなら羽柴豊臣が残ってればいいのかな?
0081日本@名無史さん垢版2019/11/16(土) 13:30:31.55
>>79
やっぱり秀吉の血筋じゃない寧々の親類なんだよ木下家は
0082日本@名無史さん垢版2019/11/16(土) 18:02:11.57
まあ、おねの家系まで根絶やしにする必要はないわな
0083日本@名無史さん垢版2019/11/16(土) 18:06:30.28
>>81
血筋重視なら秀頼が秀吉の血統上の子ではなかったら
秀頼の豊臣家が残っても秀吉の血が残ったことにならないということになる
0084日本@名無史さん垢版2019/11/19(火) 12:50:48.29
>>79
どっか遠い親戚とか、少しは調べようね。会津松平からですよ。
「豊臣が滅んだのって…」というのがスレタイだ。
政権が変わるのは歴史的にはよくあるが、滅んでしまうというのは平氏とか豊臣とか数が少ない。しかも伊勢平氏は男系も壇ノ浦以降も残った。
意味ないだろ、というのなら「豊臣が政権を失ったのって…」という別スレ立てて書けばいい。
0085日本@名無史さん垢版2019/11/19(火) 14:00:42.37
徳川周辺って嘘ばかりだな

松元親氏

三河国賀茂郡松元郷を拠点に山賊・樵・山窩を従え三河平野に進出
後に松平を称す

山窩

昭和30年くらいまで山中に潜伏していた
狩猟・竹細工で生計をたてたり、人里を襲って物を盗み政府に従わない放浪者集団


弓馬術礼法小笠原流
足利義教の「御弓師」をつとめた京都小笠原氏小笠原持長の末裔小笠原稙盛が
1565年永禄の変で討ち死にしたドサクサにまぎれて
放浪中の小笠原長時と小笠原貞経がでっち上げた偽武家相伝
偽小笠原流は小池甚之丞、水島卜也を通じ全国に広まる
小笠原貞経が徳川秀忠の弓馬術礼法師範となったことで幕府公式の礼法とも呼ばれる
0086日本@名無史さん垢版2019/11/19(火) 15:52:46.45
>>83
だから周囲の加藤清正福島正則は徳川に味方したのかも知れないぞ
関ヶ原で豊臣が負ければどうなるかわからないほど馬鹿じゃなかったろ
0087日本@名無史さん垢版2019/11/25(月) 20:58:13.33
秀吉と秀頼の骨は残ってないの?
DNA鑑定してほしいわ
0088日本@名無史さん垢版2019/11/26(火) 10:08:45.95
秀吉はあると思うけど秀頼は爆死みたいなもんだから不可能だな、信長も骨などがないし同じ
仮に生存しててもどこに骨があるかわからない
0089日本@名無史さん垢版2019/11/26(火) 23:13:09.06
結局は秀吉の死後の淀と北政所の確執が原因かと 北政所が淀と協力し合う仲なら関ヶ原で西軍に付く大名が圧倒的に多かっただろ
北政所が可愛がってた大名はことごとく東軍
0090日本@名無史さん垢版2019/11/27(水) 14:35:17.82
>>89
加藤清正や福島正則は自分たちを朝鮮で酷い目に合わせ
自分は日本にいた石田三成がとにかく嫌いで
秀吉が死ぬとすぐ石田三成を殺害しようとしてるだろ
石田三成が実質的な主導者である西軍に就くことはあり得なかった

北政所が関ケ原でどちらかに肩入れした形跡はない
北政所は当時、秀吉が京都御所のすぐそばに建てた豊臣の城・京都新城にいたが、
東軍は北政所がいる京都新城をどさくさに紛れて壊し、北政所は転居を余儀なくされている
北政所が東軍だったために豊臣恩顧大名は東軍についたと言うなら
東軍にとって北政所の身の安全は最優先のはずなのに
0091日本@名無史さん垢版2019/11/27(水) 18:00:28.43
>>84
ここは豊臣スレだから無関係の徳川現当主の話題は避けただけなのに
「ググった俺、偉い!」みたいなバカが湧くよなw
0092日本@名無史さん垢版2019/11/28(木) 07:27:17.38
>>90
だから北政所は無事で天寿を全うしただろ
徳川に協力してなかったら無事じゃなかったろ
0093日本@名無史さん垢版2019/11/28(木) 10:48:17.10
>>91
あんな書き方したら、そりゃあバカが湧くだろ
0094日本@名無史さん垢版2019/11/28(木) 13:05:26.17
>>90
ただ家康と利家が秀吉死後に争っていた時は、
清正は利家派、福島は家康派に加担しているね

だから加藤福島の政治的スタンスは一体化されて考えられているが、両者には「温度差」があったとみるべき
0095日本@名無史さん垢版2019/11/28(木) 16:11:14.22
>>92
北政所が壊さないでと願ったのに家康は秀吉の墓も神社も壊しているだろ
だいたい関ケ原で家康に内通しなくても秀吉の妻たちはみんな生き残ってるだろ
淀殿は勝手に秀頼と一緒に自害しただけ
仮に捕らえられてても尼にさせられて終わり
0096日本@名無史さん垢版2019/11/28(木) 16:15:42.63
>>94
加藤清正は家康か利家かといわれれば利家ってだけだろ
しかし利家死後は三成など絶対にありえず家康一本化
福島も加藤も三成屋敷襲撃事件に参加した七大名に名を連ね
三成を殺害しようとしている
利家ではなく関ケ原で三成に協力するか否かだぞ?
三成に死んでほしかった福島や加藤が三成に協力するはずもない
0097日本@名無史さん垢版2019/11/28(木) 18:06:37.25
>>96
ただ清正は島津家の内紛に介入し、家康に叱責されて詫びを入れるなど独自の動きがある
そのため清正は上杉征伐の従軍を家康に許されなかった

一応関ヶ原では清正は毛利からの誘いを断って東軍に加わったけど、
本格的に清正が軍事行動を起こして小西行長が留守していた肥後宇土城を落としたのは関ヶ原の翌月

黒田如水同様に、東軍を装いながら中央政界の様子を注視していたように思う
だからバリバリ東軍の急先鋒だった福島とは温度差がある。
0098日本@名無史さん垢版2019/11/28(木) 18:16:23.01
>>96
細川忠興は妻のガラシャを溺愛していたから、
本音では本能寺の変ではガラシャの父の明智光秀に加勢したかっただろう

でも忠興は妻への愛という「私情」で決断せず、
光秀には断固加担しないこととした
0099日本@名無史さん垢版2019/11/28(木) 21:37:14.17
福島って秀吉と身内だったと思うが徳川に味方して最後は改易されたはず
黒田は息子がバリバリの徳川の味方だった
0100日本@名無史さん垢版2019/11/29(金) 08:47:20.45
福島正則は豊臣の身内なのに徳川に味方したんだなぁ
どれだけ恩知らずのくずだろ
黒田官兵衛は息子が徳川側の娘と結婚して積極的に徳川についてたが
0101日本@名無史さん垢版2019/11/30(土) 19:18:43.45
そもそも家康は秀吉の妹婿だからな。
青木家との繋がりが家康の外祖母も秀吉のおばもあるようでもともと遠縁ではあったとも。
あと、秀康は秀吉の養子。(お江も養女かも)
0102日本@名無史さん垢版2019/11/30(土) 20:19:55.36
>>97
加藤清正は本人の会津征討参加は認められなかったが
家康に懇願して家臣を同行させてもらっている
家康は関ケ原前に私婚を行い養女を諸大名に嫁がせているが
先室が亡くなっていた加藤清正も家康の養女を有難く受け入れ後室としている

そら九州地方の大名は加藤や黒田に限らず
中国地方に大領を持つ毛利の動向見てから動くだろ
家康の養女を有難くいただき東軍につきますといってはいたが
万が一西軍が勝ってしまったら毛利に恨みを持たれてもかなわない
だから家康の天下確定後に動いた、それは九州の大名はどこもそう
関ケ原で中央突破した島津ですら当主はどっちつかずで
あれは当主の弟が自己判断で勝手にやったことで俺は知らんと
関ケ原後に家康に返答してるからね
0103日本@名無史さん垢版2019/12/03(火) 07:35:24.73
秀吉が信長家康並みに子供作ってれば滅びなかったろ
長浜時代に生まれた噂の子供を豊臣家に引き入れたり‥やり方はあったと思う
0104日本@名無史さん垢版2019/12/03(火) 12:26:30.58
>>98
三成を殺したいと言う話とガラシャに何の関係が?
本能寺を起こしたのは光秀であってガラシャではないじゃん

細川忠興は本能寺後にガラシャを幽閉し別居してこれ幸いと大勢の側室を作った
数年後、秀吉の忠告でガラシャの幽閉は解かれたが夫のところへ戻ってみると
それまでいなかった側室が大勢いて中にはガラシャの親戚に当たる明智の娘まで
明智の娘だから別居幽閉だったのならばなぜ親戚の娘を側室にしてよろしくやってる?

夫に絶望したガラシャは一夫一妻を旨とするキリスト教に入信した
0105日本@名無史さん垢版2019/12/03(火) 13:33:25.14
忠臣の自分でも織田家の社稷を奪ったくらいだから、危険な外様大名を始末しなかったのは手抜かりだ
甥っ子などより危なそうな大名がけっこういたのだから
0106日本@名無史さん垢版2019/12/04(水) 07:27:44.46
>>105
家康の事?確かに家康対策は全くしないで秀吉は死んだ
家康はそういう対策は終わらせて死んだ
大きな違いだとは思う
0107日本@名無史さん垢版2019/12/04(水) 09:58:36.36
>>106
秀吉が生きてた時代、家康は秀吉の一番の身内だったんだよ
秀吉の妹婿となりこの弟家康がいる限り
殿下に二度と甲冑を着させませんと言って秀吉を喜ばせ
家康に嫁がせた妹の朝日姫が京へ逃げ帰って亡くなると
今度は秀頼の叔母の江を家康の跡取り秀忠と結婚させた
家康を危険視するどころかこの世で
自分の次に秀頼を大事に思っているのは家康だとして
家康を秀頼の一番の身内として待遇を引き上げ五大老筆頭にまでした
秀吉は外様の家康を誰よりも一番に信頼していた
0108日本@名無史さん垢版2019/12/04(水) 13:40:48.52
>>107
いちばん信用したら駄目な人物だったな
0109日本@名無史さん垢版2019/12/04(水) 13:50:34.37
秀吉による家康の関東移封は大優遇
冷遇説は江戸幕府によるプロパガンダ
0110日本@名無史さん垢版2019/12/04(水) 22:26:10.91
秀吉の頭が耄碌せず最期まで全盛期のままでも同じ判断したんだろうか?
まあ全盛期の頭だったら家康を信用するしない以前に自分の天下は自分一代だということくらい理解してるかもしれんけど。
0112日本@名無史さん垢版2019/12/07(土) 01:45:44.32
中国古典知っていたら家康をつぶすよな。
0113日本@名無史さん垢版2019/12/07(土) 07:12:29.38
身分が低い秀吉は中国古典は勉強しないと思う
家康は頼朝の事や色々と勉強してたが
0115日本@名無史さん垢版2019/12/07(土) 14:34:32.77
>>110
甥で養子の秀次を殺さずに入れば
秀忠は28歳の若さで30人以上の側室と10人前後の子がおり(息子は4人程度いた)
長生きしていれば更に増えただろうし豊臣は盤石だった
そこへ秀吉に実子の秀頼が生まれた

源頼朝は実息子2人のために
将軍になる可能性がある弟たちをほとんど粛清した
結果、源氏将軍は3代で絶えた

源頼朝は50代前半で死んだのでまだボケてなかったが
それでもあの判断だから(息子のライバルになりそうな血縁者はすべて殺す)
秀吉でも分からん
0116日本@名無史さん垢版2019/12/08(日) 06:54:40.47
>>114
一応家康は警戒してたのか
0117日本@名無史さん垢版2019/12/08(日) 08:33:50.28
>>116
そりゃあそぅだろう
少し前まではガチで戦ってた相手だし、最大領土だし。
0118日本@名無史さん垢版2019/12/08(日) 19:58:54.41
男には実の子供などいない それが当たり前なのに、実子を求めようとする
バカの見本だ 女の腹から出てきた生き物は、女の実子というだけ

そんなものに入れ込むことがバカげているんだよ
妻の産んだ子を、自分の血を分けた子供だと思い込んでいるバカもいっぱいいるけど
0119日本@名無史さん垢版2019/12/09(月) 03:07:21.39
秀吉は無能なくせに野心の強いおねの甥っ子たちを信頼してなかった
むしろ控えめで有能な秀康と秀忠を秀頼の後見として頼っていた
家康は警戒していたが近々老衰で死ぬだろうと
0120日本@名無史さん垢版2019/12/09(月) 09:57:43.83
小早川秀秋のことかw
秀頼が生まれたことで秀吉の養子である秀秋も扱いが格下げになった
秀吉は秀頼のライバルになりそうな身内を粛清してたから
秀秋が大封を持つようになったら秀頼から家督を奪うんじゃないかと怖かったんだよ
徳川なら家臣として秀頼に尽くしてくれると信じていた
0121日本@名無史さん垢版2019/12/11(水) 16:24:58.39
確かに女が産んだ子供だが男の種がなければ生まれない
他人の男の種から生まれた子供が嫌いで虐待する男いるだろ
自分の好きな女が他の男の種で産んだ子供は嫌いな男は多い
それと同じで血の繋がりは男もこだわるだろ
0122日本@名無史さん垢版2019/12/13(金) 06:18:18.84
>>118
男に実の子供がいないとか言うの頭おかしい
女だけで子供はできないのに
0123日本@名無史さん垢版2019/12/16(月) 13:47:17.06
>>122
女は自分の股から出てきたから自分の子だとはっきりわかるが
男は女が「あなたの子供よ!」と言ったら信じるしかないって話だろ
秀頼に限らず他の連中だって自分の父親と血縁関係があるかどうかは
DNA鑑定しない限りは分からないとしか言いようがない
0124日本@名無史さん垢版2019/12/17(火) 07:21:22.36
>>123
だから秀吉も秀頼が自分の子供だと確信持てなかった
だから家康に対してそこまで強気で潰せなかったのかも
秀吉は家康に関東で大盤振る舞いだよな
0125日本@名無史さん垢版2019/12/17(火) 11:18:16.46
>>124
それだと秀次の件が説明できないけどなあ
秀次は秀吉の姉ともの子で秀吉の甥
家康などよりよっぽど近い秀吉の身内
しかし秀吉は秀頼を唯一の家督相続者とするために
秀次とその息子、秀次の男子を懐妊している可能性がある側室たちを
すべて殺した
0126日本@名無史さん垢版2019/12/17(火) 11:34:06.10
>>125
そんな秀吉が家康を退治しとかなかったのが謎だな
0127日本@名無史さん垢版2019/12/17(火) 19:12:23.87
>>126
家康のことは家臣として信用していたんだろ
豊臣家の家督相続権は持っていないから
 
秀次はすでに関白となっており秀頼と秀次の娘を婚約させ
将来は秀次に娘婿の秀頼に豊臣家家督を譲る約束させたが
秀次にはすでに数人の男子がいたし側室が50人近くいたため更に増えかねず
秀吉が死んだら譲らんだろうということで殺した
0128日本@名無史さん垢版2019/12/17(火) 21:20:24.15
>>127
家康のが人たらしだなぁ、福島正則と加藤清正と黒田官兵衛などの豊臣家臣も家康は取り込んでる
0129日本@名無史さん垢版2019/12/18(水) 13:20:23.53
>>126
秀吉から見ると既に関白・豊家氏長者の秀次と単なる源氏の家康を比べると秀次の方が遥かに危険だった。
家康が将軍になれるとは考えにくかった(この時点では)から、秀頼を邪険に扱うとも考えてなかったんだろう。
ところが、秀吉の死後朝廷が家康を将軍にしたから歯車が狂って秀頼は死んだ。
とどのつまり、秀吉が見誤ったのは家康じゃなくて朝廷だった。
0130日本@名無史さん垢版2019/12/18(水) 14:55:20.60
秀吉はのし上がるのは天才的だったが
組織つくりがへたくそ過ぎた
0131日本@名無史さん垢版2019/12/18(水) 17:35:59.45
一族のトップを経験しないまま国のトップになってしまったからねえ
0132日本@名無史さん垢版2019/12/19(木) 13:30:24.19
>>129
朝廷に拒否権はないだろう
家康を征夷大将軍にしないなら家康のいうことを聞く天皇に挿げ替えるだけ
実際、家康は秀吉が死ぬと秀吉の庇護を受けた後陽成天皇第一皇子の八条宮良仁親王を出家させ
強引に第三皇子の政仁親王を儲君に立てた(これにより後陽成天皇と不和になった)
政仁親王が即位して後水尾天皇となると家康の孫娘の徳川和子との婚礼を強引に取り決めた
0133日本@名無史さん垢版2019/12/19(木) 13:34:55.84
>>128
加藤も福島も黒田も家名を残すために家康についただけだろ
人として家康が好きだったとかはないと思う
加藤と福島は家康に味方して養女を娶るなどしたのにお家取り潰しになった
黒田は何とか江戸時代を乗り切ったが
明治になり明治天皇が家康が潰した秀吉を祀る豊国神社を再建せよと勅命を下すと
黒田と蜂須賀が発起人となって寄付を募り再建されたはず
0134日本@名無史さん垢版2019/12/19(木) 18:48:27.94
徳川に大領を与えず
秀次も粛清しなければ

豊臣秀頼 222 関白
豊臣秀次 101 太閤
−−−
北条氏直 255
上杉景勝 120
徳川家康 119
毛利輝元 112
織田信雄 109

前田利長 83
島津義弘 61
伊達政宗 58
宇喜多秀家 57
佐竹義宣 54
0135日本@名無史さん垢版2019/12/19(木) 20:07:36.97
>>134
北条氏直は最後まで秀吉への臣従はせずのらりくらりしてたから
小田原征討で討たれたのであって大名として存続で225万石も貰えないだろ
北条が真っ先に上洛して秀吉に積極的に臣従し小田原征討がなかったらだが
北条氏直は徳川家康の娘婿で家康の義理の息子になっていたからさすがに北条存続なら
姻戚関係にある北条+徳川で秀頼+秀次を超える370万石も与えるわけにいかない
北条幕府を開いてしまうからな
0136日本@名無史さん垢版2019/12/20(金) 08:32:34.00
>>132
秀吉が将軍になれなかったように、家康も又将軍にはなれないはずだったんや。
だから秀吉は家康が天下を握るには秀頼を奉じるしかない→家康に秀頼を託せば(例え見せかけでも)天下人になれる、と思ってたんや。
ところが朝廷は豊臣による関白独占を嫌って家康を天下人にすることにしたんや。
家康を将軍に、ってのは天皇ではなく朝廷が決めてる。朝廷の意思を秀吉が甘く見ていたとしか言えない。
0137日本@名無史さん垢版2019/12/20(金) 11:28:44.31
いやだって家康が関白職を摂関家に戻しちゃったので、家康が関白にはなれんだろ

あと家康が1603年に将軍になったが、関白は九条兼孝
翌年の1604年に九条兼孝の子の幸家に、淀殿の意向で豊臣完子が嫁いでいる

江戸幕府成立後に諸大名の大坂登城が少なくなっていく中で、公家は大坂城のほうが江戸より近いこともあってか、熱心に大坂城登城が多いよ
0138日本@名無史さん垢版2019/12/21(土) 05:55:49.68
朝廷が秀吉死後に家康を将軍にした
この時点で豊臣は勝ち目なかった
0139日本@名無史さん垢版2019/12/21(土) 12:20:05.26
家康も当初自分が天下人になれるとは思ってなかったから諸大名にも融和的な姿勢で、五奉行からの詰問とかにも応じていた。
ところが朝廷から将軍の打診が来た途端に態度を変えて五奉行を蹴散らして指示を出し始めてる。
明らかに朝廷の力が歴史に作用してるわけで、秀吉が見落としていたところもあるだろうなぁ。
0140日本@名無史さん垢版2019/12/21(土) 13:05:36.79
秀吉は朝廷から関白に任ぜられ、主家の織田家を官位で圧倒的に上回ることで、
なし崩し的に臣従させ、下克上に成功した

家康の場合も関白じゃなくて将軍だが、
同じようになし崩し的に主家の豊臣家を臣従させたかったと思うが、
淀殿が粘りをみせて豊臣家は臣従せず、戦で滅ぼすことになった

ただ豊臣家を滅ぼすことで、徳川が世の謗りを受けないように、徳川の天下が定着するまで10年以上戦をせずに待つことになった
家康も高齢化していたし、自分の存命中に天下統一できるか気が気じゃなかったろう
0141日本@名無史さん垢版2019/12/21(土) 18:48:16.06
>>136
秀吉が関白になった頃にはまだ足利義昭が征夷大将軍だったじゃん

豊臣の関白独占も何も豊臣秀次切腹以降
豊臣は関白の座についていないし
幼少の関白も過去にはいたにもかかわらず
秀頼を無理に関白にすることもなかった
0142日本@名無史さん垢版2019/12/21(土) 19:45:03.76
>>141
五摂家は秀吉が関白になるのは一時的な処置で、その後五摂家にまた返還すると思ってた(五摂家はこれを秀吉と約束してたって話もあるけどソースがわからん)みたいだから、
秀次が関白になった時点で秀吉アンチの感情を抱いていたと思うよ。秀吉は五摂家が秀吉、というか豊臣を嫌ってる事は感じていたはずだし、感じてなかったとしたら耄碌していたとしか…
朝廷からしたら秀頼が関白になることは五摂家が関白になれなくなることすら意味していたハズだから、何をしても妨害せんといかんかった。
0143日本@名無史さん垢版2019/12/21(土) 20:50:49.91
>>142
なるほど
0144日本@名無史さん垢版2019/12/21(土) 21:28:47.04
>>142
すべては家康の言いなり
関ケ原後、家康が公家に摂関を返し、秀頼の関白就任を阻止した
家康が秀頼の関白就任を認めていればできなかったし
すべて家康次第
0145日本@名無史さん垢版2019/12/21(土) 21:44:05.59
>>136 >>142
関ケ原で勝っても家康は天下を取れなかった
関白を豊臣家に奪われた朝廷が摂関の座を取り戻すために
家康にあなたに天下を治めていただきたいと征夷大将軍に指名したというのはなあw
家康はなりたくもない征夷大将軍に朝廷のお願いで嫌々なったのかw

しかも朝廷は家康と全然仲良くなかった
都の繁栄が江戸に取られてしまった上
天皇の禁裏御料も公家たちの知行も秀吉時代よりずっと下げられた
公家町の門には幕府軍が常駐して天皇と公家の行動をすべて監視
天皇は幕末まで在位中まったく内裏から出ることができなかった
家康に天下を与えた立場なのにw
0146日本@名無史さん垢版2019/12/22(日) 16:51:13.31
>>145
朝廷、つまり帝や公家からすると豊臣に天下とられるより家康に天下取ってもらった方が都合が良かった、ってだけヨ。
家康は確かに実力者だけど朝廷をどうこうする力は無いとは言わんが小さかったはずだし。
五摂家に関白が戻った九条の復帰も元を辿ると朝廷サイドの策略だしなぁ。
天下人目指して虎視眈々と豊臣政権を侵食してた家康に、朝廷は「はい、君だけで天下作れるようにしてあげるね」って将軍をくれた。
これで家康は豊臣政権に寄生する必要が無くなった。そして、その対価は豊臣を滅亡させることだった。
0147日本@名無史さん垢版2019/12/22(日) 18:49:17.07
室町時代には公家でありながら、武家の将軍家に仕える昵近公家衆がいた
信長秀吉に仕える公家もいた、
秀頼に殉じた公家の持明院基久が有名

徳川にはそれがなかった
江戸と京都が遠いこともあるが、武家に扈従する公家という構図を宮中の天皇周辺が忌避したのかもしれない

先行研究では徳川と朝廷の対立に重きを置いているが、ここもポイントだろう
0148日本@名無史さん垢版2019/12/23(月) 06:45:43.14
>>146
なるほどな
0149日本@名無史さん垢版2019/12/23(月) 09:03:00.60
家康の動きを見てると、彼が何考えていたのかが朧げに分かる気がする。
1599年1月の時、家康は天下人になれるとは思ってなかった。だから豊臣政権を合議制にして、その中でイニシアチブを取る事を目指してた。
諸大名との婚姻関係や、利家なんかとの和睦もこのため。
ところが1599年の6月、朝廷から将軍の打診があった。これは最早豊臣の力無しに天下を握れることを意味していた。
これで家康は反徳川の連中を叩けば良くなり、楽なことになった、と。
0150日本@名無史さん垢版2019/12/23(月) 11:21:42.83
>>149
いや秀吉はワンマンで豊臣政権を運営してきたが、
幼少の秀頼でそれは無理だし、秀次を粛清したから豊臣一門の後見人もいないから、
秀次死後に慌てて合議体制を泥縄式ながら整えた

でも家康が秀吉死後に牙を剥き出しにして、独断専行をはじめた
1599年3月に前田利家が亡くなって石田三成が失脚すると、もはや家康を抑えられる大名はいなくなった
0151日本@名無史さん垢版2019/12/23(月) 11:22:44.81
前田利家が生きていた時は四大老五奉行の9人が、家康を弾劾できたが、
利家の死去と三成の失脚で9人の連合が崩壊した
0152日本@名無史さん垢版2019/12/23(月) 13:01:05.63
>>150
死後すぐ、とは言い難いよ。少なくとも3月26日までは家康は利家や五奉行衆とは事を荒立てたくは無い…って振舞ってるからね。
家康が態度を変えたのは利家が死んだから、ってよりも朝廷からの将軍打診で最早豊臣を気にしなくて良くなったって事が大きいと思うな。
仮に利家が生きていても、家康が将軍になれば利家は家康に従うかさもなくば逆らって死ぬかの選択肢しかなくなるわけだし。
0153日本@名無史さん垢版2019/12/23(月) 13:09:03.78
関ヶ原の前に朝廷工作で家康が将軍になっても、天下は従わないよ
むしろ反徳川の大義名分になるだけ
0154日本@名無史さん垢版2019/12/23(月) 14:26:31.65
>>143 >>148
「なるほどな」って自分でつけてるよな
0155日本@名無史さん垢版2019/12/23(月) 14:33:20.82
>>146
後陽成天皇は秀吉に神号出してるし豊臣を滅ぼす気なんてなかったぞ
関白は豊臣でも朝政はそのままだったし
だいたい家康だって公家がもっていた源氏長者を奪っている

家康は勝手に武家官位作って独自の太政大臣に就任したが
それって幕府はこっちで勝手に将軍が官位発行しますので
朝廷要らないよって話だし
0156日本@名無史さん垢版2019/12/23(月) 14:39:51.56
>>155
なるほどな
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