>>179
確かに七代孝霊からが男王の時代かもしれないね。
后妃を複数人置き、子女の記録が詳しくなってくる。

日本書紀では初代神武から三代安寧までの皇后は
事代主神の血を引く女性。四代懿徳の皇后は懿徳
の姪だが、事代主神の玄孫と見ることも可能。
彼らの先祖は神話の中では出雲の神に対して国譲りを
強要しておきながら、現実の世界では出雲族の女性しか
妻にできなかったようだ。もし天皇家が初代から絶大な権力
を持っていれば出雲系以外の豪族からも妃をもらっていたはず。
国譲りなんてウソ、実は初期の天皇は出雲に頭が上がらなかった
ということか…。

四代懿徳と六代孝安については昔は叔父と姪の結婚ぐらい
当たり前だろうという意見もあるかもしれないが、逆に姪御さんしか
嫁さんに迎えられない、子どもが一人、二人しかいないという
初期天皇家の状況は、彼らがたいして権力を持っていなかったことを
暗示しているのかもしれない(家系図、世代数が事実と合うかどうかは
また別問題です)。