(続き)
相違点・独自の見解
@畿内の支配者は饒速日命(素戔嗚尊の子大歳)であり(ただし崇神
天皇の夢に出てきた大物主神の正体が饒速日命ではないかとも述べている)、
卑弥呼は大和に東征してきた饒速日命が伊都国から招聘した。卑弥呼の先代の
伊都国女王が天照大神のモデルである。
A神武は実際に軍を率いてやってきた。長脛彦との戦いは嘘で長脛彦は殺されていない
と考えられるが、宇陀の戦いや八十梟師(八十建)の戦いは史実をもとにしていると
考えられる。
可美眞手命の軍事力のほうが圧倒的であったが、神武は各地で略奪行為を繰り返す中で
物部氏と同じ特徴を表す(新羅系渡来人の)証を手に入れたので、そのおかげで神託の
結果、大和に住むことを許可された。神武天皇が実際に渡来人の子孫であるかは不明。
B卑弥呼は神武とともに(可美眞手命のもとで)共同統治していた時期があるが、
夫婦であったかは分からない。
B卑弥呼の死後王になろうとして反対された魏志倭人伝に記述されている男王が
孝昭天皇であろうと述べている(一方スレ主さんは、懿徳天皇を台与の夫と主張
しているから即位した順が逆になる?)。
C女王の統治を終わらせたのは崇神天皇である。台与は開化天皇の時代まで生きていた。
ひょっとしたら箸墓に埋葬されているのは崇神に暗殺された台与かもしれない。
etc