0001日本@名無史さん
2016/11/17(木) 05:37:15.20弥生時代にはすでに文字があった可能性が高まってきました。
記紀編纂者たちはおおよその実年を把握し、
2世紀初頭の倭国王師升がスサノオだと分っていたでしょう。
白村江の敗戦ショックが癒えない時代、
ヤマト民族の始祖たるスサノオまでが生口160人を捧げて朝貢していた…
ものすごくみじめです。
自尊心がズタズタです。
彼らは古代日本が中華の属国だったというぶざまな歴史を、
時代を古く古くすることでごまかしました。
また記紀編纂者たちはスサノオから5世代後の神武が卑弥呼の時代になることも分ってたでしょう。
だから記紀において神武東征をやたらクローズアップして、
卑弥呼であるヒメタタライスズ媛の記述をを最小限にとどめました。
そして神武をBC660年という遠い遠い過去に葬り去りました。
神武以降の天皇もそれに合わせました。
これが古代の天皇が100歳を超える日本の歴史の真相です。