>>85
スレ主の主張と>>24の豪族系譜との比較により
神武(卑弥呼の時代)〜崇神までを6世代、仁徳までを10世代
とすると、仲哀天皇が340〜350年代の誕生で380年頃に応神天皇
を残して亡くなったとして特に問題ないと思われる。

継体天皇の誕生年を485年とすると、5世代前の応神天皇の誕生年
は362年頃もありうるが、380年であっても一世代21年で子供を作
ればちょうど105年差になるのでありえない話でもない。

崇神天皇崩御から成務天皇崩御まで37年(319年〜355年)を
入れ込むか39年(332年?〜370年?)を入れ込むかあまり大差ない。

仲哀はとりあえず崇神の孫世代と考えている。
記紀通り仲哀は崇神の玄孫だというなら崇神の没年を318年にすると
仲哀の没年を380年以降に持ってこないと不自然。362年52歳没だと
崇神の存命中の誕生になる。崇神天皇はよほどの長生きだったのか。
仲哀天皇は52歳でなくもっと若い年齢で亡くなったに違いない。