>>96
家康は下マン好みで身分の低い後家などが好きだった。
こういう女は丈夫でポンポン子供を産む。
昔でも農婦など40歳ぐらいまで平気で産む女はいた。
しかし、定期的に何人も産んでいるような状態でないといけない。

身分の高い女なかんずく公家の女などは体が弱い。
江戸時代、大奥でも「褥下がり」(おしとねさがり)という
三十になったら将軍のお相手を辞退する習慣があった。
妊娠すると難産で死んでしまうおそれがあるからである。

一の台に子が出来たら秀吉は喜んだかも知れないが
駄目だった。経産婦とはいえ産んだのは13年前。二十歳の頃。
公家の娘なんだから頑強なわけないし。