0089日本@名無史さん垢版
2017/01/10(火) 07:25:41.09秀次を派遣して総大将に、という要請が来る。
秀吉は自分が乗り込むつもりだった。その後小西軍は無事との連絡が
入り秀吉渡海はとりやめとなった。
秀次は関白で、公家の最高位にある。京都にいて国政の中心となって
いなければならない。それをいいことに秀次は聚楽第で好き放題の暮らし
である。側室は30人を数えたという。
後年打つ首にされた妻妾侍女
一の台(享年34) 於妻御前(享年16/17) 中納言局(享年33/34)
於和子の前(享年18/22) お辰の方(享年19) 於長の前(享年18)
於佐子の前(享年19) 於萬の前(享年23) 於輿免の前(享年26)
於阿子の前(不明) 於伊萬の方(享年15/19)
於世智の前(享年30余/31)
小少将の前(享年24) 左衛門の後殿 (享年38) 右衛門の後殿 (享年35)
妙心寺尼 (御伽婆) 於宮(享年13) 於菊の前(享年14/16)
於喝食の前(享年15、稚児の姿) 於松の前(享年12)
於佐伊の前 於古保の前(享年19) 於仮名の前(享年17)
於竹の前
於愛の前(享年23/24) 於藤の前(享年21) 於牧の前(享年16)
於園の前(享年22) 於杉の前(享年19)
於紋(おあや)(御末衆) 東殿 (享年61、女房)
御三末 (女房) 津保見 (不明) 於知母 (不明、乳母?)