朝鮮の陣は膠着状態。小西行長との連絡が途絶え、黒田如水からは
秀次を派遣して総大将に、という要請が来る。
秀吉は自分が乗り込むつもりだった。その後小西軍は無事との連絡が
入り秀吉渡海はとりやめとなった。

秀次は関白で、公家の最高位にある。京都にいて国政の中心となって
いなければならない。それをいいことに秀次は聚楽第で好き放題の暮らし
である。側室は30人を数えたという。

後年打つ首にされた妻妾侍女
  一の台(享年34) 於妻御前(享年16/17) 中納言局(享年33/34)
於和子の前(享年18/22)  お辰の方(享年19) 於長の前(享年18)
於佐子の前(享年19) 於萬の前(享年23) 於輿免の前(享年26)
於阿子の前(不明)  於伊萬の方(享年15/19)
於世智の前(享年30余/31)

  小少将の前(享年24) 左衛門の後殿 (享年38) 右衛門の後殿 (享年35)
妙心寺尼 (御伽婆) 於宮(享年13) 於菊の前(享年14/16)
於喝食の前(享年15、稚児の姿)  於松の前(享年12)
於佐伊の前 於古保の前(享年19) 於仮名の前(享年17)
於竹の前

  於愛の前(享年23/24)  於藤の前(享年21) 於牧の前(享年16)
於園の前(享年22) 於杉の前(享年19)
於紋(おあや)(御末衆) 東殿 (享年61、女房)
御三末 (女房)  津保見 (不明)  於知母 (不明、乳母?)