大和飛鳥地域を含む高市郡は、別に今来の郡とも呼ばれた。
宝亀三年(七七二)、坂上苅田麻呂が、
高市郡内には朝鮮渡来の人々がみちみちており、
「他姓の者は、十にして一、二」と述べたくらいである。
大和の飛鳥文化がそれらの人々によって推進されたことは、
まぎれもない事実であった。
河内の飛鳥文化もそうである。
(上田正昭・京都大学教授)