0044日本@名無史さん垢版2017/04/08(土) 04:51:15.18 大和飛鳥地域を含む高市郡は、別に今来の郡とも呼ばれた。 宝亀三年(七七二)、坂上苅田麻呂が、 高市郡内には朝鮮渡来の人々がみちみちており、 「他姓の者は、十にして一、二」と述べたくらいである。 大和の飛鳥文化がそれらの人々によって推進されたことは、 まぎれもない事実であった。 河内の飛鳥文化もそうである。 (上田正昭・京都大学教授)