日本書紀の雄略紀には、
「遣身狹村主・檜隈民使博コ、使於吳國。」と、遣呉使の記録はある
遣宋使の記録はないけれどね

宋は南北朝時代の南朝の王朝なので、大雑把には呉の地域だ

雄略天皇の前代あたりで、日本書紀の暦が元嘉暦から儀鳳暦に変わるため、
允恭天皇以前の儀鳳暦部分は書紀編纂時に計算されたものと考えられ、
その部分のもとの記録が春秋年(二倍年暦)だったのでは、と想定する人も多い

そのため、雄略天皇以前の対応は見出しにくくなるが、大陸との往来が仁徳〜安康紀にも
記されており、倭の五王が大和朝廷の大王であることは、定説となっている