梶原景時と高師直は似すぎている [無断転載禁止]©2ch.net
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
とても簡単な稼ぐことができるホームページ
念のためにのせておきます
検索してみよう『立木のボボトイテテレ』
MO5 高師直は天皇の後宮に入るはずだった二条道平の妹を盗み出して
師夏を産ませたという話が有名だが、この「天皇」て北朝の光明天皇と
南朝の後醍醐天皇のどっちだろう?道平と道平の父二条兼基は建武の新政
が始まって1、2年で死に、道平の死んだ翌年1336年には足利尊氏が九州か
ら京都に戻って光明天皇を擁立して北朝を開いた。このときの二条家の動静
はというと、道平の伯父二条師忠と息子の良基が京都に残って光明天皇に仕え、
弟とされる師基は南朝の後醍醐天皇に仕えることになった。師直の息子の師夏は
1339年生まれらしい。師直が建武の新政が始まってまもなくバサラ大名らしき
傍若無人な行動をして後醍醐天皇の後宮に入るはずだったところを奪ったにしては
子どもができるまでの年数がちょっと長いと思える。それとも後醍醐がいる吉野に
まで出向いて彼女を奪いに行ったのだろうか。師直は南朝の公家の娘に手を出すほどの
好色家だったのか?彼が手軽におもちゃにできたのは北朝側の皇族や公家の女性たちだろう。
そうなると光明天皇の後宮に入ることろを横取りしたとしか考えられない。
でも変だな。彼女には以前から大炊大納言冬信という愛人が
いたので、それを知った師直は冬信の家を焼き打ちしたとか。
大炊御門冬信は北朝でなく南朝の廷臣。
二条道平は1287年生まれ、光明天皇が1321年生まれであることを
考慮すると30歳ぐらいは年の離れた妹がいたことになる。
妹ではなくて娘の間違いじゃないか?と言いたいが、師直の兄、
師泰の妻も二条道平の妹らしい。
それとも、この話は明らかに太平記のフィクションかな?
塩冶高貞の妻とされる早田宮真覚の娘にしても
新田義貞が愛した勾当内侍にしても実は架空の人物で
太平記作者が身分の高い女性に恋い焦がれていた、
あるいは藤原氏のような貴族を馬鹿にしたかったので
高貞や義貞、師直のような田舎武将に自分の願望を代弁して
もらったというのが真相なんだろうか。 ひ弱なくせに威張り腐った貴族の男どもは大っ嫌いだけど
貴族の美女は大好きでみんな俺のもの
どこかの国の男たちそのまんまの発想w 梶原平三景時の息子がなぜ梶原源太景季なのかわからん 高氏末裔の国司親相が禁門の変を主導しているんだよな
内裏や御所に攻撃するのもお手の物かw ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています