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薩摩、長州の指揮官が優秀?になんるんか? 
http://www.hodaka-kenich.com/history/2014/05/01133931.php
{戊辰戦争で、仙台藩が最大の犠牲者を出したのは、ここよりもひとつ前、浜通りの
戦い『駒ヶ岳の戦い』である。熾烈な激戦となり、仙台藩は数百人の死者を出して
いる。のみならず、官軍側も、多くの犠牲者を出している。
 広島側の資料を見ると、戦場が「駒ヶ岳山麓」の水田地帯だった。すさまじい
仙台の猛攻に対して遮蔽になるものがない。敵から丸見えの広い田園地帯で行われた。
仙台藩が総力をかけた、猛烈なる防戦で、一兵も進めない状態に陥っている。
 芸州・神機隊が「ここは駒ヶ岳の関門に向って、正面突破を図ろう」と提案した。
すると、 「長州藩の隊長はこれには周章(うろたえ)てしまった」と記す。
下関で四か国と戦い、第二次征長でも練磨の、戦い巧者の長州がおびえるほど、
仙台藩は強かったのだ。仙台藩は大小砲を激発し「筑前藩も猶予して進まず」。
「この激戦は環視(みているだけ)では解決できず。敵の飛弾を犯し、
切り込まざるは利なし。抜刀し突撃するべきだ」
 神機隊はそう主張するが、長州藩、筑前藩の両隊長はついに動かなかった。
『先鋒の神機隊は突貫、突撃した』
 初めのうちは長州・筑前は無謀だと笑っていた。それが驚きになり、やがて賞賛に
変わったのだ。『われらは駒ヶ岳の砲台に登り詰めた。そして、縦横に敵兵を斬殺
していく。乱殺に遭った敵は、兵器や屍を放棄して、仙台藩はことごとく敗走して
いく』
長州や九州諸藩の連中は無謀な正面白兵激突こそ、勝負付けが出来るんじゃが、
山口や九州のもんは臆病じゃけんのう。ましてや指揮官クラスは無能でえ(笑)。