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明治維新がなくても江戸幕府が日本を近代化させていたよな 5 [無断転載禁止]©2ch.net
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0001よしのぶ ◆rCkRk5jFeI 垢版2017/02/28(火) 11:21:44.23
フランス式の政治体制を取り入れて徳川慶喜が初代大統領→しばらくして大統領も公選制に移行→議会の設置
地方自治は引き続き諸藩に任せる→しばらくしてフランスを習って廃藩置県実施
政治の中心地は引き続き江戸→必然的に江戸が日本の首都になる
幕府陸軍と海軍奉行→そのまま日本陸軍と日本海軍になる

結果的には明治政府が実施したことと何も変わらない
ただ江戸幕府が近代国家を作っていたら古き良き日本はもっと残っていただろう
明治政府に近代化させたせいで天皇は京都を追い出され、城や寺などの建物が破壊され、和服文化が消滅し、太平洋戦争が起きたのだ
0813白馬青牛 ◆sKm0uQPecU 垢版2017/08/17(木) 01:10:01.09
>>811
薩摩、長州の指揮官が優秀?になんるんか? 
http://www.hodaka-kenich.com/history/2014/05/01133931.php
{戊辰戦争で、仙台藩が最大の犠牲者を出したのは、ここよりもひとつ前、浜通りの
戦い『駒ヶ岳の戦い』である。熾烈な激戦となり、仙台藩は数百人の死者を出して
いる。のみならず、官軍側も、多くの犠牲者を出している。
 広島側の資料を見ると、戦場が「駒ヶ岳山麓」の水田地帯だった。すさまじい
仙台の猛攻に対して遮蔽になるものがない。敵から丸見えの広い田園地帯で行われた。
仙台藩が総力をかけた、猛烈なる防戦で、一兵も進めない状態に陥っている。
 芸州・神機隊が「ここは駒ヶ岳の関門に向って、正面突破を図ろう」と提案した。
すると、 「長州藩の隊長はこれには周章(うろたえ)てしまった」と記す。
下関で四か国と戦い、第二次征長でも練磨の、戦い巧者の長州がおびえるほど、
仙台藩は強かったのだ。仙台藩は大小砲を激発し「筑前藩も猶予して進まず」。
「この激戦は環視(みているだけ)では解決できず。敵の飛弾を犯し、
切り込まざるは利なし。抜刀し突撃するべきだ」
 神機隊はそう主張するが、長州藩、筑前藩の両隊長はついに動かなかった。
『先鋒の神機隊は突貫、突撃した』
 初めのうちは長州・筑前は無謀だと笑っていた。それが驚きになり、やがて賞賛に
変わったのだ。『われらは駒ヶ岳の砲台に登り詰めた。そして、縦横に敵兵を斬殺
していく。乱殺に遭った敵は、兵器や屍を放棄して、仙台藩はことごとく敗走して
いく』
長州や九州諸藩の連中は無謀な正面白兵激突こそ、勝負付けが出来るんじゃが、
山口や九州のもんは臆病じゃけんのう。ましてや指揮官クラスは無能でえ(笑)。
0815白馬青牛 ◆sKm0uQPecU 垢版2017/08/17(木) 01:30:20.42
>>812
前線の経験が無あ机上の空論の大村益次郎や小栗上野介じゃ、>>127の岩国の被差別民系
維新団にゃ勝てんし、ましてや>>813の安芸神機隊にゃ当然勝てんよ。
小栗さんの東海道封鎖も中山道から攻められとんじゃけぇ最初から破綻しとるし。
浜通りの戊辰戦争で功利主義の大村益次郎はどう指揮するんか?
結局戦闘で勝利を得るんは、戦術の常識から外れて、敵さんへの思いもせん非常識な
攻撃することなんよ。 広島県の安芸の賀茂、豊田の芸南と備後の壮丁の福山連隊も、
無謀な正面激突で勝利したし。
「敵前で橋を渡るなどということは、常識はずれだ。せっかく連隊主力が上流で
渡河したのだから、そのコースを利用するのが常道である。が、本道上に待機していた
一部隊は、本隊が対岸で戦闘を始めると、やにわに橋を突っ走って行ったのである。
どういう考えだったのか、それは判らない。 「たいしたこたァ、にゃァ(ない)」
と、思ったのだろう。 しかし、この無謀な突撃で、橋梁付近が一大乱戦場になった
のは事実だ。大戦果には必ず、こういう常識はずれの行動が付随していることが多い。
捨て身になって奮戦していたグルカ兵が、この緒戦に敗れてからは、日本軍の姿さえ
見れば、逃散するか、両手を頭上に上げてゴム林から出て来たのは、この最初の一撃が
いかに痛烈であったかの証明であろう。」
『市川少佐は仰天した。(またか!)と思った。しかし今度だけは無茶だ! とも思った。
しかし、放ってはおけない。「各部隊前へ!」より他になかった…。
 仙台幼年学校の区隊長から、この歩兵十一連隊(広島)の第三大隊に転任して来た
市川正は、しばしば戦理に合わぬ攻撃法をやらかす部下たちを、ほとんどあきれていた。
(これが伝統と言うものだろう!)と、そう思うより他なかった。
しかし、激戦場にぶつかると、てんで頼もしかった。勝つこと以外には何も考えて
いないのだった。 「とにかく、こうしましょうや」と提案する中隊長たちの方法は、
てんで敵を無視していた。けれどもそれは百発百中、成功するのだった。』
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