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0902日本@名無史さん垢版2018/07/21(土) 03:02:54.95
ちなみに旗本の領地は関東が多いのですが小さい旗本領が細かく入り組んでいて捕り方に追われた
無頼の徒が越境するといちいち許可を取らないと捜査できないので国定忠治とかが暴れ回ってました。
そこで幕府は関東に限って境界を越えて追跡できるFBIのような捜査官を設置しました。これを
関東取締出役(かんとうとりしまりしゅつやく)と言います。長いので関八州廻りとか八州と呼びます。
0903日本@名無史さん垢版2018/07/21(土) 11:49:11.96
大名とかでも1村1町単位でとんでもない場所に飛び地であちこちに領地もってる
こともあるものね。そんなところは在農の者に代官職をさせており、事実上はいまの
青色申告みたいに村民の自主納税と治安の自主管理に任せておき、定期的に
奉行や代官・目付が巡回しており、ちょうどイギリスの巡回裁判所やシェリフのような
機能を果たしていたようだ。
0905日本@名無史さん垢版2018/07/21(土) 12:53:04.41
基本的な質問で申し訳ないんだけど代官は知行地持ちが直接面接とかして雇ってるの?
それとも藩から派遣されて来るの?
0908日本@名無史さん垢版2018/07/21(土) 17:40:42.83
>>893
最初のうちは小規模なの以外は原則として知行、零細だけ扶持

後半、直轄地が足りなくなった影響から、できるだけ知行を廃止して扶持に切り替えていった
0909日本@名無史さん垢版2018/07/21(土) 18:47:30.13
武士の家計簿にたしか

旗本だと幕府が任命した代官が統治し、年貢も届けてくれることが多い
なので旗本の子孫に取材すると知行地がどこか知らず教えてあげたら喜ばれることもある

とあったと思います
なので、高校の教材には旗本知行地は幕府直轄地とほぼ同じなどと書いてありました
0910日本@名無史さん垢版2018/07/21(土) 19:26:04.00
じぶんの領地がどこかも把握してないのが旗本じゃ幕末の動乱で右往左往するわけだ
0911日本@名無史さん垢版2018/07/21(土) 19:34:23.63
旗本としての毎年の行事のひとつとして知行地の農村代表が年始?挨拶に来るって話も出てなかったか、
特に代官が治めてる土地だと良民と接する唯一の機会だから云々と。

扶持の場合は、さすがになかっただろうけどさ
0912日本@名無史さん垢版2018/07/21(土) 22:28:26.41
昨日BSで銭形平次やってたんだけど、あれって下っぴきの八っつぁんも十手持ってるけど、岡っ引きはわかるけど岡っ引きの手下なんて実際には十手なんて預からせてもらえないよね?

勿論ドラマはドラマとして。
0913日本@名無史さん垢版2018/07/21(土) 22:48:06.62
『半七捕物帳』や『銭形平次』などの時代劇において、岡っ引は常に十手を預かっているかのように描かれているが、
実際は奉行所からの要請に基づき事件のたびに奉行所に十手を取りに行ったとされている。十手を携帯する際も
見えるように帯に差すのではなく、懐などに隠し持っていた。また、時代劇で十手に房が付いていることがあるが、
房は同心以上に許されるものであって岡っ引の十手には付かない。ましてや紫色の房は要職の者が付けるものであり、
岡っ引が付けることはまずあり得ない。

つまり下っぴきはもちろん岡っ引きも公式な存在ではないので十手を常時携帯してるわけではない。手当も
奉行所からは出ないので同心が小遣いをくれるだけ。だからお上の御威光を傘に町人から袖の下を取ったり
他の商売と二足のわらじだったりした。
0914日本@名無史さん垢版2018/07/22(日) 00:31:45.83
_>>901-902
旗本は将軍の親衛隊だから江戸在府ってことか。
参勤交代はそれを免除された格上なんだな。
いままで旗本の交代寄合が不思議だったが、旗本自身が
知行地に普通は居られなかったとは。

>>907
知行地の領民にマンパワーの要求までは出来なかったんだろうか。
奉公人が足りないからあまってる男子を江戸に寄こせとか。
でも話を伺ってると、そこまで要求出来なさそうだな。
0915日本@名無史さん垢版2018/07/22(日) 01:04:55.93
>>914
>奉公人が足りないからあまってる男子を江戸に寄こせとか。
江戸は100万都市だから働き手はいくらでもいるよ。男ばっかだけどな。
地方で仕事にあぶれて江戸に出てきて仕事を見つけられないと無宿人になる。
そういうのが一杯いた。女は女郎屋に売り飛ばされるからあぶれるのは男ばっか。
0916日本@名無史さん垢版2018/07/22(日) 01:09:39.16
奉公は知識集約業務だから、百姓あがりの寺子屋卒程度じゃ
とてもつとまらんでしょ。それこそ子供のころから屋敷奉公に
上がらせておかないと雑巾がけひとつですら打ち首にされかねん。
0918日本@名無史さん垢版2018/07/22(日) 08:17:00.51
>>914
室町時代の守護大名も常時在京で、江戸幕府の旗本と大差ないよ。
参勤交代なんてなくて常時在京な

ただ、遠隔地(関東と東北と九州)の大名は在京しない、どころか京都に赴くことすらないけど。
江戸幕府では遠隔地の薩摩藩島津でも参勤交代してたのと比べると、やはり室町幕府の求心力は弱いよね
0919日本@名無史さん垢版2018/07/22(日) 08:57:18.63
室町時代の守護大名が在京してたのは政治への影響力を行使したいという面があったのでは
0920日本@名無史さん垢版2018/07/22(日) 12:57:51.21
本来の目的は軍事だよ
南軍に京都を攻められて追い出されることが多かったから在陣させてたと思いねえ
その在京の軍を派閥争いで動員したりして大荒れになったりしてなかったかな

応仁の時とかは、その軍勢で足りないから各自が自分の領地から追加の軍勢を集めてるけどな
0921日本@名無史さん垢版2018/07/22(日) 16:53:55.34
一休さんの
『そもさん』、『せっぱ!』って
いったい何なんですか?
(´・ω・`)
0922日本@名無史さん垢版2018/07/22(日) 23:06:25.15
>>11
壬申の乱でも「米を水に浸して食べた」という記述があるから、それぐらいは普通にする
0923日本@名無史さん垢版2018/07/22(日) 23:28:57.26
>>921
一休さんは禅僧なので修行の中に禅問答(公案)というのがあります。
禅問答というのは普通に考えたら答えが出ないようなことをあえて質問して、それに回答することで
論理を超えた境地を悟る助けになるらしいです。その禅問答の時に師匠が「そもさん」と言ったら
弟子は「せっぱ」と答えます。つまり「そもさん」は「出題します」であり「せっぱ」は「回答します」という意味になります。
0924日本@名無史さん垢版2018/07/22(日) 23:38:48.68
中国には清史稿や清史がありますが
「江戸史」のような正史が今現在存在しないのはなぜでしょうか?
もしかして、教科書検定制度が正史なんですかね?w
0927日本@名無史さん垢版2018/07/23(月) 02:23:37.03
皇室や朝廷じゃないから正史じゃない
0930日本@名無史さん垢版2018/07/23(月) 12:20:04.28
>>924
江戸時代は単独の王朝ではないから、その時代を扱う歴史書を正史とみなさないだけだよ
正史というのは「王朝としての正統を記す歴史書」だからね
0931日本@名無史さん垢版2018/07/23(月) 13:01:38.53
最初から侮辱するつもりで投稿したら反撃されて
無知さらけ出しただけだろ。質問なんかする意図
ねんだよこいつは
0934日本@名無史さん垢版2018/07/24(火) 00:27:46.77
正史をどうとるかにかよると思います
デジタル大辞泉には「国家などが編纂した歴史」で対義語は「外史」とあります
これに従うなら徳川実紀はもちろん、会社編纂の社史あたりも比喩的に正史ということができます
逆に厳密にいうと、中国の正史は原則として滅亡した特定の王朝の歴史を紀伝体で書いたものですから
王朝交代の無い日本にはそういう意味での正史は存在しないことになると思います
確かにほとんどの国には正史は無いと思います
前代の歴史を都合よく叙述して自己正当化をはかる、中国の歴史利用の伝統を感じます
0935日本@名無史さん垢版2018/07/24(火) 00:33:28.17
史書は世界中にいくらでもあるけれども「正史」という考え方は支那文化特有とはよく言われるね。
ただこれも漠然とした言い方なので反論しようとおもえばスキはいくらもありそう。
0936日本@名無史さん垢版2018/07/24(火) 01:06:04.95
聖書は世界中にいくらでもあるけれども「聖書」という考え方は欧米・中東文化特有とはよく言われるね。
ただこれも漠然とした言い方なので反論しようとおもえばスキはいくらもありそう。
0938日本@名無史さん垢版2018/07/24(火) 06:05:50.47
聖書は英語ではBibleだけどこれはラテン語のbibliaから来ていてその意味は単に書物だ。
それを有り難そうな聖書と訳したのは誰だろうな?
0939日本@名無史さん垢版2018/07/24(火) 11:06:23.28
東山文化が15c中頃に対して桃山文化文化が16c後半って書いてあるんだけど
この間は東山文化が続いたんですか?
0940日本@名無史さん垢版2018/07/24(火) 11:21:26.04
「聖書」という語が登場したのは根拠あるところでは
いまのところ『神天聖書』(マラッカ、1823年)みたいね
むろん一般的な語として「聖」+「書」という文脈なら
漢書に「聖哲之書」という語があるようだ。
0941日本@名無史さん垢版2018/07/24(火) 12:12:13.65
>>938
一般名詞から固有名詞への転用とか、わりと普通にないかな

書と言えば書経(尚書)、河と言えば黄河、江と言えば長江。みたいな(@中国語での例

日本だと何があるだろう?
正倉院と言えば「東大寺の正倉院」みたいなのか?(一般名詞「正倉院」はどこの荘園にでもあるようなありふれた施設です)
0942日本@名無史さん垢版2018/07/24(火) 15:26:11.33
東大寺の正倉院が有名になったのは
明治時代に国が正倉院展を開催して一般人の目に宝物を公開するようになったからで
それまでは「正倉院といえば東大寺」ということもなかったよ
0943日本@名無史さん垢版2018/07/24(火) 18:57:19.00
>>939
ずっと続いてたんじゃなくて取り上げるような事物が無かったということです。
0944日本@名無史さん垢版2018/07/24(火) 21:00:42.33
>>938
ギリシャ語、ラテン語のビブリアは書物一般を指すのでしょうが
英語のバイブルはすでに固有名詞化されているのでは?
0945日本@名無史さん垢版2018/07/24(火) 21:14:56.57
ナイル、ガンジス、インダスはすべて川という意味で探せば他にもあると思います
日本史では太閤、北政所、黄門あたりがそうでしょう
地名では「京」「都」など、あと港をあらわす一般名詞の「津」があてはまると思います(大阪や三重県)
0946日本@名無史さん垢版2018/07/25(水) 04:55:54.03
京都在住者が国司/郡司に任命されて任地に赴任したら、
単身赴任になるの?妻や子供は京都に残したまま?
0947日本@名無史さん垢版2018/07/25(水) 07:58:30.39
>>941
黄河・長江は逆の例では?

川の名前は古くは○水と書かれていて、例えば淮河なら「淮水」なんだが、黄河のことは河水、長江のことは江水とかいてある
つまり河や江は元は一般名詞ではなく固有名詞で、後に一般名詞に変わったのでは?
そう思いながら見たら、河は黄河の上流域、周や秦の首都を囲むように流れているエリアをかたどった象形文字に見えてくる
0948日本@名無史さん垢版2018/07/25(水) 10:27:38.04
>>946
普通は妻子も一緒に連れて行く、ただし時と場合による
清少納言は子供の頃、国司になった父と一緒に周防国へ下っている
紫式部も20代半ば頃、国司になった父と一緒に越前国へ下ったが
途中で父を残して単身都へ帰ってきて都の貴族と結婚している
0950日本@名無史さん垢版2018/07/27(金) 22:34:58.13
関連質問なんですが、摂津や大和などの場合は京滞在なんですかね?
0951日本@名無史さん垢版2018/07/28(土) 20:28:50.16
昔の人たちがたくさん文書で記録を残してくれたおかげで今の歴史学の基礎になっているわけだけど、すごいことですよね。
昔の人たちが今の歴史学のために史料を残してくれたわけではないでしょうし。
0952日本@名無史さん垢版2018/07/28(土) 21:07:32.18
>>951
お公家さんとかの日記は子孫が仕事するときに先例を確認できるように記録を残したもの。
つまり子孫のためだ。
0953日本@名無史さん垢版2018/07/28(土) 23:14:38.53
田原と猪瀬の対談か何かで、「よく、なぜ天皇はこんなに長く続いてきたのかって問いに
『日本の歴史、伝統だから』と答えが来るが、最初から歴史や伝統だったわけがない。
その時代時代を潜りぬけて、いつしか歴史や伝統になったのだろう」みたいなことが
話されていました
日本の歴史上で、だいたいいつぐらいの時代から、天皇が「日本の歴史、伝統」あるいは
「伝統的権威」という風に認識されたのでしょうか?
確かに、田原らが言うとおり、飛鳥時代とかの頃に「天皇は日本の歴史、伝統」と思われて
いたとは思えません
その頃は「リアルな統治者」って感じでしょうね
0954日本@名無史さん垢版2018/07/28(土) 23:23:22.95
伝統だから長く続いたんじゃなくて時代時代を乗り越えて続いてきたから結果的に伝統になったんだよ。
0955日本@名無史さん垢版2018/07/29(日) 00:08:46.01
>>954
いや、それはわかってるって
どの時代くらいから、天皇が歴史や伝統
のように認識されたのだろうって疑問だよ
0956日本@名無史さん垢版2018/07/29(日) 01:29:14.54
それは綏靖天皇の頃からです
だいたい貴殿の仮説は目的と結果を取り違えている。当初は長く続けることが目的ではない
0957日本@名無史さん垢版2018/07/29(日) 13:14:58.66
戦国時代はそれぞれの戦国大名が独立国家の君主だったという認識でいいんですか
イメージとしては30年戦争後の分裂したドイツ?
0958日本@名無史さん垢版2018/07/29(日) 13:43:45.07
戦国大名は天皇陛下の臣下に過ぎなかったのに何言ってんだ?
0959日本@名無史さん垢版2018/07/29(日) 14:08:22.14
イメージとしては古代中国の戦国時代かな。周王朝が天下を治めていた時代は遠くなり各諸侯が
それぞれに王を自称するけど周王も一応まだ居る頃。「戦国時代」という用語も中国のこの時代に
由来してるし。
0961日本@名無史さん垢版2018/07/29(日) 15:37:27.06
ドイツは選帝侯会議という統一機関があったから微妙に日本の戦国時代とは違うね。
戦国時代みたいに互いに領地をかけて戦うというわけではなかったし。

日本の戦国時代は>>958氏が言うように春秋戦国期だろうね。中央には西周みたく将軍や
天皇がいて、権威としての中心を置いて、盟約などのさいにはタテマエとして言及しても
実質的には武力割拠している状態だとおもう。
0962日本@名無史さん垢版2018/07/29(日) 16:16:20.81
>>957
たいていの大名は幕臣なり近隣有力者の臣下なり、弱い主従関係を残してます
主命があれば、(自分の不利益が大きいと無視するとは言え)ある程度は命令を受けて行動してます
中世的な主従関係に近いとはいえ、完全な独立勢力ではありません
0963日本@名無史さん垢版2018/07/29(日) 16:43:57.53
支那の春秋時代。周「王」として権威を認め諸侯は「公」止まり
30年戦争「中」の分裂したドイツ? 戦争「後」なら織豊政権
0964日本@名無史さん垢版2018/07/29(日) 17:48:24.86
でも田氏が斉を乗っ取ったり、晋の卿(大臣)である韓・魏・趙の3氏が晋を分割して諸侯に成り上がったりと
下克上が戦国時代の定義の一つだからなぁ。

日本の場合も北条早雲や斎藤道三はもちろん織田信長だって尾張守護斯波氏の守護代清洲織田氏の
分家で清洲三奉行家の家柄からのし上がった。
0965日本@名無史さん垢版2018/07/29(日) 20:44:39.94
猪瀬ってさ、
江戸幕府は現在の国連みたいなもので、
江戸藩邸は各国の大使館みたいなものだった
とか書いてる歴史音痴の阿呆だぞ
0966日本@名無史さん垢版2018/07/30(月) 16:03:34.56
炒飯を初めて食べた日本人って
いったい誰なんですか?
(´・ω・`)
0967日本@名無史さん垢版2018/07/30(月) 18:12:53.93
>江戸幕府は現在の国連みたいなもの
黴の生えたような、古いリベラルが仕切ってる組織と、
江戸幕府は確かに真逆だわな。
0968日本@名無史さん垢版2018/07/31(火) 11:39:52.98
>>956
>>綏靖天皇
二代目の天皇ですやん
質問の意図が全然汲み取ってもらえてないな
正確にはいつから天皇が始まったのか分からないけど、
それが時代時代を潜りぬけて長く続き、やがて結果として
天皇=日本の歴史・伝統、または伝統的権威になり、
その認識が定着していったんだろう
その認識が始まり、広がり、定着していったのはいつ頃から
なんだろうっていうのが疑問なんだけどね
もちろん、ただひとつの正しい答えなんてないだろうけど、
何らかの見解、学説、ヒントがあれば良いなって思うだけ
戦国の頃には既に伝統的権威って認識はあったっぽいし、
さらに時代をさかのぼるんだろうとは思う
0969日本@名無史さん垢版2018/07/31(火) 12:10:48.66
それは『日本書紀』の頃からです
だいたい貴殿の意図は歴史と結果を取り違えている。現在もその認識は定着してない
0970日本@名無史さん垢版2018/07/31(火) 12:52:40.81
>>969
サンクス
『日本書紀』、つまり奈良時代の頃からって感じですか

>>貴殿の意図は歴史と結果を取り違えている。
これの意味するところが自分にはいまいち分かりません
現実に皇室は長く続いてきて、現在では皇室は日本の
歴史や伝統を象徴するものと認識されていると思いますよ
(全員とは言わないけれど、多数の国民にとって)
しかし、そういう認識をされ始めたのは平成とか
戦後とかじゃないでしょう?
0971日本@名無史さん垢版2018/07/31(火) 14:48:52.06
自分の定義がはっきりしてないからいくらでも他人の善意からの答えを否定できる
つまり中二病のお子様ってことだよ。
0973日本@名無史さん垢版2018/07/31(火) 17:10:17.87
「主上御謀叛」という概念もあって天皇陛下より上位の概念があるんだよ
近頃も天皇御乱心で譲位を強行されたでしょ? 例えばGHQがその伝統を認識され始めたのは絶対に戦後のことですよ!!
馬鹿な左翼は戦前からと言いたげですがw
0974日本@名無史さん垢版2018/07/31(火) 17:46:19.26
京都御所は何故、
国宝じゃないの?
(´・ω・`)
0975日本@名無史さん垢版2018/07/31(火) 17:53:08.87
財産権の関係があったんじゃなかったっけたしか。
完全な私有物にしておきたいから国宝の指定を
断っているものがあるという話しは別件で聞いた
ことがある
0976日本@名無史さん垢版2018/07/31(火) 19:12:51.44
「日本の歴史、伝統」や「伝統的権威」の定義を深く考えずにお答えすると
以前にもここで申し上げた気がしますが
崇峻天皇暗殺後に蘇我馬子が天皇にならなかったことから
この時には血統上での権威は確立されていたと思っています
0977日本@名無史さん垢版2018/07/31(火) 19:24:40.29
>>974
Wikipediaの御物や正倉院によると
指定しないのは単なる慣例で
理由として「宮内庁による十分な管理が行われているので指定は不要」と宮内庁が言ってるみたいです
0978日本@名無史さん垢版2018/07/31(火) 20:34:29.35
https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/history/1515715115/809-810n
809日本@名無史さん2018/03/25(日) 18:27:33.67>>842
天皇家の権威が他の豪族と大差ないなら
崇峻天皇暗殺後に馬子は天皇になれるでしょう。
もっと前から一定の権威を確立していたと思います。

810日本@名無史さん2018/03/25(日) 18:29:51.20
リロードせずに書き込みました。
>>808でおっしゃることとかぶってるところもあると思います。
その権威をいつどうやってかくりつしたかはよくわかりません。
0979日本@名無史さん垢版2018/07/31(火) 21:19:12.67
>>970
>(全員とは言わないけれど、多数の国民にとって)
多数の庶民が天皇の意味を知ったのは明治政府の努力の結果です。知識人は天皇を知っているけど庶民は
それが何かよく知らなかったので明治天皇を全国各地に行幸させたり写真を配ったりして知らしめる必要があった。
0981日本@名無史さん垢版2018/08/01(水) 10:21:23.68
>>974
国宝相当だとは思うが今の京都御所って
一番古い部分でも幕末安政年間の建造物でそこまで古いわけじゃないからなあ
0983日本@名無史さん垢版2018/08/01(水) 13:19:49.41
重要文化財(国宝含む)になると海外に売却できなくなるので
美術品関係はいやがられる
0985日本@名無史さん垢版2018/08/08(水) 18:08:00.49
信長と正室の濃姫との間に子供がいなかったのは、
濃姫がスッゲーブスだったからなんですか?
(´・ω・`)
0986日本@名無史さん垢版2018/08/08(水) 20:12:56.58
定説はないけれども親族関係が複雑な絵にかいたような政略結婚だから
後難を避けて最初から手を付けなかった可能性はあるね
0987日本@名無史さん垢版2018/08/09(木) 00:47:15.23
どうしてですか? 道三の孫がいたら美濃侵掠の大義名分が立ったのでは(毛利元就みたいに
0988日本@名無史さん垢版2018/08/09(木) 00:50:13.37
当時の美濃は土岐頼芸派の方が圧倒的多数だったんじゃないかな
0989日本@名無史さん垢版2018/08/09(木) 01:20:21.09
竜興が義兄になるしな。当初の力関係的にはむしろ従属させられる危険のほうが高かったんじゃないか。
0990日本@名無史さん垢版2018/08/09(木) 01:35:24.11
>>986
龍興じゃなくて義龍では

道三の後継者は長子義龍か娘婿信長か、という形で争ってたわけだろ
0991日本@名無史さん垢版2018/08/09(木) 01:44:20.60
琉球王国の清に対する朝貢貿易が赤字だったという文をネットで見ました
朝貢は進貢側が非常に有利な貿易だと思っていたのですが本当に赤字だったのでしょうか
0993日本@名無史さん垢版2018/08/09(木) 11:55:52.94
>>990
道三が義龍に攻められて娘婿信長が救援に来たから
道三は信長に美濃国を譲るとしたんだろう
(美濃国譲り状の話は史実ではないとも言われている)
濃姫が信長に嫁いだ時点から将来は息子にではなく信長に美濃国をやるよ
と道三が心づもりしていたわけでもなんでもない
道三が側室腹の長男義龍ではなく正室腹の孫四郎や喜平次に美濃国を譲ろうとしたことが
義龍との亀裂の原因だと言われている
0994日本@名無史さん垢版2018/08/09(木) 12:19:04.87
>>993
まあ、そりゃあたりまえだな

譲り状とかデマだろうけど、信長が美濃侵攻の口実に使えそうな建前なんて、他に見当たらない
そういう理屈をでっち上げて攻め混んでたんじゃないかと思った
0995日本@名無史さん垢版2018/08/09(木) 17:55:34.07
>>992
琉球王国・沖縄の歴史を学ぼう.
ttps://www.ryukyu-history.com/ryukyu-history/post-123
0996日本@名無史さん垢版2018/08/09(木) 19:48:08.07
>>995
「日本から借金をしている」
と夏子陽が皇帝に進言したと書かれています。

誰が琉球に金を貸したって?そして海洋交易立国の琉球が皇帝からの返礼の品を売っても返せない
ような高額な貢納品なんてのもおかしな話だと思うんだけど。
と書いてる俺も実態を知ってる訳ではないが。
0997日本@名無史さん垢版2018/08/09(木) 20:22:19.87
>>996
判りにくい文章になってしまったのでまとめます。琉球は地場産業が無いから海上交易で儲ける国なんだから
貢納品が高額になってもそれ以上の値段で返礼品を売れないとしたら商売が下手すぎます。
0998日本@名無史さん垢版2018/08/09(木) 21:34:50.16
琉球からの輸出品なんか赤サンゴくらいしかなかったんじゃないのか
真珠とかもなかったはずだし
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