だからこそ、縄文人、越人、呉人、そして最後にやってきた徐福が率いたアンフィクチュオニーと彼らに一緒についてきた秦人がキマイラ的に連合できたのさ。
でも徐福と卑弥呼にどんな関連があるのか?って、決まっているじゃないか、箸墓だよ、箸墓。日本書紀に霊的威力者徐福のことが書いてあるだろ。勿論、大国主のことさ。わかるだろ。
箸墓に眠ってる卑弥呼の、霊的夫さ。逃亡百済人もここは本当のことを書かざるを得なかったのさ。
それから、投馬国だよ、投馬国。わかってるよね。鞆の浦さ。
投馬国と書かれた鞆の浦が、東とか南を説明しちゃうキーなのさ。
投馬国が面している瀬戸内は東向きの潮が速いところがあって、大和川の河口まであっというまにいけるのさ。そこから川船に乗り換えれば、奈良の沼地までは目と鼻の先さ。
帰路は山陽道を陸路で引き返し投馬国までの往路と復路を作り上げたわけ。
すると、どうだろう、投馬国から奈良まで水行では10日、陸行では1月の魏志倭人伝に書かれている、あの有名な最終行程じゃないか。
彼らがこれを、帯方郡の役人に伝えたわけ。そのときの通訳がいい加減な奴だったのだろうね。だから東が南になったわけ。
単純なもんだよ。
魏志倭人伝がその証拠さ。
だって、九州北部から投馬国と書かれた鞆の浦の方角も東が南になってるじゃないか。通訳がいい加減な奴だったのさ。
投馬国だよ、投馬国。
だから狗奴国は東国だろうね。
なにしろいい加減な通訳は東を南に間違う癖があるものね。
そして、周旋だよ、周旋。
帯方郡の外交官は邪馬台国と狗奴国を周旋しに来たのさ。
つまり、紛争を解決するため、交渉役になってくれたのさ。
ほんの少しだけど、運悪く、殺された兵士や奴隷もいたようだね。
でも、魏の役人のおかげで丸くおさまったのさ。
平和なもんだよ。
五千里は卑弥呼の城と卑弥弓呼の城の往復距離だろうね。
周旋だよ、周旋。
帯方郡の外交官は周旋役になってくれたのさ。(完)