【静かなる】北条時政こそ日本国の覇王【ドン】 [無断転載禁止]©2ch.net
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>>286
明治〜戦前って天皇が政治に口出ししてたっけ?
形はともかく実質的に議会政治で決まってなかったか? 対米開戦も天皇が許可を出したから起きてしまったわけだよw
その裏では重臣たちが暗躍してたとはいえな。 頼朝じゃ所詮天皇の末裔か
一度フビライに占領されればよかったな 九州だけ占領されちゃって関門海峡が国境になって睨み合うという展開になっていたら今頃九州は異国情緒漂う地になっていただろうな 北条氏と鎌倉幕府
執権北条氏は、なぜ自ら将軍とならなかったのか。その謎を解き明かした興味深い本です。
鎌倉時代の武士の荒々しい実像を初めて知った思いがしました。鎌倉時代の武士たちは、自分たちを「勇士」と称していたが、要するに野蛮人だった。
京都の王朝貴族は東国武士を蔑んで「東夷」(あずまえびす。東に住む野蛮人)と呼んだが、そのとおりだった
紛争解決方法として相手を殺すことを即座に選ぶ武士たちが作った鎌倉幕府は、まさに蛮族の政権であり、王朝のような知識の蓄積はほとんどなかった。
鎌倉武士たちは支配機構を手探りで作っていった。鎌倉幕府の歴史は、東夷たちの悪戦苦闘の歴史であり、すなわちムダな流血の連続だった 鎌倉武士の心得
「家を継ぐからには心がけねばならない。常に馬の餌の為に庭草はボーボーにしておけ。調練場には生首を絶やすな。人殺しは常にやっておけ。」
「門前を通る坊さんや乞食、修験者は弓の的に丁度良い。しつこく逃げるから弓の標的として活用せよ。」
「武士と生まれたからには殺しまくれ!」 なにわ武士だよ源平は
治承四年、ポンコツ平家と臆病な畿内童貞侍の皆さん、水鳥の羽音に狼狽し我先にと逃げ帰る。
山槐記…宿傍池鳥数万俄飛去、其羽音成雷、官兵皆疑軍兵之寄来夜中引退、上下競走wwwww
吉記…於子越宿館失火出来、扈従者中、坂東輩等放火云々、上下失魂之間、或棄甲冑、或不知乗馬逃帰了wwwww
吾妻鏡…所集于富士沼之水鳥等群立、其羽音偏成軍勢之粧、依之平氏等驚騒wwwww
寿永二年、ポンコツ平氏は山城、大和、摂津、和泉、紀伊の包茎侍どもを招集(『盛衰記』)、木曽討伐に向かうも惨敗。
河内長野の貞弘戦死、季国戦死、摂津の重経、紀宗時らは尻尾を巻いて逃げ帰りました。
寿永三年、負け犬行家さんと石川源氏が連合で木曽に喧嘩を吹っ掛けるも、信濃の猛将樋口様にビビって小便漏らしながら逃亡。
【なにわのトップ】
摂津の国守護は剛毅の士・長沼宗政様(下野国出身)
河内の国守護は知勇兼備・三浦義村様(相模国出身)
和泉の国守護は弓馬無双・佐原義連様(相模国出身)
悲報、相模和田氏出身の河内国司・藤原秀康さんと弟の秀澄さんが長年の京暮らしで都の悪風に染まり
幕府から「天下乱逆の根源、この両人の謀計に起こる(承久の乱)」とまで言われてしまう。 >>307
政子の功績は差っ引かれそう
まともにやると義時が姉政子の金魚の糞になってしまうからな
時政は政子と義政に隠居させられているから
かなり黒く描かれるだろ 鎌倉を拠点にしたのは時政は平直方、頼朝は直方の婿になった源頼義と義家を意識してるから 北条義時の父親とか紹介されるんだろうか?
頼朝を祭り上げたのはほかならぬ時政 そうか?政子の舅で一か八かの賭けに出ただけだと思うけど 頼朝が拠点にした大倉は平直方が源頼義に娘と屋敷を譲った場所。 承久の乱で北条一強になったことが後で役だった
元冦の時、関東と京都が並立していたら、九州で負ける、分裂、内応で日本史が大きく変わっていた可能性 鎌倉幕府八代執権時宗
江戸幕府八代将軍吉宗
どちらも名君として誉高いのに室町幕府八代将軍義政ってどうなの? 三谷が言う前から、歴史好きの大抵の人間が思っていたことだが、カツオとサザエに放逐された波平だよな。 北条が平直方の子孫というのは、さすがに仮冒や僭称の類いで事実ではなかろう。 北条家は政治は恐ろしく強いが
戦は弱そう
こういう一族が今の日本の政治家にいればいいのに 〉〉329
小沢は壊し屋で一族の結束も弱そうだから
なんかイメージと違う 鉄の結束と言えば田中角栄の田中派、それを継いだ竹下登の竹下派
旧田中派・竹下派系を駆逐して自派を最大派閥にした小泉純一郎、及び安倍晋三こそが現代の北条時政に一番近いのかも 北条家は政治力が高い官僚タイプだね
こういうのは木曽義仲や新田義貞のような武闘派(軍人)に弱い
頼朝(政治家)は武闘派には対応できるが官僚には取り込まれて弱い
今の政治にも近い気がする
ジャンケンみたいなもんか
木曽義仲→源頼朝→北条家→新田義貞 頼朝に便乗して成り上がったパシリだろ
最後は息子と娘によって、元の伊豆の田舎に押し込められて終了 なぜ漫画やアニメ、ゲームの話ばかりしているのか?という事にもなってくる。
『マクロス 北条』調べてみた? 北条政子の読みが当たった!
いやただの恋愛感情かもしれん 「太閤殿の恩を忘れたのか?」などと演説してどちらに付くか迷っている豊臣恩顧の中間派を取り込んでいればひょっとすれば歴史が変わっていたかも いや、大阪冬の陣・夏の陣で滅亡の瀬戸際に立たされる前に石田三成と徳川家康が戦になった時点で何らかの手を打っていればあるいは・・・ 主家が豊臣に乗っ取られようと最後まで一切表に出てこなかった織田信長夫人 >>343
関ケ原は立場上、家康は秀頼家臣として秀頼のために戦った体をとっていたし
大坂の役ではねねは大坂城入りしようとして
家康がねねの実兄にねねを京都から出さないように命じている
>>342
信長正室に関しては本当にどこで何をしていたか生きていたか死んでいたか記録がない そうかなあ?
「いつの時代でも」っていうのがなんか引っ掛かる
例えば三国志での真の実力者は孔明か曹操だと思うんだけど、実は司馬懿が真の実力者なのか? おてもやん「聖火リレーでドンチャン騒ぎ
五輪コロナが大爆発や
よっしゃ、よっしゃあ」 この人ほど「晩節を汚す」という言葉が当てはまる人はいないよね? >>352
豊臣秀吉「おーっほん!誰かワシの噂してるな」 >>353
秀吉もそうなんだけど徳川家に後に滅ぼされる
時政は身内から排除されるって所だけ違うな
北条家自体は存続してるし時政の方が有能なのかもね 1984年は小説「静かなるドン」作者、ミハイル・ショーロホフが亡くなった年
2012年は漫画「静かなるドン」が完結した年
【1984】昭和59年vs平成24年【2012】
http://matsuri.5ch.net/test/read.cgi/mukashi/1570215905/ >>354
秀吉は後継者が幼い秀頼一人しかいなかったせいで家康に付け入られたけど
秀吉自身はすべての権力を手中にした権力者のまま死んだ
時政は生きてるうちから娘と息子に実権奪われ軟禁状態にされた
別に時政の方が秀吉より有能だったってことでもあるまい >>352
西郷隆盛は?
西南戦争で大将に祭り上げられて敗死していなければ5000円札が10000円札の紙幣の肖像画に選ばれていたかも
なんとなく >>357
西郷は違うと思うけどね
まー最後がなければ札束にはなったかもしれないが 近年はお札になる人は文化・教育・医療・経済に限られるから西郷はないのでは
2024年 渋沢栄一(経済人)、津田梅子(教育者)、北里柴三郎(医者)
2004年 野口英世(医者)、樋口一葉(作家)
2000年 紫式部(作家)
1984年 福沢諭吉(教育者)、新渡戸稲造(教育者)、夏目漱石(作家)
これより前になると伊藤博文、板垣退助らの政治家も出てくるが
西郷が長生きしてれば初代総理大臣になってたとも思えないし
明治7年に下野してるしむしろ西南戦争のトップになったからこそ
鹿児島の人にあれほど愛されて2回も大河になったのだけど なるほどね
西郷隆盛は晩節を汚したというよりは源義経と同じで判官贔屓される悲劇のヒーローなのかも知れないな >>322
元寇の時に時宗以外の奴だったらそもそも
元にさっさと使者送っていて。少なくとも死者殺すことはしないだろうから
そもそも元寇は起きてない ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています