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なぜ鎌倉時代室町時代は地味で人気がないのか2代目©2ch.net
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0002日本@名無史さん
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2017/04/23(日) 20:24:09.25
>>1乙以下件の如し!!
0003日本@名無史さん
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2017/04/23(日) 20:28:32.56
よって件の如しか
0004日本@名無史さん
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2017/04/23(日) 23:09:49.19
前スレでは大人気だったが世間では不人気な鎌倉室町時代について語りましょう
0005日本@名無史さん
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2017/04/23(日) 23:16:27.89
日本人は悲劇の判官びいき(義経、楠木正成、真田幸村、坂本龍馬、西郷隆盛など)か
一代で天下を取ったような風雲児(信長秀吉家康)が好きだから

権謀術策で天下を制した北条や
天下を取ったかどうかあやふやな寄り合い所帯の足利では、
すっきりせんのですよ

まあ楠木正成や北条時宗は例外として
0006日本@名無史さん
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2017/04/24(月) 01:38:52.54
判官びいきも疑問だなあ。
実際には勝ったやつをひいき目に見て、勝者を正当化する傾向のほうが強いのじゃないかと思う。
要は負けたやつが悪く言われる。

戦前日本
赤穂浪士(吉良上野介が)
関ヶ原(石田三成が)
小田原評定(北条氏が)
北条高時
承久の乱(後鳥羽院が)
壇ノ浦(平家が)
大化の改新(蘇我蝦夷・入鹿が)

平将門は、よっぽど皇国史観に染まったやつ以外は悪く言わないか。
弘文天皇(壬申の乱で天武天皇に敗れる)も悪く言われることないと思うが…マイナーだからか?
足利直義も、マイナーなのか、あまり悪く言われないのは、本当に悪事が少ない真面目な人だったのかもな。
古典太平記では、護良親王殺害の因果応報で滅んだとされてるが。
0007日本@名無史さん
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2017/04/24(月) 01:40:20.94
日本人に不人気のこの時代を、好みそうな国民性のあるのはどこの国だよ?
0008日本@名無史さん
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2017/04/24(月) 01:53:47.42
>>7
武士に関しては、この時代(戦国まで含む)が一番人気じゃねえかあ?
江戸時代の人気武士ってマニアじゃないとわからないような人が少なくないような。
平安時代の武士って何か漠然としてるし、おとぎ話のようなのが多いから、昔はともかく今は人気とも。

和歌と美術も人気のある時代じゃないかと思う。
新古今集(1205)は後鳥羽院の時代だし、万葉・平安だけ評価して鎌倉時代を無視する「識者」はいないだろうし。
古今集(905)も「たおやめ」なんてどこぞの変なやつの表現でイメージ作られてるが、平安後期以降と比べたらずいぶん粗い。
ちなみに、きっかり300年の開きなのは、後鳥羽院が古今集300周年記念にしたかったから。
庭園なんかこの時代が最盛期で、その後、今に至るまでその水準に達してないんじゃないかと思う>夢窓疎石の庭園など。
刀も、まあ遺物の平均値ってことなんだろうけど…この時代の名宝が最高のものだと言われるね。

むしろ平安以前と江戸時代のほうが人を選ぶと思えなくもない。
0009日本@名無史さん
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2017/04/24(月) 19:12:30.09
>>6
将門の場合は関東地方最大の怨霊になってしまったから、悪く言うと祟られそうと思われてた可能性が高そうだ

弘文天皇は、少なくとも日本書紀とかの古い史料では悪く書かれてたはず
0010日本@名無史さん
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2017/04/24(月) 23:44:40.01
>>9
鎌倉時代に将軍様が将門の絵物語を製作させたというんだな。
だから関東では将門人気はあったと思われ。
強い武将ということで、後には安産の神様にもされた。
これをほじくり出して逆賊認定なんて皇国史観のなせる業か。

弘文天皇は漢学の素養があり、懐風藻の筆頭を飾る五言絶句が彼の作品。
なので、まあ彼を破った天武の子孫が奈良時代の皇統を占めてたとはいえ、
何せ治世の短い人でもあったし、よくも悪くもイメージは希薄だったのではないかと思う。
懐風藻は政争に敗れた大津皇子や長屋王関連の作品も多く、編者に興味が行く。
0011日本@名無史さん
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2017/04/25(火) 00:59:42.24
前スレでは後半から薀蓄長文野郎が粘着してスレと関係のない薀蓄(誰もが知っている話)を得意げに延々語って
スレの方向性がグダグダになった。過疎スレ活性化のために少し話題が横道にそれるのはいいと思うが、
薀蓄マンは自己顕示欲でそれやってたからウザくてしょうがなかった。
今度はテーマに沿った進行を期待
0012日本@名無史さん
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2017/04/25(火) 01:24:56.54
などと荒らししかしない野郎は供述しており
0013日本@名無史さん
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2017/04/25(火) 18:39:28.54
まあまあ
和をもって尊しとなす
貴重な中世好きが争い合う必要もあるまい
0014日本@名無史さん
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2017/04/25(火) 20:42:51.78
>>6
中世で判官贔屓のトップは信長だろう
0015日本@名無史さん
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2017/04/25(火) 21:40:15.48
>>12
早速本人から抗議ワロタ
0016日本@名無史さん
垢版 |
2017/04/25(火) 23:18:17.38
前回に引き続きアンチ信長バカもまたこのスレで暴れる気か?>>14
戦国板でやれよ
0017日本@名無史さん
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2017/04/26(水) 14:14:59.02
なんで鎌倉・室町時代が人気が無いかってのは前スレでも前半で話題が尽きてあとは関係ない話で盛り上がっただけだ。
だからその2を立てる必要が元々無く、立てるならスレタイ変えて「鎌倉・室町時代の雑談スレ」の方が良かった。
そうすれば制約なしに色々書けるだろう(信長ネタはさすがにあれだが)
ここの>>1は多分前スレの1とは別人だと思うので(違ってたらスマン)、雑談スレでもいいんジャマイカ?
南北朝スレはいくつかあるけど鎌倉室町全般のスレはあんまり見ないし。
反論は認める。
0018日本@名無史さん
垢版 |
2017/04/26(水) 15:20:51.15
雑談スレでいいと思う
せっかく鎌倉室町時代好きが集まって盛り上がってるし
0019日本@名無史さん
垢版 |
2017/04/26(水) 20:57:42.25
スレタイ変えろとか雑談スレにしろとかスレの乗っ取りじゃん
0021日本@名無史さん
垢版 |
2017/04/27(木) 08:12:09.66
>>6 将門はメジャーだけど平忠常は忘れさられているね。
0022日本@名無史さん
垢版 |
2017/04/28(金) 21:43:21.80
鎌倉南北朝室町でとっつきやすい小説が少ないな。
戦国や幕末は腐るほどあるのに。
0023日本@名無史さん
垢版 |
2017/04/29(土) 00:41:38.08
義経もんはいくらかあるんじゃないかねえ。
鎌倉時代もんでは永井路子と相変わらずの吉川英治『私本太平記』なのかな?
吉川死んで30年ぐらいして大河ドラマだもんな。
新田次郎の『新田義貞』、直木三十五『楠木正成』などもある。
直木の小説はなかなかおもしろいから、再評価を希望します。
大河ドラマ『平清盛』を見ても、実在の登場人物が知られていなくて、視聴者もつらかったろうと思う。
アニメ『一休さん』に親しんだ人は足利義満と蜷川新右衛門をよくおぼえているだろう。
鎌倉・室町の武家は滅亡したのが多いので、いまいち親しみを感じられないのかも知れないね。
0024日本@名無史さん
垢版 |
2017/04/29(土) 00:45:56.38
本当に頭が悪いね、現在でいう詐欺師

『偽系図』というものがあるでしょ
0026日本@名無史さん
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2017/04/29(土) 01:07:59.28
頼朝ファンはいっぱいいるだろうにな
0027日本@名無史さん
垢版 |
2017/04/29(土) 08:33:40.04
頼朝、義経あたりの源平合戦世代がやっとなんだよな。
頼朝だって曽我兄弟事件までしか知られてないし。
承久の乱あたりのドラマはずーっと大昔まで遡るのか。
0028日本@名無史さん
垢版 |
2017/04/29(土) 10:25:37.12
戦国武将の先祖ってどんな家柄なんだろとか思って調べてるうちに
戦国より鎌倉室町時代の方が好きになった
0029日本@名無史さん
垢版 |
2017/04/29(土) 11:24:36.76
>>23 北方謙三さんが 尊氏 義貞 以外の南北朝の人物を書いている。
後書くとすれば、護良親王と高師直あたりかな?
0030日本@名無史さん
垢版 |
2017/04/29(土) 13:13:43.53
いっそ後醍醐天皇主役が欲しいな
0031日本@名無史さん
垢版 |
2017/04/29(土) 16:15:05.31
個人的には菊池武光が面白い
0032日本@名無史さん
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2017/04/29(土) 17:32:04.65
>>31 武門の王では主人公みたいなものだが。
0033日本@名無史さん
垢版 |
2017/04/29(土) 18:27:04.29
>>30
後醍醐天皇主役でやると、リアリティ出せば荒れるし荒れないように頑張るとリアリティ欠如で売れないだろ

どんな内容で書いてもほぼ炎上疑いなしの素材だから、簡単には出せないはずだ
0034日本@名無史さん
垢版 |
2017/04/29(土) 20:59:32.31
同族が分かれて争うことが多くてわかりにくい
皇統ですら割れた
0035日本@名無史さん
垢版 |
2017/04/29(土) 23:29:52.18
勝者なしの時代だ。
ハマるやつはハマるが、興味のないやつはどうでもいいだろう。
鎌倉時代は元寇以外は小規模な政変以外、話題が無いしな。
0036日本@名無史さん
垢版 |
2017/04/30(日) 00:09:09.37
>>34
いや、逆だろ
皇統が割れてたから南北朝の争いが起きたわけだし、公家たちの家の多くは両統に別れての争いの中で分裂していったんじゃん
分裂が進みつつも抜本的な対策を取れなかった中で南北朝となったのであって、争いの結果として分裂したわけじゃない
0037日本@名無史さん
垢版 |
2017/04/30(日) 00:28:00.66
>>35
承久の乱は小者右翼小室直樹をファビョらせる程度には日本史上の大事件だぞ。

>>34
結局「政治家一族だから」ってことだったと思うんだな。
社会が血統で決まってたから、貴種は利用できるという発想になるのは自然かと。
0040日本@名無史さん
垢版 |
2017/04/30(日) 23:03:56.99
>>37
上皇方がヘタレすぎて戦闘そのものは一瞬だろ。
話の種にはならないし、人気だって話も聞いた事はない。
単に成功したクーデターってだけっしょ。
0041日本@名無史さん
垢版 |
2017/05/01(月) 02:41:46.83
>>40
後鳥羽院に与したのはけっこうそうそうたる連中だぞ

一条信能・尊長(一条能保の子)
藤原秀康
三浦胤義(義村の弟)
大内惟信(信州平賀氏)
後藤基清
佐々木経高(阿波などの守護)
河野通信(伊予河野氏)
大江親広(大江広元の長男)
山田重忠(尾張国人で、沙石集でも知られる)

↑を見ると、勝敗はわからなかったと思われ。
あと承久記はなかなか面白い。
岩波書店の刊本があるので一読されたし。
後鳥羽院が政治家として擁護できない点は同意。
0042日本@名無史さん
垢版 |
2017/05/01(月) 06:55:47.12
>>41 山田重忠って御家人じゃないの?
0043日本@名無史さん
垢版 |
2017/05/01(月) 07:21:50.12
小説十八史略みたいに通して学べて入り口になる娯楽作品が欲しい
0045日本@名無史さん
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2017/05/02(火) 15:09:27.50
>>43
確かに
0047日本@名無史さん
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2017/05/05(金) 01:58:58.63
>>46
万単位の規模で、近代戦感覚・国家総力戦感覚で戦ったのは
戦国も後半に入ってからだからな。

この時代の戦い方だと、ヤクザの出入りに近い感覚だろうて。
0048日本@名無史さん
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2017/05/05(金) 03:12:10.99
どっちかというとこの時代の方が合戦の規模が大きいような
戦国時代の地方領主による土地の奪い合いと違って、
政争→大規模に兵力を動員して合戦っていうプロセスだし

特に南北朝の動乱は初期は全国単位で動員をかけて合戦してるせいでやたらとスケールがデカイ
0049日本@名無史さん
垢版 |
2017/05/05(金) 11:33:11.02
鎌倉市内の合戦は半径数百メートル以内
0050日本@名無史さん
垢版 |
2017/05/05(金) 11:46:09.24
>>48
全国規模の広域的な戦争という意味では信長晩年以後ぐらいの時期の戦争じゃないと南北朝の頃のとは比較にもならないけど、
動員人数で比べたら戦国時代中期頃から互角規模の戦闘が頻出する気はするな

桶狭間あたりの規模でもわりと互角な感じがする
0051日本@名無史さん
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2017/05/05(金) 12:46:09.11
奥州軍が京都まで行ったり来たりしてスケールは大きいように見えるけど
実際の動員兵力は数千ってとこじゃないかな
奥州軍が通過した後は草木も生えなかったとか書かれてるけど
それでも兵站が賄いきれない
0052日本@名無史さん
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2017/05/05(金) 18:18:53.72
>>50
兵力の動因は人口は多いのに幕末のほうが少なくなってる不思議
0053日本@名無史さん
垢版 |
2017/05/05(金) 18:54:19.63
動員人数に関しては絶対数より人口との比率も相対的に加味しないとあかんのやないの
0054日本@名無史さん
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2017/05/05(金) 19:42:18.77
>>48 千早城を囲んだ兵が100万とか義貞が鎌倉に突入しようとした時の軍勢が60万というのは多すぎる。
0055日本@名無史さん
垢版 |
2017/05/05(金) 19:46:54.91
青野原の戦い(南北朝期の関ヶ原の戦い)も、規模は相当大きかった模様。
0056日本@名無史さん
垢版 |
2017/05/05(金) 19:51:48.24
>>52
寒冷化で農業生産性が低くなった時期には農民動員型兵士が主流になって動員兵士数が増える

生産が安定してくると専業兵士の郡が主流になって兵員数は減る

南北朝時代頃から戦国時代までの期間が寒冷化で農民徴用が一般化した時代なわけだね
平安後期・鎌倉期は専業兵たる武士のみが戦場に出てた時代なんだ
0057日本@名無史さん
垢版 |
2017/05/05(金) 20:37:56.38
太平記の兵数の多さは三国志に影響を受けたというのは本当なんだろうか
0058日本@名無史さん
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2017/05/05(金) 20:59:06.03
>>57
年代的にどうだあ?

三国志(史書) 三国時代(220〜280)の後、陳寿が編纂。
三国志平話(小説) ↓演義に先行する小説。元代、日本でいう鎌倉時代には完成してたらしい。
三国演義(小説) これが一般にいう三国志。明代(1368〜)に原型がほぼ完成し、清代(1644〜1911)に手が加えられた。

日本書紀にすでに後漢書の影響があるらしいし、中国の数字・表現がとかく過大なのは特に限ったもんではない。
平話と演義は白話に通じてないと読めない(つまり、普通の漢文の素養じゃ読めない)。
八犬伝には演義の影響があるというけどね。
0059日本@名無史さん
垢版 |
2017/05/05(金) 22:00:28.68
>>52
幕末は記録が残りすぎたと言うのもあるのでないの?
実際問題として、兵士の数だって軍事機密だから同時代の人は
何人参加したと言うことはおそらくわからなかったのではないかな。
ある程度時間がたってから、おおよその真相が明らかになったのではないかな。
0060日本@名無史さん
垢版 |
2017/05/06(土) 10:50:02.31
>>33
天皇家の血筋で荒れるってのが理解できないんだよなあ。
そりゃあ今の皇室は北朝の血筋だけど、それは歴史の流れであって、
南朝を主人公にすることが今の皇室を冒涜することにはならんと思うよ。
現代史を中世史に持ち込んで語るバカウヨがいるから南北朝を語りにくくなるんだよなぁ。
あとは楠木の特攻を戦時中の玉砕にからめて非難するバカサヨも。
0061日本@名無史さん
垢版 |
2017/05/06(土) 10:55:54.45
そもそも北朝の天皇だって足利氏が担いだだけで、尊氏は天皇に対し忠臣とは言えないし、
それどころか正平一統でないがしろにするくらいだ。
天皇しかも今の皇室の血筋上の先祖に対する忠誠心を問題にするなら、
それこそ平安時代にまでさかのぼらないとドラマは作れんでしょ。
0062日本@名無史さん
垢版 |
2017/05/06(土) 11:44:26.82
>>60
リアリティ出すと様々な泥臭い部分醜い部分を描写せざるをえなくて、それが南朝びいきな一部ウヨの逆鱗に強い刺激を与えるからどうしても荒れる

荒れないようにするには醜い部分を削りきらないといけないが、ドラマ主人公としての面白さはなくなる
0063日本@名無史さん
垢版 |
2017/05/06(土) 12:04:06.30
>>62
ウヨって北朝じゃないの?
今の天皇の先祖なんだし。
0064日本@名無史さん
垢版 |
2017/05/06(土) 12:29:46.31
いや、ウヨの基本は南朝正統論だよ。例外もいるかもしれんけど聞いたことはない
0065日本@名無史さん
垢版 |
2017/05/06(土) 14:15:33.39
歴代の天皇だってロクでもないやつがいたし、
明治時代の皇族なんかクソみたいなのゴロゴロ
0066日本@名無史さん
垢版 |
2017/05/06(土) 16:15:52.64
恐らく>>64は右翼を他の何かと勘違いしてる
それか右翼ってのはここ数年で突然湧いたもんだと思ってる
0067日本@名無史さん
垢版 |
2017/05/06(土) 16:35:14.58
いや、カタカナでウヨと書く場合はネトウヨだろ
ここ数年で突然沸いたよ
0068日本@名無史さん
垢版 |
2017/05/06(土) 16:51:11.93
幕末頃に活発化した国学や倒幕の思想家たちが南朝正統論を盛り上げて、その影響で明治大正、昭和初期に南朝正統論が高揚した
右翼団体はその影響を引き継ぐとこが多いんだから、南朝正統論が基本

(少なくとも南北朝時代について)北朝正統論を主張する右翼団体なんてないだろ
南朝という言葉を嫌って吉野朝という言葉を使いたがるのが右翼
0069日本@名無史さん
垢版 |
2017/05/06(土) 17:10:11.28
いやそもそも正統論を声高に主張する右翼団体が基本って言えるほど多いか?今
0070日本@名無史さん
垢版 |
2017/05/06(土) 17:28:09.99
どっちにしても右だの左だのっていう本質と無関係の議論に行くのが南北朝
くだらないよね
0071日本@名無史さん
垢版 |
2017/05/06(土) 17:55:46.63
>>69
それはあるな
右翼団体より宗教系の団体の方が顕著かも。「日本会議」とかな
ネトウヨの中にもその辺の宗教系の一派が混じってる気はする。
0072日本@名無史さん
垢版 |
2017/05/06(土) 18:10:50.44
俺は野村秋介が好きだから右とネトウヨを一緒くたにされるのはすごい抵抗がある
0073日本@名無史さん
垢版 |
2017/05/06(土) 18:25:26.33
そろそろスレタイに戻したいの
0074日本@名無史さん
垢版 |
2017/05/06(土) 18:59:21.54
ウヨは自民党と大差ないレベルの左翼穏健派も極左もサヨと一括して叩くよね
右翼も同じことだと思うが
0075日本@名無史さん
垢版 |
2017/05/06(土) 19:08:44.10
南北朝が人気なくなる理由は、こうやってウヨサヨ論争を持ち出したがる奴らが歴史談議を遮ることだ
0076日本@名無史さん
垢版 |
2017/05/06(土) 20:16:12.43
南北朝時代をもうすこし科学的に考えてみたい

・南朝の実態に謎が多い
・武士の没落がけっこう激しく(例:高師直)、次の時代に続かない
・華やかさに欠ける
・制度がよくわからないので、武士の「横領」「乱妨」と書かれてもピンと来ない

そもそも論で、実名レベルでわからない、生没年未詳=年齢不明が多いから、人物に感情移入もしづらい。
正義(苦笑)のはずの南朝が多く没落するし、南朝支持派の自慰ウヨ以外にはm9(^Д^)プギャー

本郷和人(アイドル追っかけ家)さんは「南朝が北朝に屈したことで、日本の歴史が終わった」というのが水戸学の思想と言ってるけど。

え?俺?俺は、乱世なんで武士が武士らしく思えるので好きですよ。
江戸時代の武士は、りっぱな人が多かったのだろうけど、武人の面はあまり見られなくなってしまうし。
お公家さんも、最後の文化的黄金期じゃないかな(勅撰和歌集は、南北朝までは多く、足利義教の時代に終わってしまう)。
0077日本@名無史さん
垢版 |
2017/05/06(土) 20:45:26.22
そうだよね

武士らしい荒々しさがどんどん減って、武士が上品になっていく時代だよね南北朝ごろって
戦国時代に少し荒々しさが復活するけど、江戸時代になると再び上品な武士に。

武士が上品な感じになって公家の仕事を横取りするようになったから公家文化が衰退したのかな
武士と公家の境界線が曖昧化するきっかけを作ったのが建武時代、後醍醐帝の時代だよね
0079日本@名無史さん
垢版 |
2017/05/06(土) 21:32:15.93
江戸時代だって剣術は盛んだったし、さぞかし武勇に秀でた人も多かったのだろうけど、
いかんせん、そっちで評価されるような戦いが少なかったからねえ。

武士の長い歴史でも、室町期(南北朝〜戦国)が武士の黄金時代という気がしないでもない。
本当に戦乱だったから、勇将が多く出たし、武士の教養も前代に増していたと思われ、文武両道の人も多い。
大内、赤松、今川は文武両道だったし、あまり人気がないかも知れんが畠山や山名は勇将が多かった。
高師直もまさしく文武両道の人物。
細川、能登畠山は文化愛好家が多かった。
土岐はあまり冴えなかったかも知れんが、土岐頼遠は北畠顕家を食い止めた勇将(後に光厳上皇への非礼で処刑)。
上杉は、後に謙信(長尾氏)に替わられるせいかあまり良いイメージないかも知れないが、歴代には討ち死にが多く、勇将の家系と言えるだろう。
てなわけで、戦国期に没落しちゃう守護家にも俺はわりと好感を持ってる。

もっとも、文化面に関しては、江戸時代と比べるとどうしても教養に偏り…というより教養人が少なかったろうけど。
けっこう偉い武士でも「読み書き出来なかったろう」と言われる人がいたりするので。

やはり戦いが多いと、武士は本来の機能である武勇を発揮しやすい。
平安時代の武士だと、まあ数が少なかったということだろうけど、日本全体の支配者というにはまだ物足りない。
武士の完成期は鎌倉〜室町時代で、江戸時代はたまたま平和が続いた、いわば惰性の時代だったということなんだろう。
0080日本@名無史さん
垢版 |
2017/05/06(土) 22:40:07.19
>>77
公家が衰退した印象を受けてしまうのは、彼らの経済状態も大きかったんでないかと思う。
室町の皇室は行事のたびに幕府に泣きついてたけど、これも鎌倉時代までだったら…
鎌倉時代に全国800か所に及んだといわれる皇族の荘園(女院領なども含まれるので、単純に収入に直結しないにせよ)が実態を失ったのか?
南北朝和解の時も国衙領が話題になってたけど、これなんか当時も実態はどんなだったのやら。

勅撰和歌集は足利義教の時代で途絶えてしまうけど、これは結果的にそうなっただけで、
義政の時代にも編纂の発議はあったけど「乱世だから」との理由で延期され、以後復活しなかった。
最後の勅撰集『新続古今和歌集』の編者は飛鳥井雅世だけど、同集の解説でも「まさか最後になるとは思ってもみなかったろう」とのこと。
公家の政治的・経済的後退と文化はまた分けて考えるべきだと思う。

後醍醐は武士も相応に遇しようと考えていたのかもね。
当時の価値観では、北畠親房・顕家父子のような人が地方に赴任し、鎮守府将軍になるのはすごく変だったろう(平安途中まではともかく)。
公家一統というのも、ある程度は公家に武士の仕事をさせようってことだったかも。
公家と武家の境界があいまい…というよりは、根は同じと考えるほうが当たってるかも。
0082日本@名無史さん
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2017/05/07(日) 02:06:22.15
>>66
右翼の基本は皇国史観と勤皇思想
これの走りは水戸光國の大日本史。大日本史は南朝寄り
後醍醐天皇や楠木正成万歳、足利尊氏は朝敵という日本近代の歴史観は元を辿れば水戸黄門に行きつく
0083日本@名無史さん
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2017/05/07(日) 12:49:55.13
>>82 戦後の右翼 笹川良一 児玉誉士夫 田中清玄 赤尾敏 みんな勤皇でない。
暗殺された社会党委員長の浅沼稲次郎の方が尊皇。
0084日本@名無史さん
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2017/05/07(日) 12:55:02.00
>>82-83
おまえら、その糞つまらん議論はよそでやるか、心肺停止するか、
どっちかを選んでくれへんか?
0085日本@名無史さん
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2017/05/07(日) 13:06:38.45
北畠顕家主役にした大ヒット漫画でも出れば一瞬で太平記の範囲は大人気になるのが今の時代やろなあ・・・
ちょっと踏み込んでみればライト勢でもおもろいと思える要素はちゃんとあるわけだし
0088日本@名無史さん
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2017/05/07(日) 20:57:53.89
足利尊氏からして
北朝を立てたのに南朝に下ったり
弟や長男と戦争してみたり
もめごとのもとになる鎌倉公方を置いたりで
よくわからない
0089日本@名無史さん
垢版 |
2017/05/07(日) 21:05:43.01
尊氏が積極的に動いて開戦した戦いが見当たらない時点で


何らかの形で戦わざるをえない状況になるまで戦端を開かないのが建国者としては特殊すぎる
0091日本@名無史さん
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2017/05/08(月) 00:58:19.46
三国志の劉備をもう少し消極的な大将に変えた感じの性格に見える
我々の目では魅力の欠片もない人物に見えるが、時代によっては優秀な将と見られた可能性がある
0092日本@名無史さん
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2017/05/08(月) 03:02:41.55
>>85
太平記は敗者にドライとも言えて、北条高時、後醍醐、新田義貞、護良親王など愚者のように描く。
後醍醐なんか阿野廉子の寵愛が叩かれてるんだから、見ようによっちゃ南朝全否定だ。
楠木正成はそういうネガティブな面は描かれてないが、没後に怨霊となる。
顕家は何と言っても2度目の長征が

「元来無慚無愧の夷共なれば、路次の民屋を追捕し、神社仏閣を焼払ふ。総じて此勢の打過ける跡、塵を払て海道二三里が間には、在家の一宇も残らず草木の一本も無りけり。」

当時の合戦なんて略奪当然だろうに、特に顕家に言及されてるのは、後の敗死を因果応報とするためかも。
顕家は短命だったわりに当時の人としちゃ資料を残してる人なんで、やろうと思えば物語は作れるだろうけど…
正成…義貞より人気がないかも知れないねえ。
0093日本@名無史さん
垢版 |
2017/05/08(月) 03:24:41.18
小川剛生って学者は『武士はなぜ歌を詠むか』って本で、尊氏を「冴えない英雄」「悪のパワーが不足」と書いてる。
吉川英治の小説でも、中先代の乱後の尊氏の心情を何とも言えない筆致で描いてるね。
大河ドラマでは後醍醐に二心ないって面を強調してる(こっちが古典太平記の尊氏像に近いか)。

『源威集』という結城直光か佐竹師義の著述(本郷和人は結城と推測してる)では、尊氏を優れた武将としてる。
尊氏が勇敢だったことは最晩年まで陣頭に立ったことで裏付けられるし(大河の穏やかな最終回と違って、直冬討伐に向かうはずだった)、
達筆で、確かにあまり巧くないが和歌をよく詠んでて、文武両道の人物だった。

尊氏が天下人となれたのが多分に偶然というのは否定しないけど…
異母兄が生きてたら当主になれなかったわけだし、直義は英雄という感じじゃない。
尊氏がもう10歳も若かったら天下取れなかったろうし、時運が味方したって所かね。
まあ、頼朝も家康も「好運」なんだろうけどねえ。
0094日本@名無史さん
垢版 |
2017/05/08(月) 05:47:31.54
「応仁の乱」という中公新書が話題だけど2chにスレ立った?
0095日本@名無史さん
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2017/05/08(月) 10:29:04.87
>>89 専守防衛 まるで日本国憲法みたいな存在。
0096日本@名無史さん
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2017/05/08(月) 12:28:16.68
>>92
個人的にはその奥州軍の行いの描写は、顕家というより結城宗広の地獄堕ちに関わる描写じゃないかと…

それは置いといても太平記での顕家、ひいては奥州軍の描写っていうのはかなり偏った描き方をされてるからなぁ
そもそも義良親王の下向が無かったことになってたり、ほとんどの諸本では伊勢転進以降がカットされたりで
顕家自身は一次史料だけで本人の足跡を辿れるくらい史料が豊富な人物なのに
0097日本@名無史さん
垢版 |
2017/05/08(月) 12:56:01.57
北畠はオヤジがアレなせいで息子も資質を疑う奴いるけど、顕家は名将だよな。
新田と合流しなかったのは見下したからじゃないと思う。
新田息子が従軍したんだし。
0098日本@名無史さん
垢版 |
2017/05/08(月) 14:17:24.95
>>97
顕家の二度目の上洛戦って顕家・義貞双方色々言われるけど、
一番の問題は「とにかく上洛!」しか考えてなかった南朝中枢の戦略ミスが根本にあるからね

そもそも義貞は新田一族と南朝に付いた越前の在地勢力だけで斯波高経+αを相手にしてる訳で、
多少戦局が有利になろうが、顕家と共同作戦に出るような余裕は元からない
対して顕家も青野ヶ原での合戦後に疲れ切った大軍を率いてるんだから、
情勢が安定せず天候にも不安がある越前に向かわず親父が抑えている伊勢に転進するっていうのはある意味あたり前の行動だし

それに加えて、顕家も伊勢転進で終わってしまった訳じゃないしね
上で書いたように太平記では以降の顕家の足跡がカットされてるから世間でのイメージが悪いんだろうけど、
畿内での戦いでも結構な激戦を繰り広げてたりする
特に高師直が有名な分捕切捨の法を出したのは、顕家との畿内での合戦に勝つためだったりするし
0100日本@名無史さん
垢版 |
2017/05/08(月) 16:20:27.12
京から奥州まで出兵要請が来てそれに応えて上洛しようとするって事自体が
時代考えるとシームレスにいくわけがないんだよな
0101日本@名無史さん
垢版 |
2017/05/08(月) 16:56:02.59
古典太平記が北畠大勝と描いてるだけで、実際は青野原を突破できなかったんだから引き分けといった所で、
小学館版太平記では「足利がそんなに劣勢だったわけではない」と注釈してる。
これは多々良浜合戦も同様。
岡野友彦は北畠親房の伝記(ミネルヴァ書房)で「(青野原を破らないと)越前に行けない」と書いてる。

顕家は2度の長征しか目立った戦績がないので、正成・義貞みたいに大衆人気に結び付かないんだろう。
楠木正行は(桜井の駅と)四條畷合戦と如意輪堂の和歌「返らじとかねて思えば梓弓なき数に入る名をぞとどむる」があるけど、
古典太平記の顕家はそういうエピもない。
公家が衰退してゆく時代ゆえもあってか、お公家さんは人気になりにくいのかねえ?
もっとも、顕家の弟の流れの浪岡北畠氏(顕信)、伊勢北畠氏(顕能)はともに顕家の末裔との伝承もあるそうなので、
顕家の名も一定の声望は伴っていたとは思う。
ただまあ古典太平記でも、顕家のパートはそんなに面白くもないしなあ。
0102日本@名無史さん
垢版 |
2017/05/08(月) 17:25:28.74
北方謙三は顕家の上洛強行軍の悪行をきれいになかったことにしてたな
破軍の星は漫画読んでるみたいですごく面白かったけど
義貞を朴訥で生真面目な武将として書いてるのが興味深かった
能力あるけど天然って事だから義貞好きな人には受け入れられないだろうけど
0103日本@名無史さん
垢版 |
2017/05/08(月) 21:35:06.58
>>102
ちょっと興味を引くのは、略奪なんてどの軍もやってたことだろうに、顕家だけ特記されてる点。
今までの史学者は「よほどひどかったんだろう」としか言ってないけど、
誇張あると言え、それだけ大規模な略奪・破壊を続けたなら、意図的にやったと見ていいんじゃなかろうか?
関東〜東海は特に旧鎌倉幕府の勢力が強かった地域なんで、打撃を与えるためだったろうと。

義貞は人間性を伝える資料が太平記以外にあまりないからか(生年も不明)、子息ともども太平記でイメージがほとんど作られちゃってる。
義興も都から来た令嬢への愛に溺れ、滅んだと書かれてる。
そのイメージだって、勾当内侍なんか実在すら疑われてるんだから、ずいぶん造られたものだろう。
鎌倉攻めでも、実際どれぐらい義貞が貢献してるかは難しい所ではないかと思う。
義貞の戦績で一番わかりやすいのは、実は赤松攻めの時ではないかと思わなくもない。
城攻めが大変なこと、赤松円心が知将であることを考慮しても、義貞はそれほどは戦上手ではなかったんでないかと思う。
逆に、越前での戦いも、彼が無能だと結論づけられるほど解明されてもいないだろう。
結局、新田父子はあまり足利に勝ててないので、すばらしく天才的な武将ではなかったのだろうけど。
0104日本@名無史さん
垢版 |
2017/05/08(月) 22:08:27.19
新田は死に様が阿呆過ぎる。
もうちょっと健闘してくれたらカッコよくなったんだが。
0105日本@名無史さん
垢版 |
2017/05/08(月) 22:58:33.04
>>102
でも小豪族だった新田の動員能力と幕府の重鎮だった足利の動員能力比較したら、
石田三成と徳川家康以上に開いているんだぜ?
これで倒せなかったからなんちゃらっていうのはどうかと思うね。
むしろその程度の力しかないのに足利のライバルにまで格上げされたことの方が奇跡なんだが。
0106日本@名無史さん
垢版 |
2017/05/09(火) 07:37:29.44
>>105 そりゃ生品旗揚げの時はたった150であったが、越後新田党が追いついた時は2000。小豪族とは言えんよ。
足利は三河で3000全国で8000とかいうから(一門で)、新田との勢力比は4対1。家康と三成は言い過ぎ。家康と佐竹ぐらいだよ。
0107日本@名無史さん
垢版 |
2017/05/09(火) 11:03:43.63
>>106
足利には斯波、細川、山名、畠山なども加わり数万になる。
0108日本@名無史さん
垢版 |
2017/05/09(火) 11:25:58.87
>>107 そりゃ建武の新政後。旗揚げの時三河に参集した時、尊氏が旗奉行の吉良に軍勢について聞いたところ、吉良は三河で3000四国・美作あたりまで6000位と答えている。
0109日本@名無史さん
垢版 |
2017/05/09(火) 17:16:35.48
>>108
足利と新田が対立したのも建武の新政後。
0110日本@名無史さん
垢版 |
2017/05/09(火) 19:23:00.53
生品明神決起時の新田の総力はちょっとなー永遠に未解明なんじゃないか?
新田の場合、岩松など独立性の強い庶家も考慮すべきだし、
そもそも新田宗家自体が足利の傘下にあったと説く学者もいるほど。
鎌倉時代は頼朝に早くから仕えた連中が守護や各地の地頭になって栄えたが、
頼朝に攻められ敗れた佐竹は常陸守護にもなれなかったけど、室町時代に守護を勤める程度には勢力を保った。
楠木正成も鎌倉時代の実態はわからんが、建武期に河内(と摂津?)の国司と守護を兼ねるぐらいには力もあったのだろう。
新田は佐竹から楠木クラスと見積もればいいのではないかと思う(楠木が新田より大勢力だった可能性もあるが)。
0111日本@名無史さん
垢版 |
2017/05/09(火) 23:14:46.18
>>109 建武の新政前の新田と新政後の足利を比べても仕方ない。家康と三成ほど差は開いてない。
0112日本@名無史さん
垢版 |
2017/05/09(火) 23:32:34.53
>>110 新田の総力は新田本家と越後の里見 大館 大井田 田中 羽川 などの越後新田党の2000というところでしょう。
里見は羽振りがよく1000の軍勢をほこる大勢力なのに本家を立てていた。
0113日本@名無史さん
垢版 |
2017/05/09(火) 23:59:15.35
>>112
その里見1,000だけで新田諸氏軍の半分以上ですかな?
里見と山名は宗家より強大だった可能性が高いのではないかと思うけど、
岩松は鎌倉を攻めてる段階で義貞の下にいたから生品時点では数十って所かなあ?
150「騎」だと雑兵などまで含めれば数倍にふくれあがるはずだけど、それでも各家レベルでは数十でしょうか。

室町時代にとても有力になる周防大内や織田(信長の家)も鎌倉時代は守護になれるような家ではなかったので、
新田が隠然たる勢力を持っていてもさほど変ではないのだけど、かえって新田は足利と混然としてて難しいですよね。
佐竹も、勢力保持はできたけど、旧領はずいぶん取られちゃってたみたいで、
鎌倉時代は本当に頼朝が優遇した人たちと冷遇された家の落差が大きかったようです。
だから、新田宗家が足利宗家と比べてずいぶん小さくても変じゃないんだよね。
幕府できる前の御家人たちなんて郡レベルの小土豪でしかなかったようなのが多く、
結局その後の「ご加増」にどれほど恵まれたかなんで。
0114日本@名無史さん
垢版 |
2017/05/10(水) 05:59:44.98
>>113 岩松は越後新田党との連絡を取ったり、信濃源氏を説き伏せ倒幕の兵を挙げさせて碓氷峠で新田軍と合流させたりもしている。
遠く阿波の一族に船を出させ後醍醐天皇の隠岐脱出を敢行したと言う話もある。諸方に人を割いていますね。
0115日本@名無史さん
垢版 |
2017/05/10(水) 21:22:42.59
>>103
>義興も都から来た令嬢への愛に溺れ、滅んだと書かれてる。

岩波古典文学大系所載の流布本系「太平記」にはそんなこと書いてないよ
他の系統のは知らないけど
0116日本@名無史さん
垢版 |
2017/05/10(水) 21:28:39.30
>>114
どなたの所説ですか?
岩松氏に興味があり本が出ているなら買って
読んでみたいので教えてください
0117日本@名無史さん
垢版 |
2017/05/11(木) 19:21:16.07
>>115
少将のことだろ
0120日本@名無史さん
垢版 |
2017/05/15(月) 21:24:58.42
木沢長政はあそこで焦って動かねば、確実に三好政権的な権力は築けたろうな。
まぁ戦国時代の話だが。
0121日本@名無史さん
垢版 |
2017/05/16(火) 08:27:47.41
>>120 いくら戦国でも木沢長政はマニアック。
0122日本@名無史さん
垢版 |
2017/05/17(水) 07:54:17.95
長政は戦国なの?
0123日本@名無史さん
垢版 |
2017/05/18(木) 09:14:41.34
戦国時代っしょ。
応仁の乱、明応の政変の後だからな。
三好政権の直前だぞ。
0124日本@名無史さん
垢版 |
2017/05/18(木) 15:09:55.16
斎藤妙椿のスルーされ方は異常。 応仁の乱の西軍NO,2で、文武両道の名将なのに。
0125日本@名無史さん
垢版 |
2017/05/18(木) 19:20:41.51
戦国も信長登場以前はまるで人気なし
0126日本@名無史さん
垢版 |
2017/05/19(金) 04:42:28.84
>>125 信玄と謙信がいるでしょう。
0127日本@名無史さん
垢版 |
2017/05/19(金) 10:36:19.02
信長と絡む奴はマシ。毛利元就や北条早雲は……
0128日本@名無史さん
垢版 |
2017/05/19(金) 18:27:39.91
そりゃ信長以前はご当地大名人気が主流であって全国区で人気の大名は少ないけどさ、
武田上杉ぐらいは全国区の人気があると言えなくはないレベルだよな
0129日本@名無史さん
垢版 |
2017/05/19(金) 22:51:35.89
>>121
ただ、大阪府民にとっては、楠木正成とならぶ数少ない武の英雄
だったりする。

もう少し格が上がると荒木村重、中川清秀などもいるが、いずれも
日本史屈指の人間の屑だからな。
0130日本@名無史さん
垢版 |
2017/05/19(金) 22:54:15.48
(ちなみに、大阪人にとって最高の侮辱は、お前は荒木村重のような奴だ、
と罵ること。この場合、命の保証はしないし、殴り殺しても確実に著しい
名誉棄損と扱われ、よほどのことがない限り執行猶予が付く。)
0131日本@名無史さん
垢版 |
2017/05/19(金) 23:58:33.00
ないない
金の無いのは首の無いのと同じ、このド甲斐性無しが
となじられたら思わず封印切るレベル
0132日本@名無史さん
垢版 |
2017/05/20(土) 01:55:59.92
>>130
一番の畜生は中川清秀。自分のミスで荒木村重の謀反の直接の理由を作り織田への謀反を勧めた張本人
そのくせ自分はあっさりと織田方に寝返ってた
しかも中川清秀と高山右近が寝返らなかったら荒木村重は負けなかった可能性もある

荒木は敗戦後の生き様が無様過ぎるだけ
0135日本@名無史さん
垢版 |
2017/05/20(土) 23:51:56.39
いや、許さぬ。
どうしてもと言うなら、俺を斬ってからやれ。
0136日本@名無史さん
垢版 |
2017/05/21(日) 02:04:37.12
まず戦国時代の時期がハッキリしないという問題から

<始まり>
1454 享徳の大乱
1467 応仁・文明の大乱の開始
1477 の終わり
1493 明応の政変

一般(の人)的な通説では1477なんだろうが、歴史学者は1493を支持する人が多いらしい。
問題は、終わりと同じで、地域により差があること。
享徳の大乱なんて関東史に興味ない人は「何それ?」かも知れんけど、これで鎌倉公方が鎌倉を捨てて、関東は戦国時代突入と言っていいほど。
東北には時期を画する事件なんかないんじゃなかろうか?九州は?
応仁も明応も、京都中心に見ている弊は否めない。

<終わり>
1568 織田信長が京都を支配するようになる
1590 豊臣秀吉が小田原北条氏を滅ぼす

北条滅亡後も各地で反抗は続いたので、秀吉の生前いっぱいか関ケ原合戦までは戦国時代と見ていいかも。
当然だが、戦国大名(※実は学問的にハッキリ定義されてないよね)と室町大名や国人は連続性があるので、下限を厳しくしすぎると論じられなくなる。
適当にサジ加減をってことでいいんじゃない?
0137日本@名無史さん
垢版 |
2017/05/21(日) 07:44:56.06
>>136 戦国の前半っていつ頃まで?
0138日本@名無史さん
垢版 |
2017/05/21(日) 08:09:32.07
>>132
もちろん、中川清秀も大阪府の恥として蛇蝎のごとく嫌われているけどね。
ただ、荒木村重が余りにも有名なもので。
0139日本@名無史さん
垢版 |
2017/05/21(日) 08:13:13.81
ただ、茨木市では荒木村重より中川清秀の方が嫌われている。
茨木市が産んだ最低の人物としてね。
0140日本@名無史さん
垢版 |
2017/05/21(日) 09:03:54.18
>>139
中川清秀

あの愛人宅(マンション)前で土下座&咆哮して近所の人に怒られた国会議員でつか
自由民主党が憲法に盛り込もうと思ってる家族観ぇ…
0142日本@名無史さん
垢版 |
2017/05/21(日) 15:55:14.67
>>139 俺四條畷の出身なんだけど学校で三好長慶のこと習うたことないな。
三好長慶は本当に空気で和田堅秀の方が有名だった。
0146日本@名無史さん
垢版 |
2017/05/23(火) 00:01:41.43
信長以前の細川、大内、三好は将軍家を担いで畿内の覇者になったのは
日本版春秋時代って感じ
0147日本@名無史さん
垢版 |
2017/05/23(火) 03:31:57.61
あいわかった。  今後、
〜1564年  三好長慶の死 までを「春秋時代」とし、
1565年〜  足利義輝の死 からを「戦国時代」と呼称する。
元々、日本の「戦国」時代の呼称は中国の「戦国」からの借用だから「春秋」時代があってもおかしくない。
「春秋時代」の始まりと「戦国時代」の終わりがどこかについては、従来の議論と同じく諸説分かれる。

上で質問のあった、『戦国時代の前半はどこ?』の解答は、この「春秋時代」でよろしいのはないか?
反論は認める。
0148日本@名無史さん
垢版 |
2017/05/23(火) 12:14:53.99
戦国がいつからかというのはともかく16世紀前半も
室町と同じくらいマイナーなのは事実
もっと言えば信長秀吉家康が絡まないのもマイナー
0149日本@名無史さん
垢版 |
2017/05/24(水) 16:21:27.22
 
<足利将軍家・寿命リレー>

義|生誕(1330年 7月 4日)元徳2年6月18日
詮|死没(1367年12月28日)正平22年/貞治6年12月7日

義|生誕(1358年 9月25日)正平13年/延文3年8月22日
満|死没(1408年 5月31日)応永15年5月6日

義|生誕(1394年 7月12日)応永元年6月14日
教|死没(1441年 7月12日)嘉吉元年6月24日

義|生誕(1436年 1月20日)永享8年1月2日
政|死没(1490年 1月27日)延徳2年1月7日

義|生誕(1481年 1月15日)文明12年12月15日
澄|死没(1511年 9月 6日)永正8年8月14日

義|生誕(1511年 4月 2日)永正8年3月5日
晴|死没(1550年 5月20日)天文19年5月4日

義|生誕(1537年12月15日)天文6年11月13日
昭|死没(1597年10月 9日)慶長2年8月28日
0150日本@名無史さん
垢版 |
2017/05/24(水) 16:23:19.69
 
<細川管領家・寿命リレー>

頼|生誕(1329年)元徳元年
之|死没(1392年3月25日)元中9年/明徳3年3月2日

満|生誕(1378年)天授4年/永和4年
元|死没(1426年11月15日)応永33年10月16日

持|生誕(1400年)応永7年
之|死没(1442年9月8日)嘉吉2年8月4日

勝|生誕(1430年)永享2年
元|死没(1473年6月6日)文明5年5月11日

政|生誕(1466年)文正元年
元|死没(1507年8月1日)永正4年6月23日

澄|生誕(1489年)延徳元年
元|死没(1520年6月24日)永正17年6月10日

晴|生誕(1514年)永正11年
元|死没(1563年3月24日)永禄6年3月1日

昭|生誕(1548年)天文17年
元|死没(1592年)文禄元年あるいは(1615年)元和元年

元勝|永禄4年(1561年) - 寛永5年(1628年))
0151日本@名無史さん
垢版 |
2017/05/25(木) 03:47:35.47
信玄、信長の祖父の名すらあまり知られていない(武田信縄、織田信定)。
謙信は父の名が知られているかどうか。
北条は始祖が有名だから例外的に5代全員知ってる人も多いか。
北条早雲が滅ぼした三浦氏最後の半世紀も謎が多い。
尼子経久も実は前半生が不明。
三好は之長より前が謎。
長宗我部も実はなぜ土佐がああなったか謎らしい。それどころか四国統一も。
宇喜多は直家の祖父ぐらいまでしかさかのぼれないとかで、なぜか百済王の子孫を称してた(大内氏の影響か?)。
秋田安東・津軽・南部氏に至っては戦国末まで年代すら怪しい。
秀吉や加藤清正がファンタジーになるわけだ。

戦国を境に没落する家が多いからもあるんだろうけど…小説家や大河ドラマが好む時代ではないのかもな。
特に大河は最後を大団円にしたいだろうから…
0152日本@名無史さん
垢版 |
2017/05/25(木) 20:00:40.26
六分の一山名家はどうなっちゃったのかな?
毛利の傘下あたりかな?
赤松の成れの果ては大河カンベェで登場したな。
0153日本@名無史さん
垢版 |
2017/05/26(金) 00:24:19.20
>>151
織田信定はかなり有名な方だぞ。もう1代前以前はかなり難しくなるけど。

それでも、河原者出身で、前半戦さえ怪しげな秀吉ほど怪しい有名人は
いないと思うぞ。最も秀吉は河原者を率いたから、河原者の中では
リーダー的存在だったようだがね。

言うまでもなく、加藤清正、福島正則ら賤ヶ岳七本槍のほとんどが河原者出身。
0154日本@名無史さん
垢版 |
2017/05/26(金) 04:55:20.18
>>153
蜂須賀とかはれっきとした国人だったが。
0155日本@名無史さん
垢版 |
2017/05/26(金) 12:46:26.13
>>152
宗全以後もずっと続くよ。
大きく但馬のほうと備後のほうに分かれる。
但馬のほうは応仁乱後も赤松と争い続け、信長に下る。
備後のほうが毛利に属した。
0157日本@名無史さん
垢版 |
2017/05/26(金) 15:34:21.01
>>154
ほんとに?
0158日本@名無史さん
垢版 |
2017/05/26(金) 15:40:51.09
>>157
ニワカの陰謀論者丸出しw

蜂須賀は郷名と苗字が一致しているから、どこからどう見ても、立派な国人だよ。
0159日本@名無史さん
垢版 |
2017/05/26(金) 15:41:42.05
>>156
室町期に勢力のあったものが
戦国で多くが没落してることも室町期=マイナーになりやすい原因でもあるからね
0160日本@名無史さん
垢版 |
2017/05/26(金) 15:49:32.05
>>158
陰謀論って何?
0161日本@名無史さん
垢版 |
2017/05/26(金) 16:32:09.14
>>160
秀吉も清正も福島正則も、
賤ヶ岳七本槍のほとんどが河原者出身とかいう153のことね。
0162日本@名無史さん
垢版 |
2017/05/26(金) 17:59:35.20
それのどこが陰謀なの?
0163日本@名無史さん
垢版 |
2017/05/26(金) 19:19:43.05
河原者を蔑視の裏返しで強調しすぎ、過大評価しすぎ

そもそも事実ではないトンデモ説だしな
0164日本@名無史さん
垢版 |
2017/05/26(金) 20:09:12.00
鎌倉時代を舞台にしてフラッシュゲームの設定のために下調べしてたけどやっぱり
つくるのやめとくか・・・
0165日本@名無史さん
垢版 |
2017/05/26(金) 22:09:26.35
面白そうだから作ってくれ。
この時代の大鎧が好きなんじゃ。
0166日本@名無史さん
垢版 |
2017/05/26(金) 22:53:19.40
で、誰がどんな陰謀を企んでるんだよ
0167日本@名無史さん
垢版 |
2017/05/26(金) 23:07:58.47
>>164
源平合戦を舞台にやってほしいね

タイトルは「頼朝の野望」
0168日本@名無史さん
垢版 |
2017/05/26(金) 23:14:02.31
>>167
純粋な国取りゲームの感覚で作るのかね?
0169日本@名無史さん
垢版 |
2017/05/26(金) 23:55:50.23
>>154
蜂須賀も秀吉と同じ河原者のリーダー。
ついでに、秀吉も木下弥右衛門も一時蜂須賀に仕えていることから、
蜂須賀の方が力があったらしい。
0170日本@名無史さん
垢版 |
2017/05/27(土) 00:04:08.77
>>161
脇坂安治 ---- 近江の国の浅井の出身。河原者ではない。
片桐且元 ---- 近江の国の浅井の出身。河原者ではない。
平野長泰 ---- 尾張の国津島の河原者の出身。
福島正則 ---- 秀吉の従弟。河原者。
加藤清正 ---- 秀吉の従弟。河原者。
糟屋武則 ---- 元別所長治の部下。武家で河原者ではない。
加藤嘉明 ---- 三河の河原者の出身。三河一向一揆で一揆方で活躍し、放逐される。
0171日本@名無史さん
垢版 |
2017/05/27(土) 00:08:20.58
>>161
3人については、服部英雄さんが証明し、有効な反論が出ていない。
だから、河原者で事実上確定している。平野長泰もほぼ確定。
加藤嘉明が論争されている段階。
0172日本@名無史さん
垢版 |
2017/05/27(土) 09:40:24.10
服部英雄(大爆笑)

服部一人がわめいて、誰にも相手にされてないのが現実
0173日本@名無史さん
垢版 |
2017/05/27(土) 09:41:38.66
出た! ブサヨ18番の「有効な反論」(笑)

聖徳太子の大山誠一と同じってことよ。
0175日本@名無史さん
垢版 |
2017/06/08(木) 15:33:03.36
武家政権最高権力者のはずの征夷大将軍がなんとも頼りない
0176日本@名無史さん
垢版 |
2017/06/08(木) 16:59:49.96
呉座勇一の応仁の乱、面白かった
0177日本@名無史さん
垢版 |
2017/06/08(木) 17:07:54.17
真蕊や小栗宗湛らが有馬温泉に行ったエピソードが好き。一緒に行った同朋衆、湯に入る度、快哉っ❕って叫んだって。わしも温泉入る時は快哉❕って叫ぶぜ
0179日本@名無史さん
垢版 |
2017/06/09(金) 03:03:00.13
 
人気が無いんじゃなくて
GHQの方針で取り上げられないだけじゃないかな
軍国主義につながるから禁止されたんだろ

南北朝時代は忠臣楠木正成一族がいるからダメ
元寇以後の鎌倉時代も含まれてるのかね
応仁の乱よりあと信長の前もダメ?
秀吉の朝鮮征伐もなるだけ軽くスルー
記紀神話も根こそぎ教えられなくなって神功皇后もダメ
昭和天皇も戦前日本が正しいことがばれるから当然ダメ

GHQはとっくに引き上げたのに
いつまでチョンが喜ぶような歴史教育を続けるのかね
0180日本@名無史さん
垢版 |
2017/06/09(金) 15:19:36.50
GHQが室町時代のことなんか知るわけないだろwwwwwwwww

反日左翼の日本人がやってるんだよ。
0181日本@名無史さん
垢版 |
2017/06/09(金) 15:55:34.37
左翼と反日は違うけどな
右翼も愛国じゃないし
0182日本@名無史さん
垢版 |
2017/06/09(金) 19:17:21.56
只今右翼が政権を私物化中
ただ日本会議の考え方は戦前の右翼とは違う気がするけど
0183日本@名無史さん
垢版 |
2017/06/09(金) 20:30:36.06
>>180
たとえば
ttp://eikojuku.seesaa.net/article/312772286.html
戦前の日本で「国民の鑑(かがみ)」にされたという楠木正成。
しかし、「その楠木正成を、GHQは『教えてはならない人物』の筆頭に挙げ、
戦後の日本教育から抹殺しました(松浦光修)」
なぜかといえば、第二次世界大戦における日本国民の
「国に尽くして戦う姿勢」があまりにも壮絶であり、
それがアメリカを大いに苦しめたためであった。

〉 鎌倉幕府の推す血統は持明院統であったが、
〉 後醍醐天皇はそれとは異なる大覚寺統。
〉 いずれは廃される宿命にあった。
だが、この箇所は両統迭立からいっておかしい
大覚寺統での弟筋だった後醍醐天皇には
自分の息子を天皇にする権利がなかっただけだ
0184日本@名無史さん
垢版 |
2017/06/10(土) 10:00:33.18
>>183
だから、それは日本人の判断をGHQが採用しているだけだよ。

GHQは検閲を大規模に実施したが、新聞記事・評論・文学・歌詞等の
日本文をせっせと英訳していたのは、GHQに高給で採用された日本人だった。

もちろん講座派(共産系)とE・H・ノーマン(レッドパージで自殺)が
マブダチだったような関係もあったであろう。
0185184
垢版 |
2017/06/10(土) 10:07:06.97
岡崎久彦「吉田茂とその時代」(PHP、単行本P239-240)

検閲の作業は大規模かつ徹底的なものであった。
ダワーによれば、ひと月に中央の検閲当局(地方にも多くの支部があった)に
入ってきた資料だけで新聞二万六千、通信社の通信三千八百、
ラジオのテキスト二万三千、雑誌四千、書籍・パンフレット千八百、
その他印刷配布文書五千七百に上ったときもあった。
また、四年間に三億三千万という信じがたい数の書簡を開封検閲し、
八十万の電話による会話を盗聴したという。

どうしてこれだけの作業が可能だったのだろうか。日本語は、外国人が学ぶのに
もっとも難しい言葉である。現在最高の日本語専門家といわれるアメリカ人でも、
当時の日本語の書簡を完全に理解できる人などはまずいないといって過言ではない。

どうしても日本人の助けが必要となる。江藤淳氏によれば、
昭和二十二年三月の時点で日本人五千七十六名が検閲当局に雇用されていた。
給与は占領軍の現地職員のなかでも最高俸の九百円ないし千二百円が支給された。

昭和二十一年三月に実施されたいわゆる五百円生活では、いかなる金持ちでも、
預金は封鎖されて、一家族五百円以上引き出せなかったのであるから、
当時としては恵まれた待遇である。その経費はすべて終戦処理費、
つまり日本国民の税金であり、占領軍としては金に糸目をつけずに人材を集めたのである。

いまの日本でさえも、日本語を右から左へと自由に英訳できる人間はそう多くはない。
まして戦時中英語教育はろくになかったことを考えると、戦前から海外経験もある
そうとうな知識人でなければ務まらない。江藤氏によれば、そのなかには
外国勤務の経験がある会社員、外交官、学者などもいて、
「これらの人々がこの高給を手にしたとき、彼らは自動的にあの闇の世界に
属するものとなった……、故人となった人も多いが。若手でこの仕事に
身を投じた人のなかには、その後、革新自治体の首長、大会社の役員、国際弁護士、
著名なジャーナリスト、学術雑誌の編集長、大学教授等となった人々がいたことは
一部で公然の秘密となっている。もとより誰一人として経歴にそのことを記載している人はいない」とのことである。
0186日本@名無史さん
垢版 |
2017/06/10(土) 10:15:48.83
 
江藤淳「閉された言語空間―占領軍の検閲と戦後日本」 (文春文庫)
https://www.amazon.co.jp/dp/4167366088/
ジョン・ダワー「敗北を抱きしめて 上 増補版」(岩波書店)
https://www.amazon.co.jp/dp/4000244205/
ジョン・ダワー「敗北を抱きしめて 下 増補版」(岩波書店)
https://www.amazon.co.jp/dp/4000244213/
岡崎久彦「吉田茂とその時代」(PHP文庫)
https://www.amazon.co.jp/dp/B01LNBJXE8/
0187日本@名無史さん
垢版 |
2017/06/10(土) 10:25:25.21
ちなみに、前千葉県知事の堂本暁子は、この仕事に関与していたらしいですね。
年齢的に末期も末期でしょうけど。

彼女が千葉県知事選に出馬したときに、ネガティブキャンペーンの一環として、
週刊誌が少しだけ噂として遠回しに触れたことがあります。
もちろん日本の体制のタブーなので、正面からは切り込めなかった。
0190日本@名無史さん
垢版 |
2017/06/10(土) 22:26:53.49
ちなみに、“ドッジ・ライン”のジョゼフ・ドッジ(デトロイト銀行頭取)による

「日本の経済は両足を地につけていず、 竹馬にのっているようなものだ。
竹馬の片足は米国の援助、他方は国内的な補助金の機構である。
竹馬の足をあまり高くしすぎると転んで首を折る危険がある」

という記者会見も、大蔵官僚による作文説がある。
0191日本@名無史さん
垢版 |
2017/06/12(月) 07:27:58.65
そろそろ止めないか?
0192日本@名無史さん
垢版 |
2017/06/12(月) 08:14:00.81
あまり、劇的なスペクタクルが無いからぢゃないかな?

NHKの大河ドラマでも=戦国時代か幕末しか、テーマにしていない。
「朝廷から武家政権に移行」 とか 「江戸時代のタイクツな徳川家光や宗信の時代」 なんて
ドラマをやっても・・・あまりネタが無いので。
0193日本@名無史さん
垢版 |
2017/06/12(月) 12:17:21.89
承久の乱とか鎌倉幕府滅亡からの建武の新政、そして室町幕府成立の流れとか凄く大河的スペクタクルだと思うけど
英雄伝も伴うしさ
0194日本@名無史さん
垢版 |
2017/06/12(月) 12:31:36.95
登場人物の知名度が低いので視聴率が上がらない
メディアで取り上げられることが少ないので知名度が上がらない
このスパイラル
0195日本@名無史さん
垢版 |
2017/06/12(月) 12:33:43.98
とりあえず
室町時代はネーミングが悪すぎる
なぜ町名にしたし
0198日本@名無史さん
垢版 |
2017/06/12(月) 14:47:15.72
頼朝が主人公の大河って今まであるのかなあ
十分盛り上がると思うけど
情を捨て苦悩しながら新たな時代のために義経を殺す頼朝とか
(実際とはちがうが)
0200日本@名無史さん
垢版 |
2017/06/12(月) 16:33:39.94
毛利元就なんて謀略ばっかりで
見せ場は厳島の戦いと3本の矢ぐらいしかないのにね
戦国時代はやはり別格か
0202日本@名無史さん
垢版 |
2017/06/12(月) 20:17:52.19
室町がどこに在るかなんて京都市民でも知らない人が多いぞ
0204日本@名無史さん
垢版 |
2017/06/12(月) 21:54:50.99
何度か建て替えしてるから仕方ない。
首相官邸だって建て替えてるしな。
0205日本@名無史さん
垢版 |
2017/06/12(月) 22:04:15.53
<室町>
京都市の一角。この通りに室町幕府将軍の御所があった(御所はいくつもあったけど)。

<鎌倉>
もともと郡の名。
狭義には現・鎌倉市の東南部(旧鎌倉町)。
鎌倉〜室町時代には、隣接する腰越、逗子市、横浜市金沢区南部も郊外(処刑場があった=都市の端っこ)。

「室町」幕府の感覚だと、大倉御所、宇都宮辻子、若宮大路御所が時代に冠されてもいいぐらいだが、
将軍御所の所在を区分する以外に意味は無い。
0209日本@名無史さん
垢版 |
2017/06/16(金) 01:03:57.87
1333(鎌倉幕府滅亡)〜1600(関ヶ原) 動乱
1600〜1867(大政奉還) 平和
1867〜1945(終戦) 戦乱
1945〜現在 平和

このままいけばあと10年くらいで戦乱来るかもな
0213日本@名無史さん
垢版 |
2017/06/17(土) 05:15:22.57
>>209
もうくるんじゃないか?トランプ・安倍ちゃん・刈り上げ。
0214日本@名無史さん
垢版 |
2017/06/17(土) 12:01:47.50
>>192
対外戦争である元寇が、歴史の授業で
「神風が吹いたから勝った」という結論で終わらされているからね

西国武士が中心となって自力で撃退した史実が広まれば
もっとメジャーな時代になると思う
0215日本@名無史さん
垢版 |
2017/06/18(日) 11:24:25.66
>>208
主人公は政子だけど。
0216日本@名無史さん
垢版 |
2017/06/18(日) 17:28:46.69
>>192
> あまり、劇的なスペクタクルが無いからぢゃないかな?
これは全くの逆だな
源平合戦から大坂の陣までがスペクタルでないのなら
日本史にスペクタルなんてないだろ
0217日本@名無史さん
垢版 |
2017/06/20(火) 12:52:58.52
NHKの時代劇(大河じゃなく金曜・土曜のやつ)は大抵 田沼時代(安永・天明)か文化文政期だろ。
史上最も「スペクタクル」の無い時代だ。  おっと、浅間山噴火があるかw(←これは東宝特撮の範疇か)

それと>216
スレ主さんではない俺が言うのもなんだが、スレタイの時代は源平合戦後〜戦国前(どこからを戦国というかこのスレでも散々議論されてきたが)を指している。


スペクタクルの無い江戸時代が無茶苦茶 ドラマ化されているのにスペクタクルの宝庫である鎌倉〜信長以前の戦国が
ドラマや映画の舞台にならないのか、不思議っちゃあ不思議

>>215
「草燃える」のクレジットでは石坂浩二(頼朝)が最初でラストが岩下志麻(マサコ)だったな。
まあ、ドラマ原作のうち、ひとつが『北条政子』だったな。 草燃えるはDVD化されていないので残念だが、
非常に面白かった。 北条時政(金田龍之介) 比企能員(佐藤慶) 梶原景時(江原真二郎) 土御門通親(中谷昇)ら名優が
バンバン出まくって鎌倉初期の政争をパノラミックに描いていた。 承久の乱はしょぼかったが。
0218日本@名無史さん
垢版 |
2017/06/20(火) 13:09:56.54
草燃える
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%8D%89%E7%87%83%E3%81%88%E3%82%8B#.E4.B8.BB.E4.BA.BA.E5.85.AC

おっと、DVDは総集編はあるんdな。>>217一部訂正。 本編はNHKにマスターテープが残っておらず、数話が欠落して全編DVD化が永遠に不可能なんだな。
総集編では美輪ちゃまが完全にカットされているようだ(ウィキより)
「華の乱」「太平記」「草燃える」これらは架空の人物や架空の設定が多く、それらが巧くドラマを盛り上げていた。(華の乱はつまらんかったが)
鎌倉・室町も脚本家と予算次第で面白いドラマは出来るんだがな。(←これ言ったら もはや「日本史板」でなくなるなw)
0219日本@名無史さん
垢版 |
2017/06/20(火) 13:39:43.64
時代劇も全滅状態だし江戸時代人気はどんどん下がっていっている状態じゃないのか
0220日本@名無史さん
垢版 |
2017/06/20(火) 20:35:38.63
>>217
源義経 国広富之 源頼家 郷ひろみ 源実朝 篠田三郎 阿野全成 伊藤孝雄
北条義時 松平健 三浦義村 藤岡弘 和田義盛 伊吹吾郎
北条泰子 真野響子 牧の方 大谷直子 静御前 友里千賀子
0221日本@名無史さん
垢版 |
2017/06/22(木) 20:48:33.03
受験勉強レベルだし語れるほどじゃないけど戦国時代よりも鎌倉時代の合戦の方が好き
0223日本@名無史さん
垢版 |
2017/06/25(日) 16:30:09.05
草燃えるは、永井路子の原作がよかったんだろうな。
合戦ではなく、陰謀や謀略がメインでおもしろさをアピールできたのは、
個性豊かな海千山千の東国御家人を演じる役者が揃っていたからだろう。
0224日本@名無史さん
垢版 |
2017/06/25(日) 16:41:08.79
>>217
承久の乱の合戦の描写とかはたしかにしょぼかったが、
尼御台、執権を囲んでの”御前会議”の描写とかは見ごたえがあった。
乱の勝敗が政略で決まったことを印象付けることに成功したといえる。
0225日本@名無史さん
垢版 |
2017/07/28(金) 22:39:33.78
地味か
0226日本@名無史さん
垢版 |
2017/08/03(木) 19:08:41.69
>>47
>>48
>>56

ちょっと認識が半世紀前で止まってない?
この時代も基本的に戦国時代と同じく主体は徴兵された百姓で武士同士の戦いなんてほとんどないよ
0227日本@名無史さん
垢版 |
2017/08/17(木) 17:06:01.63
余談だが、俺が早くに買って推奨した袖珍本、
『応仁の乱』と『観応の擾乱』が二冊とも
そろってベスト・セラーになったゼッ!
いづれも、中公新書だから、実質的には野球新聞でしかない
読売新聞社の儲けになるんだけど、俺はあんな低俗新聞社の回し者なんかぢやあ
断じて無えのサッ!!!!!

分かったナッ!

! 
0229日本@名無史さん
垢版 |
2017/10/08(日) 13:39:57.25
承久の乱で天子様が敗北したのは

当時の京都人→怨霊の仕業(つまり後白河帝のせい)
当時の東国人→悪法が蔓延ったから(例、日蓮聖人)

様々な認識がある
0230日本@名無史さん
垢版 |
2017/10/08(日) 13:46:14.56
太平記だと観応の擾乱は天狗(怨霊)の仕業

応仁の乱も何故こんな戦争になったのか理解できないと当事者たちが日記に書いている
おそらく応仁の時代の人達は天狗の仕業だと思ってたんだろう
0231日本@名無史さん
垢版 |
2017/10/08(日) 13:59:59.60
明応の政変の当事者、細川政元は魔法修行者として有名
山伏として妖術を使い、天狗になりたかったのだと伝えられる
中世日本は目に見えない妖怪変化が暗躍する魔法の国でもあった

それが崩れるのがキリスト教の伝来であった
政治を左右する妖怪変化や魔法の概念は織田信長と豊臣秀吉の政権で遠ざけられ、徳川幕府の頃には遠い過去の迷信となった

近世の到来である
中世はおどろおどろしく怪しく現代人の感覚で理解するのが難しい

更に明治の廃仏毀釈で魔法の伝承が絶えて(修験道弾圧)、室町時代は庶民に理解できるものでは無くなった
0232日本@名無史さん
垢版 |
2017/11/11(土) 13:09:39.98
南北朝をドラマにしづらいのは後醍醐のせいだ
あの時代を面白く描くためには、後醍醐を魅力的に描かなきゃどうしようもない
尊氏と正成が何故あれだけ後醍醐に個人的入れ込んだのを上手く物語にできたなら、メジャーな成功作になるだろうな
つまり、後醍醐のカリスマ性を表現できればいいのだが、これが難しい
0233日本@名無史さん
垢版 |
2017/12/03(日) 21:50:44.82
後醍醐天皇を持ち出すと右寄りのキチガイが皇室の正統性をどうたら言い出すし、
楠木正成が出れば左巻きのキチガイが第二次大戦の特攻隊を正当化するのかと騒ぐ。
南北朝時代は近現代の思想に絡めてくるバカさえいなければドラマとして面白いのにねぇ。
0234日本@名無史さん
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2017/12/03(日) 22:15:34.25
>>229
>>230
>>231

今のアフリカや中東の人たちもこんなグダグダな世界になったのは
怨霊のせいだとでも思っているのだろうか?
0235日本@名無史さん
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2017/12/03(日) 23:38:47.61
思ってるだろうな
0236日本@名無史さん
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2017/12/05(火) 18:18:22.78
>>235
おそらくソマリアやアフガンの人は、なぜ戦争をしているのか
そもそも戦争の発端となった出来事ですら忘れているのだろうな。
0237日本@名無史さん
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2017/12/09(土) 15:48:22.77
歴史新書の『南朝研究の最前線』を読んだが、最近の学説では、後醍醐天皇の政策が室町幕府に継承されてる点から再評価する感じらしい
0238日本@名無史さん
垢版 |
2017/12/09(土) 21:43:11.50
なぜか足利義持に興味を持ってしまった
偉大なオヤジに対する反発に共感してしまったかな?
02391 ◆h5dmSuta9.
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2017/12/09(土) 22:13:26.67
ウゼー
02401 ◆sSg2uEZcSs
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2017/12/09(土) 22:14:26.16
アラシ
0241日本@名無史さん
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2017/12/26(火) 21:58:09.13
>>238
義持は良くも悪くもお坊ちゃんだからね
物心ついた時に幕府が安定していたのなんて足利将軍では義持くらい
0242日本@名無史さん
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2017/12/30(土) 12:26:13.95
安達景盛の妻で、安達義景や松下禅尼の母である人物は、武藤頼佐の娘のようですが、少弐氏や大友氏の先祖にあたる武藤氏との関係ってわかる方いらっしゃいますか。
0243日本@名無史さん
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2018/01/12(金) 22:16:13.75
この時代を描いた人気マンガかできれば状況が変わるかも。
0245日本@名無史さん
垢版 |
2018/01/28(日) 14:40:08.27
守護、地頭の概念がわかりにくい
荘園制もあるし
室町時代は、なんか欲望まみれた時代に見えるんで、嫌がる人多いんじゃなかろうか?
歴史家によれば応仁の乱を境に日本の仕組みが変わったというから?
0247日本@名無史さん
垢版 |
2018/01/30(火) 14:21:59.70
日本史より謎な金儲けできる方法とか
グーグルで検索⇒『羽山のサユレイザ』

L7I5E
0248日本@名無史さん
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2018/02/21(水) 22:33:04.86
>>1
内容は普通に面白いぜ
けど室町は室町が政府と呼べず足利がヘゲモニー+内乱誘導者で江戸時代の歴史観で否定されてきた
鎌倉も評価が分かれる感じなんだけど、これ明治の大馬鹿の天皇史観のせいで否定史観に塗り替えられた

そういうゴタゴタでマイナーだ。中身は普通に面白いけどね
0249日本@名無史さん
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2018/02/21(水) 22:53:16.84
前章平安編
平安京に映るまでの日本は対外政治都合ではなく、疫病で混乱を極めたが、関東開拓で諸氏問題を解決し
平安+大仏でなんとか下かのように見えた

しかし9世紀は世界的に大厄災がおきた時代で、日本では「南海トラフ」が破局的なダメージを与えたことで
天皇家が物質国力の衰退と精神の限界を起こして天皇家が崩壊した。その直後将門公が出生して
あの時点すでに物理と精神で天皇家がイカれてたからこそ、将門公の関東分離主義がおきた

天皇家はそれ以後も呪詛気筒と狂気を極めるが10世紀沈静化しつつある中、将門公の孫の千葉氏が悪徳領主両国一家(そこそこの領主なある意味で藤原に次ぐ関東有利家)を処刑する
このとき従来でいけば放免か粛清だが、きゅうきょくてきに今千葉氏を失えば、天皇関東領の喪失不可避であり
千葉氏はどうりの正義もある故討てず放免した。そしてここから武士団領が形成される。
以後11世紀坂東武士団は、関東勢力図の拡大の中、天皇の関東天領を守るための傭兵の機能をなした。
最大の驚異千葉氏こそこの武士団の時代において天皇知行の10-20%にあたる千葉県領の守護者存在でもあったという
そして11世紀後半武士団は東北征伐で活躍し、この11世紀で将門公の敵であった、源家とじょうりく氏が衰退して巨大勢力となる

結果これは源平討伐で平次も源氏も疲弊させて滅ぼし、一見坂東武士の天下の中、坂東武士の子分の地頭ないし地方役人に過ぎなかった
執権北条(自分で身分の低さわ自認)が暗躍粛清して支配者となる。この執権の暗躍と台東はスターリズムなどの政争に似てる

そして平安天皇家の領地を保守してるのが千葉氏である矛盾があったように
また執権の知行も坂東武士団の千葉氏が中心となって保全してた。天皇領は北条が政府として接収運営してた。
0250日本@名無史さん
垢版 |
2018/02/21(水) 22:53:49.62
ところがこの執権台東の過程で坂東武士との抗争があり、元寇まで政権は維持したが、元寇勝利直後坂東武士団が政権を取り戻す
しかし坂東武士が推挙した平なんとかが恐怖政治に走り執権が逆襲して、崩壊までの「後鎌倉時代」を迎える。
しかし知行拡大で天皇領接収を繰り返したことが遠因で後醍醐が乱を起こす。

一旦鎌倉は転覆されるも、坂東武士+執権+後醍醐が仲直り+同盟を結び政治主導権をとり、対足利戦争は前半所詮南朝が押し返す。
しかしここで若い千葉氏の私兵が出兵で略奪を行ったなど
千葉氏の若さに目をつけそこを執拗につくことで千葉氏を南朝同盟から切り崩す
これで兵力以上に歳入が弱体化した南朝は自然的に足利に敗北した

そしてその足利は明らかに私物化のためのへげモニズムで傀儡室町符を作り上げた。
そして独裁、私物化政治は国内諸侯の猜疑が大きすぎて、実は足利政権の主流管領はマイナー武士を登用してる有様だった
(そもそも畠山なんかは坂東武士だったが、同名手の武士を討って切り崩していった)

でこの足利政権は実質全国に認められてない独裁朝だからこそ、有力諸侯は最初から懐疑で「足利が私物化と領土拡大を行うなら自分もやる」で室町は公然と領土紛争と有力者の抗争が頻発した。
そして足利はそれで相手をうち自分の領土と影響力をふやすために、わざとそういった騒乱を収集させず内乱誘導してた

そこまで足利が馬鹿だった上で全国統一政府と呼べない状況の仲、関東、九州で騒乱が起こる。
この二戦は千葉氏と同名者の弱体化で地方政権すら弱体化させてしまう。
そんな仲収集じゃなく抗争を狙ったおおばか室町政府は応仁を起こす。究極的に応仁の乱は表面的に10年で終わったが
実60年連続的な抗争を招き、室町有力諸侯が絶滅状態に陥り、政府機能停止状態となる

そしてその頃はほうじょうはやぐもや今川などの地方振興せいりょくが切り盛りして所詮前戦国時代にエスカレーとする
0251日本@名無史さん
垢版 |
2018/02/21(水) 23:14:07.76
結果として、鎌倉室町時代はその前の8世紀からの平安期を無視して語れない。
そして千葉氏+坂東武士団は続領主(下請け企業)でありながらプラチナムゲームズのような下請けなのに巨大な企業の構造をしてた

とくに重要なキーマンが千葉氏であったのだが、江戸史感、明治史観の仲で千葉氏はマイナーな辺境領主として忘却されがち
これが実は政治の全容を理解不可能な状況を作ってる

@平安南海トラフその他天災で天皇大和は物理経済的都合と精神病で機能停止状態になる
A将門公の戦いを得た後、60年その敵じょうりく氏が関東提督になるも悪徳領主で有名でれを千葉氏が討つ。そして東日本の独立武士団状態が公認され11-12世紀の後期平安時代たる
坂東武士団時代を迎える

Bきゅうきょくてきに平安末期の源平抗争以前に衰退した源家は坂東武士団の子分、傭兵的傘下に収まる
その上で天皇が半平次抗争を展開して頼朝は交戦参戦を主張しただけであり、究極的に平次討伐は決定権をもつ坂東武士団領主の寄り合いで決定された
そしてその決定権は実質千葉氏と上総氏(いとこであり、登場上総が上の立場で中央政治との交渉役、代表は上総)が決定した
しかし上総氏は決戦には反対したため粛清、このどたどたで千葉氏が千葉県領土を統一に近い状態にする。

C平次討伐と欧州征伐は物質的、指揮官的な面で千葉氏の役職地位が重要で巨大な事を意味する
これは坂東武士団の中核たる国力があること、それ以上に欧州征伐までは元々天皇の千葉県天領(10万石以上)からの歳入資金が中心となって戦争をしてた。
物理的に千葉氏と天領の財産でしか戦争できず、千葉氏は間接的に頼朝のスポンサー、養父にあたる地元最強最大領主だから重要な人物、有力者だった
0252日本@名無史さん
垢版 |
2018/02/21(水) 23:16:05.57
D実質北条クーデターで北条が鎌倉を手動し、もとは支配権を三浦氏と争った。しかし三浦氏は奇襲され滅亡
その上で最大領主+最大兵力+最大石高の千葉氏を最有力地域領主として傘下におくことが北条支配のからくりだった

とくに物理的な石高の強さと人工兵力で鎌倉政府は千葉氏千葉国と関東埼玉方面を勢力下において兵力+食料をキープしつつ
天皇天領を掌握して税にあてるのが政治経済を運営するためのシステムだった。
そして抗争があって、鎌倉時代は天皇を廃したあとは執権VS坂東武士の対立構造が出来上がる

E坂東武士と千葉氏を明確に味方にできず、予想外の裏切りもあって鎌倉は敗れる。
しかし坂東武士+北条+後醍醐の同名で南朝は一時成立するが千葉氏切り崩しで南朝せいけんが崩壊する。

F足利にとって厄介な敵+味方であったのは大内と千葉氏であったのは確かだが、関東+太宰府は千葉氏の影響が大きかった。
その東西千葉氏の崩壊で関東+九州政権が機能不全状態になることが室町幕府崩壊の遠因になった



鎌倉ー室町は反天皇の武士団社会という社会秩序と坂東武士なくして歴史学が成り立たない。
しかし徳川は地元有力者の坂東武士を排除して関東を安堵した(鎌倉、室町は在地有力者が多すぎて崩壊した)
明治政府は卑屈な天皇史観で卑怯な天皇を浮かび上がらせる坂東武士と千葉氏を忘却する

これで歴史学が機能しなくなる
0253日本@名無史さん
垢版 |
2018/02/26(月) 02:27:36.75
固有名詞をすっ飛ばすと、平安から鎌倉時代への以降は
大統領=天皇家 首相=藤原氏 地方軍閥=武士
みたいなものなのかね

大統領のポスト争いに軍閥が介入するようになって、軍閥が大幅に自治権を持つようになったのが鎌倉時代
北条軍閥が大統領のポストまでコントロールするようになり、それを嫌った大統領が北条軍閥を排除しようとして成功したが、今度は足利軍閥が取って代わる
足利軍閥は政府とより近いポジションを取ったが、他軍閥を統制する力が不足していた
こういう感じか
0254日本@名無史さん
垢版 |
2018/05/09(水) 09:51:46.35
あげ
0255日本@名無史さん
垢版 |
2018/05/13(日) 10:42:50.39
戦国時代の始まりは応仁の乱から明応の政変へとシフトされてきたが、
俺は逆だと思う。 鎌倉幕府の滅亡から、ではないか?
つまり、室町時代(1336−1573)全部が戦国なのだ。
戦国の原因が守護大名の登場・進化だからね。 義満〜義教時代を
「室町の平和」と呼ぶ学者もいるが、どうなんだろうか。 ただの小康状態に過ぎない。
「徳川の平和」と意味が全く違う。
0257日本@名無史さん
垢版 |
2018/05/22(火) 20:51:16.09
中世ヨーロッパは商業ルネサンス12世紀ルネサンス十字軍レコンキスタ大航海時代と
ビッグイベント盛りだくさんだけど中世の日本はひたすら停滞してて地味だから
0259日本@名無史さん
垢版 |
2018/05/24(木) 20:09:55.47
もしもヨーロッパ史なみに日本史が激動の歴史だったら

11世紀
源頼俊、清原貞衡らによって北海道、樺太、カムチャッカ、沿海州への植民が行われる(東方植民)
12世紀
平忠盛による日宋貿易の奨励によって経済が復興、各地の国衙や郡衙が復興大陸風の都市が立ち並び商人階級が勃興する(商業ルネサンス)
中国やインドの先進的な学問や羅針盤、火薬、ジャンク船の製造技術が伝わる(12世紀ルネサンス)
13世紀
九州と中四国の日本海沿岸が元によって占領されるが鎌倉や西国武士らによる国土回復運動によって奪還(レコンキスタ)
14世紀
南北朝が100年にわたって争う(百年戦争)
権勢を強めた守護大名らによって各地で大規模な城塞や御殿、城下町が整備される
また守護大名たちはこぞって多くの学者や芸術家を抱えたため豪華な南北朝文化が栄える(ルネサンス)
15世紀
戦乱や飢饉を逃れるため大規模植民が行われ東南アジア各地に日本人町が作られる(大航海時代)
同時期、北アメリカ大陸が発見される(新大陸発見)
0260日本@名無史さん
垢版 |
2018/05/25(金) 19:22:43.47
中世ヨーロッパに比べて中世日本が地味なのはまずスケールが小さい
複数国にまたがる事件がない
日本人が外国の歴史に出てくることもなければその逆もまずないのでどうしてもこじんまりしてる
あとビジュアルがとにかく悪すぎる
朝鮮や琉球と比べても建築物の外観がこじんまりしてるし武家造りとか日本昔話に出てくる百姓の家にしか見えない
0261日本@名無史さん
垢版 |
2018/06/02(土) 18:48:12.85
>>260
足利義満が築いた北山第は、複数の塔を空中廊下でつなぐ荘厳華麗な建物だったらしいな。
金閣はそのほんの一部とか。
0262日本@名無史さん
垢版 |
2018/06/05(火) 07:16:50.25
>>261
「まんが日本史」というアニメを見て北山第の全容を知った
4代将軍になった息子の義持が不仲だった父への仕返しに取り壊した
あのアニメは続けてみていると面白い
0263日本@名無史さん
垢版 |
2018/06/06(水) 19:02:52.17
>>260
君は相国寺の仏塔が高さ何メートルか知ってるのかね?

鳥羽離宮の詳細も調べてみ。
0264日本@名無史さん
垢版 |
2018/06/08(金) 20:24:12.40
>>260は世俗建築の話だから相国寺とか的外れだし
鳥羽離宮も四阿だしな
明と言えば南京か北京の故宮、李朝はソウルの景福宮、琉球は首里城と
その国の為政者の居城のイメージが容易に連想できるけど日本はいまいちパッとしない
「洛中洛外図屏風」見ても農村の延長線上にしか見えない
0265日本@名無史さん
垢版 |
2018/06/08(金) 23:50:44.15
>>260の文章からは世俗建築限定の文意は読み取れんな。 論理すり替えというやつか?
鳥羽離宮が四阿って意味不明。 広大な面積にたくさんの殿舎群があったのに。
日本の支配者の居館がいまいちイメージしにくいのはそのとおりだがな。
0266日本@名無史さん
垢版 |
2018/06/09(土) 00:47:27.02
洛中洛外図のナゾ
幕府の置かれた室町通りって土倉が立ち並んでいたことから室町って名付けられたはずなのに
図屏風を見る限りでは将軍邸の周りは草ぶき掘立てのあばら家が並んでるだけで一軒も土倉が描かれていない何で?
0267日本@名無史さん
垢版 |
2018/06/09(土) 23:02:59.83
洛中洛外図屏風の設定年代の差
0268日本@名無史さん
垢版 |
2018/06/10(日) 08:04:00.90
悪いひとたちがやって来て
みんなを殺した

理由なんて簡単さ
そこに弱いひとたちがいたから

女達は犯され
老人と子供は燃やされた

悪いひとたちはその土地に
家を建てて子供を生んだ

そして街ができ
悪いひとたちの子孫は増え続けた


朝鮮進駐軍 関東大震災 日本人10万人大虐殺

https://youtu.be/iBIA45CrE30
https://youtu.be/D0vgxFC04JQ
https://www.youtube.com/watch?v=sYsrzIjKJBc
https://www.youtube.com/watch?v=SiHp41uWo1I
https://www.youtube.com/watch?v=zYBCTRryFP8
https://youtu.be/-wF31xbwqPM
0269日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/02(月) 01:07:33.59
ヒーローをしばしば悪者にかく
結局安易な「天皇権威説」で、鎌倉ー室町を否定したのが江戸、明治の歴史観

だからヒーローがいない
0270日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/12(木) 14:08:21.72
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