凸凸凸日本の城総合スレ凸凸凸Part35 [無断転載禁止]©2ch.net
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荒れないためのルールを作っておきます。
・城壁の議論や城壁以外の議論を妨害・規制することを禁止
両者とも双方敬意を表して尊重し共存してマターリ進行すること。
・中世の城スレッドなどの他のスレッドへレスするか
当城総合スレッドに書き込むかは各人それぞれの自由な選択に基づき任意である。
・他のスレッドへの強引な勧誘、誘導は差し控えて、レスする当人の自由な選択を
スレッドの住人間相互に尊重すること。
・落とし格子に関する議論をスルーしたりして妨害するのは禁止です。
以上のルールを立てておきます。
城総合スレッドですので城壁の議論だろうがそれ以外の議論だろうが、
規制する行為は荒らし行為と見なし、両者相互に尊重してマターリ共存していきましょう。
また、上記ルールを否定、批判するのも荒らし行為といたします。
前スレ
凸凸凸日本の城総合スレ凸凸凸Part34
http://mint.2ch.net/test/read.cgi/history/1479478757/ 六分の侠気 四分の熱
口をひらけば嫉みあり 筆を握れば誹りあり 城の外に家臣の屋敷をビッシリ建てるのはわかる。
けど、曲輪に家臣の屋敷をビッシリ建てるってどうなのよ?
あまりに狭すぎて全員集合する場所すらなさそう
全員集合する必要もなかった?
http://livedoor.blogimg.jp/sengokuaruko/imgs/6/8/684295ac.jpg 向かって右端に「出丸」という曲輪があるんだが、これの存在意義・役割は?
宇宙戦艦ヤマトの第三艦橋みたいだな なるほど、城が90度横転したときのための予備の天守閣だな。
真田さん「こんなこともあろうかと!」 山城で、主郭とは別の尾根に曲輪を設置すると防御力が増す?
芥川山城
http://castle.slowstandard.com/photos/main_pic/akutagawayama-dai.jpg
castlejp.web.fc2.com/04-kinkityugoku/105-akutagawasan/photo/agy00a.JPG
曲輪 谷 曲輪
↑
大手道 城壁厨のガイドライン
ばればれの自演連投で、多数を装う。
=を多様するが、脳のキャパが極小なのですぐに混乱する。
自分を批判するレスはすべて同一人物によるものと断定する。
得意技は鸚鵡返しだが、意味不明な変更を加える。
基本的な日本語に不自由している。但し書きが理解できない。
前スレが900に達しないうちに次スレを立てて来たのに、間抜けなので後れをとる。
住人の意向に関係なく、勝手に間抜けなテンプレに変える。
嫌城壁厨という言葉を発明した。
住人に一方的に課した義務を自らは履行しない。
議論議論と連呼するが、専用スレで議論するほどの知識がない。
主目的は平和なスレを荒らすこと。
平日休日を問わず、2ちゃんねるに常駐している。 >>12
そりゃ増すでしょ
主郭までの障壁は多ければ多いほど有利だし
厳密に言うと中世の山城には本丸という概念はないんだけどね 江戸時代の近世城郭は
石垣からはみ出た雑草を刈るとか、こまめにやっていたのかな? >>8
高槻城出丸は寛永年間になって増設されたという
普通に考えて城の西側の防御を固めるものだろう
濠に囲まれて家臣を住まわせること城内と変らないが、門は北側だけに留まったという
半ば城外的な扱いの「補強」施設だな >城の外に家臣の屋敷をビッシリ建てるのはわかる。
ってのも意味わからん
敵が攻めてきても城外で寝泊まりしろってか 曲輪の中に重臣の屋敷地を与えれば、それが曲輪の中のさらなる小郭としての
防御機能を持つということにさっぱり思い至ってないんだろ。 城壁厨のガイドライン
ばればれの自演連投で、多数を装う。
=を多様するが、脳のキャパが極小なのですぐに混乱する。
自分を批判するレスはすべて同一人物によるものと断定する。
得意技は鸚鵡返されることだが、意味不明なレスを正しいレスに変更を加えられる。
基本的な日本語に不自由している。但し書きが理解できない。
前スレが900に達しないうちに次スレを立てられ、間抜けなので後れをとる。
住人の意向に関係なく、勝手に間抜けなテンプレから正しいテンプレに変えられる。
嫌城壁厨という言葉を発明した。
住人に一方的に課した義務を自らは履行しない。
議論議論と連呼するが、専用スレで議論するほどの知識がない。
主目的は平和なスレを荒らすこと。
平日休日を問わず、2ちゃんねるに常駐している 主郭2郭3郭なんて現代で決められた名称。実際の本丸はどこだったかは予想するしかない 家の近くに豪族の城跡があって、その数百メートル離れた所に出城跡があるけど出城の役割って何?
どうせ早々に本城に退却して敵の陣地にされるんでしょ? 圧倒的な兵力差が無ければ、寄手の兵力を分散出来るのでは? >>25
軍事学での『遅滞行動(遅滞戦術)』と云うパターンが多いのかな?
例外として、山科本願寺の出城は先代の隠居城(土塁と堀)
守護大名・畠山氏の勝竜寺城の近辺に国衆の単郭方形居館(土塁と堀)
越後の御館は守護大名上杉氏の為の迎賓館?
コブみたいな独立丘陵が数百〜数千m毎に点在している地域では、アッチもコッチも城にしてたかな… 三原城など続日本百名城に05月21日 18時10分nhk
三原市にある三原城と新高山城が歴史的な価値を認められ、このほど「続日本100名城」に選ばれました。
「日本100名城」は歴史家などで作る日本城郭協会が全国各地に残る城の中から歴史的な価値の高い城を選んだものでこのほど市民からの推薦をもとにさらに100の城を「続日本100名城」として選びました。
候補となった全国のおよそ500の城から、県内では三原市の三原城と新高山城が選ばれました。
三原城は、戦国時代の武将・毛利元就の三男、小早川隆景が瀬戸内海に浮かぶ島をつないで築城し、満潮になると海に浮かぶように見えたことから「浮城」とも称され、ことし、築城から450年を迎えます。
また、新高山城は隆景が三原城の前に居城とした山城で山の広い範囲に土塁や石垣の一部が残るなど戦国時代の武将が戦への備えとして築いた山城としての特徴が色濃く残されています。
県内では毛利元就が拠点とした安芸高田市の郡山城のほか、広島城と福山城がすでに日本100名城に選ばれています。
城を管理している三原市教育委員会では「2つの城を含めて三原を周遊してもらえるような観光プランを作り、さらにPRしていきたい」としています。 クイズで学ぶ“城下町米子”05月27日 19時06分nhk
かつて城下町として栄えた米子市の町並みを歩いて回りながら、米子の歴史にちなんだクイズを解いて楽しむイベントが、27日に開かれました。
このイベントは、かつて城下町として栄えた米子市の魅力を再発見してもらおうと地元の有志で作る実行委員会が開いたもので、およそ60人の市民が米子城の城跡など4か所を回り、そこで出題されるクイズに答えながら、米子の歴史を学びました。
このうち米子城の城跡では今も残されている「枡形」と呼ばれる石垣で囲まれた四角形の敷地が何に使われていたかというクイズに挑戦しました。
そして、参加者どうしで話し合いながら「城兵の集合場所」という答えを導き出していました。
また、米子城の外堀があった場所に建てられている山陰歴史館では、外堀に架けられていた橋の中で歴史館に最も近い橋の名前は何かというクイズが出題されました。
参加者たちは米子の城下町の場所が記された地図を真剣な様子で眺めながら「藪根橋」という答えにたどりついていました。
参加した市内の60代の男性は「米子の街を知りたいと思い参加しました。クイズはとても勉強になりました」と話していました。 28日 18:20戦乱に運命を懸けた城主たちrsk
岡山の歴史について学んでもらい、地元への愛着を深めてもらおうという講演会が岡山市中区で開かれました。
会場には約800人の歴史ファンが詰めかけました。
岡山の歴史の豊かさについて語ろうというもので、ゲストには岡山市出身の歴史作家、磯田道史さんらが招かれました。
講演会では、岡山市文化財課の乗岡実課長から、岡山と大阪は城などのつくりが似ていて、
宇喜多秀家と豊臣秀吉が親しい関係だったことが紹介されました。
講演会の模様は、6月11日にRSKテレビで放送する予定です。 幕末の佐賀城下写真発見 直茂250年祭写す
ttp://www.saga-s.co.jp/sp/news/saga/10101/433603 戦国の時代劇に姫路城とか出てきたら萎えるな。
関係者に止める奴はいないのか 暴れん坊将軍に江戸城天守閣が出ても止めるやついなかっただろ さすがに最近の城ブームで、アレは姫路城という認識は
だいぶ広がってるからこれからはムリだろ。
そも、今はもうCG合成した方が楽だろうし。 逆に大河ドラマで躑躅が崎館のセットが出てきた時は、衝撃的だったな >>33
初期の江戸城天守閣は連立だったから姫路城使ってもいい気がするが
家光期に大奥のために壊していま天守台のある場所に建て替えても火事で焼けちゃって吉宗期には無かったからなぁ
富士見櫓が妥当 >>38
天守台の位置を変更したのは、秀忠期で御殿拡張も全体的だが 歴史ヲタとしては、暴れん坊将軍のお城は姫路城だとのクレームをつけて
悦に入りたいのだろうなww
でもさぁ
テレビ局もこの種のクレームを真に受けて、姫路城をバックにした松平健の写真を
変える必要はないと思うぞww
こういうのはコンビニで500円で売っている歴史うんちく本のネタにして楽しむべきで、
聖徳太子は実在しないと言って教科書を書き換えようとした文部科学省の醜態を繰り替えるなよ 時代劇は大衆の娯楽としてのフィクションであって、ドキュメンタリーでも歴史の教材でもない。 時代劇の江戸城の天守閣は記号であり様式美。
あれにツッコミを入れるのは歌舞伎の衣装や設定にツッコミを入れるようなもので、
野暮の極みである。 弘前、丸岡、犬山、丸亀、宇和島のアレが天守閣として通用するのなら、
江戸城の富士見櫓も立派な天守閣だろう。
現存天守閣の大半が宇土櫓よりショボい実質三階櫓ばかりというのは情けない。 千早城や赤坂城は鉄砲狭間もないショボくて情けない城だったらしい >>50
日本の城の歴史では、大半の期間は
白壁の天守閣どころか、石垣すら、いや瓦屋根すらろくに
なかったからな。 結局、山城の防御力って険しい山道を登らせてどれだけ疲弊させるかなのか >>49
裏側から見れば実に簡素な富士見櫓はあくまで隅櫓で、天守とは見えない造りなのは自明だが。 >>57
それは弘前城天守にも言えること
というのが
>>49の主張なんじゃないの? 会津の御三階や水戸偕楽園の好文亭も天守の一形態と言える。 >>53
闘うためなら猶更石垣や防火性の強い瓦や白壁が必要になってくると思うけど >>59
弘前は名目上は隅櫓としての造立だから、“弘前のアレが天守閣として通用するのなら”だったら
そうもあろうけど、他もずらずら並べちゃだめでしょ。 天守って、この付近に大将がいますよって目印というか的のようだから江戸時代に入って藩主は二の丸や三の丸に住むようになったの? >>55
「劔岳 の山頂に城建てたぞ!かかってこいや」 室町時代の山城なんかは、素通りされても文句言えないような結構な標高に建ててるけどな 江戸城富士見櫓って普通に天守の代用扱いじゃなかったっけ?
別に現存天守にしてもいいよな >>61
コストとの兼ね合いだろうな。
土塁だって、いまだに陣地で使われているからな。
ブルで適当に泥を運ぶだけで良いから。
手っ取り早く陣地を作るのにはちょうど良いといって。 ぶっちゃけ「天守の代用」ってなんなん?
天守になんか特別な役割ってあるん? 端的に言えば、
「見ろ! 人がゴミのようだ!」 by ムスカ大佐
じゃね。 >>61,67
石垣はあるに越したことは無かろうけど、コストを考えれば
やはり権威の象徴でないかね。
実戦的には、後北条の土塁に畝堀、障子堀ってのが
コストパフォーマンスが高そうな。 石落としって本当に実戦で使用したことあるの?
あれって覗き窓のようにしか思えないんだけど >>71
おそらくないのではないかな?
天守閣のある城で、実際に戦闘が行われていた事例が数少ないうえに、
天守閣のみに立てこもって、増援を待っていたとの事例はなさそうだから。
たいていは天守閣のみになる前に、大混乱になっているからな。 天守閣を失ったあとの江戸城は富士見櫓で政治が行われていたの? 関ケ原の戦後に落城した伏見城、岐阜城、大津城、佐和山城、
伏見城だけ再建されたのに結局廃城
このあたりの経緯は?
秀吉が家康に伏見城で政務を執れと遺言したのは知ってるけど、
再建から廃城まで期間が短すぎる >>75
うーん、あえて釣られてみるけど、やっぱ釣り針がデカ過ぎるな(笑) >>73
天守閣で殿様が生活していたのかとか言う類の質問がyahooの知恵袋のほうで
山ほどあるから見るがよいぞ。 時の記念日 丸亀城で「時太鼓」06/10 14:40nhk
「時の記念日」の10日、太鼓で時を知らせる「時太鼓」を子どもたちが打ち鳴らす催しが丸亀市の丸亀城で開かれました。
丸亀市の丸亀城では、太鼓で時を知らせていた江戸時代の「時太鼓」の習わしを、市の観光協会が平成18年に復活させて以来、ほぼ毎日正午に太鼓の音が鳴り響いています。
「時の記念日」の10日は、国の重要文化財に指定されている城の大手一の門、別名「太鼓門」近くの広場で、近くの保育園の子どもたちやご当地キャラクターなどが「時太鼓」を打ち鳴らす催しが開かれました。
会場では、子どもたちが童謡の「とけいのうた」を歌ったり、ダンスを披露したりして、盛りあげました。
正午になると、子どもたちが順番に打ち手を務め、元気よくバチを振るって「ドンドン」と太鼓の音を響かせました。
参加した子どもは「太鼓をたたくとドーンと音がして面白かった」と話していました。 [11日 17:53]丸亀城で「住みます芸人」転落rsk
11日午前、丸亀市の丸亀城で、27歳の男性が石垣から転落し大けがをしました。
男性は、丸亀市を中心に「住みます芸人」として活動しています。
午前10時ごろ、丸亀市の丸亀城で足をくじいたと男性から消防に通報がありました。
救急隊がかけつけたところ、三の丸の石垣の下にこの男性がいて、病院に搬送されました。
男性は、丸亀市を中心に「住みます芸人」としてコンビで活動する「まるチャンかめチャン」
の森本瞬さんで、大たい骨を折る大けがをしました。命に別状はないということです。
警察によりますと、森本さんは、仕事のため丸亀城を訪れその前に散策していたということで、
三の丸の石垣の上の柵を乗り越え約10メートル下に落ちたとみられています。
近くには自転車が残されていました。
丸亀城は石垣の美しさで知られ、天守の入場者は年間10万人前後に達する観光地です。 ブラタモリ名古屋編を見ていて思ったんだが、タモリは相当の地学好きだな。
パッと見て石垣の石の種類の違いがわかるんだからな。
お前ら、石の種類ってパッと見てわかる?
城好きは地学・地理の知識は必須だな。あと、日本史・軍事学の知識もあれば尚更良し。
あと、「何故、ここに馬出しがあるのか?」とか「何故、この堀は水堀でこの堀は空堀なのか?」
というのはちゃんと理由があるんだな。地形を有効的・効率的に活かすということで。
それと、名古屋城って大坂城同様、低地の中の細長い台地の上に建てられてるんだな。
大権力者はこういう地形が好きだな(笑)
http://i.imgur.com/5x0RzgX.jpg
あと、碁盤の目の町割りも好きなようだ
http://i.imgur.com/9MxEbMq.jpg ブラタモリを見て日本史板でドヤ顔されてもなあ
花崗岩くらい中学生でも知ってるだろ >>80
ちょっと訂正
「盛り土をしてあえて広げた馬出し」な これは「地形を有効的効率的に活かす」というのとは
ちょっと関係なかったかな >>80
名古屋の場合、名駅辺りで標高2〜3メートル。
今でも大雨で浸水の被害がでるからね 中世の城の本丸跡とみられるとこって何かあったらしき土台があるけど
ここが本丸ですよ的な櫓でもあったんだろうな
迷路みたいな構造になってるし山中にあるから目印でもないと城内で遭難しそう >>85
発掘でもやってみれば面白いのにね
山城は基本的には建物は建てなかったとか聞いたけど全国あちこちの本丸跡で柱穴見つかってんだよね
掘っ立て小屋は建物に含まないのかね 400年以上前の自然破壊が元に戻ってないなら
それはそれで別の問題が生じる 枯れた榎をしゃちほこの模型に06/17 14:52nhk
かつて松江城の三の丸があった島根県庁の前庭に植えられ、2年前に枯れて伐採された樹齢がおよそ300年のエノキを活用して作ったしゃちほこの模型が完成し、松江市で披露されました。
しゃちほこの材料となったエノキは、島根県庁の前庭にあり、樹齢300年以上とみられていましたが、おととし8月に枯れたため伐採されました。
県がエノキの活用方法を公募した結果、松江市の市民団体が提案した松江城のしゃちほこと同じ大きさの模型2体を作る案に決まり、およそ1年半かけて制作されました。
模型の完成披露式が17日、松江城で開かれ、松江市の松浦市長が「松江城を見守り続けてきたエノキがこうして新しい形に生まれ変わり多くの人と松江城との縁を作ってくれることを期待したい」とあいさつしました。
そして、しゃちほこを制作した市民団体の代表者から松浦市長に目録が手渡されました。
このあと、会場に集まった人たちにサンドペーパーが渡され、模型を磨いて最終的な仕上げを行いました。
しゃちほこの模型は高さがおよそ2メートル、幅が1.6メートルと、松江城天守にあるものと同じ大きさで、来月中旬ごろから松江市の松江歴史館で展示されるということです。
しゃちほこを制作した市民団体の代表の藤岡大拙さんは「松江城のしゃちほこを身近に感じてもらい、松江の歴史にふれるきっかけになってほしい」と話していました。 高知城伝承の「梅漬け」作り06/18 18:08nhk
江戸時代初期から高知城で作られていたとされる『梅漬け』と呼ばれる漬け物
作りが高知市で行われました。
この催しは、今では食べる機会も少ない『梅漬け』を広く知ってもらおうと、
高知城歴史博物館が開きました。
会場の「高知市文化プラザかるぽーと」には、主婦などおよそ30人が集まりました。
博物館によりますと『梅漬け』は土佐藩の初代藩主、山内一豊の時代から作られて
いたとされますが、資料は残っていません。
参加した人たちは、先祖が高知城で奉公をしていたという高知市の女性の家に代々
伝わってきたレシピを基に、博物館の担当者から『梅漬け』の作り方を教わりました。
はじめに手のひらに酒かすを広げ、塩漬けされたウメの実をその上に置いて、
まんじゅうを作るように1つ1つ丁寧に包んでいきました。
そして酒かすで包まれたウメを瓶に入れて『梅漬け』を作っていきました。
『梅漬け』は半年ほど漬けると水分などが抜け、漬け物などとして酒かすの
豊かな香りを味わうことができるということです。
参加した高知市の60代の女性は「『梅漬け』というものを初めて知りました。
どんな味になるのかワクワクしながら待ちます」と話していました。 入野城跡の発掘展 黒潮06/19 17:17nhk
黒潮町にある室町時代に築かれた入野城跡から発掘された陶磁器や茶道具などの出土品を紹介する展示会が開かれています。
黒潮町の入野地区には、室町時代の後期にこの地域を治めた入野氏が築いたとされる山城の跡地が残されています。
黒潮町教育委員会が、ことし3月までのおよそ半年にわたって発掘調査を続け、その結果を広く知ってもらおうと今回、展示会を開きました。
会場の黒潮町にある「大方あかつき館」には、陶磁器や茶道具など、およそ200点が展示されています。
このうち鍛治場の跡地で見つかった鉄くずや砥石などは、当時、城を建築する際に使ったくぎや大工道具などが城の鍛治場で作られていたことをうかがい知ることができます。
また、お湯を沸かす「風炉」という茶道具は、風炉のふちや土台の部分の破片が展示されています。
1つの城の跡から、これほど多くのかけらが見つかるのはめずらしいということです。
黒潮町教育委員会の山本哲也遺跡調査嘱託職員は、「入野地区の発展の歴史を知ることができる数多くの資料が展示されているので、多くの方に見に来てもらいたいです」と話していました。
この展示会は、今月28日まで開かれています。 アホみたいにニュース記事転載してるけど、それ拙いって分かってやってるのかね。善かれと思ってやってるんだろうけど、自分の身を削ってまでやる事じゃないよ 何を今更感はあるけど、その手のTVニュース記事はすぐ消えるしな。
まぁ、個人的には全文引用じゃなくタイトルとURLを晒すだけでいいんじゃないかとは思う。 >>90
ニュースでは、『陶磁器』と一括りにされがちだが、
これは、陶器なのか?磁器なのか? >>95
釉薬がかかっているのが磁器なんじゃない? 今、普通に使っている茶碗などが磁器
たたき割ってみても断面は真っ白
とても土を焼いたものとは見えない
そう、石が原料だから
焼成温度も高くて、作るのが難しい >>95
比較的高温で焼いた硬質土器が磁器だけど、厳密な区分は難しい。
日本では土質(白土か否か)で分けるのが一般的だけど、中国では
>96の言うように施釉の有無で陶器と磁器とを分けているな。 一回だけ焼くのが陶器で二回焼成するのが磁器じゃなかったっけ 陶器磁器のカテゴライズはともかく、黒潮町のは青磁片との事
こういう場合、カワラケや焼き紙面〆、陶器なども同時に出土したりするけど ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています