3世紀後半から4世紀にかけて小札革綴冑という中国製の冑が十数点出る。
1点だけが九州で、あとは残り全部が畿内から出る。

これは中国と通交してた主体が畿内であり、
邪馬台国が畿内であった有力な証拠である。

記録には残ってないが、おそらく台与の朝貢時に中国から持ってきたのであろう。

邪馬台国が畿内なら、クナ国は静岡であろう。
他に有力候補地はない。

ではなぜ卑弥呼と争ったのか。

祭器・銅鐸の扱いではないだろうか。
卑弥呼は仕方なく鏡祭祀を受け入れたようだ。

同じ「神(鴨)」族であったクナ国はそれを容認できなかったのではないだろうか。

神族にとっては鏡など異国の蕃神。
とても受け入れる事などできなかったはずだ。

と考えてます。