>>72
伊勢方面からの旧幕府軍から大津を守るため、朝廷は各藩に命令したが
大村藩だけが従った、小藩なので50人しかいなかったけど
しかしこの50人を大軍と思い込み、大阪城に進路を変えた
正式に慶喜が朝敵となって彦根や岡山なども参陣
結局大津では戦闘なかったけど、大村藩はこの事は評価された

初日は薩長土が最前線にいたが、鳥取藩は後方に待機し戦闘には加わらなかった
三日目ぐらいから最前線に進出し参陣した

大垣藩は鳥羽伏見では旧幕府軍に属し、戦後朝敵とされた
家臣の小原鉄心は新政府に出仕しており、弁明し降参して東山道の先鋒まかされ
長州征伐で活躍したように様式装備が充実しており、戊辰戦争での活躍が評価された

なので大垣藩が「鳥羽伏見の初期から藩を挙げて正式に参戦してた」は間違いである
賞典禄3万石は他に、信州松代藩の真田と薩摩支藩佐土原がある
真田は周りに朝廷寄りの藩が少ないにも関わらず、早い段階で朝廷寄りの姿勢で
周りの藩に官軍になるよう働いた事などが評価された

賞典禄
10万石 薩摩 長州
4万石  土佐
3万石  鳥取 大村 大垣 松代 佐土原(薩摩支藩)
2.5万石 山口(長州支藩)
2.3万石 津
2万石  佐賀 岡山 彦根 松前 秋田 長府(長州支藩)