【古田史学】九州王朝スレ10里 [無断転載禁止]©2ch.net
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古田武彦 1926年8月8日−2015年10月14日
古田武彦氏の九州王朝説を語り合うスレです。
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前スレ
【古田史学】九州王朝スレ9里
http://mint.2ch.net/test/read.cgi/history/1490753614/ 前スレでも話題になっていたけど、「寛政原本」の真偽には、もう少し判断材料が欲しいね。
真を否定できない鑑定がひとつあるだけ、というのは、いかにも寂しい。
偽とする主張には、ほとんど裏付けがなく、たんなる人格攻撃に終始しているようにも見える。
偽とする明確な根拠を提示している人はいるのだろうか? 邪馬壹国の件も、壹が臺の誤記だという根拠を明確に出せた人はいないのだろうな。
根拠なく、壹を臺に変えたり、南を東に変えたりするのは、ただ畿内天皇家の元祖が、邪馬臺国の卑弥呼から続いているといいたいからなんだろうか?
卑弥呼、臺与という女系天皇がいいと思ってるのかな? >4
>前スレでも話題になっていたけど、「寛政原本」の真偽には、もう少し判断材料が欲しいね。<
偽書説の論拠である「筆跡鑑定」に関しての、
喜八郎さんの筆跡として「章子さんの丑寅元号の清書」を提示してしまった大失敗と、
実際に、明治写本群の筆跡にも、
秋田孝季や、和田吉次や、吉次の妹や、和田権七さんや、末吉さんや、長作さんなどの筆跡があり、
それらは、喜八郎さんの、
http://www.geocities.co.jp/hyena_no_papa/kahitsu_genkou.html
の左側の筆跡と全く違うという事実や、
和田家が写本の紙代に困って、近所から大福帳(その製造元まで判っている)を譲り受けて、
大福帳の裏にまで写本を書き残した、などという事実は、
偽書説派の筆跡鑑定が完全な虚偽であった事の証拠であり、
それに、笠谷氏の「紙質の電子顕微鏡検査」などで、「江戸期後半の紙」であって、
秋田孝季頃の文書(寛政原本)であった事の保証が出来たので、
真書である事の必要十分条件を満たした。
それでも満足出来ないのでしたら、ご自分でも確認され、笠谷氏にも説明して貰いに行かれたらよい、
と思いますよ。
>真を否定できない鑑定がひとつあるだけ、というのは、いかにも寂しい。
偽とする主張には、ほとんど裏付けがなく、たんなる人格攻撃に終始しているようにも見える。
偽とする明確な根拠を提示している人はいるのだろうか?<
いないでしょうね。
皆、筆跡鑑定結果を信じた上での、
喜八郎さんや和田家の人々や、古田さんへの人格誹謗などばかりに徹している。 論理で潔白を証明できなくなった真書派は偽書説を言う人や偽書説の証人らに対する人格攻撃を繰り返すという方法でしか真書説を言えなくなったんだね
人格攻撃によって証言の信憑性を否定することでしか自説を主張できないという末期的症状。
この段階に陥った時点で古田説は完全に死亡していた。もう二十年ぐらい前のことだろうか? 畿内説の人は、邪馬臺国が大和王朝の源流だと考えているのかな?
それとも、大和王朝によって滅ぼされた、ナガスネヒコのほうだと考えるのかな? >>7
悪口だけで相手を否定するのはやめない?
真書説の人のじゃなくて、偽書説の人の人格に問題があるって自分で主張してるようなものだから。 >>9
キミの目にはzarakokuの発言が誹謗中傷に満ちあふれているという現実も見えないわけだね
キミの認識能力に問題があることはよく理解できた >>10
少なくても、悪口だけじゃないからね。
君のレスには、悪口しかないから。 >>12
デマはないな。
正誤はあるかも知れないが、自分の研究の結果だろう。
デマというのは、意識的な捏造のことだから、むしろ、畿内説の人にときどきあるように思う。 zarakokuの投稿を読むと、中身は
・古田(または支持者がサイトで公開してる言説)が言った間違った内容の転載
・zarakokuが空想妄想したデタラメ言説
・事実無根の誹謗中傷
の3種類に区分される
このうち2番目は完全なデマだし、1番目のも「風説の流布」、デマに分類される。
と言うかお前さん、
>デマというのは、意識的な捏造のことだから
などと、ごく自然にウソをかき立てるのが常習化してないか。
転載者が真実だと信じ込んで拡散するデマも多いんだぞ。 >>14
また畿内説の人が悪口書いてるw
君って、人格崩壊をきたしてるのかな? >>16
印象操作?
安倍ちゃんみたいだねw
相手の悪口を書かなければいいだけなんじゃない? 事実の指摘しかしてないよ。誰かさんみたいな事実無根の誹謗中傷を真っ先に止めるのがマトモな感性。
↑ これも単なる事実の指摘だが、お前さんの目には悪口に見えるんだろうね。 >>18
古代史の事実の指摘だけにすればいいと思うよ。
>>4とか>>5とか>>8とかに答えたりとか、ね。 スレにデマ発言の投稿ばかり繰り返す人を指摘して注意を促す行為がスレチなんて意見ははじめて聞くな
スレに書き込まない人のデマ発言を指摘すれば明らかにスレチだけど、ここのスレの投稿に関する注意だから適切だろ >>20
そんなことはどうでもいいから、>>4とか>>5とか>>8とかに答えることはできないの? >7
>論理で潔白を証明できなくなった真書派は<
この「始めから結論先にありきの宣伝」を書く、という事が、
偽書説派の精神的な異常性を示しているんだろうねえ。
この投稿子も、私が提示した真書である事の根拠には、全く触れず、
反論も出来ずに逃げている。
>偽書説を言う人や偽書説の証人らに対する人格攻撃を繰り返すという方法でしか真書説を言えなくなったんだね
人格攻撃によって証言の信憑性を否定することでしか自説を主張できないという末期的症状。<
真書説を言う人や、真書説の証人らに対する人格攻撃を繰り返すという方法でしか。
偽書説を言えなくなったんだね 。
人格攻撃によって証言の信憑性を否定することでしか自説を主張できないという末期的症状。<
>この段階に陥った時点で古田説は完全に死亡していた。もう二十年ぐらい前のことだろうか? <
この段階に陥った時点で、偽書説派や反古田派は、完全に死亡していた。
もう二十年以上前のことだろうか? 。 >>10
>キミの目にはzarakokuの発言が誹謗中傷に満ちあふれているという現実も見えないわけだね
キミの認識能力に問題があることはよく理解できた <
キミの目には、zarakokuの発言が、常に、
事実関係を根拠にした帰納的推論に満ちあふれている、
という現実も見えないわけだね 。
>キミの認識能力に問題があることはよく理解できた<
キミらの、
「南→東」などの史料事実の否定曲解に奔る、
という詐術的な行為に問題があることはよく理解できた。 >>12
>悪口以外はデマしかないけどね <
偽書説派や大和説派は、
事実や史料事実への間違いや否定や曲解のばかりでの、
悪口以外はデマしか、殆どないけどね 。 >>14
偽書説派や大和説派の投稿を読むと、中身は
・偽書説派や大和説派の「南→東」などと言った間違った内容の転載
・投稿子が空想妄想したデタラメ言説
・投稿子の事実無根の誹謗中傷
の3種類に区分される 。
このうち2番目は完全なデマだし、1番目のも「風説の流布」、デマに分類される。
と言うかお前さん、 「デマというのは、意識的な捏造のことだから」 などと、
ごく自然に(私の投稿ではない)ウソをかき立てるのが常習化してないか。
転載者が真実だと信じ込んで拡散するデマも多いんだぞ。 >>18
偽書説派や大和説派は、事実の否定曲解ばっかりしかしてないよ。
そして、誰かさんみたいな事実無根の誹謗中傷を、真っ先に止めるのがマトモな感性。
それれも単なる事実の指摘だが、
お前さんの目には悪口に見えるんだろうね。 そういえば、なぜヤマトをナラと呼ぶようになったのかはわからないんだってね。
ありそうな説に、当時の朝鮮語ではないかというのがある。
ナラとは朝鮮語で国のことだから、王権を定めた地をただ国とういう意味で、当時文化の高かった朝鮮語を持ってきてナラと名付けたのかも知れない。
当時の朝鮮語がどういうものであったのかはわからないが、一方で、ヤマトをナラと呼んだ理由もわからないから、否定の材料にはなりそうもない。
朝鮮人が支配層の主流を占めていたのか、ただ外国語好みのなせる業なのかの議論はあるにしても、有力な説であるようには思う。
柳田説が有力視されてるようだけど、盆地の平地部分をナラ呼ぶなら、他の盆地にもナラという地名が多くていいような気がする。
そもそも、ヤマト地方がなぜヤマトと呼ばれていたのかもわからないから、なかなか難しい議論ではあるね。 普通は、「ヤマ」の入り口、ふもとという意味での「ト」で「ヤマト」と呼ばれたという理解だろう。
「ヤマ」そのものの語源はわからない。
ただ、「ヤマ・ト」と二つ、あるいは「ヤ・マ・ト」と三つの概念が組み合わさっているところを見ると、比較的新しい地名なのかもしれない。
「ナラ」はさらに新しい地名だろうから、もう少し語源やいわれがわかってもよさそうなのに、それも不明だ。
文化の断絶があったとみることができるかも知れない。
比較的新しい言葉で意味がわからなくなってる言葉に、枕詞というのがある。
例をあげればきりがないくらい、意味不明の枕詞がある。
外国語(古代朝鮮語)由来なのか、アイヌなどの先住民由来なのか、それとも、ただ古い表現が残ってしまったのか、ほとんど解明されていない。
こうしたことも、大和王朝一元論からは説明しにくく、大和王朝が外来王朝であることを示唆しているともいえる。
たんに九州発祥とかいうことではなく、別の言語を持った民族による王権の樹立が想定される由縁のひとつだ。
記紀歌謡の収集時には、すでに言葉の混交があるようなので、それ以前に文化的な交雑があったのだろう。 ヤマが多数ある、富むという意味も想像できるな
ところで山門は音韻的に邪馬台とか大和とかとは別らしいぞ
ナラは、均すってとこじゃないの?
地面の凹凸を平坦化して都を作ったことにちなんでナラされた地、ナラ。 >>29
九州の山門も奈良の大和も、当時の発音はわからない。
上代仮名の甲乙も、当時の編者による特定の時代の聴きとり方だし、「ト」についても、母音の「オ」の傾向によるというだけで、明確な区別ができているわけでもない。
地方による(方言としての)音韻の違いではないという根拠もない。
「ナラ」もまた、どの説にも根拠があるわけではなく、思い付きの語呂合わせの域を出ない。
いずれにしても、問題は、「ヤマト」という地名が「ナラ」に変わったというところにある。
その理由がまったくわからない。
「ヤマト」を忌避したのではないことは、「カムヤマト」という和風諡号があることからもはっきりしている。
「ナラ」への地名の変更が、文化の断絶を象徴しているのではないかという疑問を持っている。 ヤマトは大倭(桜井市内にある)付近の地名が大和国を代表する広域名になったもの
ナラは平城京付近の地名
場所が違う
王権の出身地域が地域代表として国名になってたところから、
後に作られた王城/都の異称かなんかを、それにかわる
新しい代表と見なして県名にしただけだろ
地名変更というのはちと違わないか? >>31
指摘の場所を地名の由来とみるのは、由来話のひとつで、根拠があるわけではない。
いずれにしても、〈神聖〉な「ヤマト」が残らずに、おそらくは〈神聖〉ではない「ナラ」となったことに変わりはない。
そもそも、「倭」というのは、古代の日本を中国がそう呼んだ(「イ」であるか「ワ」であるかもわからない)のであって、「倭」を「ヤマト」にあてたのは、政治的な理由のほかには考えようがない。
同様に、「ヤマト」を「ナラ」に変えたのも、政治的な理由だろう。
その理由として、文化的な断絶と言葉の選び方の変化があったと考えている。
一般的に、中心部の名称を変えても、その名称が周辺に残るということがある。
江戸の名前が廃止されても、周辺には江戸川がのこるような場合だ。 そもそもヤマトからナラに変わったという認識が間違い >>31
大倭はオオヤマトと読むんじゃね?
大倭=大和の証明がいるんじゃ・・・。
続日本紀の時代でも既になぜヤマトかわからなかったというけど、
もし九州王家の存在が伝えられてたら、九州地名も検討しただろう。
九州の記憶が奈良時代すでに失われてしまったなどという事は
あるのだろうか。反論を待ちたい。 >>34
大和と奈良は大和国が廃止になる近代まで併存してるじゃんか 平城京建都以前のあの辺りの地名ってわかってるのかな >>38
確か「曽布」
添上、添下の郡名のもとになってる >>37
併存といえば併存かな。
平安中期といわれる和名抄のデータベースで検索すると、奈良というのは郷名として山城国の中に出てくるだけだ。
大和は大和国として出てくる。
それが、いつの間にか大和から奈良になっていったようだ。
記紀などの古代の国名としては倭だが、すでに「ヤマト」という国があって、それを倭の読みとしたのはほぼ間違いなさそうだ。
一方で、記紀には「ナラ」もでてくる。
地名の比定を含めて、少し丁寧に見て行かないと、地名(国名)の変遷を追えそうもない。 だから、大和は奈良になってない
もしかしてかなりのお馬鹿? >>42>>44
そうなの?
大和と奈良は違う地名なの? >>46
wikiには、奈良の地名の説明として「古くは大和と呼ばれ」た、と書いてある。
違うとする理由はなに? おや?、古田史学の方も、一旦消えていたが、また復活している。
目出度い目出度い。
邪馬台国畿内説Part242と殆ど同時に、
(2chに拠って)一旦掲示板から消されたが、復活されたらしい。
しかし、邪馬台国畿内説Part242の方は、復活後も大和説側が壊滅的な状態だね。 現代でいえば、奈良「県」と奈良「市」と奈良「町」を混同してるバカがいる >>52
では、具体的にどこが旧ナラでどこが旧ヤマトで、それぞれの範囲がどう変わって、なぜヤマトが地域の国名になったのにナラが残ったのかを説明して。
まず、記紀に登場するヤマトがどこを、ナラがどこを指しているのかを指摘して、その後の変遷を追ってくれるとありがたい。 ヤマトと関係があるかないかは別として、中国の史書には「邪摩惟」や「邪摩維」も散見されるんだね。
「邪馬壹」につながる表記なのかな? >>50
ルールにしたがって自動的に消えることを消されたと呼ぶ
古田信者のいう言論封殺など、この程度の代物であり、
有りもしない弾圧を幻視してるだけだ >>53
ヤマトからナラへ変わったとか主張する側がするべきだな >>56
逃げるぐらいなら、いちいち絡んでくるなよw
どうせ君は、なにも知らないのに否定してるだけで、期待はしてなかったからもういいよ。 自分のおかしさを認めることができないってのは教祖も信者も一緒なんだな AからBへ呼び名が変わったという主張をするためには
・Aと呼ばれたXとBと呼ばれたYが同じものであること
・AとBの使用頻度の時系列的変化
などを示さなければならない
それがわからないバカが滑稽すぎる 学問のルールを理解できてないのが信者のクオリティだからな >>60-61
「AからBへ呼び名が変わったという主張」をしてるのは、wikiの筆者だよw >>55
>ルールにしたがって自動的に消えることを消されたと呼ぶ
古田信者のいう言論封殺など、この程度の代物であり、
有りもしない弾圧を幻視してるだけだ <
関係がない。
邪馬台国畿内説Part242が、一回消えた事は事実であったようで、
それが証拠に、(私とは関係のない)どなたか?(おそらく大和説者)が、
画面が復活した時に「test」とだけ投稿して、投稿可能であるのか?を確認していた。
私も、邪馬台国畿内説Part242と古田史学の両方で、
普通に投稿してみて確認した。 >>61
>学問のルールを理解できてないのが信者のクオリティだからな <
自然や歴史においては、99.5%以上は不可知領域だとされているから、学問的には本来は、
知り得た僅かな確実な知見からの「確率のより高いものへの帰納的な推論」をすべきもの。
つまり、学問的にも、演繹的な断定的なものではあり得ないもの。
そして、その事が理解出来ていない「南→東」などの嘘つきダマシの大和説のサギシらは、
議論において、相手に演繹的断定的な論拠を要求し、
相手は当然「不可知部分領域」の話になれば、断定的な扁桃が出来なくなるので、
大和説説サギシは、「議論に勝った」と吹聴宣伝する事になる。
このように、「自然や歴史での学問のルール」を理解できてないのが大和説信者のクオリティ。
これは、昔から子供の頃からも「何故何故質問を繰り返してやれば議論に勝てる」と
言われて来た事であり、
「口先サギシらのダマシのテクニック」であり、どこかの政府も今回多用して来たもの。 >>63
>邪馬台国畿内説Part242が、一回消えた事は事実であったようで、
>それが証拠に、(私とは関係のない)どなたか?(おそらく大和説者)が、
画面が復活した時に「test」とだけ投稿して、投稿可能であるのか?を確認していた。 ミスった
続き。
それ、前にどこか別の板で見たことあるけど、不正アクセス者がスレを強制終了させる手合いのヤツじゃないか
2ch運営とは無関係のヤツだよ。
無差別にスレッドを強制終了させる荒らしの仕業。
今回のもそれかもな みなさんの推測は違っていますよ。
このスレを久し振りに覗いてみたら、
sageで動いていて681まで下がっていたので、
アゲのスレに戻しただけです。 な、なんだってーーっっっ
いくらなんでもzarakoku氏がそこまでひどいオバカサンだったとは、このリハクの眼をもってしても分からなかった、ようなきもしなくはない(混じりすぎて元ネタ不明 >>61
「学会のルール」厨の特徴
・基本的に議論は嫌い(できない)。
・当然「いろんな説」の吟味もできない。パニクる。
・そこで権威を持ち出す。
・閉鎖的で無能な日本の考古学会はその手の無能馬鹿で溢れ返って
いるから、温かく迎え入れてしまう。
→学会厨の完成(学問性の死) >>67
>みなさんの推測は違っていますよ。 このスレを久し振りに覗いてみたら、
sageで動いていて681まで下がっていたので、 アゲのスレに戻しただけです。<
PCには素人同然のオジンには、全く意味不明の説明。 >>68
>な、なんだってーーっっっ
いくらなんでもzarakoku氏がそこまでひどいオバカサンだったとは、
このリハクの眼をもってしても分からなかった、ようなきもしなくはない
(混じりすぎて元ネタ不明<
はい、zarakokuは、PCに関しては、全くの「素人オジン」です。 無知なら無知なりに、その場のルールってものには従おうとするのが常人
最初は知らなくても、ルールを指摘されたらある程度は従おうとするだろ普通。
ルール無視で突っ走るのは普通じゃない人。
まあ、痴呆症の中にもそういう症状のものがあるとは言うけども。
知性じゃなくてルール遵守する気持ちが最初に失われる系のね。
他の痴呆症より発症年齢が早いので余計に厄介なんだそうで。 >>73
この場のルールには、他人を誹謗中傷しないというルールがあるんだけどねw
ルール無視で突っ走るのは、たしかに普通じゃないんだろうな。 Yahooの九州王朝掲示板に久しぶりに投稿したら、✖にされたので、こちらに転載保存。
>(51742のha5)古田武彦の話はかなり面白いのだが古事記日本書紀をベースに考えていて納得できない部分も多いんだよなあ<
古田さんは、古事記日本書紀をベースに考えておられない。
常に原則として、「知り得た情報の信頼性の確率的史料批判をして、信頼性の高い史料を中心としてそれからの帰納的推論」をされた。
>歴史を考える上で優先すべき順番って物的証拠>論理性>科学>日本の歌>海外資料>日本資料であるべきで古事記日本書紀は最後にもって来るべき<
これも違うね。
自然や歴史では、殆ど全て(99.5%%以上とされた)が不可知部分であり、
文献であれ考古であれ、ごくわずかな「得られた史料から確率の高い帰納的推論」をしなければならないのであり、
その意味で、魏志などの歴代中国史書群の「同時代的な使節の実地での見聞計測記録」や、
「詔書や上表文」や、「金石文や印鑑」のような考古史料などが非常に証拠価値や信頼性や確率が高く、
記紀や中国や日本などの後代史書の記載や、単なる考古発掘物は、確率が落ちるので、間接的な史料にしかなならず、
記紀のように意図的に「倭国の存在や歴史を隠蔽しようとした」ものは、「ついうっかりの不利になる事実記載」以外は信用出来ず、半分偽書であるとするべき。
それが、自然や歴史に対する学問的科学的な姿勢。 またYahooで✖にされたので、こちらに転載。
>>mkpoも余り書いていないようですね。<
>ザラさん、こんにちわ
最近は原文の解釈からお話を展開する人がすっかり減ってしまったから、張り合いを無くしているのではないかな♪
ま、彼も大したことは語っていないと思いますが。<
tousyoubohiさん、こんばんわ。
また久しぶりにYahooをのぞいて、九州王朝トピに反論を書いたら、
またYahooに拒絶されたので、
止むを得ず、2chの古田史学スレに転写保存しておきました。
mkpoもいなくなったんでは、古い大和説者は、後hnだけしか残っていませんね。
2chでも、大和説の中心的であった「邪馬台国畿内説」スレが、私の、
「南≠東」や、
「大和は筑紫城の倭奴国から別れた別種の旧小国」論や、
「筑紫の弥生銀座付近が西日本〜半島からの搬入上納の中心」や、
「庄内や布留も筑紫が先行」説や、
「卑弥呼の墓は殉葬奴婢100余人などを、列島で唯一満たせる墓だ」や、
松野氏姫氏が「東海姫氏國の王家」説などで、
もう誰も反論出来なくて、壊滅的な状態です。 >>73
>無知なら無知なりに、その場のルールってものには従おうとするのが常人
最初は知らなくても、ルールを指摘されたらある程度は従おうとするだろ普通。
ルール無視で突っ走るのは普通じゃない人。
まあ、痴呆症の中にもそういう症状のものがあるとは言うけども。
知性じゃなくてルール遵守する気持ちが最初に失われる系のね。
他の痴呆症より発症年齢が早いので余計に厄介なんだそうで。<
幅広い人々からの意見や情報提供に拠っての「半公共的な場」が、
掲示板や2chであった筈であり、
一方的な意見や、事実に関する嘘で世間の人々を騙そうとする犯罪者的投稿の方が、
拒否されるべきであった筈。
もしもそのような一方的な投稿のみを選択したいなら、
掲示板ではなく、自分のホームページを建てればよい筈。
そして、明らかに事実や史料実態に違背し、
世間の人々を騙そうとする犯罪者的投稿は、黙過し難い。 >>74
>この場のルールには、他人を誹謗中傷しないというルールがあるんだけどねw<
掲示板という場を設定した瞬間に、当然、
事実や史料実態に違背するようなウソダマシの犯罪者的投稿は、
批判誹謗されるべき。
それが、半公共的な掲示板での許容ルール。
>ルール無視で突っ走るのは、たしかに普通じゃないんだろうな。<
「南→東」などの史料事実を否定曲解するウソダマシの投稿をし続けた大和説者は、
たしかに普通じゃないんだろうな。 >>75
yahoo掲示板(textstream)の規約
https://www.yahoo-help.jp/app/answers/detail/p/6627/a_id/50705/session/L3RpbWUvMTQ5ODMxNjQyMC9zaWQvNm43eV9XbG4%3D/faq/pc-home
>2 誹謗、中傷
>他人を誹謗、中傷する発言を行うと、法的な責任を問われる可能性があります。他の人に誹謗、中傷されたからといって、同じことをしてはいけません。
>8 事実に反すること
>虚偽の事実を投稿したり、架空の出来事をでっちあげてはいけません。また、事実を投稿せずに、否定的な見解だけを繰り返し投稿することは避けましょう。
>◎ 9 重複投稿、マルチポスト
>返信がないから、またたくさんの回答がほしいからといって同じような内容を繰り返し投稿するのはやめましょう。スレッドが見づらくなったり、人によっては同じ投稿を何度も見ることになったりなど、迷惑とされる行為です。
あたりの条項、特に9番の繰り返し投稿に対する抑制規定に違反してるから投稿制限されてるんでしょ
自分がルール違反して罰則適用を受けてるのに他人のせいにしてたらダメだよ 特に唐の占領政策が気になる。
・なぜ多数軍船を連ねて敗れたのか。
唐側は長躯黄海を渡ってきて、しかも水上戦では海の民倭国の方が、
北夷たる隋唐の貴族が推薦が苦手なのと比して戦術的にも有利のはず。
・捕虜について
筑紫の君はじめ、記紀にない名前ばかり。安倍比羅夫もほとんど不明。
冷酷な権力者・則天武后がそれら捕虜を生かしておく理由があったはず。
・戦後もしつこく新羅と結託して唐を追い出して百済を再興しようとした。
ここまですれば、戦後処理における進駐軍の掣肘も相当なものであったはず。
それが、詳細は不明だが奈良・難波へは衝撃的なものではなかった。のみならず
ほとんど来さえしていないのは何事か。
・筑紫都督府。
なぜ筑紫なのか。しかも、進駐軍や将軍たちの駐屯、捕虜の帰還、それらも何故
筑紫なのか。
・天智(中大兄)の筑紫等の築城。
進駐軍数千と都督府があるのに、そんなことできるわけないやんw
・天皇称号問題。
なぜそんな、僻遠の敵対する敗戦国の王に、そのような思い出深い称号を簡単に
下賜するのか。武則天が昇りつめる大きな転機になった称号である。それを東夷
の敵に与える理由がわからない。 これらの事が意味する歴史は、一つしかないと思われる。
まず、最大級の軍船と兵をそろえたのに手もなく敗れたのは、密告があったと
考えられる。水上索敵がないわけがなく、黄海を渡って来て疲弊した唐軍の
突入、大半を焼失という海戦史上にも特筆すべき大戦果を挙げられたのは、事前
情報が詳細にわたっていたからとしか考えられない。これはレパントの海戦では
なく、赤壁に匹敵する戦法と結果であり、長年煮え湯を飲まされ続けてきた対半島
戦略の優位もこの一戦で確保してしまったのである。この「たれこみ」は、間違い
なく高く評価されているはず。 多数虜囚の憂き目をみたことからも、倭軍団が壊滅したことが明白である。
この時に名前が挙がる者たちは記紀には登場しない。この「倭国の荒廃この
一戦!」に、無名の将軍たちが戦闘指揮を任されるものだろうか?倭国王の
始祖の地とも言われる百済と、数百年争って確保してきた半島権益がかかっ
ているというのに。
では、この「倭国」とその軍団は誰なのか。 また、記録上の齟齬をも顧みず、あえてそれら出自不明の者たちを記名したのは、
明らかに「勝利」の称揚と思われる。それしかない。
何故戦後処理においても難波京や奈良への駐屯がなかったのか。それも、裏切り者の
同盟軍なら必要はない。むしろ、余計な将兵の犠牲を出すことなく懸案の半島への版図
拡大を実現させた立役者として、いろいろなご褒美を賜ったことだろう。
戦後処理に係るもやもや記述のわけも、それで明らかである。「密約」によって勝利
するなど、大唐帝国としては許されない事であり、大和にとっても秘中の秘としなけ
ればならない、倭国滅亡後の領土併呑と領民の慰撫を不可能にする卑劣な行いだから。
多数の将兵の死傷と虜囚、その怨嗟は野に満ち、併呑どころか大和朝廷そのものの存立
をも危うくする。
よって進駐行政どころか、指導による最新政治制度のレクチャーや、天皇称号の下賜
など数々の特権も理解できよう。それにより、旧唐書倭国伝も整合するよう書き換えて
貰ったのである。或いは大和の熱望の末かもしれないが、国史のねつ造なんてよっぽどの
事なんだよね。しかも外国に都合よくなんて、中華が許すか、普通。 占領軍の鉄槌がなかったのも、これで理解できよう。筑紫への築城も、元から
あっただけの話。補完ぐらいはしたかもしれないが。実際工事したんだから、
嘘でもないわけだしw
捕虜が皆殺しにあわなかったのも、倭国の中枢がごっそりいたからという事。
滅亡した百済と違い、占領地として併呑するのか、朝貢国として残すのか、また
その時の窓口はどうするのか、領民の慰撫、国情や民族性など、謎の多い倭国
の内政をつぶさに知りたかったのだろう。第二次大戦後天皇を即処刑しなかっ
たのと同じ。そして、中枢の虜囚中に、新たな支配者・大和をして旧倭国領地
を併呑させる。完成したのちに筑紫の君らを帰国させ、都督府の監視下で慰撫
に努めさせる。
このような構図である。 魏への朝貢以後、その後継者へ義理堅く朝貢し続けた倭国は、漢や魏の威光と下賜品、
文明などがよほどエポックメイキングな政治的出来事であったのだろう。
異民族の侵入により、晋を南朝に追いやり、北周、隋、唐と興ってきた北朝による中華
統一に対しては、「日出国の天子・・・」と無礼千万な挑発的使いを送り、煬帝を激怒
せしめたのも、大義名分と計算に基づくものであっただろう。中華統一はすなわち、東
北部と半島への遠征である。来たる北征への布石でもあったか。単に田舎者の無礼な書簡
ではなく、事実隋は百万の軍勢とともに滅び生涯無敗の李世民も最後の戦いで一敗地に
まみえたのである。
厩戸の皇子という王でもない者が王を詐称して勝手にこのような使いを送ったとすれば、
一発で外交を終わらせてしまうほどの失策であり、後世「聖徳太子」として称揚される
ようなことはあり得ないとなる。 スレ汚し申し訳ないが、ずっと以前に読んだ古田氏の著作の具体は忘れたが、
自分なりに考えてきた拙文です。批判よろw >>80
「唐の占領政策」など存在しない
唐にとっては日本は高句麗や百済新羅などと同列の、一介の周辺国にすぎない。
日本へ向かう道中たる半島諸地域、旧高句麗や旧百済の地で遺民の叛乱が多発していたのだから、
それら叛乱を放置して一足飛びに日本を占領する意味はなく、優先順位として唐に近い地域=旧高句麗や旧百済の安定的統治を優先した。
そこを安定化させないと日本列島を占領することなど不可能だから当然だね。
まずは道中の経由地を安定化させようとしたわけだ
結果的には、その道中安定化だけで手が一杯になって日本占領まで手を伸ばす機会はなく、日本は放置せざるをえなかった。 倭国と日本国が連続していたら困るから占領という断絶を捏造したいわけだなあ 本人(古田)の動機はともかく、九州王朝支持者の中にそういう層が少なからず存在しただろうことは疑いの余地がないね
戦前の皇国史観時代の主流だった邪馬台国九州説が、邪馬台国が天皇家の祖先だと困るという層によるものなんだしね。 意味が分からないコメはご遠慮願います
批判とは、正邪を正していくための建設的行為であって まーたこの手の自説主張君か。
>>87
が書いてくれてるだろ。
唐は倭国にまで攻め込んできていない。 あーあの記録にありますんで
<畿内に来てない=なかった>
こういう構図で無数の「素朴な疑問」を葬って傲然としている
そんな畿内説=疑似学問のスレではない
とにかく薄っぺらいのはいらないよ 618 隋滅亡 唐建国
628 唐が国内統一
627〜 百済が新羅への侵攻を繰り返す
628〜 新羅が唐の冊封下に入る=唐が新羅を保護
654 百済で飢饉
657 百済で飢饉
660 百済の役 唐新羅連合軍により百済滅亡
661 倭国軍第一派が出陣
661 倭国軍第二派(主力)が出陣
663 白村江の戦にて倭国百済大敗
666 唐が高句麗へ出兵
668 高句麗滅亡
670 吐蕃(チベット)が、西方で唐を攻撃
670 新羅・高句麗遺民の連合軍が、東方で唐を攻撃
676 新羅が朝鮮半島統一(唐の冊封を受けたまま)
以上
唐が倭国にかまう余裕は全く無かった そもそも占領した記録自体が存在しないのだから、占領があったと考えるのは空想や妄想の類なんだがな 遣唐使
630
653
654
659
百済の役ギリギリまで唐と交流していた
665
667
669
白村江の戦の後の戦後交渉
→倭国が占領されていたのなら、遣唐使を「派遣」する必要がありませんね
(倭国駐留中の占領軍司令官と交渉すればいいのですから)
702〜894 13回
何事もなかったかのように遣唐使再開
巨大な唐は東西南北各地に係争を抱えていたわけで、
唐から朝鮮半島を全て奪った新羅に対しても、出兵する余裕はなく、
しぶしぶ冊封の下に取り込んでいます。
ましてや、遥か海を越えた日本列島などどうでもよかったわけです。 >>74
事実に基づかない悪口を連発してるzarakokuはともかく、こちらは事実の指摘しかしてないから誹謗中傷じゃないんだが。
悪い点を指摘するのは誹謗中傷ではなくて批判だぞ
その違いをねじ曲げてるお前さんも誹謗中傷を繰り返してるわけで、ルール違反者の一人だな
>>77
>幅広い人々からの意見や情報提供に拠っての「半公共的な場」が、掲示板や2chであった筈であり、
>一方的な意見や、事実に関する嘘で世間の人々を騙そうとする犯罪者的投稿の方が、拒否されるべきであった筈。
その基準に照らせばzarakokuの悪質投稿が規制されるのは当たり前ですね
悪質投稿を繰り返してるにもかかわらず投稿頻度が高すぎる剣以外を問題視せずスルーしてくれてるyahooの心の広さに感謝して、
投稿記事件数を抑える努力をするべきでしょ
絨毯爆撃のごとき全レスをするのが問題あつかいされてるのだから、ひとつのレスで複数記事への返答をまとめて行うようにするべきです。
また、レスの文字数を減らす努力も合わせて行いましょう。
zarakokuが事実無根の誹謗中傷を繰り返していることも問題ですが、世ほど目に余る悪質な状態にならない限り、
yahooが制裁を科すことは少ないと思いますので、まあ程々にしておくことですね。
>>78
>事実や史料実態に違背するようなウソダマシの犯罪者的投稿は、批判誹謗されるべき。
事実に基づいて批判するならともかく事実に基づかない誹謗を推奨するのは普通じゃありませんね
あなたは強い信仰に基づいて聖戦を遂行する戦士なのですか?
熱烈な信仰者だとするなら理解できなくはありませんが、多くの掲示板は聖戦の戦場を提供しないのが普通です。
むしろ聖戦を行うことを規約で禁止しているのが一般的。 >>96
また、悪口かw
少しは中身の議論をしてみろよ。 改めなければならないレベルの重度の問題点を指摘して改善を求めるのが悪口か
最低限度の、投稿制限を受けなくなるために必要な改善点を指摘してるのに悪口呼ばわりするとか、そういう手前勝手な認識だから投稿制限されるんだよ
ここを変えないと議論すらできないぞ。最低限度の姿勢、マナーを求めることが悪かよ…… >>98
あ、また悪口書いてるw
反論ができないから、つい悪口になっちゃうんだろうな。 >>50
伊都説スレも662まで下がってるね
ageしか書きこまれていないし、
その上にきている大量のスレも特に書き込みがあったわけでもない 議論する前に最低限これだけは守れよっていう基本ルールを守れない人が古田説に飛び込むのか、悲惨だな >>101
畿内説の人は、反論ができなくて悪口しか書けないのかと思われちゃうから、もうやめたら? >>79
>◎ 9 重複投稿、マルチポスト 返信がないから、またたくさんの回答がほしいからといって
同じような内容を繰り返し投稿するのはやめましょう。
スレッドが見づらくなったり、人によっては同じ投稿を何度も見ることになったりなど、迷惑とされる行為です。
>あたりの条項、特に9番の繰り返し投稿に対する抑制規定に違反してるから投稿制限されてるんでしょ <
私が、「黙過し難くて批判」する投稿は、原則として、
自然や歴史の事実や、憲法や、人類の常識や、人類の安全などに違背するか?、
それで世間の人々を教唆騙そうとしている?投稿であり、
そのような事に直接的に関係のない投稿は、原則として放置しています。
Yahooも2chもそのような投稿が気に食わないんでしょう。
自分がルール違反して罰則適用を受けてるのに他人のせいにしてたらダメだよ >>80
>・天皇称号問題。
なぜそんな、僻遠の敵対する敗戦国の王に、そのような思い出深い称号を簡単に
下賜するのか。武則天が昇りつめる大きな転機になった称号である。それを東夷
の敵に与える理由がわからない。<
成程。
情報提供、有難う御座います。 日本には秦氏なども住んでいたんだよ、
それと中華・・・の末裔とされる人々
姫氏の話もあったはず >>88
>倭国と日本国が連続していたら困るから占領という断絶を捏造したいわけだなあ<
「白村江のように唐に敵対」した事を放置していては、
唐の威信に傷が付き、東夷が再び唐に反抗する事を恐れたから、
唐は、敵対した倭国も何らの厳罰処分を処して、廃絶処分にする必要があり、
倭国の別種の旧小国で「白村江で直接的に参加しなかった大和日本国」が、
倭国を併合吸収継承する事で、倭国の消失を図った。
そして、天武らの意向に沿った記紀編者らも、
「倭国の存在や歴史」を抹殺する半分偽史書を捏造した。 >>89
>本人(古田)の動機はともかく、<
関係がない。
古田さんは、みだりに「史料の間違いだ」とはせずに、人類の常識に従って、
史料批判を通して客観性や信頼性の高い史料からの帰納的推論と、
先の皇国史観戦争や原爆の反省を付記されただけ。
>九州王朝支持者の中にそういう層が少なからず存在しただろうことは疑いの余地がないね<
九州王朝支持者の大半は、古田思考に共鳴したのであり、
一部の皇国史観思想から抜けきれなかった人々が、「皇国史観の反古田」側にそそのかされて、寝返って行った。
>戦前の皇国史観時代の主流だった邪馬台国九州説が、邪馬台国が天皇家の祖先だと困るという層によるものなんだしね。<
戦前の「邪馬台国」学者は、皆、天皇家が、
天地開闢以来、列島の盟主であった、
という皇国史観思想でしか許されなかったんだよ。 >>91
>まーたこの手の自説主張君か。<
まーたこの手の、自説の皇国史観の「大和一元列島盟主説」の主張君か。
>>>87 が書いてくれてるだろ。 唐は倭国にまで攻め込んできていない。<
当たり前。
白村江の「唐への反抗」の責任を取らせ、倭国の処分を決めるために、
大量の官と軍を派遣して来たのであり、
倭国の別種の旧小国であった大和日本国が、倭国を併合吸収継承する事を確認して、
帰国した。 >>94
>そもそも占領した記録自体が存在しないのだから、
占領があったと考えるのは空想や妄想の類なんだがな <
書紀がついうっかり「筑紫都督府」と書いてしまった、という事は、
書紀も、太宰府付近に唐の「都督府」的な官と軍の組織が存在していて、
それが大和や列島でも周知であった、という事を示すのであり、
何ら「空想や妄想の類」ではない。
だから、「筑紫都督府」の存在という史料事実を否定抹殺しようとするこの投稿子も、
おそらく、皇国史観国家至上主義に脳が犯された「空想や妄想家の類」。 >>95
>遣唐使 630 653 654 659 百済の役ギリギリまで唐と交流していた
665 667 669 白村江の戦の後の戦後交渉 <
新唐書に「次用明、亦曰目多利思比孤、直隋開皇末、始與中國通」と書かれ、
釈日本紀紹介の延喜講記に、
「大和の小野妹子が隋の文帝に初めて日本国を名乗って叱られた?」
という話(書紀には書かれていない)があるし、
大業3年の遣隋使は、俀國側の記録があって、大和の書紀は遣唐使の記録であり、、
延喜講記には、「唐の武徳中に唐が大和に日本国号を承認した」記載もあり、
それが古田説の「書紀の最初の遣唐使記録」に一致し、
630年の翌年の高表仁も、倭国との記録と大和の記録が大きく違っており、
その後も、唐で倭国使と大和日本国使の間でのトラブルの記録があったり、
遣唐使船も2隻に分乗派遣した記録があるなどの混乱もあった。
要は、倭国使と日本国使は、一緒に行ったり、別々に行ったりし、
書紀は、大和に都合の良い遣唐使を記載し、
一番よく書かれている唐会要は、倭国使と日本国使を、使者の供述記録通りに書いている。
>→倭国が占領されていたのなら、遣唐使を「派遣」する必要がありませんね (
倭国駐留中の占領軍司令官と交渉すればいいのですから)<
唐会要は、「咸亨元年(670年)三月、遣使賀平高麗」の遣使を「倭国使」として書いている。
この年(天智没年の2年前)に天智が、
「倭国→日本国」の国名変更も新羅に通告した。
>702〜894 13回 何事もなかったかのように遣唐使再開
巨大な唐は東西南北各地に係争を抱えていたわけで、
唐から朝鮮半島を全て奪った新羅に対しても、出兵する余裕はなく、
しぶしぶ冊封の下に取り込んでいます。
ましてや、遥か海を越えた日本列島などどうでもよかったわけです。<
唐は、きちんと白村江の大勝の処理をした。 >>96
>>幅広い人々からの意見や情報提供に拠っての「半公共的な場」が、掲示板や2chであった筈であり、
>一方的な意見や、事実に関する嘘で世間の人々を騙そうとする犯罪者的投稿の方が、
拒否されるべきであった筈。<
>その基準に照らせばzarakokuの悪質投稿が規制されるのは当たり前ですね
悪質投稿を繰り返してるにもかかわらず
投稿頻度が高すぎる剣以外を問題視せずスルーしてくれてるyahooの心の広さに感謝して、<
Yahooや2chの「南→東」などの史料事実への嘘つきダマシの通説大和説をかばおうとする処理には、
ぞーっと身の毛がよだつような薄気味の悪さを感じるね。
>投稿記事件数を抑える努力をするべきでしょ
絨毯爆撃のごとき全レスをするのが問題あつかいされてるのだから、
ひとつのレスで複数記事への返答をまとめて行うようにするべきです。
また、レスの文字数を減らす努力も合わせて行いましょう。
zarakokuが事実無根の誹謗中傷を繰り返していることも問題ですが、
世ほど目に余る悪質な状態にならない限り、
yahooが制裁を科すことは少ないと思いますので、
まあ程々にしておくことですね。<
この投稿子は、要するに、
「南→東」などの史料事実の否定曲解行為に賛成している、
思想宗教的な・・・・である、というだけなんでしょう。 >>96
>>事実や史料実態に違背するようなウソダマシの犯罪者的投稿は、
批判誹謗されるべき。<
>事実に基づいて批判するならともかく事実に基づかない誹謗を推奨するのは普通じゃありませんね <
キミの方が、「南→東のような事実に基づかない虚偽」を推奨している犯罪者的誹謗者なんだよ。
>あなたは強い信仰に基づいて聖戦を遂行する戦士なのですか? <
キミは、「大和天皇家一元列島支配」教という思想宗教的な強い信仰に基づいて、
聖戦を遂行しようとする戦士なのですか?。
>熱烈な信仰者だとするなら理解できなくはありませんが、
多くの掲示板は聖戦の戦場を提供しないのが普通です。
むしろ聖戦を行うことを規約で禁止しているのが一般的。<
Yahooと2chが、「南→東」という史料事実の否定抹殺をしようとする、
嘘つきダマシの大和説を守ろうとする「悪質な聖戦」をしている事が実態。 >>98に対する反論投稿が、
「ERROR: We hate Landfill! 埋め立てですかあ 」
とされ、掲載拒否されたので、一旦保存してパスしておく。 >>101
>議論する前に最低限これだけは守れよっていう基本ルールを守れない人が古田説に飛び込むのか、悲惨だな <
議論する前に最低限、
「南」などの史料事実を否定曲解する嘘つきダマシは止めましょう、
っていう基本ルールを守れない人が、掲示板に飛び込む事が、
そもそも悲惨だな 。 >>106-108 個人的解釈のみ
>>109「書記の筑紫都督府」を膨らませた長文
>>110 遣唐使の日中記録が噛み違うのを、倭国使と日本国使が併存したと飛躍させた長文
唐が倭国占領した根拠は、日本側のしかも日本書紀の「筑紫都督府」記載だけであり、
極めて根拠薄弱であると言わざるを得ない。
占領した唐側の記録が無ければ全く説得力を持たない空論であることを指摘しておく。
そもそも「都督」という言葉は、倭の五王つまり宋の時代からあるわけだ。
7世紀日本が隋唐から律令制などを導入したのと同じく、
倭の五王が宋から都督府制度を導入して政治改革した可能性も高い。
つまり倭の五王がとっくの昔に筑紫都督府を設置していたわけだ。
唐側に、倭国占領の記録、占領した将軍や、占領行政官の名前などが全く残っていないことから、
百済から更に海を越えて倭国へ攻め込んだのなら、中国史上に残る大遠征記録であり、
倭国の役の記録が必ず残るはずであるが、そのような記録も皆無である。
唐が攻め込んだ証明をしない限りは、
「唐が倭国を占領したことは無かった」と考えるのが妥当である。 >>103
>自分がルール違反して罰則適用を受けてるのに他人のせいにしてたらダメだよ
いや、その返し方はダメでしょ
だって、ルール違反して罰則適用された人は、このスレではあなた一人だけですやん
>>108
>白村江の「唐への反抗」の責任を取らせ、倭国の処分を決めるために、大量の官と軍を派遣して来たのであり、
>倭国の別種の旧小国であった大和日本国が、倭国を併合吸収継承する事を確認して、帰国した。
三国時代に呉の孫権が派遣した船団より兵士数が大幅に少ない(2/3ぐらい)小規模な軍団では、
倭国内の勢力争いに干渉することなどできないでしょ。あまりにも力不足です
>>113
投稿頻度が高すぎる、投稿件数が多すぎる場合に機械的に返されるエラーメッセージですよ
しばらく待ってから投稿し直せば大丈夫です。というか、113の文章を投稿するまでもない。
むしろ自分が荒らしあつかいされてることを自慢してるような、武勇伝自慢にしかなってないのが実態。 >>115
>唐が倭国占領した根拠は、日本側のしかも日本書紀の「筑紫都督府」記載だけであり、
極めて根拠薄弱であると言わざるを得ない。<
何を勝手に曲解してんだい?。私は、「唐が倭国占領した」なんて、思っていないし、だから言っていない。
史料実態から判る事は、大和の書紀が、筑紫に、「筑紫都督府だ」と認識したような「府」の存在を、
ついうっかり記載してしまった、という史料事実がある事。
>占領した唐側の記録が無ければ全く説得力を持たない空論であることを指摘しておく。<
大和側は、大宰府付近に設営された唐の官と軍の「府」を、唐が百済などに設営した熊津都督府と同じような権力を持った「都督府」だ、
と恐れた、という事だな。
>そもそも「都督」という言葉は、倭の五王つまり宋の時代からあるわけだ。 7世紀日本が隋唐から律令制などを導入したのと同じく、
倭の五王が宋から都督府制度を導入して政治改革した可能性も高い。 つまり倭の五王がとっくの昔に筑紫都督府を設置していたわけだ。<
倭の五王の都督が念頭にあった事は否定しないが、タリシホコが天子を称した時点で、既に隋と対等を意識していたのだから 、
俀國や倭国側から見て都の大宰府に、夷蛮の地を統治するような「都督府」を置く事は、既に大宰府があるんだから、考え難い。
>唐側に、倭国占領の記録、占領した将軍や、占領行政官の名前などが全く残っていないことから、
百済から更に海を越えて倭国へ攻め込んだのなら、中国史上に残る大遠征記録であり、
¥倭国の役の記録が必ず残るはずであるが、そのような記録も皆無である。<
だからおそらく、大和側の「筑紫都督府」の認識であった。、
>唐が攻め込んだ証明をしない限りは、 「唐が倭国を占領したことは無かった」と考えるのが妥当である。<
唐が攻め込んだ、なんて言っていない。
おそらく、白村江大勝利の処理を担当した唐の軍や官の、倭国処理のための駐屯地 。 >>116
>自分がルール違反して罰則適用を受けてるのに他人のせいにしてたらダメだよ
>いや、その返し方はダメでしょ だって、ルール違反して罰則適用された人は、このスレではあなた一人だけですやん<
他の人への処分の有無など知らんし、関心もない。
私にとって大事の事は、「事実や史料事実からの帰納的推論」の投稿の掲載を、2chが拒否した、という事実であり、それが黙過し難いだけ。
>白村江の「唐への反抗」の責任を取らせ、倭国の処分を決めるために、大量の官と軍を派遣して来たのであり、
倭国の別種の旧小国であった大和日本国が、倭国を併合吸収継承する事を確認して、帰国した。<
>三国時代に呉の孫権が派遣した船団より兵士数が大幅に少ない(2/3ぐらい)小規模な軍団では、
倭国内の勢力争いに干渉することなどできないでしょ。あまりにも力不足です<
また変な事を言っていますね。
倭国の主力は白村江で壊滅的であり、女王的地位にあった斉明は伊予や土佐に逃れ、
倭国に残っている部隊は、倭国の附庸國の大和日本国の軍が中心であったんですよ。
>投稿頻度が高すぎる、投稿件数が多すぎる場合に機械的に返されるエラーメッセージですよ しばらく待ってから投稿し直せば大丈夫です。<
しばらく待って再投稿をしてみる事も、何度もしてみたが、同じ投稿は、全て拒否され、
他に転写保存した、という投稿から掲載再開された。
また、邪馬台国畿内説では、私よりもはるかに多い投稿が出来る人が、何人かいた。
>というか、113の文章を投稿するまでもない。
むしろ自分が荒らしあつかいされてることを自慢してるような、武勇伝自慢にしかなってないのが実態。<
いや、素人オジンは、タカ派の皇国史観の大和説者らのような自慢も武勇伝も嫌い。
史料事実や実態を基にして、それからの帰納的推論を投稿しており、
史料事実や実態を否定曲解する投稿は黙過し難いから、批判投稿をしているだけ。 >>117
唐が攻め込んでもいないのに、
大宰府付近に唐の軍や官の倭国処理のための駐屯地ができることはありませんね。
結局あなたは唐の軍や官が倭国へ上陸する過程を示せない。
筑紫都督府の「都督府」という単語を唐が設置したと勝手に解釈して、
あとは空想を膨らませているだけ。
繰り返しますが、「唐側の資料」が皆無ですね。
それ以外の傍証も全く示されず、あなたの空想だけ。
長文の割に、あなたの根拠は相変わらず
>日本側のしかも日本書紀の「筑紫都督府」記載だけ
まったく信用なりません。 >また変な事を言っていますね。
>倭国の主力は白村江で壊滅的であり、女王的地位にあった斉明は伊予や土佐に逃れ、
倭国の「百済援軍の主力」が白村江で大敗しただけであって、
(それでも炎上した倭船は1000隻のうち400隻だけ)
倭国の全軍が壊滅したわけではありません。
>倭国に残っている部隊は、倭国の附庸國の大和日本国の軍が中心であったんですよ。
倭国軍に静岡など大和より東の兵も参加している以上、
倭国と日本国を分離できないことはわかっているようですね。
「倭国使と日本国使」の共存が否定されました。
>倭国の附庸國の大和日本国
1つの倭国が静岡に至るまでの範囲から募兵して百済援軍を送ったわけですから、
2つの国が併存しているのではなく、
既に畿内大和に首都があり、(旧邪馬台国系)
筑紫都督府とは畿内大和にいた倭の五王が設置した役所であった、(旧狗奴国領を監視)
とも考えられます。 >>87以降のsage進行の人、あなたしつこいよ。
私は大和説の人と議論する気はありません。
何故なら、各論ごとにきちんと議論を積み重ねることができないのは、
ここ2chに限らず、また学者に限らず多くの教委、研究者、アマ歴史家
みんながそういう体質なのを知り抜いてるから。
そんなに若くないんですよわたしは。
九州説を更に具体的に細かい論理の積み重ねでその歴史像と歴史的経緯を
明らかにしていく段階だと思うわけです。
別に阿波でも出雲でも越でもいいんですよ。ただ、大和説にだけ圧倒的に
変な人が多いってだけで、きちんと議論できるならね。
これ以上は何度も警告したように、スレ違いですのでご遠慮願います。
あなたは、他の人が言ってくれているように、「筑紫都督府」「遣隋使の
謎と矛盾」「戦後処理」「海の民倭国の惨敗」「百済再興を進めた倭国へ
の懲罰」何一つ論理的な回答を頂いていない。すいませんがご遠慮ください。
もっとも、大和朝廷に水戦にたけていたという記録などありませんがね。
唐の5〜10時間に及ぶ朝議の中で、外交は常に最も上位に来る議題であり
ました。その戦後処理において、白村江のような巨大な水軍力を有する大国
が視野にないはずはない。天皇称号もそうですが、都城制や律令制度を無碍
に完コピさせるわけもない。冠位十二階や大宝律令などの、中華政治の精華
を簡単に譲るはずなどない。よほどの「功績」があったのでしょう。優等生
という確証が。 >>119
この投稿への返信も、2chに✖にされたので、
邪馬台国畿内説Part244の>>81に転写保存した。 >>120
>>また変な事を言っていますね。倭国の主力は白村江で壊滅的であり、女王的地位にあった斉明は伊予や土佐に逃れ、<
>倭国の「百済援軍の主力」が白村江で大敗しただけであって、(それでも炎上した倭船は1000隻のうち400隻だけ) 倭国の全軍が壊滅したわけではありません。<
当たり前の事。
>>倭国に残っている部隊は、倭国の附庸國の大和日本国の軍が中心であったんですよ。<
>倭国軍に静岡など大和より東の兵も参加している以上、倭国と日本国を分離できないことはわかっているようですね。<
俀の附庸国である大和日本国は、継体の反乱以後、倭国の王家に参画出来る事になって、倭国の執政や太宰帥や、時には女王的地位にもなっていて、半合同状態になっていたようだし、
唐の高宗?であったかの「新羅救援命令」も、倭国と日本国の両方に出されたようだし、
書紀も、大和は白村江の倭国の筑紫の守りに備えた事を記録しているから。
>「倭国使と日本国使」の共存が否定されました。<
いや、唐会要の記録や、書紀の「唐での倭国使節と日本国使節の争い」事件などから、
遣唐使の両国の共存は否定出来ない。
>>倭国の附庸國の大和日本国<
>1つの倭国が静岡に至るまでの範囲から募兵して百済援軍を送ったわけですから、
2つの国が併存しているのではなく、既に畿内大和に首都があり、(旧邪馬台国系)
筑紫都督府とは畿内大和にいた倭の五王が設置した役所であった、(旧狗奴国領を監視)
とも考えられます。<
何だい?、この投稿子は、やっぱり、
「南≠東」のウソや、「大和が倭国の別種の旧小国で倭国を併合吸収継承した」事や、
白村江で戦ったのは(日本国ではなく)「倭国や倭衆だ」と記録されている事などを否定する、
嘘吐きダマシの大和説サギシであったのかい?。 >>117
大和朝廷側が「筑紫の都督府のようなものだ」と認識するような存在は、後代の大宰帥と異なるものでなくてはならないのかな?
大宰帥の前身みたいな役所があったとして、それを都督府のような物と認識しない理由は何か。
それとも、理由もなく都督府の設置主体は大和朝廷ではなく唐だと決めつけているのかな?
三国時代、赤壁の戦いの際に前線に赴いた周瑜と程普の役職は都督だった。
それと同様に、倭国側が唐の来襲に備えて都から遠く離れた筑紫の地に大軍を置いて警戒したなら、
その司令官を都督と呼ぶことに不思議などない。
大和朝廷が九州を制圧できていたはずがないという前提を先に置くから唐の派遣軍の司令部という解釈をせざるを得なくなっちゃっただけだよ。
>>118
>私にとって大事の事は、「事実や史料事実からの帰納的推論」の投稿の掲載を、2chが拒否した、という事実であり、それが黙過し難いだけ。
連続投稿規制のための自動システムを思想統制と決めつけて2ch批判したあなたの軽率な行為は結局のところ根拠のない決めつけによる誹謗中傷だったわけですよ >>123
なるほど。
やはり根拠は「書記の筑紫都督府」だけなのですね。
確信しました。
・白村江出兵は、静岡までを含む広範囲の日本各地から徴兵されている
・百済の役は詳述されているのに、倭国まで攻めた記録は皆無
・唐に、筑紫都督府の軍や官の司令官の記録が無い
・日本書紀にのみ、筑紫都督府の記載がある。
・倭の五王:珍は、使持節「都督」倭・百済・新羅・任那・秦韓・慕韓六国諸軍事安東大将軍倭国王と自称
・倭の五王:済は、宋から使持節「都督」倭・新羅・任那・加羅・秦韓・慕韓六国諸軍事と加号
・倭の五王:興は、使持節「都督」倭・百済・新羅・任那・加羅・秦韓・慕韓七国諸軍事安東大将軍倭国王と自称
・倭の五王:武は、宋から使持節「都督」倭・新羅・任那・加羅・秦韓・慕韓六国諸軍事安東大将軍倭王と叙正
6世紀までに畿内や東日本が開拓されて、
倭国の首都は、7世紀以前に畿内大和へ移っていたわけですね。
具体的には、磐井の乱(572)で筑紫磐井を鎮圧した後に、
九州地方を監視するために、(もとは九州出身の?)畿内倭国政権が設置したのが筑紫都督府ということですね。
あなたが根拠を全く示せないことで、逆にスッキリしました。 もういいってw
大和説ってほんと面白くないよね
なんつうかさ、意固地で自己撞着なのが透けて見えまくってる
実生活でもさ、あんまし酒とか飲もうと思わないよね 真実は面白くない
九州王朝説の面白さはフィクションだからだよ >>127
史料的には九州優位。
発掘物では畿内も対抗できる。
こんなところだろう。 残念ながら、九州王朝説を支える史料は古田式特殊解釈を経由しないと九州王朝説有利な解釈ができないんだよ >>129
古田のは普通の読解だからね。
修正してない。
畿内説は、ねえ・・・ 邪馬台国問題と無関係で中立の文献学者らの研究を利用できてるのは畿内説のみ
古田説は文献学者と見解の対立が多すぎて孤立してる >>131
史料の検討に役に立つ文献学の成果ってどんなものがあるの? 古田のエポックメーキングな「壹と臺」問題を筆頭に、古田式解釈はことごとく文献学者の研究と対立してるが
そもそも「壹ではなく臺だ」と言ってるのは邪馬台国畿内説の研究者じゃなくて文献学者だ。
日本の文献学者だけじゃなく中国の文献学者もだよ >>124
>大和朝廷側が「筑紫の都督府のようなものだ」と認識するような存在は、後代の大宰帥と異なるものでなくてはならないのかな?<
書紀は「きちんと書き分けている」、という事が史料事実。
>大宰帥の前身みたいな役所があったとして、それを都督府のような物と認識しない理由は何か。<
書紀は、「大宰帥の前身みたいな役所」を「都督府」とは認識しなかった。
>それとも、理由もなく都督府の設置主体は大和朝廷ではなく唐だと決めつけているのかな? <
この投稿子は、また、
「大和」は「倭国から別れた別種の旧小国」であり、
「白村江の後の670年〜701年の間に倭国を併合吸収継承した」
という史料実態を、「否定する嘘ダマシ宣伝」をしている。
大和は、670年以前には朝廷でもなく、都督府を設置する権限もない。
>三国時代、赤壁の戦いの際に前線に赴いた周瑜と程普の役職は都督だった。
それと同様に、倭国側が唐の来襲に備えて都から遠く離れた筑紫の地に大軍を置いて警戒したなら、
その司令官を都督と呼ぶことに不思議などない。
大和朝廷が九州を制圧できていたはずがないという前提を先に置くから唐の派遣軍の司令部という解釈をせざるを得なくなっちゃっただけだよ。<
史料実態では、大和が盟主になれたのは、ようやく、
701年の大宝の建元や、「評→郡」などの制度表記変更が出来た後であり、
大和は、670年以前には朝廷でもなく、都督府を設置する権限もない。 618 隋滅亡 唐建国
628 唐が国内統一
627〜 百済が新羅への侵攻を繰り返す
628〜 新羅が唐の冊封下に入る=唐が新羅を保護
654 百済で飢饉
657 百済で飢饉
660 百済の役 唐新羅連合軍により百済滅亡
661 倭国軍第一派が出陣
661 倭国軍第二派(主力)が出陣
663 白村江の戦にて倭国百済大敗
666 唐が高句麗へ出兵
668 高句麗滅亡
670 吐蕃(チベット)が、西方で唐を攻撃
670 新羅・高句麗遺民の連合軍が、東方で唐を攻撃
676 新羅が朝鮮半島統一(唐の冊封を受けたまま)
以上
唐が倭国にかまう余裕は全く無かった >>134
「書記の筑紫都督府」を膨らませた妄想。
唐側の記録は見つかりましたか?
・倭の五王:珍は、使持節「都督」倭・百済・新羅・任那・秦韓・慕韓六国諸軍事安東大将軍倭国王と自称
・倭の五王:済は、宋から使持節「都督」倭・新羅・任那・加羅・秦韓・慕韓六国諸軍事と加号
・倭の五王:興は、使持節「都督」倭・百済・新羅・任那・加羅・秦韓・慕韓七国諸軍事安東大将軍倭国王と自称
・倭の五王:武は、宋から使持節「都督」倭・新羅・任那・加羅・秦韓・慕韓六国諸軍事安東大将軍倭王と叙正
倭の五王が都督を自称他称しているのだから、
首都大宰府の旧称が筑紫都督府だったのでしょう。
以上。 >>124
>私にとって大事の事は、
「事実や史料事実からの帰納的推論」の投稿の掲載を、2chが拒否した、
という事実であり、それが黙過し難いだけ。<
>連続投稿規制のための自動システムを思想統制と決めつけて2ch批判したあなたの軽率な行為は結局のところ根拠のない決めつけによる誹謗中傷だったわけですよ<
他の人はどうなってされているのか?は知らんが、
他にも「連続投稿」や「成りすましダマシの悪質投稿」をしている、と思われる人は、
幾らでもいるが、どうやら2chは、規制せず許容している。
そして、私が拒否されるのは、私が「通説大和説派や偽書説派やどこかの政権のインチキ」の指摘を強くした投稿ばかり。
まあ、2chにもYahooにも、(NHKや読売や産経と同じように)、
国家権力側、の人間がかなり入って来て、支配しているんだろうね。 >>125
>なるほど。 やはり根拠は「書記の筑紫都督府」だけなのですね。<
そうだよ。書紀はついうっかり、「大和天皇家の列島一元支配教」を否定する事になるような、事実や実態を書いてしまったんだよ。
>確信しました。<
はいはい、また、「南→東」などの嘘つきダマシの通説大和説派の分裂幻覚妄想狂が、何やら新しい妄想を「確信」した、という事なんだな?。
>・白村江出兵は、静岡までを含む広範囲の日本各地から徴兵されている<
倭王武の頃からの筑紫倭国の支配地だよ。
>・百済の役は詳述されているのに、倭国まで攻めた記録は皆無<
始めから、「唐は九州には攻め込んでいない」と言っているんだよ。
>・唐に、筑紫都督府の軍や官の司令官の記録が無い<
唐は、倭国を唐の直接的な領土にするつもりは、全くなかった。
>・日本書紀にのみ、筑紫都督府の記載がある。 ・倭の五王:・・・6世紀までに畿内や東日本が開拓されて、倭国の首都は、7世紀以前に畿内大和へ移っていたわけですね。<
嘘を付くな。筑紫倭国は、701年まで、列島の盟主であり、東日本まで支配していたんだよ。
>具体的には、磐井の乱(572)で筑紫磐井を鎮圧した後に、九州地方を監視するために、(もとは九州出身の?)畿内倭国政権が設置したのが筑紫都督府ということですね。<
違う、と何度も言っているんだなねぇ。筑紫都督府は、唐の官や軍の宿営の府だよ。
>あなたが根拠を全く示せないことで、逆にスッキリしました。<
これで、この投稿子が嘘つきダマシのサギシである事が、逆にスッキリしました。 >>127
通説大和説は、史料事実の否定曲解のウソダマシであり、
真実ではないから、面白くない 。
九州王朝説の面白さは、史料事実や実態や人類の常識からの帰納的推論であるからだよ。 >>129
残念ながら、通説大和説は、古田説とは違って、
史料事実や実態を否定曲解するウソだましに支えられた特殊な解釈を経由しないと、
皇国史観教の大和説に有利な解釈ができないんだよ。 >>131
>邪馬台国問題と無関係で中立の文献学者らの研究を利用できてるのは<
大体「邪馬台国」なんて、文献考古史料のどこにも存在しないウソダマシの文言なんだよ。
>畿内説のみ<
日本の「無関係な中立的学者」なんて、殆どは始めから、文部省の「皇国史観」に規制されていて「結論先にありき」になっており、
信頼性が殆どないんだよ。
中立と言うんなら、日本ではなく、世界の学者らの意見も聞いてみなくっちゃ。
>古田説は文献学者と見解の対立が多すぎて孤立してる<
「日本の文献学者」という人種ではダメだな。
中国や半島の学者らの解釈も、参考にしなければ。 >>133
>古田のエポックメーキングな「壹と臺」問題を筆頭に、古田式解釈はことごとく文献学者の研究と対立してるが<
古田さんは、史料事実をみだりに間違いだと決めつけないで、
人類の常識に拠った史料批判をして、
信頼性の高い史料を基準としての文献解釈をされただけであり、
それに反対する文献学者の一部は、古田さんとの議論に負けて、
皆退却してしまっただけだな。
>そもそも「壹ではなく臺だ」と言ってるのは邪馬台国畿内説の研究者じゃなくて文献学者だ。
日本の文献学者だけじゃなく中国の文献学者もだよ<
嘘を付くな。
裴松之も、宋明清代の中国の考証学者や校勘学者は、誰も、
魏志の「邪馬壹國」や「壹與」の「壹」を、校勘も考証もしていないんだから、
中国の文献学者は、殆ど皆「邪馬壹國で正しい」という意見であり、
現代の「日本学者に騙された中国学者の一人」が、「邪馬臺國だ」と言っているだけだ。 >>136
>倭の五王が都督を自称他称しているのだから、首都大宰府の旧称が筑紫都督府だったのでしょう。
以上。<
都督は、原則として天子の直接的支配地の外の、夷蛮地域での施政を担当するのが仕事であり、
倭国では、タリシホコが天子を称した時点で、
都である太宰府に「都督府」を置く事をする筈がない。
(倭の五王の記憶があった可能性ならあるし、都督の下の評督も設置する事はあっても。) >>136
私からも一言。
記紀にその五王はいますか?恣意的なアナグラムでいじくりまわした「結論」では
なくて。
そして、もし都督に任じられていたなら、その記録もありますか?記紀に。
一方、最重要課題である唐との関係史において、みだりに誤用として都督府
を使うはずもないでしょう。やはり貴方は唐という世界帝国を舐めすぎです。
占領地には必ず都督府を置きますから、百済、新羅、高句麗のそれと日本の
それとは違うという証明も必要です。五王の都督と、その語がでてくる2例を
無理やり結び付けただけの稚拙な推論にすぎませんね。 >>137
つまり、yahooや2chが規制を行った際の本当の意図などどうでもよくて、規制された際のzarakokuさんの気持ちや受取方だけが大事なんですね?
極めて自分本位な性格とお見受けします。ご自重くださるようお願いします。
>>139
zarakokuさんの投稿を見る限り、史料中の膨大な記述の中から、「自説に有利な内容のごく一部の記述だけをピックアップして立論する」という、
チェリーピッキングと呼ばれる方式を用いた不適切な方法を繰り返してるだけにしか見えません。
少数の同行の士以外は面白さを感じることは難しいでしょう。
>>141
>「日本の文献学者」という人種ではダメだな。
>中国や半島の学者らの解釈も、参考にしなければ。
半島は邪馬台国問題に無関係だからノータッチを決め込むだろうから、中国の文献学者だけですね。
ですが、中国の文献学者らの研究からは、「邪馬壹国ではなく邪馬臺国」との推定が出ています
>>142
>裴松之も、宋明清代の中国の考証学者や校勘学者は、誰も、魏志の「邪馬壹國」や「壹與」の「壹」を、校勘も考証もしていないんだから、
裴松之が見た当時の三国志では「壹」ではなく「臺」と書かれていたと、多くの文献学者は推定していますからね
>>143
太宰府が倭国の都だったという前提を根拠にして説明していますが、
それ以外の可能性をどのようにして排除したのですか?
都が奈良県にあった可能性を否定した論拠を示さないと堂々巡り。単なる結論連呼になりますよ >>145
「ない」、という証拠を出すのは無理でしょう。
何もないんだから。
太宰府周辺や糸島周辺に「ある」
王墓や集落なら
いくらでも語れますけどね。 >>145
>つまり、yahooや2chが規制を行った際の本当の意図などどうでもよくて、
規制された際のzarakokuさんの気持ちや受取方だけが大事なんですね?<
いや、気持ちとか受け取り方など、関心がなく、
私は、PCでも全くの素人オジンですから、出された処分の意図など知りようもなく、
だから、他の掲示板などに一旦保存しておいて、
確認のための書き換えや内容変更をして再投稿をして見ているだけ。
しかし、一旦拒否されたら、同じような投稿は全部拒否されていましたね。
>極めて自分本位な性格とお見受けします。ご自重くださるようお願いします。<
いや、2chも、「大和説」とか「政府や文部省の指導」などでの、
「結論先にありき」の担当者が支配し管理監督しているようで、
そのような非学問的非科学的な掲示板運営態度は、黙過し難いです。 >>145
>zarakokuさんの投稿を見る限り、史料中の膨大な記述の中から、
「自説に有利な内容のごく一部の記述だけをピックアップして立論する」という、
チェリーピッキングと呼ばれる方式を用いた
不適切な方法を繰り返してるだけにしか見えません。
少数の同行の士以外は面白さを感じることは難しいでしょう。<
膨大な史料情報の全てを検討する事は、ほぼ不可能なのであり、
だから、知り得た情報だけは、全て史料批判をして、
信頼性の高い情報から、人類の常識に沿っての帰納的推論をしているのであり、
「不適切な方法」だ、とは思っていませんし、
世間の人々にそういうような意見があるんですよ、と伝達出来ればよいのであり、
誰がどう評価しようと関心がありません。 >>145
>>「日本の文献学者」という人種ではダメだな。
中国や半島の学者らの解釈も、参考にしなければ。<
>半島は邪馬台国問題に無関係だからノータッチを決め込むだろうから、中国の文献学者だけですね。
ですが、中国の文献学者らの研究からは、「邪馬壹国ではなく邪馬臺国」との推定が出ています<
ダメです。
裴松之や、宋明清の校勘学者や考証学者は、
「魏志の邪馬壹國や壹與」の「壹」に、校勘も考証は、誰もしていません。
だから、彼らは全て「壹」で間違いはない、という考えです。
しかし、現代の盧弼は、日本学者に教育されだまされて?、「壹は臺の間違い」説を唱えたらしい事は知っていますが、
古田さんの書を読んだ学者からは、ほぼ皆、古田説に賛成されました。 >>145
>>裴松之も、宋明清代の中国の考証学者や校勘学者は、
誰も、魏志の「邪馬壹國」や「壹與」の「壹」を、
校勘も考証もしていないんだから、<
>裴松之が見た当時の三国志では「壹」ではなく「臺」と書かれていたと、
多くの文献学者は推定していますからね <
どこの(国の?)文献学者がそう言ったのか?は知らんが、
単に「推定」でしかないんでしょ?。
裴松之は後漢書の邪馬臺國記載を見ているののにだし、
古田さんは、三国志写本版本と後漢書の写本版本での、
「壹と臺の錯誤をした人はいない」事を確認されたし、
宋明清代の中国の考証学者や校勘学者は誰も、魏志の「邪馬壹國」や「壹與」の「壹」を、
校勘も考証もしていない、
という証拠があるんですから、
その文献学者も、史料実態に関しての嘘つきダマシのサギシであったんでしょう。 >>145
>太宰府が倭国の都だったという前提を根拠にして説明していますが、
それ以外の可能性をどのようにして排除したのですか?
都が奈良県にあった可能性を否定した論拠を示さないと堂々巡り。
単なる結論連呼になりますよ<
もう何度も何度も書いて来た事です。
金印や「南≠東」で、大和は始めから排除されるし、
大和日本国は、「倭国の中の筑紫城の倭奴国から阿毎氏が別れた別種の旧小国」の国であったのであり、
白村江で戦ったのは、太宰府に都していた倭国や倭衆であり、
大敗して唐の官と軍に敗戦の結末を付けに来られて亡国の運命になった時に、
大和は倭国を併合吸収継承して管理する事で、唐の官と軍に納得して貰って、帰って貰ったんですよ。 一つのレスに対して4件5件もレスを付けたりしてたら連投荒らしと自動判定されて機械的に規制されるのも不思議ではないな
そんでもって被害妄想で言論統制とか、じつにマッチポンプ >>153
禁止ワードというのはあるよ?
単語や表現によっては書きこめない。
少し変えて書きこめる場合はある。 ああ、禁止ワードはあるね
しかも、どの語句が禁止なのかわからないものが多い
その点は改善してほしいよな >>153
>一つのレスに対して4件5件もレスを付けたりしてたら
連投荒らしと自動判定されて機械的に規制されるのも不思議ではないな
そんでもって被害妄想で言論統制とか、じつにマッチポンプ <
議論相手が、一つの投稿に「4件5件ものレス」を一度に書く、という事をして来たから、
混乱を避けるために、それを1件ずつ返事しただけの事。
そして、その事を伏せて隠して、「連投荒らし」とかの宣伝をしたこの投稿子も、
逆に、自分が「荒らし」である事を白状してしまっている嘘吐きダマシの、
・・・・アホサギシである事になる。 >>152
>金印や「南≠東」で、大和は始めから排除されるし、
これは3世紀邪馬台国の話ですね。
7世紀倭国には当てはまりません。
>唐の官と軍に納得して貰って、帰って貰ったんですよ。
唐の官と軍がやって来た証拠を、あなたは全く示せませんね。
畿内説テンプレと同じ。
逃げているだけです。 >>156
掲示板負担を減らすべく、また無駄にレス数を増やすことがないように、文字数が少ないからとまとめて返答したのにまた分割してレス数を増やしちゃったのか。
もうこれ、本人の本質からして連騰荒らしなんじゃない? 【工作員zarakoku】
落ち目の畿内説に見切りをつけて、いずれ本スジになる九州説を前提の工作を展開。
@神夏磯姫と田油津姫を卑弥呼の子孫に設定(根拠なし)
→史上最も早く朝鮮半島南部を領有した王権である卑弥呼政権の断絶を誘導
A白村江後に唐が倭国占領した(根拠なし)
→そのまんま
いずれも日本皇室を貶める話です。
領土帰属の歴史問題に関する伏線を張っているわけですね。 >>157
>>金印や「南≠東」で、大和は始めから排除されるし、<
>これは3世紀邪馬台国の話ですね。 7世紀倭国には当てはまりません。<
何だか?、この投稿子は脳がおかしいのかも知れないねえ?。
歴代中国史書群に拠れば、
筑紫の倭国は、倭奴国から白村江の後まで途切れずに続いていたんですよ。
そして、大和は、「倭国の中の倭奴国から別れた別種の旧小国」の国であったのであり、
白村江で戦ったのは、太宰府に都していた倭国や倭衆であり、
大敗して唐の官と軍に敗戦の結末を付けに来られて亡国の運命になった時に、
大和は倭国を併合吸収継承して管理する事で、唐の官と軍に納得して貰って、帰って貰ったんです、
と、いう事が書かれているんですよ。
>>唐の官と軍に納得して貰って、帰って貰ったんですよ。<
>唐の官と軍がやって来た証拠を、あなたは全く示せませんね。<
書紀がついうっかり記載してしまった、とも説明してあるんですよ?。
>畿内説テンプレと同じ。 逃げているだけです。<
この投稿子も、他の大和説者らと全く同じ。
私の説明が全くなかったかのような言い方をして、
「逃げているだけです」と如何にも議論に勝っているかのような宣伝をして、
反論をせずに、逃げている。 >>158
>掲示板負担を減らすべく、また無駄にレス数を増やすことがないように、文字数が少ないからとまとめて返答したのにまた分割してレス数を増やしちゃったのか。
もうこれ、本人の本質からして連騰荒らしなんじゃない?<
仕事の合間に投稿していたから、いつ呼ばれて、投稿が中断されるかも知れなかった事と、
私は、相手の投稿を、必要があれば転写しているので、全部を一度に返事すると、
行変えが多くなって、2chから、また拒否されて、手間がかかる可能性があったから。 >>159
>【工作員zarakoku】 落ち目の畿内説に見切りをつけて、いずれ本スジになる九州説を前提の工作を展開。
@神夏磯姫と田油津姫を卑弥呼の子孫に設定(根拠なし)
→史上最も早く朝鮮半島南部を領有した王権である卑弥呼政権の断絶を誘導
A白村江後に唐が倭国占領した(根拠なし)
→そのまんま
いずれも日本皇室を貶める話です。
領土帰属の歴史問題に関する伏線を張っているわけですね。<
これは、全く全て、
私の話ではない「他人の説」や、
事実無根の分裂妄想幻覚的なでっち上げの、
ウソダマシ内容 ばっかりですね。
こんな人種差別的なでっち上げ宣伝をするのは、おそらくssnなんでしょうが・・・。 >>160
>大敗して唐の官と軍に敗戦の結末を付けに来られて亡国の運命になった時に、
>大和は倭国を併合吸収継承して管理する事で、唐の官と軍に納得して貰って、帰って貰ったんです、
>と、いう事が書かれているんですよ。
どの史料のどこに書かれていますか?
逃げずに明記してください。
>書紀がついうっかり記載してしまった、とも説明してあるんですよ?。
これだけでは説明にならないから、「他の根拠」も呈示してください、
と何度も何度も指摘されているのに、あなたは逃げてばかりですよね?
>書紀がついうっかり記載してしまった、
これだけでは説明にならない、ということを指摘した
大量の反論をスルーしておきながら、
>反論をせずに、逃げている。
卑怯にもほどがあります。 >>159
そういう「皇室を貶める」などという妄言が戦争と廃墟を導いた
元凶だろうが、キチガイ、反省せい!
既に現人神は隣に民主国家のただの元帥と並びたたされ、生死を
も握られたことで、十分に辱めを受けておるわ馬鹿。
学問はすべからく国民と全人類のためであり、それが民主主義で
ある。
現在の皇室自身が頼んでもいない、歴史に国粋主義を持ち込むよ
うな馬鹿は、皇室の祖先が半島南部に起源をもつという皇室自身
の伝承をも馬鹿にするものであり、かつまた歴史的事象を現代の
国境問題と混在させようとする、韓国や中国の蛮行と同じ土俵に
立つものである。不敬などというキモい言葉は使いたくないし使
うべきでもないが、もし使うならお前のようなキチガイナショナ
リストにこそふさわしいであろう。
腐った畿内説の本質を表しているアホ。 【工作員zarakoku】
落ち目の畿内説に見切りをつけて、いずれ本スジになる九州説を前提の工作を展開。
@神夏磯姫と田油津姫を卑弥呼の子孫に設定(根拠なし)
→史上最も早く朝鮮半島南部を領有した王権である卑弥呼政権の断絶を誘導
A白村江後に唐が倭国占領した(根拠なし)
→そのまんま
いずれも日本皇室を貶める話です。
領土帰属の歴史問題に関する伏線を張っているわけですね。 >>166
日本皇室に、貶めるほどの由緒でもあるのか?
第二次大戦の最高責任者であったことは確かだが、それは300万人以上の日本人を死に至らしめた最高責任者でもある。
なにか、ありがたがるようなことがあるのか? >>167
さあ、zarakoku祭りが盛り上がってまいりました! >>168
別人だからw
アンタは天皇崇拝者なの?
zara君は崇拝者みたいだけど、僕は全然違うよ。
天皇制廃止論者だ。 >zara君は崇拝者みたいだけど、僕は全然違うよ。
と、うちのzarakokuが申しておりますw >>170
悪口じゃないと思えば、妄想に浸っちゃうのかw 【工作員zarakoku】
落ち目の畿内説に見切りをつけて、いずれ本スジになる九州説を前提の工作を展開。
@神夏磯姫と田油津姫を卑弥呼の子孫に設定(根拠なし)
→史上最も早く朝鮮半島南部を領有した王権である卑弥呼政権の断絶を誘導
A白村江後に唐が倭国占領した(根拠なし)
→そのまんま
いずれも日本皇室を貶める話です。
領土帰属の歴史問題に関する伏線を張っているわけですね。 悪口じゃなく、妄想が少ないと思えばコピペかよw
まともな人はいないのかね。 >>173
>大敗して唐の官と軍に敗戦の結末を付けに来られて亡国の運命になった時に、
>大和は倭国を併合吸収継承して管理する事で、唐の官と軍に納得して貰って、帰って貰ったんです、
>と、いう事が書かれているんですよ。
どの史料のどこに書かれていますか?
逃げずに明記してください。
次スレで明記できなければ、
あなたの完敗確定ですね。
ま、どうせ
卑怯な屁理屈で逃げるんでしょうけど(失笑 >>174
それ、別人だからw
やっぱり、悪口じゃないと妄想になっちゃうんだね。 >>175
「悪口じゃないと妄想」の意味がよくわかりませんが。
>大敗して唐の官と軍に敗戦の結末を付けに来られて亡国の運命になった時に、
>大和は倭国を併合吸収継承して管理する事で、唐の官と軍に納得して貰って、帰って貰ったんです、
>と、いう事が書かれているんですよ。
どの史料のどこに書かれていますか?
逃げずに明記してください。
この簡単な質問に、まーーーーったく答えて戴けないもので。
困ったものですね。 別人なら無視しとけよw
【工作員zarakoku】
落ち目の畿内説に見切りをつけて、いずれ本スジになる九州説を前提の工作を展開。
@神夏磯姫と田油津姫を卑弥呼の子孫に設定(根拠なし)
→史上最も早く朝鮮半島南部を領有した王権である卑弥呼政権の断絶を誘導
A白村江後に唐が倭国占領した(根拠なし)
→そのまんま
いずれも日本皇室を貶める話です。
領土帰属の歴史問題に関する伏線を張っているわけですね。 >>176
何回も指摘するけど、それは別人、僕じゃないよ。
勝手に僕のレスだと決めつけるから妄想だと指摘してる。
>>177ともども、コピペしたいだけにしか見えないよw >>178
あのモンゴル帝国ですら敗退した日本列島を
唐が占領したという驚愕の事実
その根拠を知りたいのに、教えてくれない
そんなzarakokuについてどう思いますのん? >>179
どうも思わないよw
それぞれの読取り方だから。 >>180
じゃあ援護してんじゃねーよw
妄想悪口で全レスしてる、まともじゃねーのがどいつかわかるよな?
それはこいつだ
【工作員zarakoku】
落ち目の畿内説に見切りをつけて、いずれ本スジになる九州説を前提の工作を展開。
@神夏磯姫と田油津姫を卑弥呼の子孫に設定(根拠なし)
→史上最も早く朝鮮半島南部を領有した王権である卑弥呼政権の断絶を誘導
A白村江後に唐が倭国占領した(根拠なし)
→そのまんま
いずれも日本皇室を貶める話です。
領土帰属の歴史問題に関する伏線を張っているわけですね。 >>181
いや援護できるところは援護するよ。
アンタのは、悪口か妄想かコピペだからw >>182
は?
悪口か妄想かコピペ?
zarakokuの書き込みがその代表でしょ?
すげえなあんたw >>183
アンタは自分のコピペを自覚してないの? >大敗して唐の官と軍に敗戦の結末を付けに来られて亡国の運命になった時に、
>大和は倭国を併合吸収継承して管理する事で、唐の官と軍に納得して貰って、帰って貰ったんです、
>と、いう事が書かれているんですよ。
どの史料のどこに書かれていますか?
逃げずに明記してください。
返事なーーーーーしwww
返事「できない」zarakokuを擁護www
>いや援護できるところは援護するよ。
>アンタのは、悪口か妄想かコピペだからw >>184
なに言ってんの?
自分のコピペは今日だけ
ずーーーーっとコピペ繰り返してんのはzarakoku
なに偉そうにルール持ち出してんだよ?
自分に文句言う前に、
お仲間のzarakokuを諫めろよなw
【工作員zarakoku】
落ち目の畿内説に見切りをつけて、いずれ本スジになる九州説を前提の工作を展開。
@神夏磯姫と田油津姫を卑弥呼の子孫に設定(根拠なし)
→史上最も早く朝鮮半島南部を領有した王権である卑弥呼政権の断絶を誘導
A白村江後に唐が倭国占領した(根拠なし)
→そのまんま
いずれも日本皇室を貶める話です。
領土帰属の歴史問題に関する伏線を張っているわけですね。 zarakokuとzarakoku擁護
同時に沈黙したら、そういうことってバレちゃうぞwww >>159
>【工作員zarakoku】 落ち目の畿内説に見切りをつけて、いずれ本スジになる九州説を前提の工作を展開。
@神夏磯姫と田油津姫を卑弥呼の子孫に設定(根拠なし)
→史上最も早く朝鮮半島南部を領有した王権である卑弥呼政権の断絶を誘導
A白村江後に唐が倭国占領した(根拠なし)
→そのまんま
いずれも日本皇室を貶める話です。 領土帰属の歴史問題に関する伏線を張っているわけですね。<
この投稿も、「邪馬台国畿内説Part244」での「貼り付けのウソ宣伝」と同じく、
全て事実に反し、私が言った事もない事を言ったようにする「貼り付けのウソ宣伝」であり、
おそらくssnの仕業。 >>163
>>大敗して唐の官と軍に敗戦の結末を付けに来られて亡国の運命になった時に、
大和は倭国を併合吸収継承して管理する事で、唐の官と軍に納得して貰って、帰って貰ったんです、
と、いう事が書かれているんですよ。
>>書紀がついうっかり記載してしまった、とも説明してあるんですよ?。<
>どの史料のどこに書かれていますか? 逃げずに明記してください
>これだけでは説明にならないから、「他の根拠」も呈示してください、
と何度も何度も指摘されているのに、あなたは逃げてばかりですよね?
>書紀がついうっかり記載してしまった、
これだけでは説明にならない、ということを指摘した
大量の反論をスルーしておきながら、
>反論をせずに、逃げている。
卑怯にもほどがあります。<
書紀。
知らん振りして、いくら書いて上げても書いていない事にして、同じ誹謗宣伝を繰り返すなんて、卑怯にもほどがあります。 >>165
これも、「南→東」などの嘘吐きダマシの大和説者や反古田派は、
図星を突かれて顔真っ赤w。
おそらくssn。 >>166
この投稿も、
「邪馬台国畿内説Part244」での「貼り付けのウソ宣伝」と同じく、
全て事実に反し、[私が言った事もない事]を言ったようにする,
「貼り付けのウソ宣伝」であり、
おそらくssnの仕業。 >>168
さあ、また「南→東」などの嘘吐きダマシの大和説者の、
「何でもzarakoku誹謗」の・・・・宣伝が盛り上がってまいりました!。 >>172
この投稿も、「邪馬台国畿内説Part244」での「貼り付けのウソ宣伝」と同じく、
全て事実に反し、私が言った事もない事を言ったようにする「貼り付けのウソ宣伝」であり、
おそらくssnの仕業。 >>174
この投稿も、「書紀の記載だ」とはっきり返事をしてあるのに、
知らん振りして、
いくら書いて上げても書いていない事にして、
同じ誹謗宣伝を繰り返すなんて、卑怯にもほどがあります。 >>177
この投稿も、
「邪馬台国畿内説Part244」での「貼り付けのウソ宣伝」と同じく、
全て事実に反し、
私が言った事もない事を言ったようにする,
「貼り付けのウソ宣伝」であり、
おそらくssnの仕業。 >>179
>あのモンゴル帝国ですら敗退した日本列島を 唐が占領したという驚愕の事実
その根拠を知りたいのに、教えてくれない
そんなzarakokuについてどう思いますのん?<
「唐が占領した」なんて言っていないよ。
白村江で大勝し、筑紫の君もサチヤマまで捕虜にしてある唐の官と軍が、
白村江の事後処理のためにやって来た「駐屯府」レベル。 >>181
という事で、この投稿子が、
嘘つきダマシの「皇国史観の・・・・」である、
という事が判った訳だ。 >>183
>は? 悪口か妄想かコピペ?<
そうだよ。
>zarakokuの書き込みがその代表でしょ? すげえなあんたw<
私は、「南→東」の嘘吐きダマシの・・・・サギシだと、
世間の皆様に衆知されたようだ、と判った相手には、
大体、鸚鵡返しをして放置する。ということにしているんだよ。 >>185
この投稿も、
「邪馬台国畿内説Part244」での「貼り付けのウソ宣伝」と同じく、
全て事実に反し、
私が言った事もない事を言ったようにする,
「貼り付けのウソ宣伝」であり、
おそらくssnの仕業。 >>168
この投稿も、
「邪馬台国畿内説Part244」での「貼り付けのウソ宣伝」と同じく、
全て事実に反し、
私が言った事もない事を言ったようにする,
「貼り付けのウソ宣伝」ばかりであり、
おそらくssnの仕業。 >>188
>zarakokuとzarakoku擁護 同時に沈黙したら、そういうことってバレちゃうぞwww<
「南→東」の嘘吐きダマシは、人間ではないケダモノある、と判るから、
皆は、まともに相手にせずに、半分放置しておられるの。 >>202
歴史史料皆無なのに「唐の官と軍がやって来た」とする嘘吐きダマシも、
人間ではないケダモノある、と判る >>203
>歴史史料皆無なのに「唐の官と軍がやって来た」とする嘘吐きダマシも、
人間ではないケダモノある、と判る <
書紀が、
ついうっかり(不利になる?事を)記載してしまったから、
「唐の官と軍がやって来た」のは、史料事実であった可能性が極めて高く、
それを否定しようとする大和説者は、
人間ではなく、・・・・ケダモノである可能性が非常に高い。 >>186
また、コピペかいなw
何回もコピペしないと気が済まないのは、どこか精神に問題があるのかも知れないよ? >>161
>仕事の合間に投稿していたから、いつ呼ばれて、投稿が中断されるかも知れなかった事と、
仕事をさぼって掲示板? 不良社員ですか?
>私は、相手の投稿を、必要があれば転写しているので、全部を一度に返事すると、
行変えが多くなって、2chから、また拒否されて、手間がかかる可能性があったから。
あんな短い投稿の引用転写程度でレスが長くなるって、どんだけ長文を書き込んでるんですか?
と思って見返したら、長いことは長いけどどのレスも同じ内容ですね。
内容が重複するレスを何度も投稿するってまさに連投荒らしです。
それも、空想妄想と誹謗中傷を差し引いたら相手の発言以外ほとんど残ってないし。
>>173
マトモな人はこんなゴミスレに来ないでしょ、どっちの立場の人にしろ。(いや、ごく一部はまともそうな人もいるか。 >>206
>>仕事の合間に投稿していたから、いつ呼ばれて、投稿が中断されるかも知れなかった事と、<
>仕事をさぼって掲示板?<
仕事の合間に掲示板。
>不良社員ですか?<
零細企業の経営者。 >>206
>>私は、相手の投稿を必要があれば転写しているので、
全部を一度に返事すると、行変えが多くなって、
2chから、また拒否されて、手間がかかる可能性があったから。<
>あんな短い投稿の引用転写程度でレスが長くなるって、どんだけ長文を書き込んでるんですか?<
一文一文に、逐一返事を書かなければならなくなる事があるから、長くなることがある。
>と思って見返したら、長いことは長いけどどのレスも同じ内容ですね。<
返事済みの話の繰り返し投稿の場合は、世間の人々にも迷惑になるから、
鸚鵡返しで簡単に返事しておく場合がある。
>内容が重複するレスを何度も投稿するってまさに連投荒らしです。<
連投荒らしをされているから、お返しをしただけ。
>それも、空想妄想と誹謗中傷を差し引いたら相手の発言以外ほとんど残ってないし。<
大和説者や偽書説者や反古田狂に当てはまる話ですね。 自分を客観視できず、自分が信じないものは間違いだ、を連呼する経営者…
従業員の苦労が偲ばれるな >>206
>マトモな人はこんなゴミスレに来ないでしょ、どっちの立場の人にしろ。。
(いや、ごく一部はまともそうな人もいるか。 <
「南→東」などの嘘吐きダマシの大和説狂者や、喜八郎さんの「跳ね字」が判らないアホ偽書説狂者らのような、
マトモでないアホだから、このスレにくるんでしょう。
(いや、ごく一部であっても、まともそうな人もいないか。) >>209
理論的だし、自分を客観視してるし、従業員にとってはいい経営者だろうな。
経営者としては、金儲けに興味がなさそうなところが心配だがw (自称)理論的で、(自称)自分を客観視。
(自称)従業員にとってよい経営者。
なんか、零細企業の経営者って金策とかコネづくりとかで走り回ってて腰の落ち着く暇もないイメージなんだけど、
珍しく優雅な経営者さんだね。
このご時世に、よく経営できてるなあ
本人がよほど凄腕なのか、はたまた辣腕の番頭さんがいるのか。 >>211
頭の中身を医者に診てもらった方がいいぞ >>212
また妄想かいなw
>>211は別人だよ。 敵が悪口を言うのは見過ごすことができないけど見方が悪口を言うのは全面スルー、全く気にならない
じつにダブルスタンダードで、まさに教祖譲りですね >>216
>敵が悪口を言うのは見過ごすことができないけど見方が悪口を言うのは全面スルー、全く気にならない
じつにダブルスタンダードで、まさに教祖譲りですね <
始めから「南→東」の、史料事実否定の嘘つきダマシをしている大和説者らは、
そんなウソダマシに世間の人々が騙されてはいけないから、黙過し難いし、
ある程度、史料事実にウソダマシをしない説の人は、
その確率や可能性が0ではなく、ある程度の信頼性があるから、
ウソダマシをする大和説者よりも、黙過出来る。 史料に書かれていることは何でも正しいみたいな盲信は普通の研究者はやらない
とりあえず信じ通すとか異常な発想をする人が特殊
まず最初に、この史料のこの記述はどの程度まで信じていいかを研究する
多くの研究者は魏志倭人伝の記述に少なからぬ間違いが含まれてると想定するので
全面的に信じるような態度をとらない
それだけだ そして、その当然の態度を嘘吐き呼ばわりする誹謗中傷ザラコクが
良識を欠いた悪い態度での投稿を繰り返していることは疑いの余地のない事実
ただ、だからと言ってザラコクが現実生活でも良識を欠いた生活態度をとっているとは限らないので、
批判の対象は氏の掲示板投稿だけに限るべき
いくらこのスレ内で最もひどい態度の中傷常習犯であってもな >>218-219
何回も繰り返されているけど、間違いがあるというなら、どこがどう間違っているのかを証明しなくちゃいけない。
ただなんとなく、書かれたものには間違いがあるものだからねえ、とか言ってても、老人の繰り言になるだけだよ。
壹は臺の間違い、というなら、壹と臺が間違って使われている実例を提示して見せないといけないだろう。
これだけ頻繁に間違っているんだから、間違いの可能性が高い、とか。
南と東の間違いについても同様だ。
それでもまだ、壹は臺であり、南は東であるという証明にはならないけど、その可能性はある、ということまではいえる段階になるだろう。
話はそれからじゃないかな? >>220
>何回も繰り返されているけど、間違いがあるというなら、どこがどう間違っているのかを証明しなくちゃいけない。
>ただなんとなく、書かれたものには間違いがあるものだからねえ、とか言ってても、老人の繰り言になるだけだよ。
そういう手法で研究していろいろと失敗した反省から、有用な記述であることを証明した部分しか利用しないルールができた。
間違っていることを証明できない部分はとりあえず信用して研究する、なんていう手法は戦前以前の太古の手法。
目の前にある文面はあくまでも証言の一つであって、他の(引用物などの)諸証言と同程度の価値しかないとして、
それなりにしか扱わないのが現在の基本ルールだよ
zarakokuさんは何回言っても聞かない確信犯だよね >>221
>研究していろいろと失敗した
間違いだということも証明できなかったんだよね。
>有用な記述であることを証明した部分
「有用な記述であることの証明」はどこにあるの?
それはどの部分?
有用というのをどういう意味で使ってるのか知らないけど、有用であるか無用であるかは、その人の好みにすぎないんじゃないの?
正誤で言うなら、記紀に正があるという証明もまったくないんだけど?
君の言ってるのは、書いたものなんて間違いがあるに決まってるんだから、自分の見解にあう都合のいいところを使えばいいんだよ、という年寄りの繰り言そのままじゃない? 論文の書式でサマリー→イントロダクション→マテリアル&メソッド→リザルト→ディスカッションと続くべきところをメソッドの項がおかしいと、
書式がおかしいから書き直さないと受理できないと言ったら言論封殺だと騒ぎ立てるようなレベルのおかしい行動はイイカゲンに止めてくださいzarakokuさん
そこを直さないと舞台に上がる権利がありません。思想信条の如何に関わらず、門前払いされるのが当然なのです。 >>223
横だけど、「メソッド」がおかしいかおかしくないかなんて、ただの主観じゃないか?
1人1メソッドという世界だってあるし、メソッドの構築自体が学問でもあるんだから。 メソッドにどういうことをどんな風に書くかという点にもルールがある
ルールに従った内容と書き方が必要で、
古田式はそのルールに従ってなかった >>225
どういう意味でメソッドと言ってるの?
アプローチの仕方、という意味なら、その研究対象によっても人によっても違う、というより、それが研究そのものだといってもいいんだが? 方法はいろいろあっても、それらが最低限度満たさなくてはならない水準というものはある スポーツに例えるなら、それをスポーツたらしめるルールだな
サッカーでボールを持って走ってドヤ顔してる奴は相手にされない >>227-228
具体的にはなにも書けないんだね。
自分で意味も分からずに聞きかじりの言葉を並べるから、なにも書けないんだよ。
サッカーといえば、面白いインタビューが載ってた。
リトバルスキーが日本のサッカーについて語ってる。
「ドイツでは他と違うものを持った子を発掘しようとする。でも日本は、上手いけれども環境に適合する子だけを求める傾向がある」
「中央でプレーするMFは、環境に適合しようとするタイプが多い。でもアウトサイドの選手は、1対1でしっかり相手と闘わなければならない」
「一番大事な仕事に対する“言い訳”を探すようになる」
(https://the-ans.jp/column/5838/)
日本の風潮を言い当ててるよね。
最近のサッカー界は、国際化して少し変わってきてるだろうが、閉鎖的な日本の学問の世界には当てはまるかも知れないね。 そりゃまあ、ルール違反を認めたら古田説全面崩壊だからな
それの信憑性如何に関係なく、何であっても否定せざるを得ないわな
古田支持者か否定するのは当然だが、その否定理由がマトモかどうかは注目されてるよ >>232
反論できなくなると、「ブーメラン乙」・・・
わかりやすい人たちだなw >>231のレスが「中身のない悪口」ではないと思うヤツって、おかしいよな。 また転写保存
247の>>889
客観性や信頼性の高い同時代史書の魏志倭人伝を偽書だと言い、
「倭国の存在や歴史」を隠蔽抹殺する古事記は、真書だぁ!、 日本書紀は真書だぁ!
モノホンはツガルのみ!!!などと、
意味不明な事を叫ぶ大和説者は、アレですね。 別スレの書き込みへのレスを書くという行為はどう考えても異常 別のスレどころかよその掲示板へのレスまでやってたKITTYまでいるぞ 吉本隆明という在野の思想家がいたけど、その研究の深さと論理の強さで、論争は負け知らずだったな。
大学人たちは怖れをなして、誰も吉本に論争を挑まなくなったばかりか、吉本に批判されると、その議論から逃れることが常になっていた。
古田にも、似たような状況があるな。
大学人は古田の論点を避けて、逃げているようだ。
もともと、思想や文学では、大学人というのはおまけ扱いされてるからしょうがないけど、歴史学は大学が牙城なんだから逃げちゃいけない。
倭人伝や記紀に関する業績では、古田や安本といった事実上の在野の人に、むしろ優れた業績が見られるということを認めるべきだと思うな。 吉本氏がどういう状態かは知らないけど古田氏は擬似科学/似非科学のやり方に近い
表現方法とか、そっくりだよ >>240
史料にまともに向かい合ってるという意味で、他の学者にはない姿勢だとはいえるな。
以前の大家のものを読むと推測ばかりだ。
いまでも、資料をきちんと読みこなそうという人は多くはないみたいだけど、少しは出てきてるんだろう。 リザルトとディスカッションの区別すらできてない人か
推測はリザルトじゃなくディスカッション部に書かれるものだ。そこを結論と勘違いしちゃうような人は学問に向かない。 「壹」を「臺」の字に
「南」を「東」の字に
「月」を「日」の字に
自分の説に都合よく自由に変更するという
共同改定があたかも普通のことであるとしたのは
古代史における共同幻想論であるといえるかもしれない 三国志/魏志倭人伝が他の史料同様に少なからず間違っているという前提にたつ通説が、
魏志倭人伝以外のものを論拠にして誤りと思われる部分を無視するのは、
前提と矛盾しないから問題ない
信じ通すと言って誤りがない前提で解釈しようとする古田説が曲解の果てに
架空の単位系を作ったりする行為と比べたら、ぜんぜんフツー >>218
>史料に書かれていることは何でも正しいみたいな盲信は普通の研究者はやらない<
当たり前。古田さんらも「先に史料の信頼性の史料批判」をされる。
>とりあえず信じ通すとか異常な発想をする人が特殊<
古田さんの「信じ通す」は、史料批判に拠って、客観性や信頼性が高い事を確認されたものについて、という原則論。
>まず最初に、この史料のこの記述はどの程度まで信じていいかを研究する
多くの研究者は魏志倭人伝の記述に少なからぬ間違いが含まれてると想定するので
全面的に信じるような態度をとらない それだけだ<
古田さんも、「間違いはあるもの」という事が前提で、史料批判に拠って信頼性の確認をされた。 >>219
>そして、その当然の態度を嘘吐き呼ばわりする誹謗中傷ザラコクが
良識を欠いた悪い態度での投稿を繰り返していることは疑いの余地のない事実 <
史料批判に拠って、
「南」は99.9%以上間違っていないし、
「邪馬台国」なんて存在もしないし、
「大和説→畿内説」もダマシであるし、
大和は、筑紫城の倭奴國から別れた別種の旧小国であったから。
>ただ、だからと言ってザラコクが現実生活でも良識を欠いた生活態度をとっているとは限らないので、
批判の対象は氏の掲示板投稿だけに限るべき いくらこのスレ内で最もひどい態度の中傷常習犯であってもな<
確率の非常に高い文字や推論を否定する人種は、世のためにならず、黙過し難いから。 >>221
>そういう手法で研究していろいろと失敗した反省から、有用な記述であることを証明した部分しか利用しないルールができた。<
こりゃ駄目だな。
確率の高低があったとしても、ほぼ全ての史料には、信頼出来る部分が僅かでも存在するもの。
それを始めから抹殺してしまえば、その方が「普遍性を欠く」事になってしまう。
>間違っていることを証明できない部分はとりあえず信用して研究する、なんていう手法は戦前以前の太古の手法。<
100%正しいと確定したものだけを研究する、なんていう手法は、戦前以前の太古の手法。
>目の前にある文面はあくまでも証言の一つであって、他の(引用物などの)諸証言と同程度の価値しかないとして、
それなりにしか扱わないのが現在の基本ルールだよ zarakokuさんは何回言っても聞かない確信犯だよね <
ダメだよ。
後代学者の「解釈や内容説明」は、あくまで状況証拠レベルに過ぎず、
前代史料を否定改変出来るようなものにはならないよ。 >>223
>論文の書式でサマリー→イントロダクション→マテリアル&メソッド→リザルト→ディスカッションと続くべきところをメソッドの項がおかしいと、
書式がおかしいから書き直さないと受理できないと言ったら言論封殺だと騒ぎ立てるようなレベルのおかしい行動はイイカゲンに止めてくださいzarakokuさん
そこを直さないと舞台に上がる権利がありません。思想信条の如何に関わらず、門前払いされるのが当然なのです。<
通説大和説者は、
「サマリー→イントロダクション」の段階で、既に、
「結論先にありき」での「南→東」の史料事実の改竄をして、循環論法になっているのですから、
論文の態をなしておらず、
門前払いされるのが当然なのです。 >>242
ブルシット 英語で書けば トゥルースに
外来語を使えば学問になる、のか・・・w >>227
>方法はいろいろあっても、それらが最低限度満たさなくてはならない水準というものはある <
いや、関係はない。
不可知部分が殆どである自然や歴史においては、
観察実験計測などの「事実確認情報」が最も価値があるのであり、
当然、それは殆ど全人類が全人類のために課せられた情報収集であり、
その情報提供には、当然水準とか方法とかの制約なんてあってはならないものであり、
日常会話であれ、掲示板であれ、制約を付けるべきものではない。 >>225に対する反論は、
2chに×にされたようなので、
「邪馬台国畿内説part248」の、>>856に保存した。 >>230
>そりゃまあ、ルール違反を認めたら古田説全面崩壊だからな <
そりゃまあ、「南→東」の嘘つきダマシのルール違反を認めたら、
大和説全面崩壊だからな。
>それの信憑性如何に関係なく、何であっても否定せざるを得ないわな<
個々の論理の信憑性如何に関係なく、何であっても大和説は否定せざるを得ないわな。
>古田支持者か否定するのは当然だが、その否定理由がマトモかどうかは注目されてるよ<
大和説支持者か肯定するのは当然だが、
「南→東」も含めて、その肯定理由がマトモかどうかは注目されているんだよ。 >>240
>吉本氏がどういう状態かは知らないけど古田氏は擬似科学/似非科学のやり方に近い
表現方法とか、そっくりだよ <
この投稿子が、通説大和説学会人であるのか?や、どういう状態かは知らないけど、
「南→東」の学会や、大学人や、掲示板での大和説投稿子らは、
擬似科学/似非科学のやり方に近い。
表現方法とか、そっくりだよ >>242
「南→東」などの嘘つきダマシの大和説者や大和説学者らは、思想宗教的な「結論先にありき」の循環論法で、
リザルトとディスカッションの区別すらできてない人か。
「南→東」は、リザルトじゃなく、ディスカッションの出発部分に書かれるものだ。
そこを結論と勘違いしちゃうような人は、始めから学問に向かない。 繰り返しますが崇神が4世紀初頭〜前半の時点で邪馬台国論争は終了です。
約60年前の台与が判明し、卑弥呼も判明、帥升も判明します。
■2世紀から4世紀まで
スサノオ(帥升)107年
・
・
・
・
ヒメ踏鞴 (3世紀初)神武
ヒメ踏鞴 綏靖
ヒメ踏鞴 安寧
トヨ津 懿徳 孝昭
トヨ津 孝安
磯城の台頭 孝霊 孝元 開化
崇神(4世紀初〜前)
反論は対抗軸として別人物を出してください。
多分いないと思います。
卑弥呼の墓は高天原(御所市高天)にあります。
日本最古の神社がお守りしています。
https://goo.gl/DA7WRZ >>244
>三国志/魏志倭人伝が他の史料同様に少なからず間違っているという前提にたつ通説が、
魏志倭人伝以外のものを論拠にして誤りと思われる部分を無視するのは、
前提と矛盾しないから問題ない<
問題大有り。
この投稿子は、史料の信頼性や客観性に関する史料批判を全くやっていないし、
後代史書のような、
「後代の別人の間接的な判断や解釈が、前代の直接的見聞記録に勝る事が殆どない」
という事も判らず、
同時代や前代文献であっても、古田さんのように、
「倭人伝の解釈の直接的根拠は三国志全体の記載の方が最も根拠になる」
という事も判っていない。
>信じ通すと言って誤りがない前提で解釈しようとする古田説が曲解の果てに<
ウソを付くな。古田さんは、「誤りが有り得る」という意見だ。
>架空の単位系を作ったりする行為と比べたら、ぜんぜんフツー<
この投稿子は、「南→東」だけではなく、人間性そのものが異常。 >>245
>古田さんも、「間違いはあるもの」という事が前提で、史料批判に拠って信頼性の確認をされた。
口ではそう言ってるけど、実態として三国志本文に誤謬がないと証明するための検討しかしておらず、
検討手法の誤りゆえに実質的には検討してないも同然の状態になってるんだよ
現存文面の絶対性を強弁するための言い分けづくり以外の役割を果たせてない。 >>247
>確率の高低があったとしても、ほぼ全ての史料には、信頼出来る部分が僅かでも存在するもの。
おかしな前提ですね。
信頼できる部分が必ずあるとは限らないとの認識こそが妥当なのに。
>100%正しいと確定したものだけを研究する、なんていう手法は、戦前以前の太古の手法。
その頃の想定で正しいと考えられていた部分にも今では数多くの誤りが発見されてるけどね。
その一方で、ゴミの山の中から宝石を拾い集める的な研究はたしかに活発になった。
唐の律令の文面にしろ大宝律令にしろ、散逸して原文が失われたものを断片を拾い集めて復元を試みる研究などのような、
古田氏の方法とは逆の方向性の素晴らしい研究が多く積み重ねられてきているよ >>250
自然科学の学術論文が、水準未満だとリジェクト(落選/突っ返し)されることも知らないんだね
発表媒体が多く存在するバイオサイエンス分野とかだと、超マイナーで読者がいないような論文雑誌なら審査基準が甘い傾向があるのはたしかだけど、
それでも審査フリーで安易に掲載されるわけではないよ >>251
あいかわらず2chの投稿ルール違反での規制を受けたのを武勇伝と受け取ってるような俺様投稿ですね
zarakokuさんの傍若無人ぶりは一向に変わりませんね >>257
>>古田さんも、「間違いはあるもの」という事が前提で、史料批判に拠って信頼性の確認をされた。<
>口ではそう言ってるけど、実態として三国志本文に誤謬がないと証明するための検討しかしておらず、<
ウソを付くな、・・・・サギシ。
三国志本文に誤謬がある可能性もある」という事が前提であったから、三国志全体の「壹」と「臺」の全調査をされた。
>検討手法の誤りゆえに実質的には検討してないも同然の状態になってるんだよ<
「検討手法の誤り」なんて存在しないし、それが不確定情報であっても、「完全な誤り」には全くなっておらず、
全体としては、「ほぼ100%誤りはなかった」。
>現存文面の絶対性を強弁するための言い分けづくり以外の役割を果たせてない。<
思想宗教にクルった大和説者は、
1%位の例にイチャモンを付ければ、それで「全部を否定出来た」、
とする妄想や宣伝をする・・・・ばかり。 >>259
まるで論点が違ってるよw
ま、それはいいとして、専門誌の審査を査読というね。
でも、哲学の専門誌の査読のレベルがどういうものなのかをあからさまにあばいたのが、ソーカル事件だ。
自然科学系だと、超能力や捏造論文なんかをまじめに取り上げちゃったこともあるw
専門誌といっても、文系理系を問わず、レベルが高いわけでもなく、かなり偏っているものなんだよ。
学術論文、などというものをありがたがっても、その大半はマニアの素人以下のレベルだということは、知っておいた方がいいよ。 >>258
>>確率の高低があったとしても、ほぼ全ての史料には、信頼出来る部分が僅かでも存在するもの。<
>おかしな前提ですね。<
不可知部分が殆どである自然や歴史においての、情報に対する最も正確な処理。
だから、「南→東」の嘘つきダマシの・・・・大和説者の情報であっても、
倭国の存在や歴史を抹殺しようとした半分偽書の記紀であっても、
0.5%位の事実部分があるんだろう、と認めている。
>信頼できる部分が必ずあるとは限らないとの認識こそが妥当なのに。<
大和説者は、口でそう騙して、実際には「南→東」のような全く可能性がない論を主張する・・・・。
>100%正しいと確定したものだけを研究する、なんていう手法は、戦前以前の太古の手法。<
>その頃の想定で正しいと考えられていた部分にも今では数多くの誤りが発見されてるけどね。
その一方で、ゴミの山の中から宝石を拾い集める的な研究はたしかに活発になった。
唐の律令の文面にしろ大宝律令にしろ、散逸して原文が失われたものを断片を拾い集めて復元を試みる研究などのような、
古田氏の方法とは逆の方向性の素晴らしい研究が多く積み重ねられてきているよ<
嘘を付くな。
古田さんが、見捨てられた三国志や記紀などの微細が情報から素晴らしい研究をされ、
大和説学者の方が、「南→東」のような嘘つきダマシ説を捨てない状況だ。 >>259
>自然科学の学術論文が、水準未満だとリジェクト(落選/突っ返し)されることも知らないんだね <
「水準未満だ」とするのは、勿論「国家権力的学者の自由であり勝手である」が、
そんなもので、不可知部分が殆どである自然や歴史における「国家権力学者らが知らない情報」を、
完全に否定抹殺する事が出来る筈がないよ。
>発表媒体が多く存在するバイオサイエンス分野とかだと、超マイナーで読者がいないような論文雑誌なら
審査基準が甘い傾向があるのはたしかだけど、
それでも審査フリーで安易に掲載されるわけではないよ <
審査にパスするとか掲載されるとか?は、
審査する人間の思想宗教や能力に拠るだけのものであり、
そんな人間も、自然や歴史の不可知部分の全てを知っている筈もなく、
完全なもので有り得る筈もない。 >>260
>あいかわらず2chの投稿ルール違反での規制を受けたのを武勇伝と受け取ってるような俺様投稿ですね
zarakokuさんの傍若無人ぶりは一向に変わりませんね <
武勇伝なんて、何の関心もない。
あいかわらずの大和説者らの、「南→東」などの「史料事実の否定」の嘘つきダマシや、
2chやYahooの「通説派の悪口雑言投稿の許容」などの偏向的規制の傍若無人な姿勢が、
一向に変わらず、
素人オジンにとっては、
日本や国民のために黙過し難い、
と思っているだけ。 >>261
(オレ)>口ではそう言ってるけど、実態として三国志本文に誤謬がないと証明するための検討しかしておらず、<
z> ウソを付くな、・・・・サギシ。
z>三国志本文に誤謬がある可能性もある」という事が前提であったから、三国志全体の「壹」と「臺」の全調査をされた。
呼吸のように自然な罵詈雑言、ありがとう。誹謗中傷連投ナンバーワンの称号は君のものだ。
さて古田氏のその検討は実際のところ誤謬がないと決めつけるための不適切な検討方法にしかなって折らず、
学術的意味はないと内外の文献学者から批判され、古田氏が市民運動的方向に舵を切るきっかけとなったヤツですね。
古田氏はこのときの批判に対し適切でない応対をしてしまい、学問から逸れてしまったのですね。 >>262
>でも、哲学の専門誌の査読のレベルがどういうものなのかをあからさまにあばいたのが、ソーカル事件だ。
ええと、古田説は歴史学じゃなくて哲学なんですか? >>264
学術論文の査読をする人の多くは「国家権力的学者」などというわけの分からない存在とは違いますし、
仮に投稿先の査読担当学者のリジェクト理由が気に入らなかったら別の学術雑誌に投稿することで権力の介入を避けることはできます。
古田氏は、第一論文だけは学者として論争の舞台に上がったものと受け取られ学者との議論が起き始めたはずだったのですが、
その後の応対が学者として不適切な形になっていったことであきれられ、やがて問題外の人物として黙殺されるに至ったのです。 >>267
歴史学も哲学も学問だよ?
もちろん、畿内説も学問ではあるけど、宗教色が強いから学問と宗教の中間かも知れないね。 >>268
学術論文の査読をする人の多くは大学人だから、「国家権力的学者」だよ?
なにしろ、日本で大学が国家権力から独立していたのは、戦後の20年ほどだけだったからね。
ちなみに、「応対が学者として不適切」というのは、大学人が論争から逃げるときの決まり文句だな。
だから日本の学問の世界には、人的な派閥という、わけのわからないものができちゃうんだよね。
多くの優秀な学者が、師と考えを異にするばかりに大学から離れて行かざるを得ないのが、日本の現状だ。
ま、解説書の丸写しだろうとコピペだろうと、師に好かれていれば博士号がとれるのが日本の学者の世界だからねえ。 ビジネスのマナーをわきまえない非常識人を相手に取引してくれる顧客は少ない
>ちなみに、「応対が学者として不適切」というのは、大学人が論争から逃げるときの決まり文句だな。
お前さんはいつも契約を断られてばかりのお荷物社員ではないか? >>271
議論に負けると、いつものように悪口になるんだねw あまりにも無残でみすぼらしい態度を見かけて、心底からあきれかえってるだけだよ
それよりお前さんこそ悪口以外に何か言ってるのかね? >>273
また、悪口かよw
少しは、内容のあることを書いてごらん。
ま、畿内説論者は論破されまくりだから、内容は一切書けなくなっちゃったんだろうな。
倭人伝の話題でも、記紀の話題でも、倭の五王の話題でもいいんだけどねえ・・・ また邪馬台国畿内説の249の>>739が×になったようなので、転写保存。
>・卑弥呼は2世紀の終わりごろ共立されたとすれば、<
卑弥呼は、魏使らが見たときに「長大≒30〜35歳」なんだから、
20歳で共立されたとしても、240年頃の10〜15年前になり、
だから、共立は、225〜230年頃になる。
>その墓は古墳が出現した近畿の大和であり、
卑弥呼の邪馬台国は古墳時代の近畿の大和にあったと考えられる。<
こりゃ「南≠東」だし、「邪馬台国」なんて存在もしないし、 循環論法であるから、始めから×だ。
>・邪馬台国が弥生時代から存在したとすれば、首長墓のある伊都国しかその候補はない。<
これもダメだな。 平原は「大作冢、徑百餘歩、jun葬者奴婢百餘人」に全く合わないし,
祇園山なら、列島で唯一、「ほぼ合う」。
>・平原が卑弥呼の墓ではないかという話があるが、そうは考えていない。
平原の被葬者は卑弥呼と 親子関係なのではないか。<
これが柳田発言だとすれば、柳田は分裂幻覚妄想の脳の病人だな。 >>266
>>>口ではそう言ってるけど、実態として三国志本文に誤謬がないと証明するための検討しかしておらず、<
>> ウソを付くな、・・・・サギシ。
古田さんは、三国志本文に誤謬がある可能性もある」という事が前提であったから、三国志全体の「壹」と「臺」の全調査をされた。<
>呼吸のように自然な罵詈雑言、ありがとう。<
この投稿子のように、事実を曲解捏造して、それで人を誹謗罵倒宣伝をする人種は、国民や正義のために、黙過し難い。
>誹謗中傷連投ナンバーワンの称号は君のものだ。<
誹謗中傷連投ナンバーワンの・・・・の称号は君のものだ。
>さて古田氏のその検討は実際のところ誤謬がないと決めつけるための不適切な検討方法にしかなって折らず、<
いや、誤謬がない、と思えば誰も検討をしない。誤謬があるかも知れないと思ったから、古田なんは検討した。
>学術的意味はないと内外の文献学者から批判され、<
従来の大和説の学者らからの反論は、古田さんは、ほぼ全てきちんと反論され、再反論は殆どなく、終了した。
そして、自然科学者を中心とした人々からは、非常に強い支持を受けた。
>古田氏が市民運動的方向に舵を切るきっかけとなったヤツですね。<
古田さんは、「市民運動」など全く関心がなく行動もされず、むしろ日本国のため、というやや国粋的発言もあった。
支持者の中に勝手に市民運動をした人がいただけ。
>古田氏はこのときの批判に対し適切でない応対をしてしまい、学問から逸れてしまったのですね。<
古田さんは、反論を心待ちにしておられたが、反古田の方が、議論に負けて、勝手に撤退してしまった。 >>277
古田武彦 1926年(大正15年)8月8日 - 2015年(平成27年)10月14日)
東北帝国大学卒、元昭和薬科大学文化史研究室(歴史学)教授。
親鸞等の中世思想史と古代史の研究において著名。 >>274
悪口しか言えないやつに言われても困る
>>276
>この投稿子のように、事実を曲解捏造して、それで人を誹謗罵倒宣伝をする人種は、国民や正義のために、黙過し難い。
あなたのような人が叩かれる理由そのものですね >>280
少しは内容のあることを書けってw
倭人伝の話題でも、記紀の話題でも、倭の五王の話題でもいいんだぞ? >>281
お前さんこそ、「お前モナー」と言い返されないようなレスを一つぐらい投稿してから言ってくれ
お前さんの内容云々発言でお前さんにも該当する内容ではないものが見つからないぞ。 >>282
それなら、倭の五王の話題にしよう。
君は、倭の五王は、記紀に出てくる天皇に比定することができると言う意見かな?
そうなら、その比定と、その根拠をあげてくれ。 倭の五王が記紀に出てくる天皇ではないと考えるのは難しいが明確に比定するのは困難
という立場だな
倭の五王の候補者たり得る規模の政権をヤマト以外に見いだすことは、考古学的に言って困難だと考えている
五王の時代の九州の遺跡は、すでに九州の一部しか領有できない弱小政権に堕しているからなあ >>284
>五王の時代の九州の遺跡は、すでに九州の一部しか領有できない弱小政権に堕している
具体的な根拠は? >>284
>五王の時代の九州の遺跡は、すでに九州の一部しか領有できない弱小政権に堕しているからなあ
邪馬台国伊都説に対する批判と同じ文面でワロタ >>268
>学術論文の査読をする人の多くは「国家権力的学者」などというわけの分からない存在とは違いますし、<
そりゃ、「査読をする人」にも、国家権力志向的な人間もおりゃ、公平で純学問的な人もおるんだろう。
しかし、学術論文の査読機関の上位に位する人間は、国家権力の意図に逆らうものは、選ばれないものだ。
>仮に投稿先の査読担当学者のリジェクト理由が気に入らなかったら別の学術雑誌に投稿することで権力の介入を避けることはできます。<
そんな事は、その論文の筆者の自由であり、
「別の学術雑誌」においても、「国家権力に迎合する査読者」がいる可能性もある。
>古田氏は、第一論文だけは学者として論争の舞台に上がったものと受け取られ学者との議論が起き始めたはずだったのですが、
その後の応対が学者として不適切な形になっていったことであきれられ、やがて問題外の人物として黙殺されるに至ったのです。<
いや、古田さんは、通説学者や大和説学者らからの批判文に対しては、
知り得た全ての批判に対して真面目に学術的に対応反論され、
その結果、批判学者らは、全て、再反論が出来ずにこっそり隠れてしまった、という事が実態であった。
しかし、この投稿子も変な男だねえ?。
「その後の応対が学者として不適切な形になっていった」という事の実態を全くしゃべらず、
口先での「古田誹謗」文言ばかりを書いている!。 >その後の応対が学者として不適切な形になっていったことであきれられ、
やがて問題外の人物として黙殺されるに至ったのです。
このプロセスがいかに日本のダメなところか、すでにみんなの方が知ってるんだよね。
どれだけの遺跡や埋蔵物が「圧力」で破壊されたか。
特に、それを法律で強力に規制されている奈良というド田舎の学者は、他のところが
どれだけ遺跡の破壊に悩まされてるか知らないんだよ。
九州なんて、破壊というより連続的な居住で分からなくなってるケースも多いし、
勿論都市部を簡単に掘り起こすなんてできない。
後は、なぜか畿内説の太宰府天満宮の管理人などといういかれたのもいてw
いつまで大和の命令を引きずってんだか。アホ。 >記紀にヒミコが記載されていないのだから
記紀にヒミコが記載されていないという天動説に固執するのはきみの自由だが、
未来永劫の敗者になることを覚悟しろ。
ヒミコは記紀でイの一番に記載されている。
これが真理だ。
■2世紀から4世紀まで
スサノオ(帥升)107年
・
・
・
・
ヒメ踏鞴 (3世紀初)神武
ヒメ踏鞴 綏靖
ヒメ踏鞴 安寧
トヨ津 懿徳 孝昭
トヨ津 孝安
磯城の台頭 孝霊 孝元 開化
(4世紀初〜前)崇神 >>271
>ビジネスのマナーをわきまえない非常識人を相手に取引してくれる顧客は少ない<
古田さんは、種々の新聞や論文や文書での批判文に、出来るだけ全てマナーをわきまえた常識人としてお返事をされた。
そして、議論の結果、批判文筆者は、ほぼ全て「再反論無し」に議論から撤退してしまった。
>>ちなみに、「応対が学者として不適切」というのは、大学人が論争から逃げるときの決まり文句だな。<
>お前さんはいつも契約を断られてばかりのお荷物社員ではないか? <
お前さんも、ひょっとしたら、
いつも、古田さんの反論に、再反論をする事が出来なかった「通説尾大和説の荷物学者」ではないか?。 >>273
>あまりにも無残でみすぼらしい態度を見かけて、心底からあきれかえってるだけだよ
それよりお前さんこそ悪口以外に何か言ってるのかね? <
この投稿子は、また、具体的な事実関係での反論をせずに、
議論相手への、口先での匂わせ誹謗の宣伝投稿をしているだけの、
通説大和説者の宣伝マンのような記載ばっかりだねえ。
2chやYahooには、こんな投稿子が一杯いました。 >>291
古田さんって野球の?
ID野球の申し子と言われたあの古田さん?
奥さんがアナウンサーだね。
古代史と関係ない話はやめてくれ。 >>280
>>この投稿子のように、事実を曲解捏造して、それで人を誹謗罵倒宣伝をする人種は、
国民や正義のために、黙過し難い。<
>あなたのような人が叩かれる理由そのものですね <
あなたのように、具体的な事実関係に拠る反論をせずに、
「あなたのような人が叩かれる理由そのものですね」というような、
口先で相手への誹謗宣伝をする人種の存在が、黙過し難いんですよね。 >>288
>しかし、学術論文の査読機関の上位に位する人間は、国家権力の意図に逆らうものは、選ばれないものだ。
ありもしない「査読機関」を妄想しちゃってるんですね
オレ>仮に投稿先の査読担当学者のリジェクト理由が気に入らなかったら別の学術雑誌に投稿することで権力の介入を避けることはできます。<
>そんな事は、その論文の筆者の自由であり、
>「別の学術雑誌」においても、「国家権力に迎合する査読者」がいる可能性もある。
普通は論文の採択を目指して、載せてもらえそうな雑誌を探して回ります
雑誌が多い生命科学分野なら、読者の多いCELLなりNatureなり、あるいは各専門分野の一番人気雑誌なりをねらい、
そこが無理そうならマイナー雑誌狙いという感じかと
どうしても無理そうならば超マイナーの不人気雑誌を狙って何誌か試します
マイナー雑誌は小グループの「御山の大将」が居ることが多いので、その指向性次第では、箸にも棒にもかからないようなゴミ論文でも掲載してもらえる可能性があるんですよ
まあ古田氏のような人気狙い型の人ならマイナー指向は避けるかもしれませんね。
僕ならマイナーでも載らないよりマシと、読者実数が一桁レベルの(買ってる人はいても読んでる人がいないゴミ雑誌って意味でね)トコでも挑戦しますがね
発表さえできれば読者がいなくてもいい、的な投稿姿勢を選ぶかどうかは自由ですからお好きなように。 >>291
>古田さんは、種々の新聞や論文や文書での批判文に、出来るだけ全てマナーをわきまえた常識人としてお返事をされた。
>そして、議論の結果、批判文筆者は、ほぼ全て「再反論無し」に議論から撤退してしまった。
古田説支持側の人が書いてる大本営発表しか見てないあなたが、どうやって古田氏の実態を調べることができるのですか。
古田支持者の目で見たものしか、自己弁護しか書かれてないでしょ。 >>296
大本営というのは、軍の最高司令部で、いわば公権力の中枢のこと。
たとえとしても、古田支持の人たちには当てはまりそうもない。
公権力に近い大学人のことなら、まあ、わずかに認められるたとえかも知れないが。
畿内説の人は、ニッポン最高とか思ってるんだろうから、せめて、まともな日本語を使うように努力したほうがいいと思う。 結局、アンチ古田は、古田の言っていることではなく、古田が言っているから反対しているだけなんだ。
それはもう、学問じゃないな。 私は古田説を卒業します。
九州王朝説なんてアホらしくてやってられません。
古田は真正の痴呆でしょう。
彼を信じてた私も痴呆でしたが。
あんな糞野郎に騙されてたのかと思うと、チンコの皮がムケません。 >結局、アンチ古田は、古田の言っていることではなく、古田が言っているから反対しているだけなんだ。
アンチ古田派の人たちは、初期の論争でコテンパンにヤラレタから、恨み骨髄ってこと。 自分が敵と認識した者について、
画一的に捉えることしかできないのは、
完全に統合失調症だね。 297
大本営発表、という譬喩以外の点に全く触れないのはなぜだろうね。 >>303
あらためて悔しくなってきちゃったの?
>>296みたいな、思い込みだけで書かれてる君のレスに、なにか論点があるの?
君は、まともな批判が全くできなくて、ただ、古田氏とその読者の悪口書いてるだけなんだからw やあ、でがらしくん、元気そうだね。
君のレスは、独特の語彙や思考様式から、同定は簡単な部類だが、
296と303の投稿者を同定した根拠はなんだい。
ちなみに、303は私の書いたレスだが、296はそうではない。
もっとも、証明する術は無いに等しいが、それは貴方も同じこと。
君が言うには、私は悪口を書いたそうだが、それはどのレスのことかね。
そして、どうして私が書いたものだと断定できるのかね。 >>305
ああ、君は論理のない畿内説君だね。
年齢もかなり高く、アンカーのつけ方も知らないのか、知らない振りをして自演したいのかのどちらかなんだろうね。
>>296に対するレスが>>297、その>>297に反応した無内容なレスが>>303。
別人なら、他人の会話に自分を明らかにせずに口を挟む、とんだ横やり爺さんだということになる。
>>303と>>296が別人だとしたところで、同じ精神構造を持ってる人間同士だから、論理的な話をする場合は、同じ人間として扱ってもまったく問題はないな。
僕は君の自演だと思ってるけど、そんなことはどうでもいいよ。
ちなみに教えてあげるけど、相手を「でがらしくん」とよぶのは、それだけで悪口だよw >>306
周りから見たら、君が一人でまわりに毒を撒き散らす害獣のように見えるよ。 >>307
それも悪口だねw
ちなみに普通の人には、なんの根拠もなく、ひたすら古田氏の悪口を書き続ける「君が一人でまわりに毒を撒き散らす害獣のように見える」んだよ?w >>301
うむ
自分に異を唱える複数人物を同一人物と思い込む悪癖は、
特に古田信者に顕著だな
明らかに別人なのに一人と思いこんじゃう病気 >>308
君自身が悪口しか言ってないのに他人の発言を悪口しかないと言い切って貶す、
誹謗中傷の常連だよね
自分が言ってることが悪口であることすら理解できない程度の知力しかないのかい?
違うよな。ただの確信犯だよな。 >>309-310
そんなことより、魏志倭人伝の話をしようよ。
倭の五王の話でもいいよ。
もちろん、寛政原本の話でもいい。 倭人が支配した新羅『新羅本紀』
紀元前50年 倭人達が兵を率いて辺境を侵
紀元前20年
瓠公という倭人、瓠を腰につって海を渡って来たために瓠公と称した。
諸王に仕えた重臣で。金氏王統の始祖となる金閼智を発見する。
新羅の3王統の始祖の全てに関わり新羅を建国した倭人である。
初代新羅王の赫居世居西干の朴姓も同じ瓠で同一人物。
後に倭人の四代目新羅王、脱解尼師今が新羅に着いた時に瓠公の家を継いだ。
この瓠公の屋敷が歴代新羅王の王城である月城。
新羅の王族3姓(朴・昔・金)のうちの昔氏始祖。
朴氏初代の朴赫居世朴氏=瓠公は倭人であり。
金氏始祖の金閼智(第13代味鄒尼師今の7世祖)説話では、
鶏の鳴き声を聞いたので瓠公が調べると、金色の小箱なかから小さな男の子が現れた。
金の小箱に入っていたので「金」を姓とした。
新羅の王族3姓(朴・昔・金)の起源は倭人であり倭人が支配した。 すでにネタなど尽き果てたんだから、お前さんがネタ振りしないと議論は始まらないよ、でがらしくん
話題を提出するのではなくて自説を論拠付きで書かないとだめだ
まあ、書き込んだ論拠の大多数がゴミ扱いされるけどな >>313
また悪口だねw
じゃあ、また「壹」と「臺」の話から始めよう。
君はなぜ「臺」が正しいと思うの?
「臺」だとしたら、それを「ト」と読んで「ヤマト」に結びつけたいの? >>306
けっきょく、予断する能しかない。
ま、君はその程度の人だから仕方ないね。
>他人の会話に自分を明らかにせずに口を挟む、とんだ横やり爺さん
相変わらず、思考回路が浅くて薄いのね。
私が、男かどうか、年配かどうか、何を以て断定するんだろう。
口を挟まれるのが嫌いなら、君もまず自分がそうしたらいいのではないかね。
>同じ精神構造を持ってる人間同士だから
また決め付けか。
具体的に何らの証拠も挙げないで、自分に都合の良い主張を言い張るだけね。
296と303のような短い文章だけで、どうして同じ精神構造を持ってるなんて断言できるんだか。
何れにしろ、同定の根拠についても、悪口の実例についても、碌に挙げられないのでは話にならん。
>相手を「でがらしくん」とよぶのは、それだけで悪口
自分では悪口を続ける君でも、自分が言われるのは面白くないらしい。
他に君を呼称するに相応の単語が無いから、既存の定着したものを使ったに過ぎないが、
嫌で嫌でしかたがないなら、代案を示してくれないかね。
もっとも、悪口をやめない君に対して、みんなが従うかどうかは、私の保証しかねるところだが。
>>311
>そんなことより
自分への指摘は無視。実におめでたい。
そもそも誰も、でがらしくんと議論などしようとは、もう思わない。
過去スレで繰り返されたもので十分だろう。
好き勝手に踊ってこれからもみなを楽しませてください。 >>315
長々と悪口書いてるねw
スレに無関係なレスで論点をそらそうとするのは、醜い精神の表れだよ。
くだらないこと書いてないで、「壹」と「臺」の話をしようよ。 >>316
どちらでもヤマトと読めるらしいからどうでもいい。 >>317
邪馬壹をヤマトと読むの?
そんな読み方があるの? >>315
自分に不利な話題がでたから話題そらしですね。相変わらずの >>319-320
うん、話題を逸らしたくないなら、「壹」と「臺」の話題にしよう。
なにしろここは、古田スレだからね。
できないなら、君はただ、無知で醜い機内論者というだけのことになる。
>>317のレスについてはどう思う? >>321
壹の音素にTがあること、母音の連続が他の単語に見られないと解されることから考えると
壹の発音として想定しうるのは母音抜きのT音だけだろうな
yamait国にしろyamat国にしろ、当てはめるならヤマト国ぐらいしか考えられないな 無邪気に「壹」を「臺」に読み替えたところで
奈良盆地は何時からヤマトと称されたのか押さえておかんとね
「謂所知初國」の[印惠命」の[御眞木入日子]から
奈良盆地は[ミマキ]と称された可能性が高いのはかろうじて確認できるが
天皇の号は8世紀初頭に武則天から貰ったということなら
ヤマトの称は元祖の[邪馬門]から同時にぱくったという可能性が大だな >>323
ミマキは御牧だろう、国名のような広域地名じゃなく単独施設の狭域地名だろうよ
盆地全体を指す名前とは思えない。
あと、邪馬門の三文字目はト音とは全く無関係だろ
モンまたはそれに類似の音しか想定し得ないから、邪馬門の読みとして想定しうるのはヤマモといったところ。
多少の訛りではヤマトに転ずる可能性などは考えられない。 [領域呼称]+[入]+[日子](卑狗) [yiri]
[領域呼称]+[世理]+[毘賣] [yori]
[領域呼称]+[津](都)+[比賣] [tu] 大和とはトの発音が違うと言われているが山門という地名もあるよ
門はモンだけでなくトに近い読みもあったのでは >>322
ああ、なるほど。
でも、古代の中国語はわからないけど、現代の音では〈yi〉に近いよね?
〈イチ〉とか〈イツ〉と読むにしても、日本語としては〈iti〉とか〈itu〉だけど、中国語では古代であっても〈yi〉とか〈it〉じゃないのかな。
〈ト〉は子音に母音の付いた開音節なのに、〈t〉は無声音だ。
僕は言語学の専門家ではないので、用語が正確ではないかも知れないが、意味するところは理解してもらえると思う。
中国人が日本語を聞いて書き表すときに、〈to〉という音を、〈yi〉は論外として、〈it〉という音で表すとは思えない。
この辺りは専門家の意見を聞きたいところだ。
一方で、倭人伝の地名などのすべての音が解明されているわけでもない現状で、「母音の連続が他の単語に見られない」ということを断定する根拠も聞いてみたい。 [邪馬門] : [領域呼称]+[門]
[邪馬戸] : [領域呼称]+[戸]
[邪馬外] : [領域呼称]+[外] >>326
そこについては、
a もとヤマトの名前だったところにあとから(おそらく中世に入ってから)山門の文字を当てたか
b もと山門の文字があってあとから(これも中世以降に)ヤマトという読みができたかどちらかだろ
傍証にもならん >>327
>一方で、倭人伝の地名などのすべての音が解明されているわけでもない現状で、「母音の連続が他の単語に見られない」ということを断定する根拠も聞いてみたい。
魏志倭人伝の他の人命地名もそうだからじゃない? >>330
もともとは倭人はあまり漢字を使っていなかった(伊都国の役人を除く)ので、やはり音が先にあったのではないかと思うね。
だから門をトに当てるのが中世の使い方でもいいんだよ。 >>331
すべての地名などの音が解明されているわけでもないのに、なぜ断定できるの? >>334
僕の寛政原本に対する見かたは変わっていない。
実物を見たことがない僕は、真偽を判断する立場にない。
いくつかの関連文書を読むと、真偽を〈確定〉するだけの根拠は提示されていないように見える。
確定されているのは、寛政原本の用紙が明治以降のものではないということ。
偽書であるという根拠は提示されていない。
僕の指摘は、これですべてだ。
倭人伝に、「壹」は現存するが「臺」は現存しない、という状況と似ている。
実物に触れたことがない第三者として言えることは、真書である根拠があり偽書であるという根拠はない、ということだ。
それだけで真偽は確定できない。
君が実物を見たのなら見た感想を聞きたいし、見てないのなら偽書とする根拠を聞きたい。
僕が違う主張をしているところがあるというなら、そのレスを引用してくれないか?
僕のレスを辿ってくれてるんだから、簡単だろ?
それにしても、僕のレスの〈追っかけ〉君がいると思うと、張り合いもあるし、うれしいよw >>335
>僕の寛政原本に対する見かた
私は>>334で「和田家文書」と総体的に尋ねたんだけど、
どうして君は「寛政原本」と限定的に言い換えるの?
その理由を教えてください。 >>335
いつも都合が悪くなると逃げてばかりだから、追っかけ、られるんだろうね。 >>336
和田文書全体については、真偽を判断する知識は僕にはない。
エピソードなどで真偽を判断できることでもない、と書いた記憶もある。
そうしたレスに対して、僕の主張が変わったとか変わらないとかの疑問が出るとは思えないから、寛政原本限定の話だと受け止めた。
寛政原本については、前にも注釈しておいたが、真であるという根拠しかないということが、それだけで僕が真書であると主張しているという誤解は、あり得ると思ったから再度レスしておいた。 >>337
逃げれば追いかけてくれるのかw
これからは逃げることにしようw >>335
>僕の寛政原本に対する見かたは変わっていない。
どの時点からなんだろう。
>>338
たとえば、このレスでは、「古田は偽書に騙された」という旨の発言をしているが、
http://yomogi.2ch.net/test/read.cgi/history/1414923526/169
ここで君が、完全とは言えないまでも、偽書として言及していた書物とは、具体的に何だね。 >>340
悪いんだが、過去レスは見られないので当該レスを引用してくれないか? >>341
いままで僕が逃げたというのは、どの話題? >>342-343
見れないというのは、どういう状況だね。
人大杉なら、少し待ってリロードすれば表示される。
scやログ速など、他のサイトでも見ることは可能だ。
ザラコクじゃないんだから、スレ番とレス番があれば、表示する方法は幾らでもあるだろう。
そもそも、自分の過去の発言について、記憶のみを頼りに述べて来た割りに、
このレスについては全く記憶に無いのかね。 もともと大和説であった新井白石や本居宣長が、
「天皇の朝貢」と言う切実な問題に直面、
窮余の一策として打ち出したのが九州説。
わざと論争を起こし、天皇の朝貢と言う問題を宙に浮かせるのが目的。
それが分からず300年間だまされ続けてるアホが九州説w
ゴキブリホイホイに捕まったゴキブリと変わらない。w
ましてや九州王朝説(大笑い)
大衆演劇「古田武彦一座」www
zarakokuも役者として登場、
役柄は「通りすがりのハゲ」www >>345
ああ、失礼。
あらためてURLを開いたら見ることができた。
このレスは東日流外三郡誌のことだろうね。
そのころは偽書だと思ってたんだろう。
自分の記憶というのは曖昧なものだということに、いまさら気がついた。
指摘してくれて感謝するよ。
このときは、ほぼ偽書だと思ってたんだろうね。
寛政原本の話を知らなかったから。
>>338については、以下のとおり、補足、訂正するよ。
以前は、東日流外三郡誌を偽書だと思っていたが、寛政原本の信憑性が出てきたから、東日流外三郡誌も偽書ではないのかも知れないと見かたが変わった。
自分では主張が変わったと思っていなかったが、記憶違いだった。
それにしても、2年前の話かよw
君のストーカー体質に、あらためて感謝w >>347
自身の不備を指摘されて、相手をストーカー気質と表現するのは、悪口ではないの?
どうして他人の悪口を指摘するのに、自分では悪口を言い続けるの?
>>347
>このときは、ほぼ偽書だと思ってたんだろうね。
>>335
>実物を見たことがない僕は、真偽を判断する立場にない。
2年前、東日流外三郡誌を偽書だと認識していたのは、主としてどういう理由から?
実物をいつ見たの? >>346
ああその通りだな。
で、天皇の朝貢はどう思ってるんだい? >>348
>相手をストーカー気質と表現するのは、悪口ではないの?
事実の指摘だけど、悪口でもあるね。
「ストーカー気質」じゃなくて「ストーカー体質」だけどね。
言葉は正確にねw
僕は悪口しか書かない人間をバカにしてるけど、自分が悪口を書かないなんて宣言してないよw
>実物をいつ見たの?
実物なんか見たことない。
何人かの感想を真に受けてただけ。
寛政原本の出現の話から、偽書ではない可能性があるな、と思うようになったんだろう。 >>348
そんなことより、「壹」と「臺」の話はしないの?
また、話を逸らして逃げる気? 俺が事実を指摘したレスをも悪口呼ばわりしたのが出涸らし君だしな >>352
事実ってなに?
性格がどうのというのは、事実とはいわないよ?
ストーカー体質っていうのも、悪口なんだからw >>350
>実物なんか見たことない。
実物を見ていなくても、偽書だと捉えていたのに、
実物を実見しないと真偽は判断できない、という立場に変わったのは、なぜ?
>何人かの感想を真に受けてただけ。
具体的には、誰のこと?
当時から真書派も偽書派も存在していたわけだが、何事にも慎重な態度の君が、
肝腎の古田も真書と考えていたのに、偽書であると真に受けていたのは、どうして? >>350
>言葉は正確にねw
体質よりも気質が、この場合は相応の表現かな、と思って直したんだけど、すまんね。
https://kotobank.jp/word/%E4%BD%93%E8%B3%AA-91236
https://kotobank.jp/word/%E6%B0%97%E8%B3%AA-50371
>僕は悪口しか書かない人間をバカにしてるけど、自分が悪口を書かないなんて宣言してないよw
悪口しか書かない人間って、たとえばどのレスを書いた人だろう。
その人が、悪口しか書いていないことを、どうやって確認するんだろう。
思い込んでるだけ?
私と物の見方や考え方が近い人は、「悪口しか書かない人間」とは、君のことだと認識してるよ。
>>351
じゃあ、当面の私の疑問が解決したら、再開しますよ。 >>354
>>350に書いたじゃないかw
原田氏の意見はどこかで読んだよ。 >>355
>悪口しか書かない人間って、たとえばどのレスを書いた人だろう。
そのレスの対に指摘してるよw
少なくてもそのレスでは、悪口しか書かない人間、だよw
>当面の私の疑問が解決したら、再開しますよ。
話を逸らして逃げてばかりいないで、ちゃんと再開してね。
とりあえず、「壹」と「臺」の話からね。 >>356
「寛政原本」が「発見」される以前から、
古田や信者らは、和田家文書を真書であると強く認識していたわけで、
そういった主張は各所で行われていたわけだが、
常日頃、古田の論理やら学問的態度やらを崇めているのに、
なぜ古田らの真書説を是とせず、原田ら偽書派の話を真に受けたのか。
不思議な話だ。
それに、原田らの説を容れていたのであれば、
「寛政原本」の出現を見ても、原田のようにこれを一笑に付すのが自然だろうに。
当時、「寛政原本」が発表されて、
真書派には、お墨付きを得たとでも言わんばかりの態度を示す者も居たが、
偽書派や判断保留の者たちからは、あんな代物のどこがこれまでの文書と違うのか、
こんな物しか拠り所にならないのでは、偽書と扱う他は無い、という状勢だった。 >>356
従前、東日流外三郡誌を偽書と考えていたのに、
「寛政原本」が出現してからは真書と考えるようになった、というのはおそらく少数派だろう。
べつに少数派がダメと言うわけではないが、自説を開陳するなら、
もう少し自身の思考過程や採用した論拠について、説明すべきではないか。
普段、古田を信奉しているのに、
こと、その言説の核心の一つである、和田家文書については、古田に与せず、偽書と認識していた。
その当時の、主たる理由は何だったのか。
古田が真書として主張した文章を、なぜ君は容れなかったのか。
また、「寛政原本」の出現以降、
それまで偽書と認識していたにも拘わらず、偽書派の主張は悉くを斥けるようになり、
笠谷の(鑑定と称する)所見だけを、金科玉条のごとく信頼するように至ったのは何故か。
筆跡鑑定を採用しないのであれば、笠谷の証言で採用しうるのは、料紙についての判断のみとなるが、
その料紙について、笠谷は観察しただけで、分析はしていない。
http://mimizun.com/log/2ch/history/1213876758/483- >>357
前段
「日本語に対する厳格な感性がある」と自称する割りに、自身の表現は粗雑なんだね。
悪口の件もそうだけど、他人の振りを見て我が振りを直す気が全く無いのに、
なんで自分のことは棚に上げて他人の指摘だけはしたがるんだろうね。
まあ滑稽で面白いから続けてくれて構わないけど。
後段
「臺」「壹」の問題については、過去スレで度々議論されたし、
私も投稿したけど、今になって何について話がしたいの?
いつも君は、議論が煮詰まって来ると、罵詈雑言だけになるから、
誰も相手にしなくなって、有耶無耶になるんだよね。
そういえば、ザラコクが連投するとレスできない、なんて言って逃げたこともあったね。
何の理由にもなってなかったけど。
ザラコクが居着いてしばらくになるが、最近はそういう逃げ口上を使わなくなったのはどうしてかな。
http://mint.2ch.net/test/read.cgi/history/1477753100/684
http://mint.2ch.net/test/read.cgi/history/1477753100/705
とりあえず、この辺りでも読み返して、
まだ何か言うことがあるなら、好きに書けば誰かが相手してくれるかもね。
http://mint.2ch.net/test/read.cgi/history/1477753100/n630-801
ちなみに一点、
http://mint.2ch.net/test/read.cgi/history/1477753100/704
ある時期までの所引テキストは、悉く「臺」となっていることから、
当時の三国志のテキストは、「臺」だった蓋然性がとても高いのね。 >>358-359
君はなにか勘違いしている。
僕が東日流外三郡誌を偽書と考えていたのは、真書である根拠が示されず、偽書である理由がいくつも提示されていたからだ。
ただ、偽書である理由も証明されているわけではない、ということは、君が見つけてくれた2年前の僕のレスにも書いてある。
真書である根拠がなく、偽書である傍証が提示されれば、偽書ではないかと考えるのは自然の論理だ。
ただし、傍証はあくまでも傍証だ。
そして「寛政原本」が発見されて、その原本の時代測定が行われた。
少なくとも、使用されている紙は明治以降のものではないということが、科学的に証明された。
それは、状況から判断された傍証ではなく、直接的な証明の一つだ。
論理上、どちらがより高い価値を持つかはいうまでもない。
しかし、用紙の時代が特定されただけでは、完全な証明になるわけではない。
だから、偽書という直接の証明はないが、真書であることの直接の証明がひとつある、という状況なのが「寛政原本」だ。
ちなみに、鑑定を批判するのは自由だが、間違っているという反論がまったくない以上、その鑑定を正とするのは当然だ。 >>360
前段は、ただの悪口だからレスに値しない。
後段は、繰り返しであるには違いないが、「臺」の蓋然性がとても高い、などといえる根拠は見たことがない。
他の史書には「臺」と書いてある、以上の論理があるなら、出してみてくれ。
出せないなら、「壹」であった蓋然性がとても高い、としかいいようがない。
この話もまた、直接の証明は現存する倭人伝には「壹」しかないこと、であり、他の史書には「臺」と書かれている、というのは、傍証に過ぎない。
「壹」ではない、とする根拠は一切提示されてないのだから。
間接的な状況証拠よりも、誤りだとは証明できない直接的な証拠を優位とするのが論理というものだ。 >>361
別に勘違い等していないよ。
当の古田が、笠谷の証言などよりも、内容の検討から、強く真書であると主張している。
それを全く採用しない君の姿勢が、とても不思議なだけ。
他の議論では、あれほど古田の主張を首肯しているのに、
どうして和田家文書についてだけは、笠谷の証言しか採用できないんだろう。
>使用されている紙は明治以降のものではないということが、科学的に証明された。
これも何度となく言われていることだが、「科学的に証明」なんて、なされていません。
笠谷自身、「あくまで目に触れた範囲での判断であり」と断っている。
目視のみで証明できるなら、笠谷以外にも実見した者、古田だって出来る。
古田も古文書の取り扱いに精通しているんだろうから、古田が江戸時代の紙だと思えば、それで足りる。
わざわざ日文研や笠谷の権威に縋る必要も無い。
>間違っているという反論がまったくない
都合の良い解釈、詭弁の典型例だね。
古田信者以外の学者から、是認された例はいかほどあるのか。
反論が全く無いんじゃなくて、普通の学者からは肯定も否定もされない、相手にされていないだけ。
そりゃそうでしょ。たんなる感想文にすぎない所見に、あれやこれや検討を加える必要が無い。
だいたい、「日本語に対する厳格な感性がある」のに、なんであれが「鑑定」なの?
サンプルについても、比較対象についても、手順も、手法も、何も明らかでない、ただ見ただけで、鑑定なの?
筆跡鑑定や年輪年代については、執拗に学問性を認めないのに、
紙の分析については、具体的に何をどうするか全く知らないのに、安直に是認するのも、
これまた不思議な態度。ただの御都合主義だからしかたないけど。 >>362
>前段は、ただの悪口だからレスに値しない。
君よりも他の人に読んでもらえばいいことだから構わないよ。
レスに値しないなら、全く触れなければ済むことなのに、それはできないんだね。
>「壹」であった蓋然性がとても高い
どこが論理なんだか。
ある時期までの所引テキストに「壹」が全く出現しないのだから、そんなことはありえません。
おわり。
そもそも、他の史書の所引テキストを排除する、合理的な理由が説明されたことが無い。 おや?、丸1日以上「2chに投稿拒否をされ、テスト投稿も拒否されていたから、
Yahooの九州王朝トピの投稿しておいたが、
さっき「テスト」投稿をしたら、通った。 >>363
>どうして和田家文書についてだけは、笠谷の証言しか採用できないんだろう。
>目視のみで証明できるなら、笠谷以外にも実見した者、古田だって出来る。
>なんであれが「鑑定」なの?
笠谷氏は証言じゃなくて鑑定結果の報告。
電子顕微鏡の写真も公開されているから、否定されるような鑑定なら、とっくに否定されてる。
目視と電子顕微鏡写真は、まったく違うもの。 >>363
写しではない文書が、発見者の筆跡と同じだという鑑定報告があるのかどうかは知らない。
筆跡鑑定が科学として成立するかどうかについての議論もあるが、それ以前にいくつかの文書は和田氏の筆跡とは似ても似つかない。
鑑定報告があるなら、教えてもらえるとありがたい。
年輪年代論については、単純な疑問を出しておいた記憶がある。
生育の場所と使用された場所は異なること、地域によって気候の変化が違うこと、日本のように高温多湿な地域では木片の残り方が偏ること、等々。
ネットで見る限り、そうした疑問に答えられるだけの資料が集まっているとは思えないし、専門家の間でも、そうした議論もなされている、限定的な学問であるようだ。
まったく水準の違う学問を、ごた混ぜにすることの方が、不思議というより、おかしな態度に見えるし、ご都合主義に見える。 >>364
>全く触れなければ済むことなのに
いままでも、悪口は悪口として指摘しているよ?
悪口を書いた人の自覚を促すために、ねw
>所引テキストに「壹」が全く出現しない
原文を引用したテキストがあるなら教えて欲しい。
知る限りでは、現代の意味での原文の引用ではなく、ただの概要の紹介だと思うんだが? >>366
レスの内容によるようだ。
外からはわからないが、禁止ワードがあるらしい。 >>297
大本営発表の説明を、典型例/典型的解釈のひとつとしてwikipediaでみてみよう
>大本営発表(だいほんえいはっぴょう)とは、太平洋戦争(大東亜戦争)において、大本営が行った戦況の公式発表。
>初期は割合正確だったが、作戦が頓挫した珊瑚海海戦(1942年5月)の発表から戦果の水増しが始まり[1]、以降は戦況の悪化に関わらず、
>虚偽の発表を行なった。転じて、権力者による信用できない情報も『大本営発表』と呼ばれる様になった[2]。
九州王朝説信奉者グループ内では、グループ内に限っては、総本山の公式見解は、まさに大本営と言える。
総本山やら支持者が作ってるサイト、情報ソース以外にも目を通す人ならともかく、支持者の発する情報ぐらいまでしか目を通さないような、
情報源を自ら制限しちゃうような人間にとっては総本山は紛れもなく大本営ですよ
>畿内説の人は、ニッポン最高とか思ってるんだろうから、せめて、まともな日本語を使うように努力したほうがいいと思う。
オレは別にニッポン最高とか思ってないけど、マトモな日本語を使ってないのはお前さんの方だと明白に分かる。
まともじゃないというか、むしろ単語を過剰に分解して文章を曲解してるのがお前さんだと言ったらいいのか。 >>298
逆だよ。
>結局、アンチ古田は、古田の言っていることではなく、古田が言っているから反対しているだけなんだ。
>それはもう、学問じゃないな。
古田信者は、古田説に反対してる文言なら内容にかかわらずすべて否定してるんだよ
信憑性を検討することなどなく、親古田か反古田かという点しか見ていない。
それは誰がどう見ても学問ではない。 >>327
>でも、古代の中国語はわからないけど、現代の音では〈yi〉に近いよね?
古代の発音が転訛して「イチ」発音になったように、古い発音では音素tが含まれていた。
ietイエット、表示できるかどうか分からない発音記号で書いたら ??t )
イという発音ならそれに適した他の文字があるんだから、音素tを含む文字をわざわざ選んだなら、元の発音に音素tがあったからと考えざるをえない。
まったく違った名前だったと想定するのは残念ながら困難だ。
もっとも、中古音ならともかく上古音では邪をヤとは読めないようだけどな。
その点を問題視する古田信者がなぜか見当たらない気がするのはなぜだろうな >>349
オレは天皇の祖先が朝貢していたと想定することに違和感も反感もないな
というか、奈良時代前後の時期の遣唐使だって実態は朝貢使なんだ。
で、古田説信者たちは天皇が朝貢していたことについてどう考えているのかな。
>>351
君は自分に不利な話題になったら話題転換するのが常態だと認識している。話を逸らすのはたいてい君だろ >>361
世の中には、古い和紙を転用して古文書を偽作する偽作かが数多く存在するという厳しい現実がある。
したがって、古文書の鑑定では紙の年代だけでは何の役にも立たないのが常識となってしまっている。
(年代が新しいなら偽作だと確定するが古い紙であっても偽作の可能性が小さくないので、偽物であることの証明手段として使うことは可能だが。)
したがって、
>そして「寛政原本」が発見されて、その原本の時代測定が行われた。
>少なくとも、使用されている紙は明治以降のものではないということが、科学的に証明された。
>それは、状況から判断された傍証ではなく、直接的な証明の一つだ。
直接証明どころか傍証にすらなっていませんね
>しかし、用紙の時代が特定されただけでは、完全な証明になるわけではない。
完全な証明になっていないどころか何の証明にもなっていません。
>ちなみに、鑑定を批判するのは自由だが、間違っているという反論がまったくない以上、その鑑定を正とするのは当然だ。
間違っているかどうかという問題以前に、仮に鑑定年台が正しかったところで無意味だから、反論する必要すらないんですよ >>363
>当の古田が、笠谷の証言などよりも、内容の検討から、強く真書であると主張している。
>それを全く採用しない君の姿勢が、とても不思議なだけ。
まあ、内容の検討を基盤とする真贋判定は学術的意味も論拠もゼロだしね
あんな荒唐無稽な説を信用しちゃってたらry( >>367
わざわざ否定するまでもなく、意味のないゴミ情報だから捨て置いてるだけでしょ
紙の年代が古いからどうだって? それだけで古文書だと証明できたなどとおめでたいことを言ってるヤツは学問に関わる資格など無い。
>>368
>筆跡鑑定が科学として成立するかどうかについての議論もあるが、
そういうシロモノだったら裁判で証拠として用いられるはずないでしょ
>年輪年代論については、単純な疑問を出しておいた記憶がある。
>生育の場所と使用された場所は異なること、地域によって気候の変化が違うこと、日本のように高温多湿な地域では木片の残り方が偏ること、等々。
他の地域、ほかの樹種の年輪年代研究者は数多くいる。
奈良の地での、古墳時代前後の時期の年輪年代研究者がほかにいないだけ。
もちろん、同業の年輪年代学者から疑義を唱えられるような研究ではないという実情はある。
疑義を唱えているという「専門家」というのは年代学者じゃなくて門外漢たる考古学者でしょ >>372
大本営というのは、国軍の最高統帥組織のこと。
特に戦時中においては、大本営の発表に反する報道は厳しく罰せられた。
国家権力そのものだといっていい。
古田氏の支持者にそんな力はないよw >>374
ちょっと勘違いしてると思うんだけど、漢字で書き表したのは陳寿、あるいは報告書を書いた魏の使者だ。
日本での読み方の変遷ではなく、魏の使者(あるいは陳寿)の読み方の問題だ。
日本語での読み方がどうであれ、古代の中国人がどう聞き取ってどう書き表したかが問題なのだ。
中古音だろうが上古音だろうが、日本での漢字の読み方などまったく問題にならない。 >>376
>古文書の鑑定では紙の年代だけでは何の役にも立たないのが常識
なんの役にも立たないことはないよ。
少なくとも、紙の年代はわかる。
真偽の話はそれからだ。
>直接証明どころか傍証にすらなっていませんね
用紙の時代特定だけでは不十分であるとしても、科学的な鑑定は直接の証拠のひとつだよ。
利害が反する人の証言よりは、ずっとたしかな証拠だ。
とりあえず、用紙の鑑定に反する鑑定、たとえば使用された墨が新しかったなどの鑑定はない。
>仮に鑑定年台が正しかったところで無意味
偽書派からは、なにひとつ科学的な鑑定が提出されていないことだけはたしかだから、いま存在する科学的な鑑定は、用紙の鑑定のみ。
それを無意味だといっても、偽書であるという根拠には、まったくならない。
科学的な鑑定では、真を肯定する結果がひとつあり、否定する鑑定は皆無、というのが現状だとしかいいようがない。
「古い和紙を転用して古文書を偽作する偽作かが数多く存在する」というなら、特に利害の反する人の証言には、多くの思い違いや主観的な判断が含まれる場合が極めて多い、という事実にも目を塞ぐわけにはいかない。
どちらにしても、現段階では、真偽を確定することはできない、というだけのことだ。 >>378
筆跡鑑定だけで判決が確定した例はないだろう。
他の証拠の補足として使われることがある程度。
有名な狭山事件でも筆跡は参考にされていない。
年輪年代研究そのものに異議を唱えているのではなく、日本のように古代から交易があり、高温多湿で残る樹木が極めて限定され、地域的な偏差が著しい国では、成果は限定的だと言っている。
年代学者であろうがなかろうが、この程度のことはただの前提に過ぎないだろう。 >>379
あんたも詭弁で話を逸らしてばっかりだねー
信者以外の人々に対する影響力の話なんか誰もしてないだろ
古田説の公式サイトのみを情報源とする信奉者たちにとっての、公式サイトの影響力の話だよ
それとも、お前さんは古田説の公式サイト以外からの情報をろくに調べもしないzarakoku爺さんみたいな人は実在しないと思ってるのかな?
>>380
上古音も中古音も中国での発音のことだよ、当時の倭人が中国人の発音をどの程度まで知ってたかどうかは不明だよ
上古音は後漢代まで、中古音は南北朝時代後期からとされていて、三国時代や西晋代には上古音だったか中古音だったかは不明瞭だ
>>381
>なんの役にも立たないことはないよ。
>少なくとも、紙の年代はわかる。
古文書の世界での常識からすれば、偽書の可能性がゼロではないと分かったところで意味は薄いんだよ
その程度のことが分かっても、本物の可能性が高いとは言えないんだから。
ゼロではないが限りなくゼロに近いという状況のままでは、論拠どころか傍証にさえ使えないよ
極めてゼロに近いとか限りなくゼロに近いとか、そういうレベルのシロモノをゼロではないって点だけ注視して採用しちゃうのが古田氏と信者の悪癖だ >>383
>公式サイトの影響力の話
大本営とはまったく関係がないね。
繰り返すけど、大本営というのは、権力で報道を規制した
従わなければ、報道機関としては消滅、記者や編集責任者などの個人としては身の危険があった。
古田氏の見解をなぞっている人がいたとしても、別に誰からも強制されているわけではないw
本人がその古田氏の論考に感心して、その見解を流布しているだけだ。
古田氏のサイトを大本営に擬するなどというのは、たとえ話にしても、まったくの見当違いだw >>383
>上古音も中古音も中国での発音のこと
中国の上古音や中古音の地域別の発音が解明されているのなら、一覧表にでもするべきだ。
倭人伝に出てくる地名や人名などの一覧を作るのは、数も少ないし、難しいことではない。
残念ながら、そうした研究を見たことはない。 >>383
>本物の可能性が高いとは言えない
偽書である可能性が高いという根拠には、なおさらならない。
偽書である根拠がなく、真書である根拠がわずかにでもあるのだから、普通に考えれば偽書を前提することはできない。
真書の確実な証拠がないから偽書、というのは論理ではない。 >>384
実際には権力による規制なんて有効に機能してはいなかったみたいだよ
各社とも読者人気目当てで架空の戦果を盛りまくった嘘ニュースを出しまくってて、
あまりにもデタラメだからと規制をかけて沈静化を図ったというのが真相だ
オレが言ってるのはお前さんが言うような信者サイトのことじゃなくて、公式サイトが自己弁護と誇大妄想のオンパレードで自分に不都合な内容を隠してる点だけ
学者を論破して相手が反論できなくなって押し黙ったとかの架空戦果のことな
>>385
その辺を研究してる人は倭人伝と無関係の研究してる人なんで、お前さんが必要な文字だけピックアップしてまとめ上げたらいいじゃんか
自分ができないからって人には要求だけするとか、常識的な行動じゃないな。まるでプロ市民のような奇行だよ
>>386
>偽書である根拠がなく、真書である根拠がわずかにでもあるのだから、普通に考えれば偽書を前提することはできない。
世の中に存在する文書の総数が少ないなら、そういう意見にも意味がある。
しかし現実問題、学者が分析できる範囲の文書の数より二桁以上多くの古文書があり、その多くが偽文書なんだ。
自分が研究しようとする文書は研究したい人本人が充分な範囲まで検討を行って信憑性を確保してから研究に用いる、
それ以外の検討方式は実用性がないんだよ。
検討が不十分でダメなら研究自体が門前払いされるのも、現実問題としてやむを得ないんだ。
その門前払いが不服なら検討のやり方を変えて再検討する以外に対応する方法などないんだよ。
検討のやり方を変えたくないとか再検討なんていやだとか駄々をこねるのは異常行動なんだ >>284
>倭の五王が記紀に出てくる天皇ではないと考えるのは難しいが明確に比定するのは困難
という立場だな <
「南≠東」や、
大和は、「筑紫城の倭 奴國の阿毎氏から別れた別種の旧小国」の、
「倭國の地方の市を監督する大倭職の田舎のご大尽でああったのであり、
大和が倭國を併合吸収継承出来たのは、ようやくは白村江の後になってからであり、
日本書紀私記の、
問:此國稱姬氏國,若有其說乎?
師說:梁時寶志和尚識云:
「東海姬氏國。」又本朝僧-善櫋推紀云:「東海姬氏國者,倭國之名也。」
に拠って、倭国=東海姫氏國の証言記録があり、
その東海姫氏國は、野馬臺詩によっても、倭国にあった事が記され、
梁書でも、九州の倭国とは別に、
出雲の文身國や越の大漢國や大和の扶桑国が書き分けられて、区別されている。
>倭の五王の候補者たり得る規模の政権をヤマト以外に見いだすことは、
考古学的に言って困難だと考えている <
倭国は、東海姫氏國として、久留米付近を中心とした南宋伝来の装飾古墳や横穴式古墳が広がり、
田舎の大和は、ほぼ常に、
筑紫の模倣や、「なんでも大きければよい」式の思考であっただけ。
>五王の時代の九州の遺跡は、すでに九州の一部しか領有できない弱小政権に堕しているからなあ<
倭国は、半島にも進出していた。 >>295
>ありもしない「査読機関」を妄想しちゃってるんですね <
「査読」する組織の事を話出したのは、この投稿子の筈ですよね。
>>>仮に投稿先の査読担当学者のリジェクト理由が気に入らなかったら
別の学術雑誌に投稿することで権力の介入を避けることはできます。<
>そんな事は、その論文の筆者の自由であり、
「別の学術雑誌」においても、「国家権力に迎合する査読者」がいる可能性もある。<
>普通は論文の採択を目指して、載せてもらえそうな雑誌を探して回ります
雑誌が多い生命科学分野なら、読者の多いCELLなりNatureなり、あるいは各専門分野の一番人気雑誌なりをねらい、
そこが無理そうならマイナー雑誌狙いという感じかと
どうしても無理そうならば超マイナーの不人気雑誌を狙って何誌か試します
マイナー雑誌は小グループの「御山の大将」が居ることが多いので、その指向性次第では、
箸にも棒にもかからないようなゴミ論文でも掲載してもらえる可能性があるんですよ
まあ古田氏のような人気狙い型の人ならマイナー指向は避けるかもしれませんね。<
古田さんの最初の論文は、東大史学会のものだった筈。
>僕ならマイナーでも載らないよりマシと、読者実数が一桁レベルの
(買ってる人はいても読んでる人がいないゴミ雑誌って意味でね)トコでも挑戦しますがね <
「南→東」の嘘つきダマシの人種の投稿先の選択など、全く関心がない。
>発表さえできれば読者がいなくてもいい、的な投稿姿勢を選ぶかどうかは自由ですからお好きなように。<
私は素人オジンですよ。 >>296
>古田さんは、種々の新聞や論文や文書での批判文に、出来るだけ全てマナーをわきまえた常識人としてお返事をされた。
そして、議論の結果、批判文筆者は、ほぼ全て「再反論無し」に議論から撤退してしまった。<
>古田説支持側の人が書いてる大本営発表しか見てないあなたが、
どうやって古田氏の実態を調べることができるのですか。
古田支持者の目で見たものしか、自己弁護しか書かれてないでしょ。<
古田第1書は、私の28〜29歳頃。
私は、それまで高校の頃から古代史の本を幾つも読んで おり、
それらの本の論理は、知っていた。 >>299
>私は古田説を卒業します。 九州王朝説なんてアホらしくてやってられません。
古田は真正の痴呆でしょう。 彼を信じてた私も痴呆でしたが。
あんな糞野郎に騙されてたのかと思うと、チンコの皮がムケません。<
この・・・・のような投稿も、やはり、
「竹島奪回の人種差別的戦争を鼓舞扇動」をした「南→東」の嘘つきダマシの大和説者の、
ssnの投稿なんでしょうね。 >>309
>うむ 自分に異を唱える複数人物を同一人物と思い込む悪癖は、 特に古田信者に顕著だな
明らかに別人なのに一人と思いこんじゃう病気 <
古田説派の方は、皆それぞれ、少しずつ異なる推論論理を持っておられるが、
大和説者や、反古田派の人間は、皆全く同じようなカルト思考の人種に見え、
誰と議論して、皆同じ。 >>387
当時の新聞記事を見てみるといい。
大本営の発表に対する批判や疑問が一行でもあるかどうか。
「架空の戦果を盛りまくった嘘ニュースを出しまくって」たのは、新聞各社ではなく、大本営だw
古田氏の公式サイトであろうが読者サイトであろうが、どんなに批判や疑問を投げかけても、大本営発表とは違って、処罰されることは一切ないから安心していいw >>387
>その辺を研究してる人は
もちろん研究してる人は何人もいるだろうが、どれほど確定的な成果が出ているのかは知らない。
君が知っているなら、いくつかの論文を紹介してくれ。
>古代の発音が転訛して「イチ」発音になったように
こんなことを書いてる時点で、君が中国語にはまったく門外漢だということがよくわかる。
自分で知りもしない研究結果をブラフに使うのはみっともないことだ。 >>387
>その多くが偽文書
学者というのは、発見された文書をはじめから偽書であるとするような愚かな真似はしない。
真偽どちらかを前提としては学問は成り立たない。
たとえば映画で有名になった「武士の家計簿」も、古書展で販売されていた古文書、反故群からまとめられたものだが、偽書であるという視点で検討したわけではない。 古事記も昭和の終わりころまでは偽書扱いだったんだよ。 >>322
>壹の音素にTがあること、母音の連続が他の単語に見られないと解されることから考えると<
橋本の音韻ルールや、漢語での音韻説明は、
古田第1書の説明にもあったように、
あくまで「近似的確率的ルール」である事や「類似的な文字変換」である事などであり、
それを「絶対断定して決め付けられる」ようなものではない、
という事だよ。
だから、古田さんは「持衰」の例や「噫」の例や「下句麗」の例を挙げられた。
>壹の発音として想定しうるのは母音抜きのT音だけだろうな <
「壹」の最も確率の高い音韻は「イ」であり、「T」ではないよ。
だから「イッ」とも表される。
>yamait国にしろyamat国にしろ、当てはめるならヤマト国ぐらいしか考えられないな<
邪馬壹國は、「ヤマイ国」や「ヤマイッ国」位である可能性が非常に高いな。 >>324
>あと、邪馬門の三文字目はト音とは全く無関係だろ
モンまたはそれに類似の音しか想定し得ないから、邪馬門の読みとして想定しうるのはヤマモといったところ。
多少の訛りではヤマトに転ずる可能性などは考えられない。<
「大和」の文字の発生は、
7世紀末頃に「大倭→大和」の書き換えが起こった可能性が高い事から、
神武の後の欠史八代での4人の呼称に「大倭」の文字が冠せられた事が起源であった、可能性が非常に高い。
そして、「ヤマト」の音韻の「ヤマ」に関しては、
大和の欠史八代が、倭国の地方の市を監督する「大倭」職であった事から、
倭国内の「邪馬壹國」や「邪馬國」や、弁辰の「彌烏邪馬國」の存在に拠って、
「ヤマ≒邪馬」であって尚且つ「≒山」であった可能性があり、
「ト」に関しては、「門」や「戸」や「都」などの、
「地方の市を監督する大倭」職の居地を示す文言であった可能性が高い。 >>364
また、「南→東」などの嘘つきダマシのサギシで、
「竹島での人種差別戦争」を鼓舞扇動するキョクウn・・・・ssnが、出て来た。 >>349
>ああその通りだな。<
「その通り」ではないね。
ssnの分裂幻覚の妄想なんだから。
>で、天皇の朝貢はどう思ってるんだい?<
大和での天皇の称号は、天智からであり、
筑紫倭国での「天皇」の自称は、
書紀引用の百済本記に記録された、(おそらく磐井や太子や皇子らの敗死での)天皇記録であり、
その後、タリシホコは「天皇」ではなく「天子」と記録されている。 >>360
>ある時期までの所引テキストは、悉く「臺」となっていることから、
当時の三国志のテキストは、「臺」だった蓋然性がとても高いのね。<
ダメだよ。
宋明清代の三国志の版本は、沢山あるが、その全ての版本では「邪馬壹國」と書かれており、
宋明清代の校勘学者は、誰も「邪馬壹國」の「壹」に対する校勘をしておらないから、
後代史書に書かれた「邪馬臺國」表記にも拘わらずに、関係なく、
「壹」のままで正しい、と判定していた事になり、
だから、それらの版本の版刻の時の底本写本も、
全て、陳寿原本の頃からずっと「邪馬壹國」であった事になり、
5世紀の裴松之も、後漢書の「邪馬臺國」記載を知っていながら、
魏志の「邪馬壹國」に対する考証をしていない、
という事もなったんだよ。 >>363
>別に勘違い等していないよ。
当の古田が、笠谷の証言などよりも、内容の検討から、強く真書であると主張している。 <
当然の事だ。
偽書説派の筆跡鑑定は、
始めから「章子さんの丑寅原稿の清書の筆跡」を、「喜八郎さんの筆跡だ」と間違えた鑑定になっており、
また、喜八郎さんの普段の原稿筆跡は、
http://www.geocities.co.jp/hyena_no_papa/kahitsu_genkou.html
の左に書かれたように、直線を書く事が困難で曲がってしまう「跳ね字」傾向があって、
和田家文書や章子さんのような「抑え字」では全くなく、
また、偽書説派は、和田家文書には、
秋田孝季や和田家の吉次やりくや権七や末吉や長作ら6人の違う筆跡がある事も判らず、
また、明治写本には、写本の紙代に困って、近所の商家?から譲り受けた「大福帳」の裏にまで写本しており、
そんな事は、戦後の偽作であればする筈も出来る事でもないことであり、
更に、その大福帳の和紙の当時の製造店が岐阜で見つかった事からも、
偽書説を全く否定する根拠になっていた。
また、偽書説派は、いくつかの文字の形の類似を根拠にしたが、
大量の写本をすれば、当然前筆跡を真似る事になるから、似ていて当然であり、
それも根拠にはならない。 >>363
>これも何度となく言われていることだが、「科学的に証明」なんて、なされていません。
笠谷自身、「あくまで目に触れた範囲での判断であり」と断っている。
目視のみで証明できるなら、笠谷以外にも実見した者、古田だって出来る。
古田も古文書の取り扱いに精通しているんだろうから、古田が江戸時代の紙だと思えば、それで足りる。
わざわざ日文研や笠谷の権威に縋る必要も無い。<
笠谷氏は、肉眼だけではなく、当然、電子顕微鏡での確認検査もされました。
そんなような「出来るだけ確認をする事」は、
科学者としては、推定判断の確率を上げるためには、当たり前の事であり、
当然誰でも、常に心掛けている事ですよ。 >>363
>都合の良い解釈、詭弁の典型例だね。
古田信者以外の学者から、是認された例はいかほどあるのか。<
一般の学者は、偽書説派やNHKなどの宣伝しか知らなければ、
当然、関係のない問題である限り、是認も否定もしないもの。
>反論が全く無いんじゃなくて、普通の学者からは肯定も否定もされない、相手にされていないだけ。
そりゃそうでしょ。たんなる感想文にすぎない所見に、あれやこれや検討を加える必要が無い。
だいたい、「日本語に対する厳格な感性がある」のに、なんであれが「鑑定」なの?
サンプルについても、比較対象についても、手順も、手法も、何も明らかでない、ただ見ただけで、鑑定なの?<
笠谷氏は、江戸期の紙や、それ以外の時期の紙を、当然幾つも見た経験もあyて、知っていたんるし、
電子顕微鏡での確認もしているから、鑑定出来た。
>筆跡鑑定や年輪年代については、執拗に学問性を認めないのに、 紙の分析については、具体的に何をどうするか全く知らないのに、安直に是認するのも、
これまた不思議な態度。ただの御都合主義だからしかたないけど。<
古田さんは、偽書説派の筆跡鑑定に関しては、
http://www.furutasigaku.jp/jfuruta/sinkodai1/furuta01.html
や、
http://www.furutasigaku.jp/jfuruta/sinjitu2/gikante1.html
などで、はっきり批判し否定しておられる。 >>364
>どこが論理なんだか。
ある時期までの所引テキストに「壹」が全く出現しないのだから、そんなことはありえません。
おわり。 そもそも、他の史書の所引テキストを排除する、合理的な理由が説明されたことが無い。<
後代史書は、前代史書記載の紹介説明に関しては、
前代史書の記載の全部を転写引用した記載をするものではなく、
自分の解釈や後代の情報や通説に従って、
前代史書記載の「内容説明的な書き換え 」をした記載をするもの。
だから、後代史書記載は、前代史書記載に関する直接的絶対根拠にはならず、
参考程度にしかならない。 >>371
>禁止ワードテスト
倭奴 <
Yshooのtextreamでは、現在も「倭国」や「倭奴」は禁止文言ですが、
2chでは、禁止文言にはなっていません。 >>372
>大本営発表の説明を、典型例/典型的解釈のひとつとしてwikipediaでみてみよう ・・・
九州王朝説信奉者グループ内では、
グループ内に限っては、総本山の公式見解は、まさに大本営と言える。
総本山やら支持者が作ってるサイト、情報ソース以外にも目を通す人ならともかく、
支持者の発する情報ぐらいまでしか目を通さないような、
情報源を自ら制限しちゃうような人間にとっては総本山は紛れもなく大本営ですよ<
こりゃ「大和説者」側に全く相応しい話。
古田説派内では未だに議論が喧々諤々と活発であり、大本営発表なんて存在しないが、
通説大和説学者内では、
文部省や権力学者やマスコミや右翼団体の意向に忖度した話しか通用されない。
だから、この投稿子の方が、全くのアホな訳で。
>>畿内説の人は、ニッポン最高とか思ってるんだろうから、
せめて、まともな日本語を使うように努力したほうがいいと思う。<
>オレは別にニッポン最高とか思ってないけど、
マトモな日本語を使ってないのはお前さんの方だと明白に分かる。<
この投稿子の方が、口先言葉尻切り取り誹謗の・・・・サギシのような投稿をしている、
という事がすぐに判る。
> まともじゃないというか、
むしろ単語を過剰に分解して文章を曲解してるのがお前さんだと言ったらいいのか。<
「南→東」の嘘つきダマシの大和説者は、まともじゃないというか、
むしろ、言葉尻を切り取って単語を過剰に分解して、
文章を曲解して誹謗しているのがお前さんだと言ったらいいのか。 >>373
>古田信者は、古田説に反対してる文言なら内容にかかわらずすべて否定してるんだよ
信憑性を検討することなどなく、親古田か反古田かという点しか見ていない。
それは誰がどう見ても学問ではない。<
反対だよ。
古田説派内では、
全て原則として「史料事実からの帰納的な確率的推論」であり、
その推論の確率の高さを喧々諤々やっている。
それに対して、通説大和説派では、
文部省や権力学者やマスコミや右翼の思想宗教的な「結論先にありき」に従って、
「南→東」などの史料事実に対する嘘つきダマシの詐欺をやっている。 >>374
>>でも、古代の中国語はわからないけど、現代の音では〈yi〉に近いよね?<
>古代の発音が転訛して「イチ」発音になったように、古い発音では音素tが含まれていた。
ietイエット、表示できるかどうか分からない発音記号で書いたら ??t )
イという発音ならそれに適した他の文字があるんだから、音素tを含む文字をわざわざ選んだなら、元の発音に音素tがあったからと考えざるをえない。
まったく違った名前だったと想定するのは残念ながら困難だ。 もっとも、中古音ならともかく上古音では邪をヤとは読めないようだけどな。
その点を問題視する古田信者がなぜか見当たらない気がするのはなぜだろうな<
古田さんは、古田第1書では、
「壹」は古代には「イ」の音韻であり、
「下句麗」 のように、「音韻でも意味でも類似文字の選択もあった」という意見だよ。 >>375
>オレは天皇の祖先が朝貢していたと想定することに違和感も反感もないな
というか、奈良時代前後の時期の遣唐使だって実態は朝貢使なんだ。
で、古田説信者たちは天皇が朝貢していたことについてどう考えているのかな。<
遣唐使を止めたのは、平安中期頃ではなかったのかい?。
それまで、倭国や日本国は、(タリシホコを除いて?)中国に朝貢的遣使を派遣していた事になる。 >>376
>世の中には、古い和紙を転用して古文書を偽作する偽作かが数多く存在するという厳しい現実がある。
したがって、古文書の鑑定では紙の年代だけでは何の役にも立たないのが常識となってしまっている。
(年代が新しいなら偽作だと確定するが古い紙であっても偽作の可能性が小さくないので、偽物であることの証明手段として使うことは可能だが。)
したがって、
>>そして「寛政原本」が発見されて、その原本の時代測定が行われた。 少なくとも、使用されている紙は明治以降のものではないということが、科学的に証明された。
それは、状況から判断された傍証ではなく、直接的な証明の一つだ。<
直接証明どころか傍証にすらなっていませんね <
ダメだな。
江戸期の大量の古紙を現在にも確保出来る位なら、
わざわざ「明治の大福帳を譲って貰って、その裏に偽書する」必要もないし、
6人以上?の写本者の筆跡や喜八郎さんの筆跡の違いも、説明が出来ない。 >>377
>まあ、内容の検討を基盤とする真贋判定は学術的意味も論拠もゼロだしね
あんな荒唐無稽な説を信用しちゃってたらry( <
まあ、内容の検討を基盤とする真贋判定は、筆者を間違った筆跡判定をした偽書説派の筆跡鑑定の、
学術的意味も論拠もゼロだしね 。
あんな荒唐無稽な筆跡鑑定を信用しちゃってたら、そりゃ・・・・アホだ。 >>378
>>年輪年代論については、単純な疑問を出しておいた記憶がある。
生育の場所と使用された場所は異なること、地域によって気候の変化が違うこと、
日本のように高温多湿な地域では木片の残り方が偏ること、等々。<
>他の地域、ほかの樹種の年輪年代研究者は数多くいる。
奈良の地での、古墳時代前後の時期の年輪年代研究者がほかにいないだけ。
もちろん、同業の年輪年代学者から疑義を唱えられるような研究ではないという実情はある。
疑義を唱えているという「専門家」というのは年代学者じゃなくて門外漢たる考古学者でしょ<
それ以前に、年輪年代にも、標準年輪と対象の検体年輪とが
同じような気候変化に存在していたのか?、という問題がある。
アメリカやヨーロッパのような、広範囲な大平原では、
全地域での気候変化がほぼ同じである事が期待されるから、
その中での標準年輪と対象の検体年輪が殆ど同じ年輪幅を刻む可能性が十分にあるが、
日本列島のような、山島気候の地域では、
その生育場所の地形や生育場所や雨量や日照時間や風や海流などの条件に拠って、
近接地であっても、気候が一致しない場合が多くて、
とても、標準木と検体木の通年に渡る共通気候である事が期待出来ないもの。 >>380
>ちょっと勘違いしてると思うんだけど、漢字で書き表したのは陳寿、あるいは報告書を書いた魏の使者だ。
日本での読み方の変遷ではなく、魏の使者(あるいは陳寿)の読み方の問題だ。
日本語での読み方がどうであれ、古代の中国人がどう聞き取ってどう書き表したかが問題なのだ。
中古音だろうが上古音だろうが、日本での漢字の読み方などまったく問題にならない。<
ちょっと違うでしょうね。
倭人伝に書かれた人名や地名や国名や官名などの固有名詞は、
倭人の上層部は、
卑弥呼は上表文を書いているんだし、金印を見ているんだし、室見川の銘盤もあるし、記銘ホウ製鏡もあるし、
硯も発掘されているし、難升米らは漢語を話せたり書けたりした可能性が高いから、
当然、自前の漢字固有名詞も持っていた可能性があるんですよ。
という事は、
倭人伝に記録された固有名詞は、
倭人側からの漢字名を示されたものもあれば、
魏使らが倭人から聞き取ったものを魏使側が「音写」したものもある、
という事なんですよ。
その区別は、個々の固有名詞に対する史料批判をして判断しなければなりませんね。 >>388
誤記や誤情報などが存在せずすべて精確だったという仮定を置かない限り、
>「南≠東」や、
などという反駁は成り立たないよ
未証明とか証明不十分な仮定を数多く設定しちゃって、屋上屋を重ねたままなのが古田説の問題点 >>389
査読者の話は出したが、査読機関なんて馬鹿げたシロモノは君の妄想ですよ
>「査読」する組織
などという荒唐無稽なシロモノの話をしたのは妄想家である君だけだ
>「別の学術雑誌」においても、「国家権力に迎合する査読者」がいる可能性もある。<
まあ、よほど自分に自信のある誇大妄想壁の持ち主じゃなかったら、いろんな雑誌を探ってみるものですよ
どんな雑誌でもいいからまず論文採択されたいってのが実情なのですから。
>古田さんの最初の論文は、東大史学会のものだった筈。
ああ、邪馬台国九州説の総本山である東大ですか。いちおう方向性の合いそうなところを選んではいるわけですね >>394
対米開戦間もない頃までは、新聞各社が独自の架空戦果を発表していましたよ
大本営発表が始まるのはその後です。戦況が劣勢になったあたりからですよ
>>395
日本で用いられてる漢字音(おんよみ)のうち、漢音と呼ばれるものの起源は奈良時代に制式採用された唐代の音
対するに呉音の起源はそれ以前から用いられていた音で、元はといえば上古音や(部分的には)中古音あたりの古音だよ。
ただ、百済経由で入ってる上に百済で滞留した期間が長いので、上古音中古音そのままとはいかず多少の転訛はあったと思われるけどね
壹の上古音や中古音ではt音が付属していて、その後の近古音からtが欠落したわけだ
イチという読みは倭の言葉ではなくヤマトコトバではないものであって、その起源は中国の発音しか有り得ない。
違うというならその説を紹介してもらおうか >>396
そもそも歴史学の成立以前の黎明期から早くも偽史偽書や誤伝俗伝があふれかえって本物より偽物の方が圧倒的に多い状況に陥っていたぐらいで、
偽物の混入による害を避けることが研究の前提条件となるわけ。
だから、自分が発見した史料は自分が真贋判定して正しいことを証明してから使うのが学者としての責務なわけよ
証明が不十分な研究は研究として認めてもらえないんだ。
なんせ、この部分が研究の核となる最重要部分なんだからね
古田はその証明が杜撰で判定方法がおかしかったから、いつしか学者たちから無視されるようになっていったんだ。
>たとえば映画で有名になった「武士の家計簿」も、古書展で販売されていた古文書、反故群からまとめられたものだが、偽書であるという視点で検討したわけではない。
それだって、学術論文として発表する際には本物だと証明する節があるでしょ
一般向けの俗書では省略されてるだろうけど。 >>398
終戦の頃から昭和の終わり頃まで何十年かの期間だな >>403
引用ってのは目撃証言だ。
古い時代に三国志を引用した諸書は三国志に「邪馬臺国」と書かれていた旨の証言者。
まあ、それら証言だって誤写誤記で化ける可能性はあるわけで、絶対的な証言ではないけどね
古い時代の引用では「邪馬壹国」の証言がなく、すべて「邪馬臺国」となっている点は極めて重要だ。
まあzarakokuは後代の人が組織的に書き換えまくったと言い返したわけだが、
どうせ書き換えるなら多数の本を書き換えるより三国志ひとつを書き換える方がはるかに楽なのに、
なぜ三国志だけ放置してほかの本を全部書き換えるという大仕事をしたのかね?
君の説に従うとしたら。
書き換えにくい場所にあったという点では後漢書も同条件だし、
目撃証言の時代別分布で見る限り、書き換えが行われたと想定される時期は南北朝時代や唐代じゃなくもっと後の宋代
書き換えを免れた目撃証言は宋代以後のものしかないんだから、北宋の頃に「壹」の目撃証言を殲滅しちゃったと考えざるをえなくなるんだよ >>407
後代史書じゃなくて、辞典類ね
○○という本の○○という部分には、こう書かれている
という形でいろんな本から抜き出し引用して説明してる辞典類で、邪馬台国関連の引用文では「邪馬壹国」ではなくて「邪馬臺国」と書かれたことが重要
元の文言を一字一句精確に写さないと事典としての役割を果たせないのに、それらの引用文で「邪馬臺国」となっていることの意味は大きいよ >>419
>新聞各社が独自の架空戦果を発表していました
実例をあげてね。
「架空戦果」である根拠もね。
>イチという読みは倭の言葉ではなくヤマトコトバではないものであって、その起源は中国の発音しか有り得ない
中国語というのは、昔から1字1音節だと思うよ?
つまり、母音を二つもつ文字というのは、「ああ」とかいう母音だけの場合を除いてはないだろう。
「イ」あるいは「イッ」を、「イチ」とか「イツ」とか聞く(書く)のは、基本的には子音に母音をつける日本人の特性。
中国人が子音に母音が加わった音として聞くことは、古代であっても考えにくい。 >>420
>学術論文として発表する際には本物だと証明する節がある
真偽の検証自体が論文の主旨であるものは別として、いちいち真偽の検証から始める論文は見たことがないな。 >>416
文書行政が始まった奈良時代でも初期頃には漢字の発音を正確に理解してる人が乏しかったので、
日本書紀編纂に際しては漢文ネイティブな中国からの渡来人を重用せざるをえなかったぐらいです
それよりも文書の利用が乏しかった古墳時代や邪馬台国では、漢字の利用は進んでなくて、
必要に応じて漢文専門家を招くなどしていたと考えざるをえませんね
三国時代以後南北朝時代あたりまでは中国を去って近隣の異民族国家(半島諸国や東南アジア、そしておそらく日本にも)に移住する中国人が少なからず居たので、
中国人が日本列島で地方王なり倭国王なりに仕えることがあってもおかしくないのです。
日本での独自の読み方ではなく、漢文ネイティブの中国人が文章を書いているわけですよ。 >>422
>「邪馬壹国」の証言がなく、すべて「邪馬臺国」となっている
引用でも証言でもなく、概要の説明なんだが?
概要の説明だから、書かれた時代の表記にあわせて、国名などを記述した。
それが古田氏の見かただし、納得できる見解だ。 >>427
>引用でも証言でもなく、概要の説明なんだが?
そりゃ古田が反論しやすいように概要説明のだけを集めて反論に使っただけだろ
辞書としての引用部分は概略説明じゃなく引用だよ、その上で邪馬臺国と書いてある >>428
引用というのはどれのこと?
具体例をあげてみて。 >>381
>どちらにしても、現段階では、真偽を確定することはできない、というだけのことだ。 <
これも、ちょっと違うでしょうね。
自然や歴史においては、始めから不可知な部分が殆ど(99.5%以上?)だとされており、
だから、科学や学問では、知り得たわずかな「観察や実験や計測」事実からの、
帰納的な「確率的のより高い推論」を競うしかなく、
真偽の完全断定
なんて、始めからあり得ないのですよ。
だから、偽書説は、知り得た範囲内では、殆ど成立不可能であったのであり、
真書であった可能性が非常に高かったんです。
そして、それをここの偽書説派の投稿子は、
真書である事の100%完全な証拠や立証を要求し、
当然それは不可能であるんですから、
彼らは、偽書である事も否定出来ない、と言って、逆に偽書である可能性が高いのだ、として、
世間の人々を騙そう、とするんですよ。
こんな事は、大和説者らの「南→東」の批判に対しても、
大和説者らが一杯使って来た詭弁です。 >>383
>あんたも詭弁で話を逸らしてばっかりだねー
信者以外の人々に対する影響力の話なんか誰もしてないだろ
古田説の公式サイトのみを情報源とする信奉者たちにとっての、公式サイトの影響力の話だよ
それとも、お前さんは古田説の公式サイト以外からの情報を
ろくに調べもしないzarakoku爺さんみたいな人は実在しないと思ってるのかな?<
あんた自身も、詭弁やウソダマシばっかりだね。
私の情報源 は、古田本だけではなく、他の文献も読んでいるし、
Yahooでの大和説派や偽書説派をリードしてきた「ハイエナ」という人物の、
「ついうっかり」情報も沢山使わせて貰っているんだよ。
例えば、
http://www.geocities.co.jp/hyena_no_papa/kahitsu_genkou.html
は、ハイエナがついうっかり提示してしまったものだよ。
いずれにしても、この男の話は、でっち上げのウソばっかりであり、
全く信用出来ない代物である、という事だな。 >>383
>上古音も中古音も中国での発音のことだよ、当時の倭人が中国人の発音をどの程度まで知ってたかどうかは不明だよ <
倭人の中の支配層や上層部は、
燕の南にいた倭人や、会稽付近の呉王夫差の遺民(姫氏)であり、、
室見川の銘盤や、ホウ製記名鏡などがあるんだし、
遣使が「大夫」を名乗ったし、
(姫氏の)卑弥呼も上表文を書いているんだから、
周代の漢語や後漢語もある程度書けた筈。
>上古音は後漢代まで、中古音は南北朝時代後期からとされていて、
三国時代や西晋代には上古音だったか中古音だったかは不明瞭だ <
中国側の音写も、
北朝が入ってきたから中古音との混乱が始まったのであるから、
それまでの魏西晋代は、原則として上古音になる。 >>383
>>なんの役にも立たないことはないよ。 少なくとも、紙の年代はわかる。
古文書の世界での常識からすれば、偽書の可能性がゼロではないと分かったところで意味は薄いんだよ
その程度のことが分かっても、本物の可能性が高いとは言えないんだから。
ゼロではないが限りなくゼロに近いという状況のままでは、論拠どころか傍証にさえ使えないよ <
賛成。
>極めてゼロに近いとか限りなくゼロに近いとか、そういうレベルのシロモノをゼロではないって点だけ注視して採用しちゃうのが古田氏と信者の悪癖だ<
不可知部分が殆どである自然や歴史においては、
知り得たわずかな確認事実からの「帰納的な推論の確率の高さ」を問題にすべきであり、
沢山の真書の証拠や、筆跡鑑定への反証の挙証に拠って、
真書の確率は非常に高く、偽書の確率は殆どない、という事が実態。
つまり、偽書説派の負け。 >>387
>オレが言ってるのはお前さんが言うような信者サイトのことじゃなくて、
公式サイトが自己弁護と誇大妄想のオンパレードで自分に不都合な内容を隠してる点だけ<
そりゃ、大和説派や偽書説派の事だなあ。
邪馬台国畿内説のスレ主や、ハイエナらの常套手段であった。
古田説派内では、未だに古田説を飛び越えて、通説考古学者も交えての「喧々諤々」の議論をやっている。
>学者を論破して相手が反論できなくなって押し黙ったとかの架空戦果のことな <
そりゃ、古田さんに反論出来なかった学者の方が悪かったんだよ。 >>387
>その辺(上古音と中古音)を研究してる人は倭人伝と無関係の研究してる人なんで、
お前さんが必要な文字だけピックアップしてまとめ上げたらいいじゃんか
自分ができないからって人には要求だけするとか、常識的な行動じゃないな。
まるでプロ市民のような奇行だよ <
何だ?。
「上古音と中古音」の区別話を持ち出したのは、お前さんではなかったのかい?。
自分が持ち出しておいて、人には要求だけするとか、常識的な行動じゃないな。
まるでプロ市民のような奇行だよ 。 >>387
>>偽書である根拠がなく、真書である根拠がわずかにでもあるのだから、普通に考えれば偽書を前提することはできない。<
>世の中に存在する文書の総数が少ないなら、そういう意見にも意味がある。
しかし現実問題、学者が分析できる範囲の文書の数より二桁以上多くの古文書があり、その多くが偽文書なんだ。<
「偽文書」だ、と決めているこの男が、そもそも問題だな。
誰の文書であろうと、その中には世間が知らなかった「事実の情報」も含まれている事はあるものだ。
だから、確認していないんなら、「半分偽書だ」とでもしておくべきだ。
>自分が研究しようとする文書は
研究したい人本人が充分な範囲まで検討を行って信憑性を確保してから研究に用いる、
それ以外の検討方式は実用性がないんだよ。<
それが、古田さんらが された史料批判の方法だよ。
>検討が不十分でダメなら研究自体が門前払いされるのも、現実問題としてやむを得ないんだ。
その門前払いが不服なら検討のやり方を変えて再検討する以外に対応する方法などないんだよ。<
古田さんは、親鸞の論文や邪馬壹國の最初の論文から、そのような検討をされて評価された。
しかし、第1書からは、朝日での出版であったから、専門家向けと一般大衆向けの両刀構えの記載になった。
>検討のやり方を変えたくないとか再検討なんていやだとか駄々をこねるのは異常行動なんだ <
古田さんの検討の実態も知らずに、古田誹謗をするこの人間は、精神的な異常者だな。 また邪馬台国畿内説257からの転写保存
>>170
>飲尿カルト教団は飲尿スレあるんだからそこで思う存分妄想の話披露して来い
誰もお前のバカ話なんて聞いてないw<
和田キヨエや偽書説派の「策略一升瓶尿」でも飲んで、
大和説カルト教団は思う存分、妄想の話披露して来い。
誰もお前のバカ話なんて聞いてないw。 >>417
>誤記や誤情報などが存在せずすべて精確だったという仮定を置かない限り、 >「南≠東」や<などという反駁は成り立たないよ <
ダメだよ。
不可知部分が殆どである自然や歴史においては、
知り得て情報批判が出来た史料からの「帰納的な確率の高い推論」を競うのであり、
始めから、「全て正確だ」とか「全て絶対間違いだ」としての演繹的な議論など、成立しないんだよ。
要は、史料実態から「南」は99.5%以上の確率があり、「東」は0.5%以下の確率しかないんだし、
だから、九州説も99%位の確率があり、大和説はほぼ0%の確率しかない、
という事になる。
>未証明とか証明不十分な仮定を数多く設定しちゃって、屋上屋を重ねたままなのが古田説の問題点 <
古田説は、全て、
史料批判された確率の高い史料事実や史料実態からの帰納的な推論をしておられるのであり、
「未証明とか証明不十分な仮定を数多く設定しちゃって」にはなっていないんだよ。
この投稿子や大和説者らが、「南→東」などの「未証明とか証明不十分な仮定を数多く設定しちゃって」になっている方。 >>418
>まあ、よほど自分に自信のある誇大妄想壁の持ち主じゃなかったら、いろんな雑誌を探ってみるものですよ
どんな雑誌でもいいからまず論文採択されたいってのが実情なのですから。 <
古田さんは、別に「誇大妄想壁の持ち主」ではなく、
単に、史料事実や実態の分析から「確率の非常に高い推論だ」と思っておられたが、
ご自分の説が、現在の権力的な学者らの意見を否定する事になる、という事も知っておられた。
>ああ、邪馬台国九州説の総本山である東大ですか。
いちおう方向性の合いそうなところを選んではいるわけですね<
古田さんの最初の論文では、「邪馬壹國」という文字に関する問題が中心であったのであり、
「東大史学会が九州説か大和説か?」なんて関心も関係もありませんでしたよ。 >>420
>そもそも歴史学の成立以前の黎明期から早くも偽史偽書や誤伝俗伝があふれかえって
本物より偽物の方が圧倒的に多い状況に陥っていたぐらいで、
偽物の混入による害を避けることが研究の前提条件となるわけ。<
ならんよ。
当然、全ての情報には「特定の人間の認識した事」が根拠であり、
不可知部分が殆どである自然や歴史においては、
その「特定の人間しか経験していない情報」も存在するのだから、
その時点で、その情報のの持つ確率は「半分×でもあるし、半分〇でも有り得る」というでしかない事になる。
だから「本物とか偽物」とかの始めからの断定はあり得ず、
知り得る限りの全ての情報を、史料批判的な確認をして、その情報の確率を推定して、
その確率でその情報を取り入れるべき。
それが、古田さんの「未知史料に対する原則。
>だから、自分が発見した史料は自分が真贋判定して正しいことを証明してから使うのが学者としての責務なわけよ
証明が不十分な研究は研究として認めてもらえないんだ。<
バカだね、この投稿子は。
不可知部分が殆どである自然や歴史においては、
「真贋判定して正しいことを証明」なんてあり得ず、「大体の確率」程度しかあり得ないんだよ。
そして、権力学者は、当然、自分の考えや意見を否定するような推論は、採用しないもの。
>なんせ、この部分が研究の核となる最重要部分なんだからね <
研究の核になるのは、「半分×もあり、半分〇も有り得る」という事だ。
>古田はその証明が杜撰で判定方法がおかしかったから、いつしか学者たちから無視されるようになっていったんだ。<
古田さんは、普通に「知り得た情報の史料批判をしてそれからの帰納的な確率的な推論」をされたが、
権力学者らは、議論に負け、そのまま負ければ自分の学者生命が終わる、という事が判って、
こっそり、無視して黙ってしまう事にした訳で。 >>420>引用ってのは目撃証言だ。<
後代史書の前代文献の紹介引用は、原則として、後代人物の解釈での内容説明の書き換えだ。
>古い時代に三国志を引用した諸書は三国志に「邪馬臺国」と書かれていた旨の証言者。<
後漢書は、魏志の邪馬壹國とは別の対象としての邪馬臺國の記載をしているが、梁書以後の後代史書の邪馬臺國記載は、魏志の記載の「悪質な書き換え」だな。
>まあ、それら証言だって誤写誤記で化ける可能性はあるわけで、絶対的な証言ではないけどね
古い時代の引用では「邪馬壹国」の証言がなく、すべて「邪馬臺国」となっている点は極めて重要だ。<
後代史書の記載は、史料批判無しには論拠にならず、そのまま受け止められない参考資料以下の代物。
>まあzarakokuは後代の人が組織的に書き換えまくったと言い返したわけだが、 どうせ書き換えるなら多数の本を書き換えるより三国志ひとつを書き換える方がはるかに楽なのに、 なぜ三国志だけ放置してほかの本を全部書き換えるという大仕事をしたのかね? <
後代史書の書き換え記載よりも、写本版本の記載の方が、はるかに(99.5%以上)確率が高いから。
>君の説に従うとしたら。 書き換えにくい場所にあったという点では後漢書も同条件だし<
後漢書と魏志とは、始めから文字も内容も違う国名文字だよ。
>目撃証言の時代別分布で見る限り、書き換えが行われたと想定される時期は南北朝時代や唐代じゃなくもっと後の宋代<
後代史書記載は、前代史書記載の直接的証拠にはならない。直接的証拠になるのは、原本か写本版本系。
>書き換えを免れた目撃証言は宋代以後のものしかないんだから、<
写本でも「書き換えを免れた」という事のの根拠は古田さんも、私の十分にしてあるよ。
>北宋の頃に「壹」の目撃証言を殲滅しちゃったと考えざるをえなくなるんだよ<
キミが、後代史書なんかよりも、写本版本系の方がはるかに正しい確率が高い(99.5%以上)、という事が判らず、後代史書記載や現代通説大和説説明の方を信仰する・・・・アホであるから。 >>423
>後代史書じゃなくて、辞典類ね<
辞典類も、後代史書と同じように、
対象文字を「別の違う文字での説明」をするんだから、
その時点で対象文字そのものではなくなって違う内容になってしまうので、
原本や写本版本系よりも×になる事になる。
>○○という本の○○という部分には、こう書かれている
という形でいろんな本から抜き出し引用して説明してる辞典類で、邪馬台国関連の引用文では「邪馬壹国」ではなくて「邪馬臺国」と書かれたことが重要<
辞書説明は、その辞書の筆者の解釈であり、参考程度にしかならない。
>元の文言を一字一句精確に写さないと事典としての役割を果たせないのに、それらの引用文で「邪馬臺国」となっていることの意味は大きいよ<
太平御覧なども、元の文言を一字一句精確に写してはいないよ。 >>425
>>学術論文として発表する際には本物だと証明する節がある <
>真偽の検証自体が論文の主旨であるものは別として、いちいち真偽の検証から始める論文は見たことがないな。<
古田さんらは、原則として、まず史料批判に拠って、対象史料の信頼性の検証をしておられましたね。
しかし、議論相手の反古田投稿子は
、「古田さんが信頼性の検証を全くしていなかった」というかのような、嘘つきダマシの宣伝文を書いていたから、
全くの犯罪者的。 >>426
>文書行政が始まった奈良時代でも初期頃には漢字の発音を正確に理解してる人が乏しかったので、
日本書紀編纂に際しては漢文ネイティブな中国からの渡来人を重用せざるをえなかったぐらいです<
大和は、倭國から別れた別種の旧小国の田舎でしたから、倭國の論拠には余りなりませんよね。
>それよりも文書の利用が乏しかった古墳時代や邪馬台国では、漢字の利用は進んでなくて、
必要に応じて漢文専門家を招くなどしていたと考えざるをえませんね<
卑弥呼の頃や倭王武の頃は、漢文専門家を招いた形跡もなくて、上表文を書いており、
やはり、上層部は、ほぼ完全に漢字の読み書きが出来たでしょう。
>三国時代以後南北朝時代あたりまでは中国を去って近隣の異民族国家(半島諸国や東南アジア、そしておそらく日本にも)に移住する中国人が少なからず居たので、
中国人が日本列島で地方王なり倭国王なりに仕えることがあってもおかしくないのです。
日本での独自の読み方ではなく、漢文ネイティブの中国人が文章を書いているわけですよ。<
いや、卑弥呼自身が呉王夫差の遺民を名乗る姫氏であったし、遣使も「大夫」を名乗れて魏の役人になったりしたんですし、
倭の五王らも、
「珍又求除正倭隋等十三人。平西、征虜、冠軍、輔國將軍號」や、
「竊自假開府義同三司、其餘咸假授」をしたりしているんですから、
新たな中国人の渡来がなくても、漢文を使っていました。 >>428への反論は、邪馬台国畿内説スレに転写した。 畿内スレでもここも見てると大和説って馬鹿みたいだよね 巫女として著名な「卑弥呼」は、古代韓国語で「ビミファ」と読まれ,ビミは「日」「光」,そして「蛇」の意味があり,ミファは神と言う意味となる,邪馬台国は韓人国歌だろう 英語のNAMEは日本語のNAMAEから変化した言葉だから英語の起源は日本語ってぐらい信憑性が感じられますね
古代韓国語て百年くらい前の言語でしょ ウリジナリティーあふれる新説?
邪馬台国は韓半島にあったとな? >>449
邪馬台国は韓半島説にも、邪馬台国畿内説と同じくらいの信憑性を感じられるよねw また「邪馬台国畿内説Part263」から転写。
263の>>316
>北部九州との関係性が薄いというの大ウソだということ <
大和は、
筑紫倭國から別れた別種の旧小国であり、
倭国の地方の市を監督する「大倭」職の国であり、
倭国の「東征毛人五十五國」のお手伝いで発展した国、
という関係であるだけだよ。 また転写。
263の>>346
>示されてるのに見ないフリ ないないないと泣き叫ぶ それが九州説 <
史料に示されているのに、見ないフリして「 ないないない」と泣き叫ぶ 。
それが、皇国史観国粋戦争狂の大和説者。 また転写
263の>>361
>畿内説でもありだと思うが、トヨ時世からだな <
畿内説も大和説の捏造造作文言であるし、
「トヨ」も、史料事実には全く存在しない文言。
「臺與」と書いた梁書は、前史書の「内容紹介」において、
原文を大量に書き換えた事が判っている半分×史書であり、
論拠にならない。 また転写
263の>>370
>二千里は洛陽ー長安往復相当の距離だから、対馬海峡の幅よりずっと広いよ<
「洛陽ー長安の千里」情報は、(魏代の短里情報ではなく)、
漢代の長里情報の引用の筈だよ。 また転写
263の>>373
大和説者は、史料根拠がなくて何も考えずに、
言葉尻をとらえて口先だけでの誹謗投稿をするから、
機械的にオウム返しをされてしまい、
大和説者の精神的な異常性(キョクウの戦争狂)が、
世間の人々にバレてしまっている事になる。 また転写。
263の>>393
大和説はもう滅んでるんだよ 。
古田説やザラコクの九州説に、
まともに史料事実に拠って、反論出来る学者の名前を挙げられるかな?。
できないでしょ 。 また転写
263の>>412
なぜ大和説やってる人は、
史料事実で反論せずに、言葉尻への口先誹謗の、ウソばかりつくんだろうね?。 また転写
263の>>431
>九州説が終わりだってことが よくわかる<
古田説は健在なままであり、
全く、終わっていないよ。
そして、大和説が終わりだってことが よくわかる。 また転写
263の>>432
大和論者に共通する特徴は、
漢文を順次式に読めないってことだなあ。 また転写
263の>>459
>・・・みたいなの放置しといて 畿内説側が声を荒げると文句つける奴の 心が歪んでないわけがない<
伊都説は、陳寿の西晋時代には壹與の墓としての可能性が十分にあったので、
古田説としては、半分〇説。
それに引き換え大和説は、99.5%以上の×説。
心が正しいから、正確な判断が出来る。 また転写
263の>>465
>伊都が女王国なら魏志倭人伝の記述で辿り着けるか?
奴国までなら辿れるけど
魏志倭人伝の記述を辿るなら俺だったら畿内に行き着くね <
「南≠東」だから、この投稿子も嘘つきダマシのサギシであり、×。 また転写
263の>>482
こいつ等こそが、過去の遺物みたいな連中だなw 。
本当にまだ、「南→東」などや、距離の「史料実態の無視曲解」の、
嘘つきダマシの俺解釈しかネタが無いんだな。
アホすぎる 。
こいつ等大和説者らこそが、過去の遺物みたいな・・・・連中だなw。 【宮内庁が隠し続ける日本の本当の歴史】大和王権は百済王族の分家だった
https://oshiete.goo.ne.jp/qa/7458700.html
皇室関連の質問をここでしたりすると、
「皇室は千年の歴史があり、
最も由緒ある皇帝でありそれは世界的に認められていて
世界で唯一イギリス王室と並立する歴史的権威が云々・・・」という人たちが必ず現れます。
そういう保守的な人たちはもちろん、現皇室は基本的にそういう立場というかそういう建前があって成立しているのですね。
これは明治維新以降の皇室の歴史的かつ政治的な立場です。そして宮内庁はそれを「守る」立場にいるわけであります。
それを否定してしまったら皇室の存在意義そのものが問われてしまいます。
で、そういう立場からすると、過去の「作られた歴史」が暴かれてしまうことは権威の根拠に関わってしまいます。
例えば、天皇家というのは実は朝鮮半島から渡ってきた騎馬民族の末裔ではないかという話があります。
倭国(日本)は百済の支援をして当時の倭国としては大軍事力を半島に派遣して白村江の戦いで敗れてしまいます。
なぜ倭国が百済に過大なまでの支援をしたのか、単なる同盟関係であっただけではなく、
実は百済が天皇家からみると「本家」で、倭国は百済の分家ではないのかという話があります。
(中略)
もし仮に
「皇室はかつて朝鮮半島からやってきた渡来一族の末裔である」ということが明らかになってしまったらどうなるでしょうか。
嫌韓のネット右翼がなんと言い出すかどうか考えただけでも恐ろしいですね。
今のところ皇室半島渡来説は荒唐無稽で根拠のない話ということになっています。
なぜなら、日本書紀にも古事記にもそんなことは書いていないからです。
しかし、日本書紀も古事記も時の権力者にとっての「大本営発表」なので歴史の削除、捏造、針小棒大などは当然あるわけです。
あるけど、ないことになっている。
それが我が国の古代史に対する学会の立場です。古代史は天皇家についてはアンタッチャブルの領域なのです。 また邪馬台国畿内説スレからの転写
267の>>799
>まあおおむね古族としてはそんなもんかな。 光武帝から金印をもらったということは
漢の冊封を受けたとみなすのは全歴史学者が同意すると思うけど、
その倭奴とヤマト王権がどういう関係にあるかやね。<
大和は、
筑紫城の倭奴國の阿毎氏から別れた別種の旧小国で、
倭國の附庸國、という関係。 また転写
267の>>803
大和説の輩が有難がっている〜姫とか何とか宮とか。
それは全て紀元前1世紀から7世紀末にかけて、
九州倭國に拠って征服された側の人物だからな。
二千年の洗脳とは、恐ろしい。
自分達を征服支配し、守ってくれた勢力の存在や歴史を、抹殺盗用するなんて。 また転写。267の>>804
>確かにそこは気になってる。
先学は 筑後が遠賀に移遷し、その後途中てんてんとしながら 畿内に落ち着いたと見るが、、、<
大和は、筑紫倭國の別種分家の旧小国であるから×。
実際には、聖徳太子伝暦に拠って、317年頃に久留米付近に遷宮し、
(卑弥呼の後裔の)東海姫氏國が磐井に取って代わられるまで続いた。
>景行征西の最後はミヌマの君 <
大和の景行は、
倭國内の武将的地位で、倭国の「東テイ人」の征伐戦に参戦した事になるが、
古事記には全く記載されておらず、
東テイ人は、後漢最末に「後漢の序に付いて」おり、
卑弥呼の時には東テイ人の記載が無くなって「投馬國」になっているから、
景行の南九州遠征は、卑弥呼よりも前であった事になり、
これも、書紀の盗用造作例になる。
>神功皇后の熊襲征伐は 羽熊白鷲 いずれも系統不明。<
仲哀や神功も、倭國内の武将的地位であったと考えられ、
「神功の熊襲征伐」は、筑紫での征伐になっており、
筑紫は卑弥呼の頃には邪馬壹國として纏まっていたんだから、
神功の熊襲征伐は、卑弥呼の時よりもはるか前の事になり、
これも、書紀の盗用造作の例になる。 まだpart268が出ないから、また転写
267の>>806
>筑紫の地方官(五十迹手、熊鰐)が、畿内から帰ってきた大王を<
この時点で、既におかしい。
大和は、筑紫城の倭奴國の阿毎氏から別れた別種の旧小国の、倭國の附庸國であったんだし、
「南≠東」だから、「畿内」でもないし、「大王」でもない。
だから、有り得る事は、大和は、筑紫倭國の「武将クラス」の地位であった、という事。
>大王から下賜された三種の神器を捧げて出迎えたんだろ。 戦ったともなんとも書かれていない。<
倭奴國の阿毎氏の分家や関係者は、自己の所属部族を示すものとして、それぞれの三種の神器 を持っていたんだろう。
>田油津姫が神夏磯姫の末裔だという根拠がない。 神夏磯姫の三種の神器(八咫鏡を含む)は
とっくの昔に景行天皇に委譲されており=政権移譲 これをもって、倭国の全権は天皇家に渡っている。
田油津姫が何を持っているというのか?<
これもダメ。
景行も、当然、倭國内での「将軍的地位」の阿毎氏の人間であり、
南九州遠征は、古事記に載っていないから、
筑紫倭國の南九州の東テイ人征服戦に参加した事の盗用や造作であった事になり、
東テイ人は後漢の最末期に後漢の序についているから、
だから、魏成立直後頃の事になる。 また転写の続き。
267の>>815
>九州北部がそこから勢力を広げたことは歴史上一つもない。
根拠のない妄想は、ウンザリ。<
国生み神話や五瀬らの東征もあるが、
基本的な根拠は、倭王武の上表文の、
「自昔祖禰躬kwan甲冑、跋渉山川、不遑寧處。
東征毛人五十五國、西服衆夷六十六國、渡平海北九十五國 」。 267の>>816
>筑紫の王墓とやらがあの小さな小さな平原? プッwww <
魏の薄葬令、プッwww 。 畿内の方は6世紀くらいまで
薄葬令を知らなかったんだよね。
あまり大陸と関係がないから
守る必要もないしな。 >>466
東鯷人は彦八井に阿蘇から追い払われた
ナマズトーテムのクメール部族じゃから。
もし仮に 景行征西が 通説よりもかなり早い時期なら この 彦八井という伝承が イコール 淤斯呂和気 と なる。
崇神代が220年
垂仁代が254年らしいので 東に向かった人 という言い伝えが後に 神武に仮託されたなら
淤斯呂和気の業績が彦八井として訛伝したとみても辻褄があう。
(系譜を復元すると垂仁と景行は同世代)
ちょうど孫権が東に攻め込もうと言っていた時期に重なる。 長くとも魏の末期までしか通用しなかった、どうみても西晋時代には撤回されている薄葬令が九州では長く守られていたというなら、
それは九州と大陸の文化交流が魏の時代の途中までで途絶えて西晋以後の中国と国交を持たなかったからかな?
その頃には中国と国交を持てなくなるぐらいに九州の地方勢力が衰退してたと考えざるを得なくなるな >>473
>それは九州と大陸の文化交流が魏の時代の途中までで途絶えて
西晋以後の中国と国交を持たなかったからかな?<
壹與の武帝への朝貢の後も、
晋書や梁書に、倭國の遣使が続いていた記載があるし、
旧唐書や唐会要も、倭奴國の後裔の倭国が「世與中國通」であったとしているが、
新唐書日本伝は「次用明、亦曰目多利思比孤、直隋開皇末、始與中國通」として、
大和日本国は、倭國とは違う国である、という事を書き分けている。 邪馬台国畿内説 Part272が、まだ出来ていないので、Part271の返事を書く場所がなくて止まってしまっているので、
またこちらに転写。
271の>>113
>魏の使者は南九州(投馬国)に寄ってから奈良(邪馬台国)に進んだ 行程、人口ともに最有力
(距離の記述合致、人口規模合致、東→南の読み替え一回のみ)<
「南≠東」だから、×。 271の>>115
>前方後円墳が最初期に現れる三地域が福岡・宮崎・奈良
三地域を拠点に、中国四国東海北陸に広がっていく <
中国の「天円地方の前方後円墳的思想」は、壹與の遣使が、武帝の晋朝から教わったようであり、
平原は、21枚の「尚方作」の金石文の方格規矩鏡は、
魏帝→卑弥呼の銅鏡100枚の一部が元になった可能性が極めて高いから、
壹與の墓である可能性が非常に高く。、
だから、平原の1〜2代後の285年頃の那珂八幡や津古生掛などが、
列島の前方後円墳の初元であった可能性が非常に高い。
また、前方後円墳の大陸での淵源は、モンゴル〜高句麗方面であったのであり、
それが、半島の楽浪や陶質土器の伽耶からの流民を介して、筑紫や出雲を経由して、
東瀬戸内や(ホケノの)大和にも前方後円墳的思考を齎していた可能性もある。
しかし、その年代根拠は、「庄内」の存在や共存に依拠しているが、
伽耶の陶質土器との共存から、
東瀬戸内や久宝寺や大和の庄内よりも、那珂八幡の庄内の方が古い事になり、
柳田の証言では、その那珂八幡の庄内よりも、三雲の庄内の方が古くなり、
東瀬戸内〜大和の庄内は、筑紫の庄内よりも新しい事になり、
前方後円墳の列島での初元にならない。 271の>>117
神武のハツクニシラスは、「国を初めて建国した」、という意味。
崇神のハツクニシラスは、「(建国後に)新しい征服地を得て支配した」という意味。 271の>>118
>3世紀中葉のホケノ山古墳から鉄器はそれこそ大量に出土している<
ホケノは、楽浪の画文帯が副葬されているし、
扶余などに見られる「槨」があるし、
庄内と布留の混合?状態であるから、
「3世紀中葉」ではなく、3世紀末から4世紀にかけての墓。
楽浪渡来系が、鉄鏃を副葬のお宝にした。
>三角縁神獣鏡には卑弥呼が魏に使いを送ったとされる<
三角縁神獣鏡は、洛陽から、殆ど出土しないから、×。
>景初二年とほぼ同時期の景初三年という年号が刻まれており<
明帝の詔書は、景初二年12月に出されたのだから、銅鏡100枚は、既に集められており、
だから、景初三年鏡は、魏帝の下賜鏡ではない。
>ゆえに三角縁神獣鏡は卑弥呼が魏からもらった100枚の銅鏡に相当する <
平原の21枚の「尚方作」の方格規矩鏡は、魏帝の下賜鏡が元になったもの。 >>474
九州の政権が朝貢していたのが魏の途中までで、魏が滅ぶより前に九州から他地域というか畿内に朝貢主体が入れ替わったと考えなければ説明がつかない現象なんだよな
薄葬令に絡む事象からは東遷説(卑弥呼は九州在住だが臺与はは畿内在住)しか導きえない
まあオレ的には薄葬令云々の与太話がデタラメだと思ってるので(つまり薄葬令は魏の国内以外に適用されてないから倭国の墳墓とは無関係)東遷説じゃなく畿内説なんだけどな また転写
272の>>664
>>そして、一つの写本版本の差異発生率は、全写本版本数で割り算すればよいんだから、
もしも仮に100種類あったとすれば、「差異発生」率は、100で割って、0.005%位。<
>まず、この部分がおかしい。
全写本版本数で差異発生率が変動するのは明らかにおかしい。
つまり、どの版本においても差異発生率は0.5%だ。<
関係がない。
最初の話は、一人の人が見た一冊の魏志倭人伝本の中に「間違いがいくらでもある」、
という話であった筈だ。
そして、全写本版本での差異発生数が4000文字余りであるんだから、
仮に写本版本が全部で100種類あったとすれば、一冊の目の前の三国志には、平均して、
4000文字余りの100分の1(40文字余り)になるんであり、
だから、私の計算は、その40文字余りを総文字数の80万字で割り算して、
0.005%位とする事と同じ事をしている事になる。 また転写。
273の>>869
キョクウの皇国史観の大和説者と偽書説は、同じ穴の貉であり、
和田キヨエをたぶらかして尿入りの?大量の一升瓶を、旧和田家宅において置くという・・・・であるというのが、、
今日の大和説者らの実態であるからな 。
まぁ尿入り一升瓶カルトの・・・・信者には、何言っても無駄。 273の>>886
>那珂八幡は1号主体は未発掘だからね 鏡が出土したのは2号主体
先行して構築された1号主体と2号主体は軸がずれている
つまり、那珂八幡の築造は1号主体の時だな
1号主体の上に神社があるため仕方ないが、未発掘なのは残念 <
成程。
ご紹介、有難うございます。 273の>>888
大和が、早くから筑紫倭国の属国の旧小国で、附庸国だったという証拠だな 。 273の>>889
ここの大和説者を見てると、
大和説学者が隠そうとした大和説の欠陥が浮き出してくるようで、
ある意味面白いよ。 273の>>892
元々筑紫から始まった墓制が、
「自昔祖禰・・・東征毛人五十五國、西服衆夷六十六國、渡平海北九十五國」でのドーナツ現象のように、
肥後や大和や稲荷山に表れて喜んでる大和説者って、
やっぱり頭おかしいな。
年代からしても、鏡の副葬も近畿などの大古墳は、
「セレモニーは進化巨大化」という人類の常識に従って、追従巨大化する形であるだえなのに・・・。 273の>>894
>現実的、常識的に考えれば、魏に亡命した呉系の鏡師らが楽浪や列島に来ているわけだから、
結局は魏鏡説に行き着く。<
アホだね。
魏に亡命したんなら、洛陽に三角縁神獣鏡が一杯出土する筈なの出土しないし、
呉系の楽浪にきてしまったら、それだけでも魏に戻って三角縁を造れないんだし、
列島で景初二年以前の呉の年号鏡がある事の説明も出来ない。 畿内の副葬品は盗まれて無くなっただけやろ
九州みたいな鄙びた土地と違うからな
松永弾正や三好三人衆みたいなのがわんさかいたのが畿内 >>481
キョクウは天皇が他国に朝貢したはずがないと考える人なので邪馬台国九州説に必ず行き着くものです
邪馬台国大和説は天皇の祖先が中国に朝貢したと考えてる人なのでキョクウとは敵対してます >>487
そもそも継体天皇陵だって掘削して城を建てられてるぐらいだしな、
戦国時代の近畿の武士らには天皇に対する敬意がない 273の>>902
>つまり北部九州にはちっさいムラがあるばかりで
広域を統一した大国はなかったんだね <
いや、卑弥呼の共立や壹世の共立で、筑紫は非常に統一安定した。
それに引き換え、東方や大和は、「東征毛人五十五國」のように、
旧小国ばかりで、広域を統一した大国はなかったんだね 。 273の>>908
土器も墓制も今までになかった筑紫のものが、突然東方や大和に広まっている。
自分たちの中心もまとまりもなく、小集落の分立する雑多な旧小国の村の集まりだった。
それが「自昔祖禰・・・東征毛人五十五國」であり、大和の現実だな。
筑紫に吸収されてるってか。 >>473
そもそも中国の法律が倭にも効果があった歴史なんざどんな史書にも書かれて無いんだが >>492
実際は知らないが、一般論としていえば、法律の効果の問題というより、先進国の習俗を見習おうとする精神があったかなかったかということだろ?
役所や役職の名称は中国に倣ってるみたいだから、習俗を倣っても不思議ではないな。 西晋代に入ると薄葬令は廃止されて儒教仕様に戻ったからなるべく大きな墓を作って盛大に葬ることを尊んだのに、
そっちの風習は倣わなかったんだね。なぜ倣わなかったんだね?
それとも九州説は自説に都合がよい話だけは与太話でも信用するという風習でももってるの? >>494
知らないと断ってるんだから、俺に聞くなよw
一般的には、外国の習俗が伝わるまでには時間差がある。 それなら薄葬令だけ例外的にタイムラグなしにすぐ伝わったと決めつけてるのかい? >>496
俺に聞くなってw
一般に習俗の伝播には時間差もあるし、内容の違いもある。
習俗が法とされるまでの時間差もあるかも知れない。
法が習俗にならない場合もある。 >>493
それは後代の話
邪馬台国の時代に役所や役職の名称を中国に倣ってはいない
そもそも役所や役職の名称と習俗は一切関係無いけどな
>>494
それは畿内説の事だな >>495とかじゃなくて>>470とか>>498に対して聞きたかったんだが、
薄葬令とかいうシロモノが魏代には即時伝播しておきながら晋代以後はまったく伝播しなくなったという矛盾について聞きたいんだよ。
薄葬令が倭に伝播したから九州の墓は小さいんだと主張するなら、倭と中国の交流は晋代には全くなくなっていたことになってしまう
魏末頃には倭の中心地が九州でなく畿内に変わっていたから九州に中国の情報が伝わらなくなったという解釈しかできないよな
そうじゃなかったら晋代には薄葬令の廃止の情報も即座に伝わっていないとおかしいことになってしまうもんな
情報に時間差があるなら魏代にも情報が遅れてたはずで卑弥呼の墓は薄葬ではなかったはずだし、薄葬じゃなかったら九州には該当する大きな墓がない >>499
薄葬礼の廃止については
あまり言及されたことがないね。
火葬の普及で葬儀そのものが小さくなって、
厚葬が廃れたってのはあるが。
廃止は誰が発令したのかな? >>499
聞かれてもいないのにしゃしゃり出るけど、卑弥呼の墓が薄葬であるとするなら、卑弥呼以前の王墓の規模が大きいことを提示しないといけないわけだけど、そこはどうなの?
そうじゃないと、そもそも薄葬なのかどうかわからない。
大きな墓を作ったというのは、陳寿の見かたでもあるだろうし、倭人の見かたでもあるということだろう。
短里説なら径30メートル程度だろうし、長里であるなら径160メートル位程度か。 >>500
僧侶などの仏徒以外にも火葬が広まったのは持統の時に火葬を命じてから
対するに古墳のサイズが小さくなったのは欽明のすぐ後ぐらいからだろ
時代が違いすぎないか
サイズが小さくなったあとから火葬が広まってるぞ そもそも自分の墓についてのみ言及した薄葬令が他者の墓にまで拘束力ん持ったとの想定がおかしい >>504
もともと時限立法というか特例法で出てるんだから廃止も何もない
あえて言うなら出たと同時に廃止 そもそも邪馬台国で薄葬令の適用があったというなら、中国の陵墓がその前後に変わったという実態をまず提示してくれ、
たとえばこんなのでも読んで。
http://www.kyuko.asia/book/b243337.html >>470
>畿内の方は6世紀くらいまで 薄葬令を知らなかったんだよね。
あまり大陸と関係がないから 守る必要もないしな。<
成程。 畿内説は
宮内庁主導の国家プロジェクト
皇国史観が崩されるから 宮内庁に入庁するには畿内説は必須
関西の大学出身者が多いよ 関西の大学の日本史の教授は、宮内庁に強いパイプ持ってるから
宮内庁の就職ワクを持っているらしい。
学生も将来のため畿内説に染まる。
奈良県教委もしかりだがね。 考古学の学者の学歴調べると面白いな
関西の大学の出身者のオンパレード
畿内説の学者が多いのはあたりまでだな >>471
>東鯷人は彦八井に阿蘇から追い払われた ナマズトーテムのクメール部族じゃから。<
東鯷人の史料事実は、海賦に書かれたように、後漢末年(220年頃)に、後漢に「序に就いた」事。
そして、卑弥呼は、魏使らが対面した正始元年(240年)時点で「年已長大」(長大≒30〜35歳)であったんだから、205〜210年頃生まれになり、
後漢末には、15〜20歳で、共立されるには、少し若過ぎるか?という事。
そして、投馬國は南九州にあった可能性が非常に高いから、
東鯷人の20国の内の南九州地域は、投馬國という呼称に変わって、
卑弥呼ら倭人の支配下になって、卑弥呼共立に参加した可能性が高い事。
だから、倭人と東鯷人の戦い?は、220年〜240年の間にあった、という可能性が高い。
>もし仮に 景行征西が 通説よりもかなり早い時期なら・・・ ちょうど孫権が東に攻め込もうと言っていた時期に重なる。<
景行遠征譚は、古事記に書かれていないから、書紀の「倭国史書記録の転載」の可能性があり、
「〜ワケ」は分家を示すから、
倭国の分家の大和の景行が倭国の南九州征伐に将軍として参戦した、
という事を書紀が記載した可能性が高い。 >>473
>長くとも魏の末期までしか通用しなかった、どうみても西晋時代には撤回されている薄葬令が<
撤回された?話は知らない。
また、
武帝の晋朝が、壹與の使節に「(周髀算経の)天円地方の思想や埋葬法」を教えた可能性があるし、
列島でも、伽耶とか那珂八幡とか、吉備やホケノなどに、
扶余や東沃沮の「槨」部族の渡来や、「天円地方」埋葬や前方後円墳を教えた、という可能性もある。
また、その後、中国も南北朝になり、戦乱に忙しくて、巨大古墳など、造る余裕がなく、
倭国からの遣使も倭王武の頃までずっと継続していた。
>九州では長く守られていたというなら、
それは九州と大陸の文化交流が魏の時代の途中までで途絶えて西晋以後の中国と国交を持たなかったからかな?
その頃には中国と国交を持てなくなるぐらいに九州の地方勢力が衰退してたと考えざるを得なくなるな <
途絶えていない。
晋書や宋書や梁書や隋書や通典や旧唐書や唐会要のいずれにも、
「世與中國通」などであった事が主張されている。 >>479
>九州の政権が朝貢していたのが魏の途中までで、魏が滅ぶより前に九州から他地域というか畿内に朝貢主体が入れ替わったと考えなければ説明がつかない現象なんだよな 薄葬令に絡む事象からは東遷説(卑弥呼は九州在住だが臺与はは畿内在住)しか導きえない<
ダメだな。
根本的に、大和は、「南≠東」であるし、
筑紫城の倭奴國の阿毎氏から別れた別種の旧小国であり、倭国の附庸国であって、
白村江の後の701年に、大敗した倭国を大和が併合吸収継承した、
という事は、否定出来ない。
また、吉備や大和に巨大古墳が造られたのは、
扶余における「太康六年(285年)」の戦乱のために、扶余や東沃沮の「槨」部族流民の流入がきっかけになった事も否定し難い。
>まあオレ的には薄葬令云々の与太話がデタラメだと思ってるので(つまり薄葬令は魏の国内以外に適用されてないから倭国の墳墓とは無関係)東遷説じゃなく畿内説なんだけどな<
「南→東」の嘘つきダマシや、
「大和が倭国の別種の旧小国」の否定抹殺の嘘つきダマシのサギシの大和説者である事は、
始めからバレバレだよ。 >>487
>畿内の副葬品は盗まれて無くなっただけやろ 九州みたいな鄙びた土地と違うからな
松永弾正や三好三人衆みたいなのがわんさかいたのが畿内 <
「大和日本国は倭国の別種の旧小国」なんだから、鄙びていたのは大和の方。 >>488
>キョクウは天皇が他国に朝貢したはずがないと考える人なので邪馬台国九州説に必ず行き着くものです
邪馬台国大和説は天皇の祖先が中国に朝貢したと考えてる人なのでキョクウとは敵対してます<
竹島戦争を鼓舞扇動するキョクウのssnは、
天皇が他国に朝貢したはずがないと考える皇国史観の人なので、
邪馬壹國大和説に必ず行き着くものです。
九州説者は、天皇の朝貢など関心がなく、「史料事実」を根拠に推論する人々なので、
キョクウとは敵対してます。 >>492
>そもそも中国の法律が倭にも効果があった歴史なんざどんな史書にも書かれて無いんだが<
漢委奴国王や親魏倭王や「率善中郎將や率善校尉や銀印」を受けたものや、宋などから叙爵を受けた倭の五王らは、
「中国の法律が倭にも効果があった」証拠になる。 >>493
>実際は知らないが、一般論としていえば、法律の効果の問題というより、先進国の習俗を見習おうとする精神があったかなかったかということだろ?
役所や役職の名称は中国に倣ってるみたいだから、習俗を倣っても不思議ではないな。実際は知らないが、一般論としていえば、法律の効果の問題というより、先進国の習俗を見習おうとする精神があったかなかったかということだろ?
役所や役職の名称は中国に倣ってるみたいだから、習俗を倣っても不思議ではないな。<
周の臣下である事を示す「大夫」を名乗ったり、
漢委奴国王や親魏倭王や「率善中郎將や率善校尉や銀印」を受けたものや、
宋などから叙爵を受けた倭の五王らは、
「倭人國が、中国の臣下であった」事の証拠になる。 魏志倭人伝に径百歩の大きな塚を作りとあるから
日本に薄葬令は伝わってなかったんだね >>494
>西晋代に入ると薄葬令は廃止されて<
それは何時のどんな命令であったんかね?。
>儒教仕様に戻ったからなるべく大きな墓を作って盛大に葬ることを尊んだのに、
そっちの風習は倣わなかったんだね。なぜ倣わなかったんだね?<
南北朝の戦乱時期に、
誰が何時どんな「盛大な墓」を造ったのかね?。
>それとも九州説は自説に都合がよい話だけは与太話でも信用するという風習でももってるの? <
「南→東」などの嘘つきダマシの・・・・キョクウのサギシの大和説者という人種は、
幾らでもウソダマシをするから、
史料根拠を出して貰って確認出来るまでは、
信用していないよ。 >>496
>それなら薄葬令だけ例外的にタイムラグなしにすぐ伝わったと決めつけてるのかい?<
孔明の遺言の墓が既に薄葬の例であったな。
こりゃ、魏朝だけではなく、戦乱期での「中国や周辺国全体」の思想だな。 >>498
>それは後代の話
邪馬台国の時代に役所や役職の名称を中国に倣ってはいない
そもそも役所や役職の名称と習俗は一切関係無いけどな <
薄葬令を破って、
厚葬かつ豪華巨大葬をした事がバレれば、
そりゃ、金印も銀印も率善中郎將も率善校尉も、剥奪されるよ。 >>499
>薄葬令とかいうシロモノが魏代には即時伝播しておきながら晋代以後はまったく伝播しなくなったという矛盾について聞きたいんだよ。
薄葬令が倭に伝播したから九州の墓は小さいんだと主張するなら、倭と中国の交流は晋代には全くなくなっていたことになってしまう
魏末頃には倭の中心地が九州でなく畿内に変わっていたから九州に中国の情報が伝わらなくなったという解釈しかできないよな
そうじゃなかったら晋代には薄葬令の廃止の情報も即座に伝わっていないとおかしいことになってしまうもんな
情報に時間差があるなら魏代にも情報が遅れてたはずで卑弥呼の墓は薄葬ではなかったはずだし、
薄葬じゃなかったら九州には該当する大きな墓がない <
関係がない。
何度も書いたように、(筑紫とは違って)田舎の薄葬令が及ばない吉備や大和には、
扶余や東沃沮の「槨」の流民部族が流入して来て権力に中に入っていたようだから、
在地の出雲系や毛人捕虜などへの見せ付けや、古韓尺技術の見せ付けのために、
モンゴル〜高句麗方面で盛行した前方後円墳を巨大化する必要があった。 ここまで来ると妄想癖も重症だな
魏の薄葬令ってのは、文帝本人の墓を薄葬にするよう求めた遺言であって、子孫代々の墓を薄葬にすることも求めてないし家臣の墓を薄葬にすることも求めてない。
だから違反したからと言って官位剥奪されることもない。
ましてや、禅譲により西晋朝に代わって以降には、いかなる人についても適用される余地すらない。
薄葬令が邪馬台国に徹底して適用されたことにしないと都合が悪いとでも思ってるのかな。
だがいくら空想しても事実無根のものは事実無根だよ
相手の発言を事実無根呼ばわりする君の方が圧倒的に事実無根だね、いつもいつも。 >>501
>聞かれてもいないのにしゃしゃり出るけど、卑弥呼の墓が薄葬であるとするなら、卑弥呼以前の王墓の規模が大きいことを提示しないといけないわけだけど、そこはどうなの?
そうじゃないと、そもそも薄葬なのかどうかわからない。<
それまでの墓とは全く違った「高塚」的古墳の祇園山で、同時期の楽浪太守の墓とほぼ同じ大きさだよ。
>大きな墓を作ったというのは、陳寿の見かたでもあるだろうし、<
「陳寿の見かた」ではないよ。
魏使らの歩測に拠る計測だよ。
>倭人の見かたでもあるということだろう。<
倭人は、「里」を知らないんだから、同じ里歩系単位である「歩」も知らないよ。
>短里説なら径30メートル程度だろうし、長里であるなら径160メートル位程度か。<
魏使らは、短里での計測だよ。 >>502
>僧侶などの仏徒以外にも火葬が広まったのは持統の時に火葬を命じてから
対するに古墳のサイズが小さくなったのは欽明のすぐ後ぐらいからだろ 時代が違いすぎないか
サイズが小さくなったあとから火葬が広まってるぞ<
田舎の旧小国で、扶余や東沃沮の「有槨」が流入していた大和の墓サイズは、
半島や中国と密接な関係があった倭国の墓サイズの参考にはならないよ。 >>503
>そもそも自分の墓についてのみ言及した薄葬令が<
その薄葬令の文を示してみろ?。
>他者の墓にまで拘束力ん持ったとの想定がおかしい<
仮に皇帝が自分の墓のサイズを規定したら、
部下や臣下が、それよりもはっきり大きくする事など、
出来るものではない。 >>505
>もともと時限立法というか特例法で出てるんだから廃止も何もない
あえて言うなら出たと同時に廃止 <
おかしいねえ?。
この男らは、どうしても、「薄葬令」の本文も、廃止の命令文も、提示しない。
やはり、「南→東」などの嘘つきダマシのサギシ人種であったのかい?。 >>506
>そもそも邪馬台国で薄葬令の適用があったというなら、中国の陵墓がその前後に変わったという実態をまず提示してくれ、
たとえばこんなのでも読んで。
http://www.kyuko.asia/book/b243337.html <
それだけでは、参考にならんではないか。 >>512
訂正。
そして、卑弥呼は、魏使らが対面した正始元年(240年)時点で「年已長大」(長大≒30〜35歳)であったんだから、205〜210年頃生まれになり、
後漢末には、15〜20歳で、共立されるには、少し若過ぎるか?という事。
は、
そして、卑弥呼は、魏使らが対面した正始元年(240年)時点で「年已長大」(長大≒30〜35歳)であったんだから、205〜210年頃生まれになり、
後漢末(220年)には、10〜15歳で、共立されるには、少し若過ぎるか?という事。
に訂正。 >>519
>魏志倭人伝に径百歩の大きな塚を作りとあるから 日本に薄葬令は伝わってなかったんだね<
いや、百歩は短里であるから、25m位であり、
同時期の楽浪太守の墓と同じ位の大きさだよ。 >>524
>ここまで来ると妄想癖も重症だな<
ここまでくると、「南→東」などのような事実に対する大和説者の曲解癖は重症だな。
>魏の薄葬令ってのは、文帝本人の墓を薄葬にするよう求めた遺言であって、子孫代々の墓を薄葬にすることも求めてないし家臣の墓を薄葬にすることも求めてない。
だから違反したからと言って官位剥奪されることもない。<
この男は、全くの「人類の常識知らず」のアホだね。
初代文帝よりも後代の、皇帝や家臣が、
文帝を薄葬をした墓よりも、巨大で豪華な墓を造れる筈がない、ではないか。
>ましてや、禅譲により西晋朝に代わって以降には、いかなる人についても適用される余地すらない。<
いや、禅譲して貰ったからには、西晋朝は、変更を決めない限り、魏の皇帝の墓より大きく豪華にする事を控えるもの。
>薄葬令が邪馬台国に徹底して適用されたことにしないと都合が悪いとでも思ってるのかな。
だがいくら空想しても事実無根のものは事実無根だよ <
田舎の大和ではどうか?は知らんが、
魏帝から、金印の王位や率善中郎將や牛利爲率善校尉や銀印を貰った筑紫倭国の人間は、
薄葬令の廃止や爵位の廃止?を伝達されない限り、
自分からは、勝手に薄葬を止める事はし難い。
>相手の発言を事実無根呼ばわりする君の方が圧倒的に事実無根だね、いつもいつも。<
大和説者は、いつもいつも、「人類の常識」外れの圧倒的なアホばっかりだね。 >>526
九州だと2世紀末か3世紀初頭頃には墓のサイズが小さくなってるから、仮想の普及より何百年も開いてしまって畿内の場合より以上に論旨が破綻してるけど?
>>528
薄葬令というシロモノが出たと言って持ち出した張本人すら文面を省いてるんだが。
名前(通称)だけ紹介して中身を省いて騙そうとするインチキさんにこそ文句を言いなさいな、爺さん。 畿内は中国から、
距離的にも文化的にも遠かったので
薄葬礼という情報がなかったから
合わせられなくても仕方がない。 >>527
こんなんか?
http://www.geocities.jp/sangoku_bungaku/so_hi/easy_funeral.html
>>529
読みもしないで(紹介文のチラ見だけで)否定か。お前さんのいつも言っている「まず読め」はどうしたんだ?
自分が読まされる段になると読みたくないのかな?
>>531
妄想中の妄想たる短歩か、馬鹿馬鹿しい >>532
>いや、禅譲して貰ったからには、西晋朝は、変更を決めない限り、魏の皇帝の墓より大きく豪華にする事を控えるもの。
儒教軽視ゆえに魏が早期に衰退したと称して儒教立国にした晋が厚葬を取り締まったはずがないが
そもそも親魏倭王と同等の扱いを受けた親魏大月氏王が薄葬令を受け入れたかどうかぐらい見てこいよ >>533
>>>僧侶などの仏徒以外にも火葬が広まったのは持統の時に火葬を命じてから 対するに古墳のサイズが小さくなったのは欽明のすぐ後ぐらいからだろ 時代が違いすぎないか サイズが小さくなったあとから火葬が広まってるぞ<
>>田舎の旧小国で、扶余や東沃沮の「有槨」が流入していた大和の墓サイズは、 半島や中国と密接な関係があった倭国の墓サイズの参考にはならないよ。<
>九州だと2世紀末か3世紀初頭頃には墓のサイズが小さくなってるから、<
小さくなっていないよ。
>仮想の普及より何百年も開いてしまって<
意味不明だよ。
「火葬」だったとしても、筑紫の雷山の4世紀頃のインド僧の渡来の方が、大和の仏教渡来よりもはるかに古い。
>畿内の場合より以上に論旨が破綻してるけど?<
何を言いたいのか?がさっぱり判らんが、キミの個々の話自体の論理が破綻しているんだよ。 >>533
>薄葬令というシロモノが出たと言って持ち出した張本人すら文面を省いてるんだが。
名前(通称)だけ紹介して中身を省いて騙そうとするインチキさんにこそ文句を言いなさいな、爺さん。 <
薄葬令を読んだのはもう40年以上前頃の事であり、
もう詳しく覚えていないし、探せないから、
薄葬令を知っているらしいキミに聞き直したんだよ。 >>535
>妄想中の妄想たる短歩か、馬鹿馬鹿しい <
どうも、誰から誰への返事であったのか?がよく判らない投稿が続いていたが、
これは私宛の投稿のようだな。
しかし、
妄想中の妄想たるの、
「周髀算経の短歩」の論理の否定
か、馬鹿馬鹿しい。 >>537
>>いや、禅譲して貰ったからには、西晋朝は、変更を決めない限り、魏の皇帝の墓より大きく豪華にする事を控えるもの。<
>儒教軽視ゆえに魏が早期に衰退したと称して儒教立国にした晋が厚葬を取り締まったはずがないが<
それなら西晋の皇帝らの墓が、どの程度の厚葬であったのか?を示されたら?。
>そもそも親魏倭王と同等の扱いを受けた親魏大月氏王が薄葬令を受け入れたかどうかぐらい見てこいよ<
親魏大月氏王が、どの程度に魏の臣下になったのか?、ならなかったのか?が判らないと、
無意味だな。
しかし、倭国では、率善中郎將や率善校尉や金印や銀印青綬を受けて、
魏の臣下になった事がはっきりしているんだから、
やはり薄葬令を破る事は出来なかっただろうなあ。 1里400mなにがしのスケールが成立し得ない理由
https://goo.gl/wHg1Qw 542や543のような短縮urlは、今はフィッシング詐欺などで使われることが多くなったので、
互いに信頼関係のある仲間内以外で使うことは避けるべきと言われるようになってきています
さて周牌算ですが、千里ばかり北の地点だけでなく南北回帰線や、夏至だけでなく冬至の影の長さも出ていますよね
それらの数値のうちで1つだけ、千里北の位置の夏至だけです
冬至の影は短里と全く合わない数値だし、回帰線までの距離も問題外に違ってます
どの距離も一理の長さがバラバラで、それらのなかにたまたま短里と同程度の長さのものが混じっているだけ、
誰がどう見ても偶然の一致としか思いません
その程度のものを短里の証拠と呼ぶような短慮な人とは論理的な会話は成り立たないでしょうね >>544
周脾算経には夏至の日と定義されていますよ。
数学書なので、定義はバッチリです。 夏至の日の数値だけしか書いてないとか嘘を言うなよ
冬至の日の影の計算も一緒に書いてるし回帰線までの距離とかもセットだろ >>546
各季節の影の長さが書かれていて、
千里北の位置の長さは
夏至の日の影の長さが一寸変化するところと書かれていますが? その千里北の位置の冬至の影の長さも一寸の差とかいてるでしょ
しかし短里で千里の位置では冬至の影の長さが合わないでしょ >>548
一寸変化する位置を計算したら
短里だったということですよ。 >>538
そんなうろ覚えのまま議論に使おうとするとか、相手をバカにしてるのですね >>549
夏至の日の影で一寸千里だと七十何メートルで近い値だったけど冬至の日の影では同じ一寸千里の記述から短里と大きく違う値がでたでしょ
それでは困るので書いてなかったことにしたの? >>551
夏至の日の影の長さだと書いてありますよ。 あくまでも冬至の影の方の一寸千里は存在しないことにしたいんだね、短里説崩壊に直結するから当然だけど。
夏至の日の影だけしか書いてないと嘘をつくしかないよな。 >>553
一寸千里は夏至の日の八尺の棒の影が、一寸変化する距離を言う
というのが周髀算経の定義ですからね 「一寸千里」は、夏至の日の時刻正午の八尺の棒の影が、
一寸変化する地点の南北間の距離を言う
八尺棒の影が16寸の時の位置は北緯35.14度(BC1120)から北緯35.19度(BC1600)
八尺棒の影が15寸の時の位置は北緯34.45度(BC1120)から北緯34.50度(BC1600)
八尺棒の影が17寸の時の位置は北緯35.83度(BC1120)から北緯35.88度(BC1600)
(上記緯度の変化は、地球の歳差運動により時代により自伝軸の傾きが変化する為)
上記から
1里=76.4m(平均値)となる。 明らかに原典を読んでない(翻訳すら見てない)門外漢が空想で文面を捏造して言いたいことだけ言ってるな
さすが九州王朝信者は妄想を働かせると生き生きしてくるようだ 861日本@名無史さん2017/09/22(金) 12:58:55.53
九州説はもともと「邪馬台国が九州にあるとはこれっぽっちも思ってない」新井白石や本居宣長が唱えた虚構である。
もはや「説」ですらない。
新井や本居は古代天皇の朝貢という重い課題に直面、
それをごまかすために九州説なる虚構を創った。
論争してくれてるうちは古代天皇の朝貢という重い課題を決着させなくて済む。
すっかりだまされてた馬鹿(九州説)の皆さん、今までご苦労様。 >>556
>明らかに原典を読んでない(翻訳すら見てない)門外漢が空想で
>文面を捏造して言いたいことだけ言ってるな
原典(周髀算經)を読む能力がないのは、君だね。 >>556
>明らかに原典を読んでない(翻訳すら見てない)門外漢が空想で
>文面を捏造して言いたいことだけ言ってるな
原典(周髀算經)を読む能力がないのは、君だね。 >>556
>明らかに原典を読んでない(翻訳すら見てない)門外漢が空想で
>文面を捏造して言いたいことだけ言ってるな
原典(周髀算經)を読む能力がないのは、君だね。 >>556
>明らかに原典を読んでない(翻訳すら見てない)門外漢が空想で
>文面を捏造して言いたいことだけ言ってるな
原典(周髀算經)を読む能力がないのは、君だね。 根拠も述べずに同一文面の妄言を連続四回投稿か
よほど痛いところを突かれて狼狽えたのかな? >>562
>根拠も述べずに
根拠は「周髀算經の記述内容はBC12世紀に成立していた」だ。
「二十四史を読むのが趣味の元エンジニア爺」と
「漢文天文数学に長けた爺」が投稿者名である。 棒の影の長さがある場所で夏至の時南北で1寸違うと記されている
そこは千里くらいの距離だからそれを一里で割ると75mくらい
なので周の時代の一里は75mだったに違いないという理屈か
古代の未発達な測量技術の結果を元に
当時の里の長さを断定するのはちょっと乱暴じゃないか?
しかも冬至やその他で一里の長さ換算するとバラバラになるなら
単に計測が不正確だっただけで
短里なんて無かった証拠では 夏至の日の影の長さと書かれているから
冬至の日を気にする必要はないのでは? あるね
例えば冬至の時に棒の影の長さが1寸違う場所の距離は
A市とB市の七百里になりましたとあったとしてな
冬は南北で影の長さの差が大きくなるからな
それだけ棒の影の差が1寸になる距離は縮まるからな
そのA市とB市の間七百里を一里に換算したら
夏至の時と同じく75mにならなければいけない
夏至と冬至で一里の長さが違うなんて変だろ?
その他の場所でも数値がバラバラだそうだし
つまり当時の一里は75mとは言えないわけだ
本文読んでないから数値は適当だが どちらの側にもいえることだけど、「周髀算經」というのは、天文学の専門書だろ?
専門家でもないというより、三角関数すら覚束ない歴史マニアがなにかの論拠にするのは無理じゃないかな。
「周髀算經」の解釈については、専門家の議論に任せるべきだと思う。
どちらにしても、韓伝や倭人伝は、短里でなければとんでもなくデタラメな位置や距離が書かれていることになる。
倭人伝を歴史書としてみるなら短里として読むほかはないし、短里がありえないとみるなら、倭人伝を歴史書として扱うのは無理だ。
都合のいいとこどり、みたいな解釈は、しても無意味だと思う。 一里75mを周髀算經から割り出したと称するやり方よ
天文学数学関係なしに短里の根拠とするにはちょっとって事だ
ざっくりかいつまんで説明すると
夏至の時にA市とB市で棒の影の長さが1寸違います
A市とB市の間の距離は千里と周髀算經にあります
A市とB市の距離を現在で測ると75kmです
なので75000÷1000で75
周当時の1里は75mだったのですってやり方
しかし冬至の時も影の長さが1寸違う所も測ったんだろう
そういう記述があるそうだから
それに多分冬至はA市C市で1寸七百里なんてあったとして
この七百里も1里75mに換算できなければ
短里が使われていた証拠にはならない
色々記述があるそうだが夏至の時に測った数値だけが
1里75mであとがバラバラなら
1里ま75mだったとする証拠とは言えない >>568
イミフ
ちゃんと定義が夏至なら冬至のことなんで気にするかね
冬至と夏至で結果を平均してる記述でもあるの? >>569
544の人が言ってるよ
夏至だろうと冬至だろうと
両方の数値が1里75mに一致しなければ
周時代の1里が75mの短里だったとは言えないんだ >>564
>しかも冬至やその他で一里の長さ換算するとバラバラになるなら
>単に計測が不正確だっただけで
@夏至の日の時刻正午が「一寸千里」の条件
A黄道北極点(北極樞)と北極星(北極中大星)の観測データが書かれていることから
計測が不正確でないことがわかる。
B>>554の4桁数値データで計算すれば、各地点間の緯度差が0.69度になることから、
1里=76.55mとなることは、君でも計算できるだろ。 ザラコクは根本的にわかってないようだな
何だよ夏至の日の時刻正午が一寸千里の条件て
北極星が書かれてようが何が書かれてようが
夏至と冬至で1里の長さが一致せんのはおかしいんだよ? 夏至の日と定義されているのに
定義外の冬至の影を論じる理由がわからない。 「周」髀算經とあるから周の時代の書物という話だ
短里も魏より昔の周時代のものというタテマエ
周時代には短里が使われていた証拠が周髀算經というのが九州説の主張
ここまではいいな? >>576
間違い過ぎてて凄いな
なにをどう調べたらそんな認識になるんだ? 周の時代に使われていた短里が東夷に残り
魏ではまた別の里になったってことかな? 朝鮮半島や他の地域に
ちょこちょこ短里じゃないかって
記録が残ってるからね >>578
いったい何をどう読めばこんな認識になるんだ?
魏志倭人伝すら見てないのか >>577
周髀算經の一寸千里が短里で書かれてなきゃ話がおかしくなるぞ? >>532
物証もなく魏から金印をもらったのが九州の王だと決めつける厚顔無恥さの持ち主だけあって、何でもかんでも物証無しに決めつけていきますね。
中国の風習やら単位やら、留まるところを知りません。どこまで妄想をたくましくするのでしょうかね。
>>540
>「周髀算経の短歩」の論理の否定
周髀算経にて「一寸千里之制」の書かれている部分の数値の中から自説に都合がいい一部だけ抜粋して短里を創作する姿勢。
相変わらずの物証無視ですね。
それに「周髀算経」ってのは、周牌算の本ってことであって周代とは無関係ですけどね >>547
夏至の影の長さじゃなくて(季節を問わず)影の長さが1寸変わるとこだろ
現実の地球と違って周牌算の計算では平面大地と近距離太陽を前提に書かれてるから、どの季節でも1寸千里が成り立つという非現実な想定になっている。
そのなかで夏至の日の影だけが短里説と適合する。
>>563
自説に有利な内容なら素人の空想でも根拠なく受け入れるのが君のジャスティスなんですね、わかります。
>>574
周牌算では一寸千里之制が成り立つのは夏至の日だけではない、年中でしょ
夏至の日だけ成り立つと書いてないのに捏造してはイカンよ >>582
太陽は地上8万里のところにあると書いてる本だぞ、短里で8万里かよ? 該当するところを置いときますね
榮方復歸,思之,數日不能得。復見陳子曰:「方思之以精熟矣。智有所不及,而神有所窮,知不能得。願終請?之。」
陳子曰:「復坐,吾語汝。」於是榮方復坐而請。
陳子?之曰:「夏至南萬六千里,冬至南十三萬五千里,日中立竿測影。此一者天道之數。
周髀長八尺,夏至之日?一尺六寸。髀者,股也。正?者,句也。
正南千里,句一尺五寸。正北千里,句一尺七寸。日益表南,?日益長。
候句六尺,即取竹,空徑一寸,長八尺,捕影而視之,空正掩日,而日應空之孔。
由此觀之,率八十寸而得徑一寸。故以句為首,以髀為股。
從髀至日下六萬里,而髀無影。
從此以上至日,則八萬里。若求邪至日者,以日下為句,日高為股。
句、股各自乘,并而開方除之,得邪至日,從髀所旁至日所十萬里。
以率率之,八十里得徑一里。
十萬里得徑千二百五十里。故曰,日?徑千二百五十里。 >>585
そういう建て前だろ?
周の時代に書かれた棒の影の長さが一寸違う距離は南北で千里という
この千里が短里じゃなきゃ何なんだ
周の時代の理は短里だったとさんざん九州説が主張して来たんだぞ?
それとも一寸千里の千里は長里で
それをあれやこれや計算したら短里が導き出されたとでも言う積り? >>586
陳子說之曰:“@ 夏至南萬六千里。
A 冬至南十三萬五千里。
B 日中立竿測影。此一者天道之數。周髀長八尺。
Ba 夏至之日晷一尺六寸。髀者,股也。正晷者,句也。
Bb 正南千里,句一尺五寸。
Bc 正北千里,句一尺七寸。
以下CDE・・・・・”
此一者天道之數=夏至南萬六千里 584のつづき
夏至の影の長さの差1寸に対応する実距離と当時の影の長さ1寸に対応する実距離を比べると、76:20で、すごく短いよ
周牌で季節を問わず成立することになっている1寸千里だけど、その千里は最短20kmから最長76kmまで伸び縮みしてるわけだ
あと、なんといっても太陽高度8万里。 >>586
途中で切ったらダメだろ
(586末尾)
十萬里得徑千二百五十里。故曰,日?徑千二百五十里。
日高圖:
法曰:「周髀長八尺,句之損益寸千里。故曰:極者,天廣袤也。今立表高八尺以望極,其句一丈三寸。
由此觀之,則從周北十萬三千里而至極下。」榮方曰:「周髀者何?」
陳子曰:「古時天子治周,此數望之從周,故曰周髀。髀者,表也。日夏至南萬六千里,
日冬至南十三萬五千里,日中無影。以此觀之,從南至夏至之日中十一萬九千里。
北至其夜半亦然。凡徑二十三萬八千里。此夏至日道之徑也,其周七十一萬四千里。
從夏至之日中,至冬至之日中十一萬九千里。北至極下亦然。則從極南至冬至之日中二十三萬八千里。
從極北至其夜半亦然。凡徑四十七萬六千里。此冬至日道徑也,其周百四十二萬八千里。
從春秋分之日中北至極下十七萬八千五百里。從極下北至其夜半亦然。
凡徑三十五萬七千里,周一百七萬一千里。故曰:月之道常?宿,日道亦與宿正。
南至夏至之日中,北至冬至之夜半,南至冬至之日中,北至夏至之夜半,亦徑三十五萬七千里,周一百七萬一千里。
「春分之日夜分以至秋分之日夜分,極下常有日光。秋分之日夜分以至春分之日夜分,極下常無日光。
故春秋分之日夜分之時,日所照適至極,陰陽之分等也。冬至、夏至者,日道發歛之所生也至,
晝夜長短之所極。春秋分者,陰陽之脩,晝夜之象。晝者陽,夜者陰。春分以至秋分,晝之象。
秋分至春分,夜之象。故春秋分之日中光之所照北極下,夜半日光之所照亦南至極。此日夜分之時也。
故曰:日照四旁各十六萬七千里。 「人望所見,遠近宜如日光所照。從周所望見北過極六萬四千里,南過冬至之日三萬二千里。
夏至之日中,光南過冬至之日中光四萬八千里,南過人所望見一萬六千里,北過周十五萬一千里,北過極四萬八千里。
冬至之夜半日光南不至人所見七千里,不至極下七萬一千里。夏至之日中與夜半日光九萬六千里過極相接。
冬至之日中與夜半日光不相及十四萬二千里,不至極下七萬一千里。夏至之日正東西望,直周東西日下至周五萬九千五百九十八里半。
冬至之日正東西方不見日。以算求之,日下至周二十一萬四千五百五十七里半。凡此數者,日道之發歛。
冬至、夏至,觀律之數,聽鐘之音。冬至晝,夏至夜。差數及,日光所還觀之,四極徑八十一萬里,周二百四十三萬里。
「從周至南日照處三十萬二千里,周北至日照處五十萬八千里,東西各三十九萬一千六百八十三里半。
周在天中南十萬三千里,故東西矩中徑二萬六千六百三十二里有奇。周北五十萬八千里。冬至日十三萬五千里。
冬至日道徑四十七萬六千里,周一百四十二萬八千里。日光四極當周東西各三十九萬一千六百八十三里有奇。」
此方圓之法。
萬物周事而圓方用焉,大匠造制而規矩設焉,或毀方而為圓,或破圓而為方。方中為圓者謂之圓方,圓中為方者謂之方圓也。
七衡圖:
凡為此圖,以丈為尺,以尺為寸,以寸為分,分一千里。凡用助八尺一寸。今用助四尺五分,分為二千里。
呂氏曰:「凡四海之?,東西二萬八千里,南北二萬六千里。」
凡為日月運行之圓周,七衡周而六間,以當六月節。六月為百八十二日、八分日之五。
故日夏至在東井極?衡,日冬至在牽牛極外衡也。衡復更終冬至。
故曰:一?三百六十五日、四分日之一,一?一?極,一外極。三十日、十六分日之七,月一外極,一?極。
是故衡之間萬九千八百三十三里、三分里之一,即為百?。欲知次衡徑,倍而?衡之徑。二之以?衡徑。次衡放此。 >>589
アンタ詳しいな
一つ聞きたい事あるんだけど
夏至の日の、八尺棒の影の長さの差は千里で一寸(という伝説)
確か後の唐の時代にそれあ本当か測り直して
一寸六百里という事になったそうだけど
一寸千里は周牌算経書いた人が実測したん?
それとも空想の数字?
ここが良くわからん ?一衡徑二十三萬八千里,周七十一萬四千里。分為三百六十五度、四分度之一,度得一千九百五十四里二百四十七?、千四百六十一分?之九百三十三。
次二衡徑二十七萬七千六百六十六里二百?,周八十三萬三千里。分里為度,度得二千二百八十里百八十八?、千四百六十一分?之千三百三十二。
次三衡徑三十一萬七千三百三十三里一百?,周九十五萬二千里。分為度,度得二千六百六里百三十?、千四百六十一分?之二百七十。
次四衡徑三十五萬七千里,周一百七萬一千里。分為度,度得二千九百三十二里七十一?、千四百一十分?之六百六十九。
次四衡徑三十五萬七千里,周一百七萬一千里。分為度,度得二千九百三十二里七十一?、千四百一十分?之六百六十九。
次六衡徑四十三萬六千三百三十三里一百?,周一百三十萬九千里。分為度,度得三千五百八十三里二百五十四?、千四百六十一分?之六。
次七衡徑四十七萬六千里,周一百四十二萬八千里。分為度,得三千九百九里一百九十五?、千四百六十一分?之四百五。
其次,日冬至所北照,過北衡十六萬七千里。為徑八十一萬里,周二百四十三萬里。
分為三百六十五度四分度之一,度得六千六百五十二里二百九十三?、千四百六十一分?之三百二十七。
過此而往者,未之或知。或知者,或疑其可知,或疑其難知。此言上聖不學而知之。
故冬至日?丈三尺五寸,夏至日?尺六寸。冬至日?長,夏至日?短。日?損益,寸差千里。
故冬至、夏至之日,南北遊十一萬九千里,四極徑八十一萬里,周二百四十三萬里。
分為度,度得六千六百五十二里二百九十三?、千四百六十一分?之三百二十七。此度之相去也。
このへんまで入れないとおかしくならんかね >>592
実測してたら夏と冬の違いで矛盾が分かるだろ、そこに気付いてない以上は実測じゃないはずだ
それに、作中でこの問答をしてる人らが周のことをはるか昔と呼んでるわけだから、周代の出来事じゃなくて、おそらく漢代ぐらいの人が問答してるって設定だろ >>593
故冬至日?丈三尺五寸,夏至日?尺六寸。冬至日?長,夏至日?短。日?損益,寸差千里。
これが議論になってるところ?
ところどころ文字化けしてる。
修正してくれるとうれしいんだが。 まあ一応建て前は周という事
漢時代に成立とか書くとうるさいのが居そうだから
なるほど夏至だけでなく冬至でも一寸千里と書いてるわけか? あれ、文字化けしてるな
其次,日冬至所北照,過北衡十六萬七千里。為徑八十一萬里,周二百四十三萬里。
分為三百六十五度四分度之一,度得六千六百五十二里二百九十三歩、千四百六十一分歩之三百二十七。
過此而往者,未之或知。或知者,或疑其可知,或疑其難知。此言上聖不學而知之。
故冬至日? (←キ、日の下に咎と書き、日影の意)丈三尺五寸,夏至日? (同じく、キ)尺六寸。冬至日? (同じく、キ)長,夏至日? (同じく、キ)短。 日? (同じく、キ)損益,寸差千里。
故冬至、夏至之日,南北遊十一萬九千里,四極徑八十一萬里,周二百四十三萬里。
分為度,度得六千六百五十二里二百九十三歩、千四百六十一分歩之三百二十七。此度之相去也。 >>592
>一寸千里は周牌算経書いた人が実測したん?
>それとも空想の数字?
周髀算經には紀元前12世紀末の天体現象(北極中大星)が書かれているので、
周髀算經は、周人(周公)が商人(商高)から教えを請い、そしてその知識をまとめたもの。
周公とは周公旦(姫旦)のことを指すと考えられます。 >>592
>一寸千里は周牌算経書いた人が実測したん?
>それとも空想の数字?
一寸千里は、華北平原を縦横に旅する商代の人々(女真人の商人)の経験則。
一寸千里の成立時期は、BC16世紀〜BC12世紀の商代である。 夏の一里は長くて冬の一里は短いという謎の経験則があったとか、トンデモの極み 短里・・・・・・周髀とは関係なく単に1/5だったりしてw
公孫氏が国土や勢力圏が狭いから1/5里を独自に使用してただけだったたりして。 >>601
>公孫氏が国土や勢力圏が狭いから1/5里を独自に使用してただけだったたりして。
公孫氏は女真人(満人)だから、商代(女真人国)以来の短里を1300年間以上使っていたのであろう。
魏志東夷伝の魏書引用部分(鮮卑烏丸)にも短里が使われている。
「檀石槐既立、乃爲庭於高柳北三百餘里彈汗山啜仇水上、東西部大人皆歸焉。
兵馬甚盛、南鈔漢邊、北拒丁令、東卻夫餘、西撃烏孫、盡據匈奴故地、
東西(南北)萬二千餘里(900km)、南北(東西)七千餘里(500km)、罔羅山川,水澤,鹽池甚廣。
漢患之、桓帝時使匈奴中郎將張奐征之、不克。乃更遣使者齎印綬、即封檀石槐爲王、
欲與和親。檀石槐拒不肯受、寇鈔滋甚。乃分其地爲中東西三部。
從右北平以東至遼、東接夫餘,濊貊爲東部、二十餘邑、其大人曰彌加,闕機,素利,槐頭。
從右北平以西至上谷爲中部、十餘邑、其大人曰柯最,闕居,慕容等、爲大帥。」 YouTubeアニメーション筑紫造磐井の乱そのものが筑紫造磐井の乱だった、悔しい気持ちは力作に繋がった。
磐井は立派だと思う。
物部麁鹿火は第二次世界大戦の元帥で大王の次の地位ですよ、
古事記と日本書紀に書かれています。
モノノベノアカオカ タツオ
諏訪大社と赤岡名字の分布も気になります。
磐井軍が多いので物部麁鹿火が一騎討ちに持ち込んだ説もあります。
最前線指揮の総大将は物部麁鹿火の他にツタンカーメン王や
アレクサンドロス大王、上杉謙信ですね。 古事記では軍事的地位の物部麁鹿火が上で軍事的地位の大伴金村が下。
日本書紀は政治的地位の大伴金村が上で軍事的地位の物部麁鹿火が下。
おそらく日本書紀は後から律令政治構造が重視され都合で書き換えたのだろう。 実は、僕は角川書店の易しい古事記しか読んでいない。
昔から日本人感性では物部が大王に次ぐ感覚で。
日本書紀は律令政治構造の為に内容を作り替えたとは聞いていた。 古代日本は大連は大王に次いで横にいる。
大臣は大王に次いで下にいる。
神武天皇が軍事的だった影響だろう。 もしかしたら大連に大臣が連で軍事的行動に参加した説も。 リベンジ モノノベ
大連の物部麁鹿火が大臣の大伴金村を連として戦争に参加させた説に、
物部の領地は大伴の領地より豊かで、
物部の邸宅は大伴の邸宅より豪華だった説がある。 日本書紀は律令政治構造の為の捏造で、
それ以前は古事記の首長合議制だった。 大連物部麁鹿火「大王!大臣を連として連れていくぞ!」
大王「勝手にしろ!」
大臣大伴金村「ひーっ!」
しかも磐井軍が多いので総大将一騎討ちに持ち込む物部麁鹿火はジャパニメーションみたいな世界だった。 日本書紀からの律令政治構造とは違う古事記の首長合議制の世界。 物部の領地は大伴より豊かで、物部の邸宅は大伴より豪華だった。 言いたい放題の成立はある。逆の説が教育界をリードしているんだから、これくらいは許される。
奥州藤原氏のやりたい放題成立も尊敬している。 ネットは世界だから日本社会常識が通用せず必ずしも日本社会優秀者が優勢では無い、
だがセロトニントランスポータータイプLLの長い方がネットに有利で、
世界の常識まで変える力があると言われています。 >>613
単に言いたい放題なだけならまだしも、激しくデムパ漂う凄まじい文章でなあ…… デムパだね。MiG-25が電子妨害戦に唯一防御できる真空管バリアのような。 アマテルクニテルヒコアメノホアカリクシタマニギハヤヒノミコト
[物部物語]
神武天皇以前の山城 大和の復権を目論む大和版嘆きの壁、
諏訪大社と赤岡名字の分布も参照、
モノノベノアカオカ タツオ
遺伝子検査と医療検査と史実のツマラナイ世界に身を置く。
いつまでも変わらない次元を大切にする。 遺伝子検査と医療検査と史実、変わらない次元を大切にする。
モノノベノアカオカ タツオ 遺伝子検査が重視される。 気がついていないだけ 正しい方が勝つ
それは永遠の勝利である 「2ちゃんねるが5chになっててビビった」 動物キャラが「2」を蹴って「5」にする動画も
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20171001-00000007-jct-sci
↑
ふたつの2ちゃんねる「抗争」本格化 管理人同士が「よほどの事態」に陥った結果か?
https://www.j-cast.com/2014/04/15202259.html?p=all
5chに変わったらきっとまた爺さんが騒ぐに違いない >>625
普通に読めるし普通に書き込めるから、誰にもなんの問題もないだろう。 今、日本は古事記派と日本書紀派の二大流派時代です。 また邪馬台国畿内説Part282からの転写
>>187
>卑弥呼を共立する国々(丹波、伊勢尾張など)と狗奴国(大和、河内、和泉)の戦いに、吉備が卑弥呼側として参戦したんだよ。これが2世紀後半。記紀でいう神武東征の話。 神武は吉備軍に同伴しただけ。
結果卑弥呼側の勝利で終わり、大和の地は卑弥呼の支配下になる。・・・<
「南≠東」だから、始めから×。 日本の城は全て星座になるという説がある。
もしかしたら邪馬台国遺跡も、物部氏遺跡も星座になるかもしれない。
<赤岡龍男> 古事記について
何故、古事記が正確か?
それは自分の正統性を主張したい天皇だが、
若い編纂者は本当の事を書いてしまうため、
天皇と若い編纂者との綱引きになってしまう。
だから、古事記に本当の匂いがある。
日本書紀は完全に当時の政権的意図を中心にしている。
古事記は旧来の豪族の正統性を崩しにかかる、
古代の他の国の政権と比べて民主主義に近いかもしれない。
もちろん、今の時代の民主主義がより民主主義だが、
古代の努力が凄い、
現代の古事記解釈を、感情の僕から見たら、この内容ですね。 古事記は律令制以前の歴史は素直に描いているが、
日本書紀は律令制以前の歴史まで律令制で描いている説がある。 古事記は感情に素直で正確に記録されている。
古事記は当時の思考回路を素直で正確に記録している。 >>628
現実の方位としては東と南は明白に異なるが、記録文書に誤記や誤情報が乗っていないことの根拠としては薄弱すぎて× >>600
>夏の一里は長くて冬の一里は短いという謎の経験則があったとか、トンデモの極み
「夏の一里は長くて冬の一里は短い」とは、下記「陳子說之曰」の何所にも書いていない。
陳子說之曰:
@ 夏至南萬六千里,冬至南十三萬五千里,日中立竿測影。此一者天道之數。
Aa 周髀長八尺,夏至之日晷一尺六寸。髀者,股也。正晷者,句也。
Ab 正南千里,句一尺五寸。
Ac 正北千里,句一尺七寸。日益表南,晷日益長。
B 候句六尺,即取竹,空徑一寸,長八尺,捕影而視之,空正掩日,而日應空之孔。
由此觀之,率八十寸而得徑一寸。故以句為首,以髀為股。從髀至日下六萬里,而髀無影。
從此以上至日,則八萬里。若求邪至日者,以日下為句,日高為股。
句、股各自乘,并而開方除之,得邪至日,從髀所旁至日所十萬里。
以率率之,八十里得徑一里。十萬里得徑千二百五十里。故曰,日晷徑千二百五十里。” ツタンカーメン王が隕石刀で、天才的集中力を獲ていたのは有名だが、
日本古代王朝も隕石製品で権力者が天才的集中力を獲ていたかもしれない。
隕石サイコフレーム理論<赤岡龍男> 古墳時代の物部氏の邸宅は、大王の邸宅を上回っていたら、ヤバイね。
僕は、物部氏だから、嬉しいが。 やはり、物部氏は源氏長者と征夷大将軍を合わせた感じだな。
執権ではないか。 >>637
>僕は、物部氏だから、嬉しいが。
どのみち、阿波の忌部だよ。 @阿波 筑紫の造磐井は、九州王朝の末裔。
古代遺跡からですよね。 筑紫の造磐井は、九州王朝の創始者。
根拠
@ 磐井律令制定
A 元号制定(年号制定)継体元年(二中歴)=西暦517年
「継体」は、倭王武の政治体制を引き継いだのの意味
倭王武と磐井は別系統の王権
西暦502年〜516年は、武王から磐井王になるまでの混乱期。
B 磐井治世期間 西暦517年〜527年 なぜネット上にはデマや陰謀論がはびこり、科学の知見は消えていくのか:研究結果
https://wired.jp/2016/10/16/conspiracy-theory/
1年ぐらい前の記事だけど、陰謀論にハマる人は(ry
というもの。彼らの目に入らない数々の事実が実在する件。 新唐書に
「其東海嶼中又有邪古、波邪、多尼三小王,北距新羅,西北百濟,西南直越州」
とある。
日本の東海にヤコ(屋久島)、ハヤ(隼人)、タニ(種子島)の3王がいる。
北に新羅、西北に百済、西南に越州があるとあり、日本国が九州島であると言ってる。 つまり薩摩や屋久島、種子島あたりを倭国の東の海中と認識してたのか
種子島が九州の東だとよ >>645
いろいろ論点がありそう
・新唐書なので、既に倭国はなくて日本国しかないのに、畿内じゃなくて九州なのか?
・東の海に南部九州があると認識していたのは東→南の間違いか? >>645
素直に読めば、越=江南まで至近距離という認識だね。どう考えても地理認識に誤りがある
三国志でも江南に近いと説明してるし、地理認識が正しくない点に疑いの余地なしだ 風習が江南に近い、を距離が近いと勘違いされたんだろう 古田氏と言えば東日流外三郡誌
このスレの信者さんも信じているのかな? >>645
中国は倭国がずっと九州にあると認識していたということじゃないかな 倭国が九州にあるとしても、種子島が九州の東というのは方角誤認が確定する記述である点にかわりがない >>650
信じてはいないが、偽書だとする根拠もないな。 >>646>>647
其東海嶼中というのは、九州全域を指すとは読めないの? >>655
>>645の文は日本国の条の最後にあるので、
「其」は「日本国」を指すんだろう
ここでいきなり半島とかは指してないだろうね >>656
其=東海、と読んでみたんだけど、日本語的すぎるかな? >>658
日本語だと、日本は東海に在り、その東海の島としては、あの島もこの島もある、というような意味。 東海について散々書き殴ったあとでの場面転換で「其」と入れたのでない限り、「其」=「東海」と解釈するのは無理すぎるだろ >>660
日本が東海に在る、という記述があればそれで十分だよ。
日本語的な読み方に過ぎるのかな、という気はするけど。 >>661
>日本が東海に在る
だからチガウダロ
日本「の」東海に、薩摩や屋久島、種子島があると書いてるの また邪馬台国畿内説Part294で、ストッパーがかかったので、こちらに転写保存。
294の>>44
>Q:纒向遺跡は一般人の住む竪穴式住居がなく、首都たり得ないのではないか!
仕えているはずの多数の侍女や警護の兵士はどこに住むのだ!
A:一般人の居住空間が宮城を囲繞する中国式の城市は持統朝を待たねばならない。<
それなら、卑弥呼の都ではない、という事だ。
>意図的企画により建設された纒向遺跡は、
首長居住域も集住環境の埒内にある弥生時代の大集落とは一線を画しており、
内郭が独立し宮殿及び禁苑域が発生した萌芽的政治首都と評価できる。<
武具も戦争も、卑弥呼の宮殿的様相も全くなく、
地方の大倭職の「市の祭祀」的 様相しかない纏向は、
卑弥呼の都足り得ない。
>金文の「宮」が並行する複数建物と囲繞する方形牆垣からなる朝政空間を象形していることからも、
庭院と回廊性の屋外空間を伴うこの大型建物群は宮殿の要件を具備しているといえよう。<
武具も戦争も、卑弥呼の宮殿的様相も全くない。
>古来中国の宮都造営は河川の利用と改変を伴うのが常で、多くの場合に漕渠が開鑿される。
この点も、矢板で護岸工事を施した長大な大溝の掘削で開始した纒向遺跡との類似性が認められる。<
水が必要なのは、どこの古代集落でも同じ事。 >>662
とよまゆじゃないんだから、そんなにムキにならなくてもw
直新羅東南在海中島而居
使者自言国近日所出以為名
これを見ると、唐の東の海の中に日本があるという認識は、唐側には確かにあるようだ。
其東海嶼中又有邪古波邪多尼三小王
北距新羅西北百濟西南直越州
其がなにを指すのかはさておいて、そもそも、邪古波邪多尼を屋久島、隼人、種子島に比定すること自体が、なにも確実なわけではない。
邪古、多尼の二つが嶼なのに、隼人だけが嶼ではない?
日本の東の海にある島々と読むと矛盾をきたすと思うんだけど?
東海の嶼(日本)の中にこんな地域がある、という記述だと読めば、矛盾はなくなる。
中国語の読解にはまったく自信がないから、断定も強い主張もできないけどね。 >>524
どこまでの投稿に返事を書いておいたのか?が判らなくなったから、
取り合えず、この辺から。
>ここまで来ると妄想癖も重症だな <
ここまで来ると、大和天皇家一元列島支配の皇国史観の「大和説」者は、重症だな。
>魏の薄葬令ってのは、文帝本人の墓を薄葬にするよう求めた遺言であって、子孫代々の墓を薄葬にすることも求めてないし家臣の墓を薄葬にすることも求めてない。<
初代皇帝が命じた事は、後の皇帝が変更を命令しない限り、当然踏襲される。
>だから違反したからと言って官位剥奪されることもない。<
皇帝家もやらん事をしたら、当然「反抗の意思ありとして、にらまれる」。
>ましてや、禅譲により西晋朝に代わって以降には、いかなる人についても適用される余地すらない。<
勿論、王朝が変われば、にらまれる事になるだけ。
>薄葬令が邪馬台国に徹底して適用されたことにしないと都合が悪いとでも思ってるのかな。
だがいくら空想しても事実無根のものは事実無根だよ<
薄葬令は、魏の文帝の命令だから、晋朝には直接的制約はない。
つまり、卑弥呼は守らなければならないが、壹與は金印を貰っていないから自由。
>相手の発言を事実無根呼ばわりする君の方が圧倒的に事実無根だね、いつもいつも。<
相手の説明や史料実態を曲解捏造して誹謗宣伝するのは、
「南→東」などの嘘吐きダマシと同じように、
皇国史観教の大和説者の、いつもいつもの事だね。 >>533
>九州だと2世紀末か3世紀初頭頃には墓のサイズが小さくなってるから、
仮想の普及より何百年も開いてしまって畿内の場合より以上に論旨が破綻してるけど?<
年代記載もおかしいし意味不明な文だけど、
吉野ケ里も祇園山も平原も、別に「墓サイズ」は小さくなっていないよ。
>薄葬令というシロモノが出たと言って持ち出した張本人すら文面を省いてるんだが。
名前(通称)だけ紹介して中身を省いて騙そうとするインチキさんにこそ文句を言いなさいな、爺さん。<
薄葬令が魏の初代文帝の遺言なら、魏朝に適用され、晋以後には拘束力がない、
という事で十分だよ。 >>535
>妄想中の妄想たる短歩か、馬鹿馬鹿しい <
妄想中の妄想たる「南→東」などの嘘吐きダマシに続いて、
史料実態を6倍も間違った長里や、始皇帝の「1歩=6尺」の長歩か?。
馬鹿馬鹿しい 。 >>536
>>いや、禅譲して貰ったからには、西晋朝は、
変更を決めない限り、魏の皇帝の墓より大きく豪華にする事を控えるもの。<
>儒教軽視ゆえに魏が早期に衰退したと称して儒教立国にした晋が厚葬を取り締まったはずがないが<
魏の初代文帝の命令は魏朝内では、強制力を維持するが、
晋朝に変われば、強制性は薄まるもの。
>そもそも親魏倭王と同等の扱いを受けた親魏大月氏王が
薄葬令を受け入れたかどうかぐらい見てこいよ <
大月氏が、難升米らのような「魏の臣下」、になったかどうか?は知らんよ。 >>664
勝って読みして矛盾がないと主張しても通らないだろ >>544
>さて周牌算ですが、千里ばかり北の地点だけでなく南北回帰線や、夏至だけでなく冬至の影の長さも出ていますよね
それらの数値のうちで1つだけ、千里北の位置の夏至だけです
冬至の影は短里と全く合わない数値だし、回帰線までの距離も問題外に違ってます
どの距離も一理の長さがバラバラで、それらのなかにたまたま短里と同程度の長さのものが混じっているだけ、
誰がどう見ても偶然の一致としか思いません
その程度のものを短里の証拠と呼ぶような短慮な人とは論理的な会話は成り立たないでしょうね <
周髀算経が、(球体地球ではなく)、
周地付近の「大地平面」とみなせる地域での「一寸千里の法」の計測を出発論理にした事は、
南北の双方で「一寸千里」を計測した事からも自明です。
その程度の事も理解出来ないような短慮なアホとは、
論理的な会話は成り立たないでしょうね 。 >>546
>夏至の日の数値だけしか書いてないとか嘘を言うなよ
冬至の日の影の計算も一緒に書いてるし回帰線までの距離とかもセットだろ <
夏至正午の影長測定を論理の出発点にしており、
その論理で、冬至正午の影長の近似的測定値を求めて、
天空での太陽の移動範囲を計算してるんだよ。 >>548
>その千里北の位置の冬至の影の長さも一寸の差とかいてるでしょ
しかし短里で千里の位置では冬至の影の長さが合わないでしょ <
冬至も当然近似値だよ。 >>551
>夏至の日の影で一寸千里だと七十何メートルで近い値だったけど
4冬至の日の影では同じ一寸千里の記述から短里と大きく違う値がでたでしょ
それでは困るので書いてなかったことにしたの?<
夏至正午に比べて、冬至正午の太陽光線による8尺棒の影端では、
入射角が小さくなるなどのための不鮮明さのために、
最大的影端位置での近似的計測になっている。 24節気の影の長さが書かれており
一寸千里は夏至の日の影と周髀算経に
書いてあるのに、なんで冬至の影の長さを
議論しているのかわからない。 >>553
>あくまでも冬至の影の方の一寸千里は存在しないことにしたいんだね、短里説崩壊に直結するから当然だけど。
夏至の日の影だけしか書いてないと嘘をつくしかないよな。<
あくまでも冬至の影の方の一寸千里は、近似的測定値であるのに、
「間違っている」事にしたいんだね?、
周髀算経は、大和説崩壊に直結するから当然だけど。
夏至の日の影だけしか書いてないと、太陽の天空での移動の計測が出来ない、
という事を隠して、嘘をつくしかないよな?。 >>556
>明らかに原典を読んでない(翻訳すら見てない)門外漢が空想で文面を捏造して言いたいことだけ言ってるな
さすが九州王朝信者は妄想を働かせると生き生きしてくるようだ<
明らかに、原典を読めていない(翻訳すら見てない)門外漢が空想で、文面を捏造して、
言いたいことだけ言ってるな?。
まるで「南→東」などの嘘吐きダマシの・・・・サギシの大和説者と、そっくり同じだ。
さすが皇国史観大和説狂信者は、妄想を働かせると生き生きしてくるようだ。 >>557
この投稿は、
人種差別的殺戮戦争主義で「竹島戦争」を鼓舞扇動した・・・・「変則大和説」者の、
ssnの投稿だな。
・・・・は、放置しておきましょうね。 >>562
>根拠も述べずに同一文面の妄言を連続四回投稿か
よほど痛いところを突かれて狼狽えたのかな?<
キミが、周髀算経の、
「夏至正午の影長計測」が出発点で、
「冬至正午の影長計測」は夏至での測定の「応用的な近似測定」になっていて、
それで、太陽の天空での移動を知る事が出来た、
という事が読めなかったアホである事は、
もう何度も説明して上げたよ。 >>564
>棒の影の長さがある場所で夏至の時南北で1寸違うと記されている
そこは千里くらいの距離だからそれを一里で割ると75mくらい
なので周の時代の一里は75mだったに違いないという理屈か
古代の未発達な測量技術の結果を元に
当時の里の長さを断定するのはちょっと乱暴じゃないか?<
周代において、「里」や「尺寸」が存在し使用されていた、
という事を示す貴重な史料であり、史料実態であるのに、
それをむげに否定抹殺するのは、ちょっと乱暴過ぎないか?。
>しかも冬至やその他で一里の長さ換算するとバラバラになるなら
単に計測が不正確だっただけで<
いや、出発点の夏至正午の影長測定は、有効数字1桁程度の概数であり、
冬至は、影端位置が不鮮明になるから、ほぼ最長的になる近似的計測地を選択しただけで、
何の問題もない。
>短里なんて無かった証拠では <
「南→東」などの、史料事実を否定する嘘つきダマシの大和説者の、
「1里≒434m」の「魏志でに長里論」を否定する証拠になるんだよ。 >>566
>あるね 例えば冬至の時に棒の影の長さが1寸違う場所の距離は
A市とB市の七百里になりましたとあったとしてな
冬は南北で影の長さの差が大きくなるからな
それだけ棒の影の差が1寸になる距離は縮まるからな<
(球面地球ではなく)大地平面近似地域では、
夏至での一寸千里は、冬至でも一寸千里になり、変わらないんだよ。
だから、冬至で問題になるのは、
「太陽視角範囲」や「地面への入射角」に拠る影長端の不鮮明化であり、
周髀算経は、推定の「最大影長」での近似計測をしていた、という事になる。
>そのA市とB市の間七百里を一里に換算したら 夏至の時と同じく75mにならなければいけない
夏至と冬至で一里の長さが違うなんて変だろ?<
何を言ってんだい?。大地平面では、ほぼ同じだよ。
>その他の場所でも数値がバラバラだそうだし <
ほぼ同じだよ。
>つまり当時の一里は75mとは言えないわけだ <
つまり、当時の1里は434m位(長里)などとは全く言えないわけだし。
>本文読んでないから数値は適当だが <
頭が・・・・アホの、「南→東」などの嘘吐きダマシの大和説のキミには無理だよ。 >>567
>どちらの側にもいえることだけど、<
「どちらの側」ではないよ。短里説側はほぼ成立するが、長里説側は全く成立しないんだよ。
>「周髀算經」というのは、天文学の専門書だろ? 専門家でもないというより、三角関数すら覚束ない歴史マニアがなにかの論拠にするのは無理じゃないかな。
「周髀算經」の解釈については、専門家の議論に任せるべきだと思う。<
周髀算経は三角関数など使っていないよ。
だから、小学生レベルでも分る「計測結果からの算術」だよ。
>どちらにしても、韓伝や倭人伝は、短里でなければとんでもなくデタラメな位置や距離が書かれていることになる。
倭人伝を歴史書としてみるなら短里として読むほかはないし、
短里がありえないとみるなら、倭人伝を歴史書として扱うのは無理だ。<
短里がありえないと見、長里だと言い張るなら、歴史書を扱う事が無理だ。
>都合のいいとこどり、みたいな解釈は、しても無意味だと思う。<
長里説は、都合のいいとこどり、みたいな解釈をしており、無意味だと思う。 >>568
>一里75mを周髀算經から割り出したと称するやり方よ 天文学数学関係なしに短里の根拠とするにはちょっとって事だ<
おそらくこの男も、周髀算経の「近似モデル」性が判らず、「何でも絶対断定」した解釈をして、
差異を見つけてそれで都合の悪い史料を否定抹殺しようとするサギシだ。
>ざっくりかいつまんで説明すると 夏至の時にA市とB市で棒の影の長さが1寸違います
A市とB市の間の距離は千里と周髀算經にあります A市とB市の距離を現在で測ると75kmです
なので75000÷1000で75 周当時の1里は75mだったのですってやり方<
それが、逆に「千里を近似計測する方法」になっている、という事だ。
>しかし冬至の時も影の長さが1寸違う所も測ったんだろう そういう記述があるそうだから <
違うよ。
夏至は「周地付近の同じ地点」とその南北千里での影長計測であるが、
冬至は「周地付近の同じ地点」での冬至の影長の近似的測定をしただけだ。
>それに多分冬至はA市C市で1寸七百里なんてあったとして
この七百里も1里75mに換算できなければ 短里が使われていた証拠にはならない <
前項のように、キミは冬至での計測が、
「周地付近の出発点での近似的計測」である事が、判っていない。
>色々記述があるそうだが夏至の時に測った数値だけが
1里75mであとがバラバラなら 1里ま75mだったとする証拠とは言えない <
バラバラではなく、ほぼ同じ近似数値だし、
「1里434m」位の長里が全く×になる数値だ。 >>570
>544の人が言ってるよ
夏至だろうと冬至だろうと 両方の数値が1里75mに一致しなければ
周時代の1里が75mの短里だったとは言えないんだ<
544の人は、おそらく「南→東」などの嘘吐きダマシの・・・・サギシの大和説者であり、
周髀算経が、夏至でも、夏至から帰納した冬至の影長からも、
近似的にほぼ「1里≒76〜77m」になる、という事が分らないアホなんだよ。
>夏至だろうと冬至だろうと 両方の数値が1里75mに一致しなければ
周時代の1里が75mの短里だったとは言えないんだ<
始めから大地平面の近似であり、影長なども近似であり、
長里の1里≒434mであったとは、全く言えないんだが。 >>572
>ザラコクは根本的にわかってないようだな <
ここまでのお前の議論相手は、私(ザラコク)ではないよ。
>何だよ夏至の日の時刻正午が一寸千里の条件て
北極星が書かれてようが何が書かれてようが
夏至と冬至で1里の長さが一致せんのはおかしいんだよ?<
夏至と冬至で1里の長さがほぼ一致しているから、おかしくないんだよ。
1里≒434mの長里では、全く一致しないんだよ。 >>575
>しなきゃおかしいんだよーん <
始めから「大地平面」近似だし、影長も近似値であるから、
「100%完全一致」する筈がないんだよーん。 >>578
>周の時代に使われていた短里が東夷に残り 魏ではまた別の里になったってことかな?<
後漢代末に周髀算経の再収集注釈があり、
魏の初代文帝の即位の詔書での受命改制方針で度量衡の統一の指示があり、
重臣たちが「周制への復古」の上表を提出したから、
度量衡は周髀算経の度量衡を採用する事になり、
役人たちは、周髀算経の度量衡を勉強して使用する事にしたんだよ。 >>666
墓のサイズが変わらなかったなら、薄葬令を受け入れて墓を小さくしたという想定が破綻してるってことじゃないのかな
すると、出土物の質素さは薄葬令とは無関係であって、財力が衰えたことを示してるだけってことじゃないのかな >>661
「其東海嶼中又有邪古、波邪、多尼三小王,北距新羅,西北百濟,西南直越州」
という記述を見て
>其=東海、と読んでみたんだけど
とか
>日本が東海に在る、という記述があれば
とか言ってるのを
>日本語的な読み方
と称するのがおかしい。こんなのを日本的と呼ぶな異端児
日本の東海(東にある海)に屋久島種子島や隼人の国があると書いてある、そう読むのがマトモ。
隼人が九州島じゃなく島国にいると誤認してるのも重要ポイントだ。倭国と隼人の間は舟運でしか往来できなかった、陸路ではつながっていなかったという事情を示してるからな。
まあ倭と隼人の間に敵国がいて往来できなかっただけなんだろうが、断片的情報を耳にした唐の側が東海中の島と勘違いしたんだよ >>669
矛盾が出る読み方を、勝って読み、というんじゃないか? >>688
>隼人が九州島じゃなく島国にいると誤認してる
>倭国と隼人の間は舟運でしか往来できなかった
>唐の側が東海中の島と勘違いした
ひとつの矛盾を説明するのに、三つの仮説を持ち出さないといけないのか。
人がひとつの嘘を守るために大ぼら吹きになる、という例はよくあるがw
もともと、邪古波邪多尼が屋久島や隼人の国や種子島だという根拠もどこにもないんだよね?
極論すれば、邪古波邪多尼三に小王がいたのかもしれないし、邪古波邪多尼三小に王がいたと書いているのかも知れない。
いずれにしても、日本からの使者が語ったことなのだから、誤認だとか勘違いだとか空想を前提にしてしまうなら、この部分は無視したほうがまだいいと思う。 >>691
日本語が理解できないの?
ひとつの間違った解釈を根拠を付けるには、たくさんの空想が必要だって言ってるんだけど?
倭人伝でもよく見られることなんだよね。 >>693
そうだね。
自分の思い通りにならないと気がすまないから、いい加減な解釈に空想で根拠を求めるんだよね? >>694
分かれば良いんだよ
もう二度と妄想は書き込むなよ >>695
君のことを言ってるんだよ?
相変わらず日本語が理解できないんだねw
それとも、やっぱり君の妄想が酷くなってるの? >>697
勝ち負けの問題じゃなくて、正誤の問題。
まあ、君が負けてるのは確かだけどw >>689
矛盾が出るのはおかしいと思いながら読むのが間違い
古い文献では事実誤認や誤伝や後代の誤写などで多くの間違いや矛盾が見られるのが普通で、
矛盾がない方が珍しいんだよ
聖書の暗号とかダ・ヴィンチ コードみたいなことができたらおかしいんだ >>699
間違いがあるのが普通だからといって、矛盾した読み方が正しいという保証が出てくるわけではない。
内容に間違いが多数あるなら、それはただ史料としての価値がないといってるだけに過ぎないから。
もちろん、僕の解釈を否定する根拠にもなりえない。
>隼人が九州島じゃなく島国にいると誤認してる
>倭国と隼人の間は舟運でしか往来できなかった
>唐の側が東海中の島と勘違いした
三つも仮定しないと成立しない、つまり間違いだらけの、「其東海嶼中又有邪古波邪多尼三小王」の解釈が正しいなんて、誰にも言えないだろ?
僕は自分の解釈が正しいと言い張る気はないけど、屋久島や隼人の国や種子島に比定する解釈よりはマシだと思ってる。
自由自在に位置も名前も比定できることになる。
「其」を日本としても、次の文字は東ではないかも知れないし、というか、実際、東に屋久島や隼人の国や種子島があるわけではない。
南を東ではなく、東を南に読み替える?
日本の使者には南と東の区別がつかない?
一般的な新唐書時代の読み方ではどうなのか、中国語の専門家の意見を聞いてみたいとは思う。 魏志倭人伝の使節は伊都国までしか行ってないんだろ?
なら話は簡単だ
地理は軍事機密だから倭人がヤマトの都の位置を嘘ついて教えたんだろうよ
魏が裏切ってヤマトを攻めた時に、魏の艦隊が南海で遭難するように東を南と偽った
ヤマトの中央官僚にそれだけの政治的知性があったということさ >>700
>間違いがあるのが普通だからといって、矛盾した読み方が正しいという保証が出てくるわけではない。
誰もそんなこと言ってないと思うぞ >>700
>もちろん、僕の解釈を否定する根拠にもなりえない。
おまえのは解釈じゃなくて、単なる文章の誤読だよ >>700
>三つも仮定しないと成立しない、つまり間違いだらけの、「其東海嶼中又有邪古波邪多尼三小王」の解釈が正しいなんて
これも、誰もそんなこと言ってない 休みになると必ず湧いてくるね
こういう俺様が一番正しいとか思い込んでるクズ >>702
言ってるだろ?
矛盾があるのが当たり前だといってるんだから。
>>703
嶼が島の誤記なら、其東海嶼を日本と読む読み方だってできると思うが?
どうせ、間違いだらけなんだろ?
>>704
言ってるだろ?
仮定しないと、屋久島や隼人の国や種子島に比定することなんかできないだろ? >>706
>矛盾があるのが当たり前だといってるんだから。
>仮定しないと、屋久島や隼人の国や種子島に比定することなんかできないだろ
正しいとは誰もいってない
>嶼が島の誤記なら、其東海嶼を日本と読む読み方だってできると思うが?
完全な誤読、中国語以前の問題 >>707
屋久島や隼人の国や種子島に比定するのが正しくないなら、比定しても無意味だろ?
完全な誤読?
文字を足したり引いたり変えたりは自由自在だから、どうにでもなるんだろ?
君たちの言ってることは、そういうことだよ? >>708
>屋久島や隼人の国や種子島に比定するのが正しくないなら、比定しても無意味だろ?
おまえみちゃいに正しいと断定してるんじゃなくて、可能性として仮定して検討してるのよ
あなたの頭の中では「其」は何を指してるの?
帯方郡?半島南岸?洛陽?
日本の条でなんでいきなりそれまで出てこない地名が出てくるの?
説明できますか? >>709
それならそう書けばいいじゃないかw
比定する根拠が希薄すぎるとは思うけど。
「其」単独ではなく、「其東海嶼」を日本と読んでみた。
日本についての記述だから、「そうした東の海の島である日本」という意味にとる。 >>710
「其」は指示代名詞ですよ
具体的にどこかを指してるの、そこを起点としてその後の場所をイメージさせてるのよ
中学出てる? >>711
「そうした東の海」
どこから見た東の海なの? >>700
>内容に間違いが多数あるなら、それはただ史料としての価値がないといってるだけに過ぎないから。
内容に間違いのない正しい史料なんてシロモノが実在するという誤った思い込みを捨てないとマトモな読解はできないよ。
君は出発点からすでに間違っている。
>>隼人が九州島じゃなく島国にいると誤認してる
>>倭国と隼人の間は舟運でしか往来できなかった
>>唐の側が東海中の島と勘違いした
>三つも仮定しないと成立しない、つまり間違いだらけの、「其東海嶼中又有邪古波邪多尼三小王」の解釈が正しいなんて、誰にも言えないだろ?
仮定と結論を逆に読んでしまうという読解力の乏しさにも問題があるね
上の3つはいずれも結論であって仮定ではない。 >>711
「其」というのは、場所や人などの具体的なものしか代理できないのかな?
英語の「it」のように、記述の中の事柄を指す、と考えることはできないんだろうか?
もちろんその場合の視点は唐の都長安ということになるが。
長安から見た日本(九州)は、まさに東の海中にある。
日本古倭奴也 去京師萬四千里 直新羅東南 在海中
屋久島のような大勢の人間が住むのには向いていないようなところに王がいるということも気になったし、九州の南を東と表記していることも気になったし、其東海嶼中であって、其東在海中嶼ではないことも気になった。
中国語に弱いから、書き方の正誤はわからない。
屋久島も隼人の国も種子島も、唐から見れば東には違いないだろうが。 >>713
史料の内容が間違いだらけなら、その史料に価値はない、だろ?
根拠のない比定から導かれた推測は、結論にはならないよ。 >>715
日本伝の全体を読んで言ってる?
長安とする根拠は何? >>717
唐書だからだよ?
唐の都は長安で、新唐書も都でまとめられたと思うんだが? >>716
>史料の内容が間違いだらけなら、その史料に価値はない、だろ?
その論法でいえば価値のある史料など、近現代のもの以外に存在しなくなるんだけど
それでは問題外だから、多少ないし多々の間違いがあっても使える部分を抽出できるようにしていこうと研究が進められたんだよ
お前さんの方法は手法が古い。 >>719
近現代ですら間違いは少なくない、というのが実態だろ?
間違いがあるのかないのか、史料を検討しないとわからない。
史料の間違いを前提にして、いい加減な解釈をすることは厳に戒めなければならない。
とりあえず、矛盾のない解釈ができるなら、その史料と史料の解釈に一定の価値をつけておく。
それが一般的な史料、資料の扱い方だと思うが?
使える部分を断片的に取り上げるのもいいが、それなら、「其東海嶼中又有邪古波邪多尼三小王」が「使える部分」だとする根拠はなんだ? >>718
ほー、すると唐書に出てくる「其」は全部長安だという意見ですな >>721
「其」が固有名詞だとでも?
代名詞を知らないの?w 日本語の場合は、「そ」が代名詞で、「の」は助詞とみたり、「その」で連体詞としてみたり。
「其」だけなら、代名詞というところかな。 >>722
ん、>>718 は「其」は唐書だから長安だって言ってるだろ >>718
さて、新唐書中の全「其」ですよ
全部長安かい?
https://zh.wikisource.org/w/index.php?title=Special:%E6%90%9C%E7%B4%A2&limit=500&offset=0&profile=default&search=%E5%85%B6+prefix%3A%E6%96%B0%E5%94%90%E6%9B%B8&searchToken=aglzwd9k885ju04xe4k6lh1vu >>724
視点がだよ?
「其」が長安だとか、言ってないよ?
「其」は、「そうした東の海の島である日本」を指す、とは書いたけど。
>>725
「其」は代名詞だから、その部分の前に出てきた名詞に変える。
日本語や英語の文法の初歩の初歩だけど、たぶん、中国語でも同じだと思うよ?
僕の解釈だと、連体詞としての用法ということになるけど、正しいかどうかはわからない。 >>726
訂正。
「其」は、「そうした東の海の島である日本」を指す ー>
「其東海嶼」は、「そうした東の海の島である日本」を指す
この場合の「其」は、「そうした」の意。 >>726
勝手に視点を妄想するの?
根拠は「其」が何を指すかでしょ >>727
「そうした」って、どうしたの?中身は何? >>728
「其」は「そうした」の意味に捉えた。
正しいかどうかはわからない。
東でも南でも、どこかからの視点が必要。
解釈をこだわる気はまったくないが、屋久島などへの比定があまりにも根拠がないように見えることに変わりはない。 >>729
日本古倭奴也 去京師萬四千里 直新羅東南 在海中 >>730
>「其」は「そうした」の意味に捉えた。
>正しいかどうかはわからない。
いや、「そうした」の意味を聞いてんだけど
視点は「其」の指す場所でしょ >>731が正解
>「日本古倭奴也 去京師萬四千里 直新羅東南 在海中」
視点は長安にある。 >>733
あのね、別の文持ってきてもしょうがないでしょ
「其東海嶼中又有邪古、波邪、多尼三小王,北距新羅,西北百濟,西南直越州」
この視点の話をしてるんだよ >>733
長安の北に新羅がって、西北に百済があって、越州が西南にあるの? >>734
こっちだったね!
「倭國者,古倭奴國也。去京師一萬四千里,在新羅東南大海中」 >>735
「北部に新羅がって、西北部に百済があって、越州が西南部にある」ところの海。
現在の東シナ海東部 >>733
その文は京師が視点と明紀してあるから
「其東海嶼中又有邪古、波邪、多尼三小王,北距新羅,西北百濟,西南直越州」
この文の視点は「其」
「其」が長安だと説明できればそれで問題はないよ 其東海嶼中又有邪古、波邪、多尼三小王,北距新羅,西北百濟,西南直越州,有絲絮、怪珍云。
って、日本伝の本文が一通り終わったあとの追記というか追加文だよな
ほかの伝の事例から考えたら「其」=日本と考えるのが妥当で、ここの伝だけ例外的に「其」=長安と解釈するのは珍解釈だと思う >>739
まあ普通に考えるなら、日本条全体の視点は長安
その日本の中の一地域の説明だから、長安みたいな遠いところじゃあおかしい、と判断するのが妥当 邪古波邪多尼三小という名前の王という可能性はないだろうか 日本伝の直後に琉球(流鬼)伝が来てるのとも関連する記事とかじゃないか?
それで日本から琉球に向かう途上の地域のことがピックアップされてんの >>741
海の中にいきなり人がいるのはおかしいでしょ >>742
流鬼って琉球かなと考え勝ちなんだけど、どうもイヌイットかアイヌのような
(抄訳)
流鬼族の居留地は首都から北に向かって五千里。
そこはまさに大湖の北の東北で、黒水地方の靺鞨の地、周囲を海(湖?)に囲まれた地形で、
そこより北は茫漠とした前人未到の地である。
人々は島で暮らし、付近は湿地が多く、漁業を行うのに適した地。
その地は寒冷で雪が多く、幅六寸(約18cm)、長さ七尺(約2m)の木でソリを作って氷上の獣を追って暮らしている。
犬の多い土地で、犬の皮を皮衣(かわごろも)にしている。
人々はザンバラ髪、栗に似た小さなハグサ以外に野菜・果実の類が無く、穀物もない。勝兵万人(意味不明)
南で隣接して居る靺鞨には、東南の方向に十五日程度の航海で到着する。
貞観14年(640年)、その王の遣い子可也余莫(シカナヨボ?)がテン皮を三枚持って来朝して来たので、騎都尉に任命した。 >>734
何回も書いている通り、「其」を「そういう」という連体詞的にと捉えれば、長安。 >>735
そこは長安ではなく、そうした東の海の島である日本、からの視点。 >>737
そうした東の海の島である日本、が視点。 >>738
「其」は長安ではなく、「其東海嶼」が「そうした東の海の島である日本」。
視点としては、長安から見た方向。 >>739
「其」は長安ではない、と繰り返し書いてるんだがw >>750
何回も書いてるが、「日本古倭奴也 去京師萬四千里 直新羅東南 在海中」を指す。 >>744
あー、ほんとだ。琉球じゃなく蝦夷のことっぽいね、東北地方の。
>>745
「其」の東の海の話に続けて、「其」の北に新羅、西北に百済、斉南に越(江南)と書いてあるんだから、
其が長安だと非常におかしくなる。其=日本、それ以外に考えられないよ。
日本は屋久島・種子島・隼人らの3小国より西にあると認識していた。事実誤認があったことに疑いの余地がない。 >>751
中国語で「其」を連帯しとして使っている実例を出してくれ
そうじゃないとお話にならんよ >日本は屋久島・種子島・隼人らの3小国より西にあると認識していた。事実誤認があったことに疑いの余地がない。
どう読んでも
東海中=東シナ海の島
で一連の島々って記述だろ。島でなく嶼。 >>757
で、具体的に、邪古、波邪、多尼ってどこよ >>754
だから、そうした日本には、という意味に捉えてみる。 >>755
はじめから、中国語は分からないと断ってる。
日本語的な解釈だとも断ってる。
中国語の専門家の意見を聞きたいとも書いた。
君が中国語の専門家なら、ぜひ教示して欲しい。 >>756
「其」を日本にした場合、邪古波邪多尼の比定が現在では困難だし、そのまま日本の東の海と受け止めれば、王がいる嶼とする小島を想定しにくいから、違う読み方の可能性を提案してみた。
その提案に拒絶反応した人が多かったw >>760
お話にならない、妄想はブログ止まりにするように >>761
「其」が何を指すかは純粋に文法の話
内容については別の次元の話
これを取り違えてはいけないよ >>760
お前さんのいう自称・日本語的な解釈ってのが実際は日本語的ではなく異常な解釈なだけだ >>762
君が中国語の専門家、あるいは中国語に造詣が深くて、「其」の使い方を熟知しているなら、それを教えてくれればいい。
そうじゃないなら、そういう専門家や造詣の深い人からレスがあるまでは、君のレスも「お話にならない」、だろ? >>763
その文法の話を聞きたいと再三書いてるんだが?
「其」が日本語の「そ」だけを意味するような代名詞なのか、「其」一字でも、日本語の「その」のような、連体詞的な使い方をすることがあるのかどうかを知りたいのは、誰よりも僕自身なんだからw
内容については、日本=九州の東の嶼に王がいるという記述に、大きな疑問を持っただけ。
これをそのまま受け止めるなら、東は南の誤りだとするにしても、九州王朝説の大きな論拠になる。
九州王朝説からは歓迎される記述だろうが、否定派には認められない記述だと思う。
それなのに、どうも否定派からの非難ばかりのようだ。
その理由も理解できない。 >>765
それはいくらなんでも日本語に無知すぎる。
日本語の「その」は、たんなる代名詞としてだけではなく、きわめて広い範囲を代理する。
デカルトは「我思う。ゆえに我あり」と書いた。
そのデカルトが、「知覚は思いに先立つ」とも書いているとしたら、どう解釈すればいいのだろう?
こういう「その」の使い方は、日常でもよくある。
だから中国語ではどうか知らないが、日本語的にはそういう解釈もできる、と書いた。 >>753
靺鞨の東北なので、樺太(サハリン島)という説が有力 >>768
代名詞は通常直近の語を受けるものだ
そうじゃないと読者は分からない
日本語でもそのようなおかしな解釈はムリ >>770
代名詞に助詞を付けて連体詞にすることも知らない?
なにより、「こそあ(ど)」といった代名詞は、それぞれ実際の距離や時間の差によって使い分けられるとともに、文章の中での文と文の距離を表すこともある。 >>749
>「其」は長安ではなく、「其東海嶼」が「そうした東の海の島である日本」。
>視点としては、長安から見た方向。
「其」は、東シナ海東部をさす。
「其」が直接指しているものは、
「倭國者,古倭奴國也。去京師一萬四千里,在新羅東南大海中。依山島而居,東西五月行,南北三月行」
と
「日本、古倭奴也。去京師萬四千里、直新羅東南、在海中、島而居、東西五月行、南北三月行」
「東西五月行、南北三月行」は、隋書からの引用であるので、現九州島周辺海域を指す。
倭や日本のある海域、即ち東シナ海。
「其」の同じ用例
「倭人在帶方東南大海之中、依山島爲國邑・・・從郡至倭、循海岸水行、歴韓國、乍南乍東、到其北岸狗邪韓國」
「其」は、帶方東南大海之中の水行する海を指している。
隋書では、屋久人種子人は出てくるが隼人はない。 >>773
「其」は、帶方東南大海之中の水行する海を指している。
魏志倭人伝冒頭の「其」の指しているのは、同文中直近「從郡至倭」の「倭」
「帶方東南大海之中の水行する海」なんて文中のどこにも出てきていない。 >>773
前半部分は論外
コメントするにも値しない 「其」とか指示代名詞を使うのは同じ言葉が出てくるのを避けるため。
逆に言えば指示代名詞は読者のほとんどの人が間違うはずのない箇所に使われるべきであって、
それは同文内の直前、あるいは直近の文であって間に紛らわしい用語がない場合などだろう。
こんなことは中国語うんぬん以前の問題
内容解釈以前の問題 >>772
日本語の基礎を知らないなら、日本語の問題に絡んでくるなよw >>777
日本語の基礎っていうのはこそあどの使い分けの話かw
何の関係があるのw
おまえ国語・英語系さっぱりダメだろw >>774
「其北岸狗邪韓國」の「其」が倭であるなら、
狗邪韓國は倭であって、且つ狗邪韓國の北に海があることになる。
「東南大海之中・・循海岸水行・・乍東 其北岸狗邪韓國」
循海岸で水行する乍東後の海の北側にある岸が狗邪韓國であるとの意味。
水行する乍東後の海は、帶方東南大海之中である。
「其北岸」は朝鮮半島南岸である。 >>780
倭国は朝鮮南部から九州北部にまたがた存在した海洋王国
その北辺は朝鮮南岸に存在した狗邪韓国(倭国の北岸)である。 >>780
狗邪韓國の所在地を半島南部じゃなく日本列島北部だと誤認していた可能性を無視して決め込むなよ >>782
行程で半島南岸として出てくるんだから、誤認してるとは思えない 東夷傳前文のところで
「遂周觀諸國」して「采其法俗」できたから「小大區別 各有名號」とか「詳紀」できるよと宣言している
[狗邪韓國]と[弁辰狗邪國]はその[名號]からしてちがっている
[狗邪韓國]と[弁辰狗邪國]とを同一視しちゃいかんよね
[韓地][韓國]の[名號]は陳壽のが初出に限りなく近いのではなかろうか
[韓國]の[名號]で半島全域とか半島南半を括るような用例は19世紀末にならないとなかろ
[狗邪韓國]は王姓[韓氏]との繋がりで理解するのがよかろ 準王が衛満にぼこぼこにされて
「將其左右宮人走入海居韓地 自號韓王
【(魚豢)魏略曰 其子及親留在國者 因冒姓韓氏 準王海中 不與朝鮮相往來】
其後絶滅 今韓人猶有奉其祭祀者
漢時屬樂浪郡 四時朝謁」
「走入海居韓地」した場所が「彌馬那」であったとしても矛盾とか出てこないだろ
1世紀あたりには「韓地」には「韓王」はいないという
亡んでしまったか
さらに移動してしまったか2択ということにはなろうが >>781
>倭国は朝鮮南部から九州北部にまたがた存在した海洋王国
>その北辺は朝鮮南岸に存在した狗邪韓国(倭国の北岸)である。
1世紀倭奴國の時代であれば、倭が海洋王国であったと云える。
3世紀女王國邪馬台国の時代では、倭の上陸地点の南東600里(50q)以上の内陸部に
倭の中心地である女王國や邪馬台国があったので、倭が海洋王国であったとはもはや云えない。
海洋王国の働きをしていたのは、もはや一大國壱岐のみである。 >>786
根拠ないね、妄想だ
もう少し時代を下れば世界遺産の宗像時代になるのに >>786
744氏が訳してくれた流鬼伝の話から見て、倭の都から5千里ほど北へ行くと東北地方だかサハリンだか千島列島だかであるらしい流鬼に到着するわけだが、
倭の都からサハリンまではたかだか400km程度なのか? 都の位置は北海道内のどこかってことか?
どう考えても短里ではないよな 大湖はバイカル湖だろこれ
まつかつとか黒水とかいうと
東北部の満洲の東北の端っこやな。 >>788
長安から北へ15000里だ、転記ミスだ >>788
流鬼去京師を首都から流鬼までとして、博多から青森だと1200Km(短里15000里)。
東北で三方が海に囲われた地、と読めば青森あたりが該当する。
そうするとその北が、「茫漠とした前人未到の地」である北海道となるので、とてもよくあてはまる。 なんだか、新唐書の記事を読むと、九州王朝説の補完になっているとしか思えなくなる。
新唐書が書かれた時代に短里が使われているわけもないけど、倭人伝ごろからの日本側の伝承と見れば、短里の記述が混在していても不思議はない。
なにより、萬五千里は一般的な当時の里では、7、8000Kmだから、相当無理がある。 >>791
「日本,古倭奴也。去京師萬四千里」
「流鬼去京師萬五千里」
これ当然視点は同じですよ >>793
ああ、そういう読み方になるのかな。
それだと、流鬼というのは、現代中国の編者が日本のところに置いただけで、日本とは関係のない国ということか。
一般的な里で東北というと、北極海あたりになりそうだけど、それはどうなんだろう? >>794
新唐書の東夷伝は
高麗、百済、新羅、日本、流鬼の記事
流鬼は日本の条にあるわけではないよ >>793
「日本,古倭奴也。去京師萬四千里」
この「萬四千里」は一般的な里だとしても、実際の行程と見ればそのくらいになるのかな?
かなり、紆余曲折するという意味で。
流鬼の方は、使者が行ったわけではないだろうから、実際の行程とは考えにくいけど。 >>795
それならよくわかる。
現代中国の編者が、流鬼の記事は短いからか、日本に入れただけなんだね。
ここで話題にすることではなさそうだ。
萬四千里とか萬五千里とかの距離に関しては、まだ疑問が残るけど。 いや日本条に入れたわけではなくてね、
日本条の次に流鬼条が続いてるだけなんだが。。。
ちなみに、
高麗・・・去京師五千里而贏(余)
百済・・・直京師東六千里而贏(余)
新羅・・・居漢樂浪地,千里,縱三千里,東拒長人,東南日本,西百濟,南瀕海,北高麗。(京師からの距離なし)
日本・・・去京師萬四千里
流鬼・・・去京師萬五千里
百済の直っていうのは直線距離ですかね >>792
中華の領域のサイズが東西およそ一万里、全世界のサイズが東西およそ四万里とかいう太古の世界観で作られた距離だからだよ
実距離じゃないんだ >>797
単に連続して置かれてるだけで日本のなかに含まれてはいない
東夷伝が古くから知られてる順に主要国を並べたんだろ
高句麗百済新羅日本、続いて最後に流鬼と。
日本の一部のように読んでるのはお前さんだけじゃないの?
他の誰か、流鬼を日本の一部のように読んでるレスはあるか? >>798
https://zh.wikisource.org/wiki/%E6%96%B0%E5%94%90%E6%9B%B8
流鬼が日本に入ってるというのは、このサイトの話なんだ。
それにしても、距離は計算が合わないね。
実行程と直線距離が混在してるのか、一般の里と短里が混在してるのか、いろいろ混在してるのか・・・ >>799
それは、根拠が希薄だと思うけどな。
書かれたのも太古ではなく、11世紀ごろの話だし。 >>800
流鬼が独立しててもいいんだが、現代中国の編者が日本に入れてるというだけ。 >>801
なるほど、一緒にしちゃってるねw
ちなみに、中央研究院は別条
http://hanchi.ihp.sinica.edu.tw/ihpc/hanjiquery?@109^772051425^801^^^60202017000401480001^%E6%9D%B1%E5%A4%B7(P.6185)@@1357603736
また蝦夷は唐会要(961年成立)に出てくるので、倭地と理解されてたんじゃないかな
蝦夷
海島中小國也。其使至鬚長四尺。尤善弓箭。插箭於首。令人戴瓠而立。數十歩射之。無不中者。
顯慶四年十月。隨倭國使至入朝。
(和訳)
海の島の中の小国である。その使者は鬚の長さ四尺。弓射に練達している。首の後ろに矢を挿し、
人に戴瓠を載せて立たせ、数十歩の先からこれを射る。的中せざるはなし。
顕慶四年(659年)十月。倭国の使者に随伴して入朝した。
→斉明天皇の遣唐使ですね >>804
ありがとう、中央研究院は台湾のサイトだね。
大陸も台湾も、学問に対する姿勢がすばらしい。
これが歴史かな。
日本にも、日本の古典を網羅するようなサイトがあればいいのにと思う。 >>804
この蝦夷というのは、北陸とか近畿あたりの国なのかな?
海島というのは本州のことだろうか? 唐会要に記事があるよ
こっちの方が古いね
「倭國東海嶼中野人。有耶古。波耶。多尼三國。皆附庸於倭。北限大海。西北接百濟。正北抵新羅。南與越州相接。」
倭国は東海の小島の野人。耶古、波耶、多尼の三国がある。いずれも倭に従属している。
北は大海が限界、西北は百済と接し、正北は新羅と抵触、南は越州に相接する。 唐会要に流鬼国もあったわ
流鬼國
流鬼。去京師一萬五千裏。直K水靺鞨東北。少海之北。三面阻海。多沮澤。有魚鹽之利。
地氣早寒。?堅冰之後。以木廣六寸。長七尺。施系于其上。以踐層冰。逐其奔獸。俗多狗。以其皮毛爲裘褐。
勝兵萬人。南與莫曳靺鞨鄰接。未嘗通聘中國。
貞觀十四年。其王更三譯而來朝貢。授騎都尉。 >>804
蝦夷は同文で通典(796年成立)に出てくるね >>808
なんか新唐書の作者が唐会要から記事を持ってくるときにいろいろいじくったみたいだな
唐会要
「倭國東海嶼中野人。有耶古。波耶。多尼三國。皆附庸於倭。北限大海。西北接百濟。正北抵新羅。南與越州相接。」
新唐書
「其東海嶼中又有邪古、波邪、多尼三小王,北距新羅,西北百濟,西南直越州」 >>808
ありがとう。
新唐書は唐会要を下敷きにしてるんだね。
史書というのはそういうものなんだろうけど。
>倭国は東海の小島の野人。耶古、波耶、多尼の三国がある。いずれも倭に従属している。
この読み方は、新唐書の「其東海嶼」は日本のことだという、僕の読み方と同じなんだろうか?
蒸し返しになるけど、教えてもらえれば助かる。
>北は大海が限界、西北は百済と接し、正北は新羅と抵触、南は越州に相接する。
これだと、日本は、少なくとも、日本の中心は九州だと書いてあるとしか考えられない。
越州というのは三国時代の越のことなんだろうか? 古代史界のエタ非人と呼ばれる古田説のみなさんこんにちは。
平原は防人さんの土地。
北部九州は防人さんの土地。
https://goo.gl/m2KfqU
こんな所に王権なんてありません、残念w >>812
>>808の訳はブログからそのまま引っ張ってきたんだけど
この文は倭国記事冒頭にあるような倭国全体を説明する固持ではなくて、年別記事の途中に出てくる。
「永徽五年十二月。遣使獻琥珀瑪瑙。琥珀大如斗。瑪瑙大如五升器。高宗降書慰撫之。仍云。
王國與新羅接近。新羅素為高麗百濟所侵。若有危急。王宜遣兵救之。
倭國東海嶼中野人。有耶古。波耶。多尼三國。皆附庸於倭。北限大海。西北接百濟。正北抵新羅。南與越州相接。
頗有絲綿。出瑪瑙。有?白二色。其琥珀好者。雲海中湧出。」
したがって、文字通り読めば、倭国の東の海嶼中に野人がいる。耶古。波耶。多尼の三國があり、皆倭国に附庸されている。
と訳すのが正しそうだ。
内容が正しいかどうかは別の話としてね。 >>814
「北限大海。西北接百濟。正北抵新羅。南與越州相接。」
その後の説明の解釈は難しそうだな。 >>814
なるほどね。
それでも、北限以下は、倭国の北限ということじゃないのかな?
僕のような素人には、どう読むのか難しい。
やっぱり、中国語の専門家の意見を聞きたいところだな。 流鬼國の位置
モンゴル国ドルドゴビ県北部 長安から真北へ15000里(12000q)短里
県都サインサンドの北に広がる150q四方の盆地平原 標高960m〜1000m
現在の湖は少雨乾燥化によってほとんど消失しているが、雨季には季節湖ができる。
7世紀頃には長径100qを超える巨大塩湖であった推定される。
GoogleMapで濃い茶色のところが近年まで湖であったところ。 >>790
長安から北へ15000里って、長安から日本までの距離より2割半ほど遠いけど、その辺だと北極近辺じゃないの?
長安から博多まで2000kmとして長安から北へ2500kmというと……バイカル湖より北西のあたり、イルクーツク州ブラーツク市とかそのへんか
バイカル湖云々はそこから言い出したのか? >>801
正しくない距離が多く含まれてるから矛盾なく解釈することができないのも当然だよ
それを無理矢理に解釈しようとして編み出された妄想が短里
>>802
儒教の経典で描かれた世界像は儒者たちにとっては聖典だよ
だから(陳寿も含め)儒教関係の人間は踏襲し続けた
科挙の試験で儒教が基準として用いられてるんだから、儒者でない官僚は少数派だ
>>808
>倭国は東海の小島の野人。
明らかに誤訳だな。倭国の東海と解釈しないと、方位や距離以外の狂いが大きくなる。
>>807
風俗から考えると関東か東北しか有り得ない。中部地方以西は無関係だろう。
山梨県あたりなら無理に言って入らなくもないかも知れないが、長野とか静岡とか新潟とかは無理そう。 >>818
時代が違うから、さすがに短里じゃないだろ。 >>819
長安から日本へは1万4000里、7800Km。
長安から流鬼は1万5000里、8400Km。 >>820
明らかに東夷じゃなく北狄の地域をなぜ東夷伝に入れちゃったのかという矛盾を説明できてないからアレの珍説は没だね >>821
>正しくない距離が多く含まれてる
少なくとも、魏志韓伝と倭人伝の場合は、短里を排除するわけにはいかない。
誤記等の可能性より、短里の可能性のほうが確率的にはかなり高い。
倭人伝の誤記比率は、コンマ以下といわれている。
>儒者たちにとっては聖典
史書を作成した人間たちがすべて儒者であったという根拠があるんだろうか?
そのうえさらに、歴史の記述に、事実を変えてまで経典の思想を採用したという例がどれほどあるのだろうか?
>方位や距離以外の狂いが大きくなる
それは比定地を先に決めているから。
>風俗から考えると関東か東北しか有り得ない
それほどの風俗が書かれているわけではないが、ナガスネヒコの通俗的なイメージと矛盾するわけでもない。
蝦夷は近畿から、北へ北へと追いやられたという説もある。 >>824
なるほど。
東夷だとすると、カムチャツカ半島あたりが精一杯かな。
直線距離じゃなくて、行程の距離だとすれば、15000里も不思議じゃなさそうだ。 流鬼國の最初の訳が悪かったようで、長安から北に向かってはいないよね
「流鬼去京師萬五千里,直K水靺鞨東北,少海之北,三面皆阻海,其北莫知所窮。」
長安から直線距離で万五千里。黒水靺鞨(部族名、後の女真)の土地の東北、
少海の北にあたり、三面を海に囲まれている。
https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/a/a8/Map_of_The_east_barbarian_4.5.png だめだ
靺鞨のwikiの唐代のmapを参照してくださいな >>825
>倭人伝の誤記比率は、コンマ以下といわれている
検証方法が抜本的に間違ったデムパ研究を参照するから迷走するんだよ
>蝦夷は近畿から、北へ北へと追いやられたという説もある。
またまたデムパです、ごくろうさん
>>827
三面を海に囲まれた土地なんて長安から見て東から南までの範囲(北東から南西までか)にしかないから、北ではないこと疑いなしだね >>827-830
どれも地図は出てる。
はじめの訳でも、結果はあまり変わらなそう。
でも、ウラジオストックやサハリンあたりだと、直線距離としては1万5000里はとてもない。
地形もあてはまらないように見える。
千数百年前では、もうサハリンと大陸は離れていた。
どこに比定するにも、直線で1万5000里、8000Km以上というのはかなりの距離だ。 >>831
>検証方法が抜本的に間違ったデムパ研究
それでは、検証方法が正しい研究では、倭人伝の誤字率は何パーセント?
蝦夷については、君が知らないだけで、ナガスネヒコや酒呑童子を蝦夷とする説があるんだよ。
主に民俗学側からの考え方だ。
あまり無知を晒さないようにね。
>三面を海に囲まれた土地
大小を問わなければ、そんな地形はいくらでもあるよ。
長安からでも黒水靺鞨からでも、東北なら、大はカムチャッカ半島から小はウシュキ、マガダン近辺等々。 カムチャツカなら8000kmくらいはありそうだけどな >>835
ほんとだ。
そうすると、「少海之北」で「三面阻海」というと、カムチャッカ半島やウシュキ、マガダン近辺、その他の半島部分になるのかな。
直線距離ではとても足りないけど、行程距離なら、まあ当てはまるかな。 「古代史界の排泄物」と言われる古田史学のみなさんこんにちは。
大陸の最新文化の受容地ではあるが、防衛前線であった筑紫に女王は住まない。 >>816
倭人の居住地域の北限という意味を想定するならば、任那周辺地域には相当数の倭人が住んでたらしいから、そこが北限とは言える
>>833
>>検証方法が抜本的に間違ったデムパ研究
>それでは、検証方法が正しい研究では、倭人伝の誤字率は何パーセント?
正しい方法ではサンプル数が少ないというか有効なサンプルがないので検証できない。
しかし、正しい方法で得られないからと言って誤った方法に信憑性が出現することはない。
分からない、解なしと答えなければならない問題に数値を答えたら誤答だよ
判別式が負なのに実数の答えを出そうとするようなものだ
>>三面を海に囲まれた土地
>大小を問わなければ、そんな地形はいくらでもあるよ。
>長安からでも黒水靺鞨からでも、東北なら、大はカムチャッカ半島から小はウシュキ、マガダン近辺等々。
長安の東北法から東方南方を経て南西までの範囲にしかないと言ったのに対する反証で東北方の実例をあげても反証になってないぞ >>839
自分が検証できないのに、他人の検証にケチをつけてもね。
そういうのを、デンパっていうんだよw
>長安の東北法から東方南方を経て南西までの範囲にしかない
なに言ってるかわからないんだが? >>583
>物証もなく魏から金印をもらったのが九州の王だと決めつける厚顔無恥さの持ち主だけあって、
何でもかんでも物証無しに決めつけていきますね。<
不可知部分が殆どである自然や歴史においては、
僅かに知り得て存在確認出来た「(文献や考古の)事実の全てからの帰納的推論」をしなければならないのに、
この 男も、「物証」という曖昧な表現で、「考古の一部の都合の良い事実」だけを論拠にする事にして、
文献や考古の大半の都合の悪い事実を否定抹殺するインチキをして、
世間の人々を騙そう、としていますね。
この男も、おそらく、思想宗教にクルった・・・・サギシ。
>中国の風習やら単位やら、留まるところを知りません。どこまで妄想をたくましくするのでしょうかね<
彼らが否定抹殺する事実は、中国の風習やら単位やら、留まるところを知りません。
どこまでインチキの妄想をたくましくするのでしょうかね?。
おそらく、政府や学会上司の思想宗教だけを信仰する・・・・アホなんでしょうね。 >>583
>物証もなく魏から金印をもらったのが九州の王だと決めつける厚顔無恥さの持ち主だけあって、
何でもかんでも物証無しに決めつけていきますね。<
不可知部分が殆どである自然や歴史においては、
僅かに知り得て存在確認出来た「(文献や考古の)事実の全てからの帰納的推論」をしなければならないのに、
この 男も、「物証」という曖昧な表現で、「考古の一部の都合の良い事実」だけを論拠にする事にして、
文献や考古の大半の都合の悪い事実を否定抹殺するインチキをして、
世間の人々を騙そう、としていますね。
この男も、おそらく、思想宗教にクルった・・・・サギシ。
>中国の風習やら単位やら、留まるところを知りません。どこまで妄想をたくましくするのでしょうかね<
彼らが否定抹殺する事実は、中国の風習やら単位やら、留まるところを知りません。
どこまでインチキの妄想をたくましくするのでしょうかね?。
おそらく、政府や学会上司の思想宗教だけを信仰する・・・・アホなんでしょうね。 >>583
>周髀算経にて「一寸千里之制」の書かれている部分の数値の中から自説に都合がいい一部だけ抜粋して短里を創作する姿勢。<
いや、周髀算経の殆ど全部の数値からの帰納的な確率の高い推論だよ、・・・・サギシさん。
>相変わらずの物証無視ですね。<
考古の周尺は、当然無視しないし、証拠採用している。
>それに「周髀算経」ってのは、周牌算の本ってことであって周代とは無関係ですけどね <
周髀とは、当然周代に使用された髀の事であり、
秦代や漢代の髀の話なら、当然秦髀算経とか漢髀算経とかの呼称になる筈であるが、
そうはなっていない。
つまり、この男は、口先言葉尻でのダマシの・・・・インチキサギシ。 >>584
>夏至の影の長さじゃなくて(季節を問わず)影の長さが1寸変わるとこだろ<
周地付近の「大地平面」近似の成立する範囲内での計測値からの、帰納的推論 だ。
>現実の地球と違って周牌算の計算では平面大地と近距離太陽を前提に書かれてるから、
どの季節でも1寸千里が成り立つという非現実な想定になっている。<
いや、太陽は、周地付近の大地平面近似地域範囲から見れば、近似的に十分遠距離だ、
という想定だ。。
そのなかで夏至の日の影だけが短里説と適合する。 >>584
>そのなかで夏至の日の影だけが短里説と適合する。<
いや、夏至〜冬至の1年中の近似影長が書かれており、長里では6倍位違って全く適合しない。
>自説に有利な内容なら素人の空想でも根拠なく受け入れるのが君のジャスティスなんですね、わかります。<
自説に都合の悪い内容であれば、文部省や学会上司の指導に従って、
根拠なく口先言葉尻でヘイトスピーチして抹殺する、てのが、キミの君のジャスティスなんですね?。
キミが狂暴なはくちの・・・・である事がわかります。 >>839
>東北方の実例をあげても反証になってない
例が適切ではなかったかな。
ユーラシア大陸には、長安から見て北東から南東までの海岸線しかないと思ってる人には、だが。
海岸線は北にももちろんあるし、大小の半島がたくさんあることも変わらないw 「周髀」って何ですか?
周髀算經
「榮方曰:周髀者何?
陳子曰:古時天子治周,此數望之從周,故曰周髀。
髀者,表也。日夏至南萬六千里,日冬至南十三萬五十里,日中無影。」 >>846
北東から南東まで −> 北東から南西まで >>585
>太陽は地上8万里のところにあると書いてる本だぞ、短里で8万里かよ?<
当然、周地付近での大地平面近似適用範囲での一寸千里による近似計算であり、
短里だ。 >>589
>夏至の影の長さの差1寸に対応する実距離と
当時の影の長さ1寸に対応する実距離を比べると、76:20で、すごく短いよ<
ありゃ?、この男は、(周髀算経が大地平面モデルである事を隠して)「大地球面でのダマシ計算」をしたらしい。
周髀算経が「南千里で一寸差で、北千里でも一寸差である」という事が、大地平面モデルである事の出発点の証拠になっているんだよ。
>周牌で季節を問わず成立することになっている1寸千里だけど、その千里は最短20kmから最長76kmまで伸び縮みしてるわけだ<
大地平面であれば、季節を問わず、
太陽視角や地面への入射角の差に拠る影端部や半影部分の広がりの範囲で、一寸千里は成立する訳だ。
>あと、なんといっても太陽高度8万里。<
周地付近の大地平面モデルからの計算値。 >>592
>夏至の日の、八尺棒の影の長さの差は千里で一寸(という伝説)<
いや、有効数字1桁程度の実測。
>確か後の唐の時代にそれあ本当か測り直して 一寸六百里という事になったそうだけど <
唐代の人が、どういう里歩度量衡を使ったのか?は判らんが、この数字からは短里での有効数字1桁の範囲内であり、
長里では全く合わないから、短里での計算であったんだろう。
>一寸千里は周牌算経書いた人が実測したん? それとも空想の数字? ここが良くわからん<
周代に始めに書いた人は実測であったんだろうが、
漢代に収集注釈を書いた人が実測にたのか?は知らん。 >>594
>実測してたら夏と冬の違いで矛盾が分かるだろ、<
相変わらず、この・・・・アホ男は、周地付近での大地平面近似範囲の法だ、という事が判っていない。
その範囲では、夏と冬でも違いが殆ど発生しない。
>そこに気付いてない以上は実測じゃないはずだ<
それに気付いていないこの男が、「実測じゃない」と宣伝しても、
何の信頼性も証拠価値もない。
>それに、作中でこの問答をしてる人らが周のことをはるか昔と呼んでるわけだから、
周代の出来事じゃなくて、おそらく漢代ぐらいの人が問答してるって設定だろ<
いや、(秦髀や漢髀ではなく)周髀と名付けているんだから、周代の計測だ。 >>598
>周髀算經には紀元前12世紀末の天体現象(北極中大星)が書かれているので、
周髀算經は、周人(周公)が商人(商高)から教えを請い、そしてその知識をまとめたもの。
周公とは周公旦(姫旦)のことを指すと考えられます。<
成程。 >>600
>夏の一里は長くて冬の一里は短いという謎の経験則があったとか、トンデモの極み <
大地平面近似の成立範囲内なら、夏の一里と冬の一里もほぼ同じになる、
という事が理解出来ないこの男が、トンデモの極み。 >>601
>短里・・・・・・周髀とは関係なく単に1/5だったりしてw<
一寸千里だから短里w。
>公孫氏が国土や勢力圏が狭いから1/5里を独自に使用してただけだったたりして。<
魏志の殆どは短里であり、三国志の大半でも短里w。 >>602
>公孫氏は女真人(満人)だから、商代(女真人国)以来の短里を1300年間以上使っていたのであろう。
魏志東夷伝の魏書引用部分(鮮卑烏丸)にも短里が使われている。
「檀石槐既立、乃爲庭於高柳北三百餘里彈汗山啜仇水上、東西部大人皆歸焉。
兵馬甚盛、南鈔漢邊、北拒丁令、東卻夫餘、西撃烏孫、盡據匈奴故地、
東西(南北)萬二千餘里(900km)、南北(東西)七千餘里(500km)、罔羅山川,水澤,鹽池甚廣。
漢患之、桓帝時使匈奴中郎將張奐征之、不克。乃更遣使者齎印綬、即封檀石槐爲王、
欲與和親。檀石槐拒不肯受、寇鈔滋甚。乃分其地爲中東西三部。
從右北平以東至遼、東接夫餘,濊貊爲東部、二十餘邑、其大人曰彌加,闕機,素利,槐頭。
從右北平以西至上谷爲中部、十餘邑、其大人曰柯最,闕居,慕容等、爲大帥。」<
成程。 >>634
>現実の方位としては東と南は明白に異なるが、
記録文書に誤記や誤情報が乗っていないことの根拠としては薄弱すぎて×<
不可知部分が殆どである自然や歴史における議論では、始めから、
「100%絶対断定」がそもそも有り得ない。
要は。確率が高いか?低いか?が判定基準。
そして、南と東を間違える確率は殆ど0%であり、
間違えない確率は殆ど100%。 >>646
>つまり薩摩や屋久島、種子島あたりを倭国の東の海中と認識してたのか
種子島が九州の東だとよ<
違う。新唐書のこの記載は、唐会要の倭國伝の、
「倭國東海嶼中野人。
有耶古,波耶,多尼三國。皆附庸於倭。
北限大海、西北接百濟、正北抵新羅、南與越州相接。」
を踏襲しており、
「倭國東海嶼中野人」は、
倭國の東海上には(魏志倭人伝に書かれた)倭種に相当する本州四国の「野人」がいる、
という意味であり、
それとは別に、倭人からの伝聞情報としてまた、「有耶古,波耶,多尼三國」があり、
それらが「皆附庸於倭」だ、と言っている。
また、新唐書は日本伝であるので、「倭國→其」に書き変えただけではなく、
唐会要の九州倭國に対する「正北」の「正」を外して「北」だけにして、
大和日本国が九州を領有している形に書き変えている。 >>648
>素直に読めば、越=江南まで至近距離という認識だね。どう考えても地理認識に誤りがある
三国志でも江南に近いと説明してるし、地理認識が正しくない点に疑いの余地なしだ <
違うね。
3世紀の陳寿は、「其toku廬國與倭接界」のように、
「接」を「境界を接する」の意味に使っていたが、
唐代になっては、「接」は、
「(百済のように)良好な近縁関係がある」場合にも使うようになり、
それに対して、戦争や争いが絶えなかった新羅には、
「抵」や遠縁関係を示す「距」の文字を使っている。 >>652
>倭国が九州にあるとしても、
種子島が九州の東というのは方角誤認が確定する記述である点にかわりがない <
いや、それは新唐書の、前史の「唐会要」情報の誤読、という失敗。
唐会要の説明は、
「倭國東海嶼中野人」は、
倭國の東海上には(魏志倭人伝に書かれた)倭種に相当する本州四国の「野人」がいる、
という意味であり、
それで一旦文が切れて、
それとは別に、倭人からの伝聞情報として、
また、「有耶古,波耶,多尼三國」がある、
と書いている。 >>860
野人が四国の倭種とはとうてい読めないな >>662
>だからチガウダロ
日本「の」東海に、薩摩や屋久島、種子島があると書いてるの<
新唐書は、
前史の唐会要の、倭人からの情報の、
「倭國東海嶼中野人。有耶古,波耶,多尼三國。」
を誤解して、「其東海嶼中又有邪古、波邪、多尼三小王」と書いてしまったの。
ほら、「野人」が抜けてしまっているんだろ?。 >>669
>勝って読みして矛盾がないと主張しても通らないだろ<
文字や熟語を順次式に受け止めて矛盾がない読みが、一番確率が高いんだよ。 >>687
>墓のサイズが変わらなかったなら、薄葬令を受け入れて墓を小さくしたという想定が破綻してるってことじゃないのかな
すると、出土物の質素さは薄葬令とは無関係であって、財力が衰えたことを示してるだけってことじゃないのかな <
薄葬令は、葬儀や副葬品に、費用や手間や時間をかけないようにしよう、という命令であり、
大きさや副葬品の豪華さや数量を競ってはいけない、という命令。 >>863
脳内で勝手に構築した矛盾を解消するために、文法も語句も無視するのは本末転倒 >>689
>矛盾が出る読み方を、勝って読み、というんじゃないか? <
「〜野人」で「。」を入れて切って、本州や四国の倭種の事だ、と読むのが、
まともな読み。 >>701
>魏志倭人伝の使節は伊都国までしか行ってないんだろ? なら話は簡単だ
地理は軍事機密だから倭人がヤマトの都の位置を嘘ついて教えたんだろうよ
魏が裏切ってヤマトを攻めた時に、魏の艦隊が南海で遭難するように東を南と偽った
ヤマトの中央官僚にそれだけの政治的知性があったということさ <
「南=東」である確率は低過ぎて、殆ど0%であるから、×ね。 >>703
>おまえのは解釈じゃなくて、単なる文章の誤読だよ <
いえ、後代史書の新唐書日本伝が、
前代史書の唐会要倭國伝の説明を、
「誤読」した。 >>867
四国や本州にる倭種と、初めて聞いた耶古ら小国と、どっちが野人にふさわしいかということ >>870
>四国や本州にる倭種と、初めて聞いた耶古ら小国と、どっちが野人にふさわしいかということ <
どちらかといえば、小さい島や地域の「海人」よりも、
大きな陸地の「嶼」の住民の方が「野人」にふさわしい。 楽浪海中倭人有
といっしょで
野人有。
で区切ったら? 野人という名称の部族が存在してるわけじゃないよね
○○を野人と呼んでるわけだ
当然、同文中、次に出てくる三小國しか対象となるものは出てこない
四国だ、幾内の倭種とか出してくるのは妄想を越えてるね >>840
自分が検証できないと言ってるのではなく、誰も検証できないと言ってるんだよ
自称「検証」の実態は詭弁・マヤカシの類だ >>844
周牌算経の設定では太陽の高さは地上八万里だ。
お前さんが言うとおりの短里では八万里なんだろ6千キロか。
これが近距離じゃなかったら数字がおかしいだろ >>846
唐やら宋の時代の人がシベリアを越えた先の北極海沿岸を知ってたとでも主張するのか、それじゃデムパもいいとこだろ >>852-854
夏の影の長さ一寸と冬の影の長さ一寸では対応する実距離が二倍近く違うだろ
有効数字一桁でも違ってしまうんだが。それのどこがほぼ同じなのか…… >>856,602
伝を見る限り公孫氏は漢人だ、女真でもないし鮮卑でもない
>>863
近現代のものと違って、
>文字や熟語を順次式に受け止めて矛盾がない読みが、一番確率が高いんだよ
という設定は成立しない。残念だね 当時は地表が平面だと考えていたから
夏至の日の太陽の角度が
千里で一寸変化するということから
太陽の高度を求めると高度8万里と出たわけだ。
その条件での計算に矛盾はないよ。
実際には高度はほぼ無限遠で
地表のほうが傾いていたわけだ。
これがわかるためには
天動説を論破して地動説になるまで
待たねばならないが。 >>880
よく見たら、その一連のシリーズ全4本みんな読めるようになってるんだな
魏志倭人伝の里程単位-その1-:里(歩)程論争をめぐって
魏志倭人伝の里程単位-その2-:中国本土の里数値(1)
魏志倭人伝の里程単位-その3-中国本土の里数値(2)
魏志倭人伝の里程単位 「一寸千(短)里」説批判
計量史の専門誌ってことは、古代の度量衡に関する研究での専門家なわけだよな ついでにこれも
『周髀算経』にみられる数値について : 一寸千里説の意味するもの(下司和男:日本計量史学会)
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/10632233 >>874
誰も検証できないという根拠はなに?
誰も検証できないと言うこと自体が、「詭弁・マヤカシの類」じゃないの?
検証できないなら、史書に誤りが多い、ということも検証できないから、それも主張できなくなるよ? >>882
一般的には、学術誌に掲載されたからといって、学会が論文に賛同したということにはならない。
論文としての形式が整っていて、論理の矛盾がなければ、掲載される。
他人の論文の盗用などの場合はもちろん不可だが。 紀要じゃないんだから、普通の学会誌なら査読は入るんでしょ まあ>>888の知ってる学会が論文水準が低いだけじゃね >>892
論文の水準ってなんのことや
論文誌のインパクトファクターのことを意図してるなら言葉がおかしいぞ。 安本美典氏は5〜8世紀の間に即位した天皇の一代平均在位年数が10.88年、
古くなると若干在位が短くなるという統計から5世紀以前の天皇平均在位を10年とし、
神武天皇を3世紀後半、卑弥呼を九州にいた天照大神としました。
さてそうでしょうか。
考古学的にも文献史的にも応神天皇元年390年が有力となってきた昨今、
もう一度平均在位を計算し直してみました。
平均在位と言っても短すぎるのも長すぎるのも正確な数値が出ないと思われますので、
30代を基準に25代〜35代をランダムに採って見ました。
・25代平均 応神天皇390年〜39代弘文天皇没672年 11,28年
・28代平均 応神天皇390年〜42代文武天皇没707年 11,32年
・30代平均 応神天皇390年〜44代元正天皇没724年 11,13年
・33代平均 応神天皇390年〜47代淳仁天皇没764年 11,33年
・35代平均 応神天皇390年〜49代光仁天皇没781年 11,17年
いかがでしょう、11年弱が平均在位です。
さらに古くなると在位が短くなると言う事ですから【11年】が妥当でしょう。
では平均在位11年で神武天皇まで計算してみます。
ただし神功皇后は確実な一代と見なし、15代遡ります。
11年×15代=165年。
応神天皇390年ー165年=225年。
神武元年は3世紀前半となりました。
卑弥呼の時代に重なります。
卑弥呼とは誰か。
歴史上、もっともヒミコという発音に近い初代皇后ヒメ踏鞴五十鈴媛でしょう。 >>706
>言ってるだろ?
矛盾があるのが当たり前だといってるんだから。<
別人の文書間では、矛盾が有り得ても、
個人の文章では、普通の人である限り何らかの考えの記載であるんだから、
矛盾なんて殆どないよ。
「矛盾がある」と見えるのは、読み手の読み方や理解が足りないだけ。 >>865
>野人を抜いても意味は同じだからね <
いや、「野人」を抜いたら、「倭國東海嶼中」に有るのが「邪古、波邪、多尼」になってしまって、
意味が変わってしまう。
それが新唐書の「唐会要の文の誤読」。
唐会要は、あくまで、「倭國東海嶼中」にいるのは「野人だ」と言っている。 >>870
>四国や本州にる倭種と、初めて聞いた耶古ら小国と、どっちが野人にふさわしいかということ<
関係がない。
「野人」と書いたのは唐会要倭國伝であり、
倭國伝と日本国伝とを区別しているんだから、倭國は九州であり、
「耶古ら小国」ではなく、倭国の「東海嶼中」にいる人々を「野人」と呼んだ事になる。 >>872
>楽浪海中倭人有 といっしょで 野人有。 で区切ったら?<
可能性はあるが、
それでは、「耶古,波耶,多尼三國」の述部が無くなってが浮いてしまう事になる事と、
その次の「 皆附庸於倭」は、
当然隋書の「自竹斯國以東、皆附庸於俀」を受けているので、
「倭國東海嶼中野人」も「皆附庸於倭」だ、と主張している、
という事が消えてしまって、不自然になる。 >>873
>野人という名称の部族が存在してるわけじゃないよね ○○を野人と呼んでるわけだ<
唐会要は、隋書の「自竹斯國以東、皆附庸於俀」を意識し引用している。
そして、「倭國東海嶼中野人」と「有耶古,波耶,多尼三國」を皆含めて、
「皆附庸於倭 」と言っている。
>当然、同文中、次に出てくる三小國しか対象となるものは出てこない<
「野人」に相当するのは、「自竹斯國以東、皆附庸於俀」の内の、
「倭國東海嶼中」の住民。
>四国だ、幾内の倭種とか出してくるのは妄想を越えてるね<
「倭國東海嶼中」であって「皆附庸於倭」になるのは、本州と四国しかない。 >>875
>周牌算経の設定では太陽の高さは地上八万里だ。
お前さんが言うとおりの短里では八万里なんだろ6千キロか。
これが近距離じゃなかったら数字がおかしいだろ<
北回帰線までが萬六千里でその5倍の高さだ。
周地付近の大地平面近似が出来る範囲からすれば、十分遠いから、
おかしくない。 >>897
意味は同じだよ
野人=邪古etcだから >>900
一体誰がその分を見て、幾内、四国が思い浮かぶんだw
中京、関東が入らない理由は何だ?
妄想読み意味なし >>877
>夏の影の長さ一寸と冬の影の長さ一寸では対応する実距離が二倍近く違うだろ
有効数字一桁でも違ってしまうんだが。それのどこがほぼ同じなのか…… <
この男は、まだ、周髀算経の天地モデルが判っていないんだな?。
平面大地と、天空の太陽の移動面とは平行であり、
冬至正午では太陽は、同じ平行天空面でずっと南にあり、
平行なんだから、8尺棒の影長は、同じ割合で伸び縮みし、
だから、一寸差になる距離も同じ割合なんだよ。
そして、何度も書いたように、
その事は、南北各千里は離れた場所での影長差がどちらもきっちり一寸差になる、
という事からも、保証される。
ちょっと中学数学でよいから、復習して来い。 >>878
>近現代のものと違って、
>文字や熟語を順次式に受け止めて矛盾がない読みが、一番確率が高いんだよ<
という設定は成立しない。残念だね <
私が大学の頃に勉強した数か国語や漢文は、
皆「順次式受けとめ」で十分理解出来たよ。
残念だね。 >>880
>魏志倭人伝の里程単位「一寸千(短)里」説批判(篠原,俊次:日本計量史学会)<
篠原も、大和説者と同じような、
帰納的推論が出来ないで、結論先にありきの「何でも断定論のインチキ論理」をしゃべっていた記憶があるから、
信用しないよ。
だから、私は読む必要を全く考えないから、
必要だと思うんなら、引用や説明をしてみな。 >>882
>一応、学会オーソライズ済みの論文ですね <
「学会」の評価なんて、
学会自体が「結論先にありき」での「南→東」などの史料事実の否定曲解をしているアホであるんだから、
そんな学会の「オーソライズ済み」も、何の価値もないんだよ。 >>902
>意味は同じだよ 野人=邪古etcだから<
「=」なんて断定が出来ないよ。
唐会要の史料事実や史料実態通りに受け止めれば「≠」だ。 >>905
>一体誰がその分を見て、幾内、四国が思い浮かぶんだw <
私は「畿内」なんて言っていないよ。本州と四国、と言ったんだよ。
そして、唐会要のその文を読んだ人で、隋書も読んだ人は皆、
「自竹斯國以東、皆附庸於俀」を思い浮かべる。
>中京、関東が入らない理由は何だ?<
唐会要の倭國の九州から遠過ぎるから。
>妄想読み意味なし<<
議論に負けて、イチャモンを付けて世間の人々を騙そう、とする・・・・アホは価値がないし、
関心もない。 >>899
耶古波耶多尼三國、皆附庸於倭。
述部じゃなくて主語なのでは
皆で受けてる。 考古学者には土器の編年をしてる人もちろん、
馬具の編年をしてる人、石室の編年をしてる人、さまざまな方がいらっしゃる。
橿原考古研の石野・豊岡両氏の「1999年纏向新偏年」は、
纏向地域の地層、層位を丹念に精査した画期的編年である。
これに対して地層、層位を丹念に精査したことのない人間が口を挟む余地など全くない。
つまり聖域である。
土器の年代、古墳の年代、これらはそれぞれ考古学者が決めるものである。
学者同士で論争があれば別だが、そうでない場合は受け入れるべきである。
にもかかわらず、口を挟める立場にない思いあがった人間が口を挟む。
自説、特に九州説を成立させたいために平気で聖域に立ち入ろうとする。
まるで賤民である。 >>900
"野王女" "野人" でぐぐると 宮内庁書陵部に隠蔵されている史料に辿り着けるよ
たぶん「野人」は「邪人」だろう
「邪馬壹」の「邪」のとこもん
「邪」のバウンダリーが「女王境界」内の「女王界」で
「邪」の「西王母」的存在なのが「邪媽」で「邪馬」とも表記される
「邪」のバウンダリーと相互補完関係にあるのが「阿」のバウンダリー >>884
君のPCの設定がおかしいだけ。こちらでは普通に見えてるよ
>>885
検証の材料が消滅して残ってないからできない
現存の材料だけで検証できると嘯く大言壮語を信じる目出度い人が多くて困る
>>892
学界と学会を混同してないか、きちんと区別できてるか? >>896
史書は編纂者が一人であっても様々な典拠の文章を切り貼りしてるから矛盾が出るのが当たり前。
キミが史書を部分的にしか読んでないから知らないだけだよ >>906
当時の日の影の長さが実測と算経の記載数値で違いすぎるから実測してないだろといったんだけど曲解してないか
一寸千里法は,仮に実測値で求められていたのであれば、夏至の日以外には成り立たない
実測値じゃなく机上の空論だからこそ成立する架空の計算式だと言いたいのだが。
きっちり一寸差になるのは実測じゃなく理論値だから、机上の空論だからなんだよ >>907
そりゃ、受験生に分かりやすい部分だけ選んで採用してるからだよ。
難解な部分は受験問題に出さないよ。教科書で学ばせたりしないよ。
そんな部分だけから一般化して理解できるとか、中二病患者みたいだね >>917
>史書は編纂者が一人であっても様々な典拠の文章を切り貼りしてるから矛盾が出るのが当たり前。
具体例キボンヌ ひとりで書いてるのに内部が矛盾だらけの和田文書みたいな例もあるぞ
前野家文書(武功余話)とか竹内文書とかも同様だな 天地開闢から国生みでまったく語られていない韓・唐が突然登場 神代紀は一書による異説がが列記されてるから、創作ではないだろ 一寸千里法が冬至に成立すると書いてあるのは、周髀算經のどの部分?
一寸千里法が夏至に成立すると書いてあるのは、
>>http://ctext.org/zhou-bi-suan-jing/juan-shang/zh#n59436
「周髀長八尺,夏至之日晷一尺六寸。髀者,股也。正晷者,句也。
正南千里,句一尺五寸。正北千里,句一尺七寸。日益表南,晷日益長」
一寸千里法が夏至に成立すると書いてあるはどこか私にはわかりません。 >>932は書き間違い
正しくは下記です。
一寸千里法が冬至に成立すると書いてあるのは、周髀算經のどの部分?
一寸千里法が夏至に成立すると書いてあるのは、
>>http://ctext.org/zhou-bi-suan-jing/juan-shang/zh#n59436
「周髀長八尺,夏至之日晷一尺六寸。髀者,股也。正晷者,句也。
正南千里,句一尺五寸。正北千里,句一尺七寸。日益表南,晷日益長」
一寸千里法が冬至に成立すると書いてあるはどこか私にはわかりません。 >>916
「検証の材料が消滅して残ってないからできない」なら、間違いがあるのが当たり前とか矛盾があるのは当然とかいう結論も出てこないよ?
なにしろ検証できないんだからw 日本書紀は全くの創作ではないが
多くの一書の記事を集めた切り張りで歴史書ではない
最後の半世紀間くらいは実際にあったことを書いてあるが
記事の順序を入れ替えたり記事の場所を変えたり事実を改竄している
最初の10代だけが本当のヤマト朝廷の歴史だな。 古代史界の南京虫と呼ばれる古田説者のみなさんこんにちは。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
名前の似ている帥升とスサノオを同一人物だとすると、
107年 倭國王帥升 スサノオ
・
・
・
・
238年 卑弥呼 ヒメ蹈鞴五十鈴
・
266年 台与 天トヨ津
これくらい簡単に分るって。
本居なら1分で解いたはず。
でも土下座王スサノオさんの事は当時の日本人のプライドとして隠すよね。
本居は千年前の朝廷がなんで100歳を超える天皇にしてるのか、
その理由も分かっただろう。
神武東征紀が女王国であったことを隠すための大袈裟な記述だとも分かっただろう。
そして本居はヘンテコな九州説を唱えて世論誘導。
つまり九州説は世論誘導wwwwwwwww >>920
史記にしても三国志にしても、本紀と列伝で同一事件に関する記述が違ったり矛盾したりする場所はたくさんあるだろ、読んでないのかよ >>933
平面大地で三角形の相似を使って計算してる周牌算経の計算方法では、現実の地球と違って季節を問わず常に一寸千里の法則が成り立つことになってる
計算の原理的に考えたら冬至にもなりたたないと数学的におかしい >>939
>平面大地で三角形の相似を使って計算してる周牌算経の計算方法では、
>現実の地球と違って季節を問わず常に一寸千里の法則が成り立つことになってる
夏至と冬至では周髀に対しての影の長さ違うから、夏至と冬至は相似形ではないでしょ。
>計算の原理的に考えたら冬至にもなりたたないと数学的におかしい
平面幾何を何も知らないんだね。三角法も。
それとも、周髀算經原文の漢文を全く読めないのかな?
冬至の一寸千里法は何所に書いてあるの? 古代史界の糞コロガシと呼ばれる古田説者のみなさんこんにちは。
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10代崇神はハツクニシラスです。
彼の時代に出雲の神宝が奪われ、山陰出雲で四隅突出墳墓が終わり、出雲国造が置かれた。
モモソヒメの不思議な死を理由に大和にいた大物主が倒され、大物主を祀る大神神社が建てられます。
つまりクーデターです。
ならば崇神以前の神武〜開化が最高位ではなかったという事です。
最高位は鴨王ことクシヒガタの系譜、つまり大物主です。
ヒミコもトヨもこの大物主の系譜にいたという事です。
ヒメ踏鞴、天トヨ津以外にいません。 古代史界のサナダ虫と呼ばれる古田説の皆様、おはようございます。
●卑弥呼は熊襲が朝廷を僭称したものとする「偽僣説」
本居宣長は邪馬台国を畿内大和、卑弥呼を神功皇后に比定した上で、神功皇后を偽称するもう一人の卑弥呼がいたとした。
ニセの卑弥呼は九州南部にいた熊襲の女酋長であって、勝手に本物の卑弥呼(=神功皇后)の使いと偽って魏と通交したとした。
本居や鶴峰は卑弥呼・壱与のみならず倭の五王も熊襲による僭称としており、
これらの考えは古田武彦らの九州王朝説へと引き継がれている。
「本居や鶴峰は卑弥呼・壱与のみならず倭の五王も熊襲による僭称としており」というのは、
言い換えれば、
「大和朝廷および古代天皇は絶対朝貢などしてません」という事だ。
「日本の天皇が中国に朝貢した事などあってはならない(本居宣長)」がベースだ。
つまり、この「偽僣説」は世論誘導。
本居宣長1730年生れ
鶴峯戊申1788年生れ
那珂通世1851年生れ
この3人に接点はあったのか。あったのならまるで日本版フリーメーソンだ。
どちらにしてもこの熊襲が朝廷を僭称したものとする「偽僣説」という奇説、
那珂通世を最後に消える。
本居や鶴峯の時代まで重く重く辛い史実であった古代天皇の朝貢、
これが那珂通世の生存中に突然、羽を生えたように軽くなった。
日本が日清戦争に勝ったからである。
中国に対して精神性で圧倒的優位に立った。
今の日本人なんて中国に対して優越感しかない。
中国人よりパンダの方が大事だ。
中国人1億人とパンダ1頭が同価値であろう。いや13億だという強硬論もあろうが。
それにしても世論誘導であったこの奇説をマジで捉えた古田www >>1
5ちゃん(2ちゃん)の書き込みのほとんど99%は5ちゃん管理人によるものです
管理人は400人くらいいて、文系の才能のない売れないライターがバイトで5ちゃんに書き込んでいます
だから詳しい書き込みができるんです
5ちゃんは管理人がIDを変えながら書き込んでる掲示板です
5ちゃんは管理人はハッキング、ストーカーをしてきます
5ちゃんは管理人はユーザーのパソコンをハッキングして個人情報を覗き見しています
5ちゃん掲示板を見てるだけでもどこを見てるかリアルタイムで分かるようになっています
(管理人が監視してるスレを見ただけでハッキングされる恐れがあります) gigazineで、こんな記事(翻訳記事かな)があった
科学者が一般人に教える「どのように科学論文は読むべきなのか」の11手順
https://gigazine.net/news/20170629-how-to-read-scientific-paper/
エセ科学記事にだまされないために重要な12のポイント
https://gigazine.net/news/20140409-bad-science/
後者の第一項目「◆01:おおげさ過ぎるタイトル」は、かなり示唆的ですね。
○○はなかった、みたいなタイトルは要注意ってことです 隋書倭国伝には阿蘇山があり、倭国民が畏敬している山であると記述されている。さすがに遠く離れた中国、四国、近畿、中部、関東の倭人が熊本の阿蘇山を畏敬するのは変かも。 阿蘇、桜島など九州の火山はあの時代にも元気だったのだろうね。
噴火してる姿は神々しく見えただろう。
だから何? 古田先生は東日流外三郡誌で名を馳せたお方(笑)
ムーがお似合いです >>950
倭国というのは九州のこと、ということだろ? >>951
東日流外三郡誌が偽書であるという証明があるの?
宇宙人は出てこないみたいだし・・・ >>954
白状もなにも、発見者は最後まで真書であると主張してたよ。 >>948
「聖徳太子はいなかった!?」のことですね、わかります。「邪 >>948
>○○はなかった、みたいなタイトルは要注意ってことです
「邪馬壹國」はOKで、
「邪馬台国はなかった」はNGってこと? 誤字か正しいかは分かりませんね
どちらも有り得る。 邪馬壹國(やまいち国)は古代の韓語でしょう
連母音という倭語では存在しない音韻が含まれています
韓人を支配階級とした制服王朝だったのでしょう 邪馬壹は[ja-ma-yi]で
連母音になるというのは
[wi]と[yi]の区分のつかない
にわかなひとくらいのものだろ >>966
yamawiだとすると、連母音にはならないような?
そもそも、日本の古代に連母音がなかった、という根拠もまったくないと思うんだが? 古代史界のインキンタムシと呼ばれる古田説者のみなさんこんにちは。
安本さんがなぜ用明天皇から20人の平均在位しか採っていないのかが謎です。
平均を採るのに20代は少ない。
私は30代で採ってみた。
30代平均 31代用明天皇元年585年〜60代元正天皇没930年
930−585=345年
345÷30は11.5年
用明から30代の平均在位は11.5年。
では用明天皇から神武まで遡ります。
ただし神功皇后は確実な一代と見なし、31代遡ります。
11.5×31=356.5
用明元年587年−356年=231年
用明から30代として計算した神武元年は231年、つまり卑弥呼の時代です。
卑弥呼とはヒメ踏鞴五十鈴媛しかいなくなりました。
したがって邪馬台国の王都は葛城です。
というわけで纏向説も九州説も仲良く氏んでください、さようなら。 >>974
壹は現実に存在するから、根拠は明確。
現実にあるものを否定するには、現実に匹敵する根拠がやはり必要。 >>975
東日流外三郡誌が、親書であるか偽書であるかの結論は出ていない。 >>977
東日流外三郡誌擁護ですかぁ?
面白い人ですねぇ
ムーでも読んでアトランティス大陸やアガルタにでも想いを馳せていてくださいw >>978
>東日流外三郡誌擁護
擁護とか非難じゃなくて、真書であるか偽書であるかということだろ?
偽書の証拠は何もないようだけど?
>>979
あれれ・・・w >>584
>夏至の影の長さじゃなくて(季節を問わず)影の長さが1寸変わるとこだろ
現実の地球と違って周牌算の計算では平面大地と近距離太陽を前提に書かれてるから、
どの季節でも1寸千里が成り立つという非現実な想定になっている。
そのなかで夏至の日の影だけが短里説と適合する。<
これ間違いね。
夏至だけでなく、冬至でさえも殆ど一寸千里が適合し、だから、
一年中「一寸千里の短里がほぼ適合」し、
一年中、長里では6倍位違って、全く適合しない。 >>589
>夏至の影の長さの差1寸に対応する実距離と当時の影の長さ1寸に対応する実距離を比べると、76:20で、すごく短いよ
周牌で季節を問わず成立することになっている1寸千里だけど、その千里は最短20kmから最長76kmまで伸び縮みしてるわけだ <
「20」は、周髀算経の条件である大地平面にしていないで、大地が「地球球面」だとした計算であるから、✖。 >>983
問題は、周髀算経が正しいか間違っているかじゃなくて、周髀算経では、里の長さをどう考えていたか、ということだろ? >>649
>いろいろ論点がありそう
・新唐書なので、既に倭国はなくて日本国しかないのに、畿内じゃなくて九州なのか?
・東の海に南部九州があると認識していたのは東→南の間違いか?<
新唐書は、唐会要に書かれた
「倭國東海嶼中野人有、耶古波耶多尼三國皆附庸於倭」
の自己解釈での書き変えであり、
唐会要は、
「倭國の東海嶼中に野人有」であり、中国地方や四国地方に「野人」あり、という話であり、
また、「北限大海、西北接百濟、正北抵新羅」は、倭國が新羅のほぼ真南だ、と書いているので、
(大和ではなく)九州を指す事の絶対的根拠になり、
また「南與越州相接」の「接」は、
三国志での陳寿の「地理的にくっついている」という意味の使用ではなく、
海を隔てて離れているが仲がよい百済に対しては「接」を使い、
仲が悪かった新羅に対しては「抵」を使い分けているように、
越州とは「親密であった」という意味で使われている。 >>985
あちこちにゴミを巻き散らかすなよ、カス >>601
>短里・・・・・・周髀とは関係なく単に1/5だったりしてw
公孫氏が国土や勢力圏が狭いから1/5里を独自に使用してただけだったたりして。<
ダメだな。
三国志は、
魏志では、漢代記録や上表文などの引用以外はほぼ全て短里で書かれており、
蜀志や呉志では、短里ではない例があるらしい。 >>634
>現実の方位としては東と南は明白に異なるが、
記録文書に誤記や誤情報が乗っていないことの根拠としては薄弱すぎて×<
周髀算経の、「日の入りと日の出の8尺棒の影端同士を結んで東西を決め、
それと直行する方向で南北を決める」方法や、
礼記の、「円を書いておいて、
中心に立てた棒の影端が午前と午後にその円周を横切る2点を結んで東西を決める」
というストーンサークルのような簡単な方法が知られているから、
殆ど間違えない。 >>650
>古田氏と言えば東日流外三郡誌 このスレの信者さんも信じているのかな?<
この男は、未だに偽書説を信じている・・・・詐欺師なのかな?。
和田家文書は、江戸期での各地の学者の伝承記録や寺社伝承などの収集記録であり、
その意味で、半分真書だよ。 >>985の追記
「倭國東海嶼中野人、有耶古波耶多尼三國」
と、「有」を「耶古波耶多尼三國」の方に付けても、構わないよ。 >>990
漢文読めない奴が適当なコメントするなよ アソベ族(笑)
ツボケ族(笑)
ムーの読者にお似合いですね〜 古田センセーに惹かれる人って
やはり陰謀論者やオカルト愛好家や
低学歴高卒が多いのでしょうかね? >>987
短里が使われてるのは東夷伝だけでしょ?
三国志の魏書が短里で書かれているはガセじゃない? >>994
昔、部落差別の勉強会に行かされて、そこで講師が力説してた歴史が出雲被征服論だったな
鉄の武器を持った神武に征服されて下層階級に貶められたのが部落の人達という内容
ザラコクという奴も恐らくこれ
畿内説を嫌うのは反差別運動のイデオロギーと結びついているからだよ このスレッドは1000を超えました。
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