>>951
>まあ要するに九州北部で良いんじゃない。

九州っぽく見える情報は全部古いんだよ
後漢の光武帝への遣使や、倭国王帥升等の遣使のときの情報が書かれていると見ていい
書かれていないほうがおかしいし

>畿内であるとするなら、その時点で既に九州から畿内まで席巻している強国があったことになって、状況と矛盾するし。

「席巻している強国」
九州説の人は、征服、とか、支配、とかいう用語が好きなようだけれど、そんな状況だったら
「共立」ではなく、武力支配すればいい
そして、そのような状況はないんだから、矛盾はないんだよ

倭国乱に対応する考古学的事象は、高地性集落の消長というのは問題ないと思う
高地性集落の見られる範囲が「倭国乱」の範囲であり、「倭国の領域」を見積もる目安になる
北部九州から、中国、四国、近畿まで、高地性集落は見られるだろ?

この範囲が、乱のあとの収拾のために、宗教的権威を共立したのが卑弥呼なのだから、
この高地性集落の見られる「北部九州から、中国、四国、近畿」までの範囲内で、
王の都にふさわしい場所を探せばよいことになる

九州限定にする理由はないだろ?