ふむ。

出雲口承によると
出雲族@島根、元インダス文明の担い手
出雲族の嫁による徐福の長子の子孫@石見、丹波、笛吹、後の海部家、尾張家。海幸彦に仮託
宗像家の嫁による徐福の次子の子孫@吉野ヶ里、妻、熊野、後の物部氏。山幸彦に仮託

出雲族と徐福族の諍いがあって、出雲族の王家が
葛城に移住。後の三輪氏、賀茂氏

徐福の長子五十猛の子、海村雲が葛城における大王となる。後の綏靖、安寧の后妃は三輪氏から。

という。

この辺りは、国宝海部氏系図通りの内容で
出雲族と海部家の伝承が一致する、そうな。

それと合わせて徐福の到来は紀元前220年くらい
到来の証拠が、出雲、丹波、綾羅木遺跡などから出た石笛のトウケンだという。

また、丹波地域の弥生時代の開発が
紀元前2世紀、1世紀ということで製鉄遺跡が残っているから、出雲口承が考古遺跡から裏付けられるように思う。

ただ、石見からなぜ丹波に移民する必要があったのかは出雲口承では語られない。不明。