古事記以前の書物について [無断転載禁止]©2ch.net
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ウエツフミ、豊国文字など本当の日本の歴史について
詳しいかたいますか?
時系列が難しすぎて混乱しています。
だれか教えてください。 >>160
一部分を引用されて書物や、書名だけ伝わってる書物って気になるよね
どっかの寺社に写本でもあればいいのになぁ >>169
そもそも、文字が伝わって日本国内で長文が書かれるようになったのがいつ頃かだよなあ…
ワカタケルの剣の頃には国内でも文字による記録があるから、同時代の記録が発掘される可能性も無いとは言えんけど、
出てくるとしたら寺社よりも古墳だろうな 主な寺社の記録は、明治維新の廃仏毀釈でほとんど消滅していますね。
戦国時代の下克上でも多くの旧家が消えて、蔵書が散逸しています。
あとは、8世紀初頭に日本書紀以外の歴史書を禁止扱いして焚書を行なっています。 >>169
>一部分を引用されて書物や、書名だけ伝わってる書物って気になるよね
これって、たとえ国選正史でも、その内容に、その文書に「信憑性を
持たせるための選出としての架空の文書」が記されている、という可能性
はないですかね?
偽書の中に、「⚫⚫に曰く」というかたちで、⚫⚫という架空文書
が出されてくるそうですが。 >>170
おそらく、応神天皇からだろう。
記紀では、応神天皇のころ、千字文が伝ったとされる。
千字文そのものエピソードは、事実でないんだろうけど、
おそらく、記紀のあらわされた当時からして、
畿内でまともな文字情報がたどれたのが、
応神時代までだったと思われる。
(そういう背景から造られた故事なんだろう)
で、応神天皇の名称から存在してそうな点を考えてみても、
まともな記録があったのも応神天皇までで。
それ以前は(創作)神話だと思われる。
(さらに、現代の天皇家は継体天皇からで)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BF%9C%E7%A5%9E%E5%A4%A9%E7%9A%87#.E8.AB.A1.E5.8F.B7.E3.81.8B.E5.AE.9F.E5.90.8D.E3.81.8B
>応神天皇の名とされる「ホムダワケ」(『日本書紀』では誉田別、
>『古事記』では品陀和気と表記)は、実は生前に使われた実名だった、
>とする説がある。
>とくに応神天皇から継体天皇にかけての名は概して素朴であり、
>ワカタケルのように明らかに生前の実名と証明されたものもある。
>王仁が伝えたとされる千字文が、王仁の時代には成立していないことなど
>史料解釈上実在を疑問視する説も多数存在する。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%8E%8B%E4%BB%81#.E8.A8.98.E9.8C.B2 素朴だからとか、それ以前は創作だとか、なんの根拠もない。
くだらない。 写本じゃなくて、原本で残ってる日本最古の書物ってなんでしょう? 白村江の戦いで敗戦して
半島領土を失ったので
新たに国境を確立するために記紀が編纂されたので
それ以前の歴史=半島も日本の一部だった歴史を抹消せざるを得なかった
蘇我氏は半島における総督府長官みたいなものだったので
蘇我氏の歴史はある程度削除された
記紀に改竄の痕跡が見受けられるのはこれが原因 >>176
>それ以前の歴史=半島も日本の一部だった歴史を抹消せざるを得なかった
どうしてでしょう
歴史をあるがままに記述するのにどんな不都合があったのでしょう レコンキスタが興って半島奪還戦争に進展する可能性があるから
大陸への領土的野心は日本列島統治が揺らぐ可能性があるから
戦勝国である唐・新羅に、日本書紀の歴史観でいいかお伺いを立てる必要があったから
あれ、これって第二次世界大戦後の日本と同じで笑えないね >>176
だったら神功皇后が半島をボコった記述も白村江でボコられた記述も抹消するんじゃね?
神功皇后なんて実在が疑問視されてたりするんだし むしろ7世紀後半の記紀の編纂直前の政変こそ、隠したかったのではないかな。
唐の後ろ盾によって筑紫倭国から政権を畿内が奪ったことを隠したかったのだろう。 >>176>>178
理屈で考えると、むしろそれは逆なんじゃないかと >>185
技術や文化が遅れている北方騎馬民族に中華民族がなんども征服されてるという東アジア史の常識も知らないのか 乗馬技術を技術ととらえるならば、中原が技術に秀でているというのは主観に過ぎなくなる。
だが、3世紀の奈良と筑紫の技術水準の差はそれ以上に著しい。 >>164
出雲の伝承(不文)では葛城の出雲神(カモ)族〜磯城王朝。その末が蘇我氏(王家)
「臣/オミ」の称号は元々は出雲の王族である証だったそうです。 >>142
日本(倭国)側の国、組織が関与しない海賊団も倭寇。
更に、中国沿岸〜朝鮮半島の海賊団が素性を隠蔽して倭寇に偽装して(騙って)荒らし回ったから悪質。 >>191
でも、史書に載るような大規模な軍事行動は筑紫倭国の兵だよ。
もともと天津神(海の神)と呼ばれるだけあって、対馬海峡を拠点とした水軍が政権を取ったようなものだからね。 >>190
蘇我氏は筑紫の覇者となった武内宿禰の末裔。 >>196
そんな根拠ならなんでも否定できるな。
ああ、実際に畿内説は魏志倭人伝を含めて全ての記録を否定しているのか。
いっそ、邪馬台国や卑弥呼の名前を使うのもやめてくれ。 古事記の入門者向け解説本を一冊だけ読みました
スサノオが「髭を切られ手足の爪を抜かれて追放」されたとあって、あれ?ヒゲと爪がなくて困るのって猫じゃんと思ったんですがスサノオ=猫説っていうのはないんですか?w 髭や神は霊力の源と考えられていた。
長い方がエラかった。 話をぶった切るようで恐縮ですが
古事記を読むならどこの本がいいですか?
図書館で一通りさらっと読んでみたところ
個人的には解説が豊富な講談社が良さそうだと思いました
次田さんの史学的な評価はどれほどですか ちなみに講談社の次田本は比較文化論を嫌う神職や右翼の方々からの評価が芳しくないようです
確かに角川ソフィアの中村本に比べれば読み仮名のルビが余りにも省かれているので流石に30余年の研究差を感じましたが、中村本の解説は巻末に纏めて書かれている程度で、時代考証や古典文献学的仮説を多分に含む次田本の解説の豊富さには遠く及ばないと思いました
また小学館の神野志本も同様にテキスト主義の体をとっており、時代考証に深く踏み込むことを避けているように思いました
このように講談社全三巻は氏の多弁が仇となって、ややトンデモ扱いされている感がありますね
次田本の現代における評価はいかほどでしょうか?
(というのも次田本に書かれていることを何処から何処まで信じていいのか不安ですし、何より私は門外漢ですので最近の研究事情について全く知りません...)
そこら辺の出版事情に詳しい方、最近の研究事情について何か知っている方がいましたら詳細を教えてくださいm(_ _)m 嘘くさいこじつけや結論ありきの解説なんて、害悪だよ。
逐語訳程度ならネットで十分じゃないかな。 古事記で売れてんのは竹田のやつかな
読んだことないけど >>206
具体的にどの本の何処がそうだと思われますか?
私は逐語訳をその通りに理解できるほどの知識も教養もないので、先達による注釈と解説が欲しいと考えますが、まあ、そうなればある程度には専門家個人の偏見が入り込んでしまうことを許容しなければなくなる訳です
ですので現在の学界での評価がその偏見を何処まで許容し得るかの指標になると思います
しかし歴史に絶対はないので、現代の学説ばかりを盲信するのではなく、素人なりにテキストを読み込むことが第一でしょうね
>>207
竹田本はカジュアルなことに現代訳オンリーなのでちょっと原文、書き下し文と参照しづらいと思いました
史実というものがあるとすればですが、竹田先生ご自身の特異なお立場も含めて、学術的にシビアな解釈を求めるならば避けるべき図書だと思いましたが、穿ち過ぎでしょうか
それなくしても、訳がややフランクすぎるのでわたしの肌には合いそうにありません(汗 神々の名前の読みが外国というかインドっぽいことについて、古事記が書かれたのが仏教伝来の後であり
仏教はインド由来なので…という説があるようですが、皆さんはどのような背景があるとお考えでしょうか? アメノミナカヌシ天御中主が
ミチュウヌシ
ビシュヌ神
とかそういうこと?>インド由来 >>207
あとは三浦のやつだな
読んだこと無いけど 日本書紀をなぞっただけじゃない?
真実とは遠いような気がする。 >>210
じゃなくてそのままでインドっぽくないですか?ということです >>216
公式の仏教伝来は6世紀だけど
実際はもっと早かった可能性がある。
中国朝鮮経由ではなく、インド直輸入の可能性。
日本じゃないけど、三国遺事だったか
インドのアユダ國から新羅にやってきた女性のことがかかれてるけど
インドから半島にこれたなら日本にもこれたんじゃないかと思うけどね。
日本語にはパーリ語の痕跡があると指摘する人の
本を最近読んだわ。パーリ語は印欧語だけども。 国記、天皇記は確実に存在したのだろうけど、それ以前の歴史書はあったのかな。継体、欽明天皇の頃に歴史書を編纂しても良いような気がするが。 ばっかじゃねーの
断片的なサンスクリット語の知識を以って神の名が似てるだの似てないだの
日ユ同祖論者並みに低レベルな陰謀論を説いてるという自覚ある? エビデンスが弱すぎ
神話の内容が類似してるとかそういうエビデンス無しに神の名がインドぽいって(笑)
統合失調症かよ
こういう病人に歴史書を読む資格はなし >>217
興味深いです。インドと繋がりがあった可能性は十分あるということですね。
>>218
なんとなくのイメージでしかないのですが、当て字っぽい漢字や音を含んだ名前はそういう感じがします。 「敵を刺す」から「テキサス」
日本語が北米の地名にある!だから北米はもともと日本だった!
という話は昔からあるのですw あんまり排斥するような言葉をかけるのはひどいけど、
あんまり思いつきだけで出鱈目なファンタジーっぽい説を堂々と展開するのも感心しない。
根拠ありそうな理由を付けて説明しなきゃ、だれも納得しない。
馬鹿にされるだけだよ。
発想は奇想天外でも、納得する理由があれば、一目は置かれるよ。 4世紀あたりに裸形上人というインドから漂着した人物が、熊野那智山を開いたというし、頭から否定は出来ないと思う。 複数の人が関連する事柄を紹介しているのに出鱈目なファンタジーと決めつけることこそ出鱈目でファンタジックなんじゃないの?
根拠を示せという自分が何の根拠も示していない。
俺はそういう人のことも馬鹿にはしないけどね よく読んでみろよ
ただただ神様の名前がインドっぽいとしか言っておらずどこがどうインドっぽいのかとかも無い意見だぞ 日本史より謎な金儲けできる方法とか
グーグルで検索⇒『羽山のサユレイザ』
1HZYE 古事記以前の書物以外(石碑等)で、天皇家や大和朝廷について残ってるものありますか? 稲荷山の鉄剣級の発見が今あったら、ネットは盛り上がりそうだ 記紀は徹頭徹尾上級国民のためのものだからなあ
ギリシャみたいに文学に神話が語られてればよかったんだけど古代日本だとせいぜい虫麻呂くらいか
みっともない民族ですよはっきり言って https://youtu.be/7FFlT32G5cI
潜象界と現象界
左目から天照大神
右目から月読尊
鼻から素盞嗚命が生れた理由 このスレの人めっちゃ詳しいね
古事記に出てくるスサノオの和歌
八雲立つ 出雲八重垣 妻籠に
八重垣立てた その八重垣を
これの意味ってさ
妻籠って神様の妻として一生籠る巫女の家の事じゃない?
八重垣は大事な物守る垣や、近衛兵の事じゃない?
妻籠めの材料は女と家だから、やろうと思えば貧困村でもできる
しかし八重垣はそれなりに金ないと出来ない立派な物なのでは?
つまり妻籠め用意したとは、国を立てたという意味では
そして、立派な国を立てたと強調したくて、八重垣を連合してるのでは?
意味としては、
出雲に立派な立派な国を建てました
スサノオ
と解釈してるのは、今は俺だけのようです >>205
少し違った回答で大変申し訳ないが
古事記の流れに目を通す程度なら
ホツマツタエ の現代語役がネットにあるから、それ見れば十分だと思う
古事記もホツマツタエもほとんど同じだから
つまり古事記の大元の本があって、それぞれ自分の都合のいいように編集した本がたくさんあるのよ
どれもある程度真実が書いてるが、都合よく嘘も書いてる
ネットにある、ホツマツタエの現代語役が一番手軽でさらっと読みやすい
いろいろ解説ありすぎると、逆に最後まで読めない、あきるし、うざい
研究する時やマニアなら、いろいろ解説あった方が楽しいだろうけど、最初の一読に解説はいらんわ 秀真伝は読むとすぐ理解できる程度には現代語に近く、とても上古文ではない。 とても簡単な稼ぐことができるホームページ
念のためにのせておきます
検索してみよう『立木のボボトイテテレ』
RX3 ツクヨミやスサノオ というと食事や酒にも重要な記述があってうましくには
いいものだとおもえる、記録と、歌の交差に発展していっていることが
更にいい時代を創出していってほしい。 飛鳥時代に書かれた上宮記は鎌倉時代後期まで存在したそうだが、もしかすると写本が発見される可能性もあるのかな。 >>254
結構いくつも古い石碑が残ってるんですね・・・
古事記以前の石碑はあまりないのね 応仁の乱が無ければ残ってた、古い時代の書物ってあるのかな? 奈良遷都と戦国時代と明治維新の方が文化の断絶が大きい。 708年に禁書詔勅があり、日本書紀以外の文献は破棄された。 秀真伝は、自分が読んでもわかるくらいに現代語に近い。
江戸時代以降の文献だろうね。
自分には平安以前の文献は読むのが辛い。 禁書の詔勅か・・・知らなかった
古事記日本書紀に都合が悪かったんかな? 671年に天智天皇は病死し、672年にその王子である大友皇子を殺した大海人皇子(天武天皇)が実権を握った(壬申の乱)。
天武天皇は対外的な国史としての日本書紀(漢文)を編纂させ、歴史上の天皇への漢風諡号の制定などを行った。
日本書紀の最大のトリックは、神武東征より後の筑紫倭国の歴史を抹消することであった。
ただし新たな創作をするのではなく、九州における歴史の一部を抹消し、一部の事実は組み込んで細かいつじつま合わせをして、本来は傍流であったはずの畿内大和がおよそ三世紀頃と推定される神武の時代まで遡って列島の支配者であるかのように見せかけた。
日本書紀の編纂と並行してそれ以外の歴史書の焚書が行われ、8世紀初頭に記紀以外の多くの古代の記録が失われたと考えられる。
日本書紀は多くの書からの引用を含んでおり、編纂が行われていた頃までは邪馬壹国を含む倭国王朝の記録もあったに違いないが、倭国の名を消すために慎重に歴史の改竄を行っている。
文書上の改変だけでなく、倭国の政治および文化を継承するために、筑紫から多くの文物、人物、建物が平城京に移動される。
九州北部と畿内で多くの地名が配置も含めて一致していることが知られており、歴史や地名も含めた文化のすべての移植をはかったのである。
その一方で、天武朝のときに外交使節として筑紫館が建てられたとされており、後の鴻臚館として朝鮮半島との通商の拠点として福岡の経済的再興の礎となった。
701年の大宝律令の制定により、正式に日本が国号として用いられるようになり、行政単位が唐の評から郡に改称され、畿内大和政権は独立国として国郡制による全国支配を確立したと考えられる。
710年には奈良盆地に平城京が建設され、九州から畿内、関東まで勢力下に置いた中央集権国家としての畿内大和政権が誕生する。
この統一王朝の名称としては大倭が用いられ、表記が大和とあらためられた後に、以前から筑紫倭国に対して近畿の政権を示すために用いていた呼称である日本国が列島全体の統一王朝の国号となり、大和は政権中枢の位置する畿内の地名に変化した。
中国に対しては筑紫から畿内へ連続する王朝であると主張したが、それを神代という抽象概念に押し込めたため、現代においては筑紫に王朝があったことすら忘れ去られようとしているのである。 >>265
歴史書の焚書やそれまで使われていた神代文字を禁止してまで
神武東征より後の筑紫倭国の歴史を抹消することが重要なのかね。 日本の最古水田と同期する中国の稲作遺構から出土するイネは、
中粒種と単粒種が約半々の割合で混交したもの。
ところが、日本の最古水田から出土した日本最古のイネの現物は単粒種のみ。
そして、日本の最古水田と同期する中国の稲作遺構から出土する耕作用農具は、
石耜という石刃のスキと、石鋤という日本には存在しない石刃の除草用農具と、
石犂という石刃の牛耕用の農具、この3つだけ。
ところが、日本の最古水田から出土した日本最古の耕作用農具は、
木製のエブリという地をならす農具と、木製のクワだけ。
石刃が伝わっていない上に、同期する中国と同じ耕作用農具が一つも
伝わっていないのだ。
それどころか、同期する中国には存在しない耕作用農具が日本最古の
耕作用農具として日本の最古水田には伝わってしまっている。
オール木製で。
しかも、鬲や鼎といった、三足や耳の付いた同期する中国系炊飯器も
日本の最古水田には一切伝わっていない。
日本稲作が中国から伝わったというような話は、太陽が西から昇って東に沈むと
言っているのと同じレヴェルの話である。
ちなみに、スキという耕作用農具が伝わったのは、最古水田から200年以上も
経ってからの事で、やはり木製であった。
石犂は5C頃に鉄刃のものが朝鮮経由で伝わるが、石鋤に至っては、木製でさえ、
永遠に日本に伝わる事はなかったのである。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています