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生券軍については下記資料がある。関係部分を引用する:
<[pdf]宗代兵制史の研究>
「前章で大軍兵士給与銭米支給に関り、家属を同伴せぬ出戌兵と家属を伴う屯駐兵には銭米支給上
に生券・熟券による両様の制度の存するをみた。出戌兵にかえて熟券制による屯駐兵をふやせば経
費軽減になるこというまでもあるまい。本章では改めてこの両様の制度の普遍的存在を尋ね、南宋
政権を支えた大軍の基盤を確認しようと考えた。
そこで先ず出戌・屯駐両様の兵の併存の事情を嚢陽と源州の地を例に尋ねた。この際屯田制の役
割なども考え、両地に生券と熟券制が併用施行されたことを確認した。特に嚢陽の場合、この両様
の制の施行、つまり出戌・屯駐兵の併存が長年の蒙古(元朝)の包囲に耐えるという成果を挙げた
と解された。さればこそ、元朝はこれら兵士に多大の関心を寄せ、勝利後に生券軍・熟券軍として
接収・転用したものであろう。」

生券軍は独身、熟券軍は妻帯、ということがわかる。

生券軍の強制婚姻については元史に下記の文章がある。
「(至元十年九月)甲申,襄陽生券軍至大都,詔伯顏諭之,釋其械系,免死罪,聽自立部伍,
俾征日本;仍敕樞密院具鎧仗,人各賜鈔娶妻,於蒙古、漢人内選可為率領者。」