>>883
弟・忠長は、顔が伯父の信長に似ていたこともあり、江から溺愛されたらしい。
最終的に名誉の切腹をさせざるをえなかったのは、忠長が秀忠実子を自覚していて、家光が将軍の座に座ることに不満を爆発させ、忠長の異常行動で徳川家中が大混乱していたから。
家光が父・家康を、異常に思慕していたのは、そのコンプレックスの裏返し。
家光は、春日局と家康の子(幼名・竹千代w)と見て間違いない。