少し追記。

◆延慶本での敦盛の装束(原文は全てひらがな)
“赤地の錦の鎧直垂に、赤おどしの鎧に白星の兜きて、重藤の弓に切斑の矢負いて、黄金づくりの太刀はいて、
さびつきげの馬に金ぶくりんの鞍置て、あつぶさのしりがいかけて乗たりける武者一人、
中納言に続いて打ち入れて泳がせたり。”

・・・要するに無茶苦茶豪華な装束であることがうかがえる。なお、鎧の色は萌黄匂ではない。

◆延慶本での敦盛の容姿(原文は全てひらがな)
“熊谷腰刀を抜いて、内兜を掻かむとて見たれば、十五六ばかりなる若人の色白く見目美しくして、
薄化粧して、かねぐろなり。せんけんたるりやうはつは秋のせみのはねをならべ、
えんてんたるさうがはゑんざんの色にまがへりなむど云も、かくやとおぼえてあはれなり。”

・・・正直、後半は正確に何を書いてあるか読解できなかったが、熊谷が見たこともないような
美少年だったことは想像に難くない。

なお、敦盛の首は屋島に落ち延びた父・経盛へ送られており、直実と経盛の手紙のやり取りが泣ける。

もっとも、史実では敦盛の首も他の一門同様、京で首渡しの憂き目にあったと考える方が自然であり、
この点、延慶本の記述は疑問。(以上)