【日本刀】鈴木眞哉史観を疑う七太刀目【騎馬武者】
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
ところで
戦国期以前の
南北朝期〜室町期の太刀って打物騎兵にとってのメインウェポンだったの?
南北朝に野太刀、室町に長巻が
薙刀に次ぐメインウェポンだったのは大体わかるので
南北朝〜室町は日本刀が主力武器の一つだという説は理解できるのだが
太刀に関しては書籍によって主力武器と書いてあったりサブウェポンだったりでよくわからん。
最初から太刀だけで突撃する打物騎兵って結構いたのかね?
薙刀や野太刀や長巻の騎兵とぶつかったら乱戦にならん限りあっという間に倒されそうな気がしてならんのだが。
近世ヨーロッパでは胸甲騎兵が槍騎兵以上に最強だったけど槍騎兵と違って胸甲騎兵は鎧着てるし(槍騎兵には乱戦に弱いという弱点もあるがそれでも胸甲騎兵相手以外なら騎兵どうしの白兵でも有利)
あと近世ヨーロッパで活躍した胸甲騎兵、槍騎兵、竜騎兵、ユサールはサーベルや騎兵槍
以外に装備したピストルで敵の長槍や銃剣の戦列を突撃前に乱して突撃した上に
カービンを使う場合もあったが
近藤好和の本によれば日本の南北朝以降の騎兵は打物と弓を両方同時には携帯しない傾向があったんだよな。
太刀だけを主力武器にしてたんですかね?
南北朝〜室町の打物騎兵の方々は。 俺にとっての最大の謎は
鈴木説でも野太刀でも長巻でもなく……
太刀が戦国以前
南北朝〜室町の合戦のメインウェポンだったかどうかに尽きる。
詳しい方誰か教えて 日本刀は未来永劫メインウェポン。在日にだまされてはならない はー……何これ……まぁ、いいや。
あとそれと
南北朝に野太刀
室町に長巻と書いたが
笹間良彦の
図説 日本武道辞典と
イラストで時代考証2日本軍装図鑑 上に
よれば
安土桃山時代にも野太刀と長巻はよく使われたとのこと。
悪名高い鈴木眞哉の
戦闘報告書が語る日本中世の戦場のデータでも
戦国後期には刀傷が投石傷より少し少ない程度には増えている。 基本的に弓矢と刀しか持ってないだろw
メインとかサブとか現代人の感覚じゃないのかな?
本人がそうでなくても周りがDQNだらけだから、馬鹿みたいに無茶な事しないと周りが納得しないw
多分、ヤクザとかよりも暴走族辺りの行動原理を参考にした方がいいのかも知れん。
「逃げるのか臆病者!」なんて言われたら引き下がれない。
矢の打合いで終わらせたくても煽られたら斬り合い組討にまで行ったんじゃないのかな?w 鎌倉後期の戦闘様式が確認できる春日権現験記絵でも比較的遠間から抜刀して斬り込もうとしている騎馬武者もいるし
遠距離では弓近距離では打物というのは大体わかるにしてもそれを使い分ける厳密な距離なんかは結構アバウトというか
個人の感覚によって色々違ってたんだろうな 722 : 人間七七四年2015/06/01(月) 07:00:43.40 ID:gHYJcj5X
『北条五代記』三浦浄心(1565-1644)
(結城=松平=徳川)秀康卿仰せけるは、関東侍は馬上にて達者を働く由聞き及びぬ。さぞ強き馬を好みつらんと。
朝倉犬也(北条旧臣能登守景隆,相州浦郷=現横須賀)承りて、関東の侍あながち強き馬を好まず。
ただ自力にかないたる馬をもっぱらに乗り候。
それ馬に乗りて遠路を行くは足を休めんため、軍中にて乗るは馬上にて弓・槍を用に立てんため
なるが故に、むかし関東にて戦場をいまだ踏まざる若き者は、広き野原へあまた伴い出でて、
敵味方と人数を分ち、旗をさし弓・槍・長刀おのれおのれが得手の道具を持ちて馬に乗り、
馬を試みんため鉄砲を鳴らし、矢叫びの声をあげて喚き叫ぶ時に、
勇んで進む馬あり、おくれて退り、驚きて横へきるる馬あり。
山へ乗上げ、岨の崖道を乗り、堀を飛ばせ、自由に働くようにと鍛錬いたし、先陣にぬきんで
駆引き達者にふるまい、勝利に得んことを専らにたしなみ候。
秀康卿聞こし召し、犬也も若き頃はさぞ馬鍛錬しつらん。昔の面影をそと学んで見せよかし
との仰せなり。
犬也承りて、愚老七十に及び馬上の振舞かない難く候。しかれども貴命辞し申すに
かえって恐れあり。御遊興にそといにしえを学んで御目にかけ候べしと、
馬も心あるにや後ろをしたい来るを、また打乗って一散に走らせ、槍を自由に使って
駆回るを秀忠卿御覧にあって目を驚ろかし、御感斜めならず。
犬也、お召しにてあるぞと呼びければ、馬を静め近く乗りよせ飛んで下り御前に候す。 >>206
それ全然反論になってないと思うけど
補給基地とそれを運ぶ軍用路があったかどうかという話なんだから
個人的にはないと思う
何故なら陣城すら未発達で固定的な防御施設というのは戦国時代まで下らないと出てこないから
>>207
メインウェポンの定義は?よく軍オタ界隈の人が使ってるけど定義があやふやなタームフラれてもなぁ
一応、当時に兵科という概念があったかどうかわからないけど16世紀の軍忠状を見ていると
「太刀打衆」という太刀打ち戦を想定したと思われる部隊編成がちょいちょい出てくる >固定的な防御施設というのは戦国時代まで下らないと出てこないから
本当に?
具体的に何が根拠なんですか? >固定的な防御施設というのは戦国時代まで下らないと出てこないから
南北朝時代にどれだけ城攻めがあったと思ってるんだか
鈴木説並みのトンデモ信じちゃってるね
それとも「兵糧之道」同様に勝手なオレ定義ではぐらかす気かな? 戦国以前に堀・切岸・柵などを備えた固定式の防御施設は普通にあってそれを攻略する手段も確立されていた証拠ならあるけど
峰岸純夫「中世の合戦と城郭」
4 小山義政・若犬丸の乱と鷲城・祇園城
小山義政軍は次第に追いつめられ、本城である鷲城の攻防戦にいたる経過が示されている。
この間、義政は粟宮口などで「野臥」(野伏)というゲリラを放って鎌倉府軍に夜襲を
かけていることがうかがえる。城の攻防戦では「戸張口」といわれる城柵(バリケード)の入り口や
「切岸」といわれる城と思川の断崖面で激戦がおこなわれた様子がわかる。「堀埋」(埋草)合戦とは、
攻撃方が城の堀に草を投じて埋めて浅くして攻めこんだというものである。 完成度はともかく固定式の防御施設を備えた城郭ってのは
既に源平合戦に時期には出て来てるんじゃないのかな >>220
「固定的な防御施設というのは戦国時代まで下らないと出てこないから 」という説を知らないの? ドヤ顔でトンデモ語られても苦笑するしかないわいなw >>221
吉野ヶ里「」
その学者誰だか知らんが、随分物を知らない人だ 当たり前の話だけどさ、どんなもんでも段階踏んで進化発達発展していくわけよ。
ヘリコプターで富士山の頂上に到着!みたいな話には簡単にはならんわけよ。
天才が突然現れてそれまでの常識を覆す〜みたいなイベントも無いわけでは無いんだろうけど、それだってそれまでの蓄積があってのことだから、別に段階を幾つも飛ばしてできることでもないんだよ。 この人は新説を唱える学者さんなんだろうか
215日本@名無史さん2019/03/16(土) 12:30:45.37
>>206
それ全然反論になってないと思うけど
補給基地とそれを運ぶ軍用路があったかどうかという話なんだから
個人的にはないと思う
何故なら陣城すら未発達で固定的な防御施設というのは戦国時代まで下らないと出てこないから 「半固定的な攻城陣地は戦国時代まで無かった」の間違いじゃねえかな。
元寇の石垣も、東北各地の館も、鎌倉の切通しも、柵と堀で食い止める程度で、
攻略するのに陣城作って長期包囲しなきゃ落ちない、ってレベルじゃないし。
籠城して長期持久戦に持ち込んだ例って、楠木正成の前にある? 源平や南北朝どころか八幡太郎義家の時代の後三年合戦で金沢柵が落ちなかったので
兵糧攻めが選択されているな 南北朝の時代には2年にも渡る籠城が行われ攻城側によって坑道まで掘られた城がある 兵糧攻めや工作跡があるなら攻め手側に拠点になる陣地はありそうだ 関城の坑道攻めなんて常識だと思ってたけど戦国と南北朝両方興味ある人って意外と少ないの?
今でも城の防御施設とともにそれが確認できるのに >>230
それって、陣城とか付城とか作ってそこから坑道掘ってる?
「半固定的な攻城陣地は戦国時代まで無かった」んじゃないか、って言ってるんだが。
後三年役とかも野戦築城した記録ないべ? 固定的な防御施設というのは戦国時代まで下らないと出てこないから >>232
せっかくフォローしてやったのに、やはりただのアホか >>232
ひょっとして、石垣が無ければ防衛拠点じゃないとか考えてる人かな?
貴方のいう防衛拠点を知りたいな 高地性集落や古代城柵についてはどういう認識なんだろう >>236-240
最近の興味深いニュース系シリーズ もしかしたら天守閣の事を言っているのかも知れん。>戦国時代まで存在しない
あんなのただのお飾りですからw 天守閣は基本的に倉庫で余程のことがない限りは司令塔としては使わないと聞いたが、まぁ例外もあるだろうがな 基本的に象徴としての役割が大きいだろうけど
あれだけでかいと物見櫓としての効果はかなりあると思う 別居中の妻の家に侵入して火をつけようとした70代の韓人(コリアン)が警察に逮捕された。
アメリカ東部のロードアイランド州ポーツマス警察局は22日、別居中の妻の家に侵入してガソリンをまいて火をつけようとした疑いで、チョン・ユン(Chong Yoon=77歳)を検挙したと明らかにした。
事件は21日の午後8時18分、ポーツマスのアルマンド・ドライブ沿いに位置する家で発生した。
ユン容疑者は家庭内暴力で妻に接近禁止命令を受けていた状態で、妻と住んでいた家の窓ガラスを割って侵入し、ガソリンをまいて火をつけようとした疑いを受けている。
当時、友人と一緒に家に帰ってきた妻が警察に申告した。
ユン容疑者は警察と対峙する過程で、サムライソード(日本刀)を持って逃走を試みて逮捕された。
彼は抵抗した際に負傷して、近隣のニューポート病院に搬送された。
この地域を管轄するミドルタウン消防局のポール・フォード署長は22日、「ガソリンに火がつかないよう、家に入る際に電源を切った」とし、「家に新鮮な空気を取り入れるため、換気をした」と述べた。
ユン容疑者は5級の家庭内暴力と逮捕時の抵抗、保護命令違反など疑いを受けている。
22日の最初の裁判で保釈金なしで拘禁命令が下され、近隣のクランストン(Cranston)に位置する成人矯正施設に移された。
次の裁判は5月7日である。
米州中央日報(韓国語)
http://www.koreadaily.com/news/read.asp?art_id=7175804
日本刀持ってるのはチョン! なんで彼らの固有の刀剣を使わなかったのだろうか
ルイス・フロイス『日本史』
・(朝鮮人の)その他の武器には威力がなく、特に刀剣は短く、たいして役立たない。
・双方とも大いに奮戦したが、朝鮮人は頭上に振り翳される日本人の太刀の威力に対抗できず、
ついに征服された。
・だが日本軍はきわめて計画的に進出し、鉄砲に加え、太刀の威力をもって散々に襲撃したので、
朝鮮軍は戦場を放棄し、足を翼(のよう)にして先を争って遁走した。 そういえば、フロイスの記述から馬の話を持ってくる人は刀の話は持ってこないよなw そりゃ奪った刀で五人斬ったなんて話が出てきますから
フロイス『日本史』
第八一章 「主が会の一司祭を通じて、古河、日見、長与の諸城、および他の地方であげ給うた成果について」より
伊佐早の領主である家晴と称する異教徒の殿が三人の家臣を殺すように命じた。しかも〔聞くところによれば〕
何らの理由も裁きもないままであった。刑の執行は、勇気の誉れ高い五人の兵士に託された。
兵士たちは処刑することになった三人を逮捕し、両手を後ろ手に縛りあげ、ただちに二人の首を刎ねた。
それは浜辺に沿ったタインと呼ばれる漁村で行われた。
(兵士たちが)三番目の処刑を終えようとすると、(受刑者の)男は少しも気負ったところがなく、また勇気ある様子を
示すこともなく、むしろ信心深い言葉と、悲しげな表情をしながら次のように乞うた。
「どうあっても死なねばなりませぬからには、(武士の)情けと憐れみから、せめて両手を前に括っていただきたい。
そうすれば(縛られてはいても)両手をあわせて、私を救って下さる仏様や神様を目の前でよりよく拝むことができましょうから」と。
その囚人は別に武器を携えていたわけでもなく、兵士たちは彼を恐れる何ものも見出さなかったので不憫に思って
その願いを聞き入れた。
兵士の一人が彼の両手(の紐)を解いて、それを前で縛ろうとした時に、囚人は驚くばかりの迅速さと身軽さで
自分を縛ろうとしていた兵士に襲いかかり、彼の太刀を鞘から抜き取るやいなや一撃のもとに相手の首を切断した。
四人(の兵士)は、このあまりにも突然で考えも及ばなかった出来事に仰天し、抜刀して、やはり相手に近づきながら
彼が逃げられぬように包囲した。だが彼は腕利きであり勇者でもあって、一人一人を倒していき、自らは掠り傷一つ
負うことなくついに相手をみんな殺してしまった。
彼は五人がいずれもそこで殪れたのを見届け、新たにせめて来る者がいないことを確かめると、刀を収める鞘を
持っていなかったので、抜身を手にさげたまま海辺の道を遁走した。 日本刀アンチさんまたまた日本刀ネガキャンスレを立ててしまう
懲りない連中かよ
「日本刀か槍を持って殺し合え」←日本刀選ぶ奴はアニメ脳wwwwww
http://krsw.5ch.net/test/read.cgi/ghard/1572133419/ >>252
「戦国時代の大誤解」をしているのは鈴木センセということかな?
今の日本刀ネガキャンキチガイ勢力誕生を担った過去を反省し鈴木センセが新たにやり直すとかそう感動大作で頼む どこかで聞いたようなタイトルからして焼き直しっぽい内容だろうな
よりこじらせた理屈にもっていくのかもしれない 図書館で探してみるか
軍忠状もだが全てデジタル化して行政は閲覧フリーにすべき
わざわざ地方の資料館等を回ってそこ限定史料とか探すの疲れるわ
金も足りん 古今東西、世界中の戦争で刀剣類が使用されてきたのに、何故日本刀だけ例外的に「ほとんど使われなかった」と思うのだろうか? 古今東西、世界中の戦争で刀剣類が使われてきたのに、何故日本刀だけ「あまり使われなかった」という 事にしたがるのだろうか? 手槍や薙刀だと室内でも使うし室内戦用の技あるけどな
狭い空間と一言で言っても個室のトイレサイズか学校の廊下サイズか6畳程の部屋か1畳程の部屋か等で色々ある >>166 >>168
大剣がパイクの槍衾に対抗するのが最適というよりも仕方なくそうしてたって感じだけどな
パイク中心の戦法を崩す程じゃなかったし集団運用しにくいし
敵の槍衾の弱い一箇所のみに重点的に大剣やハルバード持った部隊を集めて突入させて犠牲出しながらゴリ押しで槍衾に部分的に穴作ってそこに後続部隊を突入させる戦法だから最初に突入する大剣部隊ってめっちゃ死亡率高いよ
命と引き換えに槍衾に穴開ける事が役割みたいなもんだから
なので斬り込む部隊って倍の給与が与えられたりとか、くじで選ばれて仕方なくとか、囚人が生き残ったら罪免除とかそういうの
あとハルバードは日本で言うところの薙刀に近い武器だからハルバードで槍衾はあんましない
どっちかって言うと大剣的な役割
それと西洋の大剣は刀身に刃を研がない部分にワザと作ってその部分を握れるようにして長柄武器としても使えるようにしてる >>138
動員される全兵士の中の弓兵の比率次第の話だから単純比較は難しいんじゃないか?
弓で全殲滅ってのはなかなか難しいから弱らせた後に最終的にトドメで突入って感じだけどどの位の規模とタイミングでそれするかは変わる
平安後期や鎌倉辺りは騎馬と弓中心で騎馬弓兵こそが武士の代名詞って感じで、接近戦用の武器として本当は薙刀持ちたいけど弓と同時持ち出来ないから太刀を持っとく
でも馬の扱いと弓の訓練って農耕社会では難しいから鎌倉後期〜南北朝にかけて動員される兵の数が増えるにつれて弓や馬を扱えない兵士の比率が増える
その馬や弓を扱えない奴用の接近戦特化武器として打物騎兵や薙刀や長巻や野太刀で散兵戦するのが流行った
そこから応仁の乱辺りから足軽が戦力として使われるようになって動員される数がそれ以前よりも更に倍増した
でもそいつらは弓も馬も下手なので手っ取り早く戦力にするために槍持たせて並ばせて槍衾
鉄砲が普及するにつれて鉄砲も
だから時期と地域によってかなり変わると思う
モンゴル帝国みたいな国民全員騎馬弓兵になれる遊牧民なら騎馬弓兵主体で戦うし。まぁモンゴルもトドメは重装騎兵で突撃するが
日本やヨーロッパみたいな農耕民族の社会だと弓使える奴少ないから兵隊の数集めれば集めるほど白兵戦の割合が上がる
エリート武士少人数で戦うなら全員騎馬弓兵として動けるけど 鎌倉時代後期の春日権現験記絵に馬を走らせながら脇に弓を挟んで抜刀して
斬りかかろうとしている騎馬武者が描かれていたり、必ずしも離れた距離では
弓で近づいたら太刀というわけではなく、タイミングによっては遠距離から
打物戦に移行することもありそうだな あと飛び道具の支援下で強襲する場合は重くて取り回しの悪い槍より
刀のほうが当然身軽でやりやすい
フロイス『日本史』
・土佐の鉄砲隊は味方から全面的に期待をかけられていながら鉄砲を発射する
時間も場所もないほどであった。というのは、薩摩軍は太刀をふりかざし
弓をもって、猛烈な勢いで来襲し、鉄砲など目にもくれなかったからである。 497 :日出づる処の名無し:03/02/13 13:04 ID:eC+gTlrT
里帰りの横綱、朝青龍、大雪原を馬で疾走
http://www.sankei.co.jp/news/030212/0212spo129.htm
出身地モンゴルに里帰りしている大相撲の新横綱、朝青龍(22)=本名ドルゴ
ルスレン・ダグワドルジ、高砂部屋=は12日、首都ウランバートル郊外の大雪原
で乗馬を楽しんだ。
氷点下12度。切れるような寒さの中、朝青龍は伝統的な民族衣装姿で白馬に
またがると、手慣れた様子で手綱を引いて一気に疾走。一面銀世界の雪原に吸
い込まれるように見えなくなった。
幼少時代から乗馬に慣れ親しんでいる朝青龍は「日本では乗る機会がない。
久しぶりに馬に乗ると元気が出るね」と上機嫌。
自分が乗った白馬など2頭を地元ウランバートル・ナライハ区の区長らからプレ
ゼントされると「力強くていい馬。『龍』がつく名前がいいな」と喜んだ。
雪原では、凱旋(がいせん)した朝青龍を歓迎する少年競馬が特別に催され、
朝青龍が授賞式に立ち会った。
朝青龍は14日に日本へ戻る予定。(共同)
498 :葉隠 ◆GyfenCGQ4s :03/02/13 13:21 ID:0POVBzDh
>>497
馬が気の毒に見えます。
499 :日出づる処の名無し:03/02/13 14:24 ID:VsHinTcD
>>497
ロバにでも乗ってるようだ。
501 :日出づる処の名無し:03/02/13 14:51 ID:YgyBAxQy
>>494
モンゴルの馬って小さくない? たけし「歌を歌ったり映画やる気力もねえや、馬鹿やろう」 ◇本朝食鑑
馬は奥州・常州の産が第一で、信州・甲州・上野・下野・上総・下総の産がそれに次ぐ。
関西の産は劣弱であって関東産に及ばない。
近代九州に稍良い馬がある。就中薩洲の産が高大強捷で関東の産に劣らない。
あるいは、古来よりこのようであったともいわれている。
〈`ー─-、_ノ^j
`> <__, ─-、____
/ j / ̄ ̄ ̄Tー‐─┬''⌒ヽー-- 、
r' /、 1 / | 5 | 7 | |9
└---─、 / ` ー──/ 3 | │ | l |
\ / / ┌┴─‐─┴┐ / 8 l |
\ / 2 /ー─ ----l 6 |‐┤ l |
V / 4 └──‐──┘ | l |
し个 、 / | ハ〈
| ` ーl─‐┬─----------──┬─イ´ ̄ヽヽヽ
| /ヽ | | ハ 〉 〉 〉
| / | | | / │ / 〈ノ
| | | | | / | /
__/ | __/ |10 __/ | __/ |10
(__」 ゙ー-‐' ゙ー-‐'(___」 人
(__)
(__)11
1:肩ロース 6:ヒレ
2:肩 7:ランプ
3:リブロース 8:そともも
4:ばら 9:テール
5:サーロイン 10:すね
11:贅六 うちの爺さんもなんだけど、あの世代の爺さん達って、小説っていうまものは、あくまでもフィクション、エンタメ、であって、ドキュメントでも、歴史書でも学術書でも無いって理解してないんですよね >モンゴルの馬って小さくない?
ユーラシアの大半を征したモンゴルポニーって日本在来馬と同じくらいのサイズなんだよな 日本馬もモンゴルの馬もどちらも同じモウコノウマという同じ馬だそうです。 戦に使われる馬は小さくても脚なんかめちゃめちゃ太いよ
そもそもサラブレッドみたいな馬は西洋でも戦の馬じゃないからな
映画の撮影ですら苦労話が絶えないのにあんなもん戦に出したら一瞬で脚折れるぞ 明治天皇の愛馬、南部馬の金華山号の剥製を見なさい。あれが日本の乗用馬だよ。
在来の乗用馬は洋種と交配されて絶滅したから、木曽馬みたいな駄用馬を乗用だと言い張ってる。
今あれが日本馬のスタンダードだと思われているのは本当に残念。 李氏の剣も面白い
【日本刀の活躍/槍弓大国中国地域/古書】明国「倭の剣術は光が閃くようで、倭が国の槍では遅すぎ両断される。」 紀効新書 - 国文学研究資料館 92p 戚繼光
//base1.nijl.ac.jp/iview/Frame.jsp?DB_ID=G0003917KTM&C_CODE=0204-009402&IMG_SIZE=&PROC_TYPE=null&SHOMEI=%E3%80%90%E7%B4%80%E5%8A%B9%E6%96%B0%E6%9B%B8%E3%80%91&REQUEST_MARK=null&OWNER=null&BID=null&IMG_NO=92
此は倭(日本系)が明(旧中国地域)に攻めてきた時初めてわかったことである。
彼らは舞うように移動し、前方への突進力は光が閃くようで我ら明の兵は気を奪われる。
倭はよく躍動し、一度動きけば丈あまり、刀の長さは五尺なので一丈五尺の間合でも攻撃される。
我が兵の剣では近づき難く、槍では遅すぎ、遭遇すればみな両断されて殺される。
【日本刀の活躍】朝鮮李朝期の武芸書にみられる漢字「劒」の使用に関する一考察 大石純子 1)2) 酒井利信 3)屈 国 鋒
//www.jstage.jst.go.jp/article/budo/44/2/44_65/_pdf
17)「此自倭犯中國始有之.彼以此跳舞,光閃而前,
我兵已奪氣矣.倭善躍,一迸足則丈餘,刀長五尺,
則丈五尺矣.我兵短器難接長器,不捷,遭之者
身多兩斷,緣器利而雙手使,用力重故也.今如
獨用則無衛,惟鳥銃手賊遠發銃,賊至近身再無
他器可以攻刺,如兼殺器則銃重藥子又多,勢所
不能,惟此刀輕而且長,可以兼用,以備臨身棄
銃用此.況有殺手當鋒,故用長刀備之耳.」(明)
戚繼光撰・范中義校譯:戚繼光研究叢書 紀效
新書 十四巻本,中華書局出版,p. 82,2001 年.
18)「此倭夷原本,辛酉年陣上得之」(明)戚繼光
撰・范中義校譯:戚繼光研究叢書 紀效新書
十四巻本,中華書局出版,p. 83,2001 年
21)「倭刀,共二人一排,舞路既多,疾速爲上等.
次以木刀對䜤,擧落疾速,不使人乘隙得犯爲上
等.」(明)戚繼光撰,范中義校譯:戚繼光研
究叢書 紀效新書 十四巻本,中華書局出版,
p. 139,2001 年 20)「 影 流 之 目 録 猿 飛 此 手 ハ テ キ ニ ス キ
レ ハ 意 分 太 刀 タ リ 虎 飛 青 岸 陰 見 又 敵
ノ 太刀 ヲ取候ハンカ丶リ何造作モナウ先直偏
カラス彼以大事子切ヲ意婦偏幾ナリイカ丶ニモ
法ニニキリテ有偏シ 猿囘 此手モ敵多チイタ
ス時ワカ 太刀 ヲテキノ 太刀 ア者ス時取偏ナ
リ初段ノコトク心得ヘシ 第三山陰 葢武備
志所載有缺誤大抵應如是」(松下見林:異称日
本傳 第 2 冊,国書刊行会,pp. 789-790,1975
年),「影流之目録 猿飛 此手はてきにすきれ
は□□太刀なり 虎亂 ・ 青岸・陰見 又敵の太
刀をつ□はんかゝり何某せとも□うせん直へか
らす彼以大事に切をいふへきなり いかにもつ
よくきりて有へし 猿回 此手も敵まちいたす
時わか太刀をてきの太刀な□す時つかふなら初
段のことく心得へし 第三 山陰」(笠尾恭二・
平上信行:対談 秘伝剣術 極意刀術 日本剣
術と中国刀剣術―その興亡と流伝の秘密を探
る,BAB ジャパン出版局,p. 12,初版第 1 刷,
1999 年.) >>1
まあ現実は日本刀の方が殺傷力あるよね
軍忠状ネタでも弓槍は負傷が多いわりにろくに死んでないし
> コンランは弓歩兵と打物騎兵が南北朝期における最も有利な軍事組織であり、
> 大太刀が当時は最もリーチが長く、頑丈なために最も有効な白兵武器であり、
> 大太刀と薙刀はより広い円形範囲で打撃・斬撃・刺突ができるために槍より利用価値が高く、
> 弓の殺害効率は悪い事を主張している。[6]
> 近藤いわく、軍忠状などはあくまで負傷者の受け身の資料であり、戦死の場合はおおむね死因が不明で、
> 何よりも攻撃側のことが何もわからず、矢傷が多くとも歩兵が射たのか騎兵が射たのかわからないために一等史料ではあるが、その不完全性について言及している。 日本刀は敵が最新兵器・戦術+大軍の元寇付近で大活躍してんだよなあ
ちなみに戦国時代は大外戦争で微妙な結果しか残せてない
槍・銃が主流になってヘタレたんだろう
よく銃・弓・槍が主流の戦国時代が強いって思われてるが違うんだよねえ 一次史料バカを極めるとこうなるって見本だな
史料に載っていることだけが真実でそれ以外は嘘とかいう史料教徒
じゃあなんで論功行賞で刀を贈るんだよっていう というより単純に
根本的に資料の読み方を知らないんだよ
統計の知識も無いから同じ資料から
学者と正反対の答えを導き出してしまう ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています