なぜ日本の建築は発展することができなかったのか?
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天皇ですら江戸時代まで木小屋に毛の生えた程度の建物に住んでいた 東洋の建物は基本木造。
中国も朝鮮も上屋は木造がメイン。
(こないだ中国の有名な塔の建物が火事で燃えてしまったが、それも木造ゆえだよね。)
日本の建物もその流れのうちの一つに過ぎない。
ただ、日本は大陸に比べ石材を得るのがむつかしい土壌だった。
だから建物に石材を使うのは、高価な建物が中心だった。
庶民の家は木と紙と土で作られていた。
現代でもその傾向は変わらない。 わりと良スレだから上げておく。
中国の紫禁城やインドのタージマハルみたいのがない。 寝殿造とか書院造とか、イケてると思うけど、災害に弱いのがな。 鑑賞性は高いけど実用性が低いのが日本式建築なんでしょう >>4
だからそれは、火山列島の日本では石材を得るのが難しいからだよ。
あと、地震も多いから、基本、組積み構造は日本には向かない。
その分古くから耐震構造が発達し、現在でも耐震技術において世界トップクラスじゃん。
で、そもそも、日本の神社などは立替が前提だろ。
その思想も日本の建築は引き継いでいる。形あるものは永遠ではないという。 日本の木造建築だけは世界最高水準なんだろうね
その代償として石工建築は世界最低水準だと 日光東照宮は大陸的宗教建造物の代表格ではないだろうか?
それが古代日本建築の質素性を重んじるブルーノ・タウトから批判対象にされたが
おれはああいう大陸的建築が大好きだ >>7
建材を木から1000年は耐久する最新の超ハイテク強化樹脂を用いれば、
もう何も怖くはない。
金閣も銀閣もドンと恋w >>10
日光東照宮は中国建築の影響が強いんだよ。
色使いからしてそう。
でも、彫刻などに日本らしい細やかさが隠されている。 >>11
それじゃコンクリとかで作るのと変わらない。
耐久性があれば良いというわけじゃない。
木材には木材の長所があるわけで。
その長所を生かして日本の建築は長い時間かけて
育まれてきたのだから。 日光東照宮は道教的色彩の色彩を強く受けている
神道式に改良しているが中国道教寺院の匂いを強く感じる .
日本の木造建築は世界最高水準
日本の石造建築は世界最低水準
前者だと日本は無敵かもしれないが後者だと日本は欧米や中国には勝てないよ。 >>11
木造建築の欠点は台風、豪雨、火災に脆い点だったからな。
実際それで何十回も立て直されてる国宝建築物が多い。 >>7
鑑賞性高いか?
中国ベトナム琉球朝鮮といった同じ木造文化圏と比べても相当地味だぞ
日本の城とか彫刻もなければ色も塗らないしぱっと見倉庫にしか見えない 日光東照宮も純日本風建築にしてれば質素で地味すぎて通好みではあるがまったく遺産としての見物ではなくなったであろう。
中国道経風にしたからこそ豪華絢爛な徳川王朝の聖地と化したのである、 >>20
おまえさんはシックに行くという事が分からんみたいだな。
シック=地味で渋い
中国のド派手で下品な建物より、わびさびを感じさせる銀閣の方がイカすんだわ。
子どもの頃は華やかな金閣の方が好きだったが、大人になったら、
シックな銀閣の方が好きになっていた。
世界で一番シックな建物があるのはわが国日本。 >>10
禅庭園みたいな質素性を重んじるブルーノタウトからは批判対象にされたが。
坂口安吾からは東照宮と三十三間堂は最高級建築だと評価された。
>>23
アホが建築というの人工建造物からは免れないんだから
どうせ人工物を作るなら徹底的に人工美の極致を追求すべしというの坂口安吾だ。
サクラダファミリアや紫禁城を見たら計り知れない人工力を知ることができる。
人工美の観点からみると太陸的建造物こそ王道なのである。 芸術というのが人工である以上は中途半端に自然と融合するよりかはむしろ派手にやった方がいいのさ。
これが坂口安吾なのである。 サグラダ・ファミリアやサンピエトロ大聖堂と銀閣寺では対象的すぎるわなw >>26
徹底的に人工物にこだわる人も居れば、自然といかにうまく調和することができるかにこだわる人も居る。
韓国あたりは、日本の自然との調和という考え方が全く理解できない人が居るようだ。
隣の国なのに、その辺が全く違うというのが面白い。 日本人だと豊臣秀吉や織田信長の審美眼は大陸の皇帝そのもの 徳川家康が我が亡き後には日光に質素な祠だけを立てろと命じたのに
豪華絢爛な装飾品で着飾った東照宮を建立した徳川家光も中華皇帝の美的感覚に近い 日光東照宮
三十三間堂
東大寺
清水寺
金剛峰寺
延暦寺
厳島神社
日本での大陸的建造物の代表格。 何か自分の知ってる建築を列挙してるだけだな
大陸に厳島神社のような寝殿作りや金剛峰寺のような檜皮葺や清水寺みたいな懸け造りの建物がどこにあるの 前にアメリカ人と一緒に京都奈良を旅行したとき、「ベリーゴシック」と
連発していたな。
たぶん意味合い的には古くてシブいという感じかな? >>34
中国台湾の道教儒教仏教寺院をよく調べてからいいな。
チベットの密教寺院を見るがいい 高野山金剛峰寺の華麗なるパンテオンは日本風にアレンジしたチベットポタラ宮殿そのもの >>25
ブルーノ・タウトは究極の純日本美を桂離宮の中にこそ見出した。
ああいう人間から見れば日光東照宮は俗悪極まるバケモノ屋敷にしか見えないんだろうな。
実際にタウトは東照宮を「珍奇な骨董品」だと酷評してる どの国の宗教建築物も派手に派手すぎて日本庭園風の美的感覚に近い国が探しても見当たらなかった。
イスラーム建築も外装が色彩派手すぎてね。
もしくは世界で日本だけかもしれない。 >>39
ノートルダム大聖堂みたいな終末漂う世紀末的キリスト教大聖堂ばかり見せられてきた欧米の建築家には日本庭園ほど新鮮的な美はないのである。
これこそ空間が作りえし永遠なる大宇宙の自然美なんだと!! ドナルド・トランプは紫禁城に招待されてすっかり舞いあがってしまった。
あれでは日本美は理解できない。 思うんだが。
究極の日本美とは 無の空間が作る沈黙の美 これではないか。 銀閣寺>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>金閣寺>>>>>>>>>>>
>>>>>>>>サンピエトロ大聖堂>>>>>>>>>サグラダファミリア>>>
>>>>>>ノートルダム大聖堂>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>紫禁城 >>44
>>23
↑こういう中国を批判したいだけの反中キチガイのバカのせいでこのスレは台無しとかす。 >>42
見方を変えれば日本式建築には何も感じなかったトランプを舞い上がらせて抱き込んだ
紫禁城の圧勝であろう。
紫禁城>>>>>>>サンピトロ大聖堂>サグラダファミリア>ノートルダム大聖堂>>>>>>>銀閣寺>金閣寺>東大寺 日本が巨大建造物で逆立ちしても大陸に勝てるわけなかろう。 >>36
お前こそよく調べて書けよ
大陸であんな神殿造りや檜皮葺みたいな防寒性が低い建物がありえるか?具体例挙げて見ろよ
チベットやブータンのゴンパは壁引っぺがしたら清水寺みたいだな何か関連性があるのでは自分も考えたことがある
しかし西洋や中東の建築と一緒で壁構造で、西アジアの影響が強いらしい >>48
だから、何度も書くが、日本は石材の調達が困難な地質で、東洋の木造建築の流れで、
気候的に湿度が高いから、調湿性に優れた木造の建築が発達したわけで、
別に技術的に劣ってるわけでもなんでもない。
だから、西洋から組積みの技術が入ってきたら、それをあっという間に吸収して自国の文化にしてしまったわけで。 銀閣寺に行ってみ。
落ち着くし、癒やされるやんか。
マイナスイオンが出てます。
紫禁城とかサンピエトロ大聖堂は落ち着かんし、癒やされんやんか。
プラスイオンが出てます。 >>49
日本は石灰岩と花崗岩の世界有数の産出地だけどな
逆にオランダは国土のほとんどが埋め立て地で石材は外国から輸入していたけど石造が一般的なわけで
結局のところ技術力次第で調達が容易とか困難とか関係ない >>48
何言ってんだ?
密教建築寺院は大陸から流入したものだろ?
本物のバカだおめええええ 仏教寺院建築技術は奈良時代に中国朝鮮から伝わったものだろうが
蘇我氏なんか渡来人そのもの >>50
日本庭園や禅寺は癒されるかもしれないが迫力や熱気や上昇心はない。
キリスト教大聖堂は世紀末的すぎて宗教的光悦感に浸れる。
唯一神の圧倒的な力を感じ取られる。 東大寺や飛鳥寺が大陸や半島からの渡来人技術者が作った歴史的事実が存在する。 渡来人技術者だけやないで。
日本人技術者も一緒になって作ったんやで。
日本人技術者の意見や美的感覚がふんだんに取り入れられて完成したんやで。 紫禁城にしても、タージマハールにしても、統一の象徴なわけね。
大仏にしても、当時の日本の仏教界の頂点の象徴なわけよ。
単純にそういう権威を見せびらかすのが意味がある場合に巨大建造物が作られる。
仁徳天皇稜もそうだろうし、古代の出雲大社(高床柱が30mくらいの高さになるやつね)
そう。
日本では、古代期や戦国期の信長や秀吉などは別にして、連合的性格の強い政権が歴史的に多い国だったから
あまり権威的な建造物が作られなかったというのはあると思う。
日本では控えめな美徳が好まれる。 >>55
日本に寺院建築技術を持ち込んだのは渡来人だからな
これは揺るぎのない真実 サウジアラビアのカアバ神殿はわりと日本的。
視覚より聴覚を重んじる偶像崇拝絶対禁止のイスラム教だからそうなってるのかもしれない。 日本でも仏教寺院なんて大陸色が強すぎる大陸的建造物の代表格じゃないか。 >>52
馬鹿はお前だよ
よく調べてから書こうな
悔しかったら中国の白木造りや檜皮葺の寺院建築を出してみな
https://kotobank.jp/word/檜皮葺き-614467
>檜皮葺は、千数百年の長い伝統技術に裏打ちされて、日本独自に発達を遂げた屋根葺技術です。
http://lavender.5ch.net/test/read.cgi/history/1513345582/l50
>中国建築の多くが木材の露出部を彩色するのに対し、日本建築では白木のままを基本とするなど、中国とは異なる特質を有している。 >>58
技術は渡来系でも、それを作ろうという意思がなければ建物は出来なかったわけで。
平安時代以降、巨大寺院建築があまり出来なかったのは、仏教の性格が変化したからだろう。
奈良時代までは、仏教は華厳宗のような国家宗教で政治と結びついて、中央集権の象徴だったけど、
平安以降は、宗教として独立して、現代に通じる宗派が時代を経るに従い増えていったわけで。
寺院建築も宗教建築として純化したから、規模もそれほど大きなものは必要なくなった。
日本に大きな建築ができなかったのは、技術力云々ではなく、単純に必要なかったから。
わかるかな? 奈良時代の仏教建築はわりと規模重視でとくに東大寺の大仏殿の大きさは同時代の唐の長安城の太極殿や大明宮すら凌ぐ
通常、中国では皇帝の宮をしのぐ建築は作れないのだが日本の場合は皇居より寺院のほうがはるかに規模がデカいのが特徴
平安時代になると神仏習合と共に土着の建築様式と混じり合い、それまでの巨大な柱に朱丹を塗り付けて権威を誇示する中国的な様式から
白木造りや檜皮葺が取り入れられ柱は細く天井は低くなり落ち着いた雰囲気になった
詳しくは「中世和様建築の研究」を読め 中国と日本のお寺とか建築に詳しくない素人でも一目で区別つくぐらい屋根の勾配や色合いが違うけど
同じに見える人って色盲と発達障害併発してるのかな >>64
誰もそんな話題 話してないんだけど。
意味不明に煽るなよ。
>>63
今残る東大寺大仏殿は江戸時代の建築様式だって知ってる? 今残る東大寺より奈良時代の東大寺のほうが大きかったって知ってる?
しかも当時はどのお寺も中国の宮殿みたいに青丹で極彩色に塗られてたって知ってる?その調子じゃ知らないか 創建時の東大寺の規格及び様式については
日本美術全史の第一巻のほうで触れられてるからまぁ読んでみろよ >>66
悪いけど、そんなもん常識だろw
屋根の勾配も昔のが緩やかだったしね。
江戸時代のは2度目の再建だって知ってる?
その様子じゃ知らないか?
w 何マウント取ろうと必死こいてるのコイツ
ネットの便りのお前とは知識量が違うってことぐらいもうわかってるだろうに 奈良時代のオリジナルはもっと中国中国していたが、再建のたびに日本人好みの
デザインにされていったのかもしれんな。 >>61
お前どこまで低脳バカだな。
飛鳥寺や東大寺や法隆寺を建築したのは渡来人技術者であるのは歴史の事実なんだよ
経典、仏像、寺院建築の三位一体で仏教として日本に伝来したんだろ 飛鳥奈良時代に寺院建築と仏像彫刻を持ち込んだのは中国朝鮮の渡来人。
それから時間がたつにつれ神道と融合して日本風になってきた。
まあ日本でも仏教寺院ほど大陸建築の臭いをさせるものはない。 >>62
>平安時代以降、巨大寺院建築があまり出来なかったのは
おめえ本当に歴史を知らないバカの極みだな
東西本願寺の巨大さを目の当たりにしてから言えよw
東本願寺みたことあるのか?
ないからどこまでバカを曝け出すことができるんだろうなw 日本の寺院建築に関しては良くも悪くも完全に中国大陸の遺伝子を引き継いでる。
譬えは変かもしれないが日本風仏教寺院は日中混血建築みたいなもんなんだ。 日本の現存する近代建築も大切にして欲しいわ。戦前の建物は空襲で大分失ったけれど。 なんか意地でも日本の寺院建築は大陸的ではないと決めつけたがる知恵おくれがいるんだよなあ。
むしろ俺は日光東照宮などの色彩豊かな道教寺院建築が好きなんだが。 日本に残る大陸的建築の最高峰と言えば
やはり日光東照宮かな? なんかこのスレ、遺伝子真っ赤っかのafb1b3臭というか、ハノイハノイ臭というか、
台湾ブタ広鼻臭というか、台湾巨大タラコ唇臭というか、インドシナ華南臭というか、
ハッカクを帯びた東南アジアのクッサイ汚らしいニオイがしてきたな。 >>78
久能山東照宮なんかも道教色全開の大陸パワーを感じさせられる。 >>72
世界最古の木造建築物である法隆寺を建築したのが渡来人である以上は
寺院建築=大陸技術であることが宿命として決定づけられている。 厳島神社なんかもゾロアスター教徒のペルシャ系渡来人の影響を強く受けているとか。 こうしてみると純日本建築を探してみるのが大変だな。
何があるんだろうか?
そもそも大陸の影響が一切存在しない純日本建築は存在しないのか? >>74
つうか、君、人の言わんとしてることわかってないよねw
あのさあ、寺院としての規模なら東本願寺とかそんなもん凌いでるのは比叡山とかだろってのw
今問題にしてるのはモニュメントとしての巨大建築だろってのw
一つの建物としての規模が巨大な物の話してるのに、”建物群”の本願寺出してくるとか馬鹿なの?w
w コイツはマウント取りたいだけの猿だからほっとき
起源とか言い始めたら仏教建築自体がインド伝来で中国固有のものではないだろうに こうしてみると純中国建築を探してみるのが大変だな。
何があるんだろうか?
そもそも中央アジアやインドの影響が一切存在しない純中国建築は存在しないのか? 痛いとこ突かれて自分の意見否定されると、”こいつはマウント取りたい”だけとかほんと馬鹿なのかな?w
幼稚な自分本位のレスしてるから、痛い思い込みを突っついてるだけだよw
日本の建築がもともとが輸入された技術により確立したのは事実だが、そこから2千年くらいへて、
日本独自の技術、日本の気候・風土・趣向が加わって、今の高度な日本建築が出来上がって来たわけだよ。
それを何も知らないくせに知ったかの自分の思い込みで批判するようなこと言うから、
そんなもん傍から見てると方腹痛いっつのw
君、恥ずかしいよw 中国や日本の仏教建築の特徴は一目でわかるが朝鮮は何があるんだろうな
独自色を打ち出す前にする前に衰退したという印象 寺院建築は朝鮮帰化人が伝えたものなのに、大元は廃れてしまったと。
神社建築も弥生人が朝鮮南部からパクってきた高床式倉庫の建築技術がベースなのに、
朝鮮の高床式倉庫は早々に廃れてしまった。 高床式倉庫とか世界中に普遍的にあるものでどこが起源とかないでしょ 高床式は明らかに南方の建築技術だろ。
朝鮮は冬が寒いから、高床式だと底冷えしてしまう。
北方のオンドルが朝鮮全土に普及するわけだ。
日本では、高床式は倉庫に限らず、貴人の住居として使われた。
だから神社は高床式建物。出雲大社も巨大な高床式建物だった。
朝鮮からパクったんじゃなく、縄文中期には列島にあったわけで(三内丸山遺跡などの例)、
支配階級が住居としたのは、彼らの源流がそちら方面にあるということだろう。
朝鮮で廃ってしまったのは、元からの技術ではないということだろ。
気候的にはまったく朝鮮には不向きな様式なわけだしね。 三内丸山は高床式倉庫跡じゃないよ。
冷静に考えてみな。
周辺の遺跡に全然伝わってないじゃないの。
5〜6000年前に三内丸山に一棟だけ作って、その技術を三内丸山だけで
握り潰してお終い。
で、次に青森に高床式倉庫が現れるのが、その3〜4000年後の弥生時代後期とか、
そんな馬鹿な話があるか。
三内丸山は高床式倉庫跡ではありませんよ。
高床式倉庫は稲作をパクってから100年くらい後に同じく半島からパクっただけ。
松菊里型住居とセットで高床式倉庫が初登場するから半島からパクったものだと分かる。 日本人は半島から教わった歴史を屁理屈で否定したがるな
これでは学問も何もあったものではない >>96
全然説明になってないよw
>>97
屁理屈じゃないだろ。
現に朝鮮に高床式も棚田も何も残ってない。
風土に根付いたものならなんらかの形で残りそうなものだが、現代では跡形もない。
それよりも、三内丸山を否定する事の方がよほど屁理屈だと思う。
アイヌにも”プー”という高床式倉庫が残っているのにねw >>98
三内丸山が高床式倉庫なんてありえない。
5〜6000年前に一棟だけ作って周辺に一切伝えもせず、次に青森に高床式倉庫が
現れるのが、その3000年以上後の弥生後期だとか、常識的に考えてありえないでしょ。
アイヌの高床式倉庫は弥生後期以降に本州から伝わっただけ。 >>99
だとしたら ”クラ”とか日本語に近い名前になりそうだが ”プー” だからなw
ねえ、あなたこそ、なんの根拠も示さず、おもい込みで言い切ってるだけにしか見えないけど。
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