>>15
毛利家のもともとの家紋は一文字三星
その後、毛利元就が沢瀉という植物をあしらった紋を副紋として使い始めた
江戸時代の毛利家は長州藩(毛利宗家)、長府藩、徳山藩、清末藩に分離
すべての毛利家が同じ紋を使うことが紛らわしいために
沢瀉紋のデザイン違い(長門沢瀉、徳山沢瀉、清末沢瀉)をそれぞれの藩が用いていた