>>966
>隋書の時点ではまだ筑紫をヤマトと呼んでいたのでしょう。
隋書には、裴世Cの倭国訪問記録があります
明年,上遣文林郎裴清 使於倭國。度百濟,行至竹島,南望𨈭羅國,經都斯麻國,迥在大海中。
又東至一支國,又至竹斯國,又東至秦王國,其人同於華夏,以為夷洲,疑不能明也。又經十餘國,達於海岸。
自竹斯國以東,皆附庸於倭。倭王遣小コ阿輩臺,從數百人,設儀仗,鳴鼓角來迎。

「自竹斯國以東,皆附庸於倭。」竹斯國より以東は、皆な倭に附庸す。
筑紫=竹斯と倭(大和朝廷)は、区別されていますね?
そして倭王の遣わした「小コ」は日本書紀に記されている冠位十二階の一つです
「九州王朝の遣隋使」は、どうあがいても無理なんですよ