豊臣秀吉以外で日本史最高の成り上がり
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日本で秀吉に次ぐ成り上がり者は誰だ?
候補としては
・藤原鎌足
・北条時政
・毛利元就
・柳沢吉保
・田沼意次
・岩崎弥太郎
・伊藤博文
・松下幸之助
・田中角栄 >>200
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9MZ あれは母親がダメなだけじゃなかったのか
本人もなにがしたいのかよくわからんな 意外と家康かも
ただの天下人じゃなくて神格化されて自分の子孫が250年以上も日本を支配したことを考えると凄い
松平家自体ルーツもよく分からん成り上がり系の豪族だしね >>229
血統は徳阿弥の乞食なんだから、究極の成り上がりだろ 大江磐代は?
浪人と町娘の内縁の子から光格天皇生母 >>229
子孫の繁栄をカウントするなら、家康は藤原鎌足に絶対に勝てないね。
子孫繁栄の年数は5倍以上長いし、皇室に血を入れまくってるし、近代に総理大臣を出してるし。 一番は、天皇家に潰れた出雲王国の元王家の次男坊(フツー飼い殺しか部屋住みの不遇のママ)〜大家の当主。全く血を流さずに辞を低くして是非ともと迎えられて、
まさかの大王(天皇)に上り詰めたオオド大王=継体天皇。
このお方以上に大出世なさった方は皆無。 >>237
因みに、現在の皇室、皇族方は継体天皇の末裔に他成りません。 伊藤博文かな?
水呑百姓の子から近代日本を代表する宰相まで成り上がったのはなかなか 六畳一間に6人暮らし
親は自分の名前も書けないぐらい無学で、生ポで生計
食事は一日一食
極貧から成りあがった、勝海舟 木曽の山出しだけど源氏の御曹司だぞ。頼朝のいとこだから。 なんだよそうか
木曽の山猿が短期間とはいえ日本を制圧した夢物語だったのに・・ 頼朝の父義朝は父である為義と仲が悪くて、義朝が関東に下って勢力圏を築くと義朝の弟である
義賢に関東に下って義朝に対抗することを命じた。そこで義朝は庶長子の義平(14歳)に義賢を
やってしまえと命じたら合戦の末に本当に殺してしまった。後に残された乳飲み子を斉藤実盛が
信州へ落ち延びさせた。さらに木曽谷へと匿われて成長後に木曽義仲と呼ばれるようになった。
叔父である義賢を討ち取った義平は武名をあげて悪源太(とても強い源氏の太郎の意味)と
呼ばれるようになる。その後平治の乱で父義朝が平清盛に敗れて死んだ後に捕まって処刑された時でも
まだ20歳の若さであった。ちなみに頼朝は三男。 日本最高ではないと思うけど、老中首座になった水野忠成は、旗本の次男が水野家に入って、その後出世したパターンだったんだね。 >>247
江戸幕府の大老は世襲一族の固定席だったが。
老中は下級武士の成り上がり者が多かった。 まあ出世というかお役がもらえる夢くらい与えておかないとな 階級上は将軍、大老に告ぐ3になるが実質的に幕政を取り仕切ってたのは老中首座。
その老中首座には地方の下級武士からでも成りあがれた。
江戸幕府体制下でも名も無き下級武士の出自でも日本の支配権を握れたわけだ。
よく言われてる江戸幕府は身分固定制度だという批判は半分は当たっているが半分は外れている 北条早雲は伊勢氏の傍系で実は成り上がりじゃないのが定説になってない? 成り上がりが凄い人は一代〜二代で滅ぶ傾向が有るな
豊臣秀吉は、譜代の家臣が殆ど居なかったこと、世継ぎの秀頼が幼少だったことが禍で二代目の秀頼で滅亡(国松が生き延びた説も有るが確定的でないので除外)
秀次が生きていたらもう少し豊臣の天下が続いたかも
意外にも秀次の弟の秀勝の娘の完子が九条家に嫁ぎ、その子孫(途中で女系で鷹司家から養子が入るが)の九条節子が大正天皇の皇后となり昭和天皇を生んで、今上天皇にまで現在の皇室に続いている >>254の補足
秀勝の嫁は江、二人の間に生まれたのが完子
秀勝が死ぬと江は徳川秀忠と再婚(正確には再々婚)して家光や勝姫を生む
勝姫と松平忠直(結城秀康の子)との間に生まれた鶴姫が、豊臣完子と九条幸家との間に生まれた九条道房に嫁ぐ
鶴姫と九条道房との間に生まれた九条待姫が、鷹司家からの養子の九条兼晴に嫁ぎ、生まれた九条輔実の子孫が、先の九条節子となる
他にも家光の娘が尾張徳川家に嫁ぎ、女系を通して子孫が九条節子にも繋がると言う
現在の皇室は、浅井や豊臣や徳川の血の一部が流れている
他にも、織田や明智光秀やガラシャ(光秀の娘)や前田利家等の血の一部が、女系を通して現在の皇室に繋がっているようだ ある意味、江戸幕府に限れば将軍の生母は側室が殆ど(例外は家光の生母の江)で、正室の御台所は公家か皇室の息女であることを鑑みれば、綱吉の生母であるお玉(桂昌院)とか成り上がりだな
現在の皇室にまで続いたのなら、お由羅騒動で有名なお由羅(西郷どんでは小柳ルミ子が演じていた)が成り上がり
大工の娘とか八百屋の娘とか船宿の娘とか諸説有るが、武士の娘ではないのは確か
由羅が島津久光を産み、その孫娘が久邇宮に嫁ぎ、その娘が香淳皇后で今上天皇の生母だしな 女性なら灯台下暗しで現皇后の正田美智子は?
お嬢様とは言え史上初の平民上がりの皇后 徳川吉宗の生母浄円院も紀州藩で湯殿番をしていた下女と言われてる。 美智子皇后の祖父の正田貞一郎は、貴族院議員もやってたから、公家や大名の血は引いてないけど、勲功華族に準ずる感じだったから微妙だな。
雅子妃のところも、父の小和田恒が外務事務次官、国際司法裁判所長で、母方の先祖も江頭安太郎海軍中将、山屋他人海軍大将とかだから、充分勲功華族並。 柳沢吉保と田沼意次の二人は間違いなく江戸時代最高の成り上がり 柳沢を挙げるなら間部詮房も忘れないで。猿楽師上がりで徳川家宣と家継の側用人にまで上り詰めた。
柳沢みたいに権勢を見せびらかさなかったのと家宣の在位が短い(3年くらい)んであんまり有名じゃないけど。 >>260
いや親父か国際なんとか裁判になれたのは娘献上した代価だろ。
どうせなら堀ブロがヨシエたん献上しとけば。 >>252
下級武士から老中首座になるのが江戸時代の限界だろ?
いわゆる名も無き百姓の子が将軍様に気に入られて大老になるとかは絶対に無理だった。 >>267
だから八百屋の娘が将軍様に寵愛されてのちの将軍の生母になれば従一位にもなれるよ。
桂昌院の事だけど。 大老だって正四位までしかなれないのに従一位だよ。どっちが偉いと思ってんの? だが身分が固定されきった江戸時代で成り上がることは
下剋上が当たり前だった戦国時代で成り上がることよりも難しいだろ?
士農工商の枠が出来上がってた江戸時代で下級武士から老中の成り上がりは
戦国時代の農民から一国一城の主になることより難易度が高いよ となると柳沢吉保、田沼意次>豊臣秀吉になるかもな。 だからそれだったら下級武士の子だけど猿楽師として採用されて柳沢吉保と同じく側用人にまでなった
間部詮房の方がスタートが下なんだから上だって。 柳沢吉保と同じく側用人と言っても吉保は大老格で15万1200石、間部詮房は5万石
ちなみに田沼意次は5万7千石 吉保は短期間とはいえ事実上に日本の最高権力者になってたからな 道鏡だろ。物部の末裔とか言われるけどはっきりしないし。法王とか足利義満級。 >>252
一応 学問板だから、教えておくが、田沼意次は老中首座になったことはない。
「実質の」「事実上の」とかは無し、ね。
それと、柳沢氏は周知の通り武田家旧臣で由緒ある家柄。間部氏は出自不明。
成り上がり度を見る際はゴールだけでなくスタートもみないとね。 中臣鎌足:下級役人→内大臣
道鏡:弓削氏?→法王
平清盛:平氏の傍流→太政大臣
源頼朝:源氏の宗家→征夷大将軍
足利尊氏:源氏の傍流→征夷大将軍
豊臣秀吉:尾張の足軽→関白
徳川家康:新田氏傍流?→太政大臣
成り上がりでは秀吉か道鏡が双璧だと思う。
秀吉は庶民から人臣として最高の官職に就いたし、
道鏡は平民ではないが、人臣の身分を超えそうにまでなった。 >285
鎌足は藤原氏として天皇に次ぐ地位を得て、それを続けた訳だけど、
実権は平氏に奪われるまでと考えればいいのかな
大化の改新645年から平治の乱1159年で約500年?
江戸幕府より長いやん 平安時代の間ずっと藤原氏が実権握ってたと思ってんの?
そもそも朝廷とは別の組織で日本を支配した徳川幕府とは全然違うわ 何代にも渡る氏族の勢力拡大を「成り上がり者」とは言えないだろう。
「成り上がり者」はあくまでも個人一代。 家康って言うか松平家って出自の胡散臭さは戦国大名の中でもかなり下位だよな
秀吉のおかげで目立たないけど 小さな島の百姓から琉球国王になった尚円
日本より遥かに国力が低い琉球とは言え名実ともに国王(王朝の開祖)になったのだからむしろ秀吉より上では 鎌倉幕府:清和源氏、執権:北条氏(桓武平氏)、室町幕府:足利氏(清和源氏)と
源平が政権を交互に担ったから、
織田氏が桓武平氏の末裔と称し、
松平氏が清和源氏の末裔(さらに言えば新田の傍流の得川)と称したんだよな 戦国時代から江戸時代にかけて出自を厳密にしたら、
残った大名の出自が明確な大名は怪しい大名より少ないんじゃないか?
最後まで領地を移動されずに残ったのは島津だけ。 >>293
相馬もだよ。鎌倉時代から明治維新まで動いてない。 江戸幕府内最高の成り上がりは誰になるんだ?
とりあえず間部詮房でいいのか?
俺としては大老にまで上り詰めて徳川綱吉を陰で動かした柳沢吉保に一票入れたいが
出自も考慮すれば間部詮房になるのか
しかし柳沢も間部も甲府藩と縁があるのは不思議な因縁だ 江戸幕府内で成り上がりことは戦国時代で成り上がることよりも遥かに難易度が高すぎる
武力を使うことが許されてないわけだから余程の対人交渉能力が突出してないと無理 一方で江戸時代は平和な分、歌舞伎や絵、医学など文化活動でも名を遺すことができるようになった。 ・間部詮房
・新井白石
・柳沢吉保
・田沼意次
江戸幕府の四大成り上がりだが他にはいるの? 江戸時代は成りあがれない、というが、一方で江戸時代は一族郎党族滅など、没落も戦国時代ほど激しくない。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています