>>281
おっしゃる通りです。
倭人在帶方東南大海之中 依山㠀為國の本州が有ることは認識されていた。
九州へは、今、郡使が一海を3回渡って到達しました。

>女王國東渡海千餘里 復有國皆倭種
女王國東渡海千餘里が本州なら、使は関門海峡を知らない。
また、本州と四国に区別が無い。 その、瀬戸内海の島々も知らない。 
つまり、瀬戸内海には踏み込んでいない。

又有侏儒國在其南人長三四尺去女王四千餘里
女王国は九州島上陸後、南2千里。 プラス4千里は鹿児島だが、
関門海峡や周防灘、瀬戸内海を知らずに本州の話をする理由は地図上での話と推定できる。
侏儒國人長三四尺の 南の離島、種子島 の奇譚は倭人からの伝聞で知っていた可能性は有る。

さらに、>又有裸國 黒齒國在其東南船行一年可至
問題はこれ。 其東南船行一年可至 
船行一年という行程は不可能というか不可知。

以前に、三国志によって、陸行1月を2千里と定義されている、としたが
旅程の日数とは別のものとして、中国王朝独自の地図上の座標単位として
この、12月行を1年とするなら、デタラメな単位とまでは言えない。
東南海行1年は小笠原〜グアム辺りとなる。

この地図座標としては、中原を方可12月で囲み
八方に四夷諸国を方可12月の座標で置くとアジア全域図になると思う。 
三国志各国の領地や西域、ペルシャ、インド東南アジアを示す地図は絶対に作っていた。

難問解決への、ご意見感謝です。