・後漢期の方格規矩四神鏡と文字や意匠の配置が違う
・後漢期の方格規矩四神鏡より大型

これが平原の方格規矩四神鏡が国産という根拠の主なものだろ。
それがそのまんま青龍三年銘の方格規矩四神鏡(3枚とも直径17.4cm)
と共通する。

@青龍三年銘の方格規矩四神鏡が国産鏡と言うのならば、
それを作った工房は、
お手本となる漢代の方格規矩四神鏡が大量に出土した伊都にあって、
「同じ傾向」の国産方格規矩四神鏡を32面保有している、平原女王のものになる。

後漢期の方格規矩四神鏡はポピュラーだが、
「この傾向」の方格規矩四神鏡は少数派=限定生産なのだから、
青龍三年=235年前後の短期間だけ大量生産していたことになり
平原女王は卑弥呼時代とピッタリ重なる。

A青龍三年銘の方格規矩四神鏡が舶載鏡と言うのならば、
魏で235年以降に作られた方格規矩四神鏡であることが確定的なわけであり
そうなると「この傾向」こそが、魏鏡と後漢鏡を見分ける特徴ということになり、
「この傾向」の方格規矩四神鏡を32面も保有する平原女王こそが
卑弥呼ということになり、

平原の方格規矩四神鏡は魏における235-239年の銅鏡の特質を伝える
貴重な考古学的資料、
ということになる。