鍛造技術が扇谷に達した時期は、前2世紀頃だから、池上曽根よりも随分前ですね。九州地方とも、殆ど時間差を感じません。これは、当時から日本海沿岸航路による技術交流があった証拠です。扇谷が営まれた頃は九州と同じ大王の支配下だった可能性は強いです。
しかし、時代的には、近江に鉄器が入ってきた頃とかけ離れているね。近江が日本海航路からの鉄文化の影響を受け始めたのは、2世紀頃でしょう。纏向が、無鉄器どころか、無人に近い僻地だった頃です。