比較的、卑弥呼の死の年代に近いとされる箸中山の大王墓は、無鉄器時代の纏向を築造の直前に侵略した、鉄器でヤマト王権を列島規模に拡大させた功績者のものの可能性が高いですよ。
少なくても、死の前後まで、三国に分裂していた中国に干渉されるような乱中にあった共立王のものではありません。
墳形が在地の首長墓である纏向石塚と似たのは、畿内付近の墳丘技術者集団のデザインというだけです。