不正確な書き方が、気になりますので、修文します。

弥生時代末期に、卑弥呼を共立した倭国が朝鮮半島に進出していた最大の理由は、鉄でしょうね。
魏志倭人伝は東夷伝の一部ですが、東夷伝に倭人が弁韓に鉄を採りに来ているという記述があります。また、実際に、弥生時代を通して玄界灘近辺には鉄が溢れています。
曹魏と(ひょっとしたら公孫とも)の交流も、弁韓での、鉄の採掘を認めて貰うためであるとするのが、合理的です。
渡海や他民族との軋轢という危険を冒して、鉄を獲得していたわけですから、女王の都の建設や警備に鉄器が使われていないとする理由はありませんね。合理的な理由があるならお示し願いたいです。
ところが、西暦230年代、卑弥呼が曹魏と交流を始めた頃、纏向には鉄が全くありません。仮に、ホケノが230年代(そんなことをいう学者さんは現在は皆無ですがね。)だとしても、それは鉄器が有力者の副葬品になるほどの希少品だったことの証拠になるだけです。
そして、大陸とやりとりするための文書作成の道具、硯もありませんしね。
纏向は、邪馬台国ではありませんよ。