266年西晋に朝貢した倭国女王は台与で、台与を尾張氏の天豊姫とする。天豊姫は開化の妃竹野媛でもある。したがって開化の実年代を266年頃とする。
したがって崇神の没年干支戌寅は318年である。
更に尾張氏の宇那比姫を卑弥呼として、卑弥呼の政治を補佐した男弟は、義理の弟である孝安とした。したがって孝安の活躍した年代は、卑弥呼の年代でおおよそ三世紀前半である。
そして宇那比姫の三世代前が神武の時代である。それはおおよそ二世紀初頭となろう。したがって後漢書倭伝が伝える107年に朝貢した倭国王とは神武に他ならないと考える。大和朝廷はこの107年の直前に成立したのである。