太平記 vs 平家物語
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太平記の作者は
前半は平家物語の栄枯衰退の影響を強く受けて書いてるが
後半だけ三国志演義の影響を強く受けて書いたように感じとられる 太平記は日本版三国志演義なんだと歴史通の間では指摘されている。 仁義なき戦いの映画が作られとき、広島のヤクザから「俺をもっと格好よく描け」
だの「俺が出ていない」とのクレームが出たそうだが、
平家物語にはそういったクレームは出てこなかったの?
太平記はそういったクレームが出たからこそ、梅松論や難太平記の書物が
でたのだが? >>43
平家が書かれたころには関係者ほとんどいないからね 太平記には日本全土を完全に支配してた北条得宗も道理を失ったがために僅か四十三日間で絶滅したと記されている。
なんだか今の日本全土を完全に支配してる自民党も消滅するときはあっとういう間に滅びてしまいそうだ。
そういえば外遊、グルメ、ゴルフ三昧の安倍晋三は田楽、闘犬狂いの北条高時と似てもいなくはない。
しかも安倍の出自は長州閥だから北条得宗と同じ平氏w 全国の武士の極一部だけが参加して戦った源平合戦と違って、太平記が書かれた時代は日本中の武士という武士が騒乱に巻き込まれてる。
規模が全く違う。 >>44
信濃前司行長とか慈円は個人的に頼朝や清盛、義経や後白河法皇等の
関係者と面識があるのでないの?
実際徒然草には信濃前司行長は義経とは面識があったけど、
範頼のほうは面識がなかったから、範頼の話は書き漏らしたと
記述しているし、
徒然草の時代は平家物語ではこう書いているけど、実態はとかの影口が
相当言われていたのではないかなぁ? 西暦だと1240年くらいという説があるから名前上げてる人たちはみなこの世にいない >>49
実際はもっと早くから、ウィークエンダーのノリで街頭で平家物語もどきの興行を
やっていたのでないの?
それを慈円と信濃前司行長と生仏とか言う琵琶法師の演者がまとめあげて、
その後継者が比叡山あたりで確定したのが1240年頃ではないの? そのノリで興行していたとしても清盛も義経もこの世の人ではなかっただろ
死ぬのが遅かった頼朝が生存していたとしてもその興行を見る機会はなかっただろうし >>51
たとえ平家物語の成立が1240年頃だとしても、
義経や清盛や頼朝に仕えた下働きの連中なら
何人かは生き残っていたのではないの?
そいつらが今話題の平家物語と言うので聞きに行ったら、
史実と違うとクレームをつけることくらいはしたのではと思っているのだが?
新撰組始末記の話だって、大正時代に新撰組の遺族や下っ端の生き残りに話を
聞いて史実とは少し違う、実は?という話をまとめたのだから。 >>53
そのような可能性は「あるかもしれない」という程度だろうね
断言したいんだったらそういう記録を出してくれれば済む話 新田義貞が神剣を投げ入れて海潮を引かせた伝説は
アーサー王がカムラン湾の戦いでエクカリバーを放り投げたみたいだ
まさか太平記の作者がアーサー王を知るわけもなく >>53
幹部でも杉村義衛や斎藤一は生きとっただろう。 >>54
千早城の戦い北条軍100万。四條畷の戦い楠木軍48騎。 太平記では北条高時けだけでなく後醍醐天皇にも徳がないから戦乱が絶えないとはっきり記されている。 悲壮感すぎる平家物語に比べると希望を与えてくれるのは太平記。 >>68
勝者の側の立場で書かれた書物なのに話題に上らない梅松論。 >>70
資料的な価値では梅松論の方がはるかに高いといわれているのになww
まあ太平記だって「史学に益なしと」は酷評でそれなりに資料的な価値は
あるのだけど。
平家物語は時代が時代だから、平家物語を無視すると時代が語れない
と言うのもあるな。 太平記は元々日本史家のなかでも評価低いよ。物語性に重点を置いたせいで史実と違うのとか文章がいまいちだとか
日本の歴史書(歴史物語)で完成度が高くて必読なのは「平家物語」「大鏡」「愚管抄」「神皇正統記」「日本外史」 平家物語の完成度の高さは何なんだ?
源氏物語より上じゃないか? 才能ばかりじゃなく、かなり教養のある人間が書いてることには間違いなし。 作者が漢文の教養が深すぎるのか唐文学をふんだんに取り入れてる 太平記は南北朝に分裂という前代未聞の時代背景があるからな。そのわりにはよく書けてる。中国の例とかをだらだら書かないならなおよかった >>84
千早攻城軍100万とか鎌倉攻撃軍60万7000とか書くな。 >>84
朱子学ベースのお話なんだから
中華で云々は必要不可欠だろ。 >>85
だから数字にこだわるなよww
あの時代は数字にはそれほど意味を感じていない時代だったのだから。 >>88
数字が意味を持たないならと言うが四條畷の戦いで楠木正行勢が143騎とか相手の小旗一揆衆長崎彦九郎48騎とかやたらに細かい。 >>89
太平記のなぞだな。時々妙に具体的な数字だすよね
楠木軍の兵数や脇屋義助と公卿との内紛とかもそう。
あれも見てきたようなウソなのかどうか >>90
義貞の生品神社の旗揚げの時と同じ150騎でいいのに。 軍隊の動員数は軍事機密だからなww
今の戦争だって、どこそこを○○人で攻めるとかいう話は年数がたたないと
明らかにならないだろう?
その年数がたってから明らかにされた戦闘詳報だって、実際のところ宣伝が
入っている可能性だって高いのだし。 >>92
太平記は小島法師が永和元年(1375年)あたりに完成させた。
義貞の旗揚げとか四條畷戦からだいぶ経っているが。 四條縄手は実際に楠の手勢が143騎しかいなかったのかも >>94
四條畷戦時四条隆資は野伏20000を率いて楠木軍の後詰をしたとある。
楠木正規軍も野伏ほとんど変わり無いと思うが。
湊川の時だって正成の手勢の中には第5列とかサンカとか鉢屋とか素性のおかしい兵が混ざっていた。 >>93
むしろ30年から40年たった方が書きやすいというのもあると思うのだが?
先の大戦でも戦後すぐの時よりも、昭和50年代から平成の頃のほうが
ノンフィクションとしては優れた手記が多く出ただろう?
潮書房の丸とか光人社の光人NF文庫みたいな。
もっとも酒井三郎みたいな人もいたけど。 年数が経ってばらばらの資料を無理やり纏めた感じか。所々に主観を交えて 那須与一が出てくる扇の的の節って、美談でなくて義経批判の残念な話だったのね。 足利尊氏は何であんなに戦に強かったのでしょうか?
ほとんど無敗ですよね >>106
直義に負けたりしているが。高師直に負けたり。 尊氏の魅力はやることなすことパッとしないのになんとなく成功してるところだね
思想だけが先行して失敗した後醍醐天皇を鏡に映したような存在
こんな二人が対立していた時期が一番面白い 太平記=日本版三国志演義
里見八犬伝=日本版水滸伝 日本人が作った中国風文学の最高峰が太平記だからな。 >>124
清盛はそれほど悪人じゃなく。高時はタダのアホボン。大内義隆や今川氏真の同類。 キリシタンが日本に侵略してくるときに太平記で日本語習ったらしい 多分そう
反キリスト教的な内容がないからってことでお墨付きになっていたんだって 連レスでごめんね
内容紹介
戦国時代、訪日宣教師はみな『太平記』を読んでいた。それは、この書物が当時の日本人の百科事典であり、
絶大な人気を誇っていたためだった。『太平記』受容を通して時代を分析した、革新的一冊。
内容(「BOOK」データベースより)
本書が扱うのは、宣教師と『太平記』の意外な関係だ。南北朝~室町期の武士の生き様を描いた『太平記』は、
戦国時代最大のベストセラーであり、数々の武将たちに愛好されていた。だからこそ、宣教師もこの作品を
「日本を知るための最高の教科書」とみなして、必死に読み解こうとしたのであった。
『太平記』と宣教師との接点に注目することで戦国時代に生きた人々の心性に迫ろうとする画期的論考。 >>126
太平記は三国志演義と作りが似すぎてると思ったがそれだったんだな ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています