☆ 吉松速之助少佐
弘化2年(1845)、高知城下本丁筋の土佐藩士吉松省平の長男に生まれた。
鳥羽・伏見の戦いには藩兵隊長として伏見を守る。その時の速之助の決断が官軍としての土佐藩の以後の行動を決定する。
さらに迅衝隊第八隊長として戊辰戦争に加わり、今市、日光、会津と転戦した。
会津戦争の折、大垣藩兵に捕らえられ凌辱のすえに生晒しにされた神保雪子(神保修理の妻)を見かけて放免を主張したものの、他藩の容喙は受け付けないと拒絶された。その後、密かに雪子の懇願を聞き届けて腰に据えた短刀を与え、その自刃を助けている。