明治政府は1871年(明治4年)に全国一斉に廃藩置県を行い、全国の諸藩は藩から県に変わったが、琉球に対しては廃藩置県ができなかった。
なぜ明治政府が琉球に対してだけ廃藩置県ができなかったのかというと、当時の琉球は藩どころか日本の領土ですらなかったからである。
それどころか明治政府は1871年(明治4年)に廃藩置県を行っておきながら、逆に琉球に対してはその翌年の1872年(明治5年)に琉球国から琉球藩に変えている。
ただし、これは国家の統治機構の改変を伴うものではなく、単なる名称変更という形式的な変更にすぎなかったのは言うまでもない。
不思議なことに廃藩置県後の全国の各県は大蔵省の管轄下にあったが、琉球藩だけは外務省の管轄下に置かれていた。
明治政府がなぜ琉球藩だけを外務省の管轄下に置いたかというと、当時の琉球はまだ正式に日本に組み込まれていなかったからである。
琉球はその時点でまだ日本の領土ではなかったため、1875年に明治政府の松田道之琉球処分官が琉球に対して清國の年号をやめて日本の和暦を使用すること、あるいは日本の法律を採用することなどを要求している。
もちろん、廃藩置県後の全国各県は既に日本の国内法が適用されていたが、琉球には日本の国内法はまだ適用されていなかった。
この歴史的事実が示すように1879年に日本に統合されるまで琉球には日本の統治権(主権)が及んでいなかったことが分かるし、1879年まで琉球が日本の領土でなかったことは明白である。
よって、その琉球王国を前身に持つ沖縄は日本固有の領土とは言えない。
また、国際法には「固有の領土」に関する条文がない上に「固有の領土」という用語も概念も存在しないので、国際法上も沖縄は日本固有の領土とは言えない。