>>194
>>199の広島の兵士らが指揮官の無謀な突撃に付き合わんか云うたら、無能な指揮官
たぁ、戦闘も味噌汁の数も知っとるけぇのう。関東地方兵団でも伊藤桂一氏が、
「一人の小隊長は、彼我交戦中、突撃をかけて飛び出したが、兵隊は命令を聞かず
一人も出なかった。 小隊長は敵の弾雨にさらされ身動きできず、部下を怒鳴ったが
誰も救出しない。遂に哀願した。 すると古参兵が張り切って救出した。
古参の兵隊はあきらかに不利と分っている戦闘には出ないし、指揮の拙劣な
小隊長は弾雨下で教育されたのである。小隊長は、熟練分隊長の指示通りに
命令を出せば 間違いなく戦闘ができたのである。熟練した敵を相手にするには、
熟練者に主導権を渡すよりほかなかったのである。これは必死な兵隊の防衛本能で
あった。また、それが戦場行動の原則でもあった。」
と、下士官や古参兵の熟練度が戦闘を左右するし、指揮官は神輿に担いどるだけ
じゃし。 近畿の丹波篠山聯隊でも、
{歴戦の勇士で弾道が判るのだろう、二人共悠然として前方の敵情を観察していた。
弾道の音で敵の遠近、 弾道の高低が判ると、屯営の演習で兵を叱咤していたことが、
溝口中尉には今更のように恥ずかしくてならなかった。
「隊長、敵弾はこの方面、左前方から射って来ます。自分がまず小高い丘まで
駆けますから、隊長は自分の後ろから駆けて下さい」
敵弾は左側方から射たれていること、比較的弾道が高いので、間隔をとって全力疾走
すれば大丈夫だと、清水軍曹が溝口中尉に手をとるように教えて早駆けに移った。}
弾道の方角や高低を判るように成るにゃ実戦経験豊富じゃなぁと無理じゃし
演習訓練じゃ駄目なんよ。 ほいじゃが、屯営の演習訓練で兵を叱咤した下級指揮官の
中尉も緒戦の実戦じゃ木偶の坊のデコ人形ゆえ、歴戦の下士官古参兵が実際は
指揮主導権執る場合が多いいけぇのう。