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★★ 邪馬台国は【葛城】である【5】 ★★
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0001日本@名無史さん
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2018/04/19(木) 13:05:56.87
邪馬台国は葛城である。
葛城に住んでいたヒミコが判明したからである。

10代崇神天皇がいつごろの人物なのか。

これで邪馬台国論争は終了する。
崇神陵=行燈山古墳=布留1式=4世紀初頭から前半。
2015年久住編年でもこれが最有力。

そして卑弥呼擁立の時代=庄内0式(2世紀末)まで文化断絶がない。
という事は崇神から卑弥呼の時代までを普通に遡れるのだ。
にもかかわらず古代史家、考古学者の誰一人としてヒミコを探そうとしない。
ヒミコは記紀に登場しないという固定観念があるからであろう。

わしは探した。 ほらヒミコもトヨもいた。

I崇神(310年頃 318年没)
H開化
     G孝元
          F孝霊   
トヨ津        E孝安 D孝昭
トヨ津   (250年頃)C懿徳 
ヒメ踏鞴        B安寧
ヒメ踏鞴        A綏靖
ヒメ踏鞴 (200年頃) @神武 

神武から6代孝安まで宮は葛城である。
また神武から孝安まで不自然な事に正后はいても「妃」がいない。
彼らは複数の妃を持つ大王ではなかったからである。

つまり魏志に書かれた女王国とは神武〜孝安時代の事であり、 それは葛城王朝であった。
※考古学的根拠「国宝」中平銘鉄刀・和邇氏の系図は>>2
0189日本@名無史さん
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2018/06/03(日) 19:12:29.01
>>185
>>186


スレタイおよび>>2および>>181への反論は随時受け付けている。

まぁおまえには反論さえ思いつかないであろうが。
0190日本@名無史さん
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2018/06/10(日) 12:35:36.70
悪いひとたちがやって来て
みんなを殺した

理由なんて簡単さ
そこに弱いひとたちがいたから

女達は犯され
老人と子供は燃やされた

悪いひとたちはその土地に
家を建てて子供を生んだ

そして街ができ
悪いひとたちの子孫は増え続けた


朝鮮進駐軍 関東大震災 日本人10万人大虐殺

https://youtu.be/iBIA45CrE30
https://youtu.be/D0vgxFC04JQ
https://www.youtube.com/watch?v=sYsrzIjKJBc
https://www.youtube.com/watch?v=SiHp41uWo1I
https://www.youtube.com/watch?v=zYBCTRryFP8
https://youtu.be/-wF31xbwqPM
0191日本@名無史さん
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2018/06/12(火) 20:09:36.73
差別の問題は意味が大きいのだ。
なぜなら倭國王帥升の連れた160人の生口、
これは2世紀には王権の近くにかなり大きな俘囚郷があった事が推定されるからだ。

九州の差別問題は白村江の移配俘囚や黒田藩が姫路から連れて来た皮工をルーツとする以上、
弥生時代に大きな王権があったとは言えないのだ。

太古の日本列島において俘囚郷のあった大きな王権地と考えられるのは葛城だ。
この地の俘囚郷が20世紀の「人の世に熱あれ、人間(じんかん)に光りあれ」の水平社運動の聖地になるわけだ。

そもそも大和には移配俘囚が存在しない。
ならば大和の俘囚は7世紀以前から存在したということだ。
葛城には土蜘蛛と思われる国栖(くず、くにす)に関わる地名の被差別郷もある。

つまり弥生時代に俘囚郷があり王権があったのは葛城だ。

帥升ことスサノオは葛城にいた。
今も日本最古の高鴨神社に祀られている。

その後、王権は移動していない。
魏志の2世紀前半の其国の男王から3世紀後半のトヨまで王権は葛城にあった。

邪馬台国とは葛城だ。

ヒミコとはヒメである。
後にヒメ(踏鞴五十鈴)媛と表記される人物である。
0193日本@名無史さん
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2018/06/12(火) 20:14:03.34
>>192
反論できないわけだな、可哀想に。
0194日本@名無史さん
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2018/06/12(火) 20:16:34.46
>>192

ここは畿内説スレと違って流れが速くないので、ゆっくり議論できる。

ささ、君の反論を聞こうではないか。
0195日本@名無史さん
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2018/06/20(水) 12:44:28.99
「天孫」とは本来は大和朝廷のおひざ元である高天原(御所市高天)の鴨(神)族の血筋だと思ってます。

スサノオ=古事記の最高神・迦毛大御神(かものおおみかみ)=倭国王帥升。

蘇我の出自は葛城です。
本来は彼ら「葛城の流れ」が天孫であった。
大国主、大物主、彼らが天孫であった。

蘇我馬子の『天皇記』・『国記』にはそれが書かれていたのではないか。

乙巳の変で蘇我が破れ、「[天孫」の定義が替えられたのではないか、と思ってます。
0196日本@名無史さん
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2018/06/20(水) 13:00:31.98
【葛城鴨王家の系譜】
大和国葛城にいた古代氏族の系譜。

その祖は博多の王である大山祇の子であり、摂津に鎮座する三島溝杙耳(陶津耳)である。
その息子は登美に移住して神武と戦った長髄彦であり、娘は活玉依姫である。
出雲の国譲りの後に大和に移住していた事代主は三輪山の神となっていたが、活玉依姫に娘と息子を生ませる。
娘は後に神武の妃となるイスケヨリ姫(五十鈴姫)であり、息子は天日方奇日方(櫛御方)である。天日方奇日方はまたの名を鴨主という。
天日方奇日方の曾孫が太田多根子となる。

この家系には別の伝承がある。
飛鳥大神の娘である登美夜姫が、高天原からやってきた天照の孫であるニギハヤヒとの間に生んだ子が、物部氏の祖であるウマシマジである。
登美の長髄彦は、神武との戦いの中で「自分は天神の子であるニギハヤヒに仕えて妹をニギハヤヒに娶らせたが、どうしてまた天神の子と称するものが来て土地を取ろうとするのか」と言っている。
とすると、登美夜姫と活玉依姫はともに長髄彦の妹ということになる。

いずれにしても、大和国の主だった勢力はいずれも筑紫か出雲、高天原にその起源があることになる。
0197日本@名無史さん
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2018/06/20(水) 13:54:19.20
>>196
もうおまえウザい、来るな。
おまえのくだらないレスを読むくらいなら静かに雨の音を聞いてる方がまし。
0198日本@名無史さん
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2018/06/20(水) 16:27:46.41
>>197
自分だってあちこち同じことを書いているくせに。
なぜ鴨族の出自について触れないのだ。
三島溝杭耳が神武東征を助けた話を出せば、筑紫から畿内に移住した開拓部族であったことがわかってしまうからだろう。
0199日本@名無史さん
垢版 |
2018/06/20(水) 16:35:01.33
蘇我氏の祖は筑紫の覇権を握った倭王であった武内宿禰だからな。
順番を間違えるなよ。
0200日本@名無史さん
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2018/06/20(水) 19:44:32.22
>>19
>30代を基準に25代〜35代をランダムに採って見た。

>・25代平均  応神天皇390年〜39代弘文天皇没672年  11,28年
>・28代平均  応神天皇390年〜42代文武天皇没707年  11,32年
>・30代平均  応神天皇390年〜44代元正天皇没724年  11,13年
>・33代平均  応神天皇390年〜47代淳仁天皇没764年  11,33年
>・35代平均  応神天皇390年〜49代光仁天皇没781年  11,17年

これ、無作為抽出をしていないから、全然ランダムにとったデータとは言えないよ
35代平均の値でも、応神から25代のデータは共有しているから、ここに上げた数値が
大きく動かないのは当然のこと

統計処理のやり方として、まったくなってないし、ほぼ意味がない
0201日本@名無史さん
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2018/06/20(水) 19:55:45.84
>>198
>自分だってあちこち同じことを書いているくせに。

おまえのは全部脳内妄想が根拠。
鴨主って何だよ、日本書紀では鴨王。
いいかげんな話をするな。

鴨族の出自は出雲。

筑紫なんて全然関係ない、しゃしゃり出てくるな。
0202日本@名無史さん
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2018/06/20(水) 19:58:15.82
>>200

30代平均一つでもかまわない、11年弱が平均在位であることに変わりない。
文句あるなら自分で計算して数字を出してみろ。
0203日本@名無史さん
垢版 |
2018/06/20(水) 22:06:51.66
中大兄 近江宮御宇天皇 三山歌
高山波  雲根火雄男志等  耳梨與  相諍競伎
かぐやまは  うねびををしと  みみなしと  あひあらそひき
神代従  如此尓有良之  古昔母  然尓有許曽
かむよより  かくにあるらし  いにしへも  しかにあれこそ
虚蝉毛  嬬乎  相挌良思吉
うつせみも  つまを  あらそふらしき  (13)

反歌
高山与  耳梨山与  相之時
かぐやまと  みみなしやまと  あひしとき
立見尓来之  伊奈美國波良
たちてみにこし  いなみくにはら  (14)

渡津海乃  豊旗雲尓  伊理比紗之
わたつみの  とよはたくもに  いりひさし
今夜乃月夜  清明己曽
こよひのつくよ  さやにてりこそ  (15)

耳成山や大和三山に関する歌は興味深い
神代、倭国大乱前の伝承をモチーフにしたのか
0204日本@名無史さん
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2018/06/20(水) 22:08:53.42
古代からヤマトの地は代理戦争の場所だったのかもな
0205日本@名無史さん
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2018/06/21(木) 08:21:51.06
それは植民地の典型的パターンだよ。
大和は、倭国の中では辺境の開拓地だった。
0206日本@名無史さん
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2018/06/21(木) 09:08:25.41
>>205
>大和は、倭国の中では辺境の開拓地だった。

大和だけじゃ、ないけどね。  @阿波
0207日本@名無史さん
垢版 |
2018/06/21(木) 12:09:04.44
畿内説は嘘つきだから騙されちゃいけないんだけどさ

「卑弥呼の時代の三角縁神獣鏡が畿内から多く出てる!」って畿内説が論拠に上げるわけ

そこがもう、わざと騙そうとしてるんだけど

たしかに卑弥呼の時代に「作られた」銅鏡は畿内から出てくる

でもそれは「卑弥呼の時代より100年くらい後の遺跡から」なんだよね

だから真相はやはり九州説を強化してるわけ

つまり、九州に伝来した三角縁神獣鏡が、100年かけて畿内まで普及した、と


九州は3世紀中盤の那珂八幡古墳から三角縁出てるからな
卑弥呼の時代リアルタイムの遺跡から出てる

伝来の流れがわかるよな
0208日本@名無史さん
垢版 |
2018/06/21(木) 15:10:21.47
鏡なんぞより国宝・中平銘鉄刀。

http://livedoor.blogimg.jp/myacyouen-hitorigoto/imgs/0/6/06e12156-s.jpg

卑弥呼と和邇氏の関係について考えよう。

解けるよ、ほら。


   事代主
     ┣━━━━━━━┓
   天日方奇日方(鴨王) ヒメ踏鞴━━神武
     ┣━━━━━━┓
     建飯勝    渟名底仲媛━━ 安寧
     ┃            ┃
    建甕尻          息石耳    ※ヒメ踏鞴(248年没)
     ┃            ┃
    豊御気主         トヨ津━━ 懿徳
     ┃              ┃
   大御気主             孝昭
     ┃              ┃
    阿田賀田須        天足彦国押人命
                   ┃
                和邇日子押人命
0209日本@名無史さん
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2018/06/21(木) 15:24:21.69
>>207
福岡でまた弥生時代のスズリだ出たそうだ。
これで8個目だったか、もはや弥生時代に文字文化があったことが明白になった。

ところがそれは九州説にとって致命傷なのだ。
九州に王がいた、王権があった、王都があったという謂れが皆無だ。
あれば文字伝承できるのに、ないという事は九州に王都などなかったのだ。

そもそも九州説自体、古代天皇や大和朝廷の朝貢を、
プライドとしての認めたくない江戸時代の国学者たちが創り出した虚構。
新井白石は邪馬台国論争に九州という答えを出したのではない、
九州を出す事で「邪馬台国論争を創った」のだ。
論争してくれてるうちは古代天皇や大和朝廷の朝貢という重い課題を着席させずに済む。
永遠の中腰を狙ったのだ。

そこが分かってない古田武彦という演歌歌手が、
20世紀になってかつて九州に王朝があったという珍説を出したが、
まぁ所詮は演歌歌手だ、無視してよい。
0210日本@名無史さん
垢版 |
2018/06/21(木) 18:29:00.98
>>209
倭人伝には3人の王が登場してるだろ

邪馬台国女王卑弥呼
女王に従う伊都国王
女王と対立する狗奴国王ヒミココ
0211日本@名無史さん
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2018/06/21(木) 19:07:48.03
>>210
>女王に従う伊都国王

名前が出ていない時点でおかしいと思えよ。
卑弥呼のことだよ。
0212日本@名無史さん
垢版 |
2018/06/21(木) 19:30:49.19
>>208


で、殷の難民が渡来定着して水稲をもたらした事を証明する証拠遺跡と、
その生活痕たる三足や耳の付いた中国系生活土器と土壁の中国系住居と
石刃の中国系耕作用農具と中粒種のイネと龍信仰と亀卜は?


で、殷の難民が渡来定着して水稲をもたらしたとウソブいている
サギサギ考古学者の氏名と所属団体は?



さっさと言えサギジジイ!
0213日本@名無史さん
垢版 |
2018/06/21(木) 19:40:57.74
>>208


で、ニギハヤヒが秦からの渡来人である事を証明する証拠遺跡と、
その生活痕たる三足や耳の付いた中国系生活土器と瓦屋根に土壁の中国系住居と
石刃の中国系耕作用農具と中粒種のイネと漢服と木沓と漢字の金石文と龍信仰と
亀卜と日常食の蒸し餃子とワンタンは?


で、ニギハヤヒが秦からの渡来人だとウソブいているサギサギ考古学者の
氏名と所属団体は?



さっさと言えサギジジイ!
0214日本@名無史さん
垢版 |
2018/06/21(木) 21:43:12.93
当麻は投馬かな

宮崎、都萬
0215日本@名無史さん
垢版 |
2018/06/21(木) 22:13:20.85
都万は投馬国
0216日本@名無史さん
垢版 |
2018/06/21(木) 22:15:37.00
>>209
崇神天皇から弘文天皇が九州の歴史だよ
神武天皇から開化天皇、天武天皇が畿内地方の歴史
0217日本@名無史さん
垢版 |
2018/06/21(木) 22:30:12.81
何を言ってるんだか、もう…(;´д`)

普通に考えればいいのに。

4世紀初頭から前半の10代崇神、その少し前にトヨがいる。
そしてその少し前にヒメ(踏鞴五十鈴)媛がいる。

はい、終わり。
0218日本@名無史さん
垢版 |
2018/06/21(木) 22:34:25.99
>>216
>崇神天皇から弘文天皇が九州の歴史だよ

九州が天皇家の本貫地ならば、「践祚大嘗祭」で「蚊帳の外」になる筈がない。 推して知るべし。  @阿波
0219日本@名無史さん
垢版 |
2018/06/21(木) 22:45:58.87
「大嘗祭は、即位に伴う最重要神事とされ、政府は「公的な皇室行事」と位置付けた。」  @阿波
0220日本@名無史さん
垢版 |
2018/06/21(木) 22:48:55.69
>>216

第10代 崇神天皇

御間城入彦五十瓊殖尊 (“みま”きいりびこいにえのすめらのみこと)

阿波には、昔、北の粟国と南の長国があったが、古代には西部にもう一つの国があった。

それが旧美馬郡(三好郡含む)の範囲で、元の「倭」国。

高天原(剣山地)から長の国に天下った天孫族が、粟の国に侵攻し(神武天皇)、

崇神天皇が初めてミマ地域に入り、磯城瑞籬宮を造営。

「ミマ城・入り彦」を名乗り、阿波国内を統一、これにより、

神武天皇は、『日本書紀』で 「始馭天下之天皇」 (はつくにしらすすめらみこと)
崇神天皇は、『古事記』で 「所知初国之御真木天皇」 (はつくにしらししみまきすめらみこと) と記された。  @阿波
0222日本@名無史さん
垢版 |
2018/06/22(金) 21:34:13.58
九州説はアホw
0223日本@名無史さん
垢版 |
2018/06/23(土) 08:42:16.14
天日方奇日方(あまひがたくしひがた)の「ひがた」をヒコではないかという説があるらしい。

そうだとすると妹のヒメ(踏鞴五十鈴)媛、つまりヒメとヒメヒコ制を形成している。

もう一つある。

トヨ津媛と豊御気主。

これもヒメヒコであろう。 

神武、安寧、懿徳などはよそ者。
4世紀初頭、崇神がクーデターを起こし、神武を始祖王とした男系王朝を創ったのであろう。
0224日本@名無史さん
垢版 |
2018/06/23(土) 08:46:31.74
ヒメヒコ制 wiki

ヤマト王権が成立する前後の古代日本では祭祀的農耕従事的女性集団の長(ヒメやミコ、トベを称号とした)と
軍事的戦闘従事的男子集団の長(ヒコ、タケル、ワケあるいはネを称号とした)が
共立的あるいは分業的に一定地域を統治していた。
『古事記』、『日本書紀』、『風土記』などの文献には宇佐地方(豊国)にウサツヒコとウサツヒメ[2]、
阿蘇地方にアソツヒコとアソツヒメ[3]、加佐地方(丹後国)にカサヒコとカサヒメ、
伊賀国にイガツヒメとイガツヒコ[4]、芸都(きつ)地方(常陸国)にキツビコとキツビメがいたことを伝えている。
また『播磨国風土記』では各地でヒメ神とヒコ神が一対で統治したことを伝えている[5]。
そのような女性・男性の首長はその地の神社の由来となっていることが多い。
ヒメやヒコを神社名や祭神名にしている地域はかつてヒメヒコ制の統治があったことを物語っている。
0225日本@名無史さん
垢版 |
2018/06/23(土) 09:01:44.88
だからなんだ。
そんなの西日本全域にある。
邪馬台国とは関係ない。
0226日本@名無史さん
垢版 |
2018/06/23(土) 09:21:17.02
>>225
いや、ある。
倭国大乱で男王が一時的に退いて女王を立てたわけだから。
実質、男王国であった。

しかし神武は関係がない。
0227日本@名無史さん
垢版 |
2018/06/23(土) 10:17:36.94
>>226


で、殷の難民が渡来定着して水稲をもたらした事を証明する証拠遺跡と、
その生活痕たる三足や耳の付いた中国系生活土器と土壁の中国系住居と
石刃の中国系耕作用農具と中粒種のイネと龍信仰と亀卜は?


で、殷の難民が渡来定着して水稲をもたらしたとウソブいている
サギサギ考古学者の氏名と所属団体は?



早く言えサギジジイ!
0228日本@名無史さん
垢版 |
2018/06/23(土) 10:23:49.40
>>226


で、ニギハヤヒが秦からの渡来人である事を証明する証拠遺跡と、
その生活痕たる三足や耳の付いた中国系生活土器と瓦屋根に土壁の中国系住居と
石刃の中国系耕作用農具と中粒種のイネと漢服と木沓と漢字の金石文と龍信仰と
亀卜と日常食の蒸し餃子とワンタンは?


で、ニギハヤヒが秦からの渡来人だとウソブいているサギサギ考古学者の
氏名と所属団体は?



早く言えサギジジイ!
0229日本@名無史さん
垢版 |
2018/06/23(土) 10:54:28.96
まあ、畿内や神武は邪馬台国に関係ないということ。
0230日本@名無史さん
垢版 |
2018/06/23(土) 11:07:50.30
>>229
邪馬台国に関係あるのは倭国(阿波)だけ。  @阿波
0231日本@名無史さん
垢版 |
2018/06/23(土) 16:11:59.61
ここのスレ主は、三輪高宮系譜でも読むといいと思うよ。
0232日本@名無史さん
垢版 |
2018/06/23(土) 19:07:20.60
>>231
おおよその骨子を言ってくれないか。
三輪氏というのは崇神時代の大田田根子以降だね。
彼は須恵村に住んでいたので興味がある。
わしは須恵村を結構うろうろしている。
おそらく上神谷(にわだに)であろう。
昔は神の古語であるミワ、ミワ谷と言った。
大神神社のミワに通じる。

彼らは鴨系統、つまり銅鐸氏族だ。
0233日本@名無史さん
垢版 |
2018/06/23(土) 19:20:28.97
>>229

いや神武の時代が邪馬台国の時代だよ。
神武の時代が女王国であった。
神武東征紀とは、女王国であった史実をごまかすためにことさら大げさに書かれた。
神武の時代に卑弥呼がいたのだ。
卑弥呼がいた場所は王権があった葛城。
0234日本@名無史さん
垢版 |
2018/06/23(土) 19:29:24.17
>>233
>神武東征紀とは、女王国であった史実をごまかすためにことさら大げさに書かれた。

誤魔化す必要は全くないよ。 正直に倭国(阿波)での東征譚だよ。  @阿波
0235日本@名無史さん
垢版 |
2018/06/23(土) 19:37:49.79
>>234
>誤魔化す必要は全くないよ

ごまかす必要があった。
だから神武の時代もBC660年、127歳などと大きく古く引き延ばしたのだ。

卑弥呼が誰なのか分かれば、卑弥呼から約100年前の倭国王帥升が誰なのか分かってしまうからだ。

倭国王帥升とはスサノオだ。
0236日本@名無史さん
垢版 |
2018/06/23(土) 19:44:25.82
>>235
>ごまかす必要があった。
だから神武の時代もBC660年、127歳などと大きく古く引き延ばしたのだ。


誤魔化す必要なんか全くないよ。 単に稗田阿礼もしくは先人が記憶間違いしただけ。  @阿波
0237日本@名無史さん
垢版 |
2018/06/23(土) 19:52:11.73
「箸中古墳周辺の発掘調査報告書」寺澤 薫

「纏向遺跡は纏向古墳群の発展とともに古墳時代前期に置いて最盛期を迎え、その後、衰退していく。
しかし6世紀後半期に箸墓古墳周辺の外濠・内濠が整地される。
その背景には、箸墓古墳の再祭祀が考えられる。
宮内庁書陵部による1968年の調査の際に前方部頂付近から出土した須恵器は同時代の所産とみられる。

6世紀後半の敏達、欽明朝は三輪君が新伸長を遂げ、王権の三輪山祭祀を肩代わりするまでに台頭してきた時期であり、かつ擬制的な同族意識が成立したこととも深い関係がある。
箸墓古墳を始祖と仰ぎ、王権の祭祀を司る同族集団として台頭してきた三輪君と無関係ではないと考える」
以上、6世紀後半に台頭してきた三輪氏が箸墓古墳を始祖と仰ぎ再祭祀を行ったと想定した寺澤薫の論。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
大笑いだ。
三輪氏が箸墓という巨大前方後円墳を始祖と仰いでいたなどとは。
寺沢ってこの程度か。
寺沢は筑紫、吉備、讃岐、播磨など瀬戸内の要素を言っている。
三輪氏のどこが瀬戸内要素なのか。

瀬戸内要素とは物部だ。
もう阿保としか思えない。
0238日本@名無史さん
垢版 |
2018/06/23(土) 19:54:59.41
6世紀後半の敏達、欽明朝に三輪君が新伸長を遂げたのは、蘇我の台頭と連動してるのであろう。
蘇我は葛城出自。三輪も鴨族。

寺沢って駄目だな、この人。
0239日本@名無史さん
垢版 |
2018/06/23(土) 19:56:02.61
>>237
>瀬戸内要素とは物部だ。

どの道、忌部一族だから。  @阿波
0240日本@名無史さん
垢版 |
2018/06/23(土) 19:57:24.76
>>238
>蘇我は葛城出自。三輪も鴨族。

どの道、忌部一族だから。  @阿波
0241日本@名無史さん
垢版 |
2018/06/23(土) 20:31:08.58
>>236
>記憶間違い

しない、しないw
弥生時代から文字があったのに。
0242日本@名無史さん
垢版 |
2018/06/23(土) 20:40:17.00
>>241
>弥生時代から文字があったのに。

稗田阿礼の職を奪うつもり?  @阿波
0243日本@名無史さん
垢版 |
2018/06/23(土) 21:45:11.34
@阿波さん、阿波統合スレ立ててよ。そのぐらい阿波は重要な拠点であったと思う。

その文字云々は先史から有ったとしか思えんが。
0244日本@名無史さん
垢版 |
2018/06/23(土) 21:49:36.67
魏の青銅鏡や楽浪郡や帯方郡の文物、帯方郡使が土器に書いたと思しき漢字はあるが、
それを倭人が理解して使っていたとは思えないね。

倭人が金石文や土器に書き残した文章がないんだから。

今のフランス語みたいなインテリア的なものに過ぎんだろ。
0245日本@名無史さん
垢版 |
2018/06/23(土) 21:58:37.19
>>243
>@阿波さん、阿波統合スレ立ててよ。

スレの立て方知らないし、立てたくもないんですよ。 だって、当たり前すぎてスレ伸びないから。 
やっぱり、スレが伸びるのはトンデモ説のものでしょ。  @阿波 
0246日本@名無史さん
垢版 |
2018/06/23(土) 22:00:59.80
阿波忌部はアワビを刻んで熨斗アワビを作り、倭国大乱の罪を反省するのが仕事

本来の役割を忘れてはいけない
淡路島の神に祟られるぞ
0247日本@名無史さん
垢版 |
2018/06/23(土) 22:48:29.17
>>232
>おおよその骨子を言ってくれないか。

三輪氏の起源が書いてあるんだよ。
その中で鴨主命も登場する。
三輪叢書所載の『系譜三輪高宮家系』に、天事代籤入彦命(事代主神)と大陶祇命の女、活玉依比売命の子、 天日方奇日方命(一名、武日方命、櫛御方命、阿田都久志尼命、鴨主命)とある。
大陶祇命は三島溝杭耳のことで、三島鴨神社に祀られる、大山祇の息子。神武東征では八咫烏になり神武を先導した。
大山祇は瀬戸内海を西からやって来た神であり、子の大陶祇と合わせて瀬戸内海ルートによる筑紫から畿内への開拓の神。
溝杭とは土木工事のことで、淀川近隣を整備したと考えられている。
京都の賀茂神社も彼らを祭るものであり、登美の鴨王家の基礎となった。
0248日本@名無史さん
垢版 |
2018/06/23(土) 22:57:51.11
>>247
それ全部、忌部のみなさんだよ。  @阿波
0249日本@名無史さん
垢版 |
2018/06/24(日) 07:33:38.86
>>248
>大陶祇命は三島溝杭耳のことで、三島鴨神社に祀られる、大山祇の息子。神武東征では八咫烏になり神武を先導した。

三島溝杭耳が八咫烏?
「書いてある」だから「正しい」にはならないだろう。
三島溝杭は普通に大阪茨木市あたりにいて、東奈良遺跡も彼らのものであろう。
ヒメ(踏鞴五十鈴)媛を祀る溝咋神社もあるね。

だから何なんだ。
0250日本@名無史さん
垢版 |
2018/06/24(日) 07:45:14.77
三輪氏は大田田根子を祖とする一族。
わしは大田田根子の出身地・須恵村をうろうろしてるのでわかるが、
前方後円墳の一族ではない、むしろ銅鐸だ。
伝・狭山丘陵から加茂岩倉との兄弟銅鐸が出ている。

したがって6世紀後半に箸墓を再祭祀したのは三輪氏ではない。
ツバイチ(桜井)お支配してたのは物部守屋。
素っ裸にした尼さん3人をツバイチ(桜井)まで連れてきて鞭打つという楽しそうな…、
いや間違い、酷いことをしている。
0251日本@名無史さん
垢版 |
2018/06/24(日) 08:20:36.29
>>250
それ全部、倭国(阿波)を発った忌部のみなさんだよ。  @阿波
0252日本@名無史さん
垢版 |
2018/06/24(日) 09:02:22.14
卑弥呼は大田田根子かもしれんな。
0253日本@名無史さん
垢版 |
2018/06/24(日) 09:16:38.18
いや、むしろ忌部氏を含む古代豪族は皆が同族、原日本人と考える方が自然ではないのか。
忌部氏はいち早く、糸にも縄にも布にも精神に閃きを与える大麻にもなる麻の魔力的な効能を知った一族では無いのか。
俺は魏志倭人伝の全てを否定する訳じゃないが鵜呑みにするのは古代史を混迷させる原因としか思えん。
卑弥呼なる者は忌部氏などの原日本人の祭祀を司るシャーマンの1人だと思ってる。鬼道とは大麻で生じる平和で大乱を鎮める智慧だろう。

何処から出立した原日本人が様々なルートを進み畿内で再合流したのが大和朝廷であろう。
0254日本@名無史さん
垢版 |
2018/06/24(日) 09:17:18.20
>>252
卑弥呼も大田田根子も、もちろん忌部。  @阿波
0255日本@名無史さん
垢版 |
2018/06/24(日) 09:46:58.92
大麻は平和のハーブって、ボブ・マーリーかw
0256日本@名無史さん
垢版 |
2018/06/24(日) 10:32:40.03
>>255

大麻(麻)の繊維は、日本では古くからしめ縄、祓い具(おはらい)としての神事の大麻などに用いられてきた。
また、麻から作った大麻(マリファナ)は薬理作用があり、紀元前から古代人が嗜好品、また医薬品として用いてきた。
大麻(マリファナ)は喫煙、気化、飲食により成分を摂取する。
麻といえば、阿波忌部 
『名曰卑彌呼事鬼道能惑衆』  『名を「卑弥呼」といい、「鬼道」に仕えて人心を惑わしている』
卑弥呼は大麻(マリファナ)を利用して「鬼道」を操ったのだろう。  @阿波
0257日本@名無史さん
垢版 |
2018/06/24(日) 11:19:26.77
>>249
>三島溝杭は普通に大阪茨木市あたりにいて、東奈良遺跡も彼らのものであろう。

だからさ、あなたの言うヒメや鴨王は、筑紫からの開拓者の末裔に過ぎないと言うこと。
畿内の開拓者はきちんと京都でも大阪でも奈良でも祭られていて、あなたはその一部だけ取り上げていて、滑稽なんだよ。
田舎者が騒いでいると言う点では阿波君と同レベルだよ。
0258日本@名無史さん
垢版 |
2018/06/24(日) 11:21:17.18
>>255
天皇陛下即位式である大嘗祭に、麁服を調進する大役を太古から担う御衣御殿人(みぞみあらかんど)の家柄である三木家は、
木屋平村の三木山山頂に居を構える。
貢(みつぎ)、あるいは三ッ木とも呼ばれる地名は、深く調進に関わる為でもあろう。 南北朝時代にあっては、山岳武士の頭目として南朝に関わった。
さて、この三木山こそは、太古の高天原であると同時に、天皇家の故郷でもある。このお山から御霊を大嘗宮へ運ぶ為には何か媒体が必要である。
つまり、依り代に付いて初めて示現されるのが神霊であるなら、「麻」こそ媒体であると云える。
古来より伊勢神宮の神札は神宮大麻と呼ばれ、御師が領布した御祓大麻を指すからだ。
後世、大麻(おおぬさ)は紙に変わってしまい、現代人は麻の持つ意味を忘れようとしている。   @阿波
0259日本@名無史さん
垢版 |
2018/06/24(日) 11:41:43.92
大麻の効能は猜疑心を緩め争いを疎ましくさせる。
大乱を鎮めるのには最適なのである。
しかし、副作用は怠惰な心に直結しやすく、古代からまさに取り扱いに注意した物と思われる。

しかし、@阿波氏の言うように古人たちにとって麻は身近で重宝していたのは事実、縄文土器の縄目、焼く前についたと言う底の布目は麻を撚り合わせた縄、麻を紡いだ布なのだから。(縄、布ともに麻製品が出土している)
0260日本@名無史さん
垢版 |
2018/06/24(日) 11:56:23.94
更に、土器を野焼きする際には干した麻から燻される煙が縄文人(あくまで便宜上)の情緒を安定させ一万年も争いの無い暮らしを実現させたのであろう。
その効能と副作用は古人たちにとって諸刃の剣であったと思われる。
0261日本@名無史さん
垢版 |
2018/06/24(日) 18:28:39.19
>>247


で、殷の難民が渡来定着して水稲をもたらした事を証明する証拠遺跡と、
その生活痕たる三足や耳の付いた中国系生活土器と土壁の中国系住居と
石刃の中国系耕作用農具と中粒種のイネと龍信仰と亀卜は?


で、殷の難民が渡来定着して水稲をもたらしたとウソブいている
サギサギ考古学者の氏名と所属団体は?



早く言えよサギジジイ!
0262日本@名無史さん
垢版 |
2018/06/24(日) 18:37:46.35
>>247


で、ニギハヤヒが秦からの渡来人である事を証明する証拠遺跡と、
その生活痕たる三足や耳の付いた中国系生活土器と瓦屋根に土壁の中国系住居と
石刃の中国系耕作用農具と中粒種のイネと漢服と木沓と漢字の金石文と龍信仰と
亀卜と日常食の蒸し餃子とワンタンは?


で、ニギハヤヒが秦からの渡来人だとウソブいているサギサギ考古学者の
氏名と所属団体は?



早く言えよサギジジイ!
0263日本@名無史さん
垢版 |
2018/06/25(月) 03:37:46.80
>>257
>だからさ、あなたの言うヒメや鴨王は、筑紫からの開拓者の末裔に過ぎないと言うこと。


何の根拠もない。
失せろ。
0264日本@名無史さん
垢版 |
2018/06/25(月) 20:39:06.59
>>259
>大麻の効能は猜疑心を緩め争いを疎ましくさせる。
>大乱を鎮めるのには最適なのである。

麻が古来より神草とよばれて重宝されたのは確かだが、
乾燥させて吸ってたなんて話はないだろ。
麻酔いは知られていたようだが。
だいたい日本の麻は乾燥大麻としては成分が薄いと聞いた。
0265日本@名無史さん
垢版 |
2018/06/25(月) 21:10:14.15
>>264
成分が薄いから大量に焚いたんだよ

キャンプファイヤーみたいにな

それで集団でトランス状態に入った

周りでは太鼓を叩き出す奴がいたりして

原始的な「お祭り」だわな
0266日本@名無史さん
垢版 |
2018/06/25(月) 22:06:41.22
まあ、縄文土器を野焼きする前に麻布を敷いた上でかなり陰干しをしたらしいが、それはヒビがいかない様にする為。
ひと月以上の陰干し→炉の干し草の火から離したところから時間をかけて徐々に火元へ近づけて焼く→そしていよいよ、、、。
土器が埋もれるほどの干し草に火をつけて焼く。

その大量の干し草のなかに麻が混じっていてもおかしくないわな。
また、相当な時間をそこで過ごしていたのは明らかである。
むしろ、その副作用の方に苦慮したのかも知れん。
忌部氏など古代豪族が管理?する麻の効能、副作用を知らなかった訳は無いと思うが。

爆発する芸術とまで言われる火焔土器などは大麻をキメていたからこそのサイケデリックなフォルムような気がするが。
0267日本@名無史さん
垢版 |
2018/06/25(月) 22:10:14.19
むしろ。成分は薄くて良かった筈。
0268日本@名無史さん
垢版 |
2018/06/27(水) 06:53:30.91
崇神を4世紀初頭から前半の人物と仮定してみたら、
魏志倭人伝のトヨが崇神の数十年前にいるはずですから、
いわゆる「欠史8代」の時代の最高位の女性にトヨがいるかどうか探せばいいだけです。

トヨ津媛という女性がおります。しかも
金関 恕さんや和田萃さんの指摘していた中平銘鉄刀の和邇氏の祖・孝昭天皇の母に当たりますから、
トヨとはまずこの人で間違いないであろうと断言できる訳です。

そしてヒミコがその少し前のヒメ(踏鞴五十鈴)媛であれば、その100年前の倭国王帥升がスサノオであり、
記紀編纂の際に始祖王の土下座という屈辱的史実を書けなかったという理由が判明しますし、
なぜ神武東征紀で猛々しい男王国を強調してるのかも、実際には女王国であったことをごまかすためだと分かります。

学者さんたちは神話の人物が実在したなどとは言いにくいのでしょうが、
ハインリヒ・シュリーマンがギリシャ神話の世界を掘り出して見せたことを思い出していただきたい。
考古学の原点が神話の発掘であったわけです。

だからニギハヤヒも実在、纏向遺跡は彼以降の物部の遺跡だとすれば、
瀬戸内勢力を引き連れて来たニギハヤヒと、
寺沢さんの言う「筑備讃播」が合うし、
ニギハヤヒの子・ウマシマジが、物部神社社伝で東海、北陸を征してる記述と、
纏向遺跡の搬入土器の6割が東海、北陸である事が一致するわけです。

なにより纏向に宮を構えた崇神の母が物部であるわけですし、
ホケノ山古墳の横穴式石室の時期がツバイチを支配してた物部守屋の時代である事とも一致します。
0269日本@名無史さん
垢版 |
2018/06/27(水) 07:40:44.39
>>268
>いわゆる「欠史8代」の時代の最高位の女性にトヨがいるかどうか探せばいいだけです。

違う地域の歴史だから、探しても無駄
0270日本@名無史さん
垢版 |
2018/06/27(水) 07:43:26.71
>>268
>トヨとはまずこの人で間違いないであろうと断言できる訳です。

トヨとは、」「豊玉比賣命」
・二つの豊玉比賣神社(上)
http://goutara.blogspot.jp/2015/02/blog-post.html?m=1

・二つの豊玉比賣神社(中)
http://goutara.blogspot.jp/2015/02/blog-post_2.html?m=1

・二つの豊玉比賣神社(下)
http://goutara.blogspot.jp/2015/02/blog-post_7.html?m=1


だからニギハヤヒも実在、纏向遺跡は彼以降の物部の遺跡だとすれば、

ニギハヤヒも物部もどの道、忌部の一員。



>ニギハヤヒの子・ウマシマジが、物部神社社伝で東海、北陸を征してる記述と、
纏向遺跡の搬入土器の6割が東海、北陸である事が一致するわけです。

忌部一族による東海、北陸の拓殖譚ですね。


>ホケノ山古墳の横穴式石室の時期がツバイチを支配してた物部守屋の時代である事とも一致します。

もちろん、ホケノ山古墳も忌部一族の豪族墓ですね。  @阿波
0271日本@名無史さん
垢版 |
2018/06/27(水) 07:52:38.96
>>269
>違う地域の歴史だから、探しても無駄


同じ青銅器王国の範囲だよ。
http://web.joumon.jp.net/blog/wp-content/uploads/img2011/青銅器の分布%EF%BC%88紀元後二世紀%EF%BC%89.jpg

北部九州は防人さんの土地。
こんな所に王様はいない。

BC3世紀ころに出雲の銅鐸が畿内から中部に広がる。
出雲の王権も畿内に移動してたのであろう。
この大きな国の主は大国主。
その王権の場所は高天原(御所市高天)のある葛城だ。
0272日本@名無史さん
垢版 |
2018/06/27(水) 07:54:50.44
魏志倭人伝は九州の話ばかり。
鏡は出てきても銅鐸の話など出ない。
畿内は邪馬台国に関係ない。
0273日本@名無史さん
垢版 |
2018/06/27(水) 07:59:58.39
>>271
BC3世紀ころに出雲の銅鐸が畿内から中部に広がる。

いや実際は、倭国(阿波)の銅鐸が出雲や畿内、中部に広がった。

>この大きな国の主は大国主。

その、【大国主神を祀る、全国唯一の式内社「八鉾神社」】 推して知るべし。  @阿波
0274日本@名無史さん
垢版 |
2018/06/27(水) 08:05:31.47
>>272
新興宗教にハマってる人と同じ。
少しも論理的な話ができてない。

もともとこの邪馬台国論争とは何であろうか。

「古代天皇が中国に朝貢した歴史などあってはならない(本居宣長)」

私は新井白石をはじめこれら江戸時代の国学者たちによって九州説なる
ものが意図的に創作されたと思っている。
彼らはそもそも邪馬台国が九州にあったとは思っていない、
ただ国学者としてのプライドで大和朝廷および古代天皇の朝貢を認めた
くなかったのだ。
彼らが九州説を創作、そして支持者が増え、論争してくれてるうちは古代
天皇の朝貢という辛く重い荷物を着地させずに済む。
その着地しない状況を永遠に創ろうとしたのだ。
つまり九州説とは世論誘導のための虚構である。
0275日本@名無史さん
垢版 |
2018/06/27(水) 08:24:44.07
>>272
>鏡は出てきても銅鐸の話など出ない。
>畿内は邪馬台国に関係ない。

では鬼道とは何か?

中国人が中国発祥の鏡祭祀を鬼道とは言わないであろう。

卑弥呼の時代の2世紀末、鏡以外の祭器とは銅鐸しかないではないか。
0276日本@名無史さん
垢版 |
2018/06/27(水) 08:48:12.78
1世紀から2世紀初頭にかけては、北部九州、瀬戸内海、畿内、北陸の交流は活発であった。それは当時の畿内の集落跡からの出土物からも裏付けられる。

同時期に栄えた伊勢遺跡。中国の建築様式やレンガ、出雲や北陸の建築様式の建物など各地の特徴を持った建物跡が出土している。
おそらく30もの首長たちが集い、祭祀を行い政治が行われていたと推測できる。
面白いことに伊勢遺跡の全盛期に同時代の墓が周辺に認められないんだよね。政治の中枢であるが墓がない、国会のような年に1回首長たちが集う祭祀の場であった可能性がある。
神無月に出雲に神々が集う言い伝えがあるが、伊勢遺跡の伝承だった可能性もある。立地的に畿内、北陸、伊勢尾張からアクセスしやすい場所だからね。

当時の倭国の仕組みが窺い知れるんじゃないかな。
男王を抱き、その元で首長達が集い祭祀を行い、政治を行う。

問題は男王が何処にいたかだな
淡路島の鉄器を利用しやすい、本州沿岸部の高台が怪しいが
0277日本@名無史さん
垢版 |
2018/06/27(水) 08:49:41.49
杵築大社の天井図。八雲が一つ欠け七つしかないだろ。
あれは、紀元前後出雲地方の内乱の結果、神庭にいた渡来人系の出雲の王族が追放されたから。

出雲地方で元々信仰されていたのは、姫神の幸神、東から来て文物をもたらしたクナトの神。そしてその子のサルタヒコ。
サルタヒコ一族は、オオナムチに破れるんだな。
そして、畿内など各地に逃げ延びる。

加茂岩倉遺跡との同笵銅鐸が各地で出ている。
0278日本@名無史さん
垢版 |
2018/06/27(水) 08:51:02.34
その時代の男王は出雲の大国主だろ。
伊勢遺跡は地方議会みたいなもの。
中央政府は出雲。
0279日本@名無史さん
垢版 |
2018/06/27(水) 08:51:26.23
同じ紀元前後の時代。
渡来人系の丹後半島の王族ヤマタノオロチ族。
丹後半島に侵攻したカグツチ(ホアカリ系、記紀でいうスサノオ)に王が殺されて、一族が畿内に逃げ延びる。

その後一部伊吹山辺りに移った可能性がある。
伊吹山、ヤマタノオロチの神霊が住むと言われているな。

ヤマタノオロチ族と風宮の神との関係が気になるな。

級長津彦命
級長戸辺命
しなは息が長いという意味。
息が長い、吹子、鉄と関係あるかもしれない。

丹後半島に遅れて、畿内淡路島や池上曽根、彦根で鉄工房が始まるからな。

伊吹山、和歌では一途な想いの代名詞。

畿内に逃げ延びたヤマタノオロチ族は、助けてくれた大阪湾の渡来人に恩義を感じていたのかもな。

伊吹山の神は、大和朝廷と最後の最後まで戦い抜いている。
0280日本@名無史さん
垢版 |
2018/06/27(水) 08:54:01.18
>>271


で、殷の難民が渡来定着して水稲をもたらした事を証明する証拠遺跡と、
その生活痕たる三足や耳の付いた中国系生活土器と土壁の中国系住居と
石刃の中国系耕作用農具と中粒種のイネと龍信仰と亀卜は?


で、殷の難民が渡来定着して水稲をもたらしたとウソブいている
サギサギ考古学者の氏名と所属団体は?



さっさと言えよバカジジイ!
0281日本@名無史さん
垢版 |
2018/06/27(水) 08:54:31.26
>>276
>1世紀から2世紀初頭にかけては、北部九州、瀬戸内海、畿内、北陸の交流は活発であった。

倭国(阿波)を発った忌部一族の拓殖交流ですね。  @阿波
0282日本@名無史さん
垢版 |
2018/06/27(水) 09:00:29.31
畿内に逃れてきた出雲の王族サルタヒコ一族、丹後半島のヤマタノオロチ族、環大阪湾にいた倭人(クナト)一派が、1世紀半ば近畿一円に国を作る。
クナ。クニの語源。対外的には倭国。

出雲族の姫、幸神と、クナトの神の子がサルタヒコ。
出雲族と倭人の同盟の証。

サルタヒコは暦の神。一年に一回伊勢遺跡で暦を作り首長達に伝えていたんだな。

サルタヒコは、月読にして大国主、魏志倭人伝でいう卑弥弓呼。
0283日本@名無史さん
垢版 |
2018/06/27(水) 09:05:18.14
>>271


で、ニギハヤヒが秦からの渡来人である事を証明する証拠遺跡と、
その生活痕たる三足や耳の付いた中国系生活土器と瓦屋根に土壁の中国系住居と
石刃の中国系耕作用農具と中粒種のイネと漢服と木沓と漢字の金石文と龍信仰と
亀卜と日常食の蒸し餃子とワンタンは?


で、ニギハヤヒが秦からの渡来人だとウソブいているサギサギ考古学者の
氏名と所属団体は?



さっさと言えよバカジジイ!
0284日本@名無史さん
垢版 |
2018/06/27(水) 09:05:18.38
サルタヒコ。
出雲族の姫神幸神と、倭人の彦神クナトの神の子。

倭人と出雲族の同盟の証。

月夜見にして大国主、卑弥弓呼。日見彦。暦の一子相伝者。
倭国大乱で殺されて、日本列島から暦が無くなる。
猿田彦は界の神、堺にいたのかな?

猿田彦で注目すべきは最初に出会った場所。

天の八衢。
道が幾つにも別れる処、方違。
面白いことに上町台地と泉北丘陵の間に方違神社がある。なにわ、和泉、河内、淡の境。

その近傍にイシズ川。
猿田彦が消えるのはイスズ川の川上。

猿田彦が溺れたとされるのが、阿邪訶の海。
方違神社のすぐ北がアサカ、浅香。
浅香の北がオサカ、大阪。
浅香の南、泉北丘陵にコサカ、小坂。

伊勢と同じものが揃っているんだな。
凄い偶然。

更にサルタヒコはヒラブカイに挟まれて亡くなるとある。
泉北丘陵、イシズ川を遡った地に平井と深井という弥生時代から立地が変わっていない集落がある。
平井と深井の間が弥生時代の鈴の宮遺跡。
サルタヒコは最後はこの辺りに逃れていて、殺されたんだろう。
0285日本@名無史さん
垢版 |
2018/06/27(水) 09:10:52.84
>>276
>面白いことに伊勢遺跡の全盛期に同時代の墓が周辺に認められないんだよね。


多分、第2の都。
万が一の場合、王権が避難できるような。

白村江敗戦の後、落ち着かずそわそわした天智天皇が近江に遷都してるだろ。

天然の要塞である近江は弥生時代からそのように認識されてたのであろう。
0286日本@名無史さん
垢版 |
2018/06/27(水) 11:47:24.39
>>277
>加茂岩倉遺跡との同笵銅鐸が各地で出ている。

加茂岩倉遺跡も含め、倭国(阿波)を発った忌部一族が各地へもたらしたものだよ。  @阿波
0287日本@名無史さん
垢版 |
2018/06/27(水) 13:02:54.89
いやいや、実は伊勢遺跡みたいな拠点は本来はたくさん各地にあったんだよ。
0288日本@名無史さん
垢版 |
2018/06/29(金) 07:59:29.47
朝貢、、、外交の贈答品を朝貢にしたかったのかも。
渡来人、、、古代中国江南から済州島含む半島南部の沿岸部にもたくさん点在
      した倭族の拠点から倭人が列島へ来ただけのような気がする。

何から何でも大陸由来、半島経由の説に辟易する。朝貢、渡来人、など其の為の造語としか思えん。

かって学者センセイらの説いた稲作の伝来ルートが真逆のルートを示唆する縄文米などのオパール等の発見で感じさせられたのは、恣意的に語られた旧説は全く信用に足るものじゃ無いことである。
魏志倭人伝等も偽書だとは思わんが、あくまで他国の史書と言う事を念頭に置いておく必要は無いのか。
0289日本@名無史さん
垢版 |
2018/06/29(金) 09:19:17.00
>>288



で、江南から倭族とやらが渡来定着して縄文稲作をもたらした事を
証明する証拠遺跡と、その生活痕たる三足や耳の付いた中国系生活土器と
土壁の中国系住居と石刃の中国系耕作用農具と中粒種のイネと漢字の金石文と
龍信仰と亀卜は?


で、江南から直伝した中粒種の縄文米の証拠現物(稲籾、籾殻、炭化米)は?


で、江南から倭族とやらが渡来定着して縄文稲作をもたらしたと
ウソブいている頭のおかしな考古学者の氏名と所属団体は?


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